昭和新山決戦~傷だらけの紅玉

    作者:菖蒲

     橙焔を透かすショールが風に揺れる。ナミダが掌を翳すだけで、スサノオ達は猛る想いを隠しきれない。
     静謐なるスサノオの姫・ナミダは朗々と唄う様に声を張る。
    「先程も言うたが、この戦いで力を得る事は儂にとっての悲願」
     この場に相応しい静寂の中、華奢な少女を思わせるかんばせのナミダはその美貌に強い決意を滾らせた。誰にも阻む事が出来ぬ決意を感じさせる気配――彼女を、灼滅者達は各々の胸中に渦巻く思いを飲みこみながら見詰めた。
    「……汝等の協力の申し出には感謝する」
     スサノオ殖やし生かす――その一点を為してくれた者達へ己の身上に基づき義理にて返し続けてきたナミダ姫。
     彼女は、真っ直ぐに灼滅者達へ身を向けると唇の端を小さく持ち上げ言った。
    「無事、スサノオ大神の力を得られたならば、1度だけ、汝等の為にその力を使うことを約束しよう」
     ――これは確かなるもの、彼女から示された約定。
     斯くしてスサノオの姫ナミダと武蔵坂の間に、ガイオウガを守護するイフリートの軍勢を打ち破る『協定』が結ばれた。
     

     スサノオの姫・ナミダと接触し、交渉を終えた灼滅者達から齎されたのは『共闘』という手立てであった。
    「昭和新山にある大地の楔を襲撃しようとしてたナミダ姫をね、とめることができたの」
     無謀だと、誰かは言った。スサノオが無謀な攻撃を仕掛け、周辺地域を戦火で覆い込む――その『危機』はリスクとして存在していた。無事に回避できたことを安堵したと不破・真鶴(高校生エクスブレイン・dn0213)は云う。
    「でも、でもね、スサノオは昭和新山への攻撃を諦めてないの。
     だから、一般市民の被害を避けるためにナミダ姫達と連携して、イフリートを撃退する事になったの」
     これは、ダークネス組織同士の抗争だ。
     灼滅者がダークネスである両組織のどちらに味方をするのが正しいのか――無論、その答えは決まっていない。
     真鶴は「一般の人たちへの被害を減らす事を優先しているってことでは、正しい選択だと思うの」と何処か言葉を濁した。
     イフリートとの戦いはスサノオの軍勢が主力となる。しかし、両組織がぶつかり合うだけでは周辺への被害が見込まれる。勝利の為には灼滅者の協力が不可欠と為るのだ。
    「わたしは、色んな人への被害を減らして欲しいなっておもうの。だから、力を貸してほしいの」
     昭和新山から現れるイフリートは100にも迫る数だ。
     真鶴曰く、イフリート100体は強力だが、スサノオも戦力を出し惜しみして居ない。ぶつかり合うだけならば『スサノオが有力』なのだ。
    「でも、でもね、ダメージを負ったイフリートが昭和新山に戻るでしょう?
     そしたら、数分程度でダメージが回復するの。イフリートにとって、地の利があるのね」
     それでは、ナミダが望む『勝利』を得ることはできない。継戦能力で言えば、スサノオが遥かに上回る事と為る。
    「普通なら、スサノオが『回復したイフリート』に負けるの。
     勝つには、みんなはダメージを負って撤退してくるイフリートを撃破して、スサノオを支援しかないの」
     素早く撃破しなくては新たなイフリートが増援となる。
     深手を負えど戦意の焔を燃やした獣は、その牙を喪っている訳ではない。増援が来れば灼滅者も苦戦する事となるだろう。
    「みんなの存在が前線に伝えられちゃうと、みんなの討伐にイフリートが乗り込んでくるかもしれないの」
     だからこそ、安全に、そして勝利の為に素早い撃破が必要と為るのだ。
     只、撃破と言っても相手はダークネス。彼らが深手を負っていたとしても強力な力は計り知れない。
    「ガイオウガとナミダ姫。
     どちらに味方するのが正しいのか……わたしは、わからないけれど。
     今は、周辺の被害を治める為に――幸福のために、どうか、手を貸して欲しいのよ」
     ――あの場所では、焔の牙は潰えない。


    参加者
    風宮・壱(ブザービーター・d00909)
    幸・桃琴(桃色退魔拳士・d09437)
    レイン・ティエラ(氷雪の華・d10887)
    狼幻・隼人(紅超特急・d11438)
    祟部・彦麻呂(快刀乱麻・d14003)
    有城・雄哉(高校生ストリートファイター・d31751)
    荒谷・耀(一耀・d31795)
    穂村・白雪(無人屋敷に眠る紅犬・d36442)

    ■リプレイ


     獣の唸りが聴こえる――それは、耳朶を滑り落ち微かに心をざわめかせるものだ。
     静寂とは程遠く、獣同士の諍いが直ぐ傍から聞こえている。微かな電子音と共に同じ道すがらに立つものとして現況を素早く伝えた穂村・白雪(無人屋敷に眠る紅犬・d36442)は焔の獣達がぞろりと姿を現した事を冷静に伝えた。
     炎血を糧に呪いを振る舞く狂犬が如く、チェーンソーが呻る。その名は怪奇小説から準えたものなのだろう。最悪だと毒吐いた彼女の声音に僅かに表情を曇らせた荒谷・耀(一耀・d31795)は納得のいく『ことば』を見つける事ができないと岩肌を見詰める。『生きた証』として刻みつけるには余りにも汚れた勝利と為り得るこの闘いに耀はうわ言の様に呟くだけだ。
    「……一般のひとたちを、護らなきゃ。そのためにはイフリートを倒さないと……」
    『アラヤ』の加護を身に纏いながら耀はぎゅ、とマフラーを抱える。その白い掌は僅かに震えている様だった。
     地鳴りの様に聴こえる獣の足音は、その心を震わせる。ピン、と張り詰めた意識の糸を研ぎ澄ませ、悟られぬ様にと人好きする笑みを浮かべた風宮・壱(ブザービーター・d00909)は愛猫の心配そうな声に大丈夫だと幾度も呟く。
    「戦うなら力の限り戦うよ! それが『灼滅者』だもんね!」
     明るく振る舞う幸・桃琴(桃色退魔拳士・d09437)はおさなさの残るかんばせに常と変わらぬ笑みを浮かべる。耀や壱の表情をちらりと見つめ、内心は戸惑いを覚えているのだろうが彼女は出来得る限り『仲良く』この場を解決したいのだとその笑みから告げている様だった。
     昭和新山には様々な思惑が交錯し合っている。
     イフリートを救いたい者、ナミダと手を取り合いたい者、そして――決めかねている者だ。
     考えが纏まらぬ中でも事態は進行してゆく。夜色の瞳に、僅かな迷いを見せた祟部・彦麻呂(快刀乱麻・d14003)は掌でふわりと影を遊ばせてゆっくりと正面へと向き直った。

     グルルル――――

     獣の聲は、その心を掻き乱す。同ルート内でも各個撃破の体制をとっているのだろう。彦麻呂の前へと現れた個体は一体のみ、スサノオとの闘いで傷を負った手負いのものだ。
    「いたそう、だね」
     素直な言葉がぽろりと毀れた。頚を擡げたままの疑問は栓ないもので。言葉を発することなく、感情を吐露する事もなく、有城・雄哉(高校生ストリートファイター・d31751)はゆっくりと足元から影を滲ませる。
     眼前に居るのは仇だ。僅かに眉が動くが、彼の表情は、感情は『異様』な程に凪ぐことはなかった。
    「……いきましょう」
    「せやな。イフリートにもいい奴はおるんやろけど、こいつらは平気で町を火の海にするようなやつなんやろ?」
     ならば、それを倒すのは『リベレイター』を照射した自分の責任だと狼幻・隼人(紅超特急・d11438)は地面を踏み締めた。


     ごつごつとした岩肌を器用に走るレイン・ティエラ(氷雪の華・d10887)の長い銀が靡く。
     すべての土地を産む――大事の名を冠したエアシューズはこの岩肌に良く馴染んでいる様にも感じられた。
    「多種の思想が混じるのは学園ならではの状況って感じだな」
     ちら、と背後に立った彦麻呂や隼人を彼は見遣る。元より、『学園』は一筋縄ではいかぬ場所なのだ。ダークネスが絡めば絡むほど、学園の思想は分裂し困難を極め続ける。
    「……俺は。ナミダとの約定を重んじる、よ。相いれないのは仕方ない事だから。俺は俺の、したいように」
    「そうだね。私は、私の言葉を偽らない」
     イフリートの眼前へと踊り出すレインを追い掛けて彦麻呂の影が蠢き這う。柔らかなチョコレート色の髪がふわりと揺れ、鋭利な刃物で縺れた麻糸を断ち切る様に声を張り上げる。
    「立ち止まってくれますか?」
     レインの腕が獣の勢いを帯び、イフリートを殴りつければ、その背後から顔を出した彦麻呂が影で呑み喰らう様に『ぐぱり』と口を開く。
    「話しを――聞いてくれますか?」
     知性なき獣(ばけもの)と称される事の多い焔の獣は、麓のスサノオと灼滅者が『仲間』であることを自覚しているかのように大きく咽喉を鳴らし、焔をその身に纏う。
     受け止めんと前線へと飛び出した雄哉の膚をちりりと焦がし、「コロス」と心の奥底に響く悍ましい声音に僅かに『揺さぶられた』感覚に息を飲む。
    「僕は、」
     一般人への被害を防ぐ。灼滅者としての当たり前の行為と思考回路だと胸中に渦巻く想いを飲みこんで彼はイフリートへと向き直った。
     爛々と輝く獣の瞳は、敵を剥き出している。ハンドフォンから、淡々と敵を倒す指示が飛び交っている事を聞きながら白雪は転がる石を蹴り飛ばした。
    (「最悪だ、相手は悪くないんだ。これじゃ『弱い者いじめ』――罪深い。私は、ここで死ぬ方が」)
     苛立ちと共に、イフリートの前へとしっかりと立つ。クトゥヴァが行う攻撃を諌め、彼女は己の決めたルールに従う様に「イフリート」とその名を呼んだ。
    「頼む、逃げてくれ。俺におまえを殺させるな。人とスサノオを追わないなら、俺達はおまえに攻撃しない!」
    「そう。俺たちは、大切なことをお前に教える事が出来る。
     ここの楔の次は何が狙われると思う? 今、死んでもガイオウガの力にはなれないだろ?」
     白雪の声に続き、壱は声を張る。スサノオとの戦闘で傷を負ったイフリート。
     その身に『焔の血液』が流れる二人にとって、イフリートを倒す事は本意ではないのだ。そう、同胞へと正々堂々とではない狡賢く戦う事となる『不甲斐なさ』を心は何よりも締めつけられる。
    「暴れず大人しく山を降りてほしい。俺たちは約束を護るよ。
     お前達に戦士の誇りがあるように、それが俺たちの誇りだから――だから、ここに来たんだ」
     思惑は交錯し合う。壱の言葉を耳にしながら、桃琴はふるりと首を振る。
     イフリートが人里を襲う以上は、戦うという『意義』がある。幼いながらも確りと目的を定めていた彼女は、イフリートに攻撃を行わず声を張る白雪の傍らでスゥ、と息を吸い込んだ。
    「桃の拳技、受けてみてっ」
    「ここで『見逃す』って言うんは性に合わん。やる時はやるしかないやな」
     器用に地面を踏み締めて、まるで魔法少女の様なコスチュームのスカートを揺らした桃琴が流星の如き蹴檄を落とせば、抵抗を見せたイフリートを隼人が受けとめる。
     イフリートを倒したい者、イフリートとの対話を望む者――千差万別にその心中に秘めたるものが、彼らの戦況を混乱させていたのだろう。
     遠く見えるイフリートの姿に見る事の出来た他班は淡々とした戦闘を返して居る。ここで、倒さなくてはならないと、耀は両の掌に力を籠め加護を纏ったその拳を、ゆっくりと下ろした。
    (「ダークネスより、人間の命の方が重いんだ……? 『まだ』悪いこと、してないのにね」)
     ――わたしは。
     仕方ないでは納得する事が出来なかった想いに耀は声を震わせ、呻いた。


     これはエゴなのだと彦麻呂はよく理解していた。耀の言う『命の重さ』と同じ様に、彼女の心中にあるのものそれと同じだった。
    「私は人間だから、人間以外を殺す道を選びました。
     それは、貴方達もきっと一緒――でも、私は、この道が正しいなんてこれっぽっちも思ってない」
     灼滅者は人間を護るべき。それは、大義名分のもとにダークネスを殺す事が出来る唯一の事象だったのだろう。
     彦麻呂も、耀も、雄哉もよく理解している。隼人や桃琴も『彼らがそういう存在』だと理解しての行動なのだろう。
     ダークネスを憎む者も、厭う者も学園には多い。己の心に残した大きな傷が彼らの所為である以上雄哉にはその大義名分以上に戦う理由は存在していた。だから、淡々と――だから、粛々と相手を滅するのみなのだろう。
    「私は、誰も殺したくないです。ダークネスを殺す事で人間を護る。なら、ダークネスは誰が護るの?」
     彦麻呂の悲痛の声に、耀の動きが鈍り続ける。唇を噛み締め、気怠げなきなこの背を撫でた壱は強い勢いで石を蹴り飛ばした。
    「学園は元より他方に売ってきた。俺たちが選んだ道で、主義が違えただけ。
     俺はスサノオに、君達はイフリートに。それは誰かに責められるものじゃない――でも、」
     ぐん、とイフリートを殴り付けたレインの一撃は鮮やかな白炎に彩られる。赤き焔をぼとりと落とし攻勢に転じるイフリートは理性的なコミュニケーションなど聞く耳も持たず、迷いを抱いた灼滅者を打ち倒すべく声を発した。

     ―――!

    「頼む、話しを聞いてくれ……!」
    「スサノオニタオサレ、スレイヤーニコロサレ、キレイゴトヲイウナ!」
     心の奥底からの言葉なのだろう。全員が一致して逃がす道を選ぶ訳でもない――攻撃の合間に『交渉』を持ちこんでいるに過ぎない。体を強く岩肌に打ち付けて白雪が呻き声を上げる。
     殺したくないという思いを彼女がいだけど、全員の感情が一致せぬ今ではイフリートに信頼して貰うのは儘為らない事だった。
    (「――生き残ったのは罪なんだ。誰も失いたくない、誰かを護って死ねるなら、それで」)
     白雪から溢れ出す血潮を抑える様に壱が癒しを与える。交渉が叶わぬならば、処断するしかない。
     心の中で渦巻く迷いを断ち切る様に使い古された刃を振るい上げた壱は「ごめん」と呟いた。
    「ッ――とぉ! 受け止めて! これはね、桃の得意技なんだ!」
     翼を模したコスチュームからオーラを噴射した桃が、蹴撃を放ちその身をくるりと反転させる。
     イフリートの攻撃を躱すように身を捻り、一体のイフリートが倒れた向こうにも獣の姿が存在する事に、彼女は「まだまだだよ!」と仲間達を励ます様に声を上げた。
    「ギン」
     咽喉を鳴らしたギンが獣の許へと走り往く。其れに続き、一撃放ったレインは『約定』を重んじる様に、ナミダと彼女を呼んだ。
     白焔を身に纏い戦う彼はスサノオに何れは堕ちる事を覚悟していた。だからこそ、スサノオとの約定を重んじ、同胞と為り得るかもしれない『存在』の為に身を賭した。
     獣の脚がぐん、と殴りつけたその感覚に背筋がぞわりと震えて見せる。雪の結晶を散らしながら、約定以上にその心をざわめかせる戦闘の気配に浅い笑みが漏れだした。
    「倒そう」
    「はい……イフリート。覚悟を」
     雄哉の淡々とした声は、僅かに戦闘へと高調した想いが感ぜられた。


     言葉の応酬では届かない。倒しながらも、許しを乞う様に「ごめんなさい」を繰り返す耀の傍らで勢いよく前線へと飛び込む隼人のバンダナが揺れる。
    「あらかた丸! 気ィつけや!」
     数としては素謡に及ぶ事だろう――周囲のチームが一体一体を確実に倒す中でも苦戦気味に戦う隼人達は奇襲を許さぬ継戦に、口端から滲んだ朱を拭い笑みを零す。
    「楽しいか? イフリート。俺は、めっちゃ楽しいで」
     イフリートのお持ち一撃を受け止める。爛々と戦意を滾らせた黒の瞳に自信が宿った。
     真っ直ぐに飛び込んで、弾き飛ばされようと彼は挫けることはない。気合があれば、護り切ることだって出来る筈だと『逃がさぬ』ように彼は善戦した。
     あらかた丸が、桃琴を狙った攻撃を受けとめる。「ありがとっ」と輝く笑みを漏らした桃琴は共闘による利点を気にする様な素振りを見せた。
     グルルルルル――――
    「……恨みはないよっ! でも、桃は皆を護りたいんだ!」
     す、と掌を向ける。息を付き、波紋さえ浮かばぬ心を落ち着かせた桃琴は『飛んだ』。
     一族で学んだ武術を生かす様に体をすん、と捻りあげる。小さな掌が焔の毛並みに触れ、そのままの勢いでイフリートを蹴り飛ばす。
    「いくよっ!」
    「……こっちです、イフリート!」
     体力的な限界を僅かに感じ始めたのは苦戦を強いられていたからだろうか。前線で戦いながら、この場を護り切る為にと『意志を手放し』そうにもなりながら――雄哉は奥歯を軋ませた。
    「ッ―――!」
     ぐん、とイフリートによる一撃に体が重力を無視して跳ね上がる。腹の奥底までも響いた痛みに雄哉が僅かな呻きを上げた。
    「きなこ!」
     暑さに負けたふんわりとした毛玉の背を押した壱が回復を送れば、愛猫も其れに応じる。
     なぁご、と鳴いた声音に「まだまだっ、がんばるよ!」と桃琴は次に姿を見せたイフリートへと相対した。
     そうして、何匹倒したであろうか。五匹を超えたイフリートを倒す中、傷を負えど灼滅者側の優位には違いは無くて。
     己に傷を付け、尚も死に場所を求める様に立ち振る舞った白雪が「はは」と息を漏らす。
    「もう、いいよな……。俺たちの勝利だ……!」
     無線機を通して作戦の終了を告げる白雪へさくらえと鈴音より了承の声が返される。
     周辺のルートでも作戦は上手くいったのだろう。「実質上、スサノオの勝利ってやつやな」と呟く隼人の声に安堵を覚えたレインは周囲を見回し瞳を伏せた。
    「……人には、様々な考えがあるんだ」
    「はい――誰の味方をするか、『誰の味方もしない』か。僕達には選ぶ権利が、選ばなくてはならない義務がありますから」
     雄哉は、言う。心の安定にはまだ遠く――そして、この場の灼滅者達の求める『安寧』も遠い。
     ゆっくりと、マフラーを抱き締めた耀は「みんな、しんで……」とぼそりと呟いた。
    「ひとを、護る為だから……でも、わたしは――わたしは……」
     精神を擦り減らす様に心の底から湧き上がる嫌悪。感情のいろが失われつつある現実に打ち震える様に俯く耀の傍らで、同じ思いを抱いた白雪がゆっくりと焔の獣へと触れた。
     生の気配はない。あんなにも温かな獣であったのに、今はもう冷たい。
     出口(こたえ)のないトンネルを歩み続けるのは絶望にも似て。渇望するのは『争いのない世界』
    「そんなもの、ありえないのかな」
     口にすれば儚く。彦麻呂はゆっくりと穹を見遣る。何も解決しないと頬を伝った雫が掌へと落ちた。
    「灼滅者と、ダークネスって、何が……何が違うの?」
    「命に重みはないんだよね。……でも、迷うのは俺たちが人で居る証なんだ」
     勝てば官軍とは言うけれど、これが正義だと言えるほどに自分は強くはない。
     その身を闇へと投じる事を厭う様に。吐きだした言葉は僅かな焔の色を感じさせて。
     吹く風に顔を上げ、撤退の声に応じた桃琴が「ナミダ姫は約束まもってくれる、よね……」とレインの顔を見上げる。
    「きっと、応えてくれる。ナミダは義に厚いから」
    「せやな。お姫さんやったら大丈夫や……今日は、帰ろか。暑くいとバテてまうで」
     レインに続きへらりと笑った隼人は「一部、雨も降ってきたしな」と彦麻呂の肩をぽんと叩く。
     その両掌を濡らした雫に彦麻呂は首をふるりと振った。体の中の水分が、溢れだしては止まらない。
    「……みんな仲良くしたいと願うのは、そんなに悪い事ですか?」
     燃え滾る炎は、次第にその温度を喪っていく。

    作者:菖蒲 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年8月12日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 7
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