臨海学校2016~真夏の狂想曲

    作者:日暮ひかり

    ●scene
     夏だ。水平線から顔を出した入道雲さえ見下ろすように、高く、遠くへと昇った太陽が、砂浜をめいっぱいに白く輝かせる季節。
     打ち寄せる波の向こう、青一色に染まった海の奥底で、ひと際強くきらめくものがあった。球体のようだが、直径は1メートルほどもあり、硝子や石の類ではない。妖しく、紅く、きらめくその塊は、溢れる大地の生命力で周囲の環境を一変させてしまっていた――。

    「な、何なんだあれは……カジキの如く泳ぎ、トビウオの如く舞っているぞ……」
     異常に巨大化したアジやサバ、タイ等がびちびちと踊り狂う海を前に、別府湾の漁師たちは茫然としていた。悪い夢でも見ている気分であった。
    「親方~! 海が、海が……いい湯加減に!!」
    「こ、これは40度前後……適温! ってどうでもいいわ、誰か原因を説明しろォ!!」
     
    ●warning――説明しよう! 三行で!
    「大分県の別府湾の海水が温泉になったって本当ですか!? 鷹神さん!」
    「ああ……。その原因は海底に出現したガイオウガの力の塊とも既に聞いたな、イヴ君」
    「はいっ! だから、臨海学校は別府の糸ヶ浜海浜公園でキャンプなんですね!」
      ――恐れ入りますが、武蔵坂の夏は今年もそんな感じのようだ。
     
    「力の塊の引き揚げ作業は深夜に行う。鶴見岳に運び込めば、ガイオウガに吸収されて消滅すると見られる。なおサイキック攻撃を行うとイフリート化する模様だ、取り扱いにはくれぐれもご注意願…………時にイヴ君」
    「はい、大丈夫です。つっつまり、昼間は海水浴をしたりして、遊んでもいいん……です、よっ、ねっ!! し、閉まらない……」
    「いや、その少女趣味な手荷物に釣竿を詰めるのは物理的に不可能だと指摘したい」
    「でも、別府湾にはガイオウガさんの力の影響で大きくなったお魚がいて、とってもおいしいってウワサが!」
    「確かに脂が乗っており大変に美味であると聞く。夕食の献立に最適だな。恐らく地元の奥様方も放っておかないに違いない……危険だ、おー危険だ」
    「ううっ。争い事は苦手ですが……イヴは皆さんのために頑張ります!」
     イヴ・エルフィンストーン(高校生魔法使い・dn0012)を煽るのもそこそこに、鷹神・豊(エクスブレイン・dn0052)は集まった者たちへ臨海学校のスケジュール表を配布した。
     
     ・8月22日(月)
     午前:羽田空港から大分空港へ、別府観光をしてからキャンプ地である糸ヶ浜海浜公園に向かう
     午後:糸ヶ浜海浜公園到着
     午後:別府湾で海水浴(ガイオウガの力の場所確認)
     夕食:飯盒炊爨(別府湾の生命力の強い海産物を食べよう)
     夜 :花火
     深夜:ガイオウガの力の引き上げ
     
     ・8月23日(火)
     未明:ガイオウガの力を鶴見岳へ輸送(有志)
     朝 :朝食、後片付け
     午前:別府湾で海水浴(危険そうな海産物の捜索と駆除)
     昼 :大分空港から武蔵坂に帰還
     
    「危険だ……逆に危険だ、敢えて戦闘を行おうとしなければ全く危険がないとは。調査という名目で海水浴やダイビングを嗜む輩が出てくるかもしれん。近隣住民の危機という免罪符を振りかざし、新鮮な海産物を食べ放題したとしてもご迷惑ですらないとは……」
    「いたずらっ子みたいな考え方ですね……」
    「失礼な、俺は真面目な優等生だぞ。力の塊を鶴見岳に運搬する作業は有志に委ねたいとの事だ、念のため警戒は怠らないで頂きたい。なおガイオウガの戦力を削るため、敢えてイフリート化させ、灼滅するという戦略的選択も頭に入れておいてくれ」
    「はい、イヴ達も真面目にお仕事頑張ります。でもイヴは久しぶりの別府ですし、やっぱりわくわくしちゃいますよ」
    「ああ。あの事件ももう四年前か……まあそうだろうな、理解する。はめを外しすぎない程度に遊んでこい、任せたぞ」
    「あら? ……ふふ、約束を破ったときは?」
    「焼き土下座、な」
     当時より柔らいだエクスブレインの笑みは、築いてきた信頼の証だろう。青い空、白い雲、夜空を彩る火の花に波の音、湯煙たゆたう温泉郷――灼滅者たちは、まだ見ぬ真夏の別府に思いをはせるのだった。


    参加者
    室本・香乃果(ネモフィラの憧憬・d03135)
    蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)
    神西・煌希(戴天の煌・d16768)
    御印・裏ツ花(望郷・d16914)
    遠野森・信彦(蒼炎・d18583)
    斉藤・春(冬色れみにせんす・d19229)
    真柴・遵(憧哭ディスコ・d24389)
    鮫嶋・成海(マノ・d25970)

    ■リプレイ

    ●1
    「武蔵坂学園の夏と言えば臨海学校!  臨海学校と言えば……海水浴だぜえー!!」
     叫びと共に両足で海へ飛び込めば、弾けた水飛沫が夏の太陽に照らされて輝く。眩しい笑みを見せた神西・煌希(戴天の煌・d16768)の後ろで、飛沫を被ったニュイがふるふると首を振った。
    「青い空、白い雲、深い海! これぞ夏だぜえ!!」
    「昨年の臨海学校はアフリカ化で異常気象でしたが、今年は良い湯加減とか。素晴らしいです」
     ニュイに水をかけてはしゃぐ煌希の横で、蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)は海水をすくって頷く。成程、熱すぎずぬるすぎない。
     ……。

    「……海がお風呂に適温なのも、十分に異常気象でした!」
    「まあ細けえ事は気にすんなって。ニュイ、お前はどう……あー泳げねえならしゃあねえなあ、って痛ッ、叩くなよお!」
     突き飛ばされて尚けらけら笑う煌希を見て、ニュイは拗ねたように口を尖らせた。お互いツンデレには苦労するよなと遠野森・信彦(蒼炎・d18583)が笑う。浮き輪に乗って波間を漂う藤太郎が、構えよ、とばかりにじっと信彦を見ていた。
     少し大きめの波が藤太郎を飲み込んだ。ボディボードで乗りこなしている鮫嶋・成海(マノ・d25970)に、煌希は感嘆の声をもらす。
    「なあ鮫嶋、例のアレの確認がてら泳ぎに行ってみねえ? 俺もこう見えて泳ぎは得意なんでなあ」
    「いいですね。お付き合いしますよ」
    「夏ももう終盤だし、海で泳ぐのも今年はこれで最後になりそうだな。そういえばイヴは泳ぐの得意じゃないんだよな。浮輪も持ってきたし泳ぎの練習でもしてみるか? 一応先生候補生なんだぜ、俺」
     沖の方へ出発した成海と煌希を見送りながら、信彦は転覆した藤太郎を元に戻す。イヴ・エルフィンストーン(高校生魔法使い・dn0012)はぜひ、と頷いた。
    「まずどの位のレベルなんだ?」
    「前に少し練習したので……バタ足ならできます! がぼがぼ」
    「待て待て、無理すんな! まず息継ぎを覚えような」
     日頃の勉強の成果を見せる時だ。信彦はわかりやすい指導で、イヴの姿勢や息継ぎのタイミングを正していく。
    「お、裏ツ花は泳げるのか」
    「泳ぎは好きなんですの。ねえ、蓮も少しでも泳いでみませんこと? 海というには温かいですけれど」
    「足を浸ける位でしたら……」
     御印・裏ツ花(望郷・d16914)の態度も今日は少し柔らかい。隣に愛しい人――唐都万・蓮爾がいるお陰だろう。
     今日の為に用意したフリル付の華やかな水着は、蓮爾に気に入ってもらえているだろうか。わたくしが良いと思う物を選べば、きっと蓮も気に入る……そう自負を持ってはいても、心が急く。いつものように褒めてくれるだろうか。いっそ好みを教えてくれれば良いのに、と。
     舞い上がる気持ちを隠しきれない裏ツ花を、室本・香乃果(ネモフィラの憧憬・d03135)は微笑ましく思った。
    「私も今年こそは少しは泳げる様に練習しないと」
    「今年はフィンを足に付けてみろ、泳げない人も推進力を得てそれなりに泳げるらしい」
    「峻さんってこういう時、凄く真面目……」
     相変わらずの関島・峻だが、こうして自分の運動音痴と真剣に向き合ってくれる事が香乃果は案外嬉しかったりする。思いに応えようと髪をきっちり纏め、渡されたビート板に掴まって必死に泳ぐ。
    「こ、こう?」
    「……まあ、今迄よりは良いと思う」
     フィンの力は凄い。今までは同じ場所でもがいているだけだったが、なんと動いている! 前に進めた事に感動し、泳ぎまくる香乃果を皆温かく見ていたが。
    「で、でもそろそろ限界かも……海が熱くてのぼせ……て」
     そういえば40度だった。今年も危うく沈みかけた香乃果を峻が休憩所に運ぶ姿を見て、信彦先生は適度に休もうなと呼びかける。
    「おっ煌希、成海、どうだった?」
    「おう、ばっちしイクラだったぜえ。それにゴロゴロ転がってやがるなあ」
    「数百はあるって話でしたけど多分本当ですね……海が台無しだわ全く」
     力の塊を見に行った二人の話を聞く限り、割と目印をつけるまでもなさそうだ。ブイを浮かべている班もあったので、別の範囲を担当しようという話で落ち着く。
     ガイオウガが何者かもまだよく分からない。少しずつ情報を集めていかないと――そう考えながら、信彦は遠くで跳ねる魚を眺める。

     一方斉藤・春(冬色れみにせんす・d19229)は、真柴・遵(憧哭ディスコ・d24389)をはじめとした【365】の友人たちを連れて遊びにきていた。
    「今年はしてないから丁度良かったね。はい、爆発しない西瓜だよ」
    「そうだった、去年は俺の愛称を名付けられた西瓜が謎の爆死を……」
    「何か? 遊びに来てあげたのよ、感謝しなさい」
     爆発させた張本人の杜乃丘・ひよりが、日傘をくるりと回してツンと言い放つ。素直じゃないなぁとニヤつきつつ、今年は平和になりますようにと祈る遵だったが。
    「大丈夫ですよ遵さん、ひょもりさんや碧衣さんは可憐な女性ですし……」
     ぶぉんぶぉんと不穏な風切り音がする。
     ……大リーガーばりの美しいフォームで素振りをする日与森・モカと木賊・碧衣を見て、春日・葎もあ、無理だな、と悟った。
    「……強そう……いえ、何でも」
     葎の呟きに静かに頷く遵。既に食の事しか頭にない春は、一人黙々と浜に西瓜を並べていた。皆自由である。
    「順番に目隠しして叩き割ればいいよね。早く食べたいからがんがん叩いていい感じに割ってね。オレは見てる」
     正直。
    「また名前をはりつけて石で殴ればいい?」
    「謎宗教はもうやめて!」
    「庶民の遊びは奥が深いわ。何で殴ればいい? あぁ、手近にある棒状の物なのね」
    「これとかどうっすか?」
    「あ、どっかでみたヌンチャク」
    「学祭の景品持ってくんなよ!」
     日傘を眺めるひよりに皆がそっと棒を渡す。春も腹ぺこなので、とりあえず海での西瓜割りは初めてという朏・凪咲からスタート。
    「えっ……ぐるぐる有りなのか……うーん……まぁ楽しむ分には悪く無い、よな」
     皆の支持を信じて棒を振り下ろせば、軽快な音を立て西瓜が割れた。その後ひより、葎と続き、案外ほのぼの終わるかもしれないと思ったのも束の間。
    「正直モカの勢いに一番期待してるからさっさと割ってほしい」
    「了解っす! ひょもりにお任せあれっすー、でひゃひゃひゃ!!!!」
    「いえ、ここはかち割りのプロと呼ばれた私にお任せください」
     闇雲に棒を振り回し、モカは次々に西瓜を割っていくが……このままでは自分もやられる。飛んでくる西瓜の残骸をかわして逃げる遵だったが、偶然か必然か。そこに碧衣の棒が全力で振り下ろされて――!
    「……外しましたか。別に狙ってないですが」
    「あああふざけんじゃねーぞちゃっちゃらちゃーが!」
    「碧衣、殺気が隠れていないわ」
    「殺気じゃなくて溢れるリスペクトだろーが杜ちゃんっ。見やがれ、この俺のカッコ良さ!」
     可愛い後輩どもが俺の事を大好きなのは知っているが、やりすぎだ。転がってギリギリ攻撃をかわした遵はそのまま棒を握る。
    「まっすぐまっすぐ……そのまま前に思いっきりじゃんぶ」
     春はこういう時真逆の方向を指示するはず。見えた。ホントはこっちだ!
     遵は走り出した。栄光の彼方へ――そして、思いきり海に落ちた。皆が春の操縦術に感心する中、葎は憧れの先輩の雄姿(?)に複雑な心境である。
    「よし、これで邪魔ものはいなくなった」
    「信じれるのは己のみ、過酷なクラブっす……でやーっ!」
     モカが勢いよく最後の西瓜を割る。飛んできた中で一番大きい塊をさっとキャッチし、春は残りの西瓜を皆に配る。
    「はい、みかの分」
    「ん、ありがとう……はるのスイカ大きいね」
     凪咲は西瓜を海水にひたした。塩の効きすぎた味に、少ししょっぱいねと皆で笑いあう。
    「燦々と太陽が照る海辺も、良いものだね。楽しいのは、きっと大切な仲間と一緒だからだろうね」
     有難う――葎が何となく綺麗にまとめたその時、一人びしょ濡れで帰ってきた遵を碧衣が生暖かい目で見た。西瓜はもうない。
    「……わかってるって、愛ゆえだろ? 俺もみーんな大好きだからなっ」

    「そろそろビーチバレーでもやりましょうか、罰ゲーム掛けたガチ勝負で」
    「俺もまーぜて……って何そのボトル何その沈殿物怖ェ、聞こえなかった事にしていい?」
     そろりとUターンした佐見島・允の肩に、成海の指がガッと食い込む。反対の手には、美しい海色ネイルに似あわぬおぞましい液体(鮫嶋特製ワカメ生絞りジュース)が。
    「折角の夏なのに何でそんな生っ白い身体してんの。海よ、海」
    「仕方ねーだろこの夏はバイトバイトでよぉ……う、海とかマジ久々だわマジ遊ぶわー」
    「裏ツ花さーん! 女子チームに入りませんか?」
     イヴに誘われた裏ツ花ははっとする。あわよくば、とは思っていたが気取られただろうか。恥じらいを見せる彼女に、蓮爾は行ってきなよと微笑んだ。
    「お邪魔しようかしら……」
    「3対1? おかしくね?」
    「そうね、助っ人にライキャリ入れるのもありよね」
    「おう頼むわ……いやソッチにつくの!?」
     数の暴力で允は一方的にボコボコにされた。けれど、砂浜で飛んでは跳ねる水着女子達を至近距離で見れる僥倖、プライスレス。
    「きゃ……躓くなんて、もう。チャンスでしたのに」
    「ドンマイです裏ツ花さん!」
    「こればっかりはガイオウガ様様かな……なんつっブフェー!?」
    「余所見してるからよスケベ」
     春海を踏み台に放たれた成海の強烈スパイクを、允は見事に顔面レシーブし、倒れた。勝った――ふとビーチバレーってこんな競技だっけと成海は思ったが、黙っておく。
    「はい、ムル先輩罰ゲーム……ジュースは?」
    「ぷはー、思ったよりはイケるぜえ!」
     ちょうど遠泳から戻ってきた煌希が成海汁を飲み干してしまい、允は九死に一生を得た。休憩所で待つ蓮爾の所へ、裏ツ花は小走りで駆け寄る。貰った冷たいラムネは火照った体に嬉しい。
    「楽しいかい?」
    「ええ。日差しが苦手なのに、我儘に付き合わせてしまって御免なさい。でも嬉しいわ」
    「良いよ。僕は泳ぐよりも、裏ツの愛らしい姿を見ている方が好きだから。珍しい所も見れたしね」
    「……趣味が悪いですわよ、もう」
     先程は視線を意識しすぎて失敗してしまった。口をへの字に曲げる裏ツ花を見て、素直に言ったのにと蓮爾は思う。砂浜では允の首から下を砂に埋める儀式が始まっていて、思わず二人も笑ってしまう。
    「こんな旅行も良いものだね」
    「ええ。けれどこうして蓮と過ごせるのが、一番の想い出ですわね」
     綺麗だよ、と濡れた髪を梳きながら、蓮爾は艶めいた姫の額に口づけを落とす。蓮の水に濡れた姿も美しいのですけれど――その想いは、そっと胸に秘めたまま。

     涼んだら体力も回復したようで良かった。白のバンドゥビキニの上にナノナノパーカーを羽織った香乃果を、峻は少し後ろからのんびりと追う。砂浜にしゃがんだ彼女は、きっと今年も綺麗な貝殻を見つけてくれるのだろう。思った通り、よく似た二つの巻貝を手に香乃果は駆け寄ってきた。
    「去年の約束覚えてる?」
    「ああ、覚えてる。忘れる訳無いだろ」
     良かった、と香乃果は空を見上げる。青い海も空も、随分と沢山隣で眺めているなと思う。
    「三年目の貝殻か……考えてみると凄いな。随分と長い間、一緒に居る」
    「その前は福岡で花火を見たよね」
     掌の上の貝殻も、そこに封じた景色も、形あるものないもの全てが香乃果の宝物だ。もう作れないかも、と不安な時もあった。失う怖さを知った。だから今、こうして隣を歩けて安心する。
    「香乃果は来春大学生か」
    「うん。来年は大学生」
    「早いな。俺も秋には二十だ」
     空は暮れ泥む。人も変わり、当たり前の日常も姿を変えていく。思い出を振り返る事は寂しさを伴うけれど、それは大人になる事でもあるのだ、と思う。
    「……星空も見たいな。貴方が好きな空と、煌く流星を一緒に見付けた思い出の空」
     夏の海は幸せな記憶に溢れている。海岸に座り、香乃果は沈む夕陽を眺めた。峻もその隣に座る。二人の距離も少しずつ、段々と変わっているけれど。
    「叶うなら来年もって……望んでもいいよね」
     香乃果の言葉に峻は静かに頷く。どれだけ変わっても、その先の未来まで連れて行きたいと思ってる――本当に。出かかった言葉は、まだ口には出せない。

    ●2
    「漁師達の朝は早い……」
     捩り鉢巻は漢の魂、狙うは大物一本釣り。月下に広がる静かの沖に船を出し、遵は表情を引き締める――その後ろで春は黙々と鯛の煮物を食べていた。夕飯の残り物だ。
    「何かツッコめって春クーン、『まだド夜中だけど』とかあんだろ?」
    「はいはい」
    「いやー、地元飯は最高だったな。潜水班準備いいか?」
    「はい、投網と刺し網を準備しておきました! 後は水中で使えるライトも」
    「念の為にダイビング用品も借りておきましたわ」
     敬厳と裏ツ花は信彦と共に用具の最終確認をする。一通りの準備は揃った。ボートの上に裏ツ花、春、遵、イヴを残し、香乃果、敬厳、信彦、煌希、成海が海へ飛びこんだ。
    「良い湯加減、海なのを忘れちまいそうだけど、この塩辛さは海だな。おーい、泳ぎは潜水班に任せろー!」
    「おう、地上での力仕事は漢の役目っ! サヴァ係も任せろー、皆春クンと違って素直でいーこ……あだだ!」
    「やめなよしっし、なれなれしいってさー」
     ニュイと藤太郎に引っかかれた遵に、煌希と信彦はあちゃーと失笑した。周囲に人影はないが、念のため殺界も張っておく。地上班に見送られ、いざ夜のダイビングへ。フィンと特訓の成果か、香乃果もやや遅れながらついてきている。
     深さの見えない闇の底で、無数の赤が灯のように煌いていた。漂う巨大な魚影は、昼とまるで違う不気味さを見せると共に、訪問者を異界の海へ誘う。温い海中で呼吸を繰り返すと、己も魚になったような錯覚を覚える。
     我に立ち返り、一行は潜水を開始した。力の塊を投網で包み、協力してボート上に繋がるロープを結んでいく。成海と敬厳がいったん海面に浮上すると、主人を待っていたのか海上を旋回していた藤太郎と目が合った。ライトを振り、準備完了の合図を出すとイヴがライトを振って応える。
    「(無理はなさらないでくださいね、イヴさん……! ああ、海に落ちてしまったりしないでしょうか)」
     密かに心配な敬厳は、船の様子を気にしながら水中へ戻っていく。春もついに箸を置いたが、ナノナノのウララはお眠のようだ。春はマフラーを引っ張り、代わりのロープを首に巻きつける。
    「ナーノー!?」
    「手伝わなくていいとか思ってるかもだけど、そんなわけないからね? ほら、そのままちゃんとひっぱってね。はい、せーの」
     ロープが引かれたタイミングで、水中班も下から塊を押し上げる。
    「おーえす、おーえす! 春クン声が腹から出てねーぞ!」
    「しっしこそ力入れてる? もっと本気だしてー」
    「おおーいそっち大丈夫かあ。もうちょっとずつ動かしてくぜえ」
     煌希と成海が様子を見に浮上してきた。と、成海はそのままボートに上がり、待機していた春海のハンドルに余ったロープを括りつける。
    「成海さんは何を?」
    「ちょっとね。大丈夫、備品は壊さないようにするわ」
    「!?」
    「じゃーオレもそろそろ本気だそっかな」
    「力仕事は慣れませんが、わたくしも」
    「コラー! ムダに真の力隠すなウオオオオォ揺れウゥオアアアアア」
     怪力無双の引きに合わせ、春海のアクセル全開フルスロットルが発動。見事に釣られた活きのいい巨大イクラ――もとい、力の塊がどすんとボートを揺らしたのだった。

     万一に備え、岸辺で待機していた仲間が皆をねぎらい飲み物を渡す。岸に上がった信彦へ、藤太郎 がタオルをポイと投げつけた。
    「お前もうちょい優しく投げろよなー、ありがとさん」
    「お疲れ様でした。後は僕にお任せください!」
     他班の仲間が運転する軽トラックに塊を積みこむと、護送を願い出た敬厳は出発していった。イフリートとはつくづく縁があるもんだと信彦は考える。息を切らしている香乃果も、どことなく浮かない顔だった。
     いずれ力を吸収したガイオウガと戦うだろう。最近、何が正しいのか分からなくなる。
    「……俺はさ、親しい奴がイフリートにやられたって事もないから気楽なのかもしれないけど、ガイオウガ達は戦友みたく思ってる。済ませるなら穏便にいきたいもんさ」
    「でも、今日みたいに信頼する人が送り出してくれる。共に歩む人達もいる。だから、何があっても……きっと大丈夫です」
     一人鶴見岳へと向かう敬厳の頼もしい背に、二人は願うような想いを託す。託された想いを胸に、敬厳はスレイヤーカードを握りしめる。
    「蒼穹を舞え、『軍蜂』!」
     鮮やかな白練の佩楯と橙の南蛮胴が敬厳を武者に変える。これもちょっとした鍛錬と、トラックを追って山の斜面を疾走していく。
     仲間が塊を運搬する間、敬厳は他班と連絡を取り合い周囲の警戒を続けた。皆と遊ぶのも大事じゃが、これも大事な役目よ――ガイオウガの力を狙う者は多いはずだ。危険がないと言っても、けして心を緩めてはならない。いざという時は、この身を盾にし護ってみせる。
    『こちら咲哉班異常なし』
    「こちら蜂、異常なしじゃ!」
     力の塊が一つ、また一つ山路へ溶ける。命が溶けた様な温い風が髪を揺らす。この道は、どこへ繋がっていくのだろうか。

    作者:日暮ひかり 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年8月23日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 2
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