お兄ちゃんは負けない

    「頼む! お願いだ、許してくれ!」
    「ちょっと遊ぼうって言ってるだけだろう。なあに、すぐに済むからさ」
     路地の中、壁に囲まれた袋小路で2人の少年が向き合い、一方が顔を涙と鼻水でくしゃくしゃに歪めていた。
     その少年よりも一回り小柄で、お世辞にも逞しいとは言えぬもう1人の少年が一歩、また一歩、ゆっくりと距離を縮めてゆく。
    「悪かった! もう今までみたいなことはしない! 誓うよ!」
    「そんな事はもういいんだ。ちょっと殴られたり、笑われたり、そんな些細な事はさ」
     そう言いながら泣きじゃくる少年の前髪を掴み、ぐいと引き寄せる。
    「ただちょっと、遊びたい気分なんだ」
     少年が激痛にあえぐ中、夕日を背にする少女の影が少年の視界に入った。
    「た……たすけ――」
     そう言い掛けて、少女がうっすらと笑顔を浮かべている事に気付く。
    「思う存分、遊んでいいんだよ。お兄ちゃん」
     
    「皆さんに、お願いしたいことがあります」
     五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)はゆっくりとそう告げる。
    「遠からず、1人の中学生が同級生を殺める事件が起きます」
     少年は15歳、遠野・正司。俗に言うところの「いじめられっ子」なのだがある日突然強い力を手に入れ、恨みのある同級生達を1人ずつ襲ってゆくのだという。
    「事件を阻止して欲しいのももちろんですが、もうひとつ」
     取り出した写真は正司の妹、遠野・桃香。兄とは1つ違いの14歳。
    「彼女は今、ダークネスへと、ソロモンの悪魔へと変貌を遂げようとしています」
     兄に常軌を逸した力を与えたのはこの妹。桃香は「復讐したい」という兄の願いを叶えようとしたがためにダークネスの力に目覚め、そして彼に自身の力を分け与えたのだという。
    「彼女は既にダークネスの力を手にしていますが、まだ完全には闇堕ちしていません」
     本来であればとうに失っているはずの人格を、桃香は未だ保持している。ただし、このままであればいずれ、完全なダークネスへと変貌することは確実であると姫子はそう言う。
    「完全に闇堕ちする前に、どうか彼女を救い出してあげてください」
     
     事件の現場となるのは彼らの通う中学校そばの路地。兄には自由に行動をさせ、本人は見失わない範囲でついて歩き、常に兄の様子を見守っているようだ。
     兄は殴る、蹴る、投げるなど腕力に任せた攻撃しかしてこないが、常人はおろか灼滅者をも大きく凌駕する力を得ている。
     桃香はなるべく戦闘を兄に任せ、兄が有利になるよう回復や遠距離支援を行う。
     無論その回復効果は灼滅者よりも遥かに高く、正面から兄と戦ったのでは数の利があったとしても苦戦は必至だろう、と姫子は語る。
    「戦力的にはこちらが不利ですが、2人はまだ完全に人の心を失ったわけではありません。僅かでも、その心を揺さぶることができれば……きっと救い出せるはずです」
     
    「兄想いの妹と、妹想いの兄。あなた達ならばこの2人を闇の中から救い出せると確信しています。……ですがくれぐれもお気をつけてください。私は皆さんの帰りを待っています」


    参加者
    日渡・千歳(踏青・d00057)
    ヒヨリ・グレンツェン(ストレーガ・d01109)
    九湖・鐘(小学生魔法使い・d01224)
    有栖川・へる(歪みの国のアリス・d02923)
    御剣・朔夜(ドリルヒーロー・d03719)
    波織・志歩乃(夢見る幸せの鳥・d05812)
    イシュテム・ロード(天星爛漫・d07189)
    神爪・九狼(不滅の灼光・d08763)

    ■リプレイ

    ●路地裏救世主
    「ちょ、ちょっと待て! 悪気はなかったんだ、な!」
     行き止まりに追い込まれた少年が慌てて振り返る。ずっと追い回されて息絶え絶えだというのに、目の前の……遠野正司には疲れてる素振りすらない。
    「もう逃げないのか? なんだ、じゃあ次は何しようか」
     正司がゆっくりと足を踏み出す。少年がその一歩に驚いて飛びのき、壁に背中をつける。
    「こ、こっち来んな! あ、いや違う……ええと――」
     じわりと少年の目に涙が浮かんだその時、夕日に染まる路地に影が射した。
    「あー、俺は復讐することに関しては、肯定なんだがね」
     不意に現れた影の中の1人、神爪・九狼(不滅の灼光・d08763)の言葉に、2人の動きが止まる。正司がゆっくりと、影の方へと向き直った。
    「弱いものイジメなんて、とても楽しそうな『遊び』だ。ボク達も混ぜて欲しいね」
     有栖川・へる(歪みの国のアリス・d02923)がスカートの裾をそっとつまみ、おじぎをする。正司はそこに立ちはだかった影、灼滅者達を一瞥し、特に驚く様子もなく口元にうっすらと笑みを浮かべた。
    「いやだな、そんなのじゃないよ。今までだって鬼ごっこしてただけだし」
     振り向きざまに、呆然と立ち尽くしていた少年の腹部に正司のヒザがめり込む。
    「もちろん、これも遊んでるだけだよ」
     声も上げずにうずくまり、悶える少年を正司は横目で見下ろす。
    「……今の正司さんは、あなたで遊んでいた人と一緒ですよ? そんなの、絶対かっこ悪いですの」
     イシュテム・ロード(天星爛漫・d07189)の視線が一瞬、目の前の光景から逸らされた。
    「あれ、俺の名前知ってるんだ。まあ、いいや、それよりもあんた達だ。たった1人を大勢で囲んで、ここにいるコイツと一緒だよ。……1人じゃ何もできないくせに」
    「それを言ってしまえば、君が使っている力、それはそもそも妹さんの力じゃないですか」
     九狼がそう言うと、正司はそのまま口をつぐみ、じっと灼滅者達を睨み付けた。
     うずくまっていた少年が咳き込み、呼吸を取り戻した頃。緊迫した空気の中で突然、御剣・朔夜(ドリルヒーロー・d03719)が手を天高く掲げた。
    「私の動きは、勝利を呼ぶ螺旋です!」
     よくわからぬ展開に正司の顔から緊張が消え、ぽかんと口が開く。
    「ブルームーンキャノン、発射!」
     えっ。そう声を漏らした時、正司は既に青いオーラの塊に胴を撃たれていた。
     えっ。もう一言漏らしたその時、正司の体は天を仰いで横たわっていた。
     
    ●兄と妹
     少年は今、何が起こったのか、起こっているのか理解する事ができなかった。
     虐めていた正司に追われ、蹴られ、そして現れた得体の知れぬ人間に今度は矢を射られていた。矢が少年の体に溶けるように、淡く輝いて消えてゆく。
     日渡・千歳(踏青・d00057)が少年へ向けて、そっと呟いた。その手の中ではまだ、天星弓の弦がかすかに振動している。
    「悔いているのなら今は、お逃げなさいな」
    「ほら、逃げるなら今のうちだよ!」
     ヒヨリ・グレンツェン(ストレーガ・d01109)が千歳よりも一際大きな声で退避を促す。
     だが少年はまだ、困惑し、驚愕していた。2人が何を言っているのかわからぬほどに。
    「早く、逃げて!」
     九湖・鐘(小学生魔法使い・d01224)の声が路地に響く。
    「……う、うああああ!」
     半狂乱のまま、少年は灼滅者達を押しのけて夕日の方向へと駆け出す。
     一方、少年の意識を揺さぶった鐘の声は同時に、正司の意識をも覚醒させていた。
    「……ってェ……意味わかんないな。あんた達、俺に何の恨みがあるんだよ」
    「だって……悪いことしてほしくないからー!」
     波織・志歩乃(夢見る幸せの鳥・d05812)が一歩踏み出した正司の足元で、張り巡らせた護符の結界を解き放つ。五芒星の一角に捉えられた正司から舌打ちが聞こえた。
     ライドキャリバー、朔夜の相棒ドリルマッシグラーが側面から、囲い込むように正司へ向けて機銃を掃射する。
    「……なんなんだよコレ……!」
     正司はこれらが自分が得た力と同種だとわかっていながらも、その現実離れした光景にたじろぎ、頭を両腕で抱えていた。
     と、その時灼滅者達の背後から、甲高い怒鳴り声が飛び込んできた。
    「アンタ達、なんなの寄ってたかって!」
    「も、桃香!」
     顔を上げた正司に、桃香が優しく、そして力強く微笑む。
    「大丈夫だよ! お兄ちゃんはそんな奴等よりずっと強いんだから! やっつけちゃえ!」
    「……お、おう! 任せろ!」
     正司の顔から、不安や困惑が吹き飛んだ。
    「だから、それは妹の力だろッ、と!」
     九狼が炎を纏った無敵斬艦刀を正司へと叩き付ける。だが、その妙な手ごたえに思わず眉をしかめた。
     炎の陰から正司の顔が覗く。か細い左腕が分厚い刀身をガッシリと掴み、いとも簡単にそれを払い飛ばす。
    「……うん、桃香の言うとおりだ、大したこと無い。とんだ見掛け倒しだな!」
    「チッ……酷い性能差だよ、本当に……」
     そう呟いた九狼の襟元を正司がぐい、と引き寄せ、アスファルトへと乱暴に叩き付けた。
     正司は地面に伏した九狼を飛び越え、桃香の元へと駆け寄る。
    「これは、俺と桃香の……2人の力だ!」
     
    ●小さな背中
    「いてて……どっちにしても、1人の力で復讐できないんじゃ同じことだろ」
     九狼が地面に打った頭をわっしゃわっしゃとさすり、立ち上がる。
    「今の正司は暴力を愉しむ、醜悪ないじめっ子だ。全然かっこよくない。……そんな姿を、見たかったの?」
     小さな体とはミスマッチなバスターライフルの銃身から、デッドブラスターが桃香へと放たれる。
    「冗談、言わないで!」
     桃香が身に受けた弾丸をかき消すように両手を払い、へるを厳しく睨みつけた。
    「……ねえ、どうして? 貴方はこんな強さが欲しかったの?」
     哀れむような千歳の視線に、思わず正司が顔を背ける。
    「ど、どうしてって……強くなりたいのは当然だろ!」
    「そうだよ! アンタ達何言ってるのか、全ッ然わかんない!」
     兄の背中に無理やり隠れた桃香が喚いた。
    「あのね、私にもお兄ちゃんがいるの。同じように人を傷つけて、いっぱい苦しんだ。お兄ちゃんが好きなら酷いことさせちゃ、ダメだよ」
     鐘の訴えかける言葉に、桃香が眉をしかめ、うつむいた。
    「桃香さんが好きなのは、そんな正司さんじゃないはずでしょ? だからっ……」
     鐘の周りを滞空していたリングスラッシャーがひゅん、と音を立てて空を切る。一度高く跳び上がったそれは狙いを定め、弧を描いて桃香へと迫った。
    「桃香……ッ!」
     桃香を押しのけるように正司が軌道に割り込み、光輪を深く肩口に食い込ませる。
    「お兄ちゃん!」
    「お兄さんの事、とっても大事なんですね。でも、こんなやり方じゃあまた同じ事の繰り返しになっちゃうですよぅ!」
    「お互いの事をこうも思いやる事ができるのは、僕からしてみたら羨ましいですが……」
     イシュテムの握るマテリアルロッド、ヒヨリの構えたバスターライフルの銃口に光が宿ってゆく。
    「思いやる方向を間違ってしまっては、意味がないでしょう?」
     2つの光線が正司の脇をすり抜け、背後の桃香を襲う。
    「救いの手が欲しいのなら、私達が差し伸べます!」
     螺旋を描いた朔夜がオーラの砲弾に願いを込め、正司へと叩き付けた。
    「……そうなのかも、しれないな」
     正司が噛み締めていた口をゆっくりと開いた。
    「なにも、ねじ伏せるだけが力じゃないというのは、あなたもとうにご存知じゃなくて?」
     そう言いながら放った千歳の矢が、九狼の傷を静かに癒していった。
     
    ●ほんとの強さ
    「――勝手なことばかり言わないでよ!」
     桃香が正司の背を離れ、声を張り上げた。
    「お兄ちゃんを惑わせないで! 悔やんだり、怯えたり、家族にだって自分の心を打ち明けられないで……もう、あんな思いなんて――」
     高く掲げた手のひらの中で光球が白く光り輝く。
    「――して欲しく、ないんだから!」
     大きく踏み込み、力の限り放り投げる。
     光の球が桃香の手を離れたそれは不規則な軌道を描いて灼滅者達へと迫った。
    「キャーッチ!」
     飛び出した九狼が光球を覆うように両手を広げて軌道を遮ろうとしたその時、光の球はカクンと軌道を変え、九狼のあごを下から打ち抜いた。
    「人を傷つけるためのお手伝いなんて、誰のためにもならないってばー!」
     志歩乃が帽子をきゅっと被り直し、炎の弾丸を桃香へと放つ。
    「……そんな力に頼ったってなあ……」
     再び地面に倒れていた九狼がゆっくりと立ち上がる。その体からサイキックエナジーが湯気のようにほとばしる。戦神降臨、絶対不敗の暗示が九狼の肉体を癒し、奮い立たせた。
    「と、どうだ。俺すら倒せないんだ。はは、すんげぇ格好悪いぞ?」
    「お……お兄ちゃん、あんな事いってるよ! やっつけちゃおうよ!」
     桃香の呼びかけに、正司はゆっくりと振り返り、微笑んだ。
    「……ごめんな、俺、強くなるから」
    「な、何で謝るの、お兄ちゃんは凄く強いんだから、誰にも負けたりなんか――」
    「もうキミも、わかっているんだろう?」
     へるのデッドブラスターが無防備になった桃香の体を穿つ。
    「大丈夫、今ならまだ2人ともやり直せるから。……心の闇に、負けないで!」
     鐘の放った光の束が桃香の下へと収束し、包み込んだ。
    「……そっか」
     小さく笑い、その場で崩れ落ちそうになった桃香の体を正司が抱き止める。
    「……ごめんなさい、お兄ちゃん。私、余計なことしちゃったね……」
    「いいんだ、元はといえば俺が……ごめんな、桃香」
     うっすらと涙を浮かべた兄につられるように、桃香の目から大粒の涙がボロボロとこぼれてゆく。
    「ふー……思いっきり、遊べたですか? 今度はお友達とも、思いっきり遊べるようになれると良いですね!」
    「はは……努力してみるよ。ありがとう」
     正司が目に浮かんだ涙をぐいと袖でぬぐった。
    「あの……私……私……ごめ、ごめんなざ……」
     果てなく溢れ続ける涙と鼻水に桃香の顔が加速度的にぐしゃぐしゃになってゆく。
    「……お使いなさいな」
     ポケットティッシュを差し出す千歳の手を、桃香が両手で掴んだ。
    「……あうっ。ひっぐ。まうっ。……ぐずっ」
     そう言うなり、彼女は声を上げて泣き出した。

    作者:Nantetu 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年10月23日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 8/感動した 1/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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