少女は雑居ビルの屋上の柵に座り、繁華街を見下ろしていた。
虚ろな紅い瞳には光はなく、風に揺れる黒いワンピースと、髪と足首に結んだリボンと飾りの鈴だけが表情を持っていた。
腕には空の鳥かごを抱きながら、行き交う人たちを目で追う。
今日中に、ひとり、殺さなければならない。
簡単だ。灼滅者に見つかることなく、この市内で一日ひとり、合計にして7人を殺せばいいだけ。
私の目的の第一歩。
と、虚ろな瞳がぴくりと動く。
彼女の目に一人の男が留まった。歳は40代くらいでそれなりに身なりはいいが、足癖は悪い。とある店から出てくるなりガードレールをガツンと蹴る。
「クソっ。俺は社長だぞ、投資家だぞ、不労所得者様だぞ!!」
社長であり投資家の男が娯楽施設から出てくるなり、苛立ちを回りにぶち撒き始めたのだ。
「パチ屋の分際でこの俺様から50万円もスリやがって! 絶対に裏で出玉操作してやがるんだ!! こうなったら、警察に訴えて、二度と営業できなくしてやる!!」
そう豪語しながら進む先は、薄暗く細い裏路地。この道を通れば駅前の交番まで数分もかからない。
少女は男の背を見つめ、目を細める。
あぁいう金と権力のぬるま湯に浸かってのうのうと生きてる人間は、消えるべき人間だ。
男を追って、彼女の素足が地面を捉える。鳴いたのは、ちりりん、ちりん――と鈴の音。
少女の手には、剣が黒光りしていた。
安定より混沌。殺戮は快楽だ。
このひとりがはじまり。
ゼロへのはじまり。
「同盟を組んだ六六六人衆とアンブレイカブルが、ミスター宍戸のプロデュースで、きなくさい事を始めたようだ」
眉間にしわを寄せ、浅間・千星(星導のエクスブレイン・dn0233)が告げた。
「日本全国のダークネスに対して、『暗殺武闘大会暗殺予選』への参加を呼びかけているらしい。その情報は学園でも確認する事が出来たんだ」
灼滅者が情報を見ても構わない……どころか、灼滅者の邪魔まで含めてルール化している。いかにもミスター宍戸の考えそうなことだ。
それだけならそんな目論見は潰せばいいだけ。けれど千星の表情は更に硬くなる。
「厄介なことにな、闇落ちした灼滅者の数人がこの大会に参加しているんだ。そのうち一人が――」
神乃夜・柚羽(睡氷煉・d13017)。
仲間と共にガイオウガの化身の一体であるシシゴウと死闘を繰り広げた末、闇堕ちした。
「どうして……?」
困惑の表情を見せるのは千曲・花近(信州信濃の花唄い・dn0217)。ほかの灼滅者も、彼と同じ表情を見せる。
千星は深く息をつき。
「柚羽嬢は、ミスター宍戸に取り入ってソロモンの信奉者をHKTに取り込み纏め上げ、なおかつ、信奉者を一般人虐殺をする為の駒として利用する気でいるようだ」
自分は灼滅者に見つからないように裏で暗躍。信奉者を纏め上げて一般人を虐殺するよう唆し、全国各地、縦横無尽に無差別に事件を起こさせる。
「そのためにはまず、ミスター宍戸に自分の実力を認めさせなければならない。だから、柚羽嬢は自ら志願して『暗殺武闘大会暗殺予選』に参加したみたいだな」
灼滅者が予選に参加している柚羽と接触できるのは、彼女がターゲットを見定め地上に降りてきた一瞬となる。それより前に接触を試みた場合、確実に逃げられてしまうだろう。
「彼女の目的と大会予選ルールから考えれば、接触はぎりぎりまで引っ張るべきだろうな」
息をつく千星は少し黙った後、独り言のように告げだす。
「……柚羽嬢がミスター宍戸の元に集った原動力は、『絶望』」
灼滅者であっても、全てはすくえない。これはどうしようもない現実。
「自分の中で、この結論にたどり着いてしまったんだ。柚羽嬢は」
その結論を嘆いて嘆いて、これ以上嘆かない為に狂気を纏うことを選んだ。
闇に堕ち、狂った自分は誰にも受け入れられなくていい。
孤独でいい――。
「『絶望』を纏う柚羽嬢は強い。だから、彼女にもう一度『希望』を与えてやってほしいんだ」
千星は願うように、告げる。
「だけどもし、皆の手を振りほどいて目的のため動き出すのであれば、その時は覚悟を持ってくれ」
その時柚羽は戻れない道を一歩、進んでしまうのだから。
逃がしでもしたら彼女は、ミスター宍戸の元で自分の本当の目的のため、全てを尽くすだろう。
ヒトを滅してダークネスだけの世界にし、これ以上ダークネスが増えない状況にして、自滅する道――全てをゼロに歩ませる道を。
それは途方もない孤独な戦いだ。
「わたしは皆と同じように、柚羽嬢を一人ぼっちになんかさせたくない。だからどうか、皆の心に輝く最良の未来を信じて、彼女を救い出してくれないか?」
そういうと千星は硬かった表情を溶かし、いつものように自信に満ちた笑みを見せた。
灼滅者が、そして柚羽が、希望の一歩を進んでくれると信じて……。
参加者 | |
---|---|
氷上・鈴音(切なる想いを翼に託して・d04638) |
天渡・凜(その手をつないで未来まで・d05491) |
七六名・鞠音(戦闘妖精・d10504) |
御門・心(日溜まりの嘘・d13160) |
天城・理緒(黄金補正・d13652) |
有城・雄哉(高校生ストリートファイター・d31751) |
アリス・ドール(断罪の人形姫・d32721) |
茶倉・紫月(影縫い・d35017) |
●
ちりん。
男の醜く激しい罵声の後の鈴の音は、まるで神楽鈴のように場を鎮める。
だがその音は、魂を鎮める音。
ヴァンパイアの殺戮の序章。
ちりりん。
鈴の音が地上に舞い降りた。
男は憤慨で頭に血が上っているのだろう、彼女が舞い降りた事などまるでお構いなしに先を急ぐ。彼女の剣先が自分の背を狙っている事にも気づかずに。
「やっと見つけられた」
細い路地に声が響き、男と彼女は振り返る。
彼女と男の、殺害するものと殺害されるものの関係性を打ち破ったのは茶倉・紫月(影縫い・d35017)の声。
「なんというか……考えが貴女らしいよ」
安堵の息か、呆れの息か。今は自分でも分からない。
彼女はと言うと、無表情に彼を見つめ返した。
その隙を突いて、紫色のシュシュを握り締めた天渡・凜(その手をつないで未来まで・d05491)が殺界形成を展開させると、只ならぬ空気に繁華街から一般人が消えていく。同時に天城・理緒(黄金補正・d13652)は、サウンドシャッターを展開させた。
「雪風が、敵だといっている」
七六名・鞠音(戦闘妖精・d10504)が呟く。
凜は作戦の成功を祈りながら、シュシュで髪を結う。そして目を合わせるのは相棒の氷上・鈴音(切なる想いを翼に託して・d04638)。
「いくよ!」
その声に頷いて鈴音も、チョーカーに触れて祈る。
彼女を倒し、彼女を救うと。
有城・雄哉(高校生ストリートファイター・d31751)が彼女と男の間に割り込んだ。他の灼滅者たちも、彼女を逃がすまいと包囲すると。
「な、何だお前ら!!」
吠え出したのは彼女に狙われていた男だった。武装した学生集団を見るや、大声で叫びだした。
「お、お前らさては、俺の金目当てか!? パチ屋共々、まとめて警察――っ」
錯乱した男の胸倉を雑に掴み上げたのは、眉間にしわを寄せた千曲・花近(信州信濃の花唄い・dn0217)。
「……うん、好きに言えばいいと思うよ」
お巡りさんは信じてくれないけどね。と呟いて、怪力無双でぶんと投げ飛ばした。
その落下点では、勇弥が男を受け止める。
ばたばたと暴れ地面に降りた男は顔を赤くして罵詈雑言を探すが。
「少々強引ですが……」
と、ジェフが男に継げる言葉は最後通告。王者の風に当てられて無気力になった男は、へなへなとへたり込んでしまった。
「まぁ、そういうこともあるっすよ」
そう言いながら陽司が男を担ぐ。男はもう暴れる気力もない様子で。
「この人は身を挺してでも守ってみせます。皆さんもがんばってください」
木乃葉は攻撃手と守り手に加護与えると、走り出す彼の後を追いかける。
「さ、おじさん、家帰ぇるべ!」
その後をかじりも追う。万が一彼女がこの男を狙っても、守れるように。
灼滅者は心で仲間に感謝をし、彼女は消えていくターゲットを目で追ってため息をついた。
「ああいう人間こそ、消えるべきなんだけど……」
心底残念そうに呟くと、自分を囲んでいる灼滅者一人ひとりを紅く冷たい目で見据えた。
「この代償は、あなたたちの命でいい」
振り上げられたのは、時計の針を模した漆黒の剣。
灼滅者たちは一斉に、各々得物を構えた。
希望の言葉の元、彼女から神乃夜・柚羽を救うための戦いが、始まる――。
●
り。
鈴が鳴ったと思った刹那、理緒を貫いたのは非物質化した剣。
「……!」
激痛に思わず息が漏れる。たった一発で守り手である理緒に、ある程度のダメージを負わせるとは。
もし、守り手以外が攻撃を喰らったら……。
灼滅者たちは思わず生唾を飲み込んだ。
その緊張感を緩和させたのは、理緒をベルトで覆い、傷を癒すと共に守りを固めた紫月。憂いを帯びて彼女を見。
「貴女は自分から手を伸ばす事を諦めて拒絶しているように見える」
「私は諦めてはいない。だからこの大会に参加した」
ミスター宍戸の元で、己の目的を果たすため……。そんな事もわからないのか。と、彼女は侮蔑の眼差し。
「風のない雪原のような、世界なのでしょうね」
すべてをゼロに戻す、ゆるゆると死するだけの世界。
鞠音はそんな美しい情景を思い浮かべて紅い目を細めた。
「けれど、貴方の行動は、絶望をなくすため。貴方自身が、絶望に負けたくないから」
鞠音が操る帯は、まず彼女の脇腹を裂いた。
「……カミラ……」
続けざまに彼女の目の前に現れたのは、金の髪を揺らすアリス・ドール(断罪の人形姫・d32721)。
彼女――カミラの足元を切り裂くと、鮮血と共に黒いリボンも千切れ飛ぶ。
「……ゆうを……アリスの希望を……返してもらうの……。……あなたに……ゆうとの繋がりは壊せない……」
カミラは血液やリボンを蹴散らすように後ずさると、赤い瞳で彼女を睨む。
「希望? くだらない。あるのは失望だけ」
「失望? 失望したからここにいるのです? 目的と手段が噛み合ってなくないです? 個体では不可能だから傘下に入って、とか」
心底呆れたとばかりに御門・心(日溜まりの嘘・d13160)は目を細め、帯の刃でカミラを蹂躙し斬り裂く。
「って言うか、そうなると今って本当に絶望してます? 理想の展開に期待、しちゃってません? できそーにないからって嘆くのは絶望って言わねーんですよ」
帯の刃を必死に避けるカミラのワンピースが細かく裂かれ、血が黒くにじむ。それでも心は、刃と言葉をぶつける。
旧友でもあり、大好きな先輩に。
「希望を隠して、逃げてるだけですよ、あんた「ら」は」
「逃げてる……?」
無表情のカミラの歯が軋む。ギリッと音を立てる口元から覗くのは、ヴァンパイアの牙。
雄哉はシールドの加護を理緒に与えると、しっかりとカミラを見据える。
もう、縁を繋いだ人を失うのは、いやだ。だから必ず、助ける。
「希望なんてどこにもない。あなたたちだって何度も何度も、心を砕かれてるだろう」
カミラの言葉は、各々の記憶に刺さる。
どの戦いでも犠牲のない戦いはなかったし、苦い思いは何度も味わってきた。
だけど。
「全てを救えないから救う努力をしない、救おうとしない理由にはなりません」
カミラの言葉に返した理緒。白く光る剣で彼女を斬り付ける。続くビハインドのなつくんも、主の後について霊撃を撃つ。
「現に私たちは貴方の手を取るために来たのですから」
救えなくても救えなくても、足掻いてもがいて救ってみせる。
それが灼滅者なのだろう。
凜が鈴音に向けて癒しの矢を飛ばすと、鈴音は帯を操りカミラを翻弄する。
二人が思い起こすのは、あの日の夜桜と、柚羽の愛の深さ。
「わたしたちも来たよ……。もう一度神乃夜さんと会うため。そして神乃夜さんと繋がる人たちの思いのために」
「私は、あなたの心が泣いているのは、見過ごせない!」
●
戦闘を担う灼滅者の周りには、多くの灼滅者が仲間を助けるべく、そして柚羽を救うべく集っていた。
「友達の友達は、友達や! 頑張ってやー!」
乃麻は、帯で攻撃を受けた攻撃手と守り手に加護を与えていくと、同様に、白雪も補助に入る。
他の仲間も援護に入る中、灼滅者たちはお互いに声を掛け合い、最善を尽くしていく。
そして、先に疲れを見せ始めたのは、カミラだった。
このままでは、本当の目的を達成する事はおろか、ミスター宍戸の元へたどり着く事も不可能。
ダークネスとなってまでも、絶望しなければならないのか。
苛立ち怒り、大きく広がるのは蝙蝠の翼。
紗夜はかの詩人の言葉を呟く。
人という一個体では、永遠に孤独だと。
「だが、みんなどこか同一のところを持っているそうだ。その共通を見つけた時に孤独ではなくなるとも言った」
矢で仲間に恩恵を与えつつ、続ける。
「共通を持つ存在が、居る筈さ」
「っ、きれいごとばかり並べて、私の邪魔をするな」
カミラが伸ばしたのは、すべてを破壊する影。標的は――。
その影に飲まれてしまったら、自分は壊れてしまうかもしれない。紫月はとっさに身を硬くした。
そんな彼の前に立ちはだかったのは、シールドを広げた雄哉。自分を蝕む影をやっとの思いで払いのけ。
「神乃夜先輩、この状況、覚えていますか?」
それは柚羽が縁を繋いだ敵との戦い。敵の攻撃の的となった柚羽を、こうやって雄哉が庇ったのだ。
「……えぇ、何度でもやりますよ」
たとえ、吹き飛ばされて、倒れても。あなたに繋がる大切な人は、みんな自分が守る。
オーラの力で雄哉を癒すのは理緒。
「私と神乃夜は図書館でよく会う程度の関係にすぎません。ですがそれでも、もう会えないのは寂しいのです」
なつくんが霊障波を打つ間にも理緒は願いを口にする。
「こんな私でも貴方にいなくなってほしくないと、そう想います。孤独に、絶望に苛まれないでほしい」
符を幼なじみに飛ばす愛莉は、その雄姿を誇らしく思うも、内心は心配でたまらない。だけど、彼が救いたい柚羽に向けて声を張る。
「ここにいる人たちは、みんな柚羽さんに帰ってきてほしいから、来てるのよ」
帯を操り傷ついたものを癒す了も。
「皆と共に世界に希望を増やしていきましょう。あなたが幸せじゃない方法はだめだ。戻ってきて、あなたを心配する人たちを笑顔にしてあげてください」
凜は蝋燭から黒い炎をともすと、、攻撃手と守り手を黒煙が包み込む。
「茶倉さんを迎えに行ったあの日……愛する人と二人で見た夜桜を覚えてますか? 連れ戻すことができたのはみんなの力があったからできたことなんだよ」
一人では到底救えない。だから、みんなが助け合い、彼を闇から救い上げた。
「神乃夜さんは一人じゃない。あなたの心の痛みをわたしたちにも分けさせて。待っている人、思ってくれてる人がいることを思い出して」
だから、今度は柚羽を闇から救い上げる。心が昏い絶望の海の底へ沈んでしまうその前に。
鈴音は山茶花の符をカミラに飛ばす。そして、大きく息を吸い込んだ。
「神乃夜・柚羽! 此処に集うはお前を大切に想う仲間と友、そして比翼連理の誓いを胸に抱いた男だ! 学園で留守を守る者達も、皆がお前の帰りを待ってる。一人なんかじゃない! 私達が傍に居る!」
カミラに張り付く符はまるで、冬空に咲く山茶花の様。花言葉は、『困難に打ち勝つ』。それが未来への標になればいい。
「自分の想いを此処で咲かせて!」
あっち側じゃない。こっち側で。
シールドを守り手に張ったクレンドも、真っ直ぐ彼女を見据える。
「絶望を知らなければ希望を見出せない。決してそれを手放すな。俺たちはまだその過程にいる」
雄哉がカミラに向かう。
「僕が戦う意味を見いだせなくなっていた時、神乃夜先輩はこう助言してくれましたよね。『糸が切れたなら、些細な縁からでもまた引けばいい』って」
オーラを打ち出しながら声を張り上げた。
「今は先輩からの糸が切れている。だから、僕から糸を繋ぎに来ました。皆、神乃夜先輩を待っています!」
言いたい事は最初に全部言ってしまった。
仲間達の説得が柚羽に届いていると願いながら、また、確信を持ちながら、心はレンガ敷きの地面を蹴る。
「……!」
カミラが息を呑むより早く、その足元を裂いた。
りーーん。
足首のリボンが完全にちぎれ、鈴が地面を転がっていく。
「貴方の行動は、絶望をなくすため。貴方自身が、絶望に負けたくないから」
そうでしょ? と首を傾げて鞠音が金色の大きな手で、カミラを殴りつけた。
「――雪の下で、命は芽吹きます。どれほど厚く、重く、長く雪がのしかかっても。その先に希望も未来も見えなくとも、です」
縛られ、うっすら顔をゆがめるカミラ。鞠音は小さく頷いて。
「行きましょう、私達なら、雪解けをまたずとも、掘り進むくらいはできます」
困難にも打ち勝てる。
それが灼滅者の、強さ。
「思考には賛成するが、結果が自滅と絶望はいただけない」
戦いの行く末を見守っていた有無が口を開いた。言いたい事は山ほどあるが……。
「君が存在するだけで『しーくん』は救えるのではないのかね? 近くのものを救えば、救いは広がるものだ」
「……救いなんて、希望なんて……」
まやかしだ。世界は黒も白も無い、善悪等無い混沌なのだから。
カミラの眉根に皺が入る。
「……ゆう……絶望するのは早いよ……先のことは……何も決まってない……。……みんなで力を合わせれば……絶対大丈夫……」
アリスが剣を構えて走る。非物質化された剣身はカミラの腹を貫いた。
「……っ」
苦痛にゆがむカミラの顔を真っ直ぐ見て、アリスはかすかに笑む。
「……アリスは……ゆうをみると……元気になれた……暖かくなれた……。……ゆうが……アリスの希望なの……だから帰ってきて……」
彼女は編入したばかりの頃からの友達。
つらい事があった時、彼女が癒してくれたことは一度ではない。
もし、輪廻があるならば。彼とあなたの子どもに生まれ変わりたいと、密かに思うほど、大切な人。
剣を彼女の腹から抜き下がり際、アリスは背中越しに声をかけた。
「……茶倉……最後は茶倉が決めて…『誰にもあげない』……でしょ……」
今まで仲間を癒し、彼女と剣を交し合う事がなかった。でも、出来れば――。
そう胸に秘めていた。
紫月は得物の剣を振るう。それはカミラが手にする剣と対の、時計の針を伸した漆黒の剣。
地面を蹴る紫月を見送り、アリスが呟いた。
「……最高の希望……ゆうは……もう手に入れてるの……」
たんと地面を蹴って、逃れようとするカミラ。
「……っ」
「何も言わず何処かに行かないでって言ったのに、いきなり居なくなってどれだけ心配したと……」
だけど彼女を紫月は捕らえた。
「もう決めた。何があってもどんな姿でも考えでも、全部受け入れてずっと側に居てやる。何言われようとされようとひたすらにだよ。ひたすらに……」
その胸に抱いている、あなたが見聞きし絶望し、泣いて嘆いてつぶされそうな痛みを、全部受け止めるから。
あなたの希望になるから。
紫月は斬り裂く。
カミラを。柚羽を悲しませるすべてを。
「だからさ……戻って来てくれよ頼むから……柚羽」
斬撃を受けて見開いていたカミラの紅い瞳が徐々に細くなる。そして、うっすら開いた瞳から零れ落ちるのは、おおきな涙。
「……しーく……」
そして、かすかな声だった。
●
崩れ落ちる彼女の漆黒の瞳を見た紫月は、その身体が地面に落ちないよう、優しく、だけど強く抱きとめた。
いまだ暖かさを、鼓動する心臓の音を確認してその場に座り込むと、安堵の大きな息をつく。
そして、心配そうに覗き込む仲間に対して彼女を抱く腕を緩め、わずかに笑んだ。
「生きてる。もう大丈夫」
赤みの差す頬、呼吸を確認して、灼滅者たちは安堵の表情を浮かべた。
よかった。お帰りなさい。よく頑張ったね。
口々に、眠る柚羽に言葉をかけていくと、皆、その場を後にする
「お帰りなさい、神乃夜さん」
「お帰り」
あの日見た彼と彼女の立場は逆。だけど、それがとてもうれしい。鈴音と凜は声をかけると、二人並んでその場を離れる。
「お帰りなさい、神乃夜さま」
いつもの丁寧な口調に戻した心も、彼女を慈しんだ。
理緒は仲間が柚羽の帰還を喜ぶ姿を、穏やかな表情で見守り、
柚羽は戻った。だけど、まだ油断は出来ない。と雄哉は少し離れた場所で敵の来訪を警戒しながら場を離れ。
ふわり舞うのは、雪だろうか。
二人を見守っていた鞠音がそっと手を伸ばす。
「冬の足音、聞こえてきましたね」
後悔のないように生きるのは難しい。
だけど、希望があれば――。
皆がその場を去った後、身体を起こした柚羽をしっかりと支える紫月の姿に、アリスは小さく頷いて踵を返した。
「気がついた?」
瞳をとろんとさせていた柚羽。だったが、抱きかかえられている状態にびっくりして思わず身体を起こした。
久しぶりの温かいぬくもりがとても嬉しくて。だけど素直になれなくて。柚羽は顔を背けてしまう。
この状況に彼女が内心動揺している事も、この期に及んでまだ素直になれないところも、紫月にはたまらなく愛しかった。
「おかえり。ねぇゆーさん、夢は覚めたら大体忘れるもの?」
それはいつか自分が言った言葉。尋ねられて柚羽は、出掛かった言葉を飲み込んだ。
いつもなら素直になれなくて、心とは裏腹な言葉を投げつけてしまう。けど。
「……忘れ、ないです」
やっと絞りだした震える声。
「ゆーさん、こっち向いて?」
「……」
「柚羽」
呼び捨てにされて振り返った瞳には、涙。
ただいまも、ごめんなさいもありがとうも、言葉がうまく出てこないけど。その代わりに柚羽は、銀の髪がかかる首に腕を回す。
柚羽の存在が、生きる希望。
紫月はもう一度、彼女を強く抱きしめる。そして、優しいぬくもりを彼女の唇に落とした。
仲間が、友達が、そして愛する人が。そして、彼らを護りたい、幸せにしたいと思う自分が、『希望』となる。
神乃夜・柚羽の世界は再び、彩りを増して輝きだした――。
作者:朝比奈万理 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2016年11月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 4/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 4
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