暗殺武闘大会暗殺予選~幽冥スコルピヲ

    作者:夕狩こあら

     蠍は。
     解き放たれた魔蠍は彼岸に辿り着いたか。
    「あゝ、此処は暗くて寒いね」
     ――否。
     未だ天蓋は晦冥に覆われた儘で。
     其処が血河の底と知るに、蠍は己が毒尾の終ぞ途切れぬ滴りを冷笑に慰めつつ、屠った血の温もりに一時の暖を得ていた。
    「最初はヤクザ……次に不良連中……その後は……もう覚えていないな……」
     畢竟、蠍は蠍。
     蠍は寂寥の淵で唯ひとつ見える澪標――狂気を求めて暗闘を繰り返し、その足跡に紅血を引き摺って彷徨い続ける。
     狙うは宍戸。
     狂宴の仕掛け人であるミスター宍戸の懐に迫るべく屍骸を積み上げた蠍は、その距離を飛躍的に縮められる好機を捉えて狂熱を増し、
    「これで宍戸に近付ける」
     彼の新たな企画――暗殺武闘大会に参加せんと、己が存在を光の下に暴いた。

     その蠍は。
     己を『鍵』と名乗った――。
     
    「ミスター宍戸プロデュースの暗殺武闘大会の暗殺予選、これにエントリーしている『鍵』という人物は、錠の兄貴に間違いないッス……!」
     遂に消息が判明した――!
     教室に駆け込んだ日下部・ノビル(三下エクスブレイン・dn0220)の緊迫した声に、灼滅者達の視線が集まる。
    「錠の兄貴は……いや、鍵という男は、どうやらミスター宍戸に迫るべくエントリーしたみたいなんす」
     奇しくも彼には、その悪塊に肉薄できる智略と実績、そして力がある。
     彼が宍戸に近付いたなら、アツシ灼滅の実績を売込んでHKTに加入する事も出来得るし、宍戸に近い人物として地位を築けよう。
    「……自分を売り込む為に武蔵坂の情報を渡す可能性は?」
    「それはないッス。寧ろするなら逆っすね」
    「逆?」
    「鍵が宍戸に近付くのは、奴を暗殺する為なんす」
     暗殺――。
     緊迫が呼吸を圧し潰す中、ノビルは更に続ける。
    「鍵は今回の暗殺武闘大会の陰で、東京都内の同時大量虐殺計画を発案していて、この計画を武蔵坂にリークし、両陣営が対決する混乱に乗じて宍戸の暗殺を目論んでいるんすよ」
    「……此方の味方、という訳ではなさそうだな」
     彼の真意が何処にあるかは分からない。
     宍戸を屠った先に蠍が目指す『対岸』があるのか、それとも蠍は蠍、毒を突き立てなくては生きられぬ性か――或いは彼と相対すれば分かるだろうか。
    「兎に角。錠先輩がエントリーしているなら、助けに行くだけだわ」
     先ずは救出を第一に、と槇南・マキノ(仏像・dn0245)が踏み出る。
     多くの者がそれに続いたのは言うまでもない。
     
    「鍵は戦闘時、左腕に黒蠍を映し、これをウロボロスブレイドの如く使ってくる他、蠍尾を彷彿させるパイルバンカーから繰り出る技はバベルブレイカーがベースの強烈な気魄攻撃っす」
    「殺人鬼のルーツも含めると、攻撃が多彩ね」
    「その分、回復の術は持ち合わせてないみたいっす」
     戦闘時のポジションはクラッシャー。
     圧倒的な戦闘力に、序盤から苦戦を強いられるかもしれない。
    「一番の気掛かりは『ブラックパレード』という、鍵がこれまでの暗闘では使ってこなかった技っすね。虐殺計画に実装予定の技だと思うんすけど……」
    「被験体に使われて堪るかよ」
     同時に大量を仕留める為の列攻撃。
     追撃の効果を持つ術式の技は、最も頻度が高いだろう。
    「話しかけには?」
    「応じるッス。特に錠の兄貴が関わった灼滅者のうち、闇堕ちし、命を絶った紫瞳の男の存在が色濃く、彼の事に触れられると意識が強まるみたいっす」
     彼が歩んだ『時』の全てを知らぬノビルには、潜在意識が描く景を見ても内面を推し量る事は出来ないが、彼と『時』を同じくした仲間にあっては、或いは――。
    「あと、錠の兄貴の存在を肯定される、または自身が戸籍名である『健』として受け入れられると弱体化するんで、声掛けは十分に有効っすよ」
     全ての想いや言葉が伝わるとは限らないが、届いた言葉は確実に彼を動かす力となるだろう――ノビルはそう、信じている。
    「鍵が戦闘に有する時間は13分。制限時間以内にKO出来ない場合、彼は対話を逃れて姿を消してしまうッス」
     悠長な戦術は採れない。
     凛然を研ぎ澄ませた灼滅者達は、颯爽と立ち上がると、
    「……ご武運を!」
     その背に敬礼を受け取って、戦場へと向かった。


    参加者
    一・葉(デッドロック・d02409)
    迅・正流(斬影輝神・d02428)
    城守・千波耶(裏腹ラプンツェル・d07563)
    青和・イチ(藍色夜灯・d08927)
    北条・葉月(独鮫将を屠りし者・d19495)
    北南・朋恵(ヴィオレスイート・d19917)
    興守・理利(竟の暁薙・d23317)
    羽二重・まり花(恋待ち夜雀・d33326)

    ■リプレイ


     寒い夜だった。
     凍風が孤雲を押し流し、紫黒の天蓋に寂寥が沁む宵降ち。
     其処に唯一つ在る冷月の嗤笑を長らく見詰めていた金瞳は、惨憺を隠そうともせぬ殺気を裏路地に気取るや、弓張月の如く細まった。
    「待たせたな」
     影は言ち。
    『頼んだのはオレじゃない』
     澆薄が答える。
     三年前の契りが今ここに二人を絆し、

     ――俺が闇堕ちしたら殺してくれ。

    「約束通り、お前を殺しに来たぜ」
     既に抜身の【赤銹】を手に、一・葉(デッドロック・d02409)が靴底に砂利を踏み躙ったのも一瞬の事、絶影が夜を滑った。
    『カスの依頼を覚えているとは律儀だね』
     死人の如き白皙は、首に提げた鍵のネックレスを揺らして斬撃を交わす。
     見れば眼鏡を外した灰の瞳は、境界と桎梏を解き放って冱え冱えと、屠る命だけを射て。
    『あゝ、殺し屋の眼だ』
     迷い無き殺意に歎美を零した蠍が漸う尾を擡げた。
     その時。
    「やっと会えました……」
     感慨深げに、鋭く。
     興守・理利(竟の暁薙・d23317)が横面を急襲した。
     仲間の援護に強靭を得た【Salvation Realm】は、蠍の心宿を捕らうか――否。静けき狂気は左腕に棲まう黒蠍を暴くと、鞭の如き撓りに衝撃を往なし、
    『話中に割り込むとは、カスの連れは随分と躾がなってない』
    「取り戻す為ならどんな手段も使いましょう」
     皮肉に答える愚直。
     彼は戦術の要か、戻り際にも手厚い支援に迎えられ、
    「随分長いこと、身を隠しとったんやね」
    「迎えに、きました」
     白帯の鎧に堅牢を届けた羽二重・まり花(恋待ち夜雀・d33326)も、星矢の煌きに超感覚の覚醒を促した青和・イチ(藍色夜灯・d08927)も、此度の戦いに死力を惜しまぬ気概。
     それは皆々も同じであろう、
    「皆はん心配しとったんやで、うちもや」
    「みんなの顔、見えますか。声、聞こえますか」
     二人の声は気配を呼び。
    「全力で人生を謳歌すると言っとった、大切な友人を失う訳にはいかねぇんで」
     寡黙で無愛想な紋次郎だが、左手に纏う【無聊】は饒舌に燃え立ち、
    「小難しい事は分からん。お前が誰であっても別に構わん。俺は、俺が知っている熱血馬鹿なお人好しを連れ戻しに来ただけだよ」
     香艶は頑健なる拳を突きつけて音吐朗々と。
    「影に隠れて死合いたぁ、らしくねー事してっから、……ま、放っとく気にゃなれねぇよ」
     六六六人衆の介入を警戒した暦生が戦闘音を遮蔽して万一に備える傍ら、翔琉と奈那はクラブ仲間のイチを激励して連携を約束する。
    「お前達、またライブで魅せてくれるんだろ? 殴り所は任せる、確り連れ戻してこい」
    「音楽がこんなにも色鮮やかに世界を彩るものと気付かせてくれた錠さんを……どうか」
     その音楽を、ライブを。
     もっと聴きたいと、沢山の方が待っているから――。
     ひとつ、またひとつと、力強き首肯が重なるのを噛み締めた律希は、狂暴なる闇に対峙する相棒を【タルタロス】に送り出し、
    「さぁ、軽音部の強者達が相手です。錠兄さんの大好きなセッションを始めましょう」
     ――セッション。
     凛然を背に踏み出る迅・正流(斬影輝神・d02428)は無骨な一本槍の如く。
    「迅正流! 万事錠のファンを代表して一戦仕る!」
    『……君は篤実だね』
     蛙の背を刺す俺とは違う、と自らを嘲った蠍は、無双迅流の剣閃を漆黒の殺気に迎えると、同時に差し込んだ二条の軌跡を禍き黒檻に呑み込んだ。
    『ようこそ。もてなすよ』
     其は狂宴。
     血腥いキャラセルに永久に躍らせるか、城守・千波耶(裏腹ラプンツェル・d07563)と北南・朋恵(ヴィオレスイート・d19917)の翠眉を歪ませた狂気は氷の微笑を浮かべる。
     黒眼に灯る金色は嗜虐に煌き燦爛と――変わり果てた姿は胸に迫ろうが、花顔はそれでも表層を統べるペルソナに向き合った。
    「ねえ、きっと。お母さんを殺したショックでそうなっちゃった貴方は多分優しい人だったのよ――わたしよりはね」
     暗澹を藻掻く【Forbidden Game】は深き闇に語り掛け、
    「あたしの尊敬するお父さんみたいな人を、錠さんをカスだなんて呼ばないで下さい。それだと……あなたまで否定する事になっちゃいませんか、なのです……!」
     懸命に【黒晶】を揮う可憐は、痛みに耐えて声を張った。
    「鍵――否、敢えて『健』って呼ぼうか」
     北条・葉月(独鮫将を屠りし者・d19495)は自ら黒獄に飛び込み、
    「俺は、お前の事も大切なダチの一部だと思ってるよ」
     言と共に伸びた白撃が魔蠍の尾を確かに掴めば、聴き慣れたテノールに結ばれた視線がクッと口角を持ち上げた。
    『ダチ……友達か。じゃあオレに殺されてくれるかい?』
     過る。
     歪な衝動性。
    「やめて、いけない――!」
     槇南・マキノ(仏像・dn0245)の叫びが虚空を貫き、冴月に血滴が染みる。
     円き軌跡を描いた左腕の蠍尾が、温かい血を、友を屠ったのだ。
     而して彼は言ちる、
    『向こう岸まで渡しておくれよ』

     蠍は蠍。
     破戒に抗えぬ哀しき蠍――ベルヴェルクは、己を『鍵』と名乗った。


     葉月の黒塗りの爪は、ブラックパレードの陰惨に弄られるより先、携帯端末のタイマーに時を削らせている。
     制限時間は13分。
    「付き合いが悪いんじゃないか、と言いたくなるな」
     ――元々、あんたは大して人の話を聞かないんだよ。
     戦闘開始から容赦なく灼滅者を血河に沈める相手に対し、啓は夜霧を放ちつつ呟いた。
     残酷な針の刻進に、目を遣る時すら惜しい。
     貫と日方は多くを語るより手数を増やし、
    「俺が堕ちた時も、声届けてくれたしな。キッチリ目覚めさせてやるから、手加減無しで思いっきり殴るぜ!」
    「屋上での拳闘は俺の勝ち越しか? また闘ろうぜ、ジョー! らいもんも殴れ俺が許す」
    「ナノッ!」(ぎゅっ)
     その身を蠍の尾が強かに薙ぎ払うも、彼等の血潮に守られた仲間が想いを繋げていく。
     彼に闇堕ちから救われた紫姫と祝は、その時を鮮明に思い起こし、
    「依頼のご縁、ライブのご縁……あと、私が堕ちた時も、来てくれただろ。今度はそれを返す番――万事先輩の今を、繋ぎ止めたい」
    「私を助けに来てくれて、でもそれ以上に素敵なライブに呼んでくれて。今年も千波耶さん達とバンド組みますから、また一緒に演りましょう」
     二人の声に続いた梗花は回復を注ぎつつ、
    「昔、一緒に戦って、僕を助けてくれた。僕のした事を肯定してくれた。……ありがとう、って、何度だって言うよ」
     深淵で昏い穹を仰ぐ彼に届くよう言った。
    「あなたが紡ぐ歌、想い、言葉、熱……差し伸べてくれた手の温もりは、いつだって誰かを助けていたんだって思います」
     陽桜は彼より受け取った缶ココアの温かさを胸に、
    「何度も依頼で助けてくれた錠くんを助けたい! アタシも、めいっぱい支援するからっ」
     千巻は溢れる思いに痺れそうになる細指を握って叫ぶ。
    「皆と一緒にいる姿も、その音楽も、戦いの時だって。頼もしくて……憧れで、大好きで」
     もっと共に色んな時を重ねたいと、彰は思いのままを吐露し、尚もポーカーフェイスを崩さぬ蠍に語尾を震わせた。
     冴ゆる玲瓏は奥歯に嗤笑を噛み殺し、
    『高い積木ほど崩したくなるんだ。特にカスのは』
     禍々しき黒蠍の尾が、絆を断ち切らんと撓る。
     その軌道を読んだ理利はレイザースラストに相殺し、
    「羨望からの嫉妬剥き出しが見苦しい。仲間が欲しいなら錠さんを見習えば良いでしょう」
    「見習う? カスを?」
     その挑発は、夥しい血汐を証に成功した。
    「興守くん!」
    「いえ、痛みなど」
     マキノが咄嗟に清風を戦がせるが、策戦とはいえ創痍は深く――「今一番辛いのは彼なのだから」と痛苦を見せぬ相形に唇を噛む。
     何より蠍を掻き立てたのは、その瞳の色であろう。
     執拗に迫る狂刃は縋る様にも見え、
    『あゝそうだ。カスが大事にしているモノを毀そう』
     愈々毒針が吊り上がれば、葉が時を殺して懐に差し入った。
    「その息の根をよこせって言ったよな。殺すんじゃねぇのか? 俺を」
     冷然に据わる兇暴は、右脇に刀を沈め。
    「それとも、あの男と同じように俺の手で殺されるか?」
     銘は違えど、その手は新宿防衛戦と残留思念化の二回、或る男に死を手向けている。
    『ユウ――』
     死体色の肌より鮮血を滴らせた彼は、此処に初めて時を止めた。

    「……錠さん」
     朋恵は密かに、小さな拳をキュッと握り込める。
     少女は錠の意識が強まった瞬間が分かると同時、それが自分たち仲間ではなく死者を助けられなかった過去――その後悔というのが、悔しく、寂しく感じられ、
    「朋ちゃん」
    「朋恵はん」
    「ナノナノ~」
     胸の痛みが荊棘と化すより早く、仲間が、相棒が、心に触れて癒してくれる。それが何より愛おしい。
     葉月もまた華奢な肩に手を置いてから踏み出し、
    「石英さんの事、忘れろとは言わない。けど、そろそろ吹っ切っても良いんじゃ無いか?」
     互いに親友と認め合う間柄だからこそ、飾らぬ言葉で伝える。
     其処にあるのは、唯一つ――親友を彼岸には行かせぬという想いだ。
     時に成海は赫々たる炎を連れて割り入り、
    「女々しいんだよテメェ、何時までも引き摺ってんな! アンタには嫁の狗川先輩はじめ大事なモノがしこたまあんだろ!」
     目ェかっぽじって見やがれ、と大声した先には、ずっと視線を注いでいた結理が――。
    「ジョー、君が誰であろうと、あの時僕の手をとってくれたのは確かに君だ」
     何故だろう。
     その言葉は慈雨の如く沁みて。
    「君の大切な人たちの幸せには、君が必要だ」
    『――』
     胸元の鍵穴が痛みと安らぎに揺り動かされる。
     大切な人たちの幸せ――それは真紅に染まる視界にまざまざと突きつけられ、
    「自分も嘗て妹を手に掛け、心を閉ざしました……然し、その心を律希が開き、錠君の演奏が情熱を取り戻してくれました」
     鴉の死貌に熱血を蓋した正流は、言は静かに、流血は炎と燃えて闇を裂き、
    「今度は自分の番……錠君の心に熱を届けます!」
     間断許さず飛び込む巨杭を喰らいつつ、焔塊の如く進み出た。
    『それも血の玉座に飾るには値しない――カスの夢の残滓さ』
     邀撃に爪弾く狂気はイチが超重力に楔打ち、
    「僕の世界は、先輩の一言で変わった」
     くろ丸の斬魔刀が蠍尾と抗衡する中、途切れがちな言は確かに紡がれ。
    「先輩の居ない世界とか、もう見えないんだけど」
     太陽がなくては、寒くて、暗くて。
     僕は何処を廻ればいいんですか――と、瞳の藍は哀しき狂邪を見る。
     まり花は熾烈な剣戟に幾度となく掻き消された三味線の音を今こそ高らかに、
    「錠はんがおらんかったら、今のうちはおらんかった。あんさんが色々な世界を――音楽を、仲間を、うちに教えてくれはった」
     ほんに、おおきになぁ。
     言えば涕と変わる言を耐えて弦をかき鳴らす。
    「思い出すんや、これがうちらのせっしょんどすぇ! お耳かっぽじって、ようお聞き!」
    「にゃふん!」
     魂を奮わせる「けいおん」の音色が馥郁と広がったのは、夜雀の想いを届けんと千波耶が時を稼いだからであるが、熱き調べに彼女もまた思い溢れて。
    「錠くん! 貴方わたしに絶対味方するって言ったわよね。あと誰にだっけ、世界の誰より自分がその子の事大事に思ってるとか!」
     ――錠くんと鍵くんと、健くん。
     考えて、悩んで。何方にも割り切れぬまま、自分達のリーダーを取り戻す為に。
    「そういうの全部! 嘘になっちゃう前に、自分が言った事の責任とってよ!」
     帰ってきて――!
     その声に黒檻が狭霧の如く揺らいだ瞬間、皆が一斉に攻撃へと転じた。


     時告ぐ振動を受け取った葉月の科白が合図。
    『来年の学園祭ライブどうすんだよ!』
     残り5分。
     自陣の損耗を補い、強化を尽した灼滅者達が、血河の底に沈む友に手を伸ばし、此岸へと連れ戻す――その時だ。
     黒檻に囲われた軍庭は惨澹を極め、息継ぐだに咽る殺気が烈風と渦巻くも、一同は友を救わんと抗った。
     ――否、若しか贖ったのだろうか。
    「あなたの殺意と重ねた業を、おれにも分けて下さい」
     全て受け止めます、と視界を覆う流血も拭わずに理利は見詰めて、
    「いつかその穴が塞がるまで、その人への想いに添いたいと」
     強く憶う意志は、狂熱に繫がれて烈しく痛撃を浴びるも、折れない。斃れない。
     誰一人欠けては救えぬと覚悟したまり花は、【艶歌高吟】の三弦が朱に染まるのも構わず透徹を奏で、
    「これからも、けいおんの皆で音楽を奏でていくんやろ? 呑まれてどないするんや!」
     今の戦いに足りぬ『音』を呼び続けた。
    「あんさんの歌、もう一度聞かせておくんなし!」
     何度も。何度も。
     その慟哭に似た音色に朋恵は佳声を添え、
    「まだ錠さんとやりたい事いっぱいなのです! 錠さんの作る曲、また歌いたいのです!」
    「ナノナノ!」
    「帰って来て下さいです!」
    「ナノッ!」
     フリルのリボンを結んだ鍵。蔓薔薇の硝子細工。音符型のワックスバー。
     記念日に贈られた宝物を身に着けた少女は、これからも刻まれる時を信じて強く、強く。
    『……ッ、ッッ……カス、が……ッ!』
     未だ血の温もりを味わう蠍が、然し繊麗なる五指に白面を覆うのは、混沌と揺れるペルソナ――漸う水面に浮び始める『錠』を抑えているからか。
     確かな変化を炯眼に認めた葉月は、その美しきを慈愛に細め、
    「『貴方は高価で尊い。私は貴方を愛している』――聖書の言葉だ。愛しているぜ、錠」
     未来永劫変わらぬ想いを【Belief】に託し、蠍の尾を断った。
    『クッ、アァ……ッッ!』
     痛撃を絞る声に色が挿す。熱が戻る。
     其処に友の気配を見た千波耶は鳶色の瞳を震わせ、
    「わたしには、蠍は向こう岸に渡りたいんじゃなくて、蛙と沈むのが望みに見える」
     求めていたのは彼岸でなく、蛙なのだと――哀しき蠍の性を、友の錯綜を慈しんだ。
     胸の中央を穿つ鍵穴に闇を見るだけでない仲間は、だからこそ猛撃を耐え、
    「何でだろう、僕はあなたも、嫌いじゃない」
     イチは、獲物を恐怖と絶望の淵に堕とす魔蠍の強烈な強さを感じつつ、奈落で咽び泣く彼の声を拾って言う。
    「ずっと一緒だったんでしょ? なら、先輩の世界は……あなたの世界でもあるんじゃ、ないの。二人で『健』なんじゃないの」
     鍵と錠。
     蠍と蛙。
     罪と赦し。
     分つ事の出来ぬ欠片を、大事に抱えて。
    「鍵くん。錠くんと一緒に帰ってきてくれないかな」
     サポートの配陣に戒心を注いでいた勇弥もまた声を届け、
    「彼が紡いだ絆は、君にも繫がってるよ」
     表裏を成すどちらも闇に沈めまいと、皆々の声に彼を囲い込んだ。
    『元鞘に収まっただけのオレを、如何して』
     しとど浴びた紅血は既に涼風に熱を奪われ、悴む右手に巨杭を弾いた蠍は、旋廻する切先に真正面から飛び込む【破断の刃】に眼を瞠る。
    「無双迅流奥義! 仁我開心撃!」
     腰溜めに構えた正流が猛き波濤と化した刹那、その一刃は鍵穴を塞ぐ様に衝き立て、
    『ッッ、ッ……!』
    「罪悪感から生み出した錠君を許し、認めてあげて下さい。自分自身を嫉妬し蔑んでも意味は有りません」
     君達は一つなのだから――。
     強く、鋭く、重く、深い斬撃が闇黒を塞ぐ。
     身を裂かんばかりの痛撃が疾走るのに、それはとても……優しくて。
     慰めに似た激痛を、千切れた左腕の尾に拒んだ蠍は、その背後で無造作に刀を構えた凄然を瞳に写し、
    「これで終いにしようぜ、鍵」
     神速で間合いを詰める彼を、意識を断つ一閃を、赦した。
    「その怒りも憎しみも後悔も、絆も歓びも歌も、全部お前のもんだ」
     ごぶりと噴き出る我が血に温もる。
     一際温かく感じたのは、頬を伝う赫き涕涙。
    「誇れよ、自分を。『万事・錠』を」
     耳の間際で低く言ちた唇が離れたのは、己の膝が折れたから。
     冷たい血の海に沈む筈の躯は、そこに一斉に集まる輩を見て――意識を手放した。


    「目、覚めたか?」
     最初に見たのは、安堵に微笑む葉月と、それに続く友の笑顔の洪水。
     手を握り、或いは小突いて、帰還を迎えた者達はそれぞれに喜ぶ。
    「お帰りなさい、錠さん」
     既に創痍を癒されたとはいえ、ズタボロの理利は数珠を手に笑みを零し、
    「ん、お疲れ様」
     彼の後ろでそっと覚醒を見守ったイチは、涙腺が緩むのを耐えてあらぬ方向に立ち、「いっちー泣きそう?」という声に辛うじて支えられていた。
     幼気な少女は緊迫の糸が切れたか、
    「錠さん……錠さん……っ」
    「ナノ~!」
     安心して大粒の涙を零す朋恵の柔らかな髪を、錠の大きな手が「悪ィ」と撫でる。
    「痛つ、つ……それにしても派手に闘ってくれたな」
     徐に身を起こした彼は、視線の先で相棒の低音を聞き、
    「背、貸してやる」
    「……いや、肩にしとく」
     歩けるからと首に回した右腕が、全てを語った気がしたのは、二人だけではなかろう。
     千波耶は静かに靴音を立てた葉の後ろで、彼の服の裾を掴み、
    「……なんでもない」
     口元にそっと咲みを湛えた。
     錠がフラつきながらも確かに一歩を踏み出した先では、まり花と正流が笑顔に出迎え、
    「罪も痛みも受け入れて一緒に帰りましょう」
    「ほな、帰りましょ。皆はんが待っとるで」
     武蔵坂に。
     軽音部に。
    「それに、あの子も兄貴の帰りを待ってる」
     と、マキノは声を沿えた。
    「……そう、か……そうだな」
     錠は我が身を囲む破顔にくしゃりと笑みを返すと、真っ赤に染まった親指に道端の自販機を指し、

    「その前に、奢らせてくれ」

     寒い夜だから、と吐く息を白くした。
     

    作者:夕狩こあら 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2016年11月24日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 7/感動した 1/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 6
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ