枯木星

    作者:中川沙智

    ●鐘冴ゆる
     降り注ぐは、銀の雨。
     人肌が持ち得るあたたかさを着実に奪っていくその雨は霧のようだ。音もなく朧を吸い、満ちてゆく。
     森の奥。
     枯れ枝ばかりの木々がが幾本も生え並ぶそこに、朽ちる時を待ち続ける社があった。横たわるは静寂。扉を経た内側を、一人の焔人が住処としていた。
     片膝を抱えたそれは青年の姿。
     銀灰色の短髪に、気怠さ宿す縹色の瞳。その視線には温度を感じられない。額から伸びる二本の赤い角、それと揃いのような朱塗りの爪。
     獲物であろう槍はしなやかで且つ強靭だ。無造作な衣を纏っている事と言い、質実剛健という言葉が似合いの獣。
     ほんの少しだけ開いた扉の向こう、空を望む。燻る炎を見つめる、その横顔には冷ややかな闘気だけが滲んでいる。灼滅者としての意識は深く沈んでおり、ダークネス人格と融合しつつある。
    「――俺は奴で、奴は俺だ」
     確認のようでも、確信のようでもある響き。片方だけでは不完全な存在であり、互いを受け入れ魂を一つにする事が最良だと結論付けている。
     緩慢な仕草で立ち上がり、社の中から姿を現す。
     灼滅者である『御伽』の事は嫌いではない。が、精神的に弱く出来の悪い弟分のようなもの。であれば己を軸として統合し、揺らぎを消すのが必然だろう。一人のイフリートが森の只中で前を見据える。
     ささめくささめく、銀の雨。
     
    ●追儺
     冬空は澄んでいるのに低くて、涯てが見えない。
     教室の窓から外を眺めていた小鳥居・鞠花(大学生エクスブレイン・dn0083)が、集まった灼滅者達に向き直る。
    「来てくれてありがとう。イフリートの動きが確認されてね、皆にはその対応をお願いしたいのよ」
     鞠花の瞳には静かな光が宿っていた。やっと見つけた灯火を、大切に抱えているかのように。
    「……ようやく見つかったわ。炎獄の楔と銘打たれたイフリートとの戦いで闇堕ちした、野乃・御伽君が」
     刹那、緊張が走る。それぞれの顔に様々な感情が錯綜する中、エクスブレインは慎重に言葉を紡いだ。小さく嘆息する。鴻崎・翔(高校生殺人鬼・dn0006)が小さく拳を握る。
    「そうか、よかった。……でも、今まで彼はいったいどこに」
    「予知にかからないはずだわ、しばらく隠居生活してたみたいなんだもの。場所はとある県の山奥よ。森に囲まれた静寂の中、ダークネス人格と灼滅者人格――互いの存在について、思案に暮れていたみたいなの」
     出した結論は人格の統合。勿論、ダークネス人格を主とするものだ。
     このまま放っておけば皆が知る彼は二度と戻ってこないだろう。彼は堕ちる時に全てを喪う恐怖を受け入れている。それは絶望でも犠牲でもなく、彼の覚悟だったと言えるだろう。
     介入出来るチャンスはただ一つ、彼が森の中の朽ちた社から、最後の散歩に出かける瞬間だ。
     資料を捲り、鞠花はイフリートたる人格について触れる。
    「野乃君のダークネス人格――『ハイカグラ』というらしいからそう呼ぶわね、ハイカグラは、普段は冷静でのんびりしてるようにも思えるでしょうね。散歩したりと気儘に過ごしていたみたいよ」
     しかし戦闘となれば話は別だ。冷静沈着ながら好戦的であり、苛烈で容赦が無く生き生きと瞳を輝かせる凶暴性を持つという。
    「物静かで物言わぬ寡黙さを湛えているのよね。言葉は理解しているけど積極的な会話はしないわ。話す時は短く簡潔、感情は表情や行動で表すタイプみたい。言葉だけで説得しようとしても儘ならないかもしれないわ」
     喪失と孤独を好み気に入ったものほど壊す。大切なものを失った時の空虚感を心地よく感じるらしいから、御伽の大切なものをも積極的に壊そうとするかもしれない。
     その特質から、生半可な煽りや挑発は逆効果になるだろう。向き合うのなら誠実に、尚且つ何も手放さないだけの芯の強さが重要だ。
    「ハイカグラの戦闘情報について説明するわ。……というか、流石と言うべきかしら。かなりの強敵になるから覚悟を決めておいてね」
     愛用の槍は『阿修羅』という名だ。斬撃殴打、投擲と使い方は様々で、力量も相まって多種多様な攻撃を繰り広げる。螺旋の唸りは確実に敵の急所を貫く――基本的には妖の槍と同等のサイキックを用いると思っていい。
    「加えて、殺気と業火をブレンドした『燼灰領域』を纏い広範囲を蹂躙するわ。火の粉を振り撒き歩く彼の後には灰の道が出来る……遠列攻撃とみなしていいわ。炎を撒かれるから厄介ね」
     灼熱の炎を無尽蔵に展開し、広範囲を一気に焼き尽くし焦土と化す。イフリートならではの技と言えるだろう。
     また、闘争の中で目の眩むような炎を纏う事もあるだろう。灼熱を纏わせた片腕から繰り出される拳撃は重い追撃の一手となり、致命傷を食らう危険性も高い。もっとも、炎に浸食された腕は限界を超えると次第に灰となるため諸刃の技とも言えるのだが。
    「舐めてたら痛い目見るわよ。勿論心と言葉を届けるのも大事だけど、それを抱えた一撃をぶちかますくらいの気持ちで臨んだほうがいいかもしれないわ」
     当日は霧雨が降り注いでいるだろう。決して足場も視界もよくはないが、それよりまず着実にハイカグラの体力を削り、尚且つ説得を根気よく続けるほうが優先されるべきかもしれない。
     死闘の果てに見える道筋が、きっと明日へ続くのだと信じて。
    「あと、これだけ伝えておくわね。ハイカグラはどうやら、野乃君と絆の深い人の言葉には耳を傾けるみたいなの」
     だからこそ、身構えていると言っていい。心というものはある意味で厄介なのかもしれないから。
    「……人には手を出さないことを条件に放っておけと要求される可能性があるわ。返す言葉があれば、しっかり考えておいてね」
     鞠花とて勿論御伽を救出してもらいたい。けれどそれほどの実力を持つダークネスだ、救出が難しければ放っておく事は出来ない。つまり、灼滅も視野に入れなければならなくなる。迷いは致命的な隙を作ってしまうかもしれないのだから。
    「今回がラストチャンスよ。今回を逃せば、ハイカグラの人格に完全に統合されてしまう」
     もはや、伸ばした手が届かなくなる。考えたくもないその危惧を、皆なら防げると信じている。
     顔を上げる。凛と前を見渡して、鞠花は灼滅者達を送り出す。
    「行ってらっしゃい、頼んだわよ!」
     翔も灼滅者達と視線を合わせ言い切った。
    「行こう。彼を闇から救うんだ!」


    参加者
    科戸・日方(大学生自転車乗り・d00353)
    苗代・燈(風纏い・d04822)
    小鳥遊・葵(アイスクロイツ・d05978)
    烏丸・鈴音(カゼノネ・d14635)
    杠・嵐(花に嵐・d15801)
    篠井・音雪(華金魚・d19981)
    狼川・貢(ボーンズデッド・d23454)
    野乃・鈴親(ハニードロップ・d27057)

    ■リプレイ

    ●雨
     霧雨が世界を包み込む。
     森の奥深く、獣道を抜けた先に社はあった。生き物の気配がない自然の秘境で、葉が岩が蔦が、玄妙に重なり形を作り出している。
     目指す場所を確かに見つけた。
    「……ここに、いるんだな」
    「だろうな」
     目を眇めて、小鳥遊・葵(アイスクロイツ・d05978)が確信を告げる。隣で杠・嵐(花に嵐・d15801)が呟いたなら、やけに明瞭に響いた。
     苗代・燈(風纏い・d04822)の決意が声になる。
    「やっと見つけた。必ず連れ戻すんだ」
     行こう、そう促せば仲間にも異議はない。万が一にも取り逃がさぬよう、包囲した上で戦いに臨むと決めていた。散った面々にも浮かぶ、静かな闘志。
     半円形を描いて布陣し、主役の登場を待つ。
    「大丈夫、止まない雨はない」
     天を仰いだ科戸・日方(大学生自転車乗り・d00353)が深呼吸をひとつ、零す。肺を霧が洗うような錯覚を覚える。
     社の戸はいまだ動かない。
     彼が闇堕ちしたのは秋深まる頃。それ以来誰もが待っていた。彼に繋がる運命が一筋の光として目の前に届くのを、待っていた。
    「全く、寝坊助だな、どれだけ待たせるつもりだったんだ」
     だから狼川・貢(ボーンズデッド・d23454)は淡く笑みを吐く。勿論この機会を見過ごすつもりなど毛頭ない。それ故に今更焦りもしない。
     その時だ。
    「……開きそうですねぇ」
     鈍く揺れたその形を、烏丸・鈴音(カゼノネ・d14635)は見遣る。開かれた奥から姿を見せた影に、野乃・鈴親(ハニードロップ・d27057)は瞳を揺らす。
    「――お兄ちゃん!!」
     たまらず声をかけた。似て非なる姿がゆらり地を踏めば、それでも根底に湛える気配を慕い、声を張った。
    「迎えに来たの。一緒に帰ろう」
     男は、答えない。
     銀灰色と朱の獣は粛々と地に降り立つ。縹色の瞳にはかつて宿っていたはずの仲間に向ける信頼が、友情が、大切な家族への情がない。
     あくまでそれらは『違う人格が持ち得た関係』に過ぎないと、その凄烈さ戴く面立ちが明らかにする。
     篠井・音雪(華金魚・d19981)は唇を噛んだ。今は遠くても、手を伸ばす事を諦めたくない。何度挫けても何度でも立ち上がる。
     ――野乃・御伽と、再び同じ日常を歩むために。
     だから真っ直ぐに視線を向けて宣言した。この場に集まった願いの結実。
    「どうしても、一緒に帰ります!」
    「……お前らは御伽を探しに来たんだな」
     ハイカグラが紡いだ声は、理解を飲み込むような響きだった。
     色彩は違えど、持ち得る身体や顔の造作は似ている。それでも纏う空気が、印象が、心が。決定的に彼とは異なると知る。
    「だが奴の意識は眠っている。もうじき俺の人格と融合される。それは奴も承知の上だ。わかったならとっとと帰れ」
     冷淡な声音。
     息を呑んだのは誰だろう。知らされてはいた。けれど納得出来るわけがない。出来るなら誰もこの場に赴いてはいない。
     なれば戦闘の最中で闇を剥ぎ取り、灼滅者たる彼を引き寄せるしかない。
    「冗談のつもりならもっと考えてから言ったらどうだ。……相手をしてやるよ。加減はナシだ」
     嵐が纏うは花の香。彼に、贈られたもの。指先で霊光を撫でれば、花弁のように欠片が舞う。頼むよと小さく冀うと、顔を上げる。視線は揺るぎない。
     ――待つのは絶望か祝福か。
     地を蹴り、距離を詰めるべく霧中を走る。

    ●風
    「来るか」
     業火が迸り、ハイカグラの腕の一振りで前衛陣を覆う。燼灰領域と題されたそれと閃くも、骨の髄まで灼く勢いはまさに煉獄。
     押し留められそうになるも、負けじと一歩を踏み出した。
    「少しは大人しくしてもらわないと、会話を交わすどころじゃないな」
     破邪の聖剣に白光を宿らせた葵は一閃、斬撃を揮う。己を護る盾が顕在するも、実際の手応えは恐ろしく硬い。続いた嵐は杭打機を翳し、杭を高速回転させる。肩口に突き刺せば痺れは伝わったか。
     攻勢は止まらない。貢が狙いを定めて星の重力を蹴り落とす。負荷を与え、ハイカグラの機動力を削いだ。その間にと鴻崎・翔(高校生殺人鬼・dn0006)が広げた夜霧は、今立ち込める霧をも上書きする。
    「回復はどうぞお任せを! やりますよ、ちまさん!」
     音雪が小光輪を展開する。行先は主に戦陣に立つ者の中で最も御伽に所以のある妹の鈴親だ。盾に重なるは清き風、鈴音の指先から迸る涼風は前衛を吹き抜け、炎を散らしていく。ナノナノのちまきもハートを飛ばしたなら、相手に向かい続ける力が沸く。
     だから護られてばかりはいられない。勉強で詰め込んだ灼滅者としての知識を、形にする。
     ウイングキャットのヴァンが魔法を放つ間に癒しの力を指先に籠め、鈴親は矢を高く放った。殴れる機会に火力を上乗せしてきた木嶋・キィンも、今は続けざまに矢を放つ。受け取ったのは燈だ。その気概ごと飲み込んだなら、思考がクリアになっていく。
    「やっぱり御伽先輩の炎は熱いや」
     でも、だからこそ立ち止まりはしない。先程食らった熱を振り払う。緋色の瞳で見つめたなら、先程嵐が揮った技と同じものを回転させる。高く跳び、杭を突き出した。
     半歩重心をずらしハイカグラが間一髪で避けたものの、その間に肉薄した日方が赤看板を叩きつける。無意味な事などないと知らしめるように。
     幾重にも重なった麻痺に灰色の獣は眉を上げた。軽く掌をむすんでひらくが意には介さない。
     灰の獣が足を止めたのは、御伽に向けた数多の視線を感じたが故。
    「ここでお前達を潰すのは簡単だ。……が、うっとおしいな」
     積極的に会話をしないと聞いていたから貢は目を瞠る。そして即座に、把握する。ここにいる者は大なり小なり、御伽との絆を縁として集まった灼滅者だったと。
     彼ら相手なら話もするだろう。つまり。
    「奴は俺の人格と融合されると言ったはずだ。奴も承知の上だとな。それで、だ」
     提案だ、そう告げられた言葉は、普通のダークネス相手なら十分交渉材料となり得たものだろう。
    「人間を殺すつもりも食うつもりもない。手を出さないことが条件だ、俺達をもう、放っておけ」
     誰もが足を止めた。落ちる、沈黙。
     心底が冷めているからかもしれない。鈴音はハイカグラを否定しない。しかしだからこそ、関心を寄せるのはあくまで御伽だ。
    「一人で悩むのもどうかと思うんですよねぇ。こうして皆々様が迎えに来たのですから」
     静かだ。
     雨が、降る。

    ●石
    「御伽さんのばか」
     似合うと言われたワンピースに袖を通し、傘を差してやって来た。くるり回す傘は、雨が苦手な娘に彼がくれた青空色。
     ご機嫌な様子は、ただ迎えに来ただけという体だ。
     今を大切にし今しか信じない、だから今あなたに逢いたい。
    「あなたがいないとつまらないわ」
     そう、雨嶺・茅花は柔らかく微笑む。ハイカグラの意思など問うてはいない。たまらず続いたのは燈だ。
    「まだ、お前たちをひとつになんてさせない」
     御伽の覚悟を全部理解する事は決して出来ないとわかっている。それでも全部は喪ってない。喪いたくはない。
    「俺にとって御伽先輩は、兄みたいで優しくて、強い人」
     力試しした時の彼の拳の強さを思い出す。顔が歪んで、泣きそうになる。
    「とっても尊敬してる人なんだ。また一緒に笑いたい、共に戦いたい。――放っておくことなんてできないんだ」
     だから向き直る。大きな声が霧中に響く。
    「殴ってでも御伽先輩を連れ戻す!」
     肩が震えそうになった燈の背を、獅童・皇鳥がそっと撫でた。そして告げる。ともちゃんと喧嘩をしたのも。醤油を零したのも、ぬいぐるみがぼろぼろになったのもみーんな御伽のせい。
    「きみどりもわざわざ迎えに来たんだから、帰ってこなかったらほんと許さない!」
     御伽を家族のように慕っていたのは燈だけではない。音雪が進み出て声を張り上げる。
    「御伽さんのいない露草庵は、寂しい……だから、帰ってきてほしいのです!」
     御伽が家主となっていた日本家屋に、集まっていた仲間も来ている。音雪が大好きな、その居場所をくれたのが御伽だ。皆と一緒に作ったアルバムはまだ埋まっていない。毎年桜を見に行く約束もした。
     ハイカグラを見据える。放っておけるならこんな山奥まで来ていない。人への危害も関係ない。
    「私は! 大好きな御伽さんが居ない日常なんて、やだもん!!」
     我儘上等、音雪に我儘を言ってもいいと言ってくれたのが外ならぬ御伽だ。それに妹は、大好きな兄には我儘なもの。だから何度でも、声に出して伝えてやる。
     貢が音雪を宥めるように肩を叩いた。
    「野乃、お前のいないあの家のどれほど寂しいことか」
     彼がいない空虚にいつまでたっても慣れやしない。彼を取り戻すためなら殺人鬼の技を用いる事も厭わなかった。そのくらいに。
    「たとえお前の覚悟が出来ていても、俺たちはお前を失う覚悟なんてした覚えはない」
     そんなもの、しない。
     呟きは意志ではなく確信だった。
     貰ったものを何ひとつ返せていないのに。胸裏をちっとも知らないと思い知ったのに。
     いなくなられて、堪るものか。
    「帰るぞ、野乃」
     言われて、ハイカグラは喉奥で唸ったようだ。耳を傾けているのは闇か光か――夜伽・夜音は思いを馳せて噛みしめる。
    「御伽くんは覚えてるかなぁ。一月ってね、僕が露草庵にきた日なの」
     出逢ってもう三度も季節が廻った。これからも、重ねたい。
    「御伽くんは猛々しくて、頼もしくって。でもどこか危ういところもあって。大切な、僕達の家族だよぉ」
     心の底から『仮』なんかじゃなくて、心で繋がってる家族だと思っている。だから言うのだ。
    「ね、御伽くん。……おかえりなさい」
     手を伸ばした夜音の傍らでキィンもハイカグラに視線を向ける。培われた絆を確かに、感じ取りながら。
     鈴音も飄々と頷く。言葉が口をつくから、黒谷・才葉は感慨を籠めて言う。
    「御伽と一緒に露草庵で過ごした日々がオレにとっては宝物なんだ」
     花見に学園祭、運動会、庭の掃除、クリスマス。他にも沢山。どれも輝いて、その中心にはいつも御伽がいた。
    「これから先も御伽と色んな世界を見て、笑って。露草庵に居れて良かったって、オレはそう思いたいよ。御伽は違うの?」
     畳みかけた言葉は、心に抱えた美しい世界が尊いから。彼なしではあっという間に朽ちてしまう。
    「だから、一緒に帰ろう。露草庵へ」
     仲間達の真摯な言葉に自分も心動かされた心地で、日方は一歩前に出る。耳を傾ければ、同じように考えていた人間の何と多い事よ。
    「さっきも話出てたけど。人に手を出すとか出さないとか関係無ぇ。放っておける訳ねーから来てんだ」
     あの時の洞窟で戦う御伽の背を見ていた。真っ直ぐ敵に向かう様は死地で交戦する皆に希望を与えていただろう。それは紛れもなくハイカグラではなく御伽の強さだ。
     喪う覚悟など、出来るわけがない。
     だから。
     溶岩吹き荒ぶ洞窟で、共に戦った仲間として。彼の帰る場所を迎える人達を、何より彼自身が生きたい世界を護ってみせる。
    「……戻れないあの日を悔やんで、謝ることばかり考えてました」
     日方と肩を並べるように、鹿野・小太郎も進み出た。でも今ならわかる。御伽が成したのは犠牲ではない。全員で生き残るため、独り帰還が困難な道を選んだのだ。
     信じたい。だからこそ伝えたい。
    「野乃さん、ありがとうございます。あなたのお蔭でオレは生きて――迎えに来られました」
     自分達には御伽が必要だ。頷き、羽柴・陽桜も姿を現す。傍らに夜鷹・治胡も佇んでいた。日方も小太郎も陽桜も治胡も、戦いを経て御伽と縁を結んだ者達だ。
     縁は決して強くはなくとも。
    「御伽さん、あなたとの縁あるたくさんの方々があなたの帰りをまってます」
     陽桜の願いは真っ直ぐだ。
    「ただいまの言葉、聞かせてください……!」
     ハイカグラにも届いている、そう治胡は嘯いて語り掛ける。生憎放っておくわけにはいかないが、別に灰の獣を消したいわけではない。
     ただ、単純に。
    「野乃を消さないでくれ。いや、消させない」
     力強い断言は何人もの願いを乗せる。今までの言葉すべてを耳にしていた鈴親は肩を震わせた。真柴・櫟が腕を伸ばして支えたなら、御伽の妹は募らせ過ぎた思いを爆発させる。
    「誰かを助ける為に喪う覚悟を決めたの?」
     瞼の裏に浮かぶ亡父の姿が、決断した兄に重なる。再び失う恐怖に足が竦み、眼が眩む。
    「家族が居なくなる怖さ、お兄ちゃんだって知ってるくせに……!」
     獣の中に眠る兄だけを、見据える。
     眦から溢れる涙は、雨と融け合い境界を失う。思い出す――父を失った事を切欠に、兄は孤独を好むようになったのだ。
     失う事が怖いのだと、口に出しはしなかった。心に隠した弱さを打ち明けてくれたらどんなに楽だろうと思うのに。兄を軽んじているわけじゃない、むしろ逆だ。
     腕で涙を拭ったなら、感情すべてを振り絞って号哭する。
    「どんなに覚悟して決めた事でも、それでもあたしは諦めたくない!」
     届け。
     伝われ。
     今伝えなければきっと一生後悔する。
    「ここに居るみんなはきっとお兄ちゃんに手を貸してくれる。だから、全部抱えて独りで寂しそうにしないでよ」
     鼻をすすって顔をぐちゃぐちゃにしても、鈴親は声を紡ぐ。
    「ねぇ、おかえりって言わせて」
     雨の冷たさを吸い込むように、言葉は音になる。
     しばし無言で佇んでいたハイカグラが鈴親の前に歩み出る。誰もが静かに様子を伺う中、沈黙は破られた。
    「――……去れ」
     灰の化身は目を灼く如き炎を、纏っている。
     燃え盛る勢いは先の比ではない、利き腕に咲き誇る大火は拳撃に収縮される。大きく振りかぶったなら妹の瞳に焔が散った。

    ●木
     躊躇する間もなく護り手が地を蹴る中、最も鈴親の傍にいた櫟が滑り込んで立ち塞がった。お前が鈴にさせた顔、皆が許しても俺だけは一生忘れてやらないから――そう、間近で呟いて。
     轟く爆炎は悉くの体力を奪い去る。すかさず鈴音と音雪が癒しの連鎖を贈って、踏み止まる力を注ぐ。
     葵が横から飛び出して力任せに打ち据える。そこからハイカグラの体内に魔力を注ぎ暴発させる。視線を流し、呟く。
    「この一撃に込めているのは御伽に帰ってきて欲しいという願い、ただそれだけだよ」
     だから彼が目を覚ますまで何度でも力を振るおう。今は眠る御伽を思い、続けざまにもう一打を繰り出す。魔力が閃光となり、臓腑をも焦がすだろう。
     物静かな物腰に宿るは、固い意志。
    「君を放っておくわけにはいかない。届けたい声が沢山ある。僕だって話し足りない」
     交流こそ短いものの、信頼する気持ちや真っ直ぐさに惹かれている事は皆と変わらない。
     僕らの仲はまだ、これからなんだ。
     連撃は止まない。影で作った触手を放ち、続けざまに拳を振りぬく。宣言通りに燈の拳骨は、ハイカグラの顎を打ち抜いた。霊犬のハルルも浄霊齎す眼光で背中を支える。
     キィンが横っ腹を穿ったなら、鈴親も風を招いた。強い想いを込めたそれは吹き荒ぶ炎をも切り裂く刃。
    「なあ、御伽。いつかお前、言ったよな。あたしとお前、似てるって」
     でもやっぱ似てないよ。
     そう囁いて。再度爆炎のかいなを揮おうとした灰獣に、艶やかな焔を蹴り入れて力任せに阻止する。嵐だ。
    「お前のように失う覚悟を受け入れるなんてできない。だってあたしは、お前が居なくなるなんて絶対に嫌だ」
     唇を引き結ぶ。
    「……お前はあたしの、友達だカラ……」
     雨が降りしきる。
     再開した戦闘は終る気配を見せない。
     予測通り鈴親が打ち据えられる事は多かった。だが彼女だけではなく、誰もが深い傷を負い、その度に癒しを全力で齎していく。日方が庇い、その隙に貢が死角から斬り上げる。
     決して諦めない。更に降り続ける言葉。一滴が小さくともそれが多ければ、雨垂れは一念となり。
     岩をも、通すのだろう。
     それでも尚、ハイカグラは阿修羅を振るい続ける。螺旋の捻りに業火を載せて、落ちる影ごと燃やし尽くす。
     ここまで来れば戦闘ではなく喧嘩だ。どちらかの言い分を通すための。
    「俺はな、お前を喪うことが――恐ろしいよ。己を失うよりも」
     口に上らせて、貢は正確に理解した。ああ、きっと御伽もそうだったのだ。葵も睫毛を伏せ、剣を非物質化させ構えた。
     霊魂に届くよう、断ち斬る。
     彼女の道を、切り拓く。
    「友達だって、言わなくてもヨカッタ。でもお前は、ひとりになりたがるカラ」
     嵐は助走をつけながら想いを巡らせる。視界に入る仲間達の心。
     行動と言葉で、気づいて欲しかった。
     お前はもう、お前だけのものじゃないってコト。
    「――いい加減、わかれ!」
     横っ面に勢いと体重と思いとすべてを乗せて、強烈な殴打を食らわせる。
     灰色の体躯が大きく揺らいだ。
     膝をつき、倒れる。角と爪が地に還っていく。息衝く鼓動が、自然の中で優しく響く。
     音雪が葵が日方が、見守る。鈴親の涙腺は崩壊してしまった。誰もが駆け寄ってきたその中心で。
     静かに膝を曲げ、傍らで囁く。
    「御伽殿、起きて下さい。大切な人が待っておりますよー」
     鈴音の呼びかけは、うたたねをした御伽を起こすように。
     いつの間にか霧が薄れ、濃紺の空が広がっていた。響く声は風に紛れ、それはきっと星に届くほどにきらめいて。
     彼が瞼を開けたなら、雨は止む。

     木の合間に瞬く星は、共に帰る方角を指し示していただろう。
     もう見落とす事などない、一粒の――枯木星。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2017年1月27日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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