●
――踵鳴らす。その身、絶望なれど。
色欲は罪であるらしい。ならば淫魔が罪に灼かれるのは当たり前ではないか。
音立てて広がる翼も己が頭に飾った角も罪の証――それが、『彼女』の所在。
ぺたりと素足が冷たいアスファルトに触れる。その肌を惜し気もなく披露した女は茫と宙を見つめた男の顎をほっそりとした指先で撫でた。
「――可哀想ね」
凍て付く冬の寒さを構う事もなく女は場末のライブハウスに立っていた。
男たちの視線は全て彼女の肢体に向けられ、それを是とする彼女の笑みは淫猥さの中に楚々としたものも感じさせる。
「私の言うことを聞けば大丈夫よ。『私と同じ目に合えば、きっと私のようになれる子』もいるはず」
その言葉は、深く汚泥のように濁った響きを感じさせた。
青春の熱き灯が、深く絶望の色に染まってゆく。愛しい音楽(ひびき)は壊れたラジオのようにノイズが混ざりゆく。
彼女は、淫魔は記憶に仕舞いこんだ壊れた過去と音楽を愛しむ思いを壊す為にあえて言うのだ。
「蹂躙しなさい」
女たちを、蹂躙し尽くせばいい。
そうすれば、『エルザ』と同じ場所に堕ちてくるでしょう?
●
大淫魔サイレーン――彼女が灼滅されてから刻は過ぎ去った。
その彼女に成り代わる気はないが、彼女のやり方に賛同するように『快楽を生み出し淫魔を増やそう』とする淫魔が現れたそうだ。
不破・真鶴(高校生エクスブレイン・dn0213)は彼女は快楽的な淫魔ではなく理性で動いているのだと告げた。
「淫魔が『そうだってこと』をしっかり把握したうえで、行動してるから危険だな、って思うの」
そして、その行いをしているのが元・灼滅者であるということが、真鶴はどうしても気になるのだという。
神條・エルザ(イノセントホワイト・d01676)――彼女は、淫魔であることを恐れその身に黒衣を纏い露出を厭うた灼滅者だった。
「淫魔になったエルザさんはとってもきれいなの、それで……誘惑は淫魔の得意とするところだから、好意は只、種として与えられるって……」
しどろもどろになりながら真鶴は言う。
淫魔という種は、魅了に長け他者を従属させることも多い。単純な好意は『種としての本能』から得られたものだと彼女は判断しているのだろう。
子を成し、種を繋ぐ命の営みの本質を以て「快楽こそ唯一の真実であり善」だとするのは淫魔らしい。
だが――
「復讐なの」
彼女の行いは単純な女(かいらく)ではない。彼女は、己の身に渦巻く罪と破滅を他者に振り翳してるのだ。
エルザは偶然出会った淫魔によって破滅の運命を辿った。それが、彼女の心を閉ざす切っ掛けになった事など、いう余地もない――だからこそ、他者を『破滅』させ『同じ場所』に導かんとしている。
「エルザさんが一番に苦しかったことは、自分の中に淫魔がいて誰かを傷つけたことだったらしいの。
エルザさんの中にいたもう一人、淫魔は『可哀想』だからと彼女を消滅させることを考えてるのね」
それは、生から断ち切るための独りよがりであるのかもしれない。
愛した音楽の場所、穢れたライブハウス、蹂躙された過去――その全てを揃えて『エルザ』は言うのだろう。
『無駄な足掻き』だったのだと。
今から行けば、エルザがライブハウスを襲撃し、男たちを誘惑しようとしている所だろう。
彼女は淫魔だ。無為に殺すことはなく、『彼女の作戦』にもそぐわないことはしない。男を魅了する事が襲撃の第一歩となるはずだ。
「ライブハウスにね、早く到着してエルザさんを救ってあげて欲しいの。
自分と同じ目に合うなんて――そんなのって、意味がないと思うの」
周囲の一般人はあくまでも彼女の玩具でしかなく、今日か一般人ではない事から戦闘開始時に逃がすことが出来れば大きな被害にはならない。
通常のダークネスであれば、ここで灼滅をすればいい。
その選択肢もありだ。しかし、真鶴は知っている。彼女が『それを望んでいない』ことを。
「生きて居たいって願ってくれるなら。
淫魔(ダークネス)が自分の本当の姿じゃないって思ってくれるなら」
戻って来れるはずなのだと、声を震わせた。
「エルザさんは、一人の淫魔に運命を狂わされて、想い人が死んでしまった。たくさんの人を誘惑し、闇に惑わせた。
それが、彼女の心を蝕む最大の罪で――それが、淫魔にとっては当たり前の日常なの」
淫魔は言うことだろう。何も悪いことはしていない、と。
それではエルザを救い出すことはできない。
――淫魔の魅了が無くても、彼女に手を差し伸べる人間がいることを。
――罪を背負っていく覚悟を、目を背けないでいる強い思いを。
――生きる意味を。
それをその胸に抱かせることが出来たならば。
このままみすみすと逃がせば、完全にその身は闇に飲まれてしまうだろうから。
「……人って、弱いのよね。わたし、とっても知ってるの。
だから、誰かが大丈夫だよって手を差し伸べてあげなきゃならないって思うのよ」
灼滅者はそうやって誰かを助けることが出来る素敵なひとだから。
真鶴は「エルザさんを、助けてほしい」と声を僅かに震わせた。
参加者 | |
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ギィ・ラフィット(カラブラン・d01039) |
羽柴・陽桜(ねがいうた・d01490) |
北斎院・既濁(彷徨い人・d04036) |
氷上・鈴音(欠けた月は戻らない・d04638) |
ウェリー・スォミオ(シスルの翅音・d07335) |
黎明寺・空凛(此花咲耶・d12208) |
御巫・深雪(雪花の歌姫・d18261) |
穂村・白雪(無人屋敷に眠る紅犬・d36442) |
――罪と呼ぶには、酷く曇ったものだった。
●
喧騒溢れるその場所は、時代錯誤な場所に存在した。ネオンに濡れた街並みを避ける様に風と共に路地裏へと向かえば、ぽつりと佇むライトが来客を歓迎するように暖かに揺れている。
硬い扉に手をかけて、勢いよく飛び込んだ穂村・白雪(無人屋敷に眠る紅犬・d36442)の眼前には美しい女が存在していた。白い肌を窮屈な衣服に押し込めて、短い黒髪を揺らす淫魔は紅色の瞳を細めて振り仰ぐ。
「無駄な足掻きだわ」
あどけない少女の様な表情をして『エルザ』はその愛らしい外見からは思いも寄らない毒を吐く。
その言葉に、冷たい枷のように感じさせた指輪に触れて白雪は唇を震わせる。神の名を冠したその指輪は胸の奥に燻った白雪の焔を凍て付かせる。
(「あいつも、俺と一緒――なんだろうか……」)
その生命に絶望を感じ、死と言う道を希みながら、今日も自分のを呪い続ける。
それは、エルザが黒い衣服に身を包み、己を淫魔ならば誰しも感じる欲求から遠い場所に身をよせたいと願ったことと似ているのかもしれない。
只、それでもだ。美しい女性にその感想を伝えずにはいられないのも男と言うものか。
ちら、と視線は後方でエルザを見つめる北斎院・既濁(彷徨い人・d04036)へと向けられる。その視線は、鋭く人殺しと呼ぶに相応しいものか。既濁のその視線に肩を竦めたギィ・ラフィット(カラブラン・d01039)は常の通りのフランクさで「ちはっす」と手を振った。
「純潔の白のエルザさん。彼氏さんの前で口説き文句を並べるのは、ちょっと気が引けるっすね」
「あら、淫魔にとって『魅力的』だという言葉は息をする位に当たり前だわ。
あなたが『私』をそういう風に見るのだって――そうね、淫魔を目の前にした欲に眩んだ男なら」
当たり前だとそう言うのは、エルザが『そう思い込んでいる』からだろうか。
そういう事じゃないですけど、とからりと笑ったギィは緑の瞳を細め「まあ」と小さく呟いた。
「ちょいとばかり、火遊びに付き合ってくださいな。悪いようにはしやせんよ」
「お話にも……付き合って欲しいんです」
男性が好意的なのは淫魔に対しては当たり前なのだとエルザの唇はそう告げる。冷ややかな空気が周囲に立ち込め、何も知らぬ一般人が震える肢で扉へと駆け寄ってくることに陽桜は気づいていた。
一般人が死んでしまうのは耐え難い。お願いしますと視線で告げて、黎明寺・空凛(此花咲耶・d12208)は海島・汐(潮騒・dn0214)と擦れ違う。
この場所に存在するダークネスはエルザのみ。悪い夢だと認識してくれるならそれが一番だと天音は一般人を手招いた。
天音が一般人を手招けば、氷上・鈴音(欠けた月は戻らない・d04638)が前へ前へと進んでゆく。「汐君、天音、一般人はお願いします」と、その言葉を唇から零れさせる鈴音の視線はしっかりとエルザへと向いていた。
(「――ダークネス『エルザ』」)
そう呼ぶことには、どうにも抵抗がある。チョーカーをぎゅ、と握りしめ祈る様に「待ってました」と呟いた鈴音はゆっくりとエルザへと向き直った。
「神條さん、貴女が見つかるのをずっと待ってました」
カードに唇を落とし、巫女のような衣服を身に纏った鈴音はころころと笑い声を漏らした恩人をしかと見つめる。
ああ、その姿は、その、笑顔は――あの時の。
『今度こそ、皆を死地から帰す。私の力で足りぬのなら……闇と、私の魂を対価に、皆を守れ!!』
――その姿は、どうしても窮地に立っていたエルザを思わせる。闇に飲まれたその姿は、彼女にとって耐え難いものなのだろうとウェリー・スォミオ(シスルの翅音・d07335)は理解していた。
「僕も堕ちて学園に保護された身。淫魔に蝕まれる辛さは解ります」
「――……」
ちら、と視線を向ける羽柴・陽桜(ねがいうた・d01490)にウェリーは一度でも闇に飲まれたことが有るのだと信頼する友人が知ることが微かな居辛さが胸を過る。
「分かるの? それなら、この気持ちは分かるかしら。
…………『忘れられないの。その時の快楽と痛みが。踏み躙られたと感じてしまった過去の私』が」
●
「よぉ、随分と印象が変わってるじゃねぇの。どうしたよ」
学園で擦れ違った時の様に。既濁はエルザへと声をかけた。
緊張をその表情に湛えたままに御巫・深雪(雪花の歌姫・d18261)はエルザの心に抱えた闇を晴らす方法を懸命に考え続ける。彼女を嘲笑うようにエルザは「ふう」と小さく息を吐いた。
常のエルザには見られない慈愛と情愛に濡れた瞳を細めた淫魔は「女は化けるのよ」と小さく笑みを溢した。
「へえ……ま、いいや。無駄な足掻きって物の見事に言ってくれるよな。
本心かよ? そうだっつーんなら俺を含めオメーに今まで触れ合ってきた人間が全て無価値だったっつーなら、そのまま死ねばいいだろ」
気怠げに言った既濁の言葉にエルザの肩がぴくりと揺れた。女性的な魅力を武器とし、男性から与えられる無尽蔵の愛情が彼からは感じられない――寧ろ、あった筈の愛情は殺意に変化しているかのようにも感じられた。
「つれないのね」
ちら、と視線を向けた先にはうれしそうに笑うギィがいる。対照的な男性二人を見比べてエルザは小さく息を吐いた。
「……男も女も、簡単な生き物なのよ」
「簡単だって言うなら……エルザさんも、私も、抱えたままではいないと思います」
声を震わせ、空凛はゆっくりとエルザへと向き直る。エルザが抱えた闇と空凛が抱えているものは別のものなのかもしれない、それでも。
「人を殺すのも、生かすのもとても難しくて――とても、怖いものですよ」
――私を殺してくれないの?
殺したがりの女の子は、常に泣いていた。手を差し伸べて、陽桜はこういったのだ。
『あなたが生きる意味はあるよ』
その言葉をエルザはどんな気持ちで聞いていたのだろうか。転がったペンライトをかつりと蹴って陽桜は声を震わせる。
「『あたしは、あなたが、辛かったけど生きててよかったって笑ってる未来を信じてる』」
瞬いたエルザが言うであろう言葉には見当がついていた。寧ろ、そういわれることが当たり前なのだろうと今の自分なら良く分かっている。
「―――」「きれいごと、って、言いますか?」
重ねた言葉にエルザは意外だと僅かに目を細めた。ゆっくりと彼女を取り巻く男たちが誘導され出て行っている。しかし、それに頓着することなくエルザは陽桜の言葉に酷く惹きつけられていた。
「あたしも、綺麗事だって思います。バカだなって笑いますか? ……分かり切った事を言うねって」
そう、言いますかと瞳を細めて。陽桜はゆっくりと一歩を踏み出した。
その一歩がどれ程に重いことか。ウェリーは唇を引き結ぶ。
「綺麗事に救われることだってあるんですよ。これも、綺麗事だって思うかもしれません、でも、ひとつでいい、聞いてください。
――淫魔に堕ちたのは神條さんの所為でないし淫魔の悪行も神條さんの仕業ではない、でしょう?」
「本当に綺麗事だわ。淫魔(わたし)は私でしかないのに!」
嘲笑うように告げたエルザが放つ暗闇がウェリーのその身を狙わんと後方へと飛び込んでゆく。
身を逸らし、受け止めた空凛が「それでも、貴女とエルザさんは違う!」と声を張り上げた。
「私が助けて頂いたように、エルザさん、貴女も助けたい。さあ、内なる闇に抗って!!」
「無駄な足掻きは必要ないわ!」
空凛の言葉に相対するのは否定の言葉。エルザの攻撃は灼滅者の言葉を受けるとともにより苛烈に変化する。
その動きを縫い止めようと深雪が一撃一撃に重きを置いてエルザの名を呼び続ける。
「私は、怖かった! でも、私は此処に居ます。エルザさんだって――!」
「エルザさん、あなたが消えても罪の償いになんてなりません。淫魔はあなたを虐めているだけなんです」
空凛が伸ばした手を否定するようにエルザが叩く。眷属としての証を指先で撫でてウェリーは不安を胸に声を張った。
己は『誰かのせいでそうなった』と昇華しなくてはどうしようもないと感じる様に――罪は、消えないのだ。
(「綺麗事――……罪は、消えないと思うけれど、でも」)
幼馴染ならどう声をかけただろうと愛莉は一般人の手を引いて外へとその身を逃がし続ける。ふわりと漂うなのちゃんは主人の心中を察したように僅かに身を捩った。
「……消えないってどんな気持ちなんだろな」
「え?」
こっちの話だと首を振り勇弥は周囲の女性達へと明るく「外にでよーぜ」と声をかけた。彼のラブフェロモンや天音のプラチナチケットも手伝ってか避難誘導は淡々と進んでいる。
淫魔の魅力に取りつかれたようにエルザの傍に付き従う男たちへと「惑わされないで!」と声を張る凜は不安げにエルザを見つめた。
「消えないんだよね。過去の傷跡も、過去の過ちもぜんぶ……」
声を震わせた凜は誘導を続ける勇弥のもとへと走り寄った。
彼女を見送りながら、ゆっくりとエルザへと向き直ったギィは黒い焔を纏いながらエルザのもとへと飛び込んだ。
刃を翻し、ステージを大袈裟な程に踏みしめる。「こっちっすよ」と誘う様に手を伸ばし、彼女の細い指先に触れようとしたギィの掌はぱしりと弾かれる。
「かわいい女じゃないわ」
「こんなにイイ身体なんすから、禁欲なんて勿体ない」
戯れの様に唇から飛び出した言葉にエルザは瞳を細める。軽くあしらう様に身を捻り、取り巻く闇でギィとの距離をとる。くん、と足を取られる様に縫い止められたギィの傍を擦り抜けて鈴音がエルザの前へと飛び込んだ。
誰も失いたくないと、鈍りかけた掌に力を込めて鈴音はエルザと肉薄する。
両者の赤い瞳が擦れ違う。情愛に濡れた瞳が細められれば、鈴音は唇を僅かに噛みしめた。
(「――傷つけたく、ないんだ……っ」)
惑いに、その身が強かに床へと打ち付けられた。軋む骨の音に僅かに声を漏らす。
「ッ」
「神條さん!」
鈴音に癒しを送りながらウェリーが彼女を呼ぶ。その力で、彼女を倒すことはこの場にいる全員が力を合わせればできるのだろう。
それは、罪を罪だと認める事――けれど、彼は言う。
「淫魔が色欲に溺れるのが当たり前だって言うのなら、それは何も悪いことじゃないんです」
あなたと、淫魔(あなた)は鏡合わせだけれど、違う存在なのだから。
●
聞きたかった歌がある。それは、まだ耳にしたことのないハーモニーだった。
「いつか聞かせてくれる?」
曖昧に頷いたその歌声を空凛はまだ、耳にしていなかった。共に学び、共に過ごしたその時間を音にするならどのような音色になるのだろう。
知っている。音楽は心を反映するのだと。
空凛はエルザに向き直る。己も、何時かの日に人を殺めかけたのだと。その両の手が罪に染まったのだと――
「歌わないわ」
「……私が奏でる様にエルザさんには歌って欲しいんです。
私も愛に悩みすぎて闇に飲まれました。でも、こうして此処に居る」
こうして、自分の過去を見つめることができるのだから。
苦しみを共に分かち合うことだってできると空凛は声を震わせた。
「神埼和音のクラリネット、いつか聞きに行くんでしょ?
いつか歌を聴かせるんでしょ? なら……こんな所で立ち止まっている場合じゃないでしょ?」
声を震わせて、「聞かせてくれたじゃない」と深雪はエルザを呼ぶ。握り締めた鎌を振り上げて、エルザのもとへと一撃を届けた深雪と立ち替わる様に陽桜が身を投じる。
闇色を弾く陽桜が後退し、立ち替わる様に飛び込む鈴音が切なげに眉寄せればエルザの表情も徐々に曇りゆく。
「私も、貴女も、戦士じゃない。……歌姫なの。
喜びも、悲しみも、希望も絶望も何もかも。全て背負って昇華させ、人の心を動かす歌を生むの――私の憧れの神條エルザは、そんな生き様の女性なの」
声を張り上げて、深雪はエルザへと手を伸ばした。届かない、其れが如何してももどかしい。既濁が口にしたように『共に過ごした時間が無意味』だというならば。
だん、と大袈裟な程に地面を踏みしめて、エルザが放った一撃を白雪が受け止める。
血潮を焔の様に燃やしあげ、白雪はクトゥグァを呼ぶ。その名は、紅の稲妻を――彼女そのものを呼ぶようで。
「俺はあんたの気持ちをわかるなんて言えない。あんただって俺の事、分からないだろ?」
それは、白雪なりの問い掛けだった。無意味な時間を無駄な足掻きと称するならば、死を求めた彼女は「良いことじゃないか」と朗々と褒め称える事だろう。
「あんたが足掻いたおかげで助かった人たちがいる。鈴音(あいつ)だってそうだ。
……これからも足掻くって決めたんだろ? だから、堕ちきれない、壊しきれない、絶望なんてぬるま湯につかってんだ」
赤い髪が揺れる。白い肌に僅かに朱が差して言葉なく攻撃を続けていたエルザの唇が戦慄いた。
「足掻いて足掻いて、可哀想でしょう? これ以上罪を背負い続けてはいつかは心は死んでしまうわ。その前に、私はあの子(わたし)を救ってあげるの」
●
――存在意義と呼ぶには余りにも大仰で、それでも、求めたのは確かな意味だった。
●
差し伸べられた指先が多いことに深雪は心の奥底から歓喜した。少しでも、エルザに届けばいいのにと願わずにはいられなくて。
「穢れた自分を呪わしく思うのは分かる。
守りきれない人が居て傷ついた事も分かる――でも、守れた人もいる」
白雪の言葉を重ねる様に、深雪は声を張り上げた。エルザ、と彼女を呼んで既濁が告げた嘘(ことば)を反芻した。
「貴女に居続けて欲しいと願う人達が確かに居るの――絶対に、何も無駄なんかじゃない!」
誰かが無くした思いを取り戻したとき。何時か聞いて欲しいと約束したオーケストラ。
深雪の美しい声は僅かに掠れ、上擦っていた。感情を吐露する様に彼女を呼んで――
「無駄だわ!」
「強情だよな………。エルザ、お疲れさん。お前は命を懸けて贖罪を終えたよ」
地面を蹴り肉薄するエルザの体を受け止めて、陽桜が「受け入れます」と声を震わせる。
既濁の言葉に激昂する彼女に「熱烈っすねぇ」と明るく返したギィの周囲を取り巻く闇がエルザを襲い往く。
「私の罪は消えないわ! こんなもので――誰が赦すのよ!」
「私がっ、私たちが全てを赦すから貴女が赦せないなら許し続けるから!」
彼女のその姿は、今まで見たことが無いと深雪の背筋に奔ったのは淡い不安。
どうしようもなく――感情が奔流のように迸る。
「貴女が罪だと思うのは仕方がない。それでも受け入れてくれる人がいる。
貴女は、もう少し気楽に生きていいんです。罪はみんなで背負えばいいんですから……!」
ウェリーが振り絞った言葉にエルザは首を振る。罪は背負えるものじゃないと彼女は唇を震わせた。
「私は――」
「――過去を捨てろとなんて言わねぇ。前へ向いてくれねぇか。
足元を見たい時があんのなら、俺がその間手を引くぜ。お前の手が汚れているっつーのなら、俺も一緒に汚れてやる」
大きな黒い翼は、音立てる。
既濁の伸ばした指先に、伸び掛けた手は行く先を見つけられずに宙を彷徨った。
「息をめいっぱいに吸えよ、エルザ。俺達がお前に言うぜ。
――大丈夫だ、前に進めよ。お前はいい仲間に恵まれてるってな」
その言葉を吐き出すのに白雪は十分な時間を費やした。
自分の中の『私』を殺して『俺』を蘇らせる。自分が自分でなくなるように――白雪の心の中に浮かび上がったのは亡くなった兄の顔。
弱い自分では救えないかもしれない。兄の事を思い出す自分では、どうしようもないかもしれない、それでも、強い『俺』ならば。
「淫魔に宣言してやれよ! 足掻いてやったぜ! ってさ」
堂々と放ったその言葉にエルザは目を見開いた。
前に進めよと背を押され、宙に投げ出された気持ちを受け止める様に既濁が手を伸ばす。もう一度、と彼はエルザを呼んだ。
「戻って来なよ、それがお前の最後の贖罪だぜ」
かくん、と膝が折れる。言葉なくエルザは息を大きく吐き出した。
生きたいと、その声で言って欲しいと求めた言葉は未だその唇からは出てこない。
「エルザさん、あたしはどうしようもなく遠い星でも、届かなくっても……いつかは届く気がしています。
諦めないで、足掻いて足掻いていれば、いつか素敵な人生だったってそう思えますから」
ゆっくりとエルザと視線を交わらせた陽桜は手を差し伸べる。
「生きて、ください――」
「……私は」
生きていていいの、と絞り出された言葉は道に迷った少女のようで。
ライブハウスの硬い床に雫が落ちる。白い指先をぎゅ、と握り既濁は小さく告げた。
「今、喉笛を自分でかっ切らないなら血を吐いてでも戻ってきな。死も、価値も、意義も、全部後で考えりゃいい」
かえりたいと心がそういうならば、
「帰りましょう、私達の立つべき舞台へ」
――あなたが生きていく今を、私達はずっと許し続けるから。
作者:菖蒲 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2017年1月25日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 8
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