和様庭園

    作者:中川沙智

     そこは自然公園のひとつだった。
     四季折々の花が咲く、それだけではない。ガーデニングの本場・イギリスからガーデナーを招待し契約して、ただ自然に溢れるだけではない造形美を作り上げた庭園。迷路のような花の小径、区画により色を変える花壇、花が咲き零れるアーチの下で揺れるブランコ。
     壁に蔦を這わせる葉すらハートの形を描いている、遊び心に溢れた空間だ。
     春の午后。
     洋風に誂えられた庭園の中でも一際意匠が異なる区画があった。足を踏み入れたなら整え揃えらえた生垣が客を迎えてくれる。
     様々な植物で編み成されているそこは、日本庭園の設え。
     いわゆる回遊式庭園だ。城郭を思わせる石垣の構えの向こう、中央に配された池の周囲に園路を巡らしている。歩みを進めるごとに春うららかな風情が立ち上る。
     既に春も佳境を迎え、桜を始めとした花が爛漫と咲き誇る頃、石畳を踏み往けば清々しさが胸に密かに宿る。曲線による造形と左右非対称な佇まいは自然を巧みに表現し、灯籠や東屋、鹿威しもその存在感を顕わにするだろう。
     此度の主役は牡丹、都内から程良く離れたこの庭園を艶やかに彩っている。座れば牡丹と言われる風格ある姿は古くから『花の王様』と呼ばれて親しまれてきた。大きな花弁は薄く絹のようにも見えるが、実際手で触ると分厚くしっかりしている。一重咲き、八重咲き、千重咲き、万重咲きと様々に咲き誇る様子はまるで幾重にも衣を纏う貴人のよう。
     紅に薄桃に紅白に――水面に映り込むほど鮮やかに。
     気品ある香りを連れて、庭園を芳しく染め上げる。

    ●Paeonia suffruticosa
    「牡丹って薔薇みたいにたくさん種類があるのね、あたし知らなかった」
     小鳥居・鞠花(大学生エクスブレイン・dn0083)が図鑑を眺めながらうっとりとしたため息を零す。どうやら牡丹は紫や黄、挙句は黒色――といっても深紅に近いか――の花まであるらしい。
    「今回はちょっと特別なイベントなの! そもそもあの庭園に和風の区画が誂えられるなんてびっくり!」
     ここ数年鞠花が通っている庭園は元々イギリスのガーデナーによる欧風なもの。ところが親日家たるそのガーデナーと日本のとある造園家がタッグを組んで、この度こじんまりとしたものではあるが日本庭園を造ってしまった模様。
     今回は更に、とある趣向が組み込まれているとか。
    「実はね、ドレスコードがあるのよ。テーマは『和』、何でもいいから和にまつわるものを身に着けてきてほしいんですって」
     自分は折角だから振袖を着ていくつもり、そう告げた鞠花のかんばせには微笑みが咲いている。しかし参加のハードルを上げるつもりはないらしく、和を彷彿とさせるものを身に着けてさえいればいいらしい。極端なことを言えば根付をひとつストラップとして飾っていればいいという話だ。だがどうせなら、かんざしを用いたり下駄を履いてみたりと、趣向を凝らすに越した事はないだろう。
     庭園を眺めるもよし、東屋で寛ぐもよし、カフェスタンド――今回は茶房と言うべきか、があるから飲み物を注文して野点傘の下で味わうもよし、写真撮影に挑むもよし。鞠花もデジカメを持ち込むようだし、勿論携帯のカメラでも十分だろう。
     飲み物は茶房で買わなければいけないが、食べ物はよっぽど特殊なものを除けば持ち込みも可能らしい。軽食からお弁当、お菓子を持ち寄る客もいるようだ。こちらも和にちなんだものを持ち込むと楽しいに違いない。
     玉砂利に浮かぶ飛び石を踏み越えて、水のせせらぎに耳を澄ませよう。そうして触れる和の情景、きっと品のある華やぎに満ちた世界に出逢えるだろう。
    「よければ一緒に行きましょ。和の空気にたっぷり浸って牡丹を愛でるなんてすごく贅沢だと思わない?」
     気が向いたら一緒しましょと踵を返し、鞠花は教室を去った。
     春はあけぼのと言いはすれど、それ以外の時間も格別には違いないのだから。


    ■リプレイ

    ●御所桜
     庭園にひらり翻る、青の着物と赤の着物。
     可憐さを高め合うふたりは、仲良しの金魚が揺蕩う様に似ている。
     海月が和装なのは常の事だけれど。
    「帯に簪もつけてるのは珍しいよね? とっても似合ってて可愛い!」
    「えと、あの、海殿のお姿もとてもすてきです……!」
     今日はお揃い。そう思えばくすぐったくて、互いのかんばせに花が咲く。常はふたつに結っている海の髪を彩るのは、風に吹かれる桜の花弁。海月に贈ってもらったものだ。
     茶房にてほうじ茶と玄米茶を注文したら湯気が立ち上る。
     紅い毛氈を敷いた床几台に腰かけて、其々が持参した甘味を披露しようか。
    「じ、自分のお菓子は三色団子です……!」
     広げて見せたなら海は小さく歓声を上げ、この庭園にもぴったりだねと眦を下げる。
    「あたしのは抹茶のわらび餅なの」
    「えと、自分は抹茶が好きなのでうれしいです!」
     折角だから、交換っこしてわけっこしよう。風に緑がそよぐ。緋色の牡丹が爛漫と咲き誇る様を眺めながらのひと時に、気持ちを安らぐ。とびきりの贅沢だ。
    「あの、ま、また一緒にお出かけしましょうね…!」
    「うん、うん! また一緒にお出かけしたい! 今度はあたしから誘ってもいいかな?」
    「は、はい! ぜひ!」
     ささやかな約束は、明るい未来に繋がっている。
     ベレー帽にアンティーク着物の袴とブーツを合わせたら、文明開化の香りがする。
     陽桜が一眼レフのデジカメを傍らに庭園を往けば、小鳥居・鞠花(大学生エクスブレイン・dn0083)と行き会った。鞠花は金駒刺繍で施した手鞠や黒の枝垂桜の古典柄を配した赤の振袖姿である。
    「わぁ、素敵なお着物なのです……」
     花々とも雰囲気がぴったりあってて綺麗、そう瞳を輝かせたなら、鞠花も照れつつ頬を掻いた。
    「陽桜さんも似合ってる! ちょっとレトロなのがいい感じね」
    「和洋折衷な大正浪漫的なアンティーク調の着物なのです!」
     くるりとターンする様に心からの拍手が鳴った。
     陽桜がカメラに映ってもらえませんか? と問えば鞠花も否はない。
     その区画に咲いた椿を背に、想い出を切り取ろう。
     銘子の着付けによりミカエラも浅縹色に菜の花柄の小袖を着る事になった。ミカエラの元気な印象をよく引き立てている。
    「銘子のまねっこして、にほんじんになるね!」
     歩幅は小さくね、そう銘子は心配げに囁いた。薄水色に流水、めだかの着物に濃紺の半幅帯。少しカジュアルに寄せて桜鼠のショールを羽織ったなら、小粋な印象が強くなる。
    「あたい、今日は目上・香枝って名前なんだー」
     メカみかえ(ら)、と読むらしい。そんな意味がと銘子が遠い目になったのもむべなるかな。着物でも全然苦しくないねとミカエラが言うのは、銘子の腕がいいからだろう。
     お抹茶と共に和菓子を頂くのもまた一興。
    「ご要望の桜餅と牡丹餅も用意してきたわよ」
     との銘子の声に、尻尾を振るような勢いでミカエラが目を輝かせる。野点傘か東屋か。どちらを味わうにせよ二人ならきっと楽しい。
     懐紙に乗せて和楊枝で切って頂くのが正式だけれど。
    「お菓子が楽しめないならぱくっとしてても良いと思うわ」
     成程ーと頷きながら声も笑顔も明るく咲く。
    「ほらこれ。銘子とお揃いの夫婦簪! え、大小のセットって、めおとって言わない? 親子??」
    「夫婦ってお箸とかお茶碗とか何故か食器なのよねえ」
     折角だし髪に飾りましょう。
     そう告げて髪を整えたなら、もう少し進もうか。

    ●玉天集
     手入れ行き届いたインバネスコートに学生帽を誂えて書生風と洒落込もう。この服装もまた、和洋タッグ。日本に根付いた魔法使いのマントととんがり帽子。
    「御機嫌よう、鞠花」
    「あ、恵理!」
     牡丹の苑を巡る傍ら、恵理はステッキを携えはにかんだ。鞠花もつられるように頬を緩める。
     ひらり裾を上げてみせれば、優美な笑みによく似合う。
    「こう言う書生姿って格好いいと思いません? 屋根裏で見つけて以来、ずっと着る機会を探してたんですよ」
     そんな囁きに頷きを返す鞠花との間には、確かに湛えられた友情がある。
     恵理が懐から取り出すは懐中時計。身を弁えた市販品に、紫陽花模様の七宝焼のカバーと銀鎖を拵えたものだ。
    「これを受け取って頂けますか、鞠花」
     お芝居めかして帽子を傾ける。
     互いの視線が絡み、笑いが弾けた。
    「……なんて。お誕生日おめでとうございます♪」
    「ありがと! 大切にするわ」
     静けさを横切るように歩く、ふたり。
    「もも、ここにしようか?」
    「あ……うんっ」
     所作に留意しながら。二人で赤い野点傘の下へ。葉新・百花の反応が少し遅れたのは。
     ――着流し、やっぱり似合ってる。
     隣のエアンに視線を奪われ、見惚れていたためだ。着流し姿が魅惑的な彼と共に、彼女も紅に蝶が遊ぶ小紋の裾を揃えつつ、床几台に腰を下ろした。
     艶やかに見えるよう背伸びしたから、耳隠しのアップに整えた髪も綺麗に見えているといい。首元に視線が行ってしまうと彼が自分を抑えている事には気づいていないかもしれない。
     春の長閑な日差しが世界を彩っていく。
     こうしてほうじ茶を嗜むのもなかなか趣があるものだ。それも二人でいるからかと格別な味わいを喉に落とす。
    「もちろん、家でももが淹れてくれるお茶も美味いけど」
    「ん? フォローしてくれてる? さすが、えあんさん。明日のお茶のお味が上ります」
    「いつでもフォローは欠かさないよ」
     明日からの楽しみが連鎖的に増えていく。笑みを交わし合って、視線を流せば牡丹が咲き零れている一画が見て取れた。絢爛で美しい。
     特にその真っ白な牡丹が彼に似合いの佇まいだ。華やかなのに、清廉で。
    「ね、あそこで写真撮りましょう?」
    「うん、一緒に撮ろう」
     手を繋いで歩を進めよう。きっと彼女のスマホの待ち受けに、今日の花が綻ぶことになる。
     龍之介の今日の装いは、白シャツに紺の着物、縞模様の袴に下駄の書生スタイル。ゆまの見立てによるものだ。
    「和服って着慣れないからなんだか落ち着かないな。ちゃんと着れてますか、これ?」
     袷に指を添えつつ龍之介はゆまに視線を向けてみる。するとやっぱり似合うとの太鼓判が返って来た。
    「ふふ、園内の女性の視線独り占めにできますよぅ!」
     対するゆまは矢絣に海老茶色の行灯袴に編み上げブーツを履いてみた。髪はハーフアップにして紫のリボンを添えたなら、二人揃って大正浪漫の時代に迷い込んだみたい。
     楚々と園内を散策したなら、東屋でしばしの休憩をするとしよう。東屋からも池に雪崩れるように咲く牡丹が鑑賞出来て、知らず感嘆の息が漏れただろう。
     お団子とお大福を広げゆまは瞳を細める。龍之介が甘味を口に含めば、上品な優しさが口中に広がる。
     麗しく咲く眼前の花は、美人の代名詞のひとつ。
     こんな風になれたらいいのになぁ――なんて、ゆまが胸裏で囁いた声は光に淡く溶けていく。
     過去に思いを馳せつつ、花を見て季節を識り、花に魅せられて時間を忘れてしまう。
     足取り確かに、揺蕩っていく。
    「今も昔も、こうやってお花は季節を知って咲くのでしょうね」
    「確かに、なんだか不思議な時間に迷い込んだみたいな気分ですね」
     互いに同伴への感謝を紡ぎながら、もう少しここでのんびりしようか。
     白妙の裾から昇る菊に牡丹。着物をリメイクしたワンピースは可憐ながらも気品を立ち昇らせる。編み込みお団子髪を留める白と淡い緑の小花のバレッタはつまみ細工。
     どちらも友達や幼馴染から贈られた、大切なもの。
     それらを携え巡る庭園は昨年まで訪れたものとは趣が異なる気がする。色鮮やかなのに淑やかで優美な佇まいは和ならでは、希沙はカメラを掲げつつ、鹿威しが齎す静謐な空気に浸っていた。
    「ひゃー振袖すごいお似合いですっ、綺麗!」
    「そっちこそアレンジしてるのね、センス良くて羨ましい……!」
     お誕生日おめでとございます! と告げられたなら、鞠花の笑顔も咲き綻ぶ。
    「お嫌いでなければ、こちらを」
     希沙が差し出したのは牡丹を模った落雁だ。先輩の佳き日を彩ってくれますようにと寿ぎを贈れば、感激に娘の瞳が潤む。
    「あの……写真、一緒に撮ってもええでしょか」
     なんて望まれたなら、鞠花が歓声上げて肩を並べる。
     石畳に伸びるおひさま色の影ふたつを枠に収めて。
     一緒にまみえた思い出を、切り取り残せますように。

    ●明王紅
     保が庭園に馴染むようにと選んだのは、若草色の羽織の下に錆利休の縞の長着。対して悠は黒地に白桜の花弁散らした着物に、濃紺の袴を合わせた。
     互いに趣と動き易さを兼ね備えた装いだ。悠の優雅な出で立ちに、自然と保の眦が緩む。
     紅の華鳳に白の国華。彩豊かな牡丹を、椅子に座りながら眺める。こんな庭園の楽しみ方ももう三度目。来る度に新鮮な出逢いがあるのが面白い。
    「洋風の庭園もええけど……ボクは、こういうお庭、落ち着いてしまうなぁ」
    「ゆーはうずうずするかの? あれも、これも、との」
     総て、儚きもの故に。ひとつひとつを満喫し尽くそう。
    「二度と還りえぬ其の一瞬に咲き燃ゆる命の煌めきを、焼き付け、刻みたいと思うのじゃ」
     君と二人で、の。
     赤い視線が和らげば、灰の瞳もゆるり細められる。
    「そやね……折々の、美しいものを、いつまでも心に映してたいね」
     記憶を重ねたら、幾重にも宝物が増えてゆく。
     風呂敷包みを広げたなら桜餅とお団子がお目見え。お抹茶も添えて二人で味わおう。
    「そう、お花見といえば、これですやろ」
    「流石じゃの、保! もう少しで花よりも先にゆーが散ってしまうところじゃった!」
     一緒に食べようと元気な声が春風に乗る。
     麗らかな日に、今年も記憶を綴ろう。
     茶房で長閑に過ごす、二人の影。
     着物姿で歩む最中に侑二郎が照れくさそうにはにかむ。
    「こうして先輩と並んでいると、恋人らしく見えますかね?」
    「そう見えてて欲しいところね」
     可愛らしいと胸中で囁きながら、葛城・百花がほうじ茶を手に乗せる。野点傘の下、持参したシュークリーム片手に過ごそうと――したところで、侑二郎が手にした携帯からシャッター音が響く。
     和の庭園で過ごす彼女があまりにも絵になったから、と。
    「……ばれました?」
    「絵になるって……お婆ちゃんみたいって事?」
     声色だけ不機嫌そうに言ってみたなら、からかわれていると気づけないまま声が跳ねる。
    「違うんですよ先輩、そういう意味じゃなくて!」
     先輩の写真無いなって思って。記念ですから。言い訳めいた言葉ばかりが並んでしまう。
     ――綺麗だなって、言いたかったんですよ。
     胸裏で淡く想いが萌す。
    「許して欲しいなら、そうね。……はい、あーん」
     と言いながら葛城がシュークリームを差し出した。深く考えず、でも照れが頬に上っている侑二郎の顔を、仕返しとばかりに携帯で拝借。
    「これも記念の1枚って事よね?」
    「って、今撮りましたね!?」
     ああ、今。
     絶対緩みきった顔していたに違いない。
    「……振袖も似合いますね」
    「わ! 烏芥君に言ってもらえると自信ついちゃう」
     今日も素敵ねと鞠花が示す通り、烏芥は雪桜の羽織に袖を通している。その傍らには人形の烏子が牡丹の振袖を纏っており、双方季節に合わせた典雅な装いだ。
     ちなみに鴻崎・翔(高校生殺人鬼・dn0006)は繧繝染の正絹糸で編んだ眼鏡紐を付けている。
     揃って小径を歩む最中、丁度曲がり角で咲き零れる小手毬と白牡丹に出逢う。
     それは初めて庭園を訪れた年に知った娘が好きな花。無意識に目に留まる。
    「御生誕と御成人の祝言と、に」
     烏芥が取り出したのは漆細工の杖先に小手毬咲む簪。
    「……鞠花君の髪色と映える様、作りました」
    「すごいな、綺麗な細工だ」
    「きゃー本当! 勿体ないくらい」
     それは不慣れながらも初めての贈物。今まで贈り物を渡せず申し訳無いと睫毛を伏せるも、当の二人は揃って首を横に振った。
     幸多き門出を、祈る。
    「……是非、御二方へお茶を御馳走させて下さい」
     後に、茶請にと披露された揺籃手製の春彩る練り切りに歓声が上がった事だろう。
     墨色に柄入りの着流し。御伽が歩く度涼やかな風が吹き抜ける。
    「今があるってのが、こんなに特別な事だとは思わなかった」
     呟きが緑に吸われる。
     その前に翔にも鞠花にも届いて、各々が大切に噛みしめる。闇堕ちを経て『日常』が当たり前ではないと知ったのだ。
    「小鳥居や翔は将来の夢とか、あんの?」
     緋色の牡丹が花弁を揺らす。御伽が眺めながら何の気なしに囁いた。
    「あたしはジャーナリストになりたいのよね。翔は?」
    「俺は、……考えた事がなかった」
     翔は噛みしめながら本音を告げる。野乃は? と問いを返したなら、彼は瞳を細めた。
    「俺はどうなるか分かんねぇけど、一応教師目指してんだ」
     似合わないような気がする――そう可笑しそうに笑うけれど、翔も鞠花も腑に落ちたような表情をしている。
    「いいかも。野乃君なら友達にも慕われてるし根は真面目っぽいし」
     そういえば同学年ねと鞠花が口の端を上げる。互いの未来へ向けて、背を押せたらきっといい。
    「ま、未来のことなんて分かんねーけどさ。今は前向いて歩いてくしかねぇよな」
     春風が牡丹を撫でて、彼方へと霞んでいく。
     どんなに迷っても、立ち止まることは出来ないのだと、知っている。

    ●紫禁城
     和日傘片手にそぞろ歩き。
     木賊色の縞柄の着物に紅色の牡丹柄の帯が映える。千波耶の心が浮き立つのは、今が絢爛の花の季節だから。日差しは麗らか。淑やかな風が牡丹の葉を鳴らしていく。牡丹は百花の王というだけあり、とりどりの王様が研を競って壮麗なことこの上ない。紅、ピンク、白。そして。
     佇むは所謂黄冠という種類の牡丹だ。
    「あれ、黄色? 初めて見た」
     覗き込む影がもうひとつ。鼠色に露草柄の袷に絣の角帯を合わせた葉だ。彼女から贈られたアラン模様のシナモン色マフラーが靡いている。
     園路を辿っているのか、牡丹を追っているのかも綯い交ぜになっていく最中、和日傘だけが鮮やかに視界に映り込む。
     庭園に溢れる春の息吹を存分に身体に満たす道さながらに、葉の表情はやや翳り気味。
     同じ花を眺めようとしていても、傘に遮られ彼女が見えないのだ。
     一方の千波耶も、池の水面が花を映して綺麗よと知らせようとして、傘を僅かに傾げ――ちょっと、邪魔かもと思い至る。
    「――あ、相合傘、する?」
     照れが滲む声燈し、傘を彼に合わせて高く持ち上げる。背伸びしたら、ちょうど二人のかたちが傘の下に収まるだろうか。
     折角二人でいるなら顔が見ていたい。叶う限り、近くで寄り添いたいと願うから。
     考えていたのは、同じ事。
    「言うのおせーよ」
     淡い笑みを噛みながら、差し掛ける手から傘を取り上げ距離を無くそう。
     ――これで牡丹のかんばせもよく見える。
     翡翠色の簪が陽光を弾ききらめく。
     愛はカメラを携え、牡丹の花弁を辿る。少女は多重の花のほうを好んでいた。
     ――あの人はいつも、毎年、こうしてお庭を見ていたのね。
    「あのね、翔くん。鞠花さんと写真を撮ってほしいの」
    「? 携帯で撮ればいいのかな?」
    「ううん、撮影じゃなくて」
     あなたと、鞠花さんの写真を、あたしが撮るのよ。
     静かで明確な意思を持った言葉を、ゆっくりと噛みしめる。
    「あの人が戻ってきたときに、今年はこんなお庭だったのよって見せるために」
     翔と鞠花は顔を見合わせて、何かを汲み取ったようだ。快く了承し牡丹を背にカメラが向けられるのを待つ。
     ハッピーバースデー。
     今は闇の向こう側にいる。
     あなたたちを好きな、彼のために。

     瑞音の髪に、仙が触れる。飾られたのは摘み細工の紅牡丹のコームだ。
    「白い髪色に映えて良く似合うよ」
    「ふふ、可愛い。嬉しい! ありがと仙先輩……!」
    「ミズネに赤は似合うねー」
     悠歩は藍に月と桜が描かれた夜桜扇子を閃かせる。仙は細い組紐で緩く髪を結ぶ常のスタイルだ。センも付けないの? と水を向けられつつ、いやでも可愛いのは似合わないからと葛藤があった模様。
     宇治煎茶を片手に三人並んで庭園を散策する。和の空気を楽しみながら、気に入った景色をあちこち写真に収めよう。それというのも、
    「後でパズルにする写真だから、見栄えよく撮りたい、ね。でも、どこを撮っても綺麗で良い感じ……!」
    「この辺は難易度高そうじゃない?」
     難易度別に分けてみようと後の楽しみも考えながら、幾重にも咲く豪奢な一輪を見つけて視線を交わした。
     途中でふと足を止め、悠歩は水面が陽光で輝く瞬間を見定める。現と虚の牡丹を共にレンズで捉えて切り取ったなら――。
    「うむ、自信作」
     これもきっといい出来になるに違いない。牡丹の好みもそれぞれで、八重咲き、千重咲き、万重咲きと名を挙げる。ぽってり丸いのが好きなんて話題も行き交う。
     純粋に牡丹を鑑賞し、パズルに想いを馳せ、散策して、撮った写真を見せ合って。何重にも楽しんだ気分だ。
     それもきっと、一緒に過ごす人達のおかげ。
     最後に記念撮影と洒落込むも、悠歩が一足飛びにシャッターを切る。瑞音が驚いて声を跳ねさせ、仙が手招いた。
    「って、撮るの早いの、茜先輩!」
    「折角だから茜さんも入ろうよ」
    「じゃ、皆で一緒に撮って貰おう」
     春爛漫に輝く世界の中で、三人三様の笑顔を掲げよう。

     好き日の記念に。
     芳しくも愛おしい、花がすぐそこに咲いている。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2017年4月21日
    難度:簡単
    参加:24人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 0
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