背理のヒヤシンス

    作者:夕狩こあら

     春の朧月夜も白ませる赫灼を視る。
    「…………」
     否、今しがた社を飲み干した焔と同じ色を挿した炯眼は黒布に覆われ、超絶たる高熱を肌に得るのみか――蓋し少女の佳顔に表情は無い。
     轟と爆ぜる古木が僅かに抵抗を見せ、木片を飛ばして白皙を裂くが、幼気で柔らかな頬に滴る血もまた焔。
    「…………」
     焼け崩れる梁を払う金の大鎌は、燻んで錆を纏い、樋に誂えた時計は既に何も刻まぬ。
     其を揮っては引き摺るのは、己と過去への破壊願望か――括る鎖は自戒を示し。
    「…………」
     総てが渾沌、全てが背理(パラドックス)。
     猛炎に包まれる少女は、その細指に緋炎を紡いで花を――己が誕生花・ヒヤシンスを模るも、新たな焔に灼いて、踏み潰して、幾度も自責を繰り返す。
     紅脣は語らず、花瞼は見ず。
     唯だ黄昏に似た緋の炎だけは饒舌に叫んで。
    「…………」
     吼える様に燃える火勢は、両唇を擦り抜けた子守歌を隠して、少女ごと飲み込んだ――。

    「外見と雰囲気が随分変わってるんスけど、多分に、これが……」
    「――時生という事か」
     言葉を濁す日下部・ノビル(三下エクスブレイン・dn0220)に代わり、教室に集まった灼滅者が言い切る。どうやら覚悟は彼等が上だ。
    「……そっす。生家の神社に向かう道すがら、寂れた神社を燃やしては、灰を踏み敷いて彷徨うイフリート……・それが時生の姉御っす」
     己に価値を見出せぬ緋の炎は、決して自らを名乗らぬが、背反する闇人格をノビルは便宜上『パラドックス』とした上で説明を続けた。
    「闇堕ち直後から、パラドックスは浅草にある生家の神社を目指していたみたいなんスけど、時生の姉御の凄まじい抵抗によって、目的地に辿り着けず彷徨っていたんスね」
     凄まじい抵抗。
     それは『誰かを護るべき己が、誰かを害するくらいなら自害する』という時生の強い意思だ。
    「……形態はどうであれ、生きているという事は、つまり」
    「人に手を掛けていないって事っすよね」
     多くの場合、闇堕ちと同時に理性を失うのが炎獣の性。その殺戮欲、破壊衝動に抗う事は容易ではないが、それを半年も続けているとならば、精神は――。
    「時生……」
     多くの者が拳を握り込めて沈黙する。
     彼女の孤独な戦いを知ると同時、残された時間もまた限りなく絞られている事を痛感する彼等は、ノビルに更なる説明を求めた。
    「パラドックスが12歳程度の少女に姿を模しているのは、丁度その頃、時生の姉御が両親を失っていて……これが少なからず影響していると思うんス」
     幼き時生をイフリートから庇って命を落としたという両親。
     彼女は深い感謝と誇りを抱いて生きていたが、今回の闇堕ちで『生きて偉業を成せなければ、己の命に価値など無い』という過去の強迫観念が蘇り、増幅してしまっている。
    「スチームパンクのドレス姿も、和装が主体の自身に対する否定であり、懐古主義や過去改変を望む心が現れているのかと……」
     一切を語らぬ代わり、その姿に心を視る事は出来る――とノビルは言った。
    「パラドックスは、ファイアブラッドに類する攻撃技に加えて、手の大鎌と、あちこち焼け焦げた洋装の一部を延伸させ、圧倒的破壊力で此方の布陣を蹂躙して来るッス」
     戦闘時のポジションはクラッシャーだが、背理する心が楯となるべくディフェンダーに移る時がある。この時こそが攻略の鍵だと、ノビルは語気を強くした。
    「パラドックスは無口で無表情ながら、耳は閉していないんで、声は必ず届くッス!」
     昏い緋炎に真っ向から立ち向かい、『生きて欲しい理由』を示せる者が居るなら……彼女が戻って来る可能性はあろう。
     逆に、と続ける翠瞳は漸う震えて、
    「姉御はもう半年もの間、内なる背理と闘っているッス。今回の救出の機を逃せば、闇人格に完全に淘汰されて、助ける事は……二度と……ううう」
     声を詰まらせるノビルに対し、灼滅者達は肩を叩いて、
    「ノビル、泣くな。男だろ!」
    「うええええ」
     必ずや彼女を学園に連れ戻して見せる――。
     その凛然は力なきエクスブレインを勇気付け、
    「……ご武運を!」
     瞼を袖に擦ったノビルは、敬礼を捧げて灼滅者の背を見送った。


    参加者
    万事・錠(ハートロッカー・d01615)
    桜倉・南守(忘却の鞘苦楽・d02146)
    楯縫・梗花(なもなきもの・d02901)
    城守・千波耶(裏腹ラプンツェル・d07563)
    青和・イチ(藍色夜灯・d08927)
    北条・葉月(独鮫将を屠りし者・d19495)
    白星・夜奈(星探すヂェーヴァチカ・d25044)
    羽二重・まり花(恋待ち夜雀・d33326)

    ■リプレイ


     今宵の赫焉は花嵐。
     業と唸る烈火は神なき社を焼き尽くし、境内を覆う花屑を灰燼と帰す。
     猛き焔の咆吼を掠めるベルスーズ(子守歌)は、杳々たる彼岸へと旋律を繋ぐか、
    『…………』
     否。
     儚き揺籃歌は、どこか懐かしい気配に触れて――途切れた。
    「こないな処におったんか……もう、心配させおってからに……」
     焼け焦げた爪先を僅かに動かし、羽二重・まり花(恋待ち夜雀・d33326)の声を聞く。
     白磁の指が弾く三味線「艶歌高吟」の音色も、その独特の語り口も、追憶の彼方へ遣るには早かろう。
     灼熱を潜る春燈――白星・夜奈(星探すヂェーヴァチカ・d25044)の星彩を宿す青瞳も、モノクロームの記憶に色を挿し、
    「ずっと、待ってた。声がきけない、笑顔が見れない、トキオがいなくなって、さびしかった」
     何故だろう、その光は黒布越しにも伝わって。
     之に身構えた少女がやや後退れば、青和・イチ(藍色夜灯・d08927)はぽつぽつと慈雨の如く言の葉を降らせて、
    「時生先輩、帰りましょう。音楽が、先輩を待ってる」
     優しい声――と時を止めたのも一瞬の事。
     幼き背理は、ふるふる、とかぶりを振った。
    『…………』
     少女が頑なに肯んじぬのは、生家にも辿り着けず、彷徨うばかりの価値なき己に、帰る場所などないと思うからか――炎に擦り切れた靴底を見る城守・千波耶(裏腹ラプンツェル・d07563)は、燻る想いにそっと寄り添い、
    「わたし達もトッキーが見つからなくて随分と気を揉んだけど、その間、ずっと一人で戦っていたのよね」
     心の襞に触れられた少女は、今度は強く首を振って大鎌を構えた。

     ――やめて。なんにもしらないくせに。

     須臾。
     繊月の刃が疾り、一同を薙ぎ払う。
    「!」
    「、ッ」
     禍き波動が押し寄せれば、双対を為す飛燕が駆り、
    「時生が向き合わなくちゃなんねぇモンを、お前が燃やしてカタ付けるべきじゃねェよ」
    「自己否定も、強迫観念も。お前が抱えるジレンマ、全部ひっくり返して連れ戻す!」
     艶のあるハスキーボイス。
     清亮たるテノール。
     共に覚えがあろう。
     万事・錠(ハートロッカー・d01615)が鮮血を代償に【Notenschrift】を衝き入れれば、北条・葉月(独鮫将を屠りし者・d19495)は【Cassiopeia】の爆轟に金糸の髪を梳り、それを戦いの濫觴と受け取った一同が、即座に戦陣を整える。
    「槇南はメディックへ。俺達は負の効果を調整しながら、向こうの高火力を躓かせる」
    「南守先輩、時生先輩を灼滅するの?」
     三七式歩兵銃『桜火』の銃床を脇に挟み、掌底で槓桿を起こす桜倉・南守(忘却の鞘苦楽・d02146)に本気を見たマキノが緊張を走らせる中、彼はハンチングの鍔に指を添え、
    「俺の知る東郷は、いつも気風が良くて明るくて……両親を失っていた事も知らなかった」
    「先輩……」
     瞼を伏せて幾許、再び持ち上がった桜色の瞳は炯然と、
    「でも知ったからには、闇に飲まさせやしない」
     圧倒的焦熱に照準を絞る。
     彼の卓抜の腕に固き信を置く楯縫・梗花(なもなきもの・d02901)は、従容と頷いて『こゝろ』伍式を構え、
    「行きは十八人、帰りは十九人。誰一人倒れぬよう守り抜いて見せるよ」
     と、その背に控える凛然――サポートメンバーを流し目に見遣った。
     其を合図と受け取った呉羽・律希は、子供に呼びかけるよう柔らかく声を掛け、
    「ねぇ、時生ちゃん。声が届くなら、見えてなくても私達の姿、思い出せるでしょう?」
     前方で屹立する迅・正流(斬影輝神・d02428)が、帯の鎧を受け取って守壁と成る。
    「両親を奪われた痛みと苦しみと後悔……自分もよく解るからこそ、生を尊びたいのです」
     ファイアブラッドたる業を知るは嶌森・イコも同じか、彼女は久しく翹望した再会に、きゅ、と手を握り込め、
    「もう大丈夫、独りじゃありません、長く孤独な戦いに、仲間が馳せ参じたのですから」
     と、我が身を楯と差し出す。
     堅牢が暗紅の焔を囲めば、一・葉は絶影の機動に熱を裂き、
    「おいこらトッキー。お前帰り道と一緒にけもの成分も忘れてきちゃったの? ないわー」
     言は淡然たる儘、斬撃は冴然と肉迫した。

     ――じゃましないで!

     語らぬ洋人形が拒絶の炎を放つ。
     饒舌な紅炎は悪魔の舌と伸び出るや、猛牙となり鋭爪となり、殺戮獣たる狂暴を創痍と刻むが――、
    「……時生の痛みに比べれば、これくらい」
     仲間達は灼けつく空気を肺腑に吸い込み、嚥下した。


     全員が携えた光源は、朧夜も屠る炎の照映を前に、別なる意味を示したろう。
    「先輩の焔の他に、灯があるって、分かりますか」
    「灯の数、声の数だけ、貴女を想う仲間がいる」
     イチと千波耶が炎の海嘯を聖風に遮れば、錠と葉月は次手を凄撃に楔打ちつつ、
    「俺等の絆の灯を絶やさねェように」
    「帰り道の灯となるように」
     と、昏き緋炎を光に導く。
     孤児院時代より互いを理解し合う南守と梗花は、攻守一体、刃撃を断ち、
    「誰かを傷付けるのが怖いなら、安心しなよ」
    「その焔が他者を害する前に、自身を灼く前に、止めてみせるよ」
     格上を相手に堂々たる立ち回り。
     一同が感情の絆を結び、均整の取れた布陣で臨む――その周到も然る事ながら、内在する背理によってポジションを変える相手に、状況に応じた戦陣を組む機知も剴切。
    「ここできばらな、時生はんは戻って来まへん!」
    「トキオ、みんなの声を、きいて」
     鉾が楯と替わる瞬間に主人格を視るまり花と夜奈は、其々が語る『生きて欲しい理由』を届けんと緋炎を縛し、
    「時生さんがいてくれたら、明るい未来が信じられる……みんなで、笑って、生きていける……!」
     私が生きていてほしいのだと、釣鐘・まりが叫ぶ想いはシンプルだからこそ強い。
     この一度限りのチャンスに手を伸ばす懸命に、北南・朋恵はこっくりと頷いて、
    「時生さんがこのままだと、傷つく人がいっぱいいます。あたしは今よりもっと傷つきます」
    「……朋ちゃん」
     少女の死を見るより先に護り出た時生が堕ちた――その経緯を知るマキノが、癒しを紡ぎ続ける可憐の揺曳に両唇を引き結ぶ。
     大好きだからこそ生を祈り、彼女の居ない世界で待ち続けた。
     その痛みを知る若宮・想希は、呼気さえ焼く焦熱の中で言を繋ぎ、
    「ねぇ、時生さん。大切な人に生きてほしい理由なんて必要ですか?」
     あなたとあなたの大切な人が無事でよかった――時生の率直な言葉に倖福を得た自身の想いを奉げる。
     黙せる人形はその悉くを猛炎に払うが、イコは白銀に煌く炎を合わせ、
    「先輩の大切な方々を、先輩のお心を、お護りするわ。それこそがわたしの矜持だから」
    『…………』
     炎の角逐が踵を踏み込ませた。
     この瞬間、夜奈は洋絃【桜兎】を弾き、
    「はじめてトキオの歌をきいた時、言葉に、表しきれないほどの、感情がうまれたの。
     音楽がステキだってこと、トキオに教わったのよ」
     小さな指はたどたどしくも、時生の『踏歌萌芽』を奏でた。
     春を告ぐ音色は佳声を連れて響き――、

     ――囃せ囃せ 御伽草子。
     ――現世は泡沫。
     ――死んで花実が咲くものか。
     ――生きて結ぼう 東藤。
     ――継いで語らん 踏歌萌芽。

    (「――なつかしいうたが、きこえる……」)
     少女の鼓膜が震えた瞬間、まり花は珠玉の声を馥郁と、千波耶はメゾでスモーキーな歌声に旋律を支え。
    「覚えてはる? 時生はんとうちらで作った歌やで。思い出すんや! あんさんの音楽を!」
     届け。
    「自分を許すのが一番難しいって理解る。でもトッキーが許せない『自分』も、わたしは好き」
     届け。
     滲む想いに共鳴した「けいおん」のメンバーは、更に声を重ね、
    「時生自身が歌い出せるように、優しくリードしてェよな」
     錠は柔くハスキーな歌声に世界を広げて、
    「一昨年の学園祭だっけ、息の合ったセッションが出来た時があったじゃん。あの瞬間、ライブやってよかったと思えたんだ」
     葉月は嘗ての昂揚を胸に、強く強く歌い上げた。
    「……なんて綺麗なコーラス」
     マキノが周囲を見れば、美しきメロディに耳を寄せ、口吟む者も多い。
     南守は込み上がる郷愁に睫を伏せ、
    「……東郷、また魅せてくれよ。お前と皆の歌が作る素晴らしいステージを!」
     客席から見た輝き、その中心に居た姿を思い起して拳を握る。
     律希は誇らしげに頬笑んで、
    「私、楽しみにしてるのよ。時生ちゃんがステージで歌う姿、すんごいかっこいいんだから!」
     届け、届けと、声を止めず。
     彼女の音楽は、神鳳・勇弥もまた深く胸に刻んでおり、
    「二年前の音楽喫茶での演奏、まだ耳に残っている。時に切なく、時に魂の叫びの様なピアノの音色が」
     これからも聞かせて欲しい、と願う彼の言葉に、皆々が首肯を重ねた。
     その手に【踏歌萌芽】を掴むイチは、歌詞を幾度も反芻し、
    「先輩、『生きて結ぼう』って、歌ってた……その状態で、生きてる? 好きな花は、咲く?」
     彼女に代わって生を訴える。

     ――死んで花実が咲くものか。
     ――生きて結ぼう 東藤。

     時生自身が奏でた歌に、詩に、生きる意味を見出す正流は焔を払い、
    「闇に堕ちる事こそご両親の、朋の思いを無にする行為。偉業など関係ありません……」
     葉は間断を許さぬ冴撃に、守りに入らざるを得ぬよう追い込んだ。
    「選べよ『東郷・時生』。死にたいってんなら今すぐ息の根止めてやる。生きる(歌う)ってんなら、目覚ましパンチくれてやんよ」
     軍庭に満つ歌声も。
     降り注ぐ声も。
     或いは激痛に染む創痍さえ。
     全てを惜しみなく差し出さねば、語らぬ人形の声を引き出せはしなかったろう。

     ――うるさいうるさいうるさい!

    『わたしなんて、しねばいいの!』
     自戒の鎖がじゃらり音を立て、桜脣が叫ぶ。
     感情を強く揺さぶられた背理は、時を刻まぬ大鎌を振り被るが、梗花がその刃撃を真っ向から受け止めた。
    「僕に言ってくれた言葉を、そのまま返すよ。――『これで終わりで、本当にいいの?』」
     嘗て彼女に闇堕ちから救われた彼は、熱のある言葉を掛けた貰った事に感謝している。
     何かを成す為、守る為、己を奮い立たせる生き方に近しきを覚える彼は、ぶんぶんとかぶりを振る少女に頬笑み、
    「今度は、僕の番で、時生さんの番……だよ」
     迸る血汐をも高熱に灼かせた。


    『じゃましないで!』
     スイッチングの間隔が狭められ、一同が焔の揺らぎを感じ取る。
     少女が自覚せぬ焦燥は、その攻撃を更に烈々とさせたが、感情をぶつける度に綻ぶ鎖や、血を浴びる毎に身を重くするスチームパンクのドレスが、何を示すかは分かるまい。
     幼気な少女が再び楯と据わる――その瞬間を見極めた千波耶は、ふわり懐に迫り、
    『――!』
    「わたし達が見えるわね?」
     瞳を覆う黒布を暴き、光を――多くの者が集まる現実(いま)を見せた。
     彼女は肌に焼く焦熱に眉一つ歪めぬ処か、双眸を細めて、
    「トッキーだって十二歳の頃には出来なかった事も、今なら出来る。生きて偉業を成すなら、帰ってこなくちゃいけないわ」
    『いや! かえして!』
     強い反駁を見せた少女が胸を叩かんとすれば、痛みを代わった錠が痩躯を抱き留め。
    「久々に見る光って、少し怖いもんな……俺もそうだったよ」
     涙も焔に蒸発させたか、泣き腫らした瞳を覆い隠す。
     共に炎獄の楔を断って堕ちた彼は、自らも視た深淵に瞼を落し、
    「あの日から二人揃って迷子だ、今度こそ帰ろうぜ」
    『――』
     少女の指先にチリ、と痛みが走ったのは、その抱擁に亡き両親を思い起したからか――我が身を包む優しさに、揺れて、震えて。
    『……かえるところなんてないもの』
     突き放せぬ、故に、逃げる。
     炎の波濤に距離を隔てた背理は、咄嗟に緋の炯眼を遮るも、
    「目を開け、声を聴け、現実から目を逸らすな!」
    『、っ』
    「お前は強い。半年も一人で戦っていた事が証明している。価値のない命なんてない!」
     葉月の真向きな視線が、青く透き通る瞳が退行を許さない。
     彼は掴んだ両腕の細きにも、芯のある強さを感じつつ、
    「偉業なんて成せないって、何で決めつける? 仲間と一緒ならすぐ手が届くのに!」
     仲間――其は両親を失った彼女が、自ら結んだ絆だと訴えた。
     ここに南守は紐帯の一条と踏み出て、
    「御両親が繋いでくれた命の持つ可能性を、自ら終わらせるなんて悲しい事しないでくれ」
     親の記憶は無く、我が身を引き取った義理の親とも不仲な彼だが、継がれゆく命の重みを知る身は、彼女の自己否定に強く抗う。
    「たとえ偉業じゃなくても、東郷にしか出来ない事を成す為に生きてくれよ!」
     その姿を見せてくれ、と咽喉を枯らす親友に、梗花はそっと頷いて、
    「いっぱい笑って、いっぱいお喋りして。そういった時間に意味があったから、僕は救われた」
     年齢では年下の彼女に、お姉さんのような頼もしさを感じるのは、姿を変えた今も同じ。
     その眼差しはまるで宥める様に、
    「時生さんはね、色々な魂を救って、守ってるんだよ」
     時生が最も忌むであろう『他者を害する力』を手折った。
    『! いやよ、いや!』
     地に横たわる大鎌の鈍い音に耳を塞いだ少女は、我が身も飲まんと炎を迸らせるが、紅焔火粉と散る狂熱は、斬魔刀が、肉球が、杖が制し、
    『ああ、ああ!』
     くろ丸、りんず、ジェードゥシカ。
     大切な人の魂の欠片、その鼓動が。
     記憶を、感情を掻き立てる。
    「ここで『東郷・時生』を、その音楽を終わらせてまうなんて、うちが許さへん」
     まり花は己が魂を震わせた音楽と存在を取り戻すべく綺譚を紡ぎ、
    「あんさんとは、もっともっとやりたい事があるんや!」
     もっと、もっと!
     彼女の渇仰に呼応したイチと夜奈が、ひとつ、またひとつと、想いを綴る。
    「僕達は……まだ終わらせたくない、あなたを失くしたくないと、此処に来ました」
     灼罪の光条が鎖を解けば、赫々と燃える毛先は元の濡烏と鎮まり、
    「あなたがどんなに否定しても、関係ない。トキオの全部が、だいすきよ」
     瑠璃色のブーツより疾る炎が背理の焔を打ち消せば、黄昏の空に似た緋の瞳に、懐かしき常盤色が広がってくる。
    「……先輩、もうすぐ学祭。そろそろ帰ろう」
    「おねがい、帰ってきて」
     雨滴の如く染む言は、轟と渦巻く赫炎を凪と化して――久しき安寧に眠らせた。


     睫を震わせ。
     払暁を視る。
    「お帰り、東郷!」
    「時生先輩、おかえりなさい!」
    「ずっと、ずっと待っていたの……!」
     光の波濤に目覚めた時生は、その眩さに漸う瞳を細め、安堵の声をシャワーと浴びた。
     久方に見る仲間の笑顔は温かく、柔かく、
    「トキオ、戻ってきてくれて、ありがと」
    「夜奈」
     白雪の花顔に感情が水面と映される――その愛らしきが視界いっぱいに飛び込めば、
    「良かった……ほんまに良かった……これで『けいおん』の皆が元通りになったんや……」
    「まり花も」
     凄艶の渡り雀も繕いはせぬか、涙声で無事を噛み締める。
     涙声どころか、朋恵は頬に大粒を伝わせ、
    「おかえりなさい、です……と、ごめんなさいです……」
     ずっと胸元に留めていた花簪に、不変の情を込めて渡した。
     それは謝罪を示す紫のヒヤシンスでは(時生の性格からして)怒られるだろうと思っての贈り物。
     錠は、時生の闇堕ちに責任を感じていた少女の頭をぽん、と撫でて、
    「卒業祝いをしたら、学園祭の準備を始めよう」
     馬鹿騒ぎが俺等を待ってる――と口角を持ち上げる。
     その爛漫な笑顔に千波耶も続いて、
    「そうね、軽音部は初夏に向けてやる事がいっぱい!」
     誰かの誕生日祝いだってある、と指折り『TO DO』を数えた。
     特に学園祭ライブと聞けば、華やぐ者も多かろう。
     マキノは「勿論、私も」と頷いて、
    「武蔵坂には貴方達の声を待ってる人が大勢いるわ」
     一同の帰りを待つ弟分の涙と鼻水を思い出して頬笑んだ。
    「また最高のセッション、出来るといいな!」
     葉月が瑰麗の微笑を零して時生の合流を喜べば、イチは淡然と言を添えて、
    「あと……学祭で、先輩がドラム、叩かなかったら……錠先輩、死ぬと思う」
    「ん、確かに」
     囲む輪が笑声を繋ぐ。
     その瞬間が何より心地良かった。

     ――ああ、なつかしい。

     懐かしい声。懐かしい笑顔。
    「みんな……ありがとう」
     時生がふんわり綻べば、梗花もまたふんわり咲って、
    「生きてくれて、よかった。悲しみを乗り越えてくれて、よかった。
     だから、これからも……っていうのは、酷かな?」
     酷か――。
     之には南守が朗笑を添えて答え、
    「酷と思えば、皆がこうして飛んでくるさ!」
     なんて頼もしい科白。
    「ああ、そうだな」
    「もちろんです!」
     直ぐに是を添える仲間達も清々しく、
    「これからも君の演奏を聞かせてほしい。またカフェで創作珈琲もご馳走させてほしい」
    「またピアノ弾いて下さい、……ね。時生さん……」
     勇弥とまりは、『生きて結ぶ』事を選んでくれた命に未来の約束を願い出る。
    「……ええ」
     力強く頷いた清冽に時生らしさを見た想希は、
    「……待ちぼうけはもう、嫌ですから」
     と、次の季節に見られるであろう彼女の美しき姿に、漸う微笑んだ。

     ――今宵の赫灼は花嵐。
     蓋し桜は花弁を散らして尚輝き、
     猛き息吹は萌ゆる緑葉に命を【継】いで往くだろう――。

    作者:夕狩こあら 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2017年4月23日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 2
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