古書喫茶『巡逢文庫』

    ●Kafka Shirakaba
     日常はありふれていて、毎日が特別。
     一日一日はいつだって、何処かの誰かにとっての大切な日だと云う。
     人の手から手へと渡り歩いた運命的な古書との出逢いだって――とある誰かの、或いはあなたの一日に『特別』な彩りを添えるのかもしれない。

     本棚から引き抜いた一冊と向き合い、綴られる物語の世界に浸る――。
     そういったひとときを、白椛・花深(大学生エクスブレイン・dn0173)は心から愛していた。
     本を手にしたときの充足感。紙の質感や手触り、香り。
     時代遅れと後ろ指を差されるかもしれないが、本棚に並べたときの存在感、満足感もまた電子書籍では味わえないものだ。
    「前々から気になってた古書喫茶がさ、閉店しちまうみたいでさ」
     その声は普段より幾許かトーンを落として。瞳に滲むのは微かな、寂寞。
    「その店にしか無い不思議な噂がまた魅力的で、いつかは足を運びたいと思ってたんだけどな。今日がその閉店当日で――ちょいと、行ってみようかと思ってんだ」
    「閉店して……その喫茶店にある本たちは、どうなってしまうの?」
     不安げに小さく首を傾げるジョバンナ・レディ(陽だまりトラヴィアータ・dn0216)に対し、花深はヴェールで覆い隠すような淡い笑み浮かべ。
    「あー、心配ご無用な? 売れ残った古書は何処かの図書館に寄付されたり、別の店に売り渡されたり――……。ま、各々また旅立つだけらしい。けど俺としちゃあさ、『一期一会』のラストチャンスを逃したくねーってゆーかさ」
     繁華街の外れにひっそりと佇む、いわゆる隠れ家的な喫茶店。
     扉を開けばカラン、とドアベルが鳴り、中に広がるのは――まるで図書館に座席やカウンターを設置したような、趣あふれる内観。
     暖かな照明に照らされる店内で真っ先に目に入るのは、壁全面に設置された本棚。
     並べられているのはどれもこれも、人々から忘れ去られてなお眠り続ける数多くの古書ばかり。
     その本棚から自分が心惹かれた一冊選び取り、珈琲や紅茶をお供に読書に耽るもよし、気に召したのならば買い取るもよし。
    「店自体はそう、どっちかっつーと『物語』にまつわる本が比較的多めだな。置かれてる本の量もまた膨大だけどな――訪れたお客さんの間ではどういう訳か『自分の過去と通ずる物語』が描かれる古書を偶然選び取ってしまう事が多いんだとさ」
    「――……自分の、過去と?」
    「おうよ。まぁ小耳に挟んだちょっとした噂話だからさ、実際どーなのかは俺も分かんねーけど。……だけどな、本との出逢いってのは『一期一会』だしさ。偶然手に取ったその本は、この機会を逃せば再び出逢うことはないかもしれない――絶版された古書なら、尚の事。けど、」
     ――その古書がお気に入りの一冊になるんなら、その『一期一会』は『運命』に変わらないか?
     なんて、青年は憂う瞳はそのままに笑みを湛えてみせた。

     その古書喫茶は『巡逢文庫(めぐりあいぶんこ)』。
     まるで店自体が書庫そのもののような名。
     ――さあ、ドアベルを鳴らして。あなたが選び取る一冊には何が描かれているだろう?


    ■リプレイ


     ――カラン、と。
     最期の来訪者を迎えるように、古びたドアベルは軽やかな音鳴らし揺れる。

     表紙に収まるセピア色の雪原。
     一冊の写真集を選び取ったメルキューレの心に滲むは、懐旧の念。
     メル、と名を呼ばれ振り返れば、古びた絵本を抱えた瑞樹の姿が。
    『雪の女王』――瑞樹は絵本の題字を指でなぞり、「なんだか、メルを思い出して」と想い溢して笑う。
    「私の雪も欠片も、貴方が溶かしてしまいます。この写真の光景のように」
     共に席に着き、メルキューレもまた微笑み返しては写真集を開く。
     頁を捲るにつれ、写真は冬から春の風景へ遷ろう。
     交わる季節。雪化粧と、芽吹き。
     二人で雪桜の写真を眺めては、
    「……うん、メルの心がもし凍ってしまっても、何度でも溶かすよ」
     射干玉の瞳細め、瑞樹は囁く。愛しい人のその耳朶にだけ、声が届くよう。
    「――ねえメル、帰ったら今度は、この絵本を一緒に読みたいな」
     絵本を抱いてさらに紡がれる瑞樹の声に、メルキューレは雪解けの笑みを湛える。
    「はい、一緒に読みましょう」
     涙よりも、彼の優しい笑顔こそが。
     物語の奇跡のように、この心を溶かしてくれるからーー。

    「白椛さん。もしかして、これもあなたの本ですか?」
     そう訊ねる恵理が差し出したのは、一冊の日記本。
     ーー『5月25日、睦月恵理に誕生日を祝われる。お誕生日おめでとうございます』
     真っ白な頁に綴られた一文。
     虹の橋を渡り、雲の国へ駆け回るーー最初に夢見た魔法を描いた物語に出逢えた、その御礼に。
     花深は驚きと嬉しさに目を大きく瞬かせて。
    「これまた……ロマン溢れる魔法だな。へへ、驚いた」
     けれど祝福はまだこれから、と恵理は微笑み。
     ジョバンナも手招いては、一文の真下にペンを置いて誘うーー。
    「……希によく在る」
     尾を引く珈琲の苦味と共に、優は小さく苦笑を漏らす。
     古書の頁をなぞっては、物語の女性へと小さく語りかける。
    「絶望の果ての願い……貴女のその想いは受け継ぎ、そして果たし続けます。それが自分の在る意味だから」
     想い馳せるは己の過去。目的の為ならば何だってする。
     然れど今、自分自身を賭けないのはーー護るだけ、救うだけじゃ意味が無いと優自身が識っているからこそ。
     絶望の果てにある筈の、幸せを願う。我知らず、古書を抱きしめた。

     読み手に想いや思考の中の世界を伝えたいという強い衝動ーー本の一冊一冊に、『熱』を感じると。
     熱心に語る勇弥へ、さくらえは目を細めて。
    「とりさんにとっての本は熱と想いと思考の世界って事? ……って、違うか」
     それこそ言葉で表現するには余りある、と苦笑すれば、
    「余りあるから惹かれるんだよ」
     照れ笑い漏らし、勇弥は閉じた本の表紙を撫でて。
     そうして本棚へ視線巡らせ、さくらえがふと選び取ったのは赤い古書。
     ーー鏡合わせの世界に在る、少年と少女の物語。
     思い浮かべるは、嘗て喪った愛しい片割れ。
     そっと頁を開き序章に触れ、願うはハッピーエンド。
    「とりさん、その子達お持ち帰りするんでしょ?」
    「勿論、こうして巡り合えたんだ。さくらのも、良い出逢いになるといいな」
     対する勇弥の手元には、二冊の書物。
     桜舞う下、言葉を交わし合う少年達の物語ーー懐かしげに、笑み浮かべては。

     孤独な男が、旅をする物語。
     ふと本を選び取った南守はそれを広げようとして、逡巡。
     この男は幸せになるのか。結末に不安を憶え、棚に戻す。
     一方の九里はと云えば、端の座席で茶と菓子を広げて。
     さァ、とさっそく手を合わせた、その直後、
    「いやせめて本を持って来いよ!」
     後ろから聴こえた声に九里が振り返れば、其処には厭になる程よく似た顔の青年。
     そのまま腕を引っ張られ、連れ出されたのは本棚の前。
     適当に伸ばした九里の手に「あ!」と声を上げる南守。
     指先宛てがわれたその背表紙は、先程自分が選ぼうとした――。
    「……なら此方にします」
     怪訝な視線を彼へ向けたのち、選び直した九里は再び元の座席へ。
     途中、擦れ違った花深へ九里は軽く会釈を、次いで南守が今日の祝いと兄弟の愛想無しを詫びてから後を追う。
     一方の青二才は二人を見送ってはひらりと手を振り――選び取られた本の表紙をちら、と見留めては目を細める。
     其処に描かれた絵は――二つの、人影。

     きょろきょろ。結奈は忙しなく古書の海を行ったり来たり。
     茨は一歩後ろから、彼女の様子を微笑ましく見守って。
     好奇心に輝く結奈の瞳は、自分の背より高く仕舞われた臙脂色の背表紙に夢中。
     指差して「茨センパイ取ってー」とお願いし、茨が手に取り開けば――、
    「うおお……なんだこれ。ぱっと見禍々しいけど、中身は穏やかな童話のような……」
     なんと全部の頁が真っ赤。そして白く浮き出た文字が綴るのは、

     ――わすれないで。ママはいつもあなたといっしょよ。

     少女が憶えた内緒の魔法。
     努力の甲斐あり、その日から彼女は独りではなくなった……と。
     紡がれる物語は茨に心当たりはなく、ふと結奈の顔を見やれば、
    「……ハッピーエンドみたいで良かったッ」
     顔を上げた結奈は、茨の青い眼差しと目が合うや否や明るく花笑む。
    「ん、結奈が幸せならオレも嬉しい」
     鮮烈な赤色は気になれど、追求せず微笑み返して。
     茨は更に一緒に幸せを味わうべく、座席のメニュー表を広げてみせた。

     頁を捲る度、サズヤの胸はずきりと痛む。
     背負った罪。贖う術を探し求める少年――それは己の過去と重なって。
    「……償えるだろうか」
     ぽつり、毀れた独白。
     サズヤの声を拾ったみかんは、まあるい瞳を向けて。
    「ねえ、サズさんの本はどんなおはなし、なの?」
     まず「私のは……」と物語を広げる。
     主人公は女の子。いつか巡り会う奇跡の為、笑顔で過ごす――希望ある物語。
     私も笑顔で過ごせているかしら、と問うみかんに対し、サズヤはこくりと首肯く。
    「えっと、どんな物語でもおしまいは、きっとハッピーエンドになるって、前に教えてもらった方があるのよ」
     だからきっと、と続く前に、みかんは首を横に振る。
     絶対、その本の子もしあわせになるに違いない、と。
     サズヤの手をぎゅっと握る。
    『もしも明日が雨ならば』――空には美しい虹が、きっとかかるから。
    「必ず、ハッピーエンドに……そうか、ん」
     出逢った頃と変わらぬ、本当の笑顔を向けてくれる彼女へ頷き、その手を握り返し。
     続く言葉は――ありがとう。

     郷愁誘う古書の匂いと珈琲の香りが心安らぐ。
     壁一面に並ぶ本の中から、想々の指先が抜き取ったのは――白薔薇の蕾が描かれた、美しい古書。
     頁を捲る。脚に傷を重ねても尚、愛を探して歩み続ける娘の物語。
    「……幸せに、なれるかな」
     未だ過去には早すぎると哀しげに笑う想々へ、
    「結末は、きっとハッピーエンドだと思いますよ。だって私の目の前にいる女の子は、とても素敵な人ですもの」
     シルキーは小さく微笑み、迷いなく告げる。
     幾ら回り道をしても、最後は絶対に愛される筈、と。
     その言葉に確かな信を置いて頷き、想々は彼女が選んだ本を訊ねる。
     シルキーの古書は、煌びやかな表紙。
     寂しい少女が努力を重ね、大女優の夢を果たすまでを描いた物語。
    「素敵……。きっと! ううん、絶対そうなります。貴方は努力を忘れない人だから」
    「ふふ、有難うございます。貴女が最初のファンに成ってくれて嬉しいわ」
     きっとこの夢、叶えますね――柔和に細めたシルキーの瞳には、まばゆい星を宿して。

     通じ合えた初恋は終わりを告げ、新たな恋に踏み出せずにいた少女。
     けれど次第に、隣で寄り添う青年へと想いを寄せてゆく、恋のお話。
     頁を捲る手を止められず、蒼空は見入る。少女は、自分。
     ならば、その青年は――?
     深隼もまた、活字を追っては眼前の少女を意識し出す。
     紡がれるは冒険譚。恋に破れ、恋愛を恐れていた青年が冒険を重ねて心を解していく物語。
     結末はハッピーエンド。冒険を共にした少女と、共に歩んでいく。
    「……どうでしたか?」
     互いに赤らむ頬。声を掛けたのは蒼空から。
    「ああ……蒼空ちゃん、どんな話やったん?」
     我ながら取り繕うように、深隼は赤らんだ頬誤魔化すように顔逸らしては。
    「少女漫画……みたいでしたよ」
    「へぇ、少女漫画? 俺のは冒険譚みたいなやつ」
     通じ合う物語もまた、一期一会の巡り逢い。
     どちらからともなく、交換しよう、と。互いの心重なる物語を、差し出した。


    「ね、イコちゃん! 凄いですよ。此処……宝島です!」
     声抑えながらも、壁一面の書棚をくるり、と見渡す依子。
     彼女の手招きに導かれたイコは、心浮き立つ依子の愛くるしさを密かに心へ仕舞って。
     細い指先遊ばせ、書棚巡る。
     イコにとって本は幼い頃から友であり、先生であり――世界を識る、大切な扉。
     一方、背表紙追う依子もまた一冊を選び取る。
     仄かに煤けた色調の絵本。頁開くと、そこに広がるは冒険譚。
     眩しい人になりたい怪獣と、心通わせた仔犬が奔走する――。
     嗚呼、と小さく声漏らし、依子は大事そう絵本を抱える。
     それを見留めたイコは「お宝あとで拝見しても?」と、笑み湛えて訊ねて。
     そうして、彼女もまた不意に抜き取った本を目の当たりにし――綺羅星の瞳が、大きく瞬いた。
    「これ、とうさまの……」
     異国の街を廻った穹の数々は紛れもない、絶版された筈の、父の寫眞集。
     人の手から手への旅の果てに、こうして巡り逢えるとは。
     ――刻が止まろうとも息衝く、古書達の旅立ちに心より想いを馳せて。

     古書のインクと紙の香りに惹かれながら、壱とみをきもまた巡り逢い求めて指先彷徨う。
     想いのまま、みをきは眠れる書物に手を伸ばす。
     薄紫に褪せた装丁、擦り切れた背表紙。直感で解し、胸に抱く。

     ――あぁ、此れはきっと全てを取り戻した俺が読む過去だ。

     一方、壱が抜き出した古書は他と比べて些か薄めの一冊。
     主人公は男。死に場所を求め、美しい景色や優しい人々と出逢う旅の日々。
     最期は年老いて、沢山の花々や家族に囲まれた幸せな終焉を迎える。
     優しい挿絵をじぃ、と覗き込むは露草色の双眸。
    「ねえ、みをき」
     傍に寄る彼へ、壱は本を開いたまま微笑みかけて。
    「俺は誰にも知られないまま、いつか世界からいなくなると思ってたけど……今はこういう未来がくるかもって、まんざらでもないんだよ」
     そう語る壱の手に、みをきはそっと己の掌を重ねては。

    「えぇ。物語より幸せにならなければ」
     過去は胸に、未来はこの手に――共に、新たな幸せの物語を、紡ぐ為。

    (「……わたし、このお話知ってる?」)
     既視感憶えて指を止め、ひよりは翡翠の瞳を大きく瞬かせた。
     ――この物語に、王子様は出てこない。
     然れど幼い頃の自分は、剣を振るい戦うこの凛然としたお姫様に憧れた。
     美しくて、気高くて。自分の足で地に立ち、民を護る……。
     紅茶の水面が鏡みたく、ひよりのかんばせを映し出す。
    (「あの頃の自分が、素敵だって思うような――そんな女性になれたかな」)
     ううん、と首を横に振る。もっともっと、素敵な女性になりたいと。
     本を閉じ、ぎゅっと胸に抱き留める。
     これは、わたしのお守り。

     川を渡りたいさそりくんは、
     共に渡ろうとしたかえるくんを、毒尾で刺してしまった。
     それが自分の性だと、かなしそうに言った――。

     蛙の背を刺し、共に沈む蠍の望みは。
     寓話集は此処で終わっていたが、錠は席を立つことなく――葉へ自嘲滲ませた笑み浮かべ。
    「こいつら、なんだかんだ向こう岸に辿り付いてそうだよな」
     本音を晒せば怖いモン無し。
     その後の蠍はしょっちゅう理由をつけて、蛙とつるんでるに違いない。
     ――大柄な男が熱心に寓話を読み耽る姿が何処となくシュールではあれど。
     そう語る相棒の瞳は、まるでレモンスカッシュの気泡みたく弾けてきらめいて。
     続き手繰る様は普段の騒がしさと違う、無邪気な子供のよう。
     灰色の眸眇め、葉はぽつりと零す。
    「……それ気に入ったなら、買い取っちまえば?」
     ――過去に通ずるものならば、その先はお前が綴ればいい、と。
     葉の問いかけに、錠はからりと笑み返し。寓話集を、脇に抱えて。
    「共有の本棚が在ったら、お前もいつでも読めるよな?」

     カウンター席の端。運ばれた珈琲を一口含み、ニコは古書の頁を開く。
     ――理想と、現実。
     その大きな乖離に苦しみながらも、己を貫かんとする若者。
    (「……ああ、此の手の題材は何時の世にも尽きなかったのだな」)
     一人、静かに苦笑してはさらに頁を手繰る。
     然れどこれは長編の物語。此処で読み切ることは叶わぬからこそ、連れて帰ろうととニコは決める。
     それに、この『若者』の迎える結末もまた楽しみだ――ニコ自身、己の先行きに未だ光が視えぬからこそ。

    「花深くん、お誕生日おめでとさん!」
    「おー、夜音! ありがとさんだぜ。俺も晴れて成人だ!」
     えへへ、ちょっとの間お揃いさん――と夜音が嬉しそうにへんにゃり笑み湛えたなら、
    「ちょっとのあいだ――……え、っ!?」
     驚きに瞬く青二才。妹みたいに思ってたからこそ尚の事たまげた。
     得意げにふふりと微笑み、夜音が贈るは幸せ運ぶクローバーの栞。有難く受け取り、そっと懐へ。
    「夜音は、良い本見つかったか?」
    「僕? 僕はねぇ……」
     両手に抱える、細かい装飾施した白表紙。
     物語の主人公は、一枚の葉。風に遊ばれ、季節を巡って、陽の光浴びて色づいてゆく――。
    「きっと、幸せさんだった。物語の最期に、冬が訪れたとしても」
     物語の最終章――小さな葉の行く末を識るは、彼女の柘榴の眸のみ。

    「花深、お誕生日おめでとう。良ければ、共に過ごして貰えない?」
    「時生……! 遅くなっちまったけど、無事で良かった」
     久方振りに逢えた時生の姿に、花深は「おかえり」と続けて喜び湛える。
     ぎゅ、と強く握る古書の表紙に描かれるは、鍵しっぽの黒猫。恐らく、これが花深の『運命の一冊』なのだろう。
     時生の抱える古書は、家族を奪われた少女の仇討ち物語だった。
     嘗てなら、憤りながら読んでいたことだろう。けれど、闇から救われた今は違う。
    「私は、皆と生きていきたい。ずっとずっと――もう、恐れない」
     闇を越えた先、皆に逢えることが何よりも尊く大切だからこそ。

     題字を見ず、直感で選び取った古書を手に。
     カウンター席に腰掛けた紗夜は、ぱらりぱらりと頁を捲る。
     紅い眸細め、紗夜が想い馳せるは物語に描かれた雛鳥へ。
    (「ふふ、この雛鳥はまるで昔の僕だなぁ……」)
     親鳥から被せられた殻を捨て、自由を得て一人歩きしたその先。
     何が在るかは、誰にも解らないけれど。
     未だ見ぬ未来は、自分で切り拓いて行け、と。
     ソトを求めた籠鳥は、自らの翼で羽ばたいて未だ見ぬ世界へ。

     よぉ花深、と学友たる御伽の声。
     祝いの言葉は「あんがとな、御伽」と嬉しそうに笑って受け取るも、青二才が抱く本に描かれた黒猫の瞳は何処か寂しげ。
     学友と別れ、御伽が本棚から抜き出した一冊。
     大切なものを喪い、孤独を抱え――それでも歩みを止めぬ少年を描いた物語。
     最終章はハッピーエンドか――夢見るには、余りに大人になり過ぎた。
     然れどそれは灼滅者として身を投じる現実にも当てはまる。
     ――此の人生の結末は、幸か不幸か。
     本を閉じ、目を伏せて……結末の余韻に暫し浸って。

     机上に置かれたシナモンラテは二つ。
     甘やかな香りと共に、烏芥は人形の烏子と読み耽るは白雪の和書。
     梯の最上階に眠っていた物語の、目醒め。
     表紙を先ず開いたなら、其処に広がるは真白な雪世界。
     儚くも流麗な文字を指でなぞれば――、
     心をなくした人形師と、命をなくした人形師。
     いのちを宿した人形と、こころを宿した人形。
     皆が暮らす、有り触れた優しい日常が紡がれていて。
     彼等の小さな幸せに触れては、烏芥は夕の瞳を伏せて故郷に想い馳せ――。

     テーブル席にて、幾つもの本を揃えて物語に耽る三人の姿が。
     迷いなく先に到着した銘子は、本を積み上げブラックコーヒーに舌鼓。
    「てか、めーこさん早いな、ちゃんと選んでんの?」
    「ちゃんと読んだら時間かかるじゃない。目次と相性とカンよ」
     明莉の茶化しに、銘子はくすりと余裕の笑みを湛えて再び本を開く。
     すると、彼女の捲る手がふと止まる。或る洋書のペン画の挿絵だ。
     廃遊園地の幽霊屋敷の年老いた主とホログラムのメイド。それに、日本人形に数名の男女。
     銘子は小さく苦笑漏らして洋書を閉じ、連れ帰る本の山へと積み。
     一方の明莉の傍らには、戦国武将の書簡集。
     今も昔も人は変わらぬと、書状を開いて読みながら、
    「椎那は何の本持ってきたんだ?」
    「え、私の本ですか?」
     にこにこ。常の笑みを湛えて椎那が見せたのは或る少女の冒険譚。
     近所のお爺さんの家に在ったという、思い出の物語。
     満月の窓開き、魔法の箒に跨る少女が幾つもの冒険へと旅立って――。
    「このお話、未完なんですよね。……私、書いてみたいです」
     ぎゅっと、古書を抱きしめて椎那は紡ぐ。きっと、今なら書ける筈だから。
     彼女の昔話に耳を傾けては、明莉がふと手にした古書は日記のような物語。
     或る誰かの、平凡な日々。自分もまた、苦しく楽しい当たり前を綴っていけたら――と。

    作者:貴志まほろば 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2017年6月10日
    難度:簡単
    参加:34人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 9/キャラが大事にされていた 2
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