殺愛ドレッサーズ

    作者:中川沙智

    ●cut
     その迷宮はクローゼットに由来しているらしい。
     だが天鵞絨のカーテンは、贅を凝らしたより様々な服飾品が収納されていると明らかにする。天井に光るはクリスタルのシャンデリア、床の絨毯は足音を吸い込み静けさを生む。
     ハンガーに掛かっているのは色とりどりのプリーツマキシワンピースに、シルエットが美しいアンティークレースシャツ。傍らではストールが何本も彩を競い、靴の入った箱が積まれている。
     スポットライトの下、集う影は四つ。
    「んー、血反吐吐かせたけどあんまり綺麗な赤じゃないなあ」
     血痕だらけのジーパンを履いている少年が、至極残念そうな面持ちでため息を吐く。
     四人の少年少女に囲まれて息絶えていたのは――迷宮の主であった不死王。苦悶に表情を歪めたままで、今まさに命の灯火を消されたのだと知れる。
    「ホントね、マスミ。水晶が主体となってる種族だって言うから期待したのに、砕いたってスパンコールの代わりにもならないわ」
    「確かにレイの言うとおりだ。これだけ鈍い輝きしか持たないんじゃ、オレ達の服を飾るには値しないな」
     血色のワンピースを着た少女に声をかけた青年は、花のように赤を咲かせたジャケットを翻している。もう一人、何度となく血を踏みしめてきたのだろう紅のブーツを鳴らした少女が進み出る。
    「アズマのお眼鏡に叶うような赤、最近見てないね。……ミク、きれいな赤じゃないなんて、つまらない。訓練じゃなかったら、こんなとこじゃなくてもっと、人間が多い場所でギャクサツ、するのに」
     マスミ、レイ、アズマ、ミク――それぞれ血色に洗練されたファッションに身を包む少年少女は、ままならない訓練に飽いているようだ。もっと鮮やかな赤が欲しい。それが彼らの共通認識だ。
    「ここももう用なしだ。早くいい感じの赤を探しに行かないとね」
     マスミが事切れたノーライフキングの頭蓋を蹴飛ばしたなら、伽藍洞の水晶に鈍い音が響き渡る。

    ●and sew
     暗殺武闘大会決戦で闇堕ちした久遠・翔(悲しい運命に抗う者・d00621)が動いているらしい。
     そう告げた小鳥居・鞠花(大学生エクスブレイン・dn0083)は厳しい表情を湛えている。
    「翔さんはミスター宍戸の計画に協力しているらしいわ。ミスター宍戸プロデュースによって闇堕ちした中高生を引率して、残存するノーライフキングの迷宮の探索訓練を行わせているみたいなの」
     探索を行う中高生は六六六人衆になったばかりだが、サイキック・リベレイターの効果もあり、ノーライフキングの撃破は問題なく成功するらしい。
     彼らが経験を積み成長すれば、有力な敵になるかもしれない。ただでさえ六六六人衆は層が厚いのだ。
    「その前に対処してほしいの。彼らがノーライフキングを撃破して意気揚々と迷宮から出てきたところを奇襲し灼滅して頂戴」
     彼らは完全に油断しているため、最初のターンは奇襲として一方的に攻撃できる状態になるだろう。更に彼らにはノーライフキングの迷宮の戦いでの消耗もあるので、敵の数は多いものの充分に勝機はあるはずだと鞠花は明言する。
    「戦場になるのは迷宮の出口、風景としてはブティックの試着室を大きくしたようなイメージになるかしら。戦闘の障害になるものはないから存分に戦えるわ」
     鞠花は指折り少年少女の特徴を挙げる。誰もが己が服を血で飾ることを歓びとしているらしい。ジーンズを履いたマスミ、ワンピースで装うレイ、ジャケットを羽織るアズマ、ブーツで躍るミク。
     悠々自適に過ごしているマイペースなマスミ。
     粛々と動くお嬢様然としたレイ。
     自信家で兄貴分らしく堂々と振る舞うアズマ。
     やや引っ込み思案でおとなしいミク。
    「それなりに仲のいい友達だと互いに思ってる。すなわち連携もしてくると見ていいでしょうね。もっとも、それと同時に殺戮欲に塗れた連中だから油断は禁物よ」
     その上で、注意すべき点が更にひとつ。
     鞠花は慎重に言葉を紐解く。
    「戦闘が長引いた場合、引率者である『久遠・翔』さんが救援に現れる可能性があるわ。彼は強力な六六六人衆よ、救援されたら勝ち目がないわ」
     幸い、翔は灼滅者の撃破よりも新人の回収を優先する。無理に戦わずに撤退すれば危険は無いだろう。
    「翔さんの救援が来る前に、可能ならば全滅……それが不可能でも出来るだけ多くの六六六人衆を灼滅できるように作戦を考えてね。脅威は減らすに越したことはないわ」
     新人で更に消耗しているとはいえ、強力なダークネスである六六六人衆が四体も揃っている。戦闘の難易度は非常に高い。油断は禁物だろう。
    「新人六六六人衆は、闇堕ちしたばかりだから説得して救出する事も不可能じゃない……けど、元の人間性が六六六人衆に近いから説得は非常に厳しいと思ってね」
     まずはすべき事がある。
     集まった灼滅者の顔を見渡して、鞠花は力強く激励する。
    「行ってらっしゃい、頼んだわよ!」


    参加者
    雨咲・ひより(フラワリー・d00252)
    奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)
    橘名・九里(喪失の太刀花・d02006)
    皆守・幸太郎(カゲロウ・d02095)
    詩夜・華月(蒼花護る紅血華・d03148)
    森田・供助(月桂杖・d03292)
    三蔵・渚緒(天つ凪風・d17115)
    茶倉・紫月(影縫い・d35017)

    ■リプレイ

    ●jeans
     何枚もの衣服が整頓され波打つ迷宮。
     ブティックの試着室を大きくしたような迷宮の入り口は、丈の長いカーテンで幾重にも仕切られている。
     その合間に身を潜めて、灼滅者達は六六六人衆の少年少女を待った。クローゼットに由来している迷宮は優美で典雅だ。なのにどことなく迷宮全体に陰湿な気配を感じるのは、殺戮の無残さ故か。
    「……来たな」
     茶倉・紫月(影縫い・d35017)が緋色の双眸を細める。全く警戒していないのだろう、近づいてくる足音は軽やかだ。影は四つ。
    「訓練じゃなかったら、こんなとこじゃなくてもっと、人間が多い場所でギャクサツ、するのに」
     鈴の音の如く転がる声はミクのもの。赤いブーツが試着室の中央を踏んだ、その瞬間。
     灼滅者達が一斉に飛び出して包囲する。
    「なっ――!?」
     四人の六六六人衆は動揺のあまり戦闘配置に就くことはおろか身構えることさえ出来ていない。様子を眺めていた三蔵・渚緒(天つ凪風・d17115)は眉を顰める。その隙を突き狙いを定め集中攻撃をすると決めていた。
     目指すは血色のワンピース。
     皆守・幸太郎(カゲロウ・d02095)が馳せる。鈍色のパイクを翳して生み出すは妖気の氷柱、真直ぐにレイの肩を打ち据えた。躊躇いはない。救出の目が極僅かながら存在するとは聞いたが、性根が変わらなければ何度助けても変わらない。
    「『冠を被っても猿は猿』とはよく言ったものだ」
     蝋燭から炎の花を飛ばした紫月に続いて、地を蹴ったのは詩夜・華月(蒼花護る紅血華・d03148)だ。
    「遊びのように人を殺すのは楽しかった?」
     ――そう、じゃあ自分が殺されるのも当然受け入れているわね。
     螺旋の捻りで氷結した肩口を穿ったなら、体重を乗せ更に傷を押し広げていく。
     六六六人衆らもワンピースの娘が集中攻撃を食らっていることに気づいただろうが、既に遅い。今は戦闘ですらない、一方的な奇襲だ。
     攻勢は終わらない。
    「貴方がたの血は果たして、どの様な色なのでしょうかね。僕に見せて下さいませ」
     橘名・九里(喪失の太刀花・d02006)が異形化した巨腕を唸らせる。凄まじい膂力で殴打を見舞ったなら宿るのは破魔の加護。同じ技を叩き下ろした渚緒の瞳には、この時点で大きく体力を損なった赤い衣の少女が映る。
     血の赤を欲しがる彼らの即物的な態度に、吐いたため息は深い。
    「赤がほしけりゃ、コッチヘどうぞ。割りと血気は盛んだぞ?」
     三本目の鬼腕の持ち主は森田・供助(月桂杖・d03292)だ。気を吐いて大きく振りかぶったならば、勢いに乗せて拳を突き出した。
     レイの口から、かは、と乾いた息が漏れる。
     雨咲・ひより(フラワリー・d00252)と奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)が視線を錯綜させる。次手からは流石に冷静な判断力を取り戻すだろうから、今が好機。理解している。
     睫毛を伏せて、ビハインドの揺籃と共に烏芥が疾走する。揃いの沫雪の着物が翻る。殲術道具に影宿して叩きつけた箇所に、霊気帯びた一撃も届いて内側から砕いていく。
     常なら回復に回るひよりも、炎戴く聖樹の杖を敵に突きつける。相手は自分より子どもだから正直ちょっと戦いづらい。でも。
    「戯れのように誰かを傷つけ殺めるならば……倒さなくてはいけない、と思うの」
     決意を乗せて、悪しきを滅ぼす裁きの光条を放つ。光彩が二重に響き渡り、その衝撃からかレイは膝をつく。
    「灼滅者ごときが……!」
     前に進み出たのは少年二人。ジーパンとジャケットで判別はつく、マスミとアズマだ。体力を根こそぎ奪われたと言っても過言ではないレイにミクが寄り添う。
     だがここで攻撃の手を緩めるわけもない。
     戦いは、これからだ。

    ●dress
     敵の撃破順について意識を統一していたのが大きかった。
     初手以降も漏らさず攻撃を重ねた。攻めに傾けた、速攻を踏まえた布陣だった。アズマが庇い立てして護っていたが目まぐるしく変わる戦局では限界がある。ただでさえ彼奴らは迷宮において癒しきれぬ傷を負っていたのだから。
     目論見通りレイが倒れ伏す。
    「ぐ、う……っ……!」
     紅い霧が黒く滲む。そして飛散し、真っ白い蝶だけがその場に残った。六六六人衆らは戦慄いて悲嘆の叫びを上げる。
    「お前ら、よくもレイを!!」
    「何ほざいてやがる」
     供助が言い捨てながら手を伸べれば、前列に浄化を齎す優しき風が吹き抜ける。
    「そもそも他人の彩使って、自分たちの服を飾るには値しないとかどんだけ上目線」
     睨み合う。臆さずに、目は逸らさずに。
    「逆に……命刈って、其の赤で飾る程の値があるのか。今のお前ら」
    「そうよ。遊びのように人を殺すのは楽しかった?」
     風の残り香纏い、引き出すは大地に眠りし有形無形の『畏れ』。華月は一歩踏み込んでマスミへ鬼気迫る斬撃を放つ。寸でのところで回避されるも、大きく身体を捩らせたその隙は誰も見落とさない。
     無言は肯定。
     そう、じゃあ。
    「自分が殺されるのも当然受け入れているわよね」
     言葉を合図に叩き込まれる、一閃。幸太郎だ。素早く背後を取り穿たれたそれは足の腱を削る。
    「くっそ……!」
     たまらず足取りを鈍らせながらも、マスミはジーンズから赤い刃を現出させ蹴り上げる。
     しかし間一髪、それは幸太郎に届かない。渚緒が間に滑り込んで盾になる。その威力は誇張なしに凄まじいもの、防具ごと刻む一撃に受け止めた腕が重く軋む。
    「今回復を……!」
     ひよりは天使の歌声を紡ぎながら、その間も視線を少年達に注いでいた。彼らの纏う血の色は、目を覆いたくなるような赤。
     まるで闇そのものを見せつけられているかのようだ。それは自身の中に潜むものでもある。とても恐ろしいもの。
     中高生、つまり自分達と大して年の頃は変わらない。
     互いを隔てる境界は一体どこにあるのだろう。
     灼滅者達と対称的に、ミクが治癒の力をマスミに注ぐ。流石に初手以外は事前の話通りそこそこ連携した上で行動してくる。厄介ですねと九里は眼鏡を押し上げながら呟いた。
     青年は帯を操り疾走させる。すかさず前に出たのはアズマ、役割分担を的確に行われているというのはそれだけで敵を強固にするものだ。
    「多少は庇われても気にせず、攻撃手の彼を叩きましょう」
     九里の声に紫月が頷く。先の攻撃の威力から鑑みるに、マスミを野放しにするのは危険すぎる。隙を突くべく緩やかに口を開いた。
    「今は仲良しこよししててもな、そのうちお前らお互いの腹探り合って殺りあうんだろ」
     未熟だから、いずれ序列奪い合いで殺りあう事になるというのが頭にないのだろう。その紫月の推察は恐らく正しい。
    「そんなことあるわけないだろ!!」
     アズマが激高した狭間を狙い、紫月は脇を縫ってマスミに肉薄する。下段の構えから斬り上げたなら、少年からも血飛沫が舞った。もっとも求めているかは別問題だが。
     憂い戴く視線向け、烏芥が影で作った触手を放出する。ジーンズの彼を絡めとりながらも、確り機会を窺っていた。真珠の帯留が泪のようにきらめく。
     ――昔皆でやんちゃしましたね、なんて。
     今日がいつか、旨い肴の昔話になるといい。
    「……少々、宜しいですか」
     まだ届くのなら人としても最後まで対峙したい。彼らに語り掛けたいと願った烏芥と渚緒が進み出る。闇からまだ戻れる道があるとして、その道を選ばせる事は本当に出来ないのだろうか。
     そんな感慨を汲み取ったのか、殲術道具を向けた仲間達が一歩間をあけた。
    「血を幾ら重ねても綺麗な赤にはなりはしないし、友達同士ずっと一緒にはいられないって分かってる?」
     渚緒は彼らに向き直った。
     静寂が落ちる。

    ●jacket
    「何、言ってんの」
     マスミが傷を押さえながら言い捨てる。怪訝な面持ちを向けられて尚、渚緒は声を紡ぎ続けようとする。
    「まだ戻れる道がある。このままでは君も含めて本当に共倒れだよ」
     紫月と供助は説得を遮らない。戻る事を望むなら。だが、この時間を仇で返されないように注視は怠らなかった。
    「ずっと友達同士でいれば心強いだろう。でも六六六人衆である限り、待っているのは一人の未来だ。好きな服の話も誰とも出来なくなるんだよ」
     序列を争い互いに殺し合い続ける六六六人衆。末路は言わずとも知れている。こうして肩を並べて佇む事すら許されない。僅かに、ミクの視線が揺らぐ。
     こちら側へ留めたい、その気持ちは嘘ではなかったのだ。
    「……本心から殺傷を良しと考えますか」
     烏芥が更に一歩踏み出す。眉を顰める六六六人衆らを悲しげに見つめながら。
    「己の手を血で染める事ではありません。貴方の隣の友が殺戮者の血に溺れてゆく姿を……本当に後悔しませんか」
     一緒に溺れる事は救いにはならない。繋ぎ留められるのは今しか無い。
    「……共に帰りましょう。此れから如何したら良いか、一緒に考えて行きませんか」
     再び落ちる、沈黙。
     打ち破ったのはアズマだ。
    「何調子こいたこと言ってんだよ」
     剣呑な気配を肌で感じた灼滅者達は殲術道具を構える。
    「ダチ殺しておいて何言ってんだよ!!」
     烏芥と渚緒が視線をかち合わせる。そして気づく。既に自分達はレイにとどめを刺している。仲間を殺しておいて説得も何もない、との想いを突きつけられた心地がした。説得を狙うならせめて殺さず弱らせるだけに留めておけばよかったのかもしれない。
     そして殺戮欲の否定ではなく、服飾への興味を肯定的に引き出すことが出来ていれば、あるいは。
    「……状況が違えば、助けられたのかな」
     ひよりの胸裏で様々な気持ちが廻る。しかし闇を選んだのは彼らであり、その彼らを倒す事を選んだのは、自分なのだ。
     だから、ごめんなさいなんて言わない。
    「彼らの命が尽きるその瞬間まで、目を逸らさないよ」
     そのための力を皆に注ごう。前衛に黄色標識を掲げて耐性を付与していく。全員に漏れなくとは叶わなかったが、立ち向かう力を失わないように。
     服を血で染めるのはベトベトしそうだし、乾燥したら固くなりそうだ。
    「俺は遠慮したいところだ」
     背に力を受けた紫月が影を振るう。マスミを大きく飲み込み覆い、心的外傷を発現させる。何を想起させるかはわからないが、表情を歪ませたマスミが苦悶している。
     攻勢は続く。灼滅者達に迷いはない。感じ取る何かをも決して捨てず、抱えたままで尚、前に進もうと決めている。敵の攻撃も相当だがこちらとて負けてはいられない。幾巡かを越えながらも一進一退といった風情なのは、少年らがやはり腐っても六六六人衆だからなのだろう。
     供助は染物を学んでいる美大生だ。服の本質は表面的な美しさではなく、人の中身を最も表現できるものという認識を確かに胸に掲げている。その想いを紡ぎ、渚緒と重ね合わせて紫月を包む帯の鎧を構築する。特に前に立つ仲間は攻撃手の猛攻に晒され続けていたが、ひよりを始めとした回復役の尽力もあり、戦線は維持できている。
     その支援に応えねばなるまい。幸太郎は残された三人に改めて向き直る。嫌悪に、微量の憐憫が綯い交ぜになる。
    「お前達は違う物を身に付けるべきだった。そんな力じゃなく、もっと違う何かを」
     攻撃の機は逃さない。狙い澄ませて、先に付与した氷結が苛む箇所を狙う。死角から叩き斬ったなら更に凍った疵が罅割れる。
     華月が進み出て螺旋突きを鳩尾に穿とうとしたところで、仲間の同じ技で二重に傷が捩じ開けられる。九里だ。
    「おっと此れは失敬……如何です、此処は僕に御譲り頂くと言うのは」
     敵前ながら互いに不敵な笑みが浮かぶ。
    「冗談じゃないわ。欲しけりゃ力ずくで奪いなさい」
    「ならば遠慮無く」
     体重を乗せて更に抉ったならば、背に槍の穂先が覗いた。血が噴く。
     戦局の天秤が傾く。
    「ぐ、は」
     致命傷を与えたと、手応えで理解する。氷の花が散る。
    「くそッ……! アズマ、ミク……!」
     紅い霧が飛び散り影を落とす。
     純白の蝶だけが、血の香りの中でも翅を震わせる。

    ●boots
     揺籃は消滅を余儀なくされた。誰もが肩で大きく息をしている。誰も致命的な深手を負うことなく立ち続けているのが奇跡のようだ。
     それでも尚削る。削る。
    「このッ!」
     アズマは鋭い剣筋から冴えた衝撃を放つ。前衛陣への加護が破られるが、それでも足は止まらない。
    「この桜は人を喰ってるから異様に紅いぞ」
     気に入るかは別だが――紫月が語る怪談は死人桜。赤く染まるそれに執着されたアズマはとうとう膝をつく。ミクと同程度に削れていると見ていい。
     送るなら共に。
    「御仲間だけを逝かせるのはつれない話。友ならば、どうぞ冥府まで御一緒に」
     血を蹴りながら、九里は目配せを華月に送る。華月も唇の端を上げた。まるで与えた打撃の数を競うように。
    「仲良く御休みなさいませ」
    「お前たちの流す血で、赤く染まりながら、ね」
     狙いは癒し手の娘。だが守り手の少年が庇うのも見越している。命中精度を高めた帯の射出に続き、妖気の氷柱が大きく首許に穴を開ける。
    「鮮やかな赤が、好きっていうが。そいつが一番鮮やかなんは、生きて巡ってる間だろ」
     望むなら、此方だろうが。
     呟かずにいられなかった。
    「見失ってんなよ、其れを」
     供助が攻めに転じる。カミの力を降ろし風を招き、渦巻くそれで斬り裂いた。ジャケットが新たな赤に染まる。
     それを支えようとするミクに向け、幸太郎が目を眇めた。
    「探していた『鮮やかな赤』はどうやら自分自身の血だったようだな」
     己が『スリープ』の先端を鋭い刃に変える。揮ったならば少女の心の臓を真っ直ぐに穿ち、ブーツの周囲を血だまりで満たした。
    「まるで『青い鳥』の結末だ。まぁ今のお前らは赤い雛鳥ってとこかね」
     すぐ傍にあるもの、それは。
     渚緒は噛みしめるように囁く。もしも救えないのだとしても。
    「……最後までその顔、覚えているよ」
     声は届かなくとも、忘れたりはしない。
    「あなたたちなんて、きらいよ」
     泣きそうに表情を崩してミクが事切れる。見守るようにアズマも瞼を下ろした。赤い霧が朧に飛散し、白い蝶が四匹揃って弾けて溶けた。後には何も残らない。
     まさに薄氷、あとひとつ歯車が掛け違えば複数名の重傷者が出ていただろう。
     もし『彼』に今出会ったら、苦戦どころか全滅は免れないだろう。こちらも万全の状態ではないとはいえ、結局六六六人衆相手に逃げるのは変わらない。力量差は歴然としている。
    「忌々しい現実だぜ」
    「……ですが、今は帰還を」
     幸太郎が吐き捨てる言葉を、ゆっくり烏芥が引き上げる。そうでなくては彼らを速攻で倒した甲斐もなくなってしまう。
    「蝶々、あの子たちの心だったのかな」
     ひよりは前線で戦い続けた仲間の様子を窺いながらも、小さく零した。このクローゼットに真の意味で静寂が訪れるのを、そっと噛みしめる。

     赤に染まる戦いは終わり。
     まっさらな何かを抱え――灼滅者達は帰途に就く。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2017年6月30日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
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