色彩百花

    作者:高遠しゅん

     武蔵坂学園のエクスブレイン、櫻杜・伊月(大学生エクスブレイン・dn0050)は、夏期休暇中でも開いている学園の、涼しげな何処かにいることが多い。理由は一つ。自宅の空調より学園の方が涼しいからである。今日は静かな学食にいた。
     とりとめもなく何やら手帳やノートに書き付ける。ノートPC等も使用するが、思索をまとめるには自由に書ける紙の方が好みだった。
     ふう、と窓から見える外の日射しに目を細める。一歩外に出たなら、強い日射しと熱波に襲われるのだろう。
     ノートにつらつらと書き付けていた手が、ふと止まる。愛用の万年筆、インクが掠れていた。ペンケースを探るが、買い置きをすっかり切らしていたことを思い出す。
    「次は、どの色にしよう」
     呟いて、ノートPCの電源を入れる。検索をかけたページには、色とりどりの小さなインク瓶が表示されていた。

    「大きな文具店に行こうと思っているんだ」
     万年筆と言っても数百円のものから数十万円を超えるもの、価格帯も様々ある。ペン先の素材や柔らかさ、線幅も幅広い。コンバーターを使えば、様々なカラーインクでの筆記が可能だ。
     万年筆は敷居が高いと思うなら、付けペンやガラスペンを使うといいだろう。繊細なガラス細工のペンは、手にするだけで心躍るものだ。
     伊月はそこで『自分だけの色のインク』を作るらしい。
     作るといっても、多色ある色のテンプレートの中から基本となる色を選び、好みの色に微調整してもらうという気楽なものだ。
    「そう難しいものではないよ。万年筆インクの色といえば黒やブルーブラックが主流だけど、文字は黒で書かなければいけないという決まりは無い。絵を描く者なら、カラフルな方が面白いだろう?」
     ぱらぱらと捲った伊月のノートには、鮮やかな空色や落ち着いた珈琲色、儚げな薔薇色の文字や線が踊っている。
    「よければ一緒に行こう。友人どうし、選び合ったりするのも、楽しいと思うよ」
     パソコンといった機械で文字を打ち込むことが主流となった現代だが、敢えて紙と向き合い上質なペンで思いつくまま字や線を書くひとときも良いものだ。忙しなくスマートフォンの画面の情報を追う時とは違う、ゆったりとした時間が流れるだろう。
     差し出されたパンフレットを受け取る。
    「万年筆は、書けば書くほど自分の手に馴染み、ペン先が書き癖を覚えて育っていくんだ。子供や孫の世代にも伝えられる筆記具だよ。世代を超えるって、浪漫と思わないか」
     ご一緒に、如何ですか?


    ■リプレイ

     一歩店内に足を踏み入れたなら、普段より少しだけ背筋を伸ばしたくなる空間が広がっていた。
     丁寧に磨かれたショーウインドウ、なめらかな天鵞絨の上に寝かされた筆記具と、色とりどりのインク、精緻な細工を施されたインク瓶の数々。華奢な硝子細工のペンは照明にきらきらと輝き別世界のよう。
     集まった学生たちは、それぞれの『宝物』を探し出すため、筆記具の海を泳ぎ始める。


     なんて心が躍る迷路だろう。水燈・紗夜はガラスペンのショーケースの前で、自分だけの捜し物を始める。ガラスペンは以前から買い求めたいと思っていた。素敵な偶然の誘いだった。
    「そうだな、青がいい」
     かの詩人は青という文字を好んで使っていたという。ならば僕も青いペンで、その詩を書写してみたい。見つけたのは、他に比べればシンプルな質感、深海の青に淡い青が螺旋のごとく巻くガラスペン。先端のミルクガラスがアクセントになり、切ないほどの青が柔らかい雰囲気になっている。ならば合わせるインクも青にしよう、深い深い夜の青がいい。紗夜は見つけた宝物をそっと手に取り、目を細めた。
     こんな機会でも無ければ、万年筆を手に取ることも無かっただろう。竜ヶ崎・美繰が選んだのは気軽に使え、初心者にもよく勧められるというドイツ製の万年筆だ。本格的な万年筆で広く使われているという事だが、気取らずカジュアルな樹脂の質感が気に入った。次はインクといきたいところだが、色見本を見ているだけで目眩がする。
    「どうしたもんだべ……」
     紫系、と考えてはみたものの、青紫に赤紫、ほとんど黒に近い紫――途方もない。困り顔の様子に気づいた店員の女性が、購入した万年筆に合わせた日常使いに適した濃紫を提案してくるのに照れながら頷いた。

     『作りたい色は決まっているの』と葉新・百花が見上げれば『奇遇だね、俺も決めてあるんだ』と愛しげなエアン・エルフォードの視線が降りてくる。肩を寄せて二人席に着き、様々あるインクの一つを迷い無く手に取る。
     百花が指先で紡ぐ色は目の覚めるような碧翠、南の国の青空の下輝く澄んだ海のような。蒼と呼ぶには優しく、緑と呼ぶには気高い色を。エアンは淡い薔薇色をベースに、ブラウンを微量ずつ重ね理想の色に近づけていく。隣に座る百花の柔らかい髪の色、優しげなローズブラウンに。
     ふたり手元を覗き込めば、作っている色はお互い分かる。
    「ね、お家に帰ったら絵を描きましょう?」
     百花が微笑み提案したなら、エアンは試し書きの紙に線を描き、満足して頷いた。こんなに大きな文具店だ、スケッチブックも多く揃っている。
    「二人の色で幸せな絵を描こう」
     お互いの色を繋いで、まろやかな幸せの絵を、ふたり一緒に。
     揃いの万年筆を探そうと一・威司と荒谷・耀はショーケースを丁寧に見ていく。
    「大人っぽくて、落ち着いたデザインのが良いと思うけれど」
    「そうだな。クラシックな感じのデザインの方が俺達らしいしな」
     そうして目を留めたのは、いかにも万年筆らしい黒軸にゴールドのラインが入ったもの。光を弾く金のペン先は、かつての文豪が愛したともいわれるクラシカルな形のもの。夫婦茶碗のようにサイズ違いで並んでいるのも気に入った。
     ペンが決まれば次はインク。耀は敢えて黒をベースに、僅かに紫を調色する。傍目には黒インクに見えるけれど、水筆で伸ばしたなら深い紫紺が覗く色だ。この色が黒ではないことは、二人だけの秘密。
     家に帰ったなら、手紙を書こうか。古い時代の秘めた恋人たちのように。

     きらきら輝くインク瓶に、きらきらと紫色の瞳を輝かせ、雨嶺・茅花は色を巡り歩く。対して美術関係は不得手の野乃・御伽は、場の雰囲気に飲まれてしまう。こんなに沢山の色から一つの色を作り出すなんて、高度な魔法か何かだろうか。
    「どんな色作りたい?」
    「いちばん好きないろ」
     瞳を合わせて即答されれば、御伽の覚悟も決まる。一番好きな色、ならば決まっているから。
     ちいさなビーカーにスポイトで色の雫を数え、混ぜて描いてはまた違うインクに手を伸ばす。どの工程も新鮮で、スポイトが触れる硝子の音も鈴の音のよう。
     試作に試作を重ねても、なんだか『これ』ではないような。
    「なぁ茅花さん、こっち向いて」
    「ん」
     御伽が呼べば、きらきらの紫の瞳が見上げてくる。ああ、足りない色はこれだった。茅花もまた、思い描く色に足りない色を見いだした。
     試筆のカードに描く灰紫は、御伽が求めた唯一の色。これ、と見せたなら灰紫の瞳の茅花もまたカードを見せて、きみのいろ、と囁いた。

     万年筆といっても、その種類は星の数ほどあって。手軽に入手できる数百円のものから、果ては美術品相当のものまで数限りない。
     六桁の値札が付いたショーケースに震える息を呑みつつ場所を変え、鹿野・小太郎と篠村・希沙も初めての万年筆を丁寧に試筆して選びだした。心にも手にもお財布にも馴染むものだ。さあ、何色でこのペンを育てていこうか。
    「ふふ、こたろときさやったら、緑とかオレンジが浮かんじゃうね」
     でも今回はちょっと志向を変えてみるの、と希沙は最初から決めていた色を掲げてみせた。
    「……あ!」
     それは優しい空の色。小さな恋を胸から溢れるほどに育て、思い通じたときに一緒に見た思い出の色。彼の故郷に続く色。
     今ここに二人でいられる証の色。
     小太郎が見せたガラス瓶の中にも似た色がある。それはあの日の天の色。差し掛けられた傘の色、鮮やかに蘇る思い出の色。
     空の色と天の色、ふたり初めての想いはこの色と共にある。これから先も、しあわせを二人選んだこの色で描き続けられるように。

     悩んで試して、選んだのは普段使いできる落ち着いたデザインの万年筆。漣・静佳はケースを大切に抱え、インクを光に透かしている櫻杜・伊月に声を掛けた。
    「難しいお顔、ですのね」
    「イメージと色が重ならなくてね。中々に難しいんだ」
     見た目は青で赤を含んでいて緑が――と、何やら壮大な理想を呟く伊月の隣で、静佳もまたインク瓶を手に取った。作るなら深みのある色。日暮れたばかりの星空の青に、ほんの少し遊び心の赤紫を加えたなら。
    「いい色だね」
     試し書きのカードを見て伊月が微笑む。伊月の手元には、青緑に赤が滲む不思議な色があった。
     万年筆もインクの色も、人の心のようだと静佳は思う。紙に落とした色は年月を重ねれば色合いも変わり、移ろいゆく。でも色と色を重ねたなら、幾通りにも深く鮮やかに。
    「伊月さん……お誕生日、おめでとうございます、わ」
     囁く声に、伊月はありがとうと笑みを返した。


     照明にきらきらと涼しげな光を弾かせる、ガラスペンの数々。
     ひゃあ、と息を呑むのは榎・未知。別世界、異空間だと上がるテンション。
    「高級感漂うお洒落空間……!!」
     様々な意匠のガラスペンは見る者を虜にさせる。ガラス工芸の粋を極めた華麗なものから、柄が竹製の手頃なアンティークまで様々ある、これらすべてが手作りというから驚きだ。
     早速ショーケースに張り付いていた未知が、これにしようと指したのはねじり模様、赤から桜のグラデーション。
    「ピンクを使いこなせてこそイケメンなのだ」
     胸を張る未知に、悩んでいたニコ・ベルクシュタインが頷いた。使い続けていけるかは自分次第だが、こうして皆の楽しげな様子を見ていると、自分だけの一品も探したくなる。
     勧められたいつもの赤もいいけれど、たまには別の色もいい。モチーフを思い描き売場を往けば、出会ったのは虹色だ。オーロラのように角度で色を変える透明のペンに、花の意匠のペン置きが揃いとして作られたもの。これが運命、とでもいうのだろうか?
     いやいやいや、落ち着けよ俺。静かだけどテンション高い周りの雰囲気に、流されちゃうのは待とうぜ俺。本当に自分に必要なものかどうか、じっくり自問しようぜ俺。なあ、ペンなんて書ければ充分、書けりゃ充分なんだぞ俺、そんなの沢山持ってるだろ!
    「……あ」
     悶々とした自問の答えが、すとんと胸に落ちる瞬間がある。すらりとしたフォルム、華やかなものに比べればシンプルな、クリアガラスに巻くグレーの螺旋にふらふらと吸い寄せられる鈍・脇差。
    「嬉しそうだな」
     虹色の一対を包んでもらっているニコの言葉に、
    「言うな……!」
     ふるふると財布を出す手が震えている。鈍・脇差、見ていて飽きない男だった。
    「お店全体が、宝石箱みたいっ」
    「ほら見て! 綺麗な薄紫。ユニコーンの角だって」
     溜息をつく久成・杏子と、目の前のペンに心奪われる咬山・千尋。
     そっとケースから出して貰って触れたなら、心地良い重みとガラスの質感。試筆のインクは店員さんの選んだ定番のブルーブラックだ。滑らかな書き心地に、千尋はうっとりと目を細めた。
     その間に杏子が見つけ出したのは、千尋のものより少し小さめの軸、アクアマリンの水色にミルクガラスのペン先、全体が翼を模した羽ペンのようなガラスペン。
    「ねこさんの羽みたいね」
     杏子のウイングキャットは今日はお留守番。その可愛い翼に似ていると千尋が笑う。
    「お手紙、たくさん書きたいの。青いインクがいいな」
    「キョン、千尋」
     インクコーナーから小瓶を抱いた琶咲・輝乃が歩いてくる。
    「買物、済んだの」
    「決めたよ。インクは決まった?」
     輝乃は大切そうに手にした箱を開ける。やや黒みを帯びた赤、趣のある深い色だ。
    「蘇芳色、っていう色」
     このインクを最初に使うペンはどれにしよう、と輝乃は売場を見渡した。赤みの色にはやはり赤系がいいだろうか、それとも何にでも合いそうな無色透明。
     ああ、見つけた。これが一番しっくりくる。深い青に金粉散らした、星空のようなガラスペン。ミルクガラスのペン先から蘇芳色が流れる様は、きっと晴れた日の夕暮れのようだろう。
     今日の買物は、とても綺麗だ。
     ふむ、とショーケースの前で悩むのは神無日・隅也。あまり華麗なものより落ち着いたものの方が使いやすいだろうと、目当てを探してみたものの、数の多さに悩んでしまう。赤、それとも緑、黄色は少し派手だろうか。
    「神無日はこんなん似合いそ」
     隣から指さすのは木元・明莉だ。それにしてもガラスペンすげぇな、と溜息も混ざる。一人だったら選びきれなかったかも知れない。
    「このペンか、ふむ……」
     勧められたペンは、黒のストレートラインを包む透明な軸。隅也が手にしてみれば、最初から自分のために作られたような気がしてくる。心を決めた。
    「あ、木元先輩……うん、ちょっと悩んでて。何色にしよっかなーって」
     栗花落・澪もまた、選びきれなかった一人だ。
     思い返してみたなら、文具店など目的のものを買うだけの場所だったから。こうして皆で立ち寄って、目移りしながら頭を悩ませることなど無かったから。
    「薄桃に乳白色の、とかどう?」
    「可愛いけど、女の子っぽすぎないかな」
     乳白色にぼかすように薄桃色の花が咲くペンは、好みにストライクなのは間違いない。うん、と思い直す。こういう時くらいは、贅沢して好きなものを好きなままに選ぼう。
     そうして二人の心を決めさせた明莉は、おもむろに鞄から手帳を取り出した。思い入れのある小豆色の手帳に差す上質な万年筆が欲しい。
     向かったのは万年筆のコーナー。待っていたかのように目に飛び込んできた、深赤の万年筆を迷わず手に取る。こういうものは直感が決め手となることを知っていた。インクも小豆のような赤が、きっと似合うだろう。
     万年筆の思い出といえば。恩ある人の万年筆にはいつも、黒にも見える深く透明な青のインクが入っていた。さらさらと紙を彩るその色が、とても好きだった。
    「あ、清音さん、その色!」
     隣の高原・清音が椎那・紗里亜に呼ばれて顔を上げた。
    「この……色?」
    「思い出の色に、とてもよく似ていたの」
    「……」
     言葉少なに、清音は作ったインクでカードに描く。波のような文様だ。
    「……光の届かない、深海の……色……」
    「とても素敵です」
    「……あり、がと……」
     お陰で作りたい色が定まった。紗里亜は心に真夏の森の木陰を選ぶ。暖かみのあるマホガニーブラウンと、深みのある青にも黄にも寄らない緑。この二色があれば、優しい文章が書ける気がする。
    「なんだか、格調高い色?」
     ガラスペンの箱を胸に移動してきた千尋が手元を覗き込めば、嬉しそうに微笑んだ。
     さて、と三蔵・渚緒は、買ったばかりの万年筆を前に考え込む。さんざん試して書き心地で選んだ白軸、青のキャップに金色のラインがどこかアラビアンナイトを連想させる。この万年筆に最初に入れるべきは何色か?
    「高原さんは深い青、椎那さんは緑と茶色だね」
     隣を覗き込み、また迷う。イメージはアラビアンナイト、作るべきは夜の帳降りる闇色か、夜明け告げる暁の紫雲か、それとも眠る砂漠の砂金色か? ああ、迷う。いっそ全部作ってしまおうか。
     そろそろ皆が買物を終え、三々五々集まってくる頃。ニコがどこかに電話していた。
    「カフェの席を取っておいた。皆で買物のお披露目会だ」
     おごりだ、と太っ腹の最年長に静かに熱い歓声が上がる。

     手に手に一つ増えた大切な宝物。
     このひとときもまた、宝物となるのだろう。

    作者:高遠しゅん 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2017年8月25日
    難度:簡単
    参加:23人
    結果:成功!
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