●陰と灯りの狭間で
燈屋。
それは地方のとある温泉宿。小さ過ぎず大き過ぎず、程良い規模の佇まいが昨今話題になっている宿だ。
歴史ある風情が美しい建物で、日中は勿論だが、特に日が傾きかけた頃に玄妙な陰日向を形作る。趣深い光がその手摺ひとつとっても柔らかく包み込む。日本建築の伝統を色濃く映し出すのだ。
そのため宿では、訪れる客には夕方のチェックインを勧めている。
日が沈む頃には、建物の随所に備え付けられている蝋燭に灯火を齎す蝋燭番が働き出すのだとか。元々蝋燭番と言えば中世の屋敷に尽力したという職業だが、その技が発揮されるのに東洋も西洋も関係ないのだろう。
そうして蝋燭が尽きるまで、夜半まではずっと宿の情景を楽しむ事が出来る。
夕方は陽光の、夜は蝋燭の光に晒されながら、障子が、畳が、襖が、屏風が。季節の葉をあしらった坪庭が、しっとりとした佇まいの客室が、静謐な空気こそを味わう喫茶室が。 深遠たる奥行きを映し出す。まるで異世界を訪れるような、神隠しに合うような感覚を全身で楽しむ事が出来るだろう。
温泉も照明は篝火が主となるから風情たっぷりだ。食事も秋の味覚を中心にきめ細やかな仕事を施したもので、きっと何を食べても美味しいと感じる事が出来るだろう。
光と陰のあわいに浸って、こころ溺れるほどに迷い込んだならば。
炎の揺らめきひとつ掬って、肺腑に落とす事だって許される。
●寿ぎの一夜
「火を見ると気分が凪いでいく気がするんだ、多分そんな感覚を味わえるんじゃないかなって。元々話を聞いた時から行ってみたいと思ってたから」
それは常日頃大人しく慎ましくしている(高校生殺人鬼・dn0006)から紡がれた珍しくもささやかな我儘がきっかけだった。
皆で小旅行と洒落込まないか、という誘い。
話を聞いていた小鳥居・鞠花(大学生エクスブレイン・dn0083)が首肯したのは彼女も前々から興味を抱いていたからに他ならない。
「いいわよね~! そうなの行ってみたいと思ってたのよあたしも! 意見が合うわね鴻崎! その企画、乗ったわ!」
趣向を凝らした宿で一泊して、温泉や散策、のんびりと過ごす時間そのものを楽しんで来ようという趣旨だ。
本来であれば学生にはなかなか手の出るお値段ではないのだが、ちょうど翔の誕生日がある週については本格的な観光シーズンを前にしたモニター価格との事だから、ちょっと贅沢を味わうにはぴったりだ。
「折角だから皆で誘い合わせて行けたらなと思ってるんだ。ある意味で俺の誕生日をだしにしてもらって構わないから、皆が楽しめたらそれ以上の喜びはないよ」
見てみる? と翔が傾けたのはタブレット端末。
そこには燈屋の見どころを纏めたブログが表示されている。
客室では、南西側に取られた窓からの光と影が溶けあい仄かに畳が光を帯びているかのよう。存在が分からないほどに磨かれたガラス越しに見える庭は、緑が迫ってくるようだ。三和土から草鞋を履いて中庭に出る事も出来、そこでも灯された光が淡く庭を染め上げる事だろう。
大浴場替わりの露天風呂は広々としており、そこでも照明があちらこちらに備えられているため長閑な時間を全身に浴びながら過ごす事が叶うだろう。ちなみに風呂は部屋にも設えられており、槙で出来ているため香りをも楽しめると評判だ。
旅情をより感じたいのならば、喫茶室兼書斎に足を運ぶのがお勧めだ。そこ一帯の壁に古書が何冊も連ねられており、そのどれもが読み易いものを揃えている。ひとつひとつ違う古美術の椅子とテーブルが、それぞれが相応しく情緒を演出する組み合わせで配置されているのだ。カウンターに並べられているのはアンティークのカップたち、そこで淹れてもらう珈琲や紅茶を片手に、ゆるりテーブルを燈す蝋燭の下で頁を捲る秋の夜長というのも味わい深いひと時になるに違いない。
食事はその時々の季節の味わいを大切にするためメニューは行ってみなければわからないが、誰もが美味しいと口を揃えて言うあたり信頼も置けると言える。出逢いを、楽しみにしよう。
そこまで読み進めて翔と鞠花は顔を見合わせて笑う。
「楽しみだな」
「楽しみね」
わくわくした気持ちがふつふつと沸き起こって、全身を駆け抜けていく予感がある。
「最近何かと慌ただしい情勢が続いて気も休まる暇もないから……もしよければ一緒に、ゆっくり遊びに行かないか」
落ち着いた居住まいの宿で過ごす穏やかな一幕。
さて、どれから楽しもうか。
日頃の疲れを癒すにはうってつけ。光と陰の波を泳ぎ、格別な時間に逢いに行こう。
●いろどり
宿の部屋で炎が躍動する。
呑まれそうな気がして恐ろしいけれど、魅かれる。
「……実はな。最初は、炎が怖かったんだ」
雷歌がすべてを奪っていったイフリートの焔を思い出し囁く。けれど信念を強く持てば、大事なものを導く灯火になると思えるようになったから。
「なあ、華月。俺は、ちゃんとお前の灯火になれてるか?」
誇れる盾で、護り刀でありたいという思いを確かに受け止め、耳を静かに傾けていた。穿たれた傷痕を消し去る事は出来ないかもしれない。けれど新しい燈火を支えると、糧にこの身を投じると決めた華月の微笑みは麗しい。
「盾たる貴方を支えて生きたいと願うの」
誇らしげに胸を張るのは貴方が望んでくれるから。
「喩えどんな暗闇の中に堕ちたって見喪う事なんてない。雷歌さんは何より確かな、私の灯火よ」
あの月の夜と同じ様、真っ直ぐに――。その答えをこそ掬い上げたなら、雷歌は笑みを零し約束を結ぶ。
「お前の世界は俺が照らすから」
ずっと互いを照らし続ける。
和牛の陶板焼きに、松茸の土瓶蒸し。温泉上がりに部屋に並べられた卓で、秋ならではの味覚に舌鼓を撃つのも醍醐味。
「あれ、ももはもう目の前の豪華な食事に夢中?」
「美味しそう。……! も……もちろん! 温泉も良かったわよね!」
そんな他愛無い歓談も交えながら、ふたり揃って頂きます。
エアンが蓋を開ければ綺麗な玉子色と出汁の香りが視界を埋める。
「茶碗蒸し、好きなんだ」
銀杏が特に――軽く吐息で笑って匙で探したなら嬉しそうに掬う。それを百花は微笑ましく見守っている。
「……あ、今。なんだか、ももに笑われた気がする」
「笑ったりしてないわよ? 可愛いかっ……」
こほんと咳払い。大ぶりの舞茸の天ぷらを噛んだなら旨味が口の中いっぱいに広がる。箸を進めながら考えた。
茶碗蒸し、練習して作ってあげたいな、なんて。
そんな考えを読んだかのようにエアンは練習してくれるの? と問うた。
「えあんさんの好きな銀杏を、たくさん入れてあげたいから」
想い出も一緒に味わったなら、長い秋の夜を楽しもう。
部屋の槙風呂でふたりで羽休め。
待つしか出来ない時間は終わった。こうして隣に居られる、感じられる。
闇に身を委ねていた緋頼を、白焔が受け止める。
「おかえり」
「ただいま、またこうやって過ごせるね」
身体も心もあたたかいのは、決して湯船のせいだけではない。湯気がふたりを優しく包んだ。
「戻って来れてよかった」
「戻ってきてホッとしたよ。待つ身は堪えるものだと実感した」
だから二度と離さない。白焔が後ろから包み込むように緋頼を抱き寄せ、捕まえる。
「愛しているから、いつまでもね」
「勿論私も」
何があっても愛してる。
眦を緩めた白焔も、蕩けるように笑んだ緋頼も、見ているのはお互いだけだ。手を重ねて身をも委ねたなら、ふたりの境界も曖昧になっていく。
あったかいね。
願わくばこの愛おしさを、ずっと灯していられますように。
「鴻崎くんお誕生日おめでとうございます……と、いう建前でなんかスイマセン……」
蔵乃祐が小旅行につられたと白状したら、鴻崎・翔(高校生殺人鬼・dn0006)が殊の外嬉しそうに笑った。それでいい、それがいい。そういうことらしい。
手を振って別れたならば、蔵乃祐は早速ひとっ風呂。食事も堪能して旅の疲れを解けさせた後、いつの日かに歩いた邸内を散策し始めた。
事件でも起こりそうな夜、そんな折に黒子のような装束の人とすれ違う。
「うおっ……!?」
思わずスレイヤーカードを封印解除するところ、どうやら黒子は蝋燭番らしい。胸を撫で下ろす。
「……お仕事ご苦労様です!」
寝床の蝋燭もそのままにしようか。光に包まれるままに瞼を閉じる。
「おやすみ――……」
焔が、揺らめいた。
●ゆらめき
温泉でゆったり、肩まで浸かって。
再びの燈屋に烏芥は感嘆の息を零した。いつも服に隠している雪の膚を晒す緊張はあれど、有りの儘でいたい――その気持ちは湯を伝い、翔も知っている。
「……翔君、此れ何か解りますか」
「ええと……あ、わかった」
鳥だ。そう唇が模った途端に、彼の日と同じ影絵小鳥が羽を震わせる。それは烏芥が好み、嘗てよく遊んだかたちの現れ。
当たり。
ならば。
「……翔君は何がお好きですか」
望む儘に指が手が新たに成したのは、しなやかな狼が一体。
ひらり舞ってから翔の腕辿り駆ける様は寿ぎを届けるよう。
「……翔君、18歳おめでとう御座います」
「ありがとう。どこまでも翔けていられるように、頑張るよ」
緊張はいつしか湯に溶け、肌にぬくもり色宿す。
鞠花と食事を共にして、翔に贈られた眼鏡紐には留め具に光るチャームに再び狼が顔を出していたのは、別の挿話だろう。
灯りに晒されて、中庭に降りる陰影も柔らかく深まっていく。ちょうど涼しくなって、良い頃合いだ。
「気がつけば、随分……涼しく感じるな」
「本当素敵な景色です」
そうして話題は先日のテストへと移る。意外なほど良い結果だったのは勉強を共にしてくれたおかげだと顕人が呟けば、役に立てているかはともかく結果が良くて何よりですとひみかが優美に笑う。
「暗いので、足元には気をつけてくれたまえな……」
「わたくし暗いのは好きなんですよ」
急ぐこともあるまい。歩調を緩め、それでいて足先に注意を払いながら散策する。
無造作に歩くのは少し控え、都会の喧騒から離れた静けさへと歩を向けて、浸る。
「都会は少々明るすぎますね。あれでは星も見えません」
「知らぬ間に、あちらの色に染まっていた気がするな」
静寂の虜となったなら、視線の先に瞬く星。その下に燈る人の営みの色。
「……不思議ではないか?」
燈火を見れば鮮やかだが、浮かぶ景色には和らいだものを感じるよ。
顕人のそんな声に、ひみかは穏やかな眼差しを蝋燭の火に手向けた。
焔が闇を鮮明にする中、庭の隅に腰かけて。
燻らせるのは煙草の煙。傍らには酒の杯と灰皿を備え、緩やかな時間を過ごそう。
「お前さん戦う事に拘る割には随分と不摂生だな」
「……あん? 言ってるアンタだって酒も煙草も、だろうが」
つまり同類。ダグラスが煙と共に吐き出せば玄旺から自嘲めいた笑いが漏れる。俺ぁ引退気味だから放っておけ、と嘯いて。
紫煙を撒き、氷を琥珀の酒に融かして呷る。
ふと思い出した問いは、懐かしいもの。
「最初に会った時の事は覚えてるか?」
「……一応は覚えてるぜ」
学生には見えぬ相貌はお互い様。最初に共闘した記憶を紐解けば、ダグラスの後ろに玄旺が配するようになっていた。
「ま、お互い怪我無く来てる辺り、悪運は強えんだろ」
「全く今迄無事に来た事が驚きだ……悪運強いで片付けて良いのか」
もし何れどちらかが欠ける事になったとしても、残った方が覚えていれば良い。
「……ああ、あれが覚えていてくれるだろ」
「それが何時になるかは知らんが、覚えねばならん月も気の毒な話だ」
飲み干した杯越しに見る、秋の月。
「お誕生日おめでとう。ふふっ、今年もこうやって顔を見ながらおめでとうが言えて、ちあきうれしい」
「ありがとう。俺も千明に祝ってもらうのが、すごく幸せだよ」
蝋燭の灯りに、光に包まれながら千明は囁く。
「火は好きよ。だってこんなに暖かいもの、他にはないもの」
翔は好き? そう問われて翔は噛みしめるように頷く。千明は嬉しそうに笑った。
「だって、ちあきの火のことも好きって言って貰えたみたいなんだもの」
「でも、千明の火も俺は好きだよ」
炎獣の火のあたたかさを思い描きながら呟いたなら、互いに灯火に似た何かを胸裏に戴く。
「なーんてね、ふふっ。それじゃぁおやすみ、翔」
また明日、ね。
●さざめき
「あ、鴻崎くん! ほんまええお宿やね。お誕生日おめでとです」
「名前通りの温かい宿だね、今日にぴったりだ。良い夜を」
「……ありがとう」
希沙と小太郎のあたたかい言葉を受け翔が面映ゆそうだ。そして手を引き、燈火に包まれこころの芯まで憩おうか。
湯上りの気配を纏い、小太郎は隣の無垢なかんばせを見遣る。秋風吹き抜ければ抱えていた羽織を彼女の肩へ。
「!」
「……前にも上着をお貸ししましたよね」
光の揺らぎに浸る彼の姿が格好良くて見惚れていたのを見透かされた心地。希沙が現に舞い戻れば更に頬は上気する。ありがとと言葉は甘やかに。彼が特別になった日を思い返せば、それの何と愛おしいことか。
「昔は、想い出は保存して終わりだと思ってたけど。何度でも想い出して、また重ねてもいいんだって」
――希沙さんが教えてくれたんです。
淡かった恋心もすべて今に繋がっている。ふたりの縁は綾なされた。互いに教わり、育んだ想いがここにある。
「いつか、またここに来て今日を想い出したいです……あなたを予約してもいいですか?」
「やで、……勿論」
また重ねる時を、一緒に。
三和土から中庭に抜ければ、秋風が湯上りの身体を優しく宥めてくれる。
草履で砂利を踏みしめる歩幅が、感じる気配が、慣れ親しんだものになったのはいつからだろう。慣れか諦観か、それとも。
灯りがまあるく闇を削るような、その輪郭が瞼の裏に沁みる。
「あの枝の先の葉っぱの塊、なんか猫に視えねェ? そんであそこの木の根っこに浮かんでるのは犬だな。きっと猫のコトを狙ってるんだぞ!」
「ああ、そうだな」
錠のはしゃぐ声に返されるのは葉の適当ないつものような一言。でも苛立ちは混じらない。
灯りが新しい陰を産むも、そこに見出すものは互いに異なる。新たな影遊戯を知らせようという意気込みと、すべてを喰らう怪物の如きと見做す想像と。
彼の眼差しは、もうレンズ越しではないと知っている。そのくらいの距離。
「そーだ、帰りに翔の部屋寄ってこうぜ。茶菓子とか差し入れすんのはどーよ?」
「――ああ、そうだな」
同じ語句で向けた『いつものような』返事はやけに優しく、密かに眉を跳ねさせたのはまた別のお話。
ふたりの初めての小旅行。
浴衣に袖を通し手を取り合い、中庭へ足を運ぶ。
宵を照らす燈火は室内とは異なる趣だ。
「蝋燭の光、客室とはまた雰囲気違うね?」
「手間暇かけて蝋燭使ってるだけあって、雰囲気出てるわね」
囁くように眺めていた折、不意に。
さくらえがエリノアに手を伸ばし、抱き寄せてしまった。
「ちょっ、さくらえ……急に……」
「……ふふ、ごめん。こんな幻想的な雰囲気だと、」
隠されてしまうんじゃないかと、思って。
耳朶を揺らすように呟いたなら、さくらえはぬくもりを辿るように唇を彼女の首筋に寄せた。エリノアの頬に朱が走り、声が跳ねる。
「ふひゃっ!? ちょ、さすがに、誰が来るかも分からないのにっ!」
「いい匂いがするんで、つい?」
悪びれない様子に真っ赤になって抗議するも、それすらも楽しむようにくすくすと笑い声が零れた。
「もうっ、笑ってるんじゃないわよ! こういうのは、その、部屋に戻ってから――……」
言葉は唇の奥に吸われる。声より雄弁に愛情が紡がれて、ふたりの陰が重なる。
●あしらい
「去年の誕生日のこと、覚えていてくれたのかな?」
次の誕生日には我侭を聞かせて欲しい――その願いを今年は翔は形にした。我侭を言ってくれてありがとうと祢々が告げれば翔がはにかむ。
喫茶室兼書斎にてローズマリーティーとマカロンを供に読書に励んでいた祢々は浴衣姿。差し出したのは、青尖晶石で飾った金属栞。
「僕達のこと大人になっても覚えていてね」
「勿論。きっとずっと忘れないよ」
春には大学進学だ。クラス皆の進路は別々になるかもしれない。一緒に過ごせた毎日を、誰もが大切に思っている。
「鴻崎君、誕生日おめでとう」
読書の秋。
アナクロな紗夜は電子化されていない古書に興味を抱いた。誕生日の祝辞を翔に届け、本棚に宝探しに出かける。
興味を惹かれた一冊を手にしたなら、紅茶と一緒に耽溺しよう。
頁を照らすのは燈火の明かり。ほっとするのは、本能めいたものなのだろう。
明るくあたたかいもの。
暗いより明るく、冷たいよりあたたかく。道を探して歩く時も、灯りは傍らにあるものだから。
「だから心の中の燈火を絶やさないようにしたい……なんてね」
湯上りの浴衣姿で、喫茶室に向かおうか。
初めに探すのは翔と鞠花の姿。愛はいつかのようにカメラを掲げて、
「お誕生日と、旅行の思い出と、あたしの為に、どうか写真を撮らせて下さい」
「誕生日らしいね、おめでとう翔」
くもりが祝辞を続けた。翔と鞠花も過日の記憶を呼び覚ましたよう。くもりにカメラを預けてまず三人で一枚を切り取る。その後くもりと鞠花がバトンタッチしてもう一枚。
ふたりと別れた後、本に溺れようか。くもりが取り出した一冊は写真集、知らない光景の写真に見入る。
「あたし、こういう書斎で推理小説を読んでみたかったの。でも今は写真集を見るわ」
くもりくんの隣で一緒に――纏めた髪から雫が一滴。
「いいでしょ?」
「……良いけど」
正直彼女が、そもそも人が何を考えているかわからない。でも、自分は彼女を嫌いではない。きっと自分を見ていないから。
「俺、こういう感じの山に住んでたよ」
「あなたの話、多分初めて聞いたわ」
くもりの横顔を眺めながら、愛はゆるやかにそう述べた。
「お二人は何か飲んでるのです? あたしも同じのを飲んでみたいです」
陽桜が翔と鞠花に語り掛けたなら、それぞれがカップを傾けてみせる。
「俺はカフェオレだよ」
「あたしはストレートの紅茶~いい香りするわよ」
「じゃああたしも紅茶にしてみます!」
あたたかい飲み物でこころまで暖まりながら、陽桜が見つけたのは古い箱。
「……これ、アンティークゲーム、です? これ、すぐにできるかな?」
「いいな」
「やってみましょ!」
早速意気投合。
懐かしい風合いの遊戯と過ごす、秋の夜長。
先日の礼にとブレニアは時成を誘う。狙いは古書がある喫茶室だ。
「見に行くか?」
「ああ。古書に限らず本は好きだ」
本を紐解けば様々な世界に出逢えるから。
出不精な時成だがブレニアと親しくなって以降、比較的出歩くようになった。護るべき家から離れる恐怖が仄かに薄らぎつつあるのかもしれない。
一方でブレニアはミルクと砂糖を入れた珈琲片手に外書を読み進める。
居心地の良さを噛みしめながら、囁いた。
「ありがとう」
「こちらこそ」
袖振り合うも他生の縁。須臾の縁を織り成し、本を閉じて告げる。
「またどこかに出かけない?」
すれ違う人の波の狭間で出逢った、人としての心遣いをくれる彼に感謝を。
少しずつだが歩き出す頃合いだ。
古めかしいものに囲まれたここよりも、遠いどこかへ。
モンブランと抹茶ラテ、珈琲を卓に乗せ寛ぎ。
ニコは大変な猫舌だ。珈琲が冷めるまで未知に身の上話をひとつ、語ってみよう。
「俺は其れはもう本が大好きで、特に文学作品に目が無くてな」
日本語を学ぶ際にも古典文学を手にしたために、古めかしい言い回しを操るようになったのだ。
だから外人さんなのに難しい日本語知ってたのか、と未知は胸裏で納得してみたり。
「……未知に普段から『何を言っているかよく分からない』と困らせてはいないかと心配でならないのだが」
「でも俺はニコさんの話し方、聞き心地が良くて好きだぞ。だからそのまんまで大丈夫!」
ふと顔を突き合わせ、綻んだのは微笑み。今時の漫画やアニメも好むニコがそちらから日本語を学んだならと思うと、それもちょっと面白い。
幾冊かの物語を卓に並べ、さてこれからは読み比べ。
「おっと、本のお勧めをしてあげるのだったな。此方の本は皆初心者でも読み易く親切だ、安心すると良い」
「文学作品、実は食わず嫌いなとこあるんだよなぁ……でもニコさんがお薦めしてくれるなら読んでみようかな」
読み終えたなら感想を言い合うのもきっと楽しい。
ゆらゆら、蝋燭の焔が幻想的に揺れる。
普段雑誌しか殆ど読まない紗にとって古書は些か敷居が高い。だから翔に問うてみた。お勧めの本を――あんまり難しくないやつで。
翔がさっき見つけたそれは平易な言葉で綴られた詩集。捲る手を止めて、伝えたい事がある。
「翔さん、お誕生日おめでとうっ。特別な日に、こんな素敵な場所でお祝い出来てすごく嬉しいよう」
「ありがとう。紫堂のその言葉が、俺も何より嬉しい」
楽しかった時間は今この時、料理は鯛のすり流しが特に。紅茶を傾けながら細やかに、君に聞こえるくらいの声で。
古美術の家具と並ぶ本の香り。
静閑な書斎に灯る淡い光。
翔へ祝辞を送った後は、声を潜めて筆を執る。
「普段言えないような気持ちも、手紙なら不思議と言えるんだわ」
「ああ、それはわかる気がする」
柄ではないけれど、心を素直に伝えられるなら悪くない。白い便箋と封筒透かして御伽が誘いを向けたなら、翔も鞠花も頷いてみせた。大切な誰かを思い描きながら、言葉を選び、綴る。
灯りに照らされた万年筆は彼女からの贈り物。縹のインクで綴る言葉は、勿論彼女へ向けたもの。
付き合って二年。想いは褪せず弛まず抱き続けている。穏やかな焔のように。
「二人は誰に書いたんだ?」
「聞く? 聞いちゃう?」
「俺は――……」
互いの大切を分かち合いながら、仄かに咲んだ。
陰と燈が入り混じり滲んでいく。
穏やかな明かりに時は微睡み、夜が更けていく。
作者:中川沙智 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2017年9月27日
難度:簡単
参加:30人
結果:成功!
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