世界救済タワー決戦～鉄槌を我に

■リプレイ

　そこは、むせ返りそうなほどの薔薇の香りがしている。
「なるほど、『薔薇の貴婦人』。文字通りというわけですね」
　薔薇だけではない、とりどりの、どうかしたらサイケデリックとも言える色鮮やかな花々を暗色のドレスへ飾った女がふたり。昏い瞳を笑みに細め、月姫・舞（炊事場の主・d20689）は六六六人衆2体を前に小さく首をかたむけた。
「貴方は私を殺してくれる？　それとも殺されるのかしら？」
　静まりかえっている世界救済タワーを背後に、そこへ至るルート。その一つを塞ぐように陣取った六六六人衆を片眼鏡の奥の瞳で見据え、アリス・フラグメント（零れた欠片・d37020）はばらりと護符揃えを指の間へ広げた。
「手土産持参で他勢力へ合流、とは……確かに残党らしい妥当な行為ですね」
「まあそういうわけで、おっぱいはんまーちゃんが嫌がることしにきました！」
　赤薔薇の髪飾りを揺らし身構えた貴婦人を挑発するようなことを言い放ったアリスに続き、立花・環（グリーンティアーズ・d34526）が自称ご当地アイドルらしく晴れやかに宣言する。
　赤薔薇をうず高く髪へ飾った女と、白の蔓薔薇を首元へチョーカーのように巻きつけた女。双方を前に、西院鬼・織久（西院鬼一門・d08504）はじっと無言で闇器【闇焔】を構える。
　彼らすべての血肉が、織久の言う『我等』の死出の餞別であり弔いだ。『我等』の悲願を前に、織久は赤い瞳を歓喜ともつかない滾りに揺らめかせる。
「さて……客人らしいが覚えのない顔よ」
「なるほどこれが招かれざる客人というやつかえ？」
　確かに、招かれざる客人だろう。危険な任務であることも否定するつもりはない……ただし、それゆえに挑戦する価値はあるもののはずだ。
　1対多数が推奨されるレベルの相手が2体というだけでも、十二分に難易度は高い。
　しかもマンチェスターの灼滅はその先の話である。
　スサノオ勢の到着までに、この前戦を抜け六六六人衆第二位マンチェスター・ハンマーとの戦いの場へ至ること。それがこのたび姫条・セカイ（黎明の響き・d03014）らに課されたミッションだった。
「あっははは！　このアタシ達を越えられるとでも？　これはいい！」
「灼滅者がどこまでやれるのか、見物じゃないかえ」
　高く笑いながら繰り出された、剪定鋏による一撃をセカイは避けきる。なし崩しに戦端が開かれることは珍しくもなんともないが、なんとも優雅なドレス姿には似合わないせっかちな性分らしいな、とは思った。
　長い黒髪を払いのけバックステップで下がったことによる空間へ、入れ替わるように人影が滑り込む。
「そっちの御託なんか欲しくもねえよ。まずはアンタら突破して」
　その発言にたがわず、いかにも殺意を示すように一・葉（デッドロック・d02409）の周囲へ矢印形のダイダロスベルト、【cursor】が展開した。一体いつのまに回り込んだのか、その時にはもう科戸・日方（大学生自転車乗り・d00353）が解体ナイフ片手に赤薔薇の死角へ入り込んでいる。
「デカ乳様のおっぱい拝ませてもらおうか!!」
　ドレスと同じく花を飾り、大きなブリムが特徴的な帽子の下、赤薔薇の目が瞠られた。痛打こそ避けたがさらに万事・錠（オーディン・d01615）も加えた、三人がかりでのコンビネーションは凶悪の一言に尽きる。
「……城守に言ってやろーかね、今の」
「あいつこんな事で怒るほど人間小さくねえし」
　なぜか大真面目な顔で葉は錠の軽口を受け流し、貴婦人二体を半包囲するような扇状の位置で陣取った。
　優位は揺るがぬものの油断ならぬ相手という程度には認識を改めさせることができたらしく、豪奢なスカートを揺らしながら貴婦人達は守りを固める。セカイはWOKシールドのエネルギー障壁の範囲をありったけ広げ、次の攻撃に備えた。
　艶然と微笑み翻したドレスの袖、そこからダマスクローズの芳香がこぼれだす。一瞬その香りに気を取られかけたものの、ぐらりと視界が傾くほどの嘔吐感が襲ってきた。舞はひとつ頭を振り、改めてクロスグレイブを構えなおす。
「……いけません。これはよくない」
　貴婦人が繰り出す毒の芳香を、よくない、と表現しつつも舞はやけに楽しそうだった。
「かぐわしき死の香、心ゆくまで楽しんでゆけ」
　花に埋もれたと表現してもいいその外見からは想像できないほど、貴婦人の攻撃は苛烈で重い。どちらも回復手段を備えているのは事前にわかっていたが、それだけに粘られた挙げ句いつまでも突破できない、という状況に陥りやすいと言えた。
　だからこそ選んだ、全員での集中砲火。
「かような児戯で我等が積年の覚悟を計るつもりか。片腹痛い！」
　織久の足元から疾風の速さで迫った影に脇腹を抉られ、赤薔薇が小さく呻く。追い打ちをかけるように舞の解体ナイフが閃いて、鉤裂きにも似た軌跡がドレスを飾った花々を吹き散らした。
　踊る多数の真紅の花弁が、血潮をふりまくよう。その花弁の幕を突き破って一瞬で間合いを詰め、環は地面を蹴った。
　ふわりと宙返りを決めるような、あざやかな回し蹴り。
　流石にたたらを踏んだ赤薔薇へ白薔薇が回復をまわすのを、環は上下が反転した視界の中へ見る。
「なるほど手加減無用という事かえ！」
「今更それ言うか」
　理解すんのが遅いんだよ、と地を這うような低い声で呟いた日方のナイフが真紅に染まった。赤い陽炎の尾を長く引いて、命の灯をすする刃を突き立てる。
　早期突破を狙う以上各自で行うダメージ回復はひとまず後回しにされるため、すぐにアリスは忙殺された。しかも可能なかぎり突破予定メンバーのダメージは少ない方が望ましいとあれば、猛攻を仕掛ける前衛のケアを決して零すわけにいかない。
　めまぐるしく入れ替わり立ち替わり、赤薔薇を攻め立てる葉や織久の動向から目を離すわけにいかず手の平へ汗が浮いた。一手間違えば自分のミスで突破組を脱落させてしまうと思うと、緊張は限界点に近くなる。
　と、足元へ肉厚の剪定鋏を突き立てられた日方の苦悶の声に気付き、アリスは顔を上げた。しかしセカイも同様にひどく血を流している、どうしたら。どちらが先だ。先に癒すべきは。
「俺はいい、姫条だ！」
「っ、は、はい」
　振り返りざま叱咤に近い勢いで日方の声が飛んできて、アリスの思考が一気に冷えた。そうだ、灼滅者として踏んできた場数はどうしたって劣る。ならばせめて冷徹なほどに優先順位を守る、いつも通りの思考をしなければ。
　一方、立て続けに回復を連打するアリスの負担を軽減させるべく、セカイはことさら自分の存在をアピールするように立ち回る。残留予定であるため回復をこちらへ譲ってくれた日方には、頭が下がる思いだった。
「前座という言葉はまさしくこのためにあるのでしょうね。皆さん、マンチェスターの前へ至るのはまもなくです」
「させないよ！」
　セカイが振り下ろす雲耀剣をすんでの所で躱し、赤薔薇が随分ほつれの目立つようになったドレスの袖を泳がせた。
　敵ながらこれに毒さえ伴わなければ、と思うような極上の香りが再び襲い来て、錠は舌打ちする。苛立ちと苦痛を散らすように祭霊光で自身を奮い立たせると、それだけでは足りていないとばかりに【PINK SPIDER】を腰だめに構えた。
　環が己のやや後方、鱧の頭を模した得物の切っ先を閃かせた気配を感じつつスリーカウント。3、2、1。
「薔薇の棘と鱧の歯、どちらが勝つかいざ勝負!!」
「ついでに蜘蛛の巣もくれてやらあ!!」
　どちらもが赤薔薇へ収束するかと思いきや、白薔薇をその場へと縫いつける蛇咬斬、そのうえで赤薔薇の動きを完全に封じこめる縛霊撃が決まり環が快哉の声をあげる。
「な、何――」
　瞬間、まったく気配を感じさせぬまま死角から接近してきた舞を目にして、愕然と虹色の光彩が瞠られた。
「貴女は私に、殺される方だったようね」
　鈴を転がすように笑った舞のティアーズリッパーで、貴婦人の髪を飾った赤薔薇が血飛沫のように飛散する。ぐらりと傾いだその体を織久の影縛りが一瞬静止させ、そのまま息の根を止めた。
「じゃあな、白薔薇。あばよ」
　錠の凶悪な笑みの意味を一瞬置いて悟ったのか、白薔薇が気色ばんだ叫びを上げる。
「させぬっ……!!」
「行け！　こっちは気にすんな!!」
「頼んだぜ日方!!」
　追いすがろうとする白薔薇の前へ割って入った日方の怒号に背中を押されるまま、振り返りもせず葉が叫んだ。環の蛇咬斬にいまだ足元を絡め取られたまま、白薔薇が怨みがましい声をあげる。
「姑息な真似を……でも、たった三人でアタシを灼滅しようなんて無謀にも程があるさね！」
「姑息上等。今さら手持ちのカードを出し惜しむ理由はありません」
　アリスが幼い外見に似合わぬことを淡々と言い返し、そろそろ無茶はできない域に負傷が積み重なってきた日方へシールドリングを施した。その間に錠、セカイ、織久、舞、そして葉が殿を守りつつタワーへ向かって離脱していく。
　しかし、既に戦闘開始から10分以上が過ぎているはずだった。他のチームは今どれだけマンチェスターの前に到着しているのだろう、しかしそれ以上にタイムリミットが気になる。
　スサノオ勢が到着する時刻は不明、しかし悠長に戦っていられる余裕はないこともわかっている。とは言え決戦の場へ5名を送り出した今はもう、目の前の白薔薇を可能なかぎり長くこの場へ足止めするだけだ。それ以上にマンチェスターのもとへ向かった錠や葉を支援する方法を、日方は思いつかない。
　相手もそれは承知しているのだろう、考えようによっては自ら1対3という絶望的な状況へ陥った灼滅者を面白そうに眺めやってくる。
「まあいい……マンチェスター様が負けるなどありえない。アタシがここで血祭に上げればいい話さね」
「じゃ、こっちは通せんぼで嫌がらせじゃ」
　くくっ、と喉の奥で笑った環へ、アリスをも巻き込む薔薇の香りが襲いきた。霞む視界に、急速に力が奪われていく膝。無理矢理エアシューズの踵を鳴らすことで己に渇をいれたものの、恐らくそう長くはもたないだろう。
　誰よりも、回復を担うアリスにはそれがわかっていた。最後までメンバーを支える覚悟はある。だからこそ、あえて白薔薇を挑発した。
「それにこちらより先にマンチェスターがいなくなれば、合流したところで意味はありません。突破させた時点で、あなたは既に半分負けているんですよ」
「そういうこった。ズタボロになってもどんな手使っても、どのみち大人しく倒れてやる気なんか最初っからねえ。矜持ってやつだ」
　鮮血がにじむ口元をぐいと拭って、日方は力任せに交通標識を突き立てる。突破させた時点で半分負けている、という正論に白薔薇が呻くのを、日方は片頬だけで笑って聞いていた。
　……力が足りない、と思わなかった日はない。それを口惜しく思わなかった日もない。
　けれど果たすべき務めを命がけで遂行する、その点において日方は自分を、誰かに劣るとは思わない。その矜持だけは誰にも負ける気がしない。少なくとも今この瞬間においては。
「だからそっちも死ぬ気で来やがれ」
　正直柄ではないなと思いつつ、駄目押しとばかりに手招いてやる。
「こちとら危ない橋なんか渡り慣れてんだ。それを見せてやるっつってんだよ温室育ち!!」

　――脇目も振らずにただ、一目散に走ってきた。
　は、と大きく肩で息を吐き、白金・ジュン（魔法少女少年・d11361）は背後を振り返る。どうやら自分が決戦一番乗りだったようだ、まだ誰の気配もない。
　いったい何人が前線を抜けてこられるだろうか、首すじの汗をぬぐいながらジュンは息を整える。
　やがて複数の足音がタワーの入口へ飛び込んできた。
「皆待ってた！　ゲイルと白金はー……まだか」
　漣・静佳（黒水晶・d10904）を先頭に堀瀬・朱那（空色の欠片・d03561）、そして東雲・菜々乃（本をください・d18427）に水燈・紗夜（月蝕回帰・d36910）、居木・久良（ロケットハート・d18214）と続き、その後ろに秦・明彦（白き狼・d33618）と狩野・翡翠（翠の一撃・d03021）が姿を現す。
「8名……これは厳しい、ね」
　紗夜がメンバーを見回し、表情を曇らせた。突破者が10名以上揃ってからマンチェスターに挑むという算段だったが、足りていない。
「何、すぐ後続が到着するはずだ」
「タイムロスは惜しい所やけど、留まってくれた皆のタメにも確実に行かな」
　明彦と朱那の呟きに、翡翠も異論はないようだ。
「それに今突入しても、東雲さんの負担が、大きすぎるかも」
　現段階で前衛は久良と菜々乃、そして彼女の相棒のプリンのみ。特に一枚盾を張ることになる菜々乃とプリンの負担を考慮するなら、サーヴァント主従を手厚く守る心づもりでいた静佳としては容れられないようだった。
「ちょっと、皆静かに――」
　しい、と口元に指を立てた久良が耳を澄ます。その耳に聞こえてきたのは、続々と到着しはじめた15名もの後続の足音だった。
　くろ丸を伴った青和・イチ（藍色夜灯・d08927）が誰かを探すような表情で走り込んできたのを皮切りに、回復を担う明鏡・止水（大学生シャドウハンター・d07017）の顔や決戦参加予定者中でも実力者の影道・惡人（シャドウアクト・d00898）、峰・清香（大学生ファイアブラッド・d01705）の姿もある。
「さて、この人数なら充分でしょうか。スサノオと合流して面倒になる前に、始末はつけたいところです」
「ここまで来たからには、白星の分まで粘ってやるしかないっすよ」
　ざっと人数を数えたゲイル・ライトウィンド（カオシックコンダクター・d05576）に、しきりに後ろを振り返っている鈍・脇差（ある雨の日の暗殺者・d17382）の肩を叩いたギィ・ラフィット（カラブラン・d01039）が気安い声をあげた。背後へ残してきたメンバーを気にしているのだろう。
　集まってきた後続を手早く叢雲・宗嗣（黒い狼・d01779）と久遠・翔（悲しい運命に抗う者・d00621）が前衛と後衛に分けて組織し、待ち受けているはずのマンチェスター・ハンマーへ向かって走り出した。
「今日はめっちゃ頑張ってもらうからね、ティン。頼りにしてる！」
　くふん、と誇らしげに鼻先を突き出した相棒をひと撫でしてやりつつも、桜井・夕月（もふもふ信者の暴走黒獣・d13800）は激闘の予感を胸の内で詫びる。しかし、決して口には出さない。出せば無二の相棒を侮ることになる。
　期待通りの働きをしてくれるとゆるぎなく信じているからこそ前へ出すのだ。そして同時に、そうはさせてくれないだろう強敵の現実も理解している。
「二位か。一位と遊びたかったけど、いなくなっちゃったから仕方ない」
「戦争中ならまだしもリヴァイヴァーはナシ、あっしとしてはこれで充分すぎるっすよ。灼滅者って言ったって、命あっての物種っす」
　パラベラム・バレットと鉾を交えることを望んだところで、今はもうどこにもいない。
　神門・白金（禁忌のぷらちな缶・d01620）の呟きにアプリコーゼ・トルテ（三下わんこ純情派・d00684）が応じたところで、白石・明日香（教団広報室長補佐・d31470）の怒号が響いた。
「ここがお前の墓場だ、マンチェスター・ハンマー！　首魁の後を追わせてやることをありがたく思え！」
　いつもより瓦礫が多く思える世界救済タワーの一角、そこに六六六人第二位は気怠げに座り込んでいる。
　革のライダースーツと無造作に転がした巨大な槌。薄紅色の長い髪を揺らして大きく伸びをし、マンチェスター・ハンマーはそれぞれの殲術武器を構えた灼滅者達をながめやった。
「やっと来たかぁ。あんまり遅いもんだからデカ乳様、もうちょっとで昼寝する所だったよ」
「……寝てくれていて良かったんだがな」
　心底そう思っていた明日香にひとつ視線を寄越してから、マンチェスターが立ち上がる。
「あんな所まで来ておいて臆病風に吹かれたのかと思ったけど、結局やるんだね。まぁ、仲間が増えたから大胆になったのかもしれないけど」
　後続の到着を待っていたことは知っているらしき口ぶりに、なら話は早い、と無常・拓馬（カンパニュラ・d10401）は切り返した。
「わかりやすく多勢に無勢というやつだ。見た所配下も置いていないようだけど――」
「こりゃ参ったね、ずいぶん舐められたもんだ」
　殺人技芸に秀でた六六六人衆と表現するよりは、むしろ淫魔と言われた方が似合いかもしれない。艶めいた唇をひどく陰惨に舐めあげて、マンチェスター・ハンマーは片腕で巨大な槌を肩へ担ぎあげた。
「……な、」
　そのたった一挙動で押し寄せてきた風圧に、明日香と翡翠は瞠目するしかない。
　にぶく空気を震わせたハンマーの両側へ青白い魔方陣が浮く。だれも決して第二位という位階を侮っていたわけではない、しかし、これは――。
「その数ごときで、あたしに、勝てるかァ!!」
　腹の底から出る一喝の叫びは、大地をも震撼させる雷鳴に似ていた。圧倒され思わず半歩を退いたシャオ・フィルナート（猫系おとこのこ系幼女・d36107）が、それでも懸命に踏みとどまる。
　皆を守るため、皆と帰るためここにいる。必ず皆連れて帰る。そう思えば迷いなど霧散した。色白の指を飾る【AlcorRing】を正眼の位置へかざし、突破が叶わなかった仲間の分まで念を込める。
「必ずみんな……連れて、帰る」
「ヤローども、Assmble！」
　シャオに呼応した惡人の怒号が激闘の火蓋を切った。
「殲具解放！　殺られる前に殺るしか勝機はないっす！」
「アンタを喜ばせる訳にはいかないんよネ、マンチェスター!!」
　次いでギィと朱那が仕掛け、それに前衛が続く。配下を呼び出す気配もなく単騎のまま、マンチェスター・ハンマーは灼滅者を迎え撃った。
　ゥウン、と低く空気が震える音に気付き翔が見上げると、もう目と鼻の先に、青白く光る魔方陣。速すぎる、と実力差を思い知らされながら咄嗟に衝撃へ備えるものの、効果があるとも思えなかった。
　上からの、何のてらいもない単純な振り下ろし。全身が壊れるという状況はこういう事を言うのだろうな、と翔は菜々乃と翡翠の悲鳴を聞きながらよそ事のように考えた。防御力の底上げがなければ文字通り一撃一殺だっただろう。
「あっれー、残念。思ったより硬かった」
「……お前はその凶悪なモンしまえ！　目の毒だ!!」
　意識を乱打する凄まじい衝撃と激痛に、何か声を出していなければ気がおかしくなりそうだった。まともに動いている気がしない体を懸命に引き上げ、武器を手繰る。その時だった。
「まーたメンドくさいコトしてくれてるのねぇ、えーと……マ、マン、何かサッカーチームっぽい名前の序列第二位！」
「動くな、すぐに癒す」
　仮面、と叱咤するように短く叫んだ人影に助け起こされ、翔は血の匂いの濃い息を吐く。
「さーてチャッチャと片づけるとしましょうか」
　やや間延びした口調で戦線維持に回ったのは明石・瑞穂（ブラッドバス・d02578）、そして相棒のビハインドを従えた刻野・晶（大学生サウンドソルジャー・d02884）だった。さらに前戦を抜けてきた備傘・鎗輔（極楽本屋・d12663）と葦原・統弥（黒曜の刃・d21438）が守りを固め、すでに戦闘開始していた前衛に加わる。
「残念だったなマンチェスター！　増援がこれで終わりと思うなよ」
「さあ貴方からもKOを奪ってみせますわ、覚悟はよろしくて？」
　北条・葉月（独鮫将を屠りし者・d19495）に赤松・鶉（蒼き猛禽・d11006）が続き、そこに少々遅れる形で空月・陽太（魔弾の悪魔の弟子・d25198）、篠村・希沙（暁降・d03465）と東当・悟（の身長はプラス三センチ・d00662）の狙撃手達が合流してきた。
　次々膨らんでいく灼滅者陣営にさしものマンチェスターも不穏なものを感じたのだろう、一度距離をとり集中砲火を浴びたダメージを癒す。見れば、すでに32名がこの場にいた。
　いける、と判断し陽太はグラインドファイアの構えに入る。序列第二位に対し充分と断言しきる事はできないが、だからと言って敗退濃厚な戦力とは思わない。
「性格の悪さでは負けへんで、何せお前に負けるんが一番嫌やからな！」
　悟の声を背に、放った蹴りが業火を呼ぶ。一瞬で全身を炎にまかれたマンチェスターが一瞬顔を歪めるのを陽太は見た。
「奇遇やネ、こいつとやりあうタメにめかしこんで来たのはあたしだけじゃないって事ダ！」
　肩越しに満面の笑みの朱那が振り返ってきて希沙の肩が跳ねる。あかるい青の瞳。
　考える前に、任せろ、とばかりに左手拳を突き出した。薬指の銀環がちかりと光る。
「いいねいいね、楽しくなってきた！」
　腕一本では一寸たりとも動かせそうに思えない巨槌を、マンチェスターは手遊びか何かに似た気軽さで振り回していた。圧倒的な人数差を前にして徐々に戦意のほうが勝ってきたのか、うつくしい顔を彩る酷薄な笑みは壮絶なほど濃くなっている。
「後ろは任せます!!」
「わんこすけ、葦原くんの傍に」
　大きな耳をはためかせて駆ける霊犬を統弥につけ、鎗輔自身は【断裁鉞】と【ブックマーク・カタール】を交差させるようにして己が身を守らせる。
「針山になって死にたい奴はいるかい？」
　ぎゅるり、不意に槌の両側へ浮かんだ魔方陣が不吉な唸りを上げた。
「ティン!?」
　何か感じたのかそれとも改めての警告なのか、霊犬達の渾身の咆哮が重なる。爆発的な冷気がその場を満たし、夕月は目を剥いた。
　何が来る。相棒の鳴き声は切迫した危機しか知らせてくれない、一体何が。
　タワー全体を震撼させるようなマンチェスターの一打。深々とリノリウムの床を抉ったそれは一瞬、空振りと思われた。しかしその射線上に突如として巨大な氷槍が突き立ち、アプリコーゼの痩身を打ち据える。
　ひう、とくぐもった細い悲鳴を喉元から漏らし、アプリコーゼの全身が宙へ縫い止められた。否、無数の、極細の氷柱に貫かれ身動きがとれずにいる。
「山田だかハリネズミだか知らねーが、勝ちゃなんでもいいんだよ！」
　惡人と宗嗣が猛攻を仕掛けマンチェスターの注意を引いた隙に、止水がアプリコーゼへ回復を回した。しかしとても足りていない。瑞穂は他の癒し手とともに前衛のカバーに忙しく、ほかに手空きの者は、と泳いだ視線の先。
「……え？」
　とっ、と誰かのウイングキャットの前脚が降り立った。
　ぐったりとうずくまり動かないアプリコーゼ。気配を感じて止水が振り仰いだそこには、今まさに箒の房で急停止をかけて停止した魔法使いと、もうひとり。
「やっぱりもう始まっちゃってたか！　こっこ先輩も見えないし……」
「多少遅れちまったか？　まあいい、ヒーローは遅れて登場するもんだからな！」
　相棒のねこさんにアプリコーゼを託した久成・杏子（いっぱいがんばるっ・d17363）と、白峰・歌音（嶺鳳のカノン・d34072）。歌音は箒に跨がったそのままで滑るように、しかし突進するようにマンチェスターへ向かっていく。
　やや薄かった前衛へここにきて2名が加わった形になり、瑞穂がいったん他の者へその場をまかせアプリコーゼの手当に回った。
「うえええ、死ぬ目に遭ったっす！　こんな修羅場もう嫌っすよ!!」
「軽口叩けるならもう充分ねぇ、ほら頑張りなさい」
「あっし怪我人すっよ！　それでも白衣の天使ですかい、このおにちくナース！」
「ハイハイ、アタシはナースじゃなくドクター志願だから。そこんとこよろしく」
　ようやく動けるようになったアプリコーゼの文句を右から左へ聞き流し、瑞穂は誰にも見えない角度で額の汗を拭った。
「さあ次の患者は誰？　ちゃっちゃと申告しないと、治るもんも治らないわよ～」
　杏子にやや遅れる形で到着した橘・彩希（殲鈴・d01890）が、そのままマンチェスターの前へ走りこんでいく。
　ようやくダメージが入ってきた気がするマンチェスターの足取りを止めるため、ジグザグスラッシュを随所に織り交ぜつつ、ティアーズリッパーに黒死斬、を宗嗣はひたすらに重ねていた。
　序列第二位。ただでさえ能力の高い六六六人衆、しかも首魁たるパラベラム・バレットに次ぐ序列となればどれだけ高く見積もっても低すぎないだろう。事実、ハンマーが振るわれるごと前衛でさえ戦闘不能一歩手前のダメージを軽々と叩き出してくるのだから、むしろ先のアプリコーゼはまだ運が良い。
　では何が戦いの天秤を傾けるのかと問われれば。
「……」
　ここで35名、と考えを巡らせながら、明彦は汗で滑る手の平を叱咤した。
　朱塗りの槍を振るいながら順を追って戦況をもういちど把握する。……このまま押し切れば勝機は見えるかもしれない。いや、見るのだ。後に残してきた仲間達のためにも。
　この数で押し切れれば、マンチェスターに地を舐めさせるのは決して不可能ではない。そんな確固とした確信が明彦にはある。
「さっきの威勢はどこに行ったのかしら」
　じりじりと数の有利に押されはじめたマンチェスターが、挑発するような声をあげた晶を流し見た。後衛を狙い撃つような挙動が多くなってきたということは、恐らく己の不利を自覚しているのだろうとも思う。
「それとも回復がいたら勝てる自信がない？」
「そりゃあ当然だ、不利な事には間違いない」
　あっさり認めてきたマンチェスターに一瞬あっけにとられるも、晶はすぐに気を引き締めた。享楽的で、ほかの六六六人衆と同じく殺しを楽しむ性格なのは、この短時間でよく理解できている。
「では何故配下を置かなかったのかしら。人望がなかった？」
「まさか。違うね」
　陽太の狙い澄ました一撃を食らい一瞬足元をよろめかせながらも、マンチェスターはひどく昏い、そのくせ快活なような気がしてならない笑みを浮かべた。
「一人で迎え撃つ方が楽しいに決まってるからだろ」
　……それはアンブレイカブルのする言い分では、と晶はなんとも複雑な気分になる。
　朗々と響く清香の歌声にいざなわれるような、紗夜の緋牡丹灯籠。マンチェスターの内側から爆ぜるような炎が増してきて、さすがに堪えるのだろう、青い瞳の目元がゆがむ。
　あきらかに苦痛を匂わせはじめたマンチェスターに、ジュンは攻め手を緩めない。
「効いてきたようです！　何としてでもここでマンチェスター・ハンマーを討ちましょう!!」
　言われるまでもない、とばかりに拓馬と夕月が雨あられとサイキックを撃ちこむ。清香
の【憤怒の穿ち】が唸りをあげ、その杭に刻まれた刻印の思いは蹂躙のバベルインパクトの形をとってマンチェスターの身へ穿たれた。
「覚えているでしょう、マンチェスターさん」
　がふ、と血を吐いて片膝をついたマンチェスターへ、相棒のプリンを従えた菜々乃が問いかける。しかしやはり、攻める手は緩めない。
「武蔵坂と鉾を交えた、他の高位の六六六人衆がどんな結末を迎えたか。……そして今日、あなたも」
「――」
「そうなるのです。ここで」
　菜々乃に返る言葉はない。これなら押し切れる――そう、誰もが思いはじめていた。
　ただ一人、当のマンチェスター・ハンマーを除いては。
「……どうだかね」
　鮮血で唇を赤く染め、にたり、と凶暴な笑みをこぼすさまをギィは何も言えずに眺めていた。何故、この状況でどうして笑える、と考えた背中に、翡翠の切羽詰まった声が届く。
「増援です!!　サウザンドブレイド、リストレイターが各一体！」
「――何だって」
　灼滅者の間へ広がった動揺がたまらない、とばかりにマンチェスターが体を折って笑い出した。
「っくふふ、ふ、あっははははは！　面白くなってきたよぉ！」
「きぃーひひひ、マンチェスター様、やりましょう、はやくこいつら殺りましょう！」
　最後尾を守っていた鶉と希沙、そして彩希が体勢を立て直す暇もないまま、奇声を上げるサウザンドブレイドの凶刃の餌食になる。後方から強襲をかけられた形になり、形勢は一気に逆転した。
「くそ、ここで増援っすか……やられた！」
　ギィがほぞを噛むものの、どうにもならない。前線での戦いが予想より厳しくなったチームがあったのだと考えるのは簡単だが、決戦へ挑んだメンバーにも増援前に攻めきれなかった理由は多い。
　強敵を前に体勢を整える、その意図は悪くなかったかもしれない。しかし時間制限があると承知していながら、前線での戦いのあとに回復やメンバーの到着待ちに貴重な手番を消費してしまっていた。何より連戦であるにも関わらず、前衛から後衛への移動を行った者が多くそれだけ合流が遅れたのも。
　複数人で対処すべきとされるダークネスが二体も背後から襲いかかられては、対処のしようがない。マンチェスターの攻撃を凌ぎつつも明日香が後方へまわるが、極細のワイヤーを操るリストレイターが動く方が先だった。
「クソッタレが！　あと1分でも増援が遅ければ……」
　毒づきながらも、歌音がガトリング連射でダークネスを追い散らす。
　静佳らの癒し手が欠けるのは致命的な失策になりかねないと判断し、夕月はティンをマンチェスターの前から急遽後方へ移動させた。
「ティン、うしろ任せた！　急いで!!」
　入れ違いになる形ですぐ脇をすりぬけていった相棒へ叫び、自らはダイダロスベルトを展開する。こんな事をされたのでは、どうあっても一発喰らわせてやらなければ腹の虫がおさまらない。
「そこ、動くなぁッ!!!!」
　一喝の叫びと同時に放たれたレイザースラスト。会心のそれは、手負いの翔へ引導を渡さんと巨大槌を振り上げていたマンチェスターの胴にクリーンヒットした。
　たまらず一歩二歩とたたらを踏み、マンチェスターは血で濡れ光るライダースーツの脇腹を押さえる。
「ちっ、デカ乳様も焼きがまわったか」
「いい機会だ、自称デカ乳様に一つ物申しておこう」
　サウザンドブレイドの斬撃をぎりぎりでいなした拓馬の声に、ああ!?　とマンチェスターはうるさげな声をあげた。
「その程度の胸、武蔵坂じゃ並かちょい上でしかない。今後は並乳様に改名するんだな！」
「なによう、あたしだって、もう少し経てばそれくらいのデカ乳になるんだからねーっ!!」
「……久成君はそのままでいいと思う」
　思わぬ所から飛んできた、援護射撃のような茶々のような。きゃんきゃん騒いでいる杏子に思わず額を覆いつつも、拓馬は気を取り直して法杖【壊理】の狙いを定める。
「厄介な敵を倒したいのはもちろんだけど……」
　増援による強襲からの立て直しに奔走するイチは、不意に遠くの砂煙にけぶっている複数の影を見つけた。よもや未だ姿の見えない錠や葉か、と一瞬大声をあげかけるものの、すぐに黙り込む。
　まっとうな人ではありえない、邪悪な気配と微かに聞こえる奇声。
　よりによってなんとか互角の体勢にまで戦況を戻しつつあったここで、と思わざるを得なかった。砂煙が風で吹き払われ、タワー入り口へ迫る殺人ドクター、サウンザンドブレイド、薔薇の貴婦人のシルエットが傍の翡翠の目にも明らかになる。
　前線での戦闘開始からゆうに10分以上が過ぎ、ここでさらに三体の増援は厳しすぎると判断せざるを得ない。どう考えても勝機は見込めない数に、イチはやりきれない思いで吐息をつく。
　……撤退だ。これ以上は保たない。
「撤退しよう」
　砂埃でかすれきった呟きを拾ったのだろう、足元のくろ丸がぴんと耳を立てる。
「皆を守って退くんだ、くろ丸。さいわいマンチェスターは手負いだし、まだ動ける者も――」
　さらなる増援の接近を知った灼滅者達の間に、諦念と動揺が広がる。いくつかの失策はあったものの、ここまでマンチェスター・ハンマーとやりあった事こそ誇るべきかもしれない。それにもともと彼女の灼滅は困難だと断言されていたのだ、手勢を削っただけでも充分な戦果と言える。
　急ぎ、傷の深い翔を庇って退却を開始しようとした止水へ、殺人ドクターが血と錆まみれのチェーンソーを振り上げ迫った。しかしせめて翔だけでもと思い覆い被さった止水とダークネスの間に、誰かが割り込んでくる。
　だん、と地面を強く踏み抜く音と一緒に、派手な色の頭髪が目を惹いた。殺人ドクターがあっけなく吹き飛ぶ。
「――葉？」
「間に合った、か？」
　無傷ではない、しかし、この場の多くの灼滅者のように満身創痍でもない。
　あまりのことに二の句が継げずにいるイチの代わりに、くろ丸が堰をきったように吼え始めた。増援をすんでの所で食い止めるべく割り込んできた五つの人影。
「こいつらは任せろ、一歩たりとも抜かせねェ!!」
「錠」
　一体を確実に葬ってきたことによる遅れが、ここにおいてのみ、吉と出た。
　最後に合流を果たした5名、錠、セカイ、そして織久、舞、葉が、ちょうど六六六人衆達の脇腹に横槍を入れる形で襲いかかる。
「我等が悲願、成就の時なり！　万物万象今こそ導となれ!!」
　闇器【闇焔】を駆り、織久は三体の真ん中へ躍り込んだ。これ以上の死地はなしとばかりに舞が戦場を駆け抜け、蹂躙の限りを尽くそうとしていたリストレイターを一撃で葬る。
「ここは決して抜かせません、皆さんはマンチェスターを！」
「わかった。――葉、錠、頼んだ。葉月！」
　セカイの声に背中を押され、イチは葉月と共に改めてマンチェスターに向き直った。この機会を逃せば、あとはずるずると消耗戦に持ち込まれるだろう。
「押し切るぜ。勝つにはそれしかねえよ」
「わかってる」
　葉月の声に首肯し、イチはせめてもの守り手としてくろ丸をその場へ残した。それきり背を向けたふたりに葉と錠が親指を立てたことを、彼等は知らない。
「そろそろ大詰め、っすかね」
　最初から一貫して前衛を張るギィにも限界が近かった。その傍らで菜々乃のプリンが力尽き、静佳は唇を噛む。
「まあ最後まで立っている気はハナからありやせん」
「そうかい？　じゃあいい加減、沈みな！」
　いけない、と静佳が制止する前に、ギィは自らマンチェスターの懐へ踏み込んだ。クロスカウンターでも狙ったのか、深すぎる間合いにマンチェスターは一瞬顔を歪める。
　しかし、ハンマーの柄を素早くたぐり寄せ振り抜くという判断は、さすがに殺人技巧を誇る六六六人衆のそれと言わざるを得ない。なすすべなく昏倒してゆくギィはしかし、マンチェスターに向かって一瞬だけにやりと笑ったのだ。
「……そうして、みずから」
　まだ動ける者を残すためにマンチェスターの一打をひきうけ、そして倒れるギィを見届けてから静佳は顔を上げる。倒れてなお後を託すために、自らを引き換えに敵の手数を潰した。
「受け取らねばなりません、ね」
　だから静佳は託された責務を果たさなければならない。
「立て直し、ます。皆さん、もう一度集まって」
　血みどろの戦場の真ん中、細い声があがる。応じる癒し手は、まだ誰も欠けていなかった。
「東当先輩、そっちお願い！」
「おう任せとき、篠村先輩!!　やったるわ！」
　追い詰められれば追い詰められるほど燃える質だということは、ずっと前から自覚している。もともと不退転の覚悟で挑んだ場所だ、むしろ上等。
「だいたいねえ、元々六六六人衆は気に食わんのよ。思い通りになんかさせへん！」
「その意気や」
　渾身のフォースブレイクを連続で見舞い、互いが互いの死角を補うように悟と希沙は走る。遅れてやってきた舞達が増援を食い止めてくれているうちに王手をかければ、そこで灼滅者の勝利だ。
「嫌がらせは想像していたけど、よりによってスサノオとはね……」
　満身創痍のまま踏みとどまっている翔を後方から援護しながら、陽太は忙しく背後を振り返る。増援は食い止められているものの、だからと言って背後を疎かにはできない。その証拠に時折何かのサイキックをもろに背面に喰らい、倒れ込む者が続出していた。
「普通もうちょっとこう、何と言うか。同盟とか一度は検討した相手なんだよねって言うかさ」
「まあそうだとしても、やってくれました。実にいやらしいですよ」
　何やら他人事のようにそう評価するゲイルにひとつ視線をくれてから、陽太は邪魔なフードを肩から除ける。咳き込んだ拍子に血の匂いが胸の奥から湧いてきたが無視した。グラインドファイアを続けて放つゲイルへ何か言いたげなシャオへひとつ手を振り、踵を返す。
　挟撃の対処のため後方へ回った紗夜の眼前では、熾烈を極める激闘が繰り広げられていた。三体ものダークネスを相手に、織久をはじめとした錠と葉が文字通りの修羅と化している。
　ただひたすらに、織久は己が身を顧みることなく敵陣を切り刻んだ。腕が千切れるかと思うほどの斬撃を喰らおうが、脇腹が吹き飛んだような気がしようが、もう何も気にならないと表現したほうが近い。
　織久と錠と葉、その三人の間を抜かせぬようセカイが陣取り、さらにその後方から舞が狙い撃つ。
　既にマンチェスターと交戦していた彩希と鶉の助力もあり、彼等は尋常でない奮戦を見せていた。前線での負傷もあったとは言え、殺人ドクターと薔薇の貴婦人を阻止しきったのは奇跡的と言っていい。
　しかしさすがに動きの鈍ってきた錠へサウザンドブレイドが組み付き、そのままもつれあうように転倒する。
「錠!!」
「……こんッの、くそがアアァァアッ!!」
　なかば足蹴にしてサウザンドブレイドを引きはがし、もはや満身創痍の錠が全身で息をするように揺らめき立つ。しかし負傷が重なりすぎたせいで突破を阻止できない。織久が膝をつき崩れ落ちるのがわかったが、無事を確認したくとも脚が動かせない。
　限界だ。視界の中の見えている全部が真っ赤で、真っ黒で、不規則に瞬いていて誰が誰かもわかりにくい。
「はやく」
　錠はもとより織久、葉の限界を見て取りセカイが悲鳴に似た叫びをあげる。
「早く、マンチェスター・ハンマーを!!」
「もうやってる!!」
　全身で叫び返した紗夜の横、ついにサウザンドブレイドにつかまった朱那と止水が力尽きる。そのまま前衛まで突破されるよりはと、必死で追いすがった舞のグラインドファイアが頭部を吹き飛ばした。
　一分一秒でもいい、一撃でもいい。
　戦況が完全にもう一度あちらへ傾く前にマンチェスターを削りきりさえすれば勝てる、その一念で惡人が身を翻した。戦いにおける無駄を、不利になる行動を嫌う惡人の判断は、時に非情で時に苛烈にも見える。
　しかしこの場においては必要な、不要な情をすべて切りすてた判断だった。
「おぅ、ヤローども」
　両脚から伝う赤い血痕で床を濡らしながら、喘鳴の混じる声で告げる。
「情なんてもんは戦闘の前と後にだけありゃいいんだ、今はいらねぇ」
　欠片もな、と傲然と一喝し、灼滅者の背後を食い潰さんと襲いかかる増援を迎え撃つ。ダメージが積み重なった久良をはじめとして、白金や鎗輔が次々とマンチェスターを仲間に託して後列へまわった。
　――は、と空気の塊を吐いて統弥は目を醒ます。顔のすぐ横を誰かの足が踏み抜き、気を失っていたのだと理解した。見れば自分以外にも倒れている、そして倒れゆく人影がいくつも見える。続けて二人、後衛を守りきって突っ伏していくあれは錠と葉の背中だろうか、そしてよく踏みとどまっていた惡人と陽太も。最後に残ったサウザンドブレイドと翔は相打ちになったらしい。
　血を吐き捨てたマンチェスターが、もう瓦礫ばかりしか見当たらない床へ槌を振り下ろした。氷の柱に貫かれ、すでに足がまともに機能していなかった宗嗣が糸を切られるように沈黙する。
　動けない。でも、左腕だけは動いた。
　片腕で起き上がろうとして、統弥は誰かの気配を感じる。
「――」
　濃い血のにおい。誰かの悲鳴、何かのサイキックが炸裂したのか、凄まじい破砕音で耳が一瞬音を拾わなくなる。
　槌を引きずって歩く地響きは統弥の目の前で止まった。
　見上げれば、薄紅色の髪を真っ赤に染め、黒いライダースーツも血塗れにした六六六人衆序列第二位がこちらを見下ろしていた。絶対的で冷たい、死の予感が背中をぞろりと撫で上げる。
「何やっとんのや葦原、逃げろ!!」
「動いて!!　止まっちゃあかん！」
　統弥の窮地に気付いた悟と希沙が血相を変えて向かおうとするも、もう遅い。間に合わない。槌はすでに。
「あたしの、ハンマーに」
　だらだらと血を流し、それでもマンチェスターはうつくしい顔を笑みに和め。
「蓄えられてみるか？」
　スローモーションのように魔方陣を浮かせる巨大槌を掲げたダークネスを、統弥は黙って見上げたまま。
「させるかああああ!!」
　一瞬だけ空気が静止する――そんな錯覚を破って、マンチェスターと統弥の間に誰かがなりふり構わず突っ込んできた。
「ッ、この、邪魔アァァアアア!!!!」
　ろくに動かぬ体で咄嗟に箒を飛ばし、無理矢理突っ込んできた歌音。
　苛立ちのまま無理な体勢から標的を変え、マンチェスター・ハンマーは咆哮する。激突の衝撃でもはや床と表現できなくなってきた地面が派手にたわみ、地震めいた揺れを引き起こした。
「く、あ、ぁ！」
　凄まじい音を立てながらも巨大槌の柄を歌音は受けきり、受けるどころか押し切られそうになりつつも堪えきって、そして。
「――さん、にぃ、」
　そのまま、鼻先が触れあいかねない距離まで幅寄せしてきた血塗れのマンチェスター・ハンマーが、嘲笑を含んだ囁きをこぼす。
「いち」
　――それは。その意味は。
　刹那、鍔迫り合いのような体勢から力任せにハンマーをぶん回され、歌音は派手にリノリウムの床を転がる。盛大に砂埃を巻き上げて止まった瞬間に悟や晶が手を伸ばし、それにすがって起きあがろうとして、果たせなかった。目の前の残酷な現実に力が抜ける。
「残念だったね、時間切れだよ!!!!」
　瞬間。
　大きく崩れた世界救済タワーの壁、その背後から白い毛並みをなびかせたスサノオの軍勢が姿を現した。
　大勢の足音に加え、スサノオ勢の防具や武器が触れ合う音が急速に大きくなる。マンチェスターのもとへ駆け寄ろうとしているのだろう、スサノオ壬生狼組も見えた。
「……今日の所は俺達の負けだ、それは潔く認めよう」
　口惜しさも、無念さも。あと一歩届かなかった自分たちへの怒りも。
　たったの一歩、しかし残りのただ一歩。ついにそれを詰めきれなかった痛恨の結果を呑みこみ、拓馬は愕然と膝を落としている満身創痍の灼滅者たちを振り返る。
「だけど、ここは退き処を失って死ぬようなステージじゃあないよ。皆、撤退しよう」
　このまま玉砕を仕掛けるにはふさわしくない、とも表現された形になり、マンチェスターが片眉を上げるように笑う。
「へえ、玉砕覚悟ならなんとかなるかもよ？　デカ乳様、生かしておいたら嫌がらせいっぱいするよお？　それでいいんだ」
　煮えてあふれそうな腹は防具の内側へしまいこみ、拓馬は挑発を無視しきってさっさと踵を返した。迫るスサノオの軍勢、その追撃はないだろうという予測もある。
　重傷者には手を貸し、速やかに陣を退きながら脇差は肩越しに振り返った。先日の大規模作戦において、不自然に目覚めない一般人がいたことがずっと引っかかっている。それを解決する好機ではあったが、この結果を受け入れないわけにはいかなかった。
　その数40名。
　六六六人衆第二位、マンチェスター・ハンマーへ挑んだ灼滅者たちはここに、惜しくも敗北した。

　一方、前戦で薔薇の貴婦人を足止めし続けていた日方達は、不吉な、遠い音に顔を上げる。俄に聞こえはじめた獣声には残念ながら聞き覚えがあった。
　スサノオ勢が到着したらしい。タイムリミットだ。
「ここまでか」
「おっぱいはんまーちゃんの行方が気になるけど」
　日方ともども残った環、アリスの3名で支え続けた戦いは、粘りに粘って持ち堪えた、と表現するのが正しい。どちらかがあと一押し仕掛ければ勝負は決したはずだが、潮時だ。
「灼滅できず、残念です」
　本当に、と平坦な口調で、しかし大きく喘ぎながら呟いたアリスに、ドレスを飾った花々のほとんどを散らした貴婦人が口角を上げる。頭へ乗せていたはずの帽子はいつのまにか失せ、あちこち裂けてぼろぼろのドレスもひどいものだった。
「行くぜ、もうそこまで来てる」
　先頭をきる日方を追うような素振りも見せず、薔薇の貴婦人はいかにも優雅に身を翻してタワー内部へ消えていく。
　どこかから届いているスサノオの遠吠えが、ひどく長く尾を引いて秋の空に響いていた。

作者：佐伯都	重傷：万事・錠（オーディン・d01615） 一・葉（デッドロック・d02409） 西院鬼・織久（西院鬼一門・d08504）  死亡：なし 闇堕ち：なし
種類： 公開：2017年10月20日 難度：難しい 参加：8人 結果：失敗…
得票：格好よかった 17／感動した 1／素敵だった 0／キャラが大事にされていた 0
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