世界救済タワー決戦~鉄槌と涙

    作者:九連夜

     山梨県の山間部にて、グラン・ギニョール戦争で撤退した、六六六人衆序列2位、マンチェスター・ハンマーと配下の軍勢が西へ西へと移動を続けていた。
     軍勢の先陣を務めるのは、防火服を身につけ殺人トーチで山林を焼き払って道を切り開く、デストーチャー達。
    「山バカリ、人イナイ。人間コロセない」
     デストーチャー達の不満の声に、マンチェスターはぶっきらぼうに応える。
    「しゃーねーだろ。あたしらは負けたんだからよぉ」
     と。
     勢力首魁のパラベラム・バレットだけでなく、六六六人衆の組織の要であったランキングマンを失った今、六六六人衆が再び元の強勢を取り戻すことが不可能なのは間違いない。
    「……アタシ達、これからどうすればいいのですかえ?」
     薔薇の花に埋もれたドレスを翻して山道を歩く貴婦人たちが不安そうに囁くが、マンチェスターは自明の理であるように答えを説く。
    「そんなもん、決まってるだろ。相手が嫌な事をすればいいんだよ」
    「さすがは、マンチェスター様というべきでしょうか?」
    「きぃーひひ。嫌なことはいいねぇ。はやくやりたいねぇー」
     その答えに、体中に刃物を装備したサウザンドブレイド達も、尊敬と諦観を混ざり合わせた声で頷き、殺人ドクター達が不気味な笑顔を浮かべて、マンチェスターを仰ぎ見た。
     丁度良い機会だと思ったのか、マンチェスターは、歩みを止めると、配下の者達に、これからの方針について説明を始めた。
    「ということで、あたしらはナミダ姫に合流する。ナミダ姫の居場所はわからんし、連絡を取る方法も無いが……、ブレイズゲートを制圧してナミダ姫が喰らえるように準備してやれば、きっと食いついてくるさ」
    「ブレイズゲートでナミダ姫釣りというわけですね。更に、ブレイズゲート制圧に協力して恩もお売りになる」
     リストレイター達が、マンチェスターの方針に大きく賛同するが、マンチェスターの方針はそれだけでは無かった。
    「それにな、あたしの予想では、あいつらの次の標的はナミダ姫になるのさ」
     ドヤ顔でそう言い切るマンチェスター。
    「そこは、ヴァンパイアじゃないんすか?」
     ブッチャーマン達がそう聞いてくるが、
    「いーや、ナミダ姫だよ。強敵と戦うのにこりて、弱いところからプチプチしたくなる。人間は、そんなもんさ」
     それに……と、マンチェスターはもったいを付けた後に続けた言葉に、配下達はさすがはマンチェスター様と尊敬を確かにしたのだった。

    「簡単さ、あたしらがナミダ姫に合流した上で、あちこちの勢力と協力しまくるのさ。せっかく、弱小勢力を狙ったのに……悔しがる声が聞こえてくるよ」

     この日、マンチェスター・ハンマーにより世界救済タワーが制圧されたのだった。
     
    「皆さん、まずい事態になりました」
     教室に集まった灼滅者たちに向かって、五十嵐・姫子(大学生エクスブレイン・dn0001)は開口一番、そう告げた。
     グラン・ギニョール戦争で撤退した六六六人衆序列2位、マンチェスター・ハンマーによる、世界救済タワー(山梨県)の制圧。彼女の目的はブレイズゲートであるタワーの自体を手土産として、スサノオ勢力のナミダ姫と合流し共闘を申し出ることらしい。
    「実際に何らかの手段でこの状況を知ったナミダ姫は配下のスサノオと共に世界救済タワーに向かっています。彼女たちが合流してナミダ姫が世界救済タワーの力全てを喰い尽くせば、その戦力はきわめて強大なものとなるでしょう」
     具体的には、倒そうとすれば先に行われた黄金闘技場決戦と同等規模の作戦が必要な難敵となってしまう。黄金闘技場決戦ではジークフリート大老を灼滅することに成功したが、あれは灼滅者たちの戦術が見事に当たったことに加えてかなりの幸運、そして何よりも武人として正々堂々の勝負というか、勝敗すら度外視して「戦い」そのものを好むジークフリート大老の性格があったればこその話だ。
    「目的を達成すればナミダ姫たちはさっさと撤退するでしょうから、仮に戦力を整えても同じ形で決戦を行う事は不可能です。そして、世界救済タワーがマンチェスターによって制圧されている状況では、ナミダ姫が世界救済タワーを喰う事を止める事はできません」
     つまり今度の敵は、十分な戦闘力に加えて頭の切れる、正攻法では斃しがたい相手だということだ。武蔵坂に確実に不利益をもたらすその行動を阻止するにはどうすればよいか。
    「策を打ち破るのは速度です。少数精鋭の部隊による強襲作戦を行えば、ナミダ姫が現地に到着する前にマンチェスター・ハンマーを灼滅するチャンスが生まれるでしょう。といっても……」
     実のところ、灼滅出来る可能性は高くはない。何しろ十分な強さを持っているくせに自身の生存を何よりも優先する強くずる賢い相手だ。不利とみれば逃亡もためらわないだろう。だが少なくとも奇襲によってその配下の軍勢を減らすことができれば、それは今後につながっていく。今回は無理だとしても、将来、何らかの形で灼滅できる機会が生まれるだろう。
    「というわけで、皆さんの御協力をお願いします」
     そう言うと、姫子は黒板に今回の作戦の概要を書き出した。
     マンチェスターはタワーに陣取り、ナミダ姫率いるスサノオの軍勢の到着を待っている。
     その周りには、おそらくは灼滅者やその他敵対勢力を近づけないために、配下の六六六人衆が布陣している。
     マンチェスターを狙うためには、この布陣を突破しなければならない。
    「皆さんにはマンチェスター配下の六六六人衆の2体を相手にしてもらうことになります。あるいは過去に遭遇したことがある方もいらっしゃるかも知れませんが……」
    「サウザンドブレイド」と「薔薇の貴婦人」。
     言わば量産型の敵だが、マンチェスターがわざわざ連れ歩いているだけあり、個体の実力は六六六人衆の並のナンバーズ以上だ。
    「皆さんにはこの2体のダークネスと戦いつつ、何人かをマンチェスターとの決戦に向けて送り出していただくことになります。ですが、ここが非常に難しいところでもあります」
     仲間を送り出せば終わりではなく、減った戦力のままでその2体と戦い続け、足止めをかけなければならない。仮に戦闘不能者が何人も出る事態となれば、余裕ありとみた敵は少なくとも片方を決戦への増援に送り出してしまうだろう。そして敗北すればそのまま2体が共に決戦に加わることになる。
    「状況次第ですが、突破を諦めて、敵の離脱と増援を阻止する事に全力を尽くしていただく必要も出てくるかも知れません」
     何を基準に誰をどのように決戦場へと送り出すか。細かい作戦は皆さんで検討をお願いしますと言いながら、姫子は少し低い声音で言い足した。
    「作戦のタイムリミットは、スサノオ勢力の到着までとなります。ナミダ姫たちが戦場に現れたら、勝ち目は無くなるので迷わず撤退してください。姫の性格とこれまでの経緯を考えると、撤退する皆さんを追撃してくる事はほぼ無いと思われます」
     そこで姫子は灼滅者たちの顔を見ながら一つ溜息をついて続けた。
    「マンチェスターは非常にやっかいな敵です。力押しも通じにくく、現状認識も正確で、おそらくは現時点では灼滅者たちに嫌がらせをしつつ生き延びる以外の目的も持っていません」
     だから、仮にこの場で倒せずとも、少しずつでもその力を削いでいく。腰を据えて対処し、こちらも粘り強く灼滅の機会を狙っていく。
    「難しい戦いではありますが……これまでも幾多の難敵を斃してきた皆さんです。今回もやれると信じています」
     姫子は小さく微笑み、灼滅者たちに向かって深々と頭を下げた。
    「どうかよろしくお願いします。ご健闘を!」


    参加者
    白・彰二(目指せ百折不撓・d00942)
    宮瀬・冬人(イノセントキラー・d01830)
    橘・彩希(殲鈴・d01890)
    逢坂・兎紀(嬉々戦戯・d02461)
    神威・天狼(十六夜の道化師・d02510)
    城守・千波耶(裏腹ラプンツェル・d07563)
    イブ・コンスタンティーヌ(愛執エデン・d08460)
    久成・杏子(いっぱいがんばるっ・d17363)

    ■リプレイ

    「他人の嫌がることをする、か」
     油断無く周囲を警戒しつつ歩を進めながら、城守・千波耶(裏腹ラプンツェル・d07563)は顔を上げて視線の遙か先の、土台しかない巨大な塔の残骸を眺めた。
     灼滅者たちが探索のために何度も訪れ、荒れ狂う魔神の眷属やダークネスたちと戦いを繰り広げたその塔――世界救済タワーは今やマンチェスター・ハンマーの牙城と化している。六六六人衆の序列2位という強大な力を持ちながらも「敵の嫌がることを実行する」という戦術的にも有効なポリシーを持つ難敵の姿を脳裏に思い描き、千波耶は口の中で呟いた。
    「『他人の嫌がることをする』って言うなら、わたしは『それをさせない』」
    「ん?」
     傍らを歩む白・彰二(目指せ百折不撓・d00942)が、その言葉を聞きつけたらしく振り返った。
    「こまけーことはよく分かんねーけど、ほっといたら厄介なコトになるのは分かる!」
     彰二は歩きながら両手を上に伸ばして、んー、と大きく伸びをした。
    「なら意地でも止めるだけだ、灼滅者舐めんなよ!」
    「そうだね、頑張らないとね」
     顔なじみの仲間が吐いた啖呵にわずかに口元に微笑を浮かべて応じ、だが宮瀬・冬人(イノセントキラー・d01830)は奥底に奇妙な殺気をたたえた瞳を目的地の塔に向けた。序列二位。それも単なる戦闘狂ではなく頭が切れて、しかも愉快犯的な行動の読みにくさすら備えた相手。これまで幾多の戦いをくぐり抜けてきた彼にとっても、それは屈指の難敵といえる存在だった。
    (「でも、今日の俺の仕事は……」)
     眼から危険な光を消し、冬人は傍らを進む仲間達に振り返る。そこには小柄な身体に元気と闘志を漲らせた久成・杏子(いっぱいがんばるっ・d17363)がいた。
    「あさき先輩、そろそろだね! 用意はいい?」
     ウイングキャットの「ねこさん」と一緒に両手のこぶしを握りしめた少女に、橘・彩希(殲鈴・d01890)は落ち着いた声で応じた。
    「万全よ。いつでも闘えるし、マンチェスターのところにも辿り着いてみせる。悪いけど……」
    「お二人の突破の支援はお任せを。叶うならばわたくしも後から参りますわ」
     イブ・コンスタンティーヌ(愛執エデン・d08460)が微笑と共に優雅な一礼で応じる。杏子と彩希をマンチェスターのもとに確実に送り届け、戦況が許せば自身もそれに加わる。それがイブの今日のミッションだ。
    「でも奇襲ってさ、驚かせる感じが良いよね。驚いてもらうついでに倒されてもらおうかなってね」
     こちらは至って気軽な感じの神威・天狼(十六夜の道化師・d02510)がそんなことを口にしたときだった。8人の足が一斉に止まった。見えた。秋の風に巻き起こされた土煙の向こうから、大と小の二つの人影が近づいてくる。全身に無数の刃を纏うダークネス「サウザンドブレイド」と、場違いなまでに華やかな衣装をまとった「薔薇の貴婦人」。
    「とりあえず! こいつら全部止めて潰せばいーんだよなっ」
     逢坂・兎紀(嬉々戦戯・d02461)は愛用の兎耳のパーカーを被り直してニッと笑った。
    『ほほう。灼滅者風情が大きな口を叩くものだな』
    『マンチェスター様に近づけさせはせぬ。この場から追い散らして進ぜようぞ』
     ブレイドが全身の刃を振るわせて笑い、貴婦人が毒の笑みを漏らす。
     灼滅者たちは答えなかった。ただ距離が詰まった。
     そして始まる、激闘。

    ●突破
     戦場に最初に響き渡ったのは、千波耶の喉から漏れたメゾソプラノの歌声だった。ディーヴァズメロディ、伝説のローレライのごとく聴き手を惑わす神秘の力を込めた歌は人ならざる貴婦人の耳をも捉え、その魂を魅了する。
    「援護します!」
     彩希の手から発した白い炎が仲間達を守るように包み込み。
    「行け!」
     彰二が呼び起こした紅い炎がそれに加わった。紅と白がない交ぜになった炎を揺らめく残像のように纏いながら、冬人が先陣を切って敵の只中に躍り込む。己の影で編んだ鎖を振るい、槍の穂先のナイフを逆手に握り、抉り込むように繰り出した技は螺穿槍。回避しかけた貴婦人の肩口を切り裂き、薔薇色のドレスの切れ端が宙に舞う。
    『お返しでございます』
     貴婦人の口が開き、何かが流れ出た。美しき薔薇が持つのは棘のみならず、灼滅者をも蝕む毒。ほぼ瞬間的に広がったそれが彰二、兎紀、千波耶にイブ、さらには杏子とサーバントたちまで、前衛陣を軒並み包み込むのを横目で見ながら、天狼は気にせず笑顔のままで突撃した。
    「その程度じゃ」
     己の接近戦用の武器たる交通標識を振りかぶる。
    「全然、足りないってね!」
     貴婦人の脳天に遠慮無く叩き込んだ瞬間、標識が紅い輝きを放つ。
    (「効いたか!?」)
     跳び下がりながら効果を注視する天狼と入れ替わるように、軽く頭を振ったイブが疾った。
    「愛は忍耐。耐久戦には些か自信がございます」
     叩きつけられたDer Rosenkavalier、こちらも薔薇の銘を持つクルセイドソードの一撃を、貴婦人は難なく受け止めた。
    「そう簡単にはいかないか」
     天狼は呟きながら次の機会を窺う。ふと殺気を感じて振り向くと、ブレイドが黒いコートを広げて全身の刃をハリネズミのように逆立てているところだった。
    「!」
     直後に打ち出された刃は躱す間もなく天狼に突き刺さり、やや遠くにいた冬人はかろうじて叩き落とした。
    「ふん、お前ら案外大したことねーのなっ」
     続いて小馬鹿にしたように兎紀が振るったサイキックサードが背後から貴婦人を切り裂き。
    「くらえ!」
     毒のお返しとばかりに飛び出した杏子が貴婦人を蹴飛ばしもといスターゲイザーの一撃を打ち込んだ。
    『ふむ。妾を集中攻撃かえ。ぬしらは正しい。が』
     さらにイブのビハインドであるヴァレリウス、杏子のウイングキャット「ねこさん」の攻撃までが自身に集中するのを見て、貴婦人はなおも余裕の表情だった。そして妖しげな微笑と共に再び広がる、貴婦人の毒。
    「!」
     今度は耐えてその威をはじき返しながら、千波耶は敵の様子を観察し、考えた。
     この一連の手合わせでだいたいの様子はわかった。この敵は強い。だが強すぎるというほどではない。これまで幾多の戦いを経験し、凄まじい強敵とも刃を合わせてきた彼女から見れば、並よりも少し強い相手というに過ぎない。このまま戦い続けていればいずれ形勢はこちらに傾き、灼滅することも可能だろう。
    (「ただし……」)
     千波耶はちらと視線を走らせ、むむっと口をへの字に曲げながら、敵に気づかれぬように突破の機会を窺い続ける杏子の横顔を見た。それは8人全員でならという前提だ。2人分の戦力が抜ければ話は逆でよくて対等、悪ければじり貧に陥る危険もある。考え続ける彼女の視線が、ふと彩希のそれと合った。
    (「無理は駄目。みんながやられたら意味がないし、しばらくこのままで」)
     わずかに首を横に振ったの彩希の無言のメッセージに、千波耶も小さく首を縦に振って応じた。
    (「了解。まずは有利な状況に持ち込んでからね」)
     だが敵は強く、拮抗した戦いがそれからも続いた。2分。3分。4、5、6分。
    「むう」
     残された仲間達が負けてしまえば作戦は失敗だが、到着が遅れてしまい、マンチェスターに別班の突入組がのされてしまえばそれはそれで元も子もない。これは強引に突破しないとダメかな~と杏子が思い始めたあたりで、ふと周囲に漂い始めたほのかな香りに天狼は気がついた。ローズティ、薔薇を添えた紅茶の香り。見れば貴婦人がその手にカップを握っていた。ヒールのサイキック、つまりはここまでの集中攻撃に耐えきれずに、ついに守りに入ったということだ。即座に状況の変化を見て取った冬人が叫んだ。
    「行って!」
     声が消えるのも待たずに彩希と杏子が飛び出した。顔も合わせずただ前へ、狼狽える貴婦人の脇を抜けてマンチェスターが陣取る塔へと。
    『ぬうっ』
    『いかせぬ!』
     とっさに貴婦人が伸ばした剪定鋏が彩希の脇腹を擦ったが彩希は振り向きもせずそのまま走り続け、一瞬遅れて反応したブレイドが二人に追いすがった。杏子の背に届こうとした刃を、横合いから突き出された縛霊手が遮った。
    「やらせねえって!」
     回り込んで刃を受け止めた彰二は、その背で遠ざかる二人を守るようにブレイドとつばぜり合い。しばし堪えた後に、キン、と一つ金属音を立てて飛び離れる。
    『一本取られたわ。だがのう』
     己を癒やし終えた貴婦人は、冬人が伸ばした影の鎖を跳び下がって躱しながら嘲弄した。
    『2人減ってわずか6人。その数で我らとやり合えると思うのかえ』
    「とーぜんだって。そいであんたらもまとめて斃して」
     即答と共に兎紀が突進した。
    「全員でマンチェスターを討つ!」
     兎紀の拳が貴婦人の腹を捉え、そこへ戻ってきたブレイドが放つ無数の突きが直撃した。
    「ちっ!」
     兎紀が大きく飛び退いたその空隙にイブとヴァレリウスが同時に入り込み、娘が片腕だけで放った逆袈裟の一刀とビハインドが腕から放つ霊撃が揃ってブレイドの胸を直撃し、よろめかせる。
     そして再び乱戦が始まった。

    ●任務完了
    「なあ、これ終わったらドーナツ食いに行こーぜー」
     トレードマークの兎耳フードをひらひらさせ、サイキックソードを貴婦人に向けて振り回しながら、兎紀はそんなことを口にした。
    「悪くないね。でも」
     冬人が笑って答える。
    「こいつらを片付けてからだね!」
    『舐めた口を!』
     ナイフを振るうのと至近距離に迫ったブレードの強烈な一撃がほぼ同時。痛み分けの形で跳び下がったところで天狼と眼が合った。
    (「ったく、こちらは大忙しだ」)
    (「悪い」)
     すかさず治癒の力を飛ばしてきた彼に視線で礼をいい、冬人はわずかに額に浮かんだ汗をぬぐう。彩希と杏子が抜けてから戦い続けること10分あまり、戦況は互角から徐々に灼滅者たち側に傾きつつあった。とはいえこちらも無傷ではない。イブを守ろうとしたヴァレリウスは2体の攻撃を同時にくらって弾け飛んでおり、さらにこちらの貴婦人狙いへのお返しとばかりに集中攻撃を受けた彰二が後方に下がり、代わりに自分が前に出ている。
     だが、と冬人は考える。あるいは位置を変える手間を取らずにそのまま強引に攻め続けたほうが良かったのでは無いかと。わずか1分の攻防、さらにはただの一手、一撃の差が戦況を転換させることは決して少なくはない。攻めよりも継戦を重視した自分たちの判断は、果たして正しかったのか。あるいは早く彼らを打ち倒せていれば、少なくともイブをマンチェスター戦に送り出す機会はあったのではないか……。
    「莫迦ですね。殿方のお考えは顔に出すぎて、わかり易すぎです」
     ぽん、と不意に後ろから肩を叩かれた。イブだった。
    「今はただ、目前の敵を打ち倒すのみにございます」
     その台詞を残して突進、Der Rosenkavalierが再び貴婦人のドレスに突き刺さる。
    「だな。あらためてぶっ飛ばしゃ、済む話だ!」
     持ち場から飛び出してきた彰二のチェーンソー剣は前に出てきたブレードの腹へ。絡み合う2人を回り込んだ千波耶が左手一本で槍を突き出した。弧と螺旋を合わせた動きの穂先が深々と貴婦人の胸に刺さった。ぐらついた。
    『な! こ、この!』
    『よくも、灼滅者ふぜいが!』
     悲鳴のような貴婦人とブレイドの声。そこには戦闘開始時の余裕は感じられなかった。
    「向こうもギリギリか。それなら……」
     むしろ利はこちらにある、あとはただ正攻法で押し切るのみ。そう決めた冬人の切り替えと判断は素早かった。
    「天!」
    「了解!」
     もはや治癒よりも攻撃。その意を汲んだ天狼がダイダロスベルトを放ち、伏せるような低い姿勢をとった冬人の影の鎖がそれを追って伸びる。上下二段から鞭のように打ち据える打撃に頭と足を同時にやられ、貴婦人は倒れることもできずにただ大きくよろめいた。
    「もう限界っぽいよな。耐えられるもんなら耐えてみやがれ!」
     とどめとばかりに突き込んだ兎紀の拳は貴婦人ではなくその前に出たブレイドの腹を直撃、打たれたブレイドの顔が大きく歪む。苦し紛れのように周囲全体に飛ばされたブレイドの刃も、貴婦人の毒の香りも、灼滅者たちの勢いを止めるには至らない。そのまま彰二の、兎紀の、再び天狼と冬人の、そしてイブと千波耶の攻撃が続けざまに決まり、ついに戦いは決したかと思われた。
     そのとき不意に空気の色が変わった。実際に変わったわけではないが、歴戦の灼滅者たちにはそう感じられる何かが戦場に発生した。
    「?」
     とどめのダイダロスベルトを放とうとした態勢で、イブはその原因を探るべく視線を中に彷徨わせる。だが彼女以上に敏感に反応したのは2体のダークネスだった。
    「――!」
     余力無しと見える貴婦人とブレイドは互いに頷き合ったとみるや、いきなり灼滅者たちに背を向けて走り出す。それは防御も何も考えていない完全な逃走で、それだけに灼滅者たちの虚を突いた。
    「待てって!」
     とっさに天狼が逃げるブレイドの背中に断罪輪を投げつけるが、敵は一瞬よろめくもそのままただひたすら逃げていった。ブレイドと貴婦人、2体の後ろ姿がどんどん小さくなっていく。
    「逃さねえ! うさぎちゃん、行くぜ!」
    「おう!」
     彰二の言葉に即座に兎紀が反応する。並んで走り始めようとしたその背中に声がかかった。
    「待ちなさい」
     二人をその場に釘付けにしたのは、千波耶の静かだが力のある一言だった。何かと視線で問う2人に向かって、黙って斜め前方を右手を伸ばして指し示した――塔の残骸のほうへと。
    「あ」
     自身も走り出しかけていた天狼が足を止めた。遙か遠く、視界の彼方から微かに聞こえていた切れ目の無い剣電弾雨の響きが消え失せていた。土煙と靄を通して、さらに遠くにわずかに奇妙な色の連なりが見える。
    「浅葱色……あれは壬生狼だね」
     やれやれ、と天狼は手にした武器を下ろした。同時にそれまで荒れ狂ってた冬人の影の鎖がシュルシュルと元の影に吸い込まれて本来の形に戻る。
    「ナミダ姫ご一行の到着か。ということはマンチェスターの灼滅は成らず、かな」
     苦笑気味に嘆息した冬人にイブが声をかける。
    「勝敗は時の運と言います。また殺させていただける機会もございましょう」
     そう、とイブは内心で呟く。少なくともこの戦いで灼滅者の力は十分に示せたはず。あえて言うなら、今後のためにも一体ぐらいは自分の手で討ち取っておきたかったところだけれど。
    「決戦はまだお預けってことか。任された分の仕事は済ませたし、壬生狼が来る前に退散しとこうぜ」
     ここでうだうだ言っても意味はねえ、とばかりに彰二はさばさばした感じに笑って踵を返した。
    「重傷者もいないしな。んじゃ、さっき言った通りに」
     兎耳フードをはねのけて向き直ると、兎紀が皆に向かって元気に宣言した。
    「ドーナツ食いに行こーぜー」

    作者:九連夜 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2017年10月20日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
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