龍脈封印儀式~雪と火と海が出会う処

    作者:佐伯都

     スサノオ勢力が滅びたことにより、スサノオ大神の力もまた失われた。それ自体は何も問題ない、むしろ良い事と言える。
    「良い事なんだけどここにきて少しばかり問題が、ね」
     そんな言葉で成宮・樹(大学生エクスブレイン・dn0159)は、自分のすぐ隣に堂々と鎮座ましている生き物など知らぬかのような顔で、話をきりだした。
     ガイオウガおよびスサノオ大神の力の源は、龍脈とも呼ばれる大地の力だった。フォッサマグナ、という単語のほうが通りがよいかもしれない、それは日本を真っ二つに引き裂きかねないほどの力を秘めている。
    「まあ、その力を支配したガイオウガが旧世代の勝者になって『サイキックハーツ』を引き起こしたのは、すごく順当な結末だったのかもしれないね」
     ガイオウガ、という単語に樹の隣で鎮座ましている生き物が耳をそよがせた。
     現在このフォッサマグナ、つまり『龍脈』はスサノオの姫ナミダが奪ったブレイズゲートのエネルギーによって活性化されてしまっている。それはそのまま、日本全土の火山および地震活動が活性化している、と言い換えてもいいだろう。
    「このまま誰かが制御せず、使用もせずに放置しておけば、自然現象の形で暴発する危険性が出てきてしまった、って話」
     わかりやすく表現するなら関東大震災と南海トラフと富士山の大噴火が同時発生するとかそういうレベルで、と樹は多少嬉しくなさそうな顔になった。これは誰がどう考えても嬉しくない事態に違いない。樹の隣の生き物も長い尾をせわしなく動かしている。
     そして、これは灼滅者がスサノオの力を大地に還したことが悪かったわけでもない。力の塊が消滅するまでダークネスの襲撃を退け続けるなどとうてい現実的ではなかったし、そもそも暴発する可能性についてもあの時点では誰も、予測も想像も及ばなかった事だ。
    「だから今回の件で、スサノオの力を地に還したことを気に病む必要は一切ないよ。それに、この件に対処する方法がないわけでもない」
     それに、スサノオは龍脈たるスサノオ大神の一部だ。ここで沈静化できればスサノオ残党の大半もそのまま消滅させられるので、単に大災害を回避できる以上のメリットもある。
    「日本全土の龍脈を沈静化させる、そんな壮大な話なのに方法がないわけじゃないって一体何なのか、と考えたと思うけど、お察しの通り灼滅者だけじゃ沈静化はできない」
     つまりスサノオ以外にも大地の力と縁深い存在はいる。そういうことだ。
     学園で保護していた『ガイオウガの尾』。イフリートの集合体であり個でもある彼等――つまり樹の隣にいるイフリートが、龍脈の沈静化と封印の儀式を行うと申し出てくれたのだ。
     
    ●龍脈封印儀式~雪と火と海が出会う処
     ガイオウガの尾によれば、封印の儀式を行うことができるのは『自然が豊かな地域にある神社』らしい。いつ儀式を行えるかはイフリート化したガイオウガの尾が同行し地脈の流れを見て判断するので、1月1日から11日までのどこか、になる。そのため余裕をもって移動し、近くで数日宿泊する必要が出てくるかもしれない。
     このたび向かうのは真冬の北海道、日本海に面した瀬棚(せたな)町にある断崖絶壁の上のとある神社だ。しかも『日本一危険な神社』という異名があるあたり、本殿までの参道の険しさは推して知るべし、だろう。
    「まあどのくらい過酷かって、参拝そのものが『エクストリーム参拝』って言われてるとことか、本殿まで行き着けない人のほうが絶対的に多いんで山の麓に拝殿があったりするとか、そういうレベル」
     ついでにヒグマの生息域にもジャストミート、もし夏だったならマムシとか蜂への対策も必要だ。
     しかしながら不幸中の幸いと言うべきか、今は冬なので冬眠中のヒグマに出くわす事さえなければ灼滅者にとってさほど怖い場所ではない。……本殿真下にある約7mもの岩盤をロッククライミングで登る必要はあるが。
    「そのかわり本殿からの日本海の眺めはすごいから、行く価値は充分あると思うよ」
     神社に到着したあと儀式を行うことになるが、いわゆる初詣と手順は一緒だ。もともと龍脈上にある神社は大地の力を鎮護するものなので、参拝の作法と儀式の内容はほぼ同じになる。
     儀式を行うと、神社近隣に天然温泉が湧出するはずだ。この温泉が大地の力と繋がるための接続端子と考えればいい。あとはガイオウガの尾のうちの一体であるイフリートと一緒にリラックスして温泉に浸かり、イフリートが大地の力と合一できるように補助する。
    「まあ初詣の季節とは言っても場所が場所だし参拝客はまずいないと思うけど……一応念のために一般人が迷い込んでこないよう対処したり、大地の力を狙ったダークネスの襲撃がないか警戒はしておいたほうが安心かもしれない」
     そして説明の最後を締めくくるように、6mはあろうかという巨体を揺るがせてガイオウガの尾――見るかぎりは大型の普通のイフリート、が頭をもたげた。
    「がいおうがノチカラヲ喰ラッタすさのおヲ滅ボシテクレタ事、ソシテ、コレマデノ学園ノ保護二感謝スル」
     唸るような声は低く、そして重い。しかし無意味に威圧する声ではない。
    「キット我等ガ助ケラレタノハ、コノヨウナ時ノタメダッタノダロウ。シカシ我等ダケデハ、儀式ヲ行エナイ。助ケガイル。チカラヲ貸シテクレ」
     大地の力が他のダークネス組織に利用されないために。
     そして、末永く灼滅者達を見守っていくために。


    ■リプレイ

     細かな雪が舞うものの、本日瀬棚町の天気は晴れ。大地の力と合一を計るにはよい日和だろう。
     そんな中、冬山登山の準備万端な皆無がふと同行者の緋月を見れば。
    「祀乃咲さん……すごくお似合いですし、本当に綺麗で素敵だと思いますが」
     明らかにリアクションに窮している皆無へ、いかにも初詣な振袖姿の緋月があたふたと言葉を選ぶ。
    「え、ええとこれは、ちゃんと初詣をする格好のほうが良いかなって……」
    「今から登山ですよ?」
    「え? 登山? ろっくくらいみんぐ……ですか……?」
     ええそうですあそこです、と皆無が指さした先を見て緋月が言葉を失う。
     麓から見上げる稜線も荒々しい山頂付近、白っ茶けた岩肌にへばりつく小さな鉄橋――と思しきものが見えるが、その岩肌を登りきった洞窟内に本殿はある。
     本気出しすぎ、と喉まで出かけた台詞を日方は飲みこんだ。
    「……エクストリーム参拝って初めて知ったぜ……色々な意味で」
    「……私も初耳です」
     日方や烏芥のほかにも、茫然と岩肌を見上げる灼滅者は少なくない。
     初詣という単語のイメージからはおよそかけ離れ(すぎ)る現実がそこにあった。
    「しかしまたエライ場所に本殿構えちゃったな……」
    「なんかこう、麓に拝殿あるのがなるほどって感じ」
     相棒のティンが新雪の感触にわふわふしているのを眺めつつ、夕月はアヅマと一緒に目の前の階段へ溜息を吐く。
     そこにほぼ垂直、と思える角度の石段がのびていた。実に最大角度は50度、アルペンスキーの滑降に使われる高速ゲレンデでも40度がせいぜい……と思うといかにこの石段が異常なのか理解できる。
    「日の本最も危険な神社……成程。我が冒涜を参拝に変化させる、凄まじき嗜好の頂。ゆえに我が四肢は神の膝元で感謝を表し、道中の過酷を哄笑してみせる」
     喉の奥でニアラが不敵に笑うものの顔色は蒼白だ。本殿どころか初っ端からこの石段か、と紗里亜をはじめ【糸括】メンバーもやや遠い目になっている。
    「手摺りはいい、理解できる。しかしロープが下がっている参道は聞いたことがない……よもやここで、噂の地獄合宿を経験できるとは」
    「と言うかこれ一般人だと死人出なくないか?」
     白雪が吹きだまりになっている石段の前には立派な鳥居があり、それ即ち参道ということだ。隅也と脇差は今更ながらその過酷さに若干引いている。
     見た限りどう考えても参拝客に死人が出ていそうだが、実は事故の記録は皆無らしい。ならばここはごく普通の人間向けのはずだ。……そうと思いたい。
     夏ならまだしも、よほど冬山に慣れていないかぎり一般人はいないはずだが、それでも何人かの灼滅者が殺界形成で人払いをしていく。
    「あの洞窟っぽい所までこの斜面を登るにしても、本当すげー神社だな……」
    「本殿もそうですがこの石段もなかなか味わい深いです」
     防水グローブをはめた烏芥が、段上から垂れ下がっているロープを掴んでなんとも言えない顔になった。しかしながら、軽く頭を振った後の表情は切り替わっている。
    「しかしここは、自転車部で鍛えました脚力を活かす時ですね」
    「そーゆーこった。よーし、負けねーぜ」
     日方や烏芥をはじめ、立ち直った者たちが俄然やる気を見せ始めた。一般人に死人が出ていないならば灼滅者が恐れ戦く理由はない。
    「よーし、登りきってやるぞ! エクストリーム参拝、なんてワクワクするし」
     根っからのアスリート気質が騒ぐのか、リリアナは元気よく石段へ脚をかけた。しかし石段の奥行きは浅く、体格によっては足裏が段へ乗りきらないだろう。
    「うわ、ボクの足でも踵ぎりぎり……これは疲れるかも。皆大丈夫かな」
     そこかしこに雪が吹き溜まっている石段を登る灼滅者を見回し、リリアナは一瞬薄ら寒い想像をした。もし自分が高所恐怖症だったなら二度と動けなくなってしまっただろう、と思うほどの光景が広がっている。
     何しろ恐ろしい事にこの石段はここから先で50度にも達するのだ、もはや階段ではなく梯子を登る感覚に近い。
    「それにしてもすごい角度……昔お父さんとよく遊んでいたから足場の悪い所は慣れてるつもりだけど」
     命綱をつけて【糸括】メンバーを先導する輝乃の後についていた渚緒の着物がぐいと引かれ、あやうく転がり落ちかける。
    「うわっ、引っ張り虫――じゃなくてあかりん部長危ない!」
    「三蔵、俺を置いて行くな。ここは日頃から培った糸括の団結力で難関を乗り切って行こーではないか!」
    「わかったから引っ張るのはロープとか手を! しょうがない人ですねぇ……」
     いつもの明莉のおふざけとわかりきっているので大事にはならないが、女子メンバーの元気の良さときたらどういう事だろう。事前にクラブ内で着物着用と申し合わせたせいか、ミカエラと杏子も振袖姿ですいすい石段を登っていく。君たちに怖いものはないのか。
    「わあっ、さりあ先輩、早いなのっ!」
     先頭近くを行く紗里亜に追いつこうと、杏子が石段の途中で団子になっている男子勢を尻目に追い抜いていった。実家が神社な事もあるのだろうか、いつもにも増して足取り軽やかな輝乃の様子に、脇差もつい頬が緩む。
    「わきざし先輩っ、てるのちゃんを手伝ってあげてねっ」
    「え? キョン、ボクはだいじょ、ぅっ!?」
     吹きだまりの雪で目測を誤ったのか、輝乃が盛大に石段を踏み外しバランスを崩した。すんでの所で脇差がその手を掴み転落は回避する。
    「こら、油断大敵だぞ」
    「あ、ありがとう」
     そんな中、懲りずに明莉がぺしょぺしょと隅也へ雪合戦を仕掛けてきているので応戦も考えるが、後続の者のためにも参道を塞ぐのは避けたほうがいいだろう。
    「参道は端を、歩かねばな……」
    「そこの男子、ふざけてると危ないですよ」
     皺ふえるぞ……と呟いた明莉へ、なにか? とにっこりする紗里亜の笑顔が壮絶に怖い。
    「まあここを乗り切ってこそ儀式の意味があるんでしょう……たぶんね!」
     紗里亜の声を聞きつけた燎が、たぶん!? たぶんなのか!!?! と頭を抱えた。
    「殺界持ってきてってのはええ、寒いのもしゃあない、冬で北海道やしな。でも冬山の崖登りするんは聞いてへんかったわ……」
    「便利だぞ、寒冷適応」
    「ってなんなんジブンそのESPばっちり対策済みやん!!!!」
     ずびし、と燎に鋭いツッコミを入れられたものの、純也は涼しい顔をしている。何事にも動じない友人とは思っていたが用意も周到、ろくに委細も聞かず同意した数日前の自分を燎は小一時間問い詰めたかった。
    「それ寄こせ言いたいけど身長差がほんっま憎いわ……いや詳細聞かず了承した俺も俺やけど!」
    「安心しろ、どうせ灼滅者なら寒いとか断崖絶壁が怖いとか滑落したりする程度だ」
    「死なないし大怪我にもならんけど痛いのは変わらねんけどなあ!?」
     にぎやかなやりとりを見送りつつ、供助は手早く同行者である藤乃の装備を確認して石段を登り始める。正式な参拝が推奨されているとは言え、灼滅者であっても道理にかなった範囲で寒さ対策の服装や足元はおかしな事ではないはずだ。
    「こりゃ確かにエクストリームって言われるわ……急勾配の石段の次は本物の山道かよ」
    「道の険しさ的にちょっとカップル向きではないですよね、これ」
     でも私達なら全然問題ないですし、お兄様が甘やかしてくれる分は全面的に受け入れますし! と何故だかご機嫌な彩歌に、甘やかすの前提なのか、と内心悠一はツッコミたい気分になった。
     まあそこで彩歌の言う通り、ついつい彼女の足元を気遣ったり体力配分を間違えぬように気を配ってしまうのはもう仕方のないのだろう。……恐らく。たぶん。
    「エクストリームでも、新年早々彩歌と北海道旅行って考えればいいか。北海道の味に温泉と、色々楽しませて貰ったようなモンだ」
    「ふふ、そうですね。参拝するといろいろとメリットがあり初詣もこなせる。これこそ一石二鳥です」
     そんな光景を横目に、ふと咲哉は殿を守るように粛々と歩みを進める大型イフリートを振り返る。
     ……かつて鶴見岳で出会った金色狐のイフリート、『嬉々』。もし再び会うことがあるとしたなら、友として。その願いは叶えられたのだろう。
    「ドウシタ」
     何か気になることがあるのかと言葉を重ねたイフリートに、咲哉はひとつ頭を振る。
    「鶴見岳で見送ったイフリートがいた。なかなか季節の風情を解する奴で」
    「……」
    「だからこうして一緒に雪景色を眺められるのは嬉しいと、そう思ってな」
     イフリートからの答えはない。否定も肯定もなく、雪の匂いに髭をそよがせながら黙々と山道を登るだけだった。
     古びたロープを道標がわりに進む途中、岩下に昔の名残の地蔵像が祭られていたりはするが、それ以外は人同士がすれ違う事さえ難しい獣道ばかりが続く。
     ほぼ中間地点にある女人堂にもしっかり手を合わせ、冬枯れの立木の中を登り続けるとようやく、本殿の鳥居が見えてきた。……端がどう見ても落石か何かで豪快に破損しているのを誰も指摘しなかったのは何故なのか。
     そしてついに、麓から見た白茶けた岩盤が行く手へ開ける。その真下へ続く鉄橋――と思しきもの、を見て皆無が無言になった。
    「祀乃咲さん、どうぞ。あれはちょっと、どうかと思うので」
    「お願いします……」
     晴れ着姿のままの緋月を抱え、皆無はESP壁歩きを発動させた。何しろ鉄橋と思しきものは赤錆びた手摺りとレール、くらいしか金属部分が認められず、それ以外は破れ放題の漁網らしきネットとロープしか足がかりがない。
     そしてその下は、これまた手加減なしの断崖絶壁。ネットを踏み破れば千尋の谷底へまっしぐらだ。
    「後ろつかえてるぞ木元、早く行けって」
    「鈍、俺、今本気でリアルに怖い」
     序盤こそふざける元気があったものの、鉄橋とその向こうの岩盤クライミングが待ち受ける現実に明莉の顔は蒼白だ。貸しだからな貸し、と脇差に引っ張られていく明莉を見て、相変わらず元気な女子メンバーに負けていられないと渚緒は気合いを入れる。
    「なに、これしき炎獣の王を登攀する決戦時よりは容易い!」
     ニアラが哄笑しながら本殿真下のロッククライミングへ挑むも、あっさり鎖から手を滑らせて落下しかける。さすがに周囲から悲鳴が上がったがやはり灼滅者、なんとか体勢を立て直した。
     吹きさらしの、7mにも達する垂直の岩盤。足がかりになりそうな物は何も見当たらず、岩窟からのびる鎖、もとい20cmほどの鉄の輪を繋いだもの、が唯一の手がかりだ。しかも固定されておらず左右前後に揺れるため、下など覗こうものなら全力で後悔するだろう。
     スペース上全員が一度に参拝することはできず、数人で入れ代わり立ち代わり二拝二拍手一礼、で参拝を済ませてゆく。
     供助が祈るのは、大地の力が落ちつき誰も被害に遭わぬこと。そしてゆかりの者の健康だ。隣の藤乃が何を祈っていたのかは知らない、しかし縁ある人の健康と安寧を願うのは同じではないかと、そんなふうに思う。
     ……その背を護るとはとても言えない。
     隣に立つこのひとは、真っ先に戦場へ駆けていってしまうような人だから。だから。だから、せめて武運と無事を。
     だから、藤乃がそんな痛切なほどの祈りを込めていたことを、供助はまだ知らない。
    「絶景ではあるけれど、噂に違わずだったねぇ……」
    「……ここに来るまでに一回本気で落ちそうになったしね俺。超怖い」
     参拝を終えて岩窟からの眺めを堪能する夕月に、アヅマがやや疲労感をにじませた顔をする。
     本殿から外を眺めれば、うすく波を立たせている墨色にけぶった日本海。夏なら青く澄んでいたはずだが、穏やかなら冬の海もこれはこれで悪くない。
     冬の冷気で研ぎ澄まされた空と海の境目、そこへ沖合に浮かぶ奥尻島がくっきり浮かび上がっている。蛇行する海岸線を見下ろせば、そこに麓の拝殿の屋根も見えた。白く雪に閉ざされた山々、厳しい冬の寒さは凛とした静けさに満ちている。それは逆に、いずれ大地の息吹が絢爛の春となってあふれる予感も感じさせた。
    「イフリートに関わるのもこれが最後だろうしな。ちと複雑な気もするが……ま、帰りも頑張らせてもらうさ」
    「アヅマくん、目が。目が死んでる」
     祝が願う祈りはいくつかある。
     まずは災禍に遭わぬ事、健やかである事、縁に恵まれる事。何かあった時は善い方向へ運が向く事。それはどれも自分一人ではどうにもならない。だから、それを人は神頼みと言うのだ。
     からころと本殿の中央に下がる鈴を鳴らし、柏手を打つ。祈りを込めて。
    「温泉湧いたかなあ。……御神酒を上がれる歳じゃーないけど、花でも浮かべたらおめでたいよね」
     一通り灼滅者達が参拝を終えると、麓のほうに早速大きな湯気が上がりはじめた。眺めを楽しみつつ浸かることができないのは残念だが、先の登山道がないことを思えば落とし所だろう。
     それぞれが登山の疲れを癒すように思い思いに温泉に浸かるなか、散耶はふと以前出会ったイフリートに思いを馳せる。
     夕映えにひときわ輝いていたあの毛並み。黄金の巨虎。閉じた散耶の瞼の裏には、ガイオウガの元へ還った誇り高い姿が今も焼きついている。
     ――クガネ。あなた方イフリートの想いは託された私達が繋いでいきます。
    「だから、どうか、見守っていて下さいませね」
     もし大地の力が狙われるなら温泉が湧出したタイミングではないかと由衛は予測していたが、問題がないことを確認して温泉堪能の輪に加わることにする。
    「ところでガイオウガの尾だと、少し呼び難いわね」
     名を尋ねる由衛にイフリートは、どうとでも呼ぶようにとある意味投げやりにも聞こえることを言った。しかしガイオウガの一部でありイフリートの集合体でもある以上、名乗るべき名はないという所なのだろう。
    「アラタメテ協力二感謝スル」
    「仲間を助けるのは当然のことよ」
     再度感謝を述べたイフリートに、由衛はさらりと返すにとどめた。少なくともただそれだけの理由でスサノオと戦ったのだ。
    「でも、申し出をしてくれた事はありがとう。どうかこれからも大地と共にあり、見守っていて」
    「ワカッタ」
     重々しく答えたイフリートの毛並みを撫でながら、真名はふと物思いに沈む。
     ガイオウガ決死戦の記憶が今でも色濃い。
     あの頃から自分達は変わっていない。個々はとても弱く、出来うる手段をいつだって悩み迷っている。そしてあの時の自分は言えなかったことがある。……恐らくこのイフリートにはこの言葉の意味はわからないだろうけど、それでも。
    「ごめんなさい」
     きっと、もっと早くに還さなければならなかったはずだから。
     真名の言葉に、やはりイフリートは沈黙を守り何も答えない。しかしそれは答えを持たないだけではなく、真名の気持ちを尊重してくれているゆえの沈黙であることも、わかる。
     そして一日中舞っていた粉雪が止んだ夕刻、イフリートは忽然と消えていた。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年1月11日
    難度:簡単
    参加:27人
    結果:成功!
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