カズマの誕生日~それは香り高く甘い誘惑

    作者:高遠しゅん

    「誕生日おめでとう」
     今年は直球できたか、と。刃鋼・カズマ(大学生デモノイドヒューマン・dn0124)はノートを取る手を止めた。
     人もまばらな夕方の学食の片隅、積み上げた小難しい書籍と数冊のノート。ほぼ毎日決まった時間、カズマはここで一日の復習をする。平日のルーティンワークのようなものだが、編入以来何かと行動を共にすることがある櫻杜・伊月(大学生エクスブレイン・dn0050)にとって、それは『あまりにも学生らしい遊び心が足りない』らしい。顔を合わせたときの枕詞のようで、気にすることもなくなったが。
    「……祝いに感謝する」
    「というところで、今年はわかりやすくいこう。頭脳労働を効率的にこなすには、適度な気分転換や休息、栄養素の補給が必要だ。わかるな?」
    「休息は取っている。気分転換にトレーニングは最適と思っている」
    「そうだ。足りないのは栄養素の補給、つまりは」
     微妙に疲れたような……というか、浮かれた様子なのは気のせいだろうかと、遠い目をしながら立て板に水と話し続ける伊月を観察するカズマ。
    「糖分だ。糖分が足りない」
    「……糖分」
    「甘いものは脳のエネルギーとなることは広く知られている。摂取したなら、より勉強の効率も上がること間違いない」
     ジャケットの胸ポケットから取り出した数枚の紙片を、伊月は巫術の札のように構えてみせる。
    「スイーツビュッフェの学生割引券だ。懸賞で当てた」
     唐突に何を言い出すのか、未だに予測が付かない男だ。無言でカズマは伊月から紙片を一枚受け取った。

     場所は都内のカフェとある。
     青果店直営のカフェとあって、様々な季節の果物メインのケーキやタルト、また自家焙煎のコーヒーが話題らしい。特に今のお勧めが、
    「苺か」
    「そう、苺だ。今時期が旬の苺をふんだんに盛り付けたタルトやケーキ、パフェなどが今回のメインなんだ。どうだ、心をくすぐられるだろう? 私は常々、果物は苺が最も……」
     最近、いわゆるスルースキルという技能をやっと体得した。聞き流しても良い話が、世の中には少なくなく存在するということも把握した。
     延々と苺を讃える伊月をそのままに、チケットの有効期限とカレンダーを照らし合わせる。確かに今日は自分の誕生日ではあるが、まだ理由がある事に気づいた。
    「櫻杜。有効期限が六月までとあるが」
    「ああ、気づかれてしまっては仕方ない」
     現在大学四年生の伊月は、もう卒業が間近だ。卒業してしまえば、学割チケットを使って遊ぶ機会がなくなるのだ。それはとても勿体ない事なのだろう。
    「卒論に区切りが付いた。私も息抜きをしたいんだよ」
    「そうか」
     ならば、行こう。
     それに苺はカズマの好物の一つでもあるのだ。興味を引く点をすっかり把握されてしまっているのに苦笑するしかない。
    「皆に声を掛けよう。人数は多い方が楽しいのだろう?」


    ■リプレイ

     甘く香る艶やかな紅色の宝石に、降る雪は粉砂糖。
     苺の囁きに誰もが時めくこの冬のいちにち。


    「想々は果物なら何が好き?」
     朝食を抜いてきたと二人笑い合えば、初めてのお出かけのどきどきも僅かに収まって。
    「果物……やっぱり、苺かな」
     あと桃、と呟く想々のプレートの上に、苺のタルトやオレンジゼリー、桃のムースと目に付くものから次々積み上げていく茨。そんなに食べられないよと想々が苦笑したなら、分けっこすればいいよと茨の提案。ケーキ類はビュッフェらしく小ぶりなものではあったけれど、一つのものを分け合う相手がいることの方が二人にとって幸せで。
     たっぷりのクリームにふかふかのスポンジ、甘いかと思えば苺の酸味が口の中で蕩け合って。
    「う~ん………たまらないね」
    「……おいしい」
     胸の奥から溜息が出るほどの美味。さくりと音を立てるタルトにふわり溶けるムース、フォンデュのチョコに苺を絡める至福。
     小食の想々はあまり量が食べられないから、少しずつ沢山の種類を食べられるよう、茨は小さなケーキでも分け合って皿にのせて。同じ味を分け合う幸せは、始まったばかり。
     パフェアレンジ用のグラスに、先ずはベリーのソースを一匙すくい。苺のスポンジ、プレーンのスポンジを一つずつ。苺とバニラのミックスソフトを盛って、フルーツとホイップクリームを飾り付けたなら、華月流ベリーパフェの出来上がり。
    「上手いものだな」
    「雷歌さんのタルトも美味しそう!」
     色とりどりのフルーツタルトに少し目移り。
     雷歌と華月、二人で一緒に初めて出かけたのはもう何年も前のこと。華月はまだ中学生だったけれど、この冬で二十歳になった。数字に表してしまえば長いような、思い出せばあっという間の年月。出会いは先輩後輩、やがて恋人となり、そして。
    「改めて、よろしくな」
    「宜しくね、旦那様」
     左手の薬指、揃いのリングが控えめに光る。コーヒーカップの端がりん、と鳴った。

     苺とラズベリー、ブルーベリーがバニラビーンズ香るタルトの甘さと調和して何個でもいけそう。重めのチョコケーキには酸味の強いオレンジのピュレが包み込んであり、これも絶品。翼が順調に皿を重ねていく様子を、筑音はコーヒー片手に見守る。正しく壮観だ。
    「見ているだけで、腹ぁ一杯胸一杯って感じかね」
     筑音の目当ては自家焙煎のブレンドコーヒーだ。浅めローストの酸味のあるコーヒーは、フルーツをふんだんに使ったスイーツによく合う……なんて考えていると、不意に翼に手招きされ、内緒話かと顔を寄せたなら。ほんの一瞬の温もり、軽やかに香る柑橘の香り。
     一瞬止まった時間に、フォークを取り落とし皿に高い音を立てた。
    「知ってた? レモンの旬も今なんだってさ」
    「……大胆なこって」
     悪戯成功とくすくす笑いの翼に、唇の端で笑ってみせる筑音。
    「珈琲の味でよくわかんなかったんでな、もう一度頼めるかしら?」
     いつでも一枚上手を取られてしまう。テイクアウトで家でならと声を絞り出し、皿の間に伏した翼の頬は苺ムースと似た色をしていた。

    「いっぱい食べなきゃだな!」
     ニコさんも卒業かー、それなら学割効くうちに遊んじゃおうねーと、上機嫌の未知はスイーツ全制覇の勢いで。タルトにロールケーキを平らげ、口直しのゼリーとムースに突入している。写真映えするよねーと、ぴこーんと軽快なシャッター音が鳴る。
     対面のニコは、苺ショートとコーヒーと至ってシンプル。未知の食べっぷりを眺めているだけでも楽しいうえに、この時間を急いてしまうのが勿体ない。春になれば大学卒業、社会に出たなら目まぐるしい日々が待っているのだろうから。
    「ニコさん他のは?」
    「俺はこれが一番いい」
     純白のクリームとつやつやの苺、甘さを抑えたショートケーキがコーヒーとよく合う。未知はその様子に青い瞳を瞬かせ、自分の皿の同じケーキを一口ぱくり。
    「うわぁとろける。はい、ひとくちあーん」
    「あーんって……おい」
    「細かいことはいいの、ほらほら」
     同じの食べてるのに。人前だっていうのに何を考えている。まあ、好みが同じというのは悪くない、むしろ良いことだ。きっと、たぶん。
     大きな苺をのせたひとくち、観念してニコが口を開ければ、甘い香りはひょいと戻って未知の口の中。悪戯大成功と楽しそうな未知に、ニコは苦笑するしか無かった。

     ビュッフェのテーブルはどれもこれも輝くように美味しそうなのに、そんなに沢山の種類は食べられないし、一つずつでも食べきれないほどの種類がある。
     澪はテーブルの前でプレートを手に贅沢な悩みに溜息をつく。
    「葡萄のジュレも美味しそう。こっちのメロンも美味しいんだろうな。オレンジもいい香り。でもやっぱり最初は苺は外せないよね……ね、どれがいいかな」
    「どれも同じだろ……いてっ!」
     いい角度からの肘鉄が宗田の脇腹にヒットする。一瞬息を詰めるが、頭一つ低い位置からきりっと睨まれた。
    「せっかく来たのに。情緒とか空気読む努力ってものないのー?」
    「甘い物苦手なんだよ」
    「勿体ない。探せば控えめのもあると思うけどなー」
     人の気も知らないで、と宗田は席を見繕う。甘味が苦手な自分が来たのは、澪を一人で行かせるには護衛やボディーガードや保護者的な、そういう役割の同行者が必要と思ったからだ。平たく言えば心配だったから、とは絶対に言わないでおく。
    「暇だったんだよ」
     啜ったコーヒーが少し苦い。
     厳選したプチケーキをちまちまと幸せそうに食べる澪が、なんだか小動物のようで可愛らしい。宗田は席を立って、見かけたケーキを一つ取ってきた。フォークで一口掬い、澪の口元へ。
    「じっ、自分で食べなよ……! 僕まだ食べ終わってないのに」
    「馬鹿、毒味だ毒味。俺にも食える味か、お前がまず確認しろ」
     餌付けだよ、と笑みながら。


     スライスした黄桃と白桃を交互に重ね、マスカットを彩りに。メインは紅色の苺とショートケーキ、鮮やかなベリーを差し色に。
     彩り豊かなスイーツプレートを完成させ、京は見覚えた青年の側に立った。
    「お邪魔しても、宜しくて?」
    「勿論。連れが人気者で、そろそろ退屈してきた所だった」
    「あら、いつもと逆ね」
     こんな気分だったのかい、とコーヒーの香りを確かめる伊月が目を細めた。皿は一枚だけ、既に空になっている。京が何か取ってきたらと勧めると、少し考えた伊月はベリージュレにレモンシャーベット、フルーツをバランス良く添えて盛ってくる。
     コーヒーを取ってくる間にスマートフォンを構え、構図を工夫すれば輝くような彩りの写真が撮れる。送信先の幼馴染みの顔が目に浮かぶよう、と京は画像を送る。私にだって年相応の女子力が備わっているのよ。羨ましさにひれ伏しなさい、なんてね。
    「写真……」
     伊月もまたスマートフォンをポケットから取り出す。鳴るシャッター音に、
    「誰に見せるのかしら」
     訊いてみれば、内緒だと伊月は笑うだけで。
    「そういえば、カズマさんは一緒じゃないのね。おめでとうを言いたいのに」
     伊月の視線の先に、窓際の大きなテーブルを数名で囲んでいる長身があった。賑やかなそこは、意外と健啖らしい食べ方をするカズマがいた。
    「良い仲間に恵まれたようだ」
    「そうね」
     このプレートを食べ終えたら、声を掛けに行こうと京は思う。黄桃ソースのレアチーズケーキが、舌の上でふわり香った。

     ちょっと驚くような量のケーキを乗せた皿を持つ長身の青年が、テーブルの側を通り過ぎる前に。
    「刃鋼さん、お誕生日おめでとうございます」
    「おめでとう。今日くらいは、のんびり楽しむとしよう」
     薫と翔也のふたりから祝いの声を掛けられ、カズマが会釈していった。
     さて、食べましょうかと並べられたスイーツとフルーツの数々。盛りに盛った苺のパフェは翔也の力作だ。苺ソースの上に胡桃を混ぜ込んだブラウニーのダイスカット、苺とベリー各種を挟んでバニラアイスと苺アイス、ホイップを盛った上に飾り付けられたフルーツの数々。グラスから溢れるほどのボリュームに、ほくほく顔の翔也。
    「薫は何を選んだのですか?」
    「少しずつ、色々なものを持ってきました」
     沢山の種類を食べられたら幸せだから。苺のケーキに葡萄のコンフィチュールを添えたワッフル、オレンジムースにベリーのタルト。二人ぶんの紅茶を添えて、いただきます。
     それぞれ違うものを食べていても、一緒にいるだけでとても幸せで。この日も大切な記念日に。
    「なんだか、取り過ぎてしまったかもしれません」
     甘い物は別腹だけど、食い意地が張っている奥さんと思われないかしら。目元を染める薫に、翔也は気にせず薫の皿から苺をひとつ摘まんで口に入れた。
    「分け合いっこしようか」
     苺のアイスを一口、薫の唇へ。爽やかな甘さが心に広がった。


     苺をくるんだパンケーキに、加減を間違えたホイップの量。ショートケーキから興味が移ったらしいカズマの皿は、甘い物を好むといっても限度があるのではないか、なんて同席の者は一瞬思ったが。黙々と食べ進める様子に杞憂だと全員が納得した。
     そしてこの場に誘ってくれた隣の席、愛莉の彩り豊かな山盛りパフェアレンジにも雄哉は面食らっている。視界に入る暴力的な甘味、雄哉は甘い物が得意ではないのだ。
    「……おにいちゃん、引かないでよ」
    「うん、苺が甘くて美味しいよ」
     半分ほどを上機嫌で食べ進んだ愛莉は、雄哉の苦手を知っていてここに誘っていた。雄哉はまだ小さなタルトを半分ほどしか食べていない。それでも、なるべく外に出て行けるよう引っ張って行かないと、大切なおにいちゃんが消えてしまいそうだったから。
    「変なことを聞くようですけど」
    「何だ」
    「刃鋼先輩は、こういう場は平気ですか?」
     カズマは雄哉からの質問の意図を察したようで、ワッフルを切り分ける手を止めた。学園に来てからの目まぐるしい日々、灼滅者としての体を得る前の日々を思い比べる。
    「以前は、考えもしなかった」
    「僕は……ようやく、人の多いところに出ても平気になってきました。彼女のお陰です」
     可愛い、大切な子が側にいて、何処にでも連れ出してくれたから。一人では心の闇を乗り越えられなかったかもしれない。言葉にしきないほど、感謝している。
     人の多いところが辛い様子だった頃の雄哉。その横顔を見るのが愛莉は辛かった。やっと、元の優しいおにいちゃんに戻れたのだ。それだけで、愛莉は嬉しい。
    「……えっと、伊月さん探してくるね。素敵なお店教えてくれた、お礼言わなくちゃ」
     笑顔で席を立つ愛莉。パフェは勿論完食済みだ。戻ってきたら、同じケーキを一緒に食べよう。

    「カズマ、誕生日おめでとう……成人、すね」
    「おたんじょうび、おめでとう」
     煌介と紘都の二人が、手にスイーツの皿を持って相席してくる。
    「煌介さん、ぼく、カズマさんとおなじの、たべたい」
     どこにあったの、と苺カスタードのパンケーキを紘都がねだれば、身長差で見えないところにあったのだと煌介が同じものを取ってきてやる。
    「祝いをありがとう。変わらず、仲がいいな」
     カズマには煌介と紘都の二人は、兄弟のような仲間のような、文字で表すことが無粋な繋がりがあるように思えた。互いに互いを思い、守り支え合う姿を覚えている。
    「そ、すかね」
     煌介はわずかに目を細め、パンケーキを食べる紘都を見つめた。
    「紘都は、ずっとカズマに言いたい事が、ある」
    「俺にか」
    「ん」
     煌介の瞳に悪戯めいた光。呼ばれた紘都は、ミルクティーで口の中を湿らせる。十歳に満たぬ細身の少年が、紫紺の瞳で真摯に見上げてくる経験は、カズマにはない。
    「ぼくは、カズマさんみたいになりたい」
    「俺の?」
    「煌介さんが、きょう言うといい、って」
     紘都が初めて戦場に出たとき、傍らにカズマがいた。真っ直ぐに敵を見据え、心を騒がせず、正面から当たれば恐れることはないと教えてくれたから。あの時からずっと、思っていた。
    「……」
     少年の真っ直ぐな憧憬に、カズマは言葉を選ぶ。自分の中の言葉を探す。
    「……応えられるよう、努力する」
     絞り出すような声音だが、仕方ない。照れているのだと分かるから。
     通じたとふわりと笑う紘都の頭を撫で、煌介は視界の端でひらひらと手を振る伊月の姿を捉えていた。地獄耳の彼のことだ、このやり取りを面白く聞いていた事だろう。
    「目標であり続けるために、努力する」
    「お互い、頑張ろう、カズマ」
    「ああ」
     大切な友と大切な約束を。
     小さな少年にも、大切な一日となったに違いない。

     何気ない冬のひととき。
     この寒さを越えたなら、あたたかな春が来る。

    作者:高遠しゅん 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年2月6日
    難度:簡単
    参加:18人
    結果:成功!
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