民間活動~暮方迷宮

    作者:佐伯都

     ――ああ、あつい、熱い、喉が渇く。まだ季節は真冬なのに。すりむいた手の平にじんわり血が浮いてくる、でも結構な高さから落ちたはずなのに骨の一本も折れていないのはどうしてだろう。
     ひどい目眩がする、吐き気がする。世界がぐらぐら揺れて回って、すぐに血を啜れと甘く囁いてくる。マーブル模様の極彩色に見える空の下、父でも母でも姉のだれかでもなんでもいい、近親者を血祭りにあげて十全を取り戻せという啓示が目の奥で姦しくさんざめいている。
     ああそうだ、と倉木・涼(くらき・りょう)は譫言のように呟いた。もうすぐパート帰りの母親が、駅前の商店街で夕食の買い物にとりかかっている頃合いのはず。この薄暗い路地を抜ければ、抜ければ、きっと。
    「そこな少年、待ちたまえ」
     不法投棄された冷蔵庫に手をかけ駅前通りへまろび出ようとした涼の背後から、ややハスキーな声がした。振り返れば、狭く細い夕暮れの空を背に漆黒のコートを着込んだ女が立っている。足元には何か、妙に大きな影が落ちていた。
    「誰だ……こっち来んな!!」
     息苦しさに大きく喘ぎ、敵意を混じらせて誰何した涼を制止するようにその影が大きく広がる。
    「勘違いするな、迎えにきたのだよ、少年。わたしはお前の敵ではない」
     艶然と微笑んだ女の足元。その大きな影が羽音を立てて立ち上がり、いくつかの蝙蝠の姿をとった。流れるように差し伸べられたしろい指が涼の顎をとらえ、ピジョンブラッドの目が覗きこんでくる。
    「お前が本来在るべき所へ連れて行ってやろう。その力を存分に振るえる所へ、な」
     
    ●民間活動~暮方迷宮
     サイキック・リベレイターは使用せず民間活動を行うことになった結果、エクスブレインの予知でヴァンパイア勢力の活動が明るみになった。どうやら一般人を闇堕ちさせ配下とすることで、戦力の拡充を図っているようだ。
    「しかもただ勧誘するだけじゃなく、専用の回収部隊まで組織していたらしいよ」
     なるほどねえと成宮・樹(大学生エクスブレイン・dn0159)はどこか他人事のように言う。そういうわけで闇堕ち一般人への対処と、回収に来るヴァンパイアの迎撃を2チームで行うことになった旨を樹は続けた。
    「まず皆には闇堕ち一般人への対処を頼みたい」
     名前は倉木・涼。近親者であるすぐ下の妹が闇堕ちしてヴァンパイアになった事でそれに『感染』し、闇堕ちしたという格好だ。
     ヴァンパイア達は先に闇堕ちした者、つまり今回は涼の妹を通じて近親者の情報を得、回収部隊を差し向けているらしい。しかし彼もまた回収部隊の気配を感じているようで、『完全に闇堕ち』してその危険に対処しようとしている。
    「……何だか嫌ーな予感がしますね?」
    「まあ、ダークネスのやる事だから。完全に闇堕ちするには近親者だとか恋人を手にかける必要があるんだけど」
    「そんな事だろうとは薄々思ってました」
     はあ、と溜息を吐いて松浦・イリス(ヴァンピーアイェーガー・dn0184)は説明の先を促した。彼女自身、闇堕ちに巻き込まれた側なので思う事もあるようだ。
    「もし介入しなかった場合、涼はいつもこの時間に夕食の買い物をしているはずの母親を襲撃する。それを阻止したうえで、可能なら説得を行って連れ戻してほしい」
     商店街は駅前から200m近く続いており、時間帯も手伝って夕食の買い物をしている主婦や学校帰りの学生など多くの人がいる。今から向かえば涼が路地裏からふらふら姿を現すところで接触できるので、その周囲の一般人へある程度の距離を置いてもらうようにできれば戦闘に大きな支障はない。
    「戦闘に巻き込まれないよう、かつ、ギャラリーになってもらうということですね」
    「それもあるし、もし騒ぎを聞きつけた母親が涼のそばに不用意に近づかないよう、なおかつ涼が母親に向かって強行突破しないよう備えてほしい、ってのもある」
     倉木家にはまったく問題が見当たらず、家族間の関係も実に良好だったようだ。妹が闇堕ちした経緯は不明だが、少なくとも闇堕ちの理由は家庭内にないだろう。
    「だからこそ、万が一にも涼が母親をその手にかけるような結末にならないよう力を尽くしてほしい」
     涼は闇堕ちしたばかりのヴァンパイアという事になるが、今の灼滅者なら周囲に被害が出ない範囲で一般人に事件を目撃させる事は不可能ではない。
     無策で赴き一般人を危険に晒す真似は避けるべきだが、民間活動が義務ではないこともまた事実なので、良い策がなければこれまで通り人払いを行ってもかまわない。
     あるいは一部始終を目撃していた一般人に、今後どのような行動をしてほしいかを考え、呼びかけを行うのも良いだろう。
    「涼を回収に来るヴァンパイアは別チームが迎撃してくれるとは言っても、万が一、ということもある。迎撃に失敗した場合は涼との戦闘や説得中に回収部隊の襲撃があるかもしれない事は、覚えておいたほうがいいね」


    参加者
    千布里・采(夜藍空・d00110)
    奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)
    彩瑠・さくらえ(幾望桜・d02131)
    森田・依子(焔時雨・d02777)
    漣・静佳(黒水晶・d10904)
    鈴木・昭子(金平糖花・d17176)
    曽根・亮(夕焼け色の衝動・d26976)
    真柴・櫟(シャンパンレインズ・d28302)

    ■リプレイ

     駅前からのびる商店街のそこかしこから惣菜の香りがただよい、夕食用のタイムセールの呼び込みが行き交うころあい。
     その片隅で真柴・櫟(シャンパンレインズ・d28302)はおもむろに右手へふたつ繋げた大きなリングを浮かせた。
     すぐ背後には行き交う人もいない、薄暗く狭い路地がある。助手然とした顔で奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)が置いたオルゴールから澄んだ音色が流れはじめ、くるり、と見えない糸で釣られているように櫟の手の中でリングが回った。
     丹や脇差達がさりげなく立ち止まり目をとめることで、これから何が起こるか知りもしない買い物客らも、ちらほらと櫟や烏芥の存在に気づき始める。
    「わぁ、これから、何か始まるんですか?」
    「時間あったら見てってや、エイトリングって知っとる?」
     ちりちりと鈴の音をさせながら前方に陣取るサクラ役の鈴木・昭子(金平糖花・d17176)に、いかにも路上パフォーマンスには似合いな西国のイントネーションで千布里・采(夜藍空・d00110)が応じた。
    「たのしそう、是非見せてください!」
     三々五々、森田・依子(焔時雨・d02777)や漣・静佳(黒水晶・d10904)が観客を装って周囲に集まってくるのを眺め、采はそっとギャラリーの端に陣取った曽根・亮(夕焼け色の衝動・d26976)と彩瑠・さくらえ(幾望桜・d02131)の姿を確認した。集まり始めた観客の中には謡やイリス、友衛の姿もある、そろそろ良いだろう。
     8の字のリングを、宙に固定されているように手繰る所作に感嘆の声が上がりだした……のもそのはず、櫟が操るのはリングスラッシャーで、元々宙を浮遊しているものだ。無様に落下することだけはないので、超即席ジャグラーに心強い味方であるのは間違いない。
     帰宅途中なのだろう女子高生や、若い主婦の間から黄色い声が上がりだす。
    「え、ちょっとまって、かぁっこいい……」
    「どっかの舞台に出てたりしないかな!」
     ……うわぁ、と櫟は自分がやった事ながらも観衆を集めるために行使したラブフェロモンの効果のほどに内心引いている。
     サクラになっている亮までが何か笑いを堪えている顔をしているのが目に入るが、どうにでもしろという気になってきた。笑いたければ笑えコノヤロー。
     しかも隠れているのも何なのでサクラの水増しがてら亮の隣に座っていろとイツツバには命じたものの、なんだこれ新手の修行かそうなのか。それとも座禅とか瞑想とかすっとばして手っ取り早く解脱する系の荒行なのか、と本格的に思考が無我の境地に至りかけてきた櫟の背後で、唐突にがたりと物音がした。
     薄暗い路地から倒れ込んでくるように、まだ学校帰りだったのだろう、制服姿のまま覚束ない足取りの少年がひとり。
    「大丈夫ですか?」
     地面に手をつきながら肩で喘いだ倉木・涼と、駆け寄った依子の視線が交わる。
     何やらおかしな涼の姿に、一般人の観客がざわついた。肩越しに振り返った櫟と、そのすぐそばに控えていた采が動いたのはほぼ同時。
    「さぁさぁ次なる催しは、驚きびっくり派手な演出たっぷりのお立合い!」
     ぱん、と両手を打った采の足元へ、鬼火をまとう白い毛皮のミックス犬が忽然と現れた。さらにその手へ玩具や模造品ではありない、本物の長槍が握られていることに観客の間へ動揺が広がる。
    「皆様、どうかお下がりください」
    「一般人さんたちには、絶対に被害は出させない……!」
     いつのまにかビハインドの揺籃を従えていた烏芥と、やはり涼から背後に一般人を庇うように身構えた透流の声が重なった。駅前から続く商店街は縦に長く、ちょうど涼を中心にして縦方向に一般人を遠ざければそれで安全確保は事足りる。
    「なに?! なんなの!?」
    「大丈夫、何も危険はない」
     銀の長い髪を揺らし、柩は落ち着き払った表情で背後の一般人を振り返る。
    「だから見ていて。キミたちに、知ってもらわなきゃいけない事がある」
     斜陽が差し込む商店街。その一角にぽかりと広がった空間の真ん中で、苦悶の喘ぎを漏らしながら涼は跪いていた。
    「くそ、何だよ……俺は、はやく、血を」
    「しっかり、落ち着いて下さい。私たちはあなたの敵ではありません」
     WOKシールド以外は何も手にしていないことを示すように両手を広げ、依子は涼の前に立つ。食いしばった口元には牙じみて長い犬歯があった。
    「ま、今自分がどうなってんのか、この力が何なのか。分かんねェのは怖いよな」
     亮にとってもそれは生々しい記憶と言える。まるで自分のようだと言われたことに気付いたのか、目を剥き涼は叫んだ。
    「だったら俺に血を分けてくれんのかよ!! 俺はあいつに捕まりたくねえ、そのためにはッ」
    「俺もそうなった事があるからわかる」
     傍らにトワイライトを控えさせ、いつしか左手を覆う縛霊手をだらりと下げたまま亮は言い放った。かは、と涼の喉元から空気だけが漏れる音がする。
    「でもこれは誰かを壊すためのものじゃなく、世界を変えるためのもの。そのための力だって、俺を助けた人は言ってた」
    「そんな事、信じられるはずが――」
    「だからテメェもそれを知る必要がある」
     後悔させたくないんだ、と鋭く言いきった亮へ、がりりと歯噛みする音が返った。
    「ほ、本当に大丈夫なの……あれ、どう見たってばけもの……」
    「いいえ」
     腰が引けている老婦人へ柔らかく呟き、昭子は務めて穏やかな声音を意識する。恐らく彼女の発言はこの場の一般人のおおかたの本心だ。
    「皆様は、わたしたちがきちんとお守りします。ですから、どうか。見届けていただけませんか」
    「無理よこんなのっ!! 殺される!!」
     金切り声を上げた老婦人を背後に庇ったまま、昭子はもう一度明解に否定したうえで頭を振る。
    「いまわたしたちが戦っている相手は、決して。ばけものでは、ないのです」
    「倉木さん、闇に呑まれないで。その先に行ってはだめ、よ」
     身の内であばれまわる渇望と、明らかに事情を知っている相手の登場とに混乱しているのだろう、静佳の声に涼は頭を抱え意味を成さない声を喚き散らしていた。
    「どうか、貴方の心を思い出して。その爪も牙も、貴方の大切な人に向けるものではない、わ」
    「だから! できねーっつってんだよっ!! 血がないと俺は、あいつにっ」
     断ちきるような声があがって涼はその場へ跳ね起きる。咄嗟に身構えた静佳の前に、さくらえが立ちはだかった。
    「一体どこの誰がキミをアイツとやらに渡すつもり、なんて言ったのかな。……ワタシらはキミを渡さないし、そいつを来させるつもりもない。キミ自身が望むなら、キミはキミのままだ。今までもこれからも」
     そのためにワタシらは来たんだから。――どこか痛みを堪えるように続けたさくらえを、勇弥は黙って見守る事にする。
     さくらえとしては彼の母親を前もって遠ざけておきたかったが、200m近くある商店街の中、わずかな時間で母親を探し出すのは不可能だった。
     涼の闇堕ち姿を見た母親が何をどう考えるかは誰にもわからない。しかし彼が自身の意志で家族に様々な真実を伝えられる日まで伏せられれば、余計な波風や悲しい誤解も最小限に済むはずと考えるのは、それほどおかしな事だろうか。
     【寂静】を手にし、やや首を傾けるように含み笑ったさくらえが前へ出ようとする。つい反射的に動いたのだろう、相手を倒すと言うよりは無我夢中という様子で涼が両手を前へ突きだした。
     突如商店街に屹立した赤い逆十字を、さくらえはたった一歩を横へ退いて躱す。一般人の、悲鳴とも驚愕ともつかぬ叫びがあがった。
    「……大丈夫、涼君の病は抑えられます。遠慮は無用、その喉の渇きをみな私達にぶつけるのです。必ず貴方を連れ戻してみせましょう」
     私達はこの病をよく存じておりますと断言した烏芥を仰ぎ見た涼は一瞬目を背け、そして次の瞬間には何もかもを投げ捨てた凶獣と化していた。粘質の狂乱をこごらせた赤い目を向けアスファルトを蹴る。
    「大丈夫、みんなここで高みの見物や」
    「でも、でも近くまで来たら」
    「そんなことあらしまへん。その前にウチらがなんとかします」
     丹は笑顔で断言することで初老の男性を黙らせた。直後に、依子が掲げた盾へ素手ではありえない鋭さで爪を立てた涼が唸る。しかし流石は経験を積んだ灼滅者、依子は寸ほども双腕を揺らさずに見事受けきった。
     烏芥とさくらえが引きはがそうとするのも構わず、涼はそのまま押し切ろうとする。依子はわずかに眉をひそめただけで、やはりびくともしなかった。
    「――はッ、それっぽっちで使えてるつもりかよ。紅蓮斬ってのはな」
     余裕をもって涼を押し返した依子の背後から、軽く笑いを含んだ亮が迫る。ユリ、と烏芥が相棒を短く呼び、不測の事態に備えさせた。
    「こう使うンだよ下ッ手くそ!!」
    「ガ、ッ」
     縛霊手での殴打にのせた、同じ、ダンピールの技。業火じみて燃え上がる赤いオーラの量も強さも、涼のそれとは比較にならない。そのまま力任せに振りぬき、ついでとばかりにトワイライトへ機銃掃射を命じてから、もんどりうって路地近くまで転がった涼へさらに亮は声をあげた。
    「何だもう終わりか? 意外と大したことな――」
    「ァ、アアアアッ」
     改装工事中の張り紙がされたシャッターに激突してようやく止まった涼が、猛然と反転して跳ね起きる。剥きだしの牙、赤い目、およそ正気には思えぬ形相で今一度アスファルトを蹴り、手近な位置にいた昭子へ迫った。
    「治し、ます」
     獣じみた咆哮と一緒に叩きつけられてくるギルティクロス、防具の相性もありさほど大きくはなかったがすぐに静佳がそのダメージを癒しにかかる。
     そのまま手負いの野獣よろしくなりふりかまわぬ猛攻を仕掛けてくる涼に、昭子はまったく表情を崩さない。ただ激しく、ちりり、りり、と鈴の音をさせながら鮮やかに躱し、あるいはいなすように捌き、どこにもやり場のない血への渇望を発散させるように。
    「ねえ、涼くん」
     赤いオーラをしぶかせている腕を【鈴咲】で遮り、灰色にけぶる瞳で昭子は荒い息を吐いているその顔を覗きこんだ。
    「わたしたちのちからは、理不尽を打ち破れるちからです」
    「ウ、ウウ……ググ」
    「涼くんは、わたしたちとおなじ。涼くんだって、戦えます」
     こんな風にある日突然、日常を何もかも根底から覆される。そんな理不尽と。
    「血を得て堕ちる、それだけが涼くんの未来では、ありません」
     さらに一合二合と半ばもつれあうように打ち合い、依子と采の霊犬が昭子の援護に回ったところでようやく離れた。
    「思ったより聞き分けないな。そんなにママが恋しい?」
     嘲るような声音で櫟がおもむろに放った黙示録砲が、涼の足元を地面へ縫いつける。
     一部始終を見守っていた一般人からは徐々に悲鳴や叫び声が薄れつつあった。灼滅者側が最初から涼を圧倒していたのはもちろんのこと、関わる者が冷静で組織立っていること、そして彼等が自ら体を張り危険から護りきる揺るぎない気概を見せていること。
     誰もがまだ学生、という年齢も多少は手伝ったかもしれない。そんな彼等が本物の武器を手に真剣勝負の大立ち回りを演じる異様な光景。それなのに、口から出る言葉には演技でもTV番組の仕込みでもない、本物の死線をかいくぐってきた重みと真摯さがある。その事実に、観衆は否応なく納得させられざるを得なかったのだ。
    「なにもの……なんですか」
     半ば譫言のように呟かれた声に、謡は視線だけ向けるにとどめた。
    「あなた方は、なにものなんですか」
     目の前で武器を振るい、あるいはこうして危険から護るために仁王立ちする彼等を詰問する声ではない。さっきまで信じていた現実の中にはいまだ知らない現実が隠れていた驚愕と、ただ純粋な疑問だけの問いだった。
    「ダークネスを倒し、灼滅する者」
     しゃくめつ、とさざ波のように囁きが広がっていくのを、勇弥はどこかひどく安堵しながら聞いている。さくらえと申し合わせた件は断念せざるを得なかったものの、灼滅者を一般人に広く知らせる件については問題なく達成できそうだった。
    「私達はすべて武蔵坂学縁に所属していて、灼滅者(スレイヤー)と呼ばれています」
     主力が涼を追い詰めていく様子から目を離さず、透流は呟く。
     民間活動のため一般人を危険に晒すことに納得できていなかったが、決定したからには従うだけ。
    「突然で信じられない事かも知れないが」
     安全を優先させ犠牲を避けるためにも、とにかく一般人は迅速に遠ざけるのが常に最適解だったことを脇差は思い出す。
    「俺達はずっとこうして、ダークネスという脅威と戦ってきた」
     これまでずっと、背に守りぬくことは避けられてきた。それがようやくここまで来た。相手によってはこうして、背にしても最後まで守りぬけるだけの力を学園は得た。
     それまで防御に徹していたはずの依子が涼の消耗を見てとり、ついに動く。
    「あなたは危険でも、特別なわけでもないんです」
     櫟のイツツバに盾を任せ影縛りで足回りを拘束すると、昭子と共に一気に削りにいった。自分だけがどうしてこんな事に、と闇堕ちのさい絶望の淵に立たされる者は多い。
    「同じような子は沢山いるんです。私達もかつてそうだった、そしてみんな誰かに救われて今ここにいるんです」
     雨あられと降り注ぐサイキックにではなく、むしろ内側の苦痛に苛まれているように涼が身悶える。血を吐くような、慟哭のような。
    「倉木君、あなたはどこにいたいですか」
    「……ア、アアアァ、あ」
    「聞こえる闇の声に従いたいなら、それもよいでしょう。無理強いはしません。でも、もしもこちら側にいたいのなら」
     赤い目が揺れる、揺れる。つめたく甘美な闇の匂いに酔ってしまえという誘惑の声が抗いがたいことは、灼滅者なら誰だって知っているのだ。
     そしてその誘惑の深淵に何があるかも、依子はもう知っている。
    「私達は決してあなたの手を離さない。だから選んで下さい、自分がどうなりたいかを」
     たとえ一歩先の未来すら見通せなくとも、それだけは約束できる。彗星のように容赦なく全身を打ち据えた櫟のDESアシッドにがはりと空気の塊を吐き、涼はずるずると音を立てて崩れ落ちた。
     喘鳴を漏らしながら喘ぐ背中を妖の槍を携えた采が見下ろし、幕引きを知らせる。
    「あと一手で終い、って所やね。さ、どちらに立ちたいですか」
     いつもなら買い物客で賑わっているはずの一帯は、剣戟が響く不思議な静けさに包まれている。やや離れた所まではこの騒ぎが伝わっていないのだろう、夕方のタイムセールを知らせる呼び込みの声や通勤客のざわめきはひどく遠かった。
     しばらく采は回答を待っていたようだが、虚ろな目で息をするばかりの涼に、まあええですやろ、と一人ごちて頭を振る。そのまま螺穿槍を、何のてらいもない槍の一撃に乗せて繰り出した。
     涼の背中に吸い込まれた穂先へ、突如ばきんと金属質の破砕音が響く。否、響いたと思ったのは采だけのようだった。
     一瞬の間のあと、音もなく広がった真紅のオーラの爆発に采は息を呑む。
     赤い嵐が去った後、アスファルトへ仰向けに横たわる涼の口元から剥きだしていたはずの牙はもうどこにも見えなかった。

    「何か似たような事件を目撃したらここへ連絡を。普通の人でも、ある日突然こんな風になることもあるので――」
     櫟が準備していた書面を配り、ダークネスの脅威を退けるだけではなく助けられる者を救うことも重視していることを忙しく説明しながら、友衛はふと考える。
     バベルの鎖はダークネスに関わる情報の伝播を阻む。彼等が今日の事を誰かに話すことはないだろう。しかし、真実を知らないのと知っているのとでは大きな違いがあるはずだ。
    「……」
     イツツバからチラシの束をいくらか貰いうけて配布に加わりつつ、柩は路地裏近くに涼を引っ張っていって何やら話しこんでいる亮をながめやった。この時間まで回収部隊のヴァンパイアが姿を現さないということは、恐らくあちらの作戦も滞りなく成功したのだろう。
     采に背中をさすられながら、涼はアスファルトの上へ座り込んでいた。KO後の昏倒はごくわずかだったうえ、あれだけ叩きのめされたはずの涼がけろりとしているのを見て、そのすべてを見届けた観衆は人知の及ばぬ不思議が実はあたりまえに行われていた事を黙って受け入れたらしい。
    「多少手荒い手段だったのは堪忍な。KOせんことには引き戻せんのやわ」
    「どこか、痛むような所は」
     大事ないことがわかりきっていても静佳は気になるのだろう、涼の傍を離れない。
    「……涼君は自身の力で吸血鬼の衝動と戦い、跳ねのけ、自身を取り戻しました。それが何よりの答えです」
    「そう……なんだろうか」
    「そうです」
     ですから御母様が待つ家へ帰りましょう、と烏芥は続ける。ここから先、涼がどうするかは彼自身が選ぶべきことだ。
    「……なあ、あんた」
     路地裏近くへ引き込むなり見世物のようにしてしまったことを謝罪した亮を、涼は見上げてくる。
    「何だ」
    「あんた、名前は。そっちは俺の名前知ってるのに、俺が知らないなんてフェアじゃないだろ」
     言われてみればそうなので、亮は居住まいを正すと改めて名乗る。字は違うが同じ読みの名を。
     そね、りょう、と多少噛みしめるように繰り返したあと、涼は晴れやかに笑った。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年2月16日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 3/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 2
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