バレンタインデー2018~スイート&ソフト

    作者:牧瀬花奈女

     灼滅者は放課後の廊下をてくてくと歩いていた。
     今日は特に予定も無い。まっすぐに帰ろう。そう思って、廊下の角を曲がった時だった。
     灼滅者の十数歩ぶん先を、同じくてくてく歩いている男の子の後ろ姿が目に入った。制服からして、小学生だろう。髪がふわふわしている事以外、これと言って特徴は無い。
     男の子も帰るところだったのか、灼滅者の先を一定の速度で歩いている。何となく十数歩ぶんの距離を保ったまま、灼滅者は男の子の後をついて歩いた。
     もう一度廊下の角を曲がったところで、灼滅者は左手の壁に目をやった。大きな掲示板があるそこは、たくさんのポスターや連絡事項が画鋲で留められている。
     視線を前に戻すと、男の子は掲示板の前を通り過ぎようとしているところだった。その足元に、誰のものかボールペンが落ちている。
     危ない――と思った時には既に遅く、男の子はボールペンを踏んで勢い良く後ろ向きに転んでしまった。がつん、とふわふわ頭が掲示板にぶつかる。その拍子に、画鋲が一つ掲示板から外れて廊下に転がった。
     尻餅をついた男の子は、しかしすぐには立ち上がろうとせず、しゃがんで辺りをきょろきょろ見回している。何やら探している風だ。
     何を探しているのか考えかけて、灼滅者はすぐその答えに行き当たった。こちらに背を向けている、男の子のふわふわ頭。そこに1枚のプリントがうまい具合に引っ掛かっている。恐らく、男の子が掲示板に頭をぶつけた時に画鋲が外れ、そこに着地してしまったのだろう。画鋲があるからには外れた掲示物がある筈だと、男の子は周囲を見回しているに違いない。
     灼滅者は少しだけ男の子との距離を詰め、髪に引っ掛かったプリントを見た。
    『スイート&ソフト! 大好きなあの人に、チョコレートケーキを作りませんか?』
     プリントの文章はそんな言葉で始まっている。灼滅者はチョコレートの文字を見て、バレンタインが近い事を思い出した。
     来るバレンタインに向けて、家庭科室でチョコレートケーキを作ろう、という企画らしい。材料は持ち込んでも良いし、既に用意されているものを使用してもいい。レシピも用意されているが、こちらも自分なりのレシピを用いても構わない。
     チョコレートケーキと銘打たれてはいるが、別に普通のチョコレートを作っても大丈夫なようだ。とにかくみんなで、楽しくバレンタインの準備をしよう、という趣旨の企画なのだろう。
     さて、誰にこれを教えてあげようか。
     灼滅者はそう考えながら、男の子の髪に引っ掛かったプリントを外してやった。


    ■リプレイ


     家庭科室には、既に甘い香りが満ちていた。チョコレート色の空気で肺腑を満たして、灼滅者達は思い思いの材料や調理器具を手に取る。
    「さくらえの希望はガトーショコラね?」
     共に来た愛する人へ、エリノアは確認がてらそう言った。
    「うん。板チョコと卵だけでできるやつ」
     微笑むさくらえに、内心でよしと気合を入れる。ガトーショコラのレシピは事前に確認済みだ。さくらえに内緒で、何度か練習も重ねている。手際が悪かったからといって笑うような人では勿論ないけれど、本番でレシピを確認しながら、というのはちょっと格好がつかない。大丈夫、普通のガトーショコラなら作れる筈。
    「チョコ刻んだり、湯せんにかけるのはエリノアにお願いしてもいい?」
    「えぇ、構わないわよ」
     卵を手に尋ねるさくらえに、エリノアは快く頷く。早速包丁を手に取って、チョコレートを刻み始めた。
     日常で刃物を使えないさくらえは、家での食事はエリノアに任せきりになってしまう。今日作るガトーショコラは、刃物を使わない部分もあるため、さくらえも関われるのが嬉しかった。
     エリノアが湯せんにかけて溶かしたチョコレートに、さくらえが卵黄を入れる。卵白は既に、ぴんと角が立つまで泡立てておいた。
     卵黄を入れたチョコレートを混ぜるのは、二人で一緒に行った。
    「これ、まさに共同作業……だよね?」
     くすりと笑むさくらえに、エリノアも笑みを返す。
    「そうね。こうして一緒に作るのも、新婚さんらしくていいわね」
     ボウルに卵白を加えて、更に混ぜる。
    「エリノアは混ぜる手際もやっぱり慣れてるねぇ」
     いつもの家での手料理も美味しいし、お嫁さんの鑑です。さくらえはしみじみそう思う。
     生地を型に入れれば、後はセットしておいたオーブンに入れるだけだ。小さく唸るオーブンの音を聞いて、料理を楽しく感じたのは久々だとさくらえは気付く。
    「ありがとね、エリノア」
    「私も楽しかったわ」
     後は出来上がりを楽しみに待つばかりだ。二人の視線が、オーブンの上で絡んだ。
     薙乃は蒼刃と共に調理台に立っていた。ケーキを作りに来た二人は、傍目にはほんの少しぎくしゃくして見える。
     兄の蒼刃とは、血が繋がっていない。最近知った事実が、ホワイトチョコレートを刻む薙乃の手をぎこちなくした。そんな薙乃の様子を気にしつつ、蒼刃が刻むのはごく普通のチョコレートだ。ボウルに入れて、湯せんにかけて溶かして行く。
    「……あげたい相手とか、いるのか?」
     バターを泡立て器で練りながら、蒼刃は尋ねた。言ってしまってから、昔も同じ事を聞いたと思い出す。砂糖を入れたバターに卵黄を加え、薙乃がくすりと笑った。
    「昔のバレンタインの時も、同じこと聞いてきたよね」
     薙乃にまで指摘されては、蒼刃は苦笑するしかない。
     溶かしたホワイトチョコレートをボウルに入れ、薙乃は当時の事を思い返した。あの時の自分は素直ではなかったと、薙乃自身も思っている。実を言えば、今も自分の気持ちがよく分からない。
     薄力粉をふるい入れて、ざっくりと混ぜる。チョコレートの種類は違えど、蒼刃も同じ作業をしていた。
     本当の兄妹でなくても、まだ一緒にいたいって言っていいのかな。そう思いながら、型に入れた生地をオーブンに入れる。蒼刃も隣のオーブンに、自分の作った生地を入れた。
     迷惑だったり、重荷だったらやだな。視線に気付いてか、優しく笑んでくれる蒼刃を見ると、そんな気持ちが湧き上がる。
     二人のケーキはほぼ同時に焼き上がった。昔、一緒にチョコの花を作った事を思い出し、薙乃は青い砂糖菓子の花を飾る。
    「……このケーキ、兄さん、もらってくれるかな」
     自分が妹でいたいのか、そうじゃないのか。薙乃はまだ、それもよく分かっていない。それでも、今の素直な気持ちを、薙乃は思い切って口にした。はっきりしない、でも、前にあげたものとは少し違う思いを込めて。
    「いいのか?……ありがとう」
     微笑んで、蒼刃は差し出されたケーキを受け取った。あの時と同じように、薙乃は自分を気遣ってくれる。血の繋がりが無いと知ってなお、妹として。
    「俺のケーキも、貰ってくれるか?」
     自身の作ったケーキを差し出すと、薙乃は笑みを零した。
     薙が俺を兄として必要としてくれる限り、側にいたい。蒼刃は芯からそう思う。けれど、本当の想いを隠したまま兄としているのは、薙乃の信頼を裏切るのと同義ではないだろうか。
    「……もし俺がこれを特別な意味で、薙に……」
     ぽつりと蒼刃は呟く。
    「兄さん?」
     薙乃がもの問いたげに目を瞬かせる。チョコレートケーキに意識が向いて聞こえなかったようだ。
     いや、何でもないと蒼刃は微笑む。今はまだ、薙乃の笑顔を曇らせたくはなかった。
    「普段はごちそうになってばかりだけど、わたしだって出来るんだからっ!」
    「それは楽しみだね」
     弾んだ声で言う志歩乃に、統弥はふわりと笑って見せた。統弥自身も、料理の腕はそこそこと自負している。味には自信があった。
     二人ぶんという事で、選ぶ型は小さめに。しかしその分、材料は濃厚に。
    「お味はビターがいいかなー?」
    「甘い方がおいしくないかな?」
     数種類のチョコレートの前で頭を悩ませる志歩乃へ、統弥は甘めのチョコレートを持ち上げて見せる。くどくないよう、クリームは少なめに、という点で二人は意見の一致を見た。揃えた材料を手に、空いている調理台へ移動する。
     統弥がチョコレートを細かく刻む傍ら、志歩乃はココアパウダーを振るう。続けて薄力粉も。統弥が湯せんに移行する間に、志歩乃は砂糖を入れたバターと卵黄を混ぜた。
    「チョコレートの準備が出来たよ」
    「こっちも準備万端っ」
     統弥の溶かしチョコレートを加えて、振るったココアパウダーを手早く混ぜる。出来上がった生地を型に流し込み、表面を整えてからオーブンに入れた。統弥さんと一緒にするなんて初めてだけど、楽しい。生地の様子を見ながら、志歩乃は心が浮き立つのを感じた。
     志歩乃がオーブンへ注意を向けている間に、統弥は残った材料を使って密かに作業を続けている。
     やがて焼き上がったケーキの表面に、志歩乃はアザランでハートを描いた。粉砂糖をその内側に振るえば、濃密なチョコレートの上に銀で縁取られた白いハートが浮かび上がる。
    「やっぱり、紅茶があるといいよね」
     統弥が運んで来た二人ぶんのティーカップが、紅茶の香りを漂わせる。その良い匂いを感じつつ、志歩乃は描いたハートを崩さないようにケーキを切り分けた。
     形はなんであれ、統弥さんのことは好き、だから。
    「大好きなあなたへ、だよー。いつもありがとうねっ!」
     志歩乃は満面に笑みを浮かべて、チョコレートケーキを載せた皿を統弥へ差し出した。
    「ありがとう。良かったら、これもどうぞ」
     チョコレートケーキと入れ替わりに統弥が差し出したのは、チョコクッキーだ。ケーキの焼ける間に、こっそり作っていたらしい。
    「いつも仲良くしてくれて、楽しくしてくれたお礼。……まあ、それだけじゃないけども……」
     それはまた今度、と統弥は笑う。今はこの時間を、目いっぱい楽しまなくては。
     統弥は志歩乃と共に、チョコレートケーキへフォークを入れた。


     オーブンの奏でる金属的な音を聞き、ジヴェアはドアを開けた。中から現れたのは、苺のスポンジ。これでチョコ、バニラ、苺の3段スポンジが完成した。
     チョコクッキー入りのクリームをスポンジの間に塗り、その周りを青く着色したチョコチップクッキー入りクリームでコーティングする。
    「見栄えも重要だけど、一番なのはやっぱり気持ちだよね!」
     元気にそう言って、ジヴェアはケーキの上をカットメロンやビスケットで飾り始めた。
    「幸ちゃん、いえ幸四郎先生、よろしくお願いします!」
     きゅっとエプロンを締め、七ノ香は幸四郎に一礼した。艶やかな漆黒の髪を一つにまとめ、今日は幸四郎と共に調理台へ立つ。七ノ香自身はあまり料理上手ではないけれど、幸四郎がいればきっと大丈夫。
     まずはチョコレートからと、平たいチョコレート板を包丁で恐る恐る刻んで行く。うっかり肘をぶつけて引っ繰り返しかけたボウルを、幸四郎がそっと後ろから支えてくれた。
     どうにか刻み終えたチョコレートを、湯せんにかける。緩やかに溶けて行くチョコレートの甘い匂いを嗅ぎながら、七ノ香は想い人の事を脳裏に浮かべた。
     七ノ香は、想い人を捜してこの学園へやって来た。今のところ手掛かり一つ見付かっていない。けれど、いつか会える。そんな確信が七ノ香にはあった。
     溶かしたチョコレートを一口サイズの型に流し込み、ドライフルーツやアザランでトッピングする。本命のチョコレートには、更に一手間かけた。
     いつかきっと、あの人にも食べて貰いたい。胸の内に温かな気持ちが広がるのを感じながら、七ノ香はチョコレートを冷蔵庫へ入れた。
     樹斉は用意されたレシピをしっかり読み込むと、調理台の隅に置いてオーブンを余熱した。
     今日作るのは、チョコレートケーキだ。ホールケーキを作って、お世話になっている先輩達に、日頃の感謝を込めて切り分けるつもりだった。
    「……小さめの二つ作ってもいいかなー」
     贈る人々の数を思い浮かべながら、独り言つ。思案を巡らせたのは一時の事で、樹斉の思考は取り敢えず一つ作ってみる方向へ向いた。
     チョコレートにバター、粉砂糖と薄力粉を、レシピの記載通りにきっちり計量する。お菓子作りにおいて計量はとても大切だと聞いている樹斉の動作は、とても慎重だった。
     甘味は強過ぎない方が良いだろうか。程々に抑えるには、とまたレシピに目を向ける。
     バターと卵黄を混ぜたボウルへ、溶かしたチョコレートを入れる。程なくして出来上がった生地を、平らに均してオーブンに入れた。
     オーブンの待ち時間は、仕上がりへの期待で胸がわくわくする。やがて金属質の音を鳴らしたオーブンから、樹斉はそっとチョコレートケーキを取り出した。型から外し、粗熱を取る。
     樹斉は完成したチョコレートケーキを、じっくりと眺めた。見た目には、レシピ通りにきちんと出来ているように思える。
     ふと視線をチョコレートケーキから外した樹斉は、家庭科室の隅でうろうろしている望を発見した。
    「望くん」
     足を止めた望に、手招きをする。
    「チョコレートケーキ作ったんだけど、試食してもらえないかなー?」
    「オレでいいの?」
     望は首を傾げたが、樹斉はゆっくりと大きく頷いた。
    「こう、自分だけじゃ味がやりすぎちゃってないかとか少し不安になるし」
    「それじゃ、いただきます」
     椅子に腰掛けた望へ、チョコレートケーキを切り分ける。望は少し緊張した面持ちで、フォークを動かした。
    「うん! おいしいよ!」
     望の笑顔に、樹斉はぐっと親指を立てる。
     ある意味、これも友チョコだろうか。幸せそうに笑むクラスメイトを見て、樹斉はふとそう思った。
     材料と調理器具を調理台に並べたミカエラは、家庭科室の端でうろうろしている望を発見した。視線がこちらを向いたタイミングで、軽く右手を挙げる。
    「久しぶりー。元気してた?」
    「うん、元気ー。みっきーせんぱいも何か作りに来たの?」
     にこにこと寄って来る望に、ミカエラはひまわりのような笑顔を見せた。
    「うん、簡単なのをたくさん作って、みんなにあげよ~♪」
     製菓学部に進学したミカエラにとって、お菓子作りはお手の物だ。
     チョコ台にココアパウダーで色を付ける。持ち運びの大変さを考えて、ロールケーキにする事にした。クリームを中に巻き込み、ドライフルーツは洋酒でしっとりさせる。包丁でさくさくと刻めば、色とりどりのドライフルーツは小さな鉱石の欠片のようになった。
     キレイでしょ? と一つを摘んで見せると、望はみかん色の瞳をきらきらさせて頷く。
    「飾り付け、手伝ってくれる~?」
    「うん!」
     持参したマジパンペーストをこね、くるんと巻いたケーキの上に、はしごとブランコを建設する。
    「じばくボタンは?」
    「よく覚えてるね~」
     ハンモックを作り出した望の言葉に懐かしさを刺激され、ミカエラは明るく笑った。
    「あ、緊急脱出装置も!」
     はたと重要な施設を思い出し、またマジパンをこねる。
     程なくしてミカエラは、ロールケーキの上に秘密基地を建設し終えた。完成の声を上げるミカエラに、望がぱちぱちと拍手を贈る。
    「はじっこの切り落とし、みんなで食べよっか?」
     誰かと一緒の人も、一人の人も。優しい甘さはきっと喜んで貰えるに違いない。
    「あ、望用はコレねっ♪」
     瞬きする望に、ミカエラはザリガニのおうち! とロール台で巻かれた赤ザリガニのマジパンを差し出した。みかん色の瞳が瞬く間に笑みに彩られる。
    「ハッピーバレンタイン!」
     一人の男の子を笑顔にしたミカエラは、もっとたくさんの人を笑顔にするため、家庭科室の中を歩き出した。

    作者:牧瀬花奈女 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年2月13日
    難度:簡単
    参加:10人
    結果:成功!
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