夜景に響くは奇音の鎖鋸

    作者:唯代あざの

     藍鉄から漆黒に続く濃淡は、深く重たい夜の空。
     遠く、明滅するのは赤の航空障害灯で。
     広がる地上の黒には、寒暖雑多な光が溢れていた。
     風に乗り、微かに電車の走る音が届いてくる。丘に建つ廃ビル、その屋上。広がる夜景に関心を払わないモノが、打放しのコンクリートで身をよじらせた。
     蠕動する体躯の皮膚は硬質で、それでも蠢く体節の奇怪さは変わらない。
     金属を裂く、耳障りな音鳴り、その残響。
     錆びてなお頑丈だった扉が転がって、巨体が強引に建物内から這い出でて。
     頭部に連なる小眼の中央。
     開いた口が獲物を求めて動き、渇望の本能は、頭頂に生え伸びた鎖鋸を震わせる。
     
    「あ、皆さん集まってますね」
     午後の教室にて。
     中学生エクスブレインの少女は扉を開けるなり、てけてけ歩いて教卓に。
    「ではでは未来予測を発表しますっ。今回は、いかにもバトルな眷属討伐ですよー」
     お辞儀をひとつ。顔を上げれば、
    「単純シンプルぶっ殺しちゃえばオッケーな内容です。簡単ですねっ」
     にこっと微笑み、髪は揺れ、なぜか少し思案顔。
    「でもまあ、少しくらい、要領良くやっちゃってもいいですよね? ガチバトルはアンブレイカブルさん達にでも譲っちゃいましょうよ」
     気楽に行きましょうと彼女は言って、腕組みしながら頷いた。
    「灼滅して欲しいのはダークネスに使役されていない眷属――いわゆるひとつの、はぐれ眷属さん。名前は『チェインキャタピラー』っていう人間サイズの鋸芋虫的なアレなんですけど、これが街中にある廃ビルに居座っちゃったみたいなんですよね。放置すると結構デンジャラスなのは想像できます? ビルから這い出て、街の通りをそんな化け物がお散歩しようものなら、ね。しかもこの芋虫さん、見境がないから、人を見かけたらギュインギュインザクザク血祭りしちゃいます。あー、怖い怖い」
     微塵も怖がる顔をせず、
    「なので! そうなる前に殺っちゃいましょうっ」
     明朗快活に、彼女は笑顔で言い切った。
    「そーゆーわけで!」
     軽く手の平を打ち合わせ、
    「この鋸芋虫さんを灼滅する方法。それをこれから説明です!」
     エクスブレインの少女はそこでひと呼吸。少し眉を寄せると真面目な顔で、
    「えとえっと、問題の廃ビルは屋上有りの八階建て」
     ゆっくりと語り出す。
    「これの八階に鋸芋虫が10体いるわけです。そこは柱はいっぱいですけど、かなり広い空間になってます。で、これがポイントなんですけど。この部屋、中央が崩れて鉄骨が剥き出しです。落ちたら危険が危ないエリアなのですよ。四階まで真っ逆さま。うん、下の階も崩れて穴が開いちゃってるんですよね。まあ、皆さんは『バベルの鎖』があるから落ちるだけなら平気ですけどね?」
     こわいだろーなーと彼女は苦笑う。
    「ここで普通に戦ってもいいんですけど、ちょっと大変です。なので敵の分断、狙っちゃいましょう。方法は簡単。八階に入ったら鋸芋虫の注意を引いて、鉄骨の上をダッシュです。追い掛けて来るので、全力で走り抜けてくださいね。この鋸芋虫さんは頭が残念なので、半数は足を滑らせて落ちるのですよー」
     一緒に落ちたら笑えないから気を付けてくださいね、と念を押してから。
    「上手く分断して倒したら、残りを四階で灼滅です! あ、そこ、嫌そうな顔しないでくださいっ。階段くらいなんですか、戦いのリスクを減らすほうが大事ですからね! あー、でも。少し残念なお知らせです」
     手指を組んでうつむいて、それでも目線は上、灼滅者達の顔色をうかがい見る。
    「この四階のお掃除が終わったら、屋上で大型の鋸芋虫さんが1体――って、そんな露骨に嫌そうな顔しないでっ。ああ、でも! どうしても急いで上って欲しいんです。のんびりしてると未来予測の範囲外。逃げられるか奇襲されるか……、とにかく、よろしくないです」
     はふ、と息を吐くと、エクスブレインの少女は気を取り直し、
    「ちなみに、屋上の1体を先にどうにかしちゃおうって思わないほうがいいですよ? 眷属達も『バベルの鎖』を持ってますから、前兆を察知されて厄介なことになっちゃいます。戦うのは他の鋸芋虫を掃除し終わってから、これ大事です!」
     テストに出ますよ、とでも言いそうな顔で彼女は告げた。
    「あ、そうそう」
     未来予測を話し終わり、資料を片付け始めた手を止めて。
    「向かってもらうのは夜になるんですけど、屋上からの夜景は綺麗ですよっ。風は冷たいだろうけど、――少しくらい眺めてから帰るのもいいですよね。きっと素敵です」


    参加者
    風鳴・江夜(ベルゼバブ・d00176)
    アリシア・ウィンストン(美し過ぎる魔法少女・d00199)
    鷲宮・密(散花・d00292)
    久瑠瀬・撫子(華蝶封月・d01168)
    安曇野・乃亜(ノアールネージュ・d02186)
    メフィア・レインジア(ガールビハインドユー・d03433)
    水門・いなこ(影守宮・d05294)
    咬山・千尋(中学生ダンピール・d07814)

    ■リプレイ

    ●八階
     夜風が冷たく肌を刺した。
     窓枠の取り外された廃ビル内。幾本も伸びた柱の影、その上を、冷気が吹き抜け荒ぶ。
    「うーん、参ったね。もう少し暖かい格好してくれば良かったかな」
    「こんな時間に戦うとはのぅ……」
     箒の先にLEDランタンを取り付けたメフィア・レインジア(ガールビハインドユー・d03433)とアリシア・ウィンストン(美し過ぎる魔法少女・d00199)――交わされる言葉は空中で。銀髪と黒髪の二人は箒にまたがり、廃ビル内を疾駆していた。
     壁、床、柱、天井。視界の中、その全てが流れゆく。
     街灯と月が生む薄明かり。揺れるランタンが照らすのは蠢く異形。
    「さぁ、おいで。あなた達も、嫌な相手くらい判るよね?」
     撃ち出された魔光の軌跡が視界を掠める中で、
     ――天地の区別なく、柱すらも足場にメフィアは八階内を翔び巡り、
    「妾に付いて来れるかぇ?」
     アリシアも箒を駆って鋸芋虫を引き寄せた。
     飛び回る二人に、その凶悪な鋸は届かず。知性なき眷属達が群がり集う。
     向かう先は――、
    「仕上げだね。行くよっ」
     鉄骨。
     その上を、箒に身を伏せ傾け、足が付きそうな高さで飛び抜ける。
    「――っ!」
     その途中、絡み付いたのは糸。
     鋸芋虫が吐き出した糸が届いた先はアリシアで――、
     バランスを崩しかけた彼女は、そのまま錐揉みしながら上昇、身体が空中で跳ね上がる。
    (「不覚じゃ……、だが――)
     冷静に姿勢を制御。逆さの視界で、鉄骨の状況を把握する。
     身をひるがえし、舞い、箒を片手に足は床を踏む。
     絡む糸を払い――、向けるは専用のマテリアルロッド。
    (「かかりおったのぅ……」)
     不敵な笑みがアリシアの口元に。
     隣では、箒から降りたメフィアが振り返る。
    「良し、ばっちりだね!」
     落ちゆく鋸芋虫。その数、半数。
     残る五体を迎えるのは、メフィアとアリシアだけではなく――、
    「殺戮・兵装(ゲート・オープン)」
     凛とした声音。袴姿の久瑠瀬・撫子(華蝶封月・d01168)は、袖から取り出したカードに口付けし、解除コードを唱えていた。十文字鎌槍を手に、伸ばされた背筋。敵を見定め、穂先を向ける。その横で、
    「怪我しないでね、ルキ」
     光剣を手にした風鳴・江夜(ベルゼバブ・d00176)は、己が潜在能力を代償としたビハインド『ルキ』と視線を交わし、前へ。同様に進み出る安曇野・乃亜(ノアールネージュ・d02186)が顔を曇らせ、
    「江夜氏。随分と気に掛けているようだが、戦う以上は――」
    「それでも、だよ」
     憂いの忠告を遮れば、彼女の目は微かに見開かれる。
    「ならば、狩り尽くしてやろう」
     響きは強く、口端に浮かぶのは微笑みで。
     ガトリングガンを構えた乃亜に、江夜は頷きで返した。
    「必要があれば癒します。どうぞご随意に」
     アリシアに絡み残る糸を霊力で浄化した鷲宮・密(散花・d00292)が静々と。
     対して、
    「まとめて轢き殺すよ? 芋虫ちゃん達」
     ライドキャリバーで疾走するのは、咬山・千尋(中学生ダンピール・d07814)。魔力の霧で己が闇を揺り動かし、起こした力を御すように、手にした野太刀の切っ先を押し下げる。
     風を切る中、生まれるのは火花と擦過音。
     敵との交差は一瞬で。
    「遅いね」
     大上段からの一刀は既に終えている。千尋は野太刀を片手に、キャリバーを旋回、切り返した視線の先。蠢くのは、硬質なはずの皮膚を斬り裂かれて体液を流す、――鋸芋虫。
    「わしは虫とか得意じゃないんじゃがの」
     水門・いなこ(影守宮・d05294)は眉をひそめ、揺らぐ影を纏った腕を一振り。
     直後、鋸芋虫達とその周囲が凍り付く。
    「んむ、寒さには弱かったかえ?」
     それは『魔法』であるフリージングデスによる力。
     熱量を奪われ、空気中の水分が煌めく細氷となって舞い散った。
    「分断にも成功したことだし、……さて、一気に殲滅するぞ!」
     凍結した鋸芋虫達の硬皮を、乃亜の放つ嵐のような弾雨が、――穿ち貫き破砕する。
     連続稼動するガトリングガンの駆動音に混じり、悲鳴にも聞こえるチェーンソーの唸りが絡み啼いた。金属刃に衝突する弾丸の高音が続く中、ビハインド『ルキ』の霊障波が、アリシアのマジックミサイルが、メフィアのフリージグデスが、はぐれ眷属達を圧倒する。
    「――っ」
     間近で噴き上がったのは、舞い散る火の粉と凶悪な動力音。高速回転する無慈悲な刃が乃亜の眼前に迫っていた。無骨な銃身で受けてはいたが、鋸芋虫の巨体に押され、徐々に裂かれるのは身を守るシスター服。そのまま柔らかな皮膚を削ぎ抉られる――、
    「させない――っての!」
     そのはずのチェーンソーの唸りが緩み、止まり、巨体が潰れるように床に伏す。
     鋸芋虫の背には鮮血色に染まった縛霊手。
    「……千尋君か。ありがとう」
     灼滅者達の優勢は揺るがない。
     鋸芋虫達の劣勢は明らかで。
     だが、彼らに恐怖の色はなく、貪欲に開いた口腔は粘質の糸を吐く。
    「単純な生き方ね」
     舞うは影の蝶。肩に止まれば疲労が薄れ、糸が解け、
    「でもその程度では、誰も捕らえられはしないわ」
     密の蝶は宿した霊力で穢れを祓う。
    「さぁ、悪い虫さんは燃えちゃえ」
    「何匹居ようと、雑魚は雑魚……いや、この場合は雑鋸芋虫、――でしょうか?」
     動きの精彩を取り戻した江夜が、十字槍を振るう撫子が、
     ――噴き上がる焔を殲術道具に宿し、纏わせ、炎舞。
     斬り裂いた傷口から鋸芋虫は燃え上がり、灼き朽ちて、篝火が二つ出来上がる。
    「隙だらけだね」
     狙いは違わず、伸びたメフィアの影が刃となって硬皮を切り裂いた。
     そこへ氷が這い入り、傷を侵食してゆく。
    「倒される定めの端役でしかないな。早々に退場願おうか」
     塗り固めた闇は心の暗がり、その深淵。
     ――デッドブラスター。
     乃亜の撃ち出した漆黒が、敵を捉え蝕み抉り、――灼滅に至らせる。
    「残るは――」「おぬしだけじゃ!」
     重なった詠唱はアリシアといなこのもの。圧縮された『魔法』は矢と成りて、征く。絡み合う二条の光は敵へと吸い込まれ、
     ――貫き、爆ぜ、瞬間の眩さは収縮し、
     発現した『魔法』は、鋸芋虫を塵へと換えた。
     訪れたのは静寂。
     鉄骨の下、見通せない黒へと、冷たい風が吹き入り落ちる。

    ●落下
     鉄骨へと踏み出せば、途端、闇が色濃く感じられた。
    「えーっと、お手柔らかに?」
    「大丈夫ですよ。お任せください」
     千尋は撫子に抱えられながら、少しだけ引きつった表情で。自然と、サーヴァントの封印されたカードを持つ指に力が入る。
    「ちぃと飛ばすぞぇ」「ああ、よろしく頼むよ」
     いなこは箒に跨りながら振り返り、
    「ちゃっちゃと帰って、ネトゲのイベントに参加したいからのう!」
     共に乗った乃亜を相手に、からからと気負いなく笑ってみせた。
    「ボクらは、まあ、ほどほどにかな?」
    「うん。でも、ルキも一緒が良かったなぁ」
     メフィアの箒。その後ろに乗った江夜は、スレイヤーカードを眺めながら小さくぼやく。
    「妾が思うに、江夜はそればっかりじゃな」「本当に」
     苦笑は隣から。
     見れば、箒に跨るアリシアと、抱きつくように横乗りになった密の姿。
    「では――」
     口火を切るのは撫子で。
     闇へと一歩。視界が流れ、暗く、浮遊感に包まれた。
     落下。
     風が全身をなぶり、髪が乱れ、前後左右を瓦礫が抜ける。
     照明で床面が浮かび上がったかと思えば、それは即座に迫り、
     ――そこに在る、廃材、石片、幾多数多、
     全てを認識するより早く、身体は床、四階に。
    「――っ」
     衝突は無く、着地は緩やかで。
     それはESPエアライドの恩恵。八階から飛び降りた二人は無傷で四階に立っていた。
    「キャリバーで走るのとは、やっぱり趣がちがうね。はは……」
     瓦礫の転がる床を自らの足で確かめ、千尋は周囲を懐中電灯で照らし見る。
    「柱に隠れておるのう。わしにはお見通しじゃ」
    「大丈夫、敵は全部ここから動かなかったみたいだね」
     声は上から。見仰げば、箒に跨る三人の魔法使いと、共に乗る三人の仲間。
     四階へと降り立った面々は、即座にそれぞれの役割を果たすべく動いた。
     周囲から寄り響く鎖鋸の金属音。
     乃亜の弾幕が迎える中、アリシアとメフィアの『魔法』によってビル内は急速に冷却されてゆく。微細な氷は照明に揺れ瞬き、鋸芋虫達の体躯に氷が這い始めた。
    「ゴミ屋敷の怪物に、今度は虫相手……」
     江夜は手にした光剣を闇へ向け、
    「なんか僕、妙な事件にばかり関わってるなぁ」
     放つは閃光、刀身を構成する光が周囲へと撒き散らされる。
     眩むような一瞬の時を経て、動いたのはビハインド『ルキ』。江夜のサイキックフラッシュに怯んだ鋸芋虫達の一体を、霊的な衝撃が襲った。
     負の波が覆い、
     呪的に、祟り、障り、疲弊させ、
     ――存在自体を死へと繋ぎ終わらせる。
     糸が切れたように鋸芋虫は崩れ、痙攣、二度と動くことはない。
     瓦礫と柱を使いながら距離を取り、持ち込んだ照明だけが頼りの戦場で。灼滅者達は敵と戦い、牽制し、戦況の推移に合わせて立ち回る。
    「都市伝説にはぐれ眷属。ダークネス以外にも、灼滅者の相手は多いですね」
     鎖鋸の刃が掠めた傷を癒す為、フェニックスドライブをするのは撫子。顕現した炎翼に、影が踊った。床を、柱を、瓦礫を、天井を、小さく大きく影絵が飾る。
     揺らめく炎と伸びた影。
     それは唐突に。
     影のひとつが膨れ上がり、数多の影蝙蝠が生まれた。奔流ともいえる群れは鋸芋虫の一体へ殺到してゆく。くぐもる鋸の音。完全に飲み込んだ影、その塊へ、掃射されたのはライドキャリバーによる機銃の雨で。
    「これで残るは三匹……っと」
     野太刀を担ぎ、気怠げな視線を送るのは千尋。
    「んむ、ちゃちゃっと終わらせるのじゃ」
     その隣でいなこは、バベルの鎖を収斂、最適な力の発動先を見定める。
    「経験値UPイベント終了時間は、――待ってはくれんからのッ!」
     動機はともかく心は真剣で。
     柱に陰に、前衛の後ろに、影業を纏い、敵から逃れ。
     黒髪の魔法使いに、銀髪の魔法使いに、狙いを告げて。
    「よろしくさんじゃよ」
    「水門は妾を誰だと思っておるんじゃ? 問題ないわい」
    「うん、ボクに出来ることなら! やってみるね!」
     鋸芋虫から距離を取りながら、流れる旋律は詠唱で。
     いなこが待ったのは、乃亜を追った鋸芋虫達が集まる、その一瞬。
    「とても痛いかも知らんが、まあ諦めておくれ、すまんのぅ」
     完成するのは三人分の『魔法』、――フリージングデス。
     視界は白染めに。
     照明光に舞う細氷は魔力の産物で。肌を刺す冷たさは夜風の比ではなく。
     敵は凍り付き、ひび割れ、砕け、散ってゆく。
     氷の破砕音を葬送歌に。
     残ったのは、凍結の白に耐え抜いた一体の鋸芋虫。それは半ば氷像で。
     一拍。
     楚々と振るわれた密の神薙刃が、裂き割り砕き――、灼滅させた。
     ゆっくりと霧散するのは、役目を果たした細氷の輝き。
     終わり迎えた静謐。
     それも、すぐさま灼滅者達の足音で終わりを告げる。向かうは屋上。未来予測に従って、頷きあった一同は、階段へと走り向かう。

    ●夜闇
     割れた硝子。錆びた配管。落ち葉に埃に剥がれた塗装。
    「さぁ、全力で戻りますよ!」
     袴姿の撫子は、朽ちたビル、その階段を淀みなく駆け上がっていた。その腕は上体の動きを阻害せず、踏み出した脚への巧みな重心移動は、身体を流れるように運ばせる。
    「んむんむ、速いのぅ。皆も頑張るんじゃよ?」
     涼しげな声はいなこのもので。彼女は足を使わず箒を使い、悠々と階段――、その上を、器用に飛んでいく。
    「羨ましいわ。私も乗せてもらおうかしら」
    「じゃあ、ボクの箒に?」
    「わ、妾はもう走ると決めたのじゃ」
     既に灼滅者達は六階で。
    「休む暇もないというのは、実に疲れるものだな」
    「あー、うん。あたしもそう思うよ。精神的に来るね、これは」
    「僕はルキと一緒だし、平気」
     取り留めのない会話を交わせば、八階を過ぎている。
     ――屋上。
     転がる錆扉を踏み締めれば、頭上は空、黒の天鵞絨を広げたような世界が在った。
     それを打ち破るのは奇音。
     大型の『チェインキャタピラー』が灼滅者達を出迎える。
     咆哮の如き鎖鋸の唸り。
    「君が親玉かね? ……ふむ、醜悪の極みだな」
     突進する巨躯、刃、人間くらい両断するのは容易く見えるそれを、
    「少しは楽しめそうだ」
     ガトリングガンの銃身で受け逸らしたのは、――乃亜。
     鎖鋸はコンクリートの床を抉り、直後、跳ね上がる。
    「――っ!」
    「安曇野さん、無理はしないように」
     乃亜に生まれた傷は即座に癒された。集めた霊力を影の蝶を使って飛ばした密は、敵から離れ、間合いの維持に努める。チェーンソーの届く距離は限られ、時折吐き出される糸だけでは、
    「無駄です」
     バックアップに専念する密の前ではただの悪足掻き。
     だが、戦いは単純な計算をしているわけではなく――、
    「……ッ」
     ビハインドが傷付けられたとき、逆撫でされた心を隠しもせず、
    「――ルキをいじめないで。殺すよ」
     江夜が冷徹を感じさせる無表情で、告げた。
     振るう光剣は焔を纏い、夜闇に浮かぶのは炎の軌跡。
     ――奇音が鈍り、
    「ここで繭になるつもりだったんか……? でも、ここまで!」
     千尋がライドキャリバーと共に、屋上で大鋸芋虫を無尽に狩り立てる。
     続くのは、砲火の苛音、切り裂く影刃、流れる飛翔魔弾。
     ――硬質な皮膚ごと幾つもの部位が失われ、
    「まだ、動けますか。さすが――」
     取り回す十字槍の風切り音は加速して、
    「でも、もう終わりです」
     舞い散るのは桜火。華と咲く炎舞は、その焔で幾度も敵を斬る。
     血の紅焔『レーヴァテイン』。
     撫子の振るい続けた穂先が敵に埋まると同時、
     鳴り続け、途切れることのなかった奇音、それが――、消えた。

     灼滅を終え、弛緩した空気が流れる。
     守りの要を務めた乃亜に肩を貸すのは撫子。密が落ち着いた様子で千尋の傷を見る中、慌しく江夜はビハインドへと駆け寄って。
    「……偶にはリアルな星空を見るのも悪くないのう」
     立てた箒に小柄な身を預ける、いなこ。仮想の星空と比べれば、その輝きはあまりにも少ない。どれほど高解像度のモニターでも再現出来ない空ではあったが、どこか物足りなくもあり。それを感じ取ったのか、メフィアが声を掛け、
    「街中だから星の数はいまいちだけど、その分、ほら――」
     広げた腕の先、視線を巡らせば、
    「見ておいて損はない、よね?」
     星よりも多くの光が瞬く夜の街。
    「良い景色だな。我々の手で守れたのだし、せっかくだ。堪能させてもらうとしよう」
    「確かに夜景が綺麗じゃな。妾としたことが、戦っている間は気付かんかったわい」
     見下ろせる黒の世界は、富んだ色彩に飾られる光絵で。
     ずっと遠くどこまでも、人の領域、その境界まで続いていた。
     街の灯を眺める静かな時間。
     それは一時のものだとしても、確かに守られた、平穏の夜。

    作者:唯代あざの 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年11月7日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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