うずめ様の予知~帰りを待ってくれる人がいる

    作者:四季乃

    ●Accident
     カンカンカン――。
     非常階段を駆け上がるヒールの音が、夜のしじまに鳴り響く。そのけたたましい音色はまるで危険を知らせる踏み切りの警報機のようだと思った。けれど立ち止まる事は許されていなかった。寧ろ走り続けなければ、あの――。
    「逃げるしか芸がないのですか?」
     背筋に爪を立てられたような悪寒が走る。
     ちらと後方を顧みると、数匹の『化け物』を従えた男性がこちらを見据えていた。命懸けの遁走をしているというのに、彼の白い面は「汗とは無縁です」とでも言うかのように涼やかだ。
    「早く正体を現しなさい。鬼ごっこはもう飽きました」
     吐息交じりに吐き捨てられ、彼の纏う空気が暗闇の中でもはっきりと一変したのが分かった。小さく悲鳴を呑みこむと、まろぶように非常階段を駆け上がる。
    (「わたしはただ、会社に忘れ物を取りに来ただけなのに!」)
     理不尽に与えられる恐怖に思考回路はぐちゃぐちゃだ。涙の膜が張った視界は危うげで、何度も躓き転びかけたが、家で待つ子供たちに逢いたいがために必死で逃げて、逃げて――。
    「ああっ!」
     がむしゃらに扉をこじ開けた先は、十二階建てのビルの屋上だった。屋上緑化に選ばれたこの一帯は青々とした緑が茂り、小さいけれど温室も備わっているのだ。内部への扉は普段鍵がかかっている――分かっていたけれど逃げ道はない。
     とにかく転がり込むように温室に逃げ込み、小さくなる。震える両手で口を抑え出来るだけ身体を小さくして薔薇の影に身を潜めた。
     ひた、ひた、と不気味な足音が耳朶を突く。それらは一片の迷いも見せず温室に向かってくると――。
    「ひっ……」
     壁の硝子越しにこちらを見つけ、にぃと笑った、気がした。

    ●Caution
    「行方がわからなくなっていた、刺青羅刹の『うずめ様』の動きが判明いたしました」
     集まった灼滅者にそう前置きをした五十嵐・姫子(大学生エクスブレイン・dn0001)は、沈痛な面持ちで微かな吐息を噛み殺す。『うずめ様』は、九形・皆無や、レイ・アステネスが危惧していたように、爵位級ヴァンパイアの勢力に加わっていたのだ。
     しかも。
    「今回の事件は、『うずめ様』の予知を元に、デモノイドロードが灼滅者を襲っている、といったものなのです」
     灼滅者と聞いて、場に居る者たちの間に緊迫した空気が流れたのだが、姫子曰くそれは我々武蔵坂の灼滅者では無いと云う。しかも、闇堕ちした一般人でも、はたまたヴァンパイアの闇堕ちによって灼滅者になった血族でも無い、と。
    「その灼滅者とは、ある日突然『灼滅者』となった、一般人なのですよ」
     一般人、と小さく呟きが洩れる。
     それらデモノイドの動きは他でもない、咬山・千尋や、七瀬・麗治が警戒していてくれたことが、事件を察知できた一因であるのだが。
    「灼滅者となった一般人の方たちに戦闘能力は殆どなく、デモノイド達によって命の危機にさらされています。デモノイドの目的は彼等を闇堕ちさせることだと思われるのですが……なぜそのような事をするのか、理由は判明していません」
     みなにはその一般人――灼滅者を救出してほしいのだ。

     救出対象は二十代後半の女性で、名を桜坂さんと云う。小さなお子さんを持つ二児の母であり、主夫の旦那に子どもを預けて夜遅くまで勤めている会社員なのだとか。灼滅者になったとは言え、戦力としては全くあてにならない事を念頭に置いてほしい。
    「デモノイドの目的が灼滅者の殺害ではないという事は、我々が割り込めば戦闘を優先すると思われます。桜坂さんの安全を確保したのち、これらデモノイドを灼滅してください」
     敵はデモノイドロード一体、その配下のデモノイドが三体だ。デモノイドロードはそれなりの強さを持ち、配下のデモノイドも一対一だと勝つことはできないだろう。
    「でも二対一なら十分に勝てる程度の敵です。強敵、といったものではありませんが、一度に相手取る数が多いので、どうか油断はされぬようお気を付け下さいね」
     現場は十二階建てのビルの屋上で、緑化運動がされているので小さいながらも温室や東屋といったものが存在する。出入り口はビル内部から通ずる扉と、非常階段の二か所しかない。
    「『うずめ様』の行方が掴めたのは良いのですが、この予知は厄介ですね……」
     姫子は小さな吐息を零したのだが、何かに気が付いたように顔を上げると、桜坂さんを保護してほしいと言った。
    「自分の身に降りかかった災厄がなんなのかも分からない状態ですし、戦う力もないのでは再び襲われればひとたまりもないでしょう。ぜひ事情をお話しして、連れてきてほしいのです」
     どうかお願いしますね。姫子はそう言って、深く頭を下げた。


    参加者
    千布里・采(夜藍空・d00110)
    彩瑠・さくらえ(幾望桜・d02131)
    神鳳・勇弥(闇夜の熾火・d02311)
    天渡・凜(その手をつないで未来まで・d05491)
    水無瀬・旭(両儀鍛鉄の玉鋼・d12324)
    富士川・見桜(響き渡る声・d31550)
    アリス・ドール(絶刀・d32721)
    神無月・優(唯一願の虹薔薇ラファエル・d36383)

    ■リプレイ


     瞼を閉じると、いとしい人の笑顔が見えた。
     いわゆるこれが想い出の走馬灯が走る、と言うものだろうか。ならばわたしはやはり死ぬのか――。
     心が折れかけたその時――キンッ、と何か細い音が立った気がして、肩が跳ねる。それは閉じた瞼の裏さえも突き刺すような白き光だった。まるで邪心を悉く切り裂くような、まばゆいもの。
     桜坂はそろりと瞼を持ち上げると、温室の硝子に張り付くように内を覗いでいた青い化け物が居なくなっていることに気付いた。
    「よぅ、頑張りはりました」
    「ひっ!」
     暗闇から寄越された見知らぬ青年の声に、身体が硬直する。薔薇の茂みから顔を上げると、千布里・采(夜藍空・d00110)と富士川・見桜(響き渡る声・d31550)の二人が、やさしげな笑みを浮かべて、こちらを窺っていた。その向こう側では、猛り狂う咆哮と、腹の底から響くような轟音が、がなり立てている。
    「信じられないかもしれないけど、信じて欲しい。――私達はあなたを助けに来た」
     彼等は怯えた桜坂を厭うのではなく、むしろ気遣うような優しさを持って暖かな掌を宛がった。ぽん、と膝に置かれた小さなぬくもりに気付き、視線を落とすと、それは何とも可愛らしい姿をした霊犬であった。
     ――やさしい温度に、身体のこわがりが溶けていく。
    「仲間達があいつらを食い止めているうちに、少しでも安全なところへ」
     ちらと温室の外を見やった見桜の視線の先。そこには、あの青い化け物に一太刀を浴びせたらしき神鳳・勇弥(闇夜の熾火・d02311)の姿があった。
    「追わせねぇ。俺自身の信念と『誓い』に懸けて、これ以上傷つけさせねぇ!」
     采に抱き上げられる形で温室を出ると、帯の鎧を纏った勇弥がすぐさま敵から守るようにこちらを背に庇う。
    「ここは任せて!」
     ダイダロスベルトを握った天渡・凜(その手をつないで未来まで・d05491)が、暗闇の奥を指差した。薄ぼんやりと浮かび上がる、木で出来た小さな東屋を視認した二人は、仲間とデモノイドの間を縫うように全速力で駆け抜ける。
    「加具土、絶対通すな!」
     己の何倍も大きな敵を前にしても、決して怯まず、臆せず、全身を持って戦闘の意志を見せていた加具土は、采たちのために道を開けてあげようと、咥えた刃で差し迫るデモノイドの顔を斬り付けてみせた。「ギャッ!」と短く呻いたデモノイドは、手で顔を覆い数歩後ろによろけたのだが、肉塊の刃で撫でるように加具土を斬り付け、振り払った。沈痛な鳴き声に、桜坂は顔を青ざめる。
     ――けれど。
    「キミらもうずめ様の予知でやって来たクチ? 何企んでるか知らないけど思う通りにはさせないよ」
    「俺は、貴方の命を奪う『悪』となる」
     彩瑠・さくらえ(幾望桜・d02131)から放たれた漆黒の弾丸と、水無瀬・旭(両儀鍛鉄の玉鋼・d12324)の鐵断・魁の切っ先が、デモノイドの巨体に飛び掛かる。双方から放たれたそれらは、デモノイドの躯体を巡るように十字に交差したかと思うと、次瞬、血飛沫が吹き上がる。巨体はそのまま膝を突き、頭部から地面へ傾ぐと、それは大地に顔を伏せたまま二度と起き上がることは無かった。
    「すごい……」
    「危ないからここにじっとしていてもらえたら嬉しい、必ず守るから」
     東屋へ到着した見桜の真剣な表情に、桜坂は恐々と、けれど力強く、頷いた。


    「武蔵坂、ですか」
     面倒な邪魔が入ったものだ。ロードが長い前髪の隙間から倒れたデモノイドを見やり、吐き捨てる。
    「あれで全員だと思った?」
     声音に感情が伴わない、ひどく冷静な言葉に呼び掛けられ、ロードが振り向きざま己の刃を後方へ振り払う。だがそれは何か細くて薄いものに弾かれた。
    「ぐ、ぅ……」
     あまつさえ胸部を突き穿つではないか。
     己の胸を刺す帯を握り締め、ぞんざいな手つきで引き抜くと、さきほどおのれ達が登ってきた階段から姿を現した者がいる。神無月・優(唯一願の虹薔薇ラファエル・d36383)だ。だが彼の背後から何か別の者が飛び出したのが分かった。それは旭の懐にキャノンを撃ち込んだデモノイドに向かい、霊撃を撃ち込みに向かうビハインド海里ではない。
     一瞬、あちらの光に目が眩んだ、その隙を狙ったかのように跳ね上がったそれは、転落防止のフェンスを蹴って、まるで鞠のような軽やかさで芝を蹴ると、視界の外から斬撃を叩き込んできた。予測のつかぬ変幻自在なフェイントに翻弄された自覚を持ったロードのこめかみに、ぴくりと青筋が立つ。
    「……楽しんで人を追いつめる……ダークネスらしいやり方だね」
     芝の上で獲物を斬り付けたばかりの絶刀「Alice the Ripper」を一つ払う小さな背中がこちらを向く。アリス・ドール(絶刀・d32721)はロードを見据えると、その切っ先を心臓の位置に突き付ける。
    「うずめの予知でも予言でも関係ない……人の幸せを奪うダークネスは……斬り裂く……」
     随分と小さな少女にたどたどしくも寄越された言に、ロードは「クハハ!」と高らかな笑い声を立てると彼女に向かい、影を解き放った。そのおぞましい動きで這いずってくる影はアリスの華奢な脚を斬り付けただけでなく、傍らにあった木々を薙ぐように突き抜ける。
     ロードがくるりと背を向けデモノイド達の方へ向かうのを見、後を追う二人の視界に、眩き光が飛び込んできた。それはまるで吸い寄せられるようにロードの方へと湾曲し、無防備な背面を直撃する。
    「お待たせしました、ばっちりですえ」
     振り向くと、指輪を掲げた采が、にっこりと笑っていた。
     どうやら霊犬は桜坂の傍に控えさせているらしい。デモノイドの攻撃がわずかにあちらへと逸れようものなら六文銭射撃でその軌道をずらし、徹底した防御に当たっている。
    「彼女はあの子と私に任せて。流れ弾がいかないようにする」
     リトル・ブルー・スターを手にした見桜は、破邪の光を放つ刀身を振り上げると、勇弥と組み合っているデモノイドに向けて斬撃を叩き込む。その強烈な一撃に横から切り崩される形となったデモノイドは、勇弥の閃光百裂拳を受けてもなお、ただでは転ばぬとばかりに片腕の砲台から高い毒性を持つ死の光線を撃ち込むと、ようやく転倒。
     だがすぐさま起き上がろうと手を突いたその腕を、鐵断・魁が貫いた。螺旋の如し捻りが加えられていたせいで、ギュルッ、と嫌な音を立てて腕の肉が半壊する。
    「倒れてくれていいよ」
     旭は得物を引き抜きながら、にこりとした。
     そのまま二体目のデモノイドが轟沈。残るはデモノイドとロードが一体ずつ。凜は傷を負った前衛たちに向けてイエローサインの回復に回りながら、周囲の芝や花壇が荒れてしまったことに対して胸を痛めていた。
    (「屋上緑化の草花を荒らしてしまうのは心苦しいけれど…今は桜坂さんを守る方が先決だ」)
     作戦が開始される直前、髪を結ったシュシュに祈願を込めた。きっと、きっと大丈夫。おのれに言い聞かせるように凜は唇を引き結ぶと、自身の役割を全うするべく、次の負傷者へ癒しに駆けた。


     それはまるで、光の乱舞のようだと思った。
     ハンディライトやランプを提げた凜と勇弥が目まぐるしく戦場を駆け抜ける軌道はもちろん、流星のようなきらめきを零してデモノイドの背面へと蹴りを見舞う采の攻撃も、またそれに追従するように放たれたさくらえの癒しの矢も、まるで魔法のように指先ひとつで敵の熱量を奪っていく優のそれも、全部が光となって桜坂の視界に飛び込んでくる。
    「この子たちは……一体……」
     すぐそばでふんふんと意気込んでいる霊犬の小さな背中を見て、彼女は胸にこみ上げてくる熱いものがなんなのか、未だ分からずにいた。
     茫然と見守る彼女の前で、最後のデモノイドが倒れ込む。まさかあんな巨体の化け物が全部倒れるなんて――桜坂は両の掌を合わせると祈るように握り締めた。
     そんな彼女の思いの一方、ついに単身となったロードを見やる優が海里の方を見ずに呼ぶ。
    「ワンコ、ケリを付けましょうか」
     むんと胸を張って攻撃態勢に入る海里が、全身を使って霊障波を繰り出すと、
    「…全力で…斬り裂く…」
     静かに隙を窺っていたアリスの切っ先が、素早く振り払われる。アリスが放った雲耀剣は素早いだけでなく真っ直ぐ、それでいて重い。ロードの胸部に激しい斬撃の爪痕を残し、彼に膝を突かせるまでに至っていた。憎々しく寄越される視線には聊か焦りが見える。
    「俺もデモノイドに縁があるし…俺の中のロードも、プラチナの行動や居場所に興味があるのだけれども」
     旭は槍の妖気を冷気のつららに変換しつつ、ちらとロードの表情を窺ってみたのだが、死の光線を持って肉を灼き、自身が追いつめられても屹然とした態度を崩さない様子を知り、
    「末端の小悪党が知る筈もないか」
     小さく、吐息する。
     くるりと大きく円を描くように持ちなおされた切っ先から、妖冷弾が撃ち出されようとしている。そのことに気付いた見桜はリトル・ブルー・スターを非物質化させ、後方から霊犬が、左方から加具土が撃ち込んだ二連六文銭射撃に紛れて敵の死角から一瞬を突く。
    「小賢しい真似を……!」
     脚を撃ち抜く六文銭に、直接内へと揺さぶりかける攻撃にロードの額から一筋の汗が流れ落ちる。彼は張り付く前髪を掻きあげると、影の刃で、小バエでも相手するかのように払ってみせる。だがそんなことで灼滅者が怯むはずもない。
    (「母親が家族を想う気持ちって、半端ねぇからな」)
     抱えられてゆく桜坂の横顔は、生への希望が与えられた者の表情をしていた。それは自分の命が助かったことの希望というよりは、子どもと再会できる喜びなのだとすぐに分かった。
     ふと、自分の母親を思い出した勇弥は隣を見やる。
    (「……さくら、桜坂さんのこと、絶対護ってやろうな」)
     回復過多にならぬよう、凜たちと積極的に声掛けして癒しの矢を放つさくらえを見て、
    (「『誓い』の為に走り続けてきた。その波紋が人々を飲み込もうとするなら、俺は波紋全てに責を負って立ち向かうさ。――友の為に『世界を優しく』できるのなら、世界の根幹に潜む全てを敵に回そうとも迷いはしない」)
     普段は飄々とさえみえる表情に、強き決意があらわになる。
     悪戯に長引かせる必要もないだろう。勇弥はFlammeの柄を握り締めると、ロードの意識が彗星撃ちを放つ優に向いている好機を狙い、今日二度目の破邪の白光を叩き込んでやった。
     油断した一瞬が、命取り。
     ロードは喘ぐように息を吐き出したが、その右腕の刃が肉を掻き切るのとほぼ同時に、
    「私は守るためにあなたを斬る。罪があるなら背負う、そう言うこと」
     攻撃を真っ正面から受け止めた見桜が、両手に力を込めてその刃ごと腕を叩き切る。
     腕を失ったことで重心がずれた。アッ、と短く息を飲む。傾ぐ身体を、脚を出すことによってなんとか支えようとする。そこへ寄越されたのが、ペトロカースの呪いだった。
    「堪忍な」
     視界の端で見えた采のたおやかな笑みに、ロードの表情がサッと青くなる。倒れる身体を止めることが出来なかったのだ。次に膝を突けば、それが終いだと誰でも分かるこの状況下。
    「…最速で…斬り裂く…」
     あのたどたどしいアリスの言葉が、一瞬の静けさの中でよく聞こえた。
     視線を持ち上げる。暗がりの中でもその姿ははっきり見えた。高く天に掲げた切っ先がおのれ目掛けて振り下ろされるのを、ロードは見ていることしか出来ずにいた。残る腕を、脚を、サーヴァントたちが、灼滅者たちのそれが、深く抉るように斬り、穿ち、貫いて、そして――。
     大地を裂くような一撃、だった。
     アリスが放った渾身の雲耀剣は、ロードの躯体を吹き飛ばすと、彼の意識を粉々に粉砕して静謐な夜の静けさを取り戻した。


    「治療させていただけますか」
    「見た目に驚くかもしれないけど、そのままじっとしていてください……わたしたちは貴方を傷つけたりはしませんから」
     呆けたようにベンチに座り込む桜坂に向かい、勇弥と凜が手当てを施すと、彼女は不思議な力を前にしてもさほど動じはしなかった。先ほどあれだけの激戦を繰り広げたのだ、これが自分を傷付けるものとは思わなかったらしい。
    「怖かったと思うけど…無事で何よりです」
     目線を同じくするように正面にしゃがみこんださくらえが、安堵の吐息を零す。
    「僕にも帰りを待ってくれる妻がいるから、帰りを待つご家族への想い、すごくわかります」
     そうと聞いた桜坂の双眸からドッと涙があふれ出る。無理もない、一度は家族への再会が断たれてしまうと本気で思ったのだから。霊犬と加具土が心配そうに見上げては、頬から落ちる涙を舐めている。
    「…大丈夫だよ…これで…待ってる子の所へ帰れるから…」
     両手で顔を覆い泣き出した桜坂の背中はあまりにも細く、頼りない。エクスブレインから聞いていなければ、とても子供を持つ母親だと思えないくらいだった。
    「敵は貴女を狙っていました。もしかしたらこの先も危険がないとも限らない。一緒に学園に来ていただけませんか? 僕らに、貴女とご家族を守らせてください」
    「なかなか信じられへんかもしれません。でも、その力は、誰か守りたい人がいはるから、授かったものやと思います」
     さくらえと采の言葉に桜坂はそろりと顔を持ち上げる。一通り泣いて、すっきりしたらしい。つまるところ、その組織が決して小さくないということが理解できたらしく、けれど家で待つ家族のことが気掛かりで即答できないようだった。
    「いつごろ不思議な力に目覚めた?」
     他の灼滅者たちより一歩引いて様子を窺っていた優が問うと、彼女はつい二、三時間前だと言った。
    「目覚めた時に何か感じたか、また襲われてピンチになった時に何かに呑まれそうな感覚はあったか聞きたい」
    「いえ……この小さな光以外は特に変に思うことはなかった…と思います」
     バベルの鎖の影響を感じさせる話がないか、聞いてみたいところではあるのだが。
     ここで焦ることはない。
     旭は小さく手を叩くと、桜坂の方へ向き合った。
    「色々有り過ぎて、混乱していらっしゃるとは思いますが…先ず、御家族に連絡を取られては如何です?」
    「は、はい。それでは、少し失礼します」
     そう言って彼女はスマートフォンを取り出すと自宅の番号をタップする。相手もきっと待っていたのだろう、三コールもせずに繋がったスマートフォンからは、彼女を呼ばう子どもの声が、周りの灼滅者たちにさえ聞こえるほどの大きさで飛び出してきた。
     子どもの声を聞いて安堵の涙を流し、泣き笑いを浮かべる桜坂。その姿を守れたことに、ただただ、ほっとした。
    (「家族か……妹には心配ばかりかけてるな。たまには帰るかな」)
     ここにはいない妹の顔を夜空に浮かべ、見桜は小さく、笑みをこぼした。

    作者:四季乃 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年4月30日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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