【民間活動】精神防衛戦~プシュケの席巻

    作者:佐伯都

     先の『鎖』とタタリガミが関わった一件では、灼滅者側の完全勝利という結果に終わった。従ってタタリガミ勢力は壊滅状態となったはずだと、成宮・樹(大学生エクスブレイン・dn0159)はルーズリーフを開きつつ続けた。
    「先日のタタリガミの壊滅が原因かどうかはわからないけど、ソウルボードに異変の兆候があった。しかも本来なら報道機関が黙っていない事件に発展しているにも関わらず噂も広まっていない以上、ダークネス事件だという事は間違いない」

    ●【民間活動】精神防衛戦~プシュケの席巻
     ソウルボードの動向を探っていた白石・明日香(教団広報室長補佐・d31470)、および槌屋・康也(荒野の獣は内に在り・d02877)の報告によれば、概要はこうだ。
     ソウルボードに起きた異変の兆候に呼応するように、民間活動の結果武蔵坂学園を支持してくれるようになった一般人達が、次々に意識不明で倒れ、病院に搬送されている。しかも精密検査を行ってもその原因は不明で、意識が戻らない状態が続いているようだ。
    「原因不明の、集団意識不明事件。情報操作もなしにこんな大事件が一般に広まらないとなれば、間違いなくダークネスが被害者のソウルボードに関わっている」
     残念ながら現時点ではこれ以上の情報がない。被害者が収容されている病院へ向かい、ソウルアクセスで原因の究明を行うしかないだろう。
    「ソウルアクセスで向かった先には、今回の異変の原因が待ち構えていると思う。その敵を撃破できれば被害者の意識も戻るはずだよ」

     ソウルアクセスを経て灼滅者達が降り立ったソウルボードは静まりかえっている。
    「……静か、だね」
     ベッドの枕元に見た、倉木・美鈴(くらき・みすず)という名前が戒道・蔵乃祐(ソロモンの影・d06549)の脳裏を離れない。
     まだ2月半ばの春浅い頃合い、ヴァンパイアに堕ちた妹に引きずられる形で闇堕ちし、その後救出された灼滅者に同じ性の少年がいたようだ。名と面立ちから窺える年齢から考えれば、恐らく少年の実母の線が濃い。
    「異変の原因がいるって言われてはきたけど、そんなものどこにも……」
     月夜・玲(過去は投げ捨てるもの・d12030)が周囲を見回してみても、どこまでも特筆すべき特徴のない世界が広がっていた。
     とりあえず探索してみるかと歩を踏み出したその瞬間、急激に照明が落ちるような、貧血で目の前が暗くなるような、不吉で不穏でしかない予感に科戸・日方(大学生自転車乗り・d00353)と四月一日・いろは(百魔絢爛・d03805)が喉を鳴らす。
     メンバーのほとんどはその気配に全く覚えがない、しかし空月・陽太(ラッパーの射手・d25198)には――そう、ただ一人、陽太にだけは未だ生々しい敗北と共に覚えのある気配だった。
    「嘘、だろ」
     そこを見てはいけない、振り返れば薄紅色の髪と黒いライダースーツの、絶望の具現が笑っている。陽太にはその確信があった。しかしこの予感が現実なら、振り返らないわけにはいかない。
     ごすんと巨大な得物をおろし、六六六人衆マンチェスター・ハンマーは楽しげに笑う。
    「どこのダークネスかと思えば灼滅者か、久しぶりだね」
    「個人的にははじめまして、なんだけどねえ……」
     彼女とここで遭遇するなど誰が予測しえただろう。なぜこんな所にいるのか、訊いたところで意味のないことをレオン・ヴァーミリオン(鉛の亡霊・d24267)は口走りそうになる。そして今は、それを尋ねるより身構える方が先だった。
     しかもここは――ここは一般人のソウルボード、ここでの敗北が果たしてどんな意味なのか。正確な情報はないが、灼滅者の邪魔を喜ぶマンチェスターが一般人のソウルボードを訪れ、何もせず帰る気なはずがない。
     ならばどう考えたってソウルボードも無事では済まされまい。限りなく勝利の可能性が低いこともあわせ、虚中・真名(蒼翠・d08325)は気が遠くなりそうだった。
    「いーち、に……はちにん。まさかこれっぽっちでデカ乳様止めようっての? あんたらって時々面白いこと考えるよね」
    「伊達に長いこと灼滅者やってないもの。灼滅者の諦めの悪さは有名でしょ?」
     なんとか強気の口調を崩さずにいるものの、流石に祟部・彦麻呂(快刀乱麻・d14003)も血の気が引くのを隠せない。この人数とこの状況で、六六六人衆最強を相手取るなど勝負以前の問題だ。40名もの数を揃えてなお届かなかった相手に、たったの8人で何ができる?
     灼滅者の絶望をマンチェスターが察したかどうかはわからない。ただ艶めく唇をひと舐めして序列第二位は槌を振りかぶり、石突きを地面へ打ちつける。襲いきたのは全身が四散しそうな衝撃。
     圧倒的な力量差の前にそのまま意識を手放しかけた灼滅者達の脳裏へ、ややかすれた、しかし揺るぎない呟きが響いてくる。
     ――勝って。お願いします、勝ってください。あの時のように。
    「……」
     はた、といろはは我に返る。まだ脚はしっかりと地面を踏みしめていた。
     ――私が見たあの姿のように。立ってください。立って、おねがい。
     ――私は、私達は覚えています。知っています。あの日見たものを、世界の真実を、覚えています。
     ――皆が信じて、願って、祈っています、灼滅者の勝利を。
    「……聞こえた、か。今の?」
    「……まいっちゃったなあ……」
     完全に半信半疑といった日方の呟きに、彦麻呂が目元を覆う。
     こんなの反則だ。誰が何を言ったって反則だ。そんな事言われたら、目の前の絶望を覆して、そして笑って言ってやる気にしかならないじゃないか。
    「あんな事言われて応えられないようじゃ、灼滅者の名が号泣しちゃうよね……!!」
     知らない、一度も聞いた覚えのないかすれた声音は間違いなく、ソウルボードの主である美鈴のものだろう。圧倒的な実力差に屈するかと思われた四肢はなにか不思議な力に満ち満ちて、いまだ身体を支えている。
     決然と顔を上げて見返してきた灼滅者の顔ぶれに、マンチェスターはこぼれおちるような笑みを返してきた。その笑みはなぜか慈母にひどく似ていて、そのくせ凄惨で残酷すぎる。
    「ここから反撃だよ。皆いいね?」
     いろはの宣言に、応ずる声はない。
     応じたのは、それぞれの殲術武器が構えられ完成した布陣だった。


    参加者
    科戸・日方(大学生自転車乗り・d00353)
    四月一日・いろは(百魔絢爛・d03805)
    戒道・蔵乃祐(ソロモンの影・d06549)
    虚中・真名(蒼翠・d08325)
    月夜・玲(過去は投げ捨てるもの・d12030)
    祟部・彦麻呂(快刀乱麻・d14003)
    レオン・ヴァーミリオン(鉛の亡霊・d24267)
    空月・陽太(魔弾の悪魔の弟子・d25198)

    ■リプレイ

     かさりと首の後ろへフードが落ちる音を、もう何度聞いてきただろう。
    「『お前を倒す』。ただそれだけに専念できる、シンプルな状況はありがたいね」
     一緒に道化の仮面も脱ぎ捨てて空月・陽太(魔弾の悪魔の弟子・d25198)は顔を上げた。かつて対峙したより状況は圧倒的に絶望しかない。
     後頭部が徐々に凍てつくような錯覚を覚えつつ、虚中・真名(蒼翠・d08325)は天星弓【ほしの導き】を構える手に力を篭めた。ソウルボードの主が送り込んでくれる力をもってしても、この、うすく笑いながら巨大なハンマーを掲げた六六六人衆を退けられる確信は薄い。
     力及ばずダークネスが力をつける、それはまあいい。機会を整え再戦を挑むだけのこと。
     思わぬ場で強敵と遭遇する、嬉しくないが時折あることだ、残念ながら。それでも大概のことはなんとかなるし、なんとかしてきた。
     しかし何の罪もなければ関係もない、荒らされればその被害は計り知れないただの一般人のソウルボードを背負っているとなれば話は違う。
     絶対に勝たなければならない。
     決して負けるわけにはいかないのだ。
     負けてはならない、たったそれだけのことが、今ほど重く、信じられないほど遠く感じられた覚えは祟部・彦麻呂(快刀乱麻・d14003)にもない。じんわり目の縁が熱かった。
    「……正直泣きそう、って言うかちょっともう涙出てるんだけど」
    「カラ元気も元気のうち、ってね。いい言葉だと思わない?」
     くるよ、と短く鋭く囁いた四月一日・いろは(百魔絢爛・d03805)の横、月夜・玲(過去は投げ捨てるもの・d12030)が動く。
    「ねーちょっと、正直めっちゃ楽しくない?」
     こんな大物とやり合えるなんてゾクゾクするよね、と続けた玲にレオン・ヴァーミリオン(鉛の亡霊・d24267)が笑う。
    「まーね。いつだって俺たちの戦いは絶望的なとこからスタートだ」
     遙か格上のマンチェスター・ハンマーに対抗するために立てた作戦の初動は、玲とその相棒のネコサシミ、そしてレオンの三枚盾。真横に振りぬかれたハンマーから放たれる、稲妻型をした衝撃が前衛を呑みこんだ。
     襲い来たダメージ量はふらついた姿勢を支えるため叩きつけたクロスグレイブで散らし、戒道・蔵乃祐(ソロモンの影・d06549)は斬りかかる。
    「何がデカ乳様だ……敷かれたレールの上を走りながらイキり散らす気分はどうだ!? 御自慢の『嫌がらせ』も仕込まれただけだろう? 例えば首魁とかにな!!」
     赤く明滅する科戸・日方(大学生自転車乗り・d00353)のレッドストライクに眉根を寄せたものの、マンチェスターは蔵乃祐に口角を上げてみせる。
    「今ようやく理解したよ。自己顕示欲は劣等感の裏返し、お前は結局パラベラム・バレット、序列1位のスペアに過ぎないって事が!」
    「突然何を言い出すかと思えば」
     余裕のある表情は崩しきっていないが、その目元は明らかに『力量が予測と違う』と訝しんでいた。容赦なく陽太が撃ち込んできた【SMAMW《Ein Grab Graben》】の魔弾へ明らかに息を詰め、マンチェスター・ハンマーは素早くバックステップで間合いを取りなおす。
     守りを固めるのを急ぐ玲の足元、ネコサシミが放つ猫魔法でわずかにマンチェスターの動きが鈍った。
    「どっかの灼滅者みたいに礼儀正しく覇を争う、ってのは好みじゃない。そういうのは人間同士でやるもんだ」
    「だったらマンチェスター、お前の狙いは何だ。何のためにここにいる」
    「何が目的ってそりゃあ」
     日方の問いに彼女は答えない。否、答えられなかった。ライダースーツの鳩尾へいろはの【純白鞘【四番ノ杖】】が電光石火の鋭さで食い込み、堪えきれずに苦痛の声が漏れる。
     その、期待以上の手応えにいろはは確信した。……ソウルボードの主の力を受けた今、どうやら自分達は一時的にすべての能力が増幅されている。それはマンチェスターの初撃と二撃目の重さの違い、そして感じられるサイキックの精度が根拠だった。
     実力差を突然ほぼ埋められていることに、不審げだったマンチェスターの目が細くなる。いろはに見えているものは彼女にも見えているはずだ。
    「……何でかなんて知らないけど、何かあるね?」
    「腹ァ括った人間は強いぜ、簡単にゃ折れねーからな」
     この苦境へふってわいた幸運に、ひどく短い時間制限があることを気取られてはならない。ゆえに日方は微妙にずれた答え方をした。これはこれである意味正しいのだが、彼女の質問の意図からするなら答えになっていない。
    「何かあるって、そんなもの当たり前だよ。僕らはお前達ダークネスと違って、人間だからね。ヒトを虐げるダークネスなんかに、ヒトのソウルボードが力を貸すもんか」
     助力の出所を明かしつつも、陽太はマンチェスター・ハンマーを逆に煽りにいった。能力が大幅に上がっていることは見ればわかることなので、隠したところで意味がない。だったら素直に認め、一番気取られてはならないことに注力したほうが賢いだろう。
    「だからここを戦場にした時点でお前はもう負けなんだよ」
     粘られれば負けると判っているからこその渾身のブラフ。
    「なるほど? もっと面白くなったじゃないか」
     にんまりと猫のように笑ったマンチェスターの顔に、やっぱりね、といろはは半ば諦めにも似た思いで考えていた。この六六六人衆はなぜか、根本的に何か間違えているレベルで争いを喜ぶ。
    「デカ乳様もさ、楽しかったでしょここ最近!」
     渾身の十字架戦闘術を繰り出す玲に、彦麻呂がチェーンソー斬りを合わせに行った。能力が上がっているせいか、想定より足止めの類いが機能しはじめるのが早い。真名が回復にかかりきりになっている事を除けば、思っていたよりも戦況は良かった。
    「私たちがナミダ姫灼滅してからこっち、波乱の流れじゃん。ほんっと感謝してよねー、飽きさせなかったでしょ?」
    「そうだねぇ」
     喉の奥で笑う笑い方をして、マンチェスターは青白い魔方陣を浮かせる大槌を軽々と上段へ掲げる。
    「今も十分楽しいよ、――こんなふうに」
     ぞ、とレオンの背すじを這い上がる凶悪で暴力的な冷気。ソウルボードの地表を割り砕くかと思われた振り下ろしの軌跡は、大小の氷柱を屹立させ一直線に真名へ向かって疾走する。ひぅ、と自分の喉が絶望じみた細い音をたてたことを真名は他人事のように聞いた。聞いたが、――それでも。
    (「闇堕ちの現場を見せないようにと、相談していたのを知っている」)
     死すら覚悟する永劫にも似た半瞬、真名の脳裏を怒濤のように様々なものがかけめぐる。
    (「その人達の優しさも、それを越える強さもこのソウルボードには満ちている」)
     流石にマンチェスター・ハンマーなんて予想外だった。ソウルボード主の助力なんて予想外の想定外。だったら、自分達も想定外の力で応えるだけ。即死級のダメージを一撃で叩き出してくるなんてそんなもの、半年前の報告書で――とっくに知っている!
    (「誰一人欠ける事なく守りぬきたい」)
     脳の中心が灼き切れる、そんな感覚。弾け飛んだ氷柱がしろい頬へいくつも赤い射線を引いた。
     誰もが氷槍に貫かれる真名の姿を想像したことだろう。しかし、直撃ぎりぎりまで軌道を見極めてのたったの一歩で、真名はマンチェスターの一撃を回避した。それどころか。
    「――貴女の強さを貸して下さい!!」
     真名が選択したのは蔵乃祐への癒しの矢。回復と共に爆発的な勢いで増幅された精度、そのチェーンソー剣の斬撃を浴びて黒いライダースーツが仰け反る。
     マンチェスターを終盤で仕留めるためには、誰一人倒れてはならない。しかも極力助力を願わずに。各人が難しい判断と決断を迫られたことだろう。
     しかし短期決戦であることを気取られぬリスクを承知のうえで、そして何よりも勝ちにいくための選択は、この局面において灼滅者が出し得る最適解のうちの一つだった。間違いなく。
     今まで力が足りず悔しい思いをしてきた事なんて数えきれない。血を吐きそうなほど見捨てたくなかったたくさんの命を見捨てて、ぼろぼろになっても拾いあげたかったたくさんのものを、見て見ぬふりをしてきた。
     蹂躙という表現がふさわしいならこの事だろう、と傷だらけの我が身と前衛の背中を見つめながら彦麻呂は思う。狙うタイミングまであと少し。
     正直、今ここに至っても勝てる気なんてしない。助力は得られているものの、その上でも無理、と思ってしまう。
     それでも負けたくない、と思う自分がいる。
     諦めない。諦めたくない。もう諦めるのは嫌だった。
    「どうした、マンチェスター。美人で強いあんたの事は割と好きなんだから、こんな所でがっかりさせないでくれよ」
     灼滅者達とマンチェスター・ハンマーの戦いは熾烈を極めるもので、邂逅してのち数分過ぎた今、戦況は完全に五分。しかも互いに全力での五分とくれば、いつどちらが力尽きてもおかしくなかった。
     玲と二人、盾を張るレオンは傷だらけだが、それでも足元はしっかりとしている。戦闘が苛烈なほどテンションが上がる性格も手伝ってか、今や笑い声すら漏れていた。
    「そう言われちゃ応えないわけには、いかないねえ……!」
     薄紅色の髪の半分ほどを赤く染め、マンチェスターはぎらりとあおい瞳を笑みに輝かせる。上段からの何のてらいもない単純な振り下ろしを、レオンは耐えきった。
     恐らく彼女の必殺技のはずだが、二度ほど食らってなお立っていられるのはただの幸運ではない。終盤に全員での攻撃を叩き込む作戦はもちろんのこと、決して倒れるわけにいかない一撃に対し各々が立てた対策も大きかった。
    「マンチェスター、お前、誰なんだ。元は人間のはず、俺らと、何が違うってんだ」
     喘ぎながら日方が絞り出した問いに、彼女は答えない。苦痛に顔を歪ませながら、でも戦いを楽しみながら、さあてね、と言わんばかりに首を傾けるだけ。
    「そんなこと訊いてどうするのさ」
    「どうもしねえよ……訊いたってもうどうにもならねー事くらい、わかってんだよ!!」
     答えなんて本当はわかっている。人間ではなくなったから、だ。
     たとえ堕ちても人間であることをやめなかった灼滅者と、人間であることをやめたダークネス。ただそれだけの。
    「お前が仕掛けた殺人生放送で何人死んだ? どれだけの人生が台無しにされた?」
     きっとこの感情は正しい方向に向いちゃいない、蔵乃祐自身そう思っている。全身が膨れあがるような、黒く熱く、そして苦い感情。
     大切な誰かが抗えない理不尽に奪われ悲しみに沈む、そんな涙と絶望はもうたくさんだ。
    「もうヒトが圧しつけられるだけの時代は終わりなんだよ、マンチェスター! 一緒に、こいつを!! やっちまおうぜ!!!!」
     言葉の後半を宙空に吼えて、レオンは地面を蹴った。その手の【解体者エドガー】が歓喜に似たエンジン音を響かせ、マンチェスターの全身を絡め取る。
     戦闘開始から経過したのは7分。いろは達がただ一つ、六六六人衆現最強のダークネスを撃破するために信じた1分が始まる。
     ダークネスが長い事閉ざしてきた、明けない夜を超えるために。
     人の新しい明日を見る。その一念をこめ玲は刀を振り下ろした。返る手応えはクリーンヒット、大きく体勢を崩しマンチェスターが数歩後退する。それだけでは済まさぬとばかりに、大きく一歩を踏み込んだいろはの貫手がしろい胸元を抉った。
    「もっともっと力を貸して! 私の力も、みんなの力も、ありったけ……全部乗せて!」
     彦麻呂の、悲鳴にも似た叫びに応えるように不定形の影が足元から沸き立つ。影業とは違う毒々しい怨念の塊が、マンチェスターの暗躍によって落命した沢山の声が、地を這うようにさざ波のように迫っていく。
     理不尽に引き裂かれた絆も、嘲笑われながら踏みにじられた命も。
     ゆえに怨念が描きだしたのが巨大なハンマーであったのは、恐らく必然だったのだろう。ダークネスがこれまでもたらしてきた絶望の極点を、灼滅者達は否定し拒絶する。それはまるでソウルボードの主が鉄槌を下したかのように、陽太には思えた。
     直上からの一閃。その瞬間にはじけたものはなぜか怨執でも怨嗟でもなかった。
     ひとの命を言祝ぐような賛歌に、それは似ていた。
    「あっは、は」
     よろめいた脚の先、ソウルボードの地表を揺るがすように大槌が落ちる。あおい瞳はどこか焦点が定まらず、長い髪も紅色を通り越してどす黒い。
    「ほんと、こりゃ、まいったね……」
     がは、と血の塊を吐きマンチェスター・ハンマーはついに地面へ片腕をついた。交通標識でどうにか身体を支えている日方、いつのまにか相棒の姿が見えなくなっている玲、肩どころか全身で息をしているレオン、双方満身創痍でにらみ合う。
    「――次は現実世界で心臓ぶち抜いてやる。楽しみに待ってろ」
     自らの鮮血でライダースーツを濡らしている序列2位は、どこか不自然にひきつるような笑い声をあげてレオンを見上げていた。
    「久しぶりだよ、本気でやりあって、こんな」
     むきだしの殺意もささくれた戦意も越え、彼女が灼滅者へ見せた顔は闘争本能が満たされた歓喜の笑顔。
     ほとんど喘鳴に聞こえる息を吐き、マンチェスターは得物へすがってもう一度立ち上がろうする。しかしその途中で血塗れの手が派手に柄を滑り、びしゃあ、と濡れた音を立て横倒しに崩れ落ちた。
     息を詰めたまま見守るいろはの目の前、うつ伏せの背がかき消える。しかし息絶えて消滅したのではなく、ひどく前に見たソウルボード内でのシャドウの消滅に似ている気がした。
    「は……」
     緊張の糸が切れたように、いろはと彦麻呂が次々とその場にへたりこむ。
     誰もが頭から爪先までぼろぼろだった。灼滅ではなかった事こそ忌々しくはあるが、マンチェスター・ハンマーを撃退したことは事実と言うほかない。
     ひどく遅れて勝利の事実を噛みしめ、これ以上は立っていることさえ無理とばかりにレオンと蔵乃祐がその場へ寝転がった。どこか放心したような切れ切れの笑い声や、涙に曇ったような声も聞こえる。
    「か、勝ち、ました」
    「ああ」
     周囲よりひとまわり以上劣る力量を気にしていた、最初からずっと。知っている。
     それは日方にとってもよく覚えのある感覚だった。
    「マンチェスター・ハンマーに……勝ち――」
     果たして、その重圧はいかほどだっただろう。優しげな、中性的な顔を両手で覆い突っ伏してしまった真名の震える背中を撫でてやりながら、日方は深々と息をついた。
     今はもう灼滅者達に『声』は聞こえない。けれどどこかから暖かく労られているような、そんな気がした。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年5月28日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
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