「改めて、サイキックハーツ大戦お疲れ様。それと完全勝利、おめでとう」
集った学生たちへ声をかけた狩谷・睦(高校生エクスブレイン・dn0106)は、まだ問題は残るがダークネスの脅威については払拭されたと言って間違いないと、話を続けた。
今後は、エスパーとなった全人類が生きていく世界について考える必要がある。
「エスパー化による影響は出始めてる。社会的にはまだ平穏を保ってるんだけどね」
だからといって無為に過ごすわけにもいかず、エクスブレインが各国を視察することになったのだと言う。
「みんなにも一緒に来てほしいんだ。世界の実情を目にするために」
睦は、僕が担当するのはここだと告げて冊子を配りはじめた。
「修学旅行を兼ねての旅でもあるんだよ。組連合からの要望もあったからね」
彼女から手渡された旅行案内の冊子の表紙には、こう書かれている。
おとぎの国エストニア、タリンへの時間旅行、と。
「エストニアは今年で独立100年を迎えて、どこも祝賀ムードなんだって」
食料品のパッケージなども100年を記念したものが多く、国全体がより賑やかだ。
それになんといっても夏は、北欧エストニアを旅行するベストシーズン。
「行くなら今、だよね。日中の気温も25度前後なことが多くて……涼しいよ」
酷暑から逃れたい本心が、睦の口から洩れた。しかし朝晩は冷える。長袖も必要だ。
首都タリン到着は夕方5時過ぎだが、この時季は白夜の影響で夜10時頃まで明るい。
「夜まで明るくても、タリンの旧市街はゆっくり回りたいから、2日目にとっておこう」
本命は2日目。ファンタジーの世界から抜け出てきたかのような、タリンの旧市街だ。
城壁に囲われた旧市街は、美しい小径が入り組み、レンガ色の屋根やパステルカラーの建物が続いていて、とびだす絵本に入り込んだかのようでもある。
「しかも旧市街は雰囲気作りを徹底してるんだ。いろんな衣装を着た人がいてね」
13世紀から16世紀ぐらいまでの趣を再現すべく、昔日を思わせる恰好の人々が各所にいる。タイムトラベルをした気分が味わえるだろう。
●職人たちの中庭
次代を担う手工芸職人たちの工房が軒を連ねる、中庭のようなスポットがある。
「エストニアは、ハンドクラフトでも有名なんだよ」
特に有名なのは編み物と、伝統的な刺繍や織物を使用した用品や、木工品だろう。
編み物は一年を通して売られており、ニットや帽子はもちろん、エストニア特有の先端が尖ったミトンがある。絵柄も、民族色の強い柄から猫まで様々だ。
いくらか涼しいタリンの街でなら、来たる冬を前に揃えておくのも良い。
完成品だけでなく、材料や編み物キットもある。帰国後に自分で作るのも味わい深い。
また、素朴なリネン製品が置かれた工房では、刺繍のワンピースを着た職人が糸を紡ぎ、木工品の工房では職人がネズの木でマグカップやシュガースプーンを拵えていたりと、店舗を兼ねた工房なので制作風景を見学しながら土産を選べる。
「エストニアは蜂蜜もよく採れるんだ。蜜蝋のキャンドルもお勧めだよ」
●中央広場のレストラン
オープンテラスの飲食店からは賑わいが溢れ、露店では明るいやりとりが為される活気ある広場だ。そこでも、映画や本で見るような装いの人々が溶け込んでいる。
たとえば、広場に設置した舞台で民族楽器を扱う奏者。
たとえば、荷車の屋台でローストしたアーモンドを売る赤い民族衣装の女性。
たとえば、鳥の嘴のようなマスクをつけ、つば広の帽子をかぶり歩く医者。
「広場には名物のレストランがあってね。そこに行きたいなって」
睦が行きたいと話すのは、古い商人の館を改装して造られたレストラン。
店内は窓の少なさもあってやや薄暗く、灯りは蝋燭のみ。テーブルには木皿にたっぷり盛られた肉や大麦のリゾットと、陶器のコップ。そのまま、おとぎ話の挿絵になりそうだ。
「専門家の監修の下、作り方まで当時の食事を忠実に再現してるらしいよ」
イワシやサーモンといった魚料理、ヘラジカ、豚などの肉料理をメインに、蒸かしたじゃが芋や北欧ならではのリンゴンベリーなどが添えてある。きのこのスープも人気が高い。
エストニアお馴染みのしっとりした黒パンは、クリームチーズを塗ってもおいしい。
飲み物も様々だが、白樺の樹液からつくった甘いジュースは夏限定だ。
●『恋煩いに効く薬』を扱う市議会薬局
広場の角。杯に蛇が巻きついた看板は、ヨーロッパ最古の薬局――市議会薬局のもの。
「現役の薬局だから普通の薬も売っていて、地元のお客さんも普通に訪れるよ」
市販薬を扱う部屋の隣には、当時の器具や薬品を展示した小さなミュージアムがある。
長い歴史を眺めてきた薬棚に並ぶ壺や瓶では、乾燥したハリネズミやカエルが眠り続け、かつては治療薬だった琥珀の粉、蛇の皮といった魔術めいたものも。
「……あと、市販の薬以外に、恋の病を癒す薬も売ってるんだって」
薬といっても錠剤や粉薬ではなく、タリン発祥のマジパンに似た砂糖菓子だ。
マジパン同様、アーモンドと砂糖と水で出来ているが、『恋煩いに効く薬』はそこに秘密の成分も混ぜているという。気になる人は購入してみるのも手だろう。
●城壁カフェ
かつては貴族たちが住んでいた、街を一望できる丘の上。そこへと延びる坂をのぼっていくと、やがて花壇と顔を隠しローブを着た人の銅像が佇む、城壁の前へ辿り着く。
小高い場所のため、ここからでも市街を展望できるが、まだ遠景を眺める高さではない。
「海まで見渡すならもっと高いとこだね。だから、近くの塔から城壁に入ろう」
塔の中で待ち構えている狭く急な階段を、鎖の手すりを頼りに塔の最上階へ行くと、カフェがある。店内で休憩するのも良いが、カフェから出られる城壁の通路が人気も高い。
通路席で街並みを眼下に、フィンランド湾を見晴らしつつ、珈琲やケーキが味わえる。
エストニアのコーヒーは、飲み終えたカップの底に粉が残るほど濃い。苦手な人は、カフェラテや紅茶を注文する方が安心できる。
「視察といっても、観光地を見て回るだけで情報は集まるから、あまり気負わずにね」
中世の風景が今なお残る古都タリン。
歴史と伝統が息衝く街へ、迷い込んでみませんか?
●
都市は人々の創り出す匂いに満ちている。住民には慣れたその土地ならではの匂いを、敏感に受けるのは観光客だ。すん、と小太郎が鼻を鳴らす。
客を招くため趣向を凝らした手製の看板や扉に使われた、古い木と銅の匂い。窓枠や店を飾る花の匂い。どこからか漂うチーズと蜂蜜が鼻孔をくすぐり、パンを焼く香りに胃が反応する。行き交う町人が纏う中世を思い起こす衣装や、陽に照らされ輝く草臥れた煉瓦、荒い石畳さえも薫るように思えて、希沙とふたり目を合わせた。
「どうしよ小太郎」
「どうしよ希沙」
手を繋げば互いに興奮していると知れる。
ふたりの前を、花籠を積んだ荷馬車が通った。過ぎた車輪の音が、言葉を失いかけていた二人を呼び戻す。
「雰囲気からして可愛い!」
「撮りたいとこしかない……」
橙帽子をかぶった塔が門番をする旧市街への門を抜けると、そこはおとぎの国だった。
並び建つパステルカラーの家々のどこかに、ぽっかり口を開けたトンネルがある――職人が集う中庭への入り口だ。
暗い抜け穴の先、緑の天蓋から陽が零れる中庭に着く。大通りの喧騒から秘匿された中庭には椅子とテーブルも置かれ、手工芸職人たちの工房が軒を連ねる。
その中のひとつで、希沙が難しい顔つきをしていた。
「希沙もう決まっ……て、ないね」
エストニアの国旗と同じ青い紙袋を鞄へしまいながら、小太郎が彼女の手元を覗き込む。ねずの木のカトラリーは即決だったが、目当てのミトンは柄があまりにも豊富で迷っていた。どっちがええと思う、と小太郎に助言を求め漸く決断したあと、彼からいくつもの帽子を手渡される。
それをきっかけに、雪の日に似合うのはこっちかな、こっちも可愛い、と代わる代わる帽子を選びあった。じゃれて笑って、まだ来ぬ冬に胸も躍らずにはいられない。土産と思い出をたっぷり抱え、冬の家へと想い募らせながら、店の前で記念写真を撮る小太郎と希沙の指で、白金環が愛おしむように煌めいた。
同じ頃、工房の中で華月は本日何度目かの恍惚の溜息を零す。目に留まったショールを両の手でそっと掬えば、優美なレースが透けて映った。吐息だけでふわりと舞いあがりそうな柔らかさに、妖精の羽みたい、と華月は微笑む。港町ハープサルで伝わる美しいレースショールを羽織ると、風をはらむ姿を目撃した澄もまたうっとり息を吐く。
――月之瀬さん、いつ見ても、お姫様のように可憐ね。
リネンのランチバッグを手に見蕩れていた澄は、華月がミトン選びに移ったところで我に返る。そしてふと、居合わせた観光客に堂に入った調子で何事か尋ねていた摩耶へ視線を向けた。彼女が持ったミトンの柄を認め、こっちのはどうです、と澄が似た柄を差し出す。すると摩耶は、お返しにと選んだミトンを澄の手に重ねた。
「これとか色も可愛らしくて静堀向きだな」
「こっちも素敵だと思うの」
横から顔を出した華月が、澄にニットの帽子をかぶせてみる。
充分に堪能したあと、蜜蝋のキャンドルを見に行こうと摩耶が誘い、陽射し降り注ぐ中庭へ、三人で飛び出していった。
一方、散策も工房の見学もひと段落した煌介と紘都は、中庭の椅子で休んでいた。
紘都は、二人で歩いた異国の景色をスケッチに残すのに夢中だ。
「楽しそう、すね」
独り言に近い声が煌介から落ちる。絵に心を、煌介に耳を傾けていた紘都は深く頷く。
「たのしい。お話のなかみたいな所に、本当にいるんだね」
たくさん思い出を持って帰ると話す紘都に、煌介が目を細める。かつては色も視線の先も決めかねていたような瞳が、今では世界を見渡し、声まできらきらと笑っている。それがこんなにも嬉しいと思える自分がいるのを、煌介はゆっくり呑み込む。
「煌介さん。世界は、ひろいんだね」
手を止め空を仰いだ紘都が、沸き起こった感動を言葉にする。
「ああ、広い、ね」
煌介は天高く羽を広げ飛ぶ白い鳥を見た。あの鳥にとっても、きっと空は果てしない。だからこそ希望を抱いて飛び続けられる。
空想のお供にと買ったチョコケーキを頬張り、しあわせ、とほっぺたが落ちないよう抑えた紘都に、俺も、と返して煌介はそっと瞼を伏せた。
――その豊かな心を広げ、君は何処まで飛ぶのか、楽しみだ。
●
幾度となく戦禍を被ったにもかかわらず、とりわけ豪商の館や教会の建築に財が注ぎ込まれたタリンでは、驚くほど建物の保存状態がいい。広場のレストランも、そのひとつだ。
重厚な扉をくぐり薄暗い店へ入れると、そこはもう蝋燭と小窓からの明かりを頼る豪商の館。しかし金銀財宝の華美より、洒落た刺繍や細工を好んだらしい風体で、壁には昔のバルト海周辺の地図が描かれ、棚や卓上では陶器や木の置物が幸せそうに並び客人を眺めている。
ミカエラの誕生日だということもあり、なんでも奢ってやろうの精神で明莉は胸を張った。
その結果の一部が、サワークリームが添えられたステーキや、肉の煮込み。なみなみ注がれたマッシュルームのクリームスープに、チーズとスモークチキンのサラダだ。メニューで目についたものをミカエラが端から注文していったおかげで、テーブルに所狭しと料理が並び、否応にも食欲をそそられる。
白樺の恵みに溢れたジュースは、透明のはずなのに蝋燭の火を映し琥珀色に輝いている。
「先に成人したひとは太っ腹だね~っ」
ミカエラは声を弾ませて、北欧特有の甘く赤いリンゴンベリーのソースを、焼かれたヘラジカ肉に塗りたくると、はくりと口へ放り込む。
「……遠慮って言葉、知ってっか?」
始めは唸っていた明莉も、濃厚なスープを掬い飲むうちに、温まってきた胃に心が落ち着いた。少しだけ。
そうして次々と運ばれてくる料理から、互いが好む分量を小皿に分けあい、楽しい食事の時間を過ごしていく。
離れた席では、摩耶が届いた料理でわからない部分を店員に尋ねつつ、華月と澄も映画のワンシーンのような時間を楽しんでいた。
きのこのソースがかかったサーモンも、自家製ソーセージやザワークラフトも、クリームチーズがたっぷり添えられた黒パンも、とりとめない話に興じ平らげた。満腹にほど近い華月と澄は、摩耶が黒パンを食べる間に、白樺のジュースを飲み干す。ほんのりと心地好い酸っぱさと甘さが喉から落ちていった。そして鼻を抜けるほのかな木の香り。自然の恵みが内側から滲みていくのがわかる。
「さあ、次は城壁カフェでケーキだぞ!」
山盛りの黒パンをひと欠片も残さなかった摩耶の宣言に、澄が目を瞠る。
「あの、まだ、召し上がるんですか?」
固まった澄の肩を、華月がぽんと叩く。
「大丈夫、静掘さん。スイーツ類は、何処かお腹の別空間へ吸い込まれるから」
●
広場の片隅で営む市議会薬局。ヨーロッパ最古の薬局とされ、壁や床はもちろん薬棚まで現役だ。だからこそ当時の雰囲気を色濃く残し、観光客を惹きつけてやまない。
展示室に目がくらむほど並ぶ標本を、さくらえが端から追っていく。恐る恐る標本を覗き込んだ勇弥は、瓶の中で眠るように過ごすカエルやハリネズミの表情に吸い寄せられた。
「……こういう薬や経験の積み重ねが、今の医療に繋がってるんだろうね」
先人が築き上げてきたものの一端に触れた気がして、勇弥が言いながら微笑みかけたのは、隣で標本のカエルを見据えていた実だ。底知れぬ漆黒の瞳はカエルの次に、棚に展示してある中世の走り書きや図説つきの書を知る。実はそこに錬金術らしいシンボルもいくつか認め、ふうん、と小さく唸った。
「漢方みたいな感じか、って思ってたけど……魔術やまじないに近かったんだな」
どこかぎこちなく呟く。移りゆく時代の真っ只中にいる身としては、医学の今後について思考を巡らせてしまう。
そこへ突然、さくらえの弾んだ声が響く。
「もーちょっと早く訪れてたらワタシ、薬剤師になってたかもしれない」
調合に使用する秤や薬を眺めていて、眠る想いが芽生えてきたのだろう。分かたれたはずの選択肢を聞き、皆それぞれ夢想を走らせた。そして顔を見合わせて頷く。
「効用ありそうな薬を作ってくれそうね」
やや含みのあるようにも受け取れる涼子の言い方に、何想像してるのさー、とさくらえが口を尖らせると、
「まぁ、今の着付けも天職だしさっ」
今のままが良いのだと勇弥が暗に示した。
賑わいを損なわず彼らは展示室から戻ってきた――恋煩いの薬を扱う薬局へと。
「こんなふうに、心に寄り添う『くすり』って素敵だよね」
緩みかけた唇を引き結び、驚嘆を交えつつ、勇弥はマジパンの袋についた商品説明の札へ視線を落とす。
「とりさんだって作ってるじゃないか、『くすり』を」
迷わず言葉を返したさくらえに、実も当然のように頷く。真っ直ぐな反応がくすぐったくて、勇弥は顔を綻ばせ感謝を告げた。当たり前のことを告げただけのつもりでいるさくらえは、にっこり笑みすぐさま土産選びへ切り替わる。
手にしたのはクラレット。背も低くどっしり構えた伝統的なボトルだ。長寿の薬でもあるからきょうだいにと、さくらえにそう誘われ涼子も伝統的なクラレットへ意識を移す。
「良いわね。弟の成人の祝いに乾杯してもいいし」
酌み交わす光景を想像したのか、涼子は嫣然としてクラレットを抱えた。
人とすれ違いつつ仲間と共に店を出た実は、何ごとか考えて込む様子でひとり佇む。
「……視察、か。何を期待してるんだか」
静かに呟き、寄り添う黒柴を撫でた。
彼らとすれ違いで店へ入ったのは、千穂と秋帆だった。
長い時を経て今なお人々の心を捉えて離さない器具を眺め、意識にのぼったのは高校時代の実験のこと。懐かしいね、と千穂が繋ぐ手に力を籠めると、秋帆の記憶も過去へ飛ぶ。確かに似てるな、と綻んだ唇から咲いた言葉で、互いの絆を結ぶ。
ふたりで土産に選んだのは長寿の薬とも呼ばれるクラレット。
「帰ったら家で乾杯しようぜ」
軽妙な言の葉に、ささやかな約束を紛らせた。秋帆の笑みに乗ったのは人懐こさだけではない。出逢った頃から積み重ね、そうしてこれからも紡いでいくふたりの展望がただただ眩しかった。手製の杯に注ぎ足されるのも待ち遠しい。
魅惑の誘いに、千穂が肯う。沈黙さえ心地好い時間を共有していきたいのは彼女も同じだ。華やぐ未来に自然と頬も緩む。飲む前から願い過ぎてるかしらー、と目許に朱を塗った千穂を前にし、薬局を出るのに乗じて秋帆が抱き締める。
――千穂、お前とずっとそうさせて。
深い珈琲色の瞳が、突然与えられた温もりに揺れる。だから秋帆は、我慢できなくてつい、と悪びれずに笑った。
こうして観光客の波が入れ替わっていく中、チセは何気なくカウンター裏へ目をやる。古ぼけた薬棚には、現代の市販薬が陳列されている。薬棚が刻んだ歴史はそのままに、販売されている薬だけが進歩している光景をまざまざと見せつけられた気がする。
昔と今が混在する空間を抜け、チセはふらりと展示スペースへ足を踏み入れた。
観光客の多さに反して、静まり返っているように感じる。一世を風靡したであろう薬品や器具が、絶えない来客を無言で眺めるばかりで、チセはうっそりと心馳せる。使われずとも消えはしない。人々が切り開く道を見守っているのだろう。チセ自身が星を詠み歩くように、連綿と。
身を浸した時間から還るように息を吐いて、チセは標本へ意識を寄せる。魔法使いの世界を思い起こさせる光景に、心が浮き立った。
●
タリンで再会の喜びを交わしたウェリーとミナが、街を練り歩き、辿り着いたのは城壁の前。きょろきょろと探すミナにウェリーが助け舟を出して、カフェへの入り口を発見する。
石造りの塔をのぼっていくうちに、ミナの頬が上気する。話に聞いていたおとぎの国。足を踏み入れてから絶えなく広がっていたのは、絵本で見た雰囲気の建物。けれど絵ではなくすべて本物なのだ。心が追いつく暇もないほど興奮していた。
ここだってそうだわ、と弾む足取りのまま急な階段を上がると、かなりの数に息も弾む。
「Niin……僕も実物は初めて見ました」
そんな彼女を後ろから支えるようにして、ウェリーも暗く窮屈な石の階段をのぼっていく。似た景色が続くため永遠にも思える時間の後、ようやく見えてきたカフェ店内の明るさへミナが飛び出して――行こうとして立ち止まり、振り向いた。
「お菓子はウェリーが選んでね」
飲むものはラテと決めているから、と無邪気な声音で放つ彼女が、ウェリーには光を纏って見えた。
僕はチョコと決めていたけど、ミナには何が良いだろう。ベリーやチーズを使ったケーキなら、おいしいと笑ってくれるだろうか。
そう思考を巡らせ、ミナといる喜びにあわせて、選択権を得たことをひっそり喜んだ。
一方、通路席に到着していた渡里は、チョコレートムースを舌の上で溶かしながら、地図と眼下に見える風景とを交互に確認していた。寄った店がどこにあるのかあたりをつけるのも、市街散策を終えたあとの醍醐味だ。
ひと段落したところで渡里がテーブルを一瞥すると、晶は購入した品をすっかり並び終えていた。薔薇の彫刻が美しいアクセサリーボックスや、刺繍の鳥が止まったハンカチなど、センスの塊とも言える品々ばかりだ。
ふと視線をあげ、渡里は見知った姿を捉えて声をかける。
「あ、狩谷。職人のとこで何か買ったかい?」
応じた睦はテーブルを一目見て、お店屋さんみたいだね、と笑う。
「僕は蜜蝋のキャンドルと手袋を、ね。キミは?」
提げた紙袋を軽く持ち上げて見せてから、睦も聞き返す。
「俺は袖口と、襟と胸元に刺繍のあるブラウスを3枚。あと、葡萄と葡萄の蔓の刺繍のあるスカーフ」
スカーフはサフィア用だけど、と霊犬の姿を思い浮かべ表情を崩す渡里に、素敵な買い物だったんだね、と睦も微笑む。
カフェラテを味わっていた晶がそこでふと、カップを手の内に抱いたまま睦へ尋ねる。
「よかったら、この景色をバックに、狩谷の写真とりましょうか?」
自分が写った写真もいい記念だよな、という渡里の言葉に頷いて、睦は二人の厚意に素直に甘えた。
見晴るかす街の煉瓦屋根と海とのコントラストに、目だけでなく言葉まで奪われ、楓と蒼は席に着いたまま茫然としていた。
暫くしてから我に返って、コーヒーと向き合う。挑戦心に火をつけ楓が注文したのは、噂のコーヒー。大人なのだから濃いものだって平気です、と自身に言い聞かせるように呟く様を、蒼は心配そうに見つめる。そろりとカップへ唇を寄せれば、芳しい香気が立つ。鼻を通る香りからして既に濃いぞと脳が警鐘を鳴らしている。
それでも、ひと口やっと飲み込んだ。
「な、中々やりますわね。しかし私は日本茶で鍛えた身。この程度では……」
大丈夫ですか、と祈るように見守る蒼の前で、海越え山越え異国まで飛んできたのだから、これぐらい何ともないと言わんばかりに、一気に呷った。
「ぐふっ!」
底に凝縮された状態で待ちわびていたコーヒー粉が、舌から喉へ容赦なく流れこみ、楓を噎せ返させる。
やや青ざめながら蒼は、呼吸を整えるのに必死な楓の背を慌ててさすった。
「く、口直しに、アップルパイ、食べます……?」
普段は柔らかい色に満ちる楓の双眸も、今だけは涙を湛えた。
その頃、半分こにしたケーキをほどほどに味わったところで、朱那がデジカメを取り出していた。
「むっちーはたくさん撮れた?」
首肯する睦もつられてデジカメのデータを確認し、撮りすぎて充電が切れそうだよ、と話す。
続けて、撮ったのを見せてもらってもいいか尋ねた睦に、朱那が保存していたデータを写していく。肘が触れそうな距離で睦が覗かせてもらうと、カメラに収まっていたのは、彩り豊かな街とそこに生きる人々。そして青が美しい空。
ふいに、朱那は跳ねるように椅子から立ち上がり、城壁から天を仰いだ。生きていくだけで手一杯だった、と過去へ想い馳せる間も、彼女の姿は輝きを失わない。
「此処へ来て、夢がひとつ増えたンだよ。まだ見ぬ世界を撮りにいきたいって夢!」
振り返った彼女の瞳は、いつだって空を、世界を映す。そんな朱那に眩しげな眼差しを向け、睦も微笑んだ。
「同じ空の下で応援してるよ。……それと、たまにでもいいから僕にも教えてほしいな」
キミが見てきた世界のすばらしさを、このケーキのように分かち合いたいんだ。そう睦は願いを寄せた。
城壁の別のところでは、遮るものひとつない青の下、ミカエラが立ち尽くしていた。
彼女に景色を見せるため連れてきた明莉もまた、絶景を目に灼きつける。青空の下で鳴くスサノオの姿を想起した。終わったんだな、と自然と息も零れる。すると。
「守り切れたんだよね……世界も、仲間も、自分自身も」
徐に呟いたミカエラは、世界に瞳を向けたまま心を言の葉で模る。
戦いを重ねる中で受けた痛みも、仲間がいたから薄れてくれた。だからこそ、そんな仲間をも「守りきれた」と言えるときを迎えたのだと、ミカエラが秘める誇りも信じたかったのだろう。
「ちょっとくらい、浮かれてもいいよね!」
城壁の上で伸びをして話す彼女に、明莉はこの瞬間に伝えたい言葉を口にする。
「浮かれついでに、も一軒、食べに行く?」
さっすが~、とぴょこぴょこ跳ねるミカエラの喜びっぷりに、強く頼もしい笑みを明莉は浮かべた。
作者:鏑木凛 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2018年8月13日
難度:簡単
参加:23人
結果:成功!
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