Dinner

    作者:笠原獏

     空に星が多数瞬く、肌寒い夜の事だった。
     時刻は夕飯時、会社帰りや家族連れ、カップルなど。様々な人でそこそこ賑わうファミリーレストランに一人の男が来店した。黒い外套を纏い黒いつば付き帽子を被った、紳士然とした若い男だった。
     ちょうど真ん中あたりの席に案内された男は背筋を伸ばして座る。にこやかに水を受け取り、ウエイトレスの背を見送って、メニューを開かず呼び出しボタンを押した。入れ替わるように別のウエイトレスがやって来る。
    「お待たせ致しました、ご注文は──」
    「そうですね、主食に大人を五人、デザートに子どもを一人」
    「え?」
    「あとは、前菜にあなたの命を」
     男が被っていたままの帽子を脱いで、薄い笑みをウエイトレスに向けると同時、ウエイトレスの腹部に激痛が走る。再度「え?」と呟いたウエイトレスが視線を落とせば己の腹を深く抉る光の輪。その部分から吹き出した朱が手の付けられていないコップに飛んで水を染めた。
    「ひっ!? 何こっ……やっ、いやあぁぁぁっ!!」
     店内に響いた絶叫、客の視線が一斉に向けられる。男に近い席から状況を理解し始めた者の悲鳴が上がる中、男は悠々とした動きで立ち上がってぐるりと店内を見回した。
    「おやおや、逃げようなんて考えないでくださいね?」
     笑うような音色を含んだその言葉は異様に良く通る。店の入口へ駆けようとしていた客の足がぴたりと止まった。
    「興醒めするじゃないですか。逃げたらこうですよ」
     光輪がひゅん、と飛ぶ。ほぼ同時に、店の入口に一番近い場所にいた人物の首が飛んだ。
     水を打ったように店内が静まり返る。抗ってはいけない、本能的にそれを叩き込まれたかのように客達は動けなくなった。逃げる事が出来ない。逃げてしまったら、その瞬間に殺される。逃げなければほんの僅かだけ生き延びる確率が上がる──かもしれない。男の短い言葉と躊躇いの無い行動は、それらを痛感させるに十分すぎる力を持っていた。
     泣き出した子どもの口を親が慌てて押さえつけ、男の視界に入らぬよう庇う。男はそんな様子を見て微笑ましげに目を細めた。
    「なぁに、15分ですよ」
     そして、口の端を吊り上げて笑う。
    「料理を出すまでに15分以上かかってはいけない──そう教わってはいませんか?」
     それまでに料理が揃わなければ、私は帰ります。男は変わらず紳士的な口調で言いながら、持ったままだった帽子をテーブルに置いた。演技がかった動作で両手を広げ、店内を再度見回して、歪んだ笑みを深めて見せつける。
    「ただ……この店が、そんな失礼な事を許す店とは……思いませんけれどね?」
     
    ●五九九
    「六六六人衆の一人、五九九番が現れたよ」
     片手でくるくるとペンを弄びながら、教卓の正面に背を預けたエクスブレインが言った。
    「通称も『五九九番』、自分の序列が変わる度に名乗り変える、紳士的なんだけどその辺は結構無頓着な男だね」
     細長い体躯に黒外套、黒い帽子を身に付けて、リングスラッシャーを操る若い男。そこまで情報を告げた所で唐突にペンを止め、その先端を灼滅者側へと向ける。
    「時に鋭刃君、キミはファミレスって良く行くほう? 僕はデザート目当てに時々行くほう」
     唐突に振られ、座って聞いていた甲斐・鋭刃(中学生殺人鬼・dn0016)が一度瞬いた。話が見えないと内心で思いながらも素直に答える。
    「両親と兄の帰りが遅い時に弟や妹達を連れて行く事ならあるが、それがどうしたんだ」
    「いいお兄ちゃんしてるねぇ。今回の五九九番は、そういうファミレスに現れたんだよ。客としてね」
     あくまでも『夕飯』なんだよ、という言葉から語られた未来予測。聞いていた灼滅者達にそれぞれ宿る感情は覗い知れない。鋭刃の表情は、強張っていた。
     日常的に夕飯を楽しむような気軽さで、五九九番は人を殺めているのだ。その日の気分で分量と内容を変えて、ただ気侭に。
     それが行おうとしているふざけた『夕飯』を最大限に妨害して欲しい。エクスブレインはそう告げた。
    「こちらが手を出せる最善のタイミングは、ウエイトレスと客の一人が事切れて、次のターゲットを襲った後。その、ウエイトレスも含めれば三人目にあたる被害者が事切れる寸前で五九九番の足にしがみつく。そこだよ」
     その瞬間を時刻で告げるなら午後7時35分40秒。覚えておいてねとエクスブレインは言った。
    「店は満席って程じゃないけどそこそこの客入り。五九九番に気取られないように、かつギリギリまで手を出さずにいる自信があるなら、あらかじめ客として潜入していてもいいけど。その瞬間までその場にいて我慢出来る自信が無いなら、大人しく時計を合わせて外で待機していた方がいいよ。僕はこれに関しては口出ししないからキミ達自身でそれぞれ決めておくれ」
     必要な時間は15分、上手く食い止める事が出来たなら被害は増えない。
    「ただし駄目だった場合は更に最低大人三人、子ども一人の被害が出るね。うっかり飛び火での被害拡大も考えられるから、そこんとこは気を付けて」
     言ってしまえばあと一人か二人が更に殺されるくらいで済むなら御の字だよ、と。酷な現実を思わせる言葉に鋭刃が顔を上げた。
    「……灼滅は」
    「鋭刃君なら分かってるでしょ。灼滅は出来ないよ」
     そして落とされた問いに対し、エクスブレインはさらりと告げた。
    「ほんのちょっとだけ違うね、訂正。現状では余程の奇跡をキミ達が、余程の隙を相手が生まないと、勝てないよ。キミ達に今出来る最善は被害を最小限に食い止めて、六六六人衆をその場から立ち去らせる事さ」
     気休めの言葉を吐くつもりなど無いのだろう。エクスブレインの重ねる正直な言葉が鉛のように重たく、灼滅者達の胸中に落ちる。
    「でもね」
     けれど、同じ声色が再度響いた。
    「五九九番なんだけど、いわゆる『会話』は好きみたいなんだ。一方的に好き勝手、五九九番的には『とりとめのない』会話を振る事が多い。でもそれって、相手に答える余裕が無いから一方的になっているだけなんだよね。キミ達なら答えてあげられる、つまり時間稼ぎのひとつに使えると思う」
     そもそも、ただ適当に殺すだけなら15分の時間もいらないのだ。最初から、そういった会話を振ってのんびりと夕飯を吟味しようとしていた、そういう事だ。
     ただこれも、五九九番の機嫌を損ねたら終了になる可能性が高いと言った。それは会話だけで時間を稼ぎきれると思わない方がいいという事で、それと同時に、
    「例えば最悪に気分の悪くなるような事を聞かされても受け止めてやるとか、そういう寛容さが必要だね。まぁ、下衆呼ばわりされるのは嫌いじゃないみたいだけど」
     とんだ紳士だよね、と最後に一言。説明は全てだと教卓から背を離す。
    「全員で協力して、頑張ってくださいな。後は任せたよー」
     そして灼滅者達を見送る為にひらり、手を振った。


    参加者
    闇勝・きらめ(耀う狼星(シリウス)・d00156)
    水鏡・蒼桜(真綿の呪縛・d00494)
    白瀬・修(白き祈り・d01157)
    若生・めぐみ(癒し系っぽい神薙使い・d01426)
    天野・白夜(無音殺(サイレントキリング)・d02425)
    千条・サイ(戦花火と京の空・d02467)
    青海・竜生(青き海に棲む竜が如く・d03968)
    八月朔・修也(色々とアレな人・d08618)

    ■リプレイ

    ●夕刻
     心底賑やかで穏やかな空間だと、そう思った。
     嬉しそうにメニューを見つめるスーツ姿の青年、旗の立ったオムライスを見て喜ぶ子どもと微笑む両親、向かい合い顔を寄せて料理を分け合う男女、ドリンクバーだけで課題に励む学生──見つめているとウエイトレスがやって来て、水鏡・蒼桜(真綿の呪縛・d00494)は自身が注文を決めていなかった事をそこでようやく思い出した。
    「蒼桜さん、何にしますか?」
     一足先に、その小柄でか細い体躯にしては多めの注文を済ませた若生・めぐみ(癒し系っぽい神薙使い・d01426)が蒼桜に問う。めぐみの隣に座っていた天野・白夜(無音殺(サイレントキリング)・d02425)は既に注文を済ませ、椅子へ背を預けていた。
     大人びた少女はメニューに目を落とす。
     三組に分かれ事前に入店した灼滅者達は、互いに様子を伺う事が出来る程度の距離で席に着いている。そのひとつでは闇勝・きらめ(耀う狼星(シリウス)・d00156)が甲斐・鋭刃(中学生殺人鬼・dn0016)に開いたメニューを向けていて、八月朔・修也(色々とアレな人・d08618)がかなりの量の料理を頼んでいる所だった。
    「甲斐さん、何か頼みます?」
    「闇勝は」
    「パフェですよ。甲斐さんも、いつも頼むやつを頼めばいいんです」
     そうそう、とだらりと椅子にもたれた修也が同意する。それが必要だからこそ。
     店外では沢山の助っ人達が人払いの準備をしてくれている。店内にも数名が潜入している事を知っている。店に入る前、掛けて貰った言葉は色濃く胸に残っている。
    「そうだな」
     鋭刃はメニューを受け取った。レストランの壁に掛けられた時計がカチリと時を刻んだ。

    ●夕飯
     時の訪れは、すぐに分かった。
     一人の来客、黒を纏った男。それでも灼滅者達は秘めた感情をそのままに本来の意味での食事を続けた。
     案内された男は白瀬・修(白き祈り・d01157)達に程近い席へ案内される。
     知っている。水を貰い、メニューを開かず呼び出しボタンを押す事。ウエイトレスに何かを告げながら帽子を脱ぐ事──数秒後、ウエイトレスの絶叫が響く事。
     一番近い位置でそれを見た千条・サイ(戦花火と京の空・d02467)のハンバーグを食べる手が止まり、青海・竜生(青き海に棲む竜が如く・d03968)が週刊誌を読む事を止めた。その陰に置かれていた携帯電話の時計はただ等しく時を進める。
     同時に感じたのは妙な違和感。平和な日常風景を一転させた男、五九九番からの殺気を感じない。殺しているのに、殺そうとしているのに、それなのに。
     周囲は波紋が広がるように混乱のただ中へと落ちていった。悲鳴を上げる者、言葉を失い動けなくなっている者、そして入り口へ駆け出す者。
     あぁ、とサイは目を細めた。
     綺麗に飛んだなぁ、と床に転がったものを目で追いながら呟き、その速さと反応速度を焼き付ける。心底けったくそ悪いどころか見事と思ってしまった自分の感覚がどこかおかしい事なんてとうの昔、見惚れる程綺麗な殺し方を見たあの時から知っていた。
     テーブルの下、修の拳が握られる。静寂の中で五九九番の、聞きたくもない話がゆるやかに続いている。
     これが『食事』だとしたら、ふざけているにも程がある。もっと力があれば犠牲者が出る前に立ち上がれたのだろうか。そう考えるとただ、悔しかった。

    「……始まったみたいだな」
     店の外、やや離れた場所で、空気の変化を感じ取った万事・錠が工事現場用のコーンを担ぎ上げながら零した。自分達がすべきはここから先、レストランに人が入らないように務める事。
    「アタシ達はあっち、行って来るわね」
    「少しでも被害を減らさないと」
     高町・勘志郎や姫宮・杠葉を始めとする多数の助っ人が散開してゆく。その手段は多種多様、効果は恐らく十分に。

    「さて、お次は『どれ』にしましょうか」
     15分、と告げられた直後、店内にいた人間のほとんどが続いた五九九番の言葉に強張る。対し悠々と店内を見回した五九九番はある一点で目を僅かに細め、かつかつと歩いた。
    「美しいですね、実に」
     その姿が、消えたかのように感じた直後。恋人を背に庇い、五九九番を睨み付けていた男の──その恋人の背から血が吹き出した。
     声にならない悲鳴が響く。
     けれど満足げに笑んだ五九九番が身を翻した数秒後、足下に重みを感じて動きを止めた。
    「もう、やめて!」
     死にゆく恐怖と戦いながら、五九九番の足にしがみついた女、その名を叫ぶ男。五九九番が眉根を寄せたその瞬間。

    「──御機嫌よう、狂気めいた美食家さん」

     声が、響いた。

    ●午後7時35分40秒
     五九九番の動きと反応速度が僅かだけ鈍るその瞬間は奇襲──一発をくれてやるに最も適した瞬間だった。それでも灼滅者達は声を掛けるだけに留める。少しでも刃を交える時間を減らそうとする事が、今の最善と思えたから。
    「はい、何でしょう」
     己の足下に光輪をひゅんと落としながら、五九九番はごく普通に振り返った。そしてきらめと、同じく自分を見る数名の少年少女を認めおや、と零す。
    「貴女方のような先客がいると知っていたら避けたんですけどねぇ。私とした事が」
    「一目で察して頂けたなら何より。素敵なディナーには、余興として愉快なトークも必要不可欠。宜しければ、お話しましょう」
     ゆるやかに、けれど眼光だけは鋭く笑んだきらめに対し、店内にいた青年の一人がやめろと叫んだ。自分の身を危険に晒すんじゃない、殺すなら俺を──そこまで言った所で目の前に赤毛の少年が立つ。
    「大丈夫だ、信じろ」
     それを横目で伺ったきらめはどこか満足げに五九九番へ視線を戻し。
    「そうそう、主食の途中でしたよね。本日のおすすめ、ご存じですか?」
    「あの優しい男性は酷く美味しそうですが、彼ではなく?」
    「ええ。大人以上に活きが良く、子どもよりも熟成した……小中高生九人。メインとしては中々だと思いません?」
     手を広げ、仲間達を紹介するように仰ぐ。
    「当店のおすすめ……って訳じゃないけど、試してみたらどうかな?」
     自分達の方が食べごたえがあるよ、ときらめに続いたのは修だ。
     五九九番が、ゆっくりと目を細め、笑った。
    「とてもいい、特に貴女は楽しい人だ──ですので、少しなら付き合ってあげますよ。どうぞ」
     多少のタイムロスなど些細な事なのか、次に五九九番が取った行動にきらめは思わず目を見開く。血飛沫を浴びたテーブルをトン、と叩き、椅子を引いて座ったのだ。
    「聞こえませんでしたか? どうぞ。宜しければお友達も」
    「……ご丁寧に、どうも」
     対抗するように無理矢理の笑みを作り、きらめはそれに応じた。席は四人掛け、仲間の方を見遣れば竜生と白夜が動く。五九九番の隣に座る羽目になったきらめは無意識で椅子を僅かだけ、離した。
    「随分せっかちだな。がっつかなくてもどの道今すぐ逃げられないだろ」
    「……妙な食し方があるのだな。……別にお腹が膨れる訳でも無いだろうに……」
     べたりと広がる朱に眉根を寄せながら座れば、テーブルの上で手を組んだ五九九番は笑む。
    「心は大変満たされますよ」
     竜生は問いを重ねた。楽しくない、心底そう思えるお喋りだ。
    「ここに来るまではどんな所で食事してたんだ?」
    「……単に食えるものなら何でも、って訳でもなさそうだがな」
     竜生の問いに白夜が続く。五九九番は頷く。店内に響く音はそれだけ、張り詰めるような空気の中で皆がそれを聞いている。
    「数日前の食事なんてもう覚えてませんよ。あぁでも先日のあれだけは。酷いものしか無かったので思わず店長に『クレーム』を入れました」
     どういう意味、と言いかけたそれを竜生は飲み込んだ。理解が出来てしまったのだ。
     その時、通路を挟んだ反対側の席に誰かが座った。見ればそれは修也で視線を受けひらりと片手を掲げる。
    「このチェーンって何がうまいかって知ってるか?」
    「ファミリーレストランというだけあって、幸せそうな家族は特にいいですね。妻と子を庇う夫などは素晴らしいと思いますので、たった一人で逝かせてあげる事が多いです。勿論、残される者の目の前で」
    「……さっきのは逆パターン? 大層親切な事で」
    「お褒め頂き光栄です」
     修也の皮肉に、五九九番は嬉しそうに微笑んだ。
     狂気じみたお喋りは、腹を探り合うようにして、続いた。

    ●お喋りの後
     時計がカチリと針を進める。何度目だろうか、15分とはこんなに長い時間だっただろうか。そう考えた時だった。
    「さて、と」
     五九九番が席を立った。壁時計を見遣り、店内を見回す。
    「そろそろお喋りも終わりましょうか。食事も場も冷めてしまってはいけませんしね」
    「……もう少しくらい、いいじゃないですか」
     身を退いたきらめが上目で五九九番を見る。五九九番はゆるやかにかぶりを振った。
    「貴女達が例えば『こんな事はやめろ』等のくそつまらない事を言ったら、その瞬間に斬るつもりでした。楽しませて頂いた事に敬意を表し、予定以外の食事はしない事をお約束しましょう。貴女達も殺しません、殺しませんが」
     食事の邪魔を続けるなら、時間内に半殺しです。
     それはとても、にこやかな笑みと共に告げられた。

     そのさなか、店内を静かに移動する影があった。五九九番の視界に入らないよう距離を取り、手にした懐中時計を一度見てから閉じ、呟く。
    「──令嬢解呪」
     それと同時、令嬢然としたドレスがふわりと翻り、胸元に潜ませた護符揃えの一枚が放たれた。
    「葬られた者に成り代わり、その命頂戴致す!」
     響いたのは蒼桜の声。
     灼滅が厳しい相手でも灼滅する覚悟や意志が無ければ耐える事など出来る筈もなく返り討ちに遭う──それが蒼桜の胸中にあった感情だ。苦手な会話で不利にさせるよりも自分は戦う事に集中する。五九九番の目的を阻止するという意志は仲間となんら変わらない。
    「お断りを。美しいお嬢様」
     けれど、五九九番は振り返りもせずそれを弾いた。そのまま流れるような動きで射出された光輪が蒼桜めがけて飛び、抉る。優美なドレスを纏う少女の顔が歪む。まるで根こそぎ奪われるのではないかと思う程にその刃は鋭かった。
    「簡単に食えるモンばっか食ってると虫歯になるぜ?」
     五九九番の動きに合わせ席を立った修也がジョークのような挑発と共に手の甲のシールドへ力を込め、殴り付ける。
    「祈願、封印解除!」
     高らかに響くめぐみの声、開かれた目、頭上に掲げられたカード、ほぼ同時に撃ち放たれる癒しの力を込めた矢。蒼桜を貫いた矢は五九九番から受けた傷を癒すには大きく足りない。けれどそこへめぐみのナノナノが飛んできて、更に蒼桜の信念を後押しする。
     正直なところ修はまだ、ダークネスとの戦い方も分かっていない。けれど父さんのような犠牲をこれ以上出さない為に出来る事、それは全力で戦う事だというのは知っていた。足手纏いになっている暇は無い、ただ全力で。
     修のもとに降臨した十字架が、無数の光線を放った。

     更に数分、正直、手応えは薄い。絶対的な力の差を感じつつも灼滅者達は戦う。植木が、椅子が倒れようとも客達を傷付ける事だけはせず。
     本能的に、狡猾に、効率的に。サイは仲間の影から躍り出るように五九九番へ肉薄した。バトルオーラを纏っていてもその目だけは冷めた色を放つ。
    「おや、貴方の本質は少しこちら側に近いですね」
    「そうかもしらんね」
     その奥から隠しきれず覗く色を暴かれたサイは否定もせず笑う。右手のナイフに悪癖を潜め、左拳にオーラを集結させると同時に竜生ときらめが、シールドで、武器に宿した影で殴りかかる。
    「じっくり楽しみましょうよ、美食家さん」
     畳み掛ける連打に五九九番の足が半歩だけ、下がった。その瞬間に黒の太刀を振り下ろした白夜が、真っ直ぐな斬撃で光輪のひとつを断ち切った。
    「……?」
     ただ恐怖に打ちのめされそうになっていた客達の中に『それ』が生まれた事に、隅へ行くよう促していた鋭刃が気が付いた。悲鳴はもう響いていない。いまだ怯えながら、それでも、目の前の少年少女に対しひとつの感情を抱いたのだ。
    「……おい」
     客の一人が己の子を抱き締めながら問う。
    「あの子達は、君は、俺達を、助けてくれるのか」
    「……そうだ」
     短く答えた鋭刃が身を翻す。少年の代わりに紫空・暁が客を護るべく立ち、椿森・郁が鋭刃を守護する符をもって見送った。
     子を抱いた父親は息を呑んだ。そして、叫んだ。

    「……──が、がんばれ!!」

     駆け抜ける。
     名も知らぬ少年少女達を応援する声が、感情が、店中に広がり響き渡った。

    ●夕餉の終わり
    「何ですか? これ」
     声援の響く中、ぐるりと店内を見回した五九九番が零した。
    「こんな店は初めてですよ、余計な調味料を入れすぎたような感じですね」
     初めてだ。白夜はそこで初めて、五九九番の殺気を感じ取った。
     食事に殺意など不要、食事を人間と見て初めて、五九九番は殺意を抱くのだろうと。それはどす黒い色を持って無尽蔵に放出され、前衛にいた者達を覆い尽くす。
    「みなさん!」
     すかさずめぐみの声が響き、優しい風が駆け抜けた。
     たった数分の戦闘で灼滅者達の消耗は目に見える程大きなものになっていた。お喋りがもっと早く終わっていたら、めぐみや修の回復が無かったら数人が倒れていてもおかしくない。それでも凛と立つ蒼桜が戦いを続けようとしたその瞬間──携帯電話のアラームが、最大音量で響き渡った。
     ぴたりと動きを止めた五九九番がその音のした方を向けば、画面を向けるサイの姿。
    「時間やで。失礼ながら、お引き取り願おか」
     身体は悲鳴を上げている。それでも笑ったサイは携帯電話を店の入り口へと向けた。五九九番は床に転がっていた自分の帽子を拾い上げ、溜息を吐く。
    「……そのようで」
     教育のなっていない店ですねぇ、歩き出しながら言う背に修が声を掛けた。
    「大丈夫、この店はお客が食事を残すことを責めるようなレベルの低い店じゃないよ」
     それを聞き、顔だけ振り返った五九九番へきらめが更に問う。
    「美味しかったですか? 前菜と、主食」
     最初に声を掛けた時とは違う、素直に憎しみを込めた睨み付け。五九九番は心底楽しそうに笑んでから、言った。

    「──ええ、とても」

     客の退店を告げるベルの音が響く。ぷつりと切れた客達の緊張の糸、様々な声が響く中に落ちた「もっと早く動いてくれれば」という、何も知らない、恋人を失った男の言葉。それを聞いためぐみが傷付いた仲間を手当てしながら零す。
    「許せないです。でも、今のめぐみでは敵わない……悔しいです」
    「五九九番は俺らの宿敵てことでええやん。いつか灼滅したろ」
     そして手伝うべく隣にしゃがんだサイの言葉に瞬いて、頷いた。
    「顔くらい、覚えさせたかね」
     歯痒そうに零した修也が誰もいない入口を見遣る。
     去り人からの返答は、無かった。

    作者:笠原獏 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年11月16日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 33/感動した 2/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 1
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