ブレイズゲート消滅~風は未だ止まず

    作者:鏑木凛

    「お久しぶりなひとも多いね。壮健そうで何より」
     時を経ても少女らしい瞳はそのままに、狩谷・睦(理想を纏うエクスブレイン・dn0106)は藍色の髪を揺らして微笑んだ。
     10年という月日は懐かしむのに充分な長さを持っていたが、話を聞きたい想いは隅へ置き、睦は挨拶もそこそこに本題に入った。
    「もう聞いてるかな。ブレイズゲートを構成するサイキックエナジーが尽きたんだ」
     それは遠からずブレイズゲートが消滅することを意味していた。
     当たり前のようにその場所へと執着し続けてきた各地の門も、閉じるときが来たのだ。
    「ブレイズゲートが消えたところで、直接的な問題は無いんだけど」
     問題点を強いて挙げるなら後進を育てる大変さが増すぐらいか、と灼滅者たちの間からも囁きが零れる。力を高め、実践経験を積む上で、ブレイズゲートの役割は大きかった。
     その点を除けば、確かにブレイズゲートが消えることに不都合はない。
    「消えることに問題は無くても、ブレイズゲートの力が尽きるまでに問題があるんだ」
     ブレイズゲート内部を徘徊する敵――分割存在は、ブレイズゲートの力によって維持されていた。つまりブレイズゲートの消滅に伴い分割存在もいなくなるのだが、今から何もせず放っておいてもブレイズゲートと一緒に消えてくれる、という旨い話にはならない。
     ブレイズゲート本体が消滅しても、分割存在の内部に蓄積されたブレイズゲートの力が完全に尽きるまで、少々時間を要するのだと睦は告げる。厄介なことに、撃破されずに居た時間が長ければ長いほど、存在を維持する時間も長引いてしまうらしい。
    「試算の結果、分割存在単独で、長くて3時間ほどは存在できてしまうよ」
     長くて3時間。同じ言葉が灼滅者たちの間を伝播していく。
     単に敵の存在する時間が伸びるだけならまだ良いが、ブレイズゲートの自然消滅により、『分割存在をブレイズゲートの外へ出さない力』も失ってしまう。抑制力が働かなくなれば当然、存在を維持できる間、解き放たれた分割存在が外で暴れまわる事態も発生する。
    「避難勧告で被害を抑えることはできても、建造物や風景は移せないからね」
     近隣の住民や動物の日常が、ブレイズゲートからあふれ出した存在によって壊されてしまうなど、あってはならない。
     灼滅者たちをゆっくり見まわした睦は、薄い笑みを湛えて話を続ける。
    「そういった事態を防ぐための、今回の作戦なんだ」

     ブレイズゲート消滅のタイミングで行う、大規模なブレイズゲート探索作戦。

     ブレイズゲートは、『10月31日~11月1日』の間に消滅する。
     該当期間中、灼滅者たちは日本各地のブレイズゲートを探索。
     ブレイズゲートが消滅したときに分割存在が外で活動できないよう、『討ち漏らさずに掃討する』のが目的だ。
     放置してしまうと存在する時間が長引く相手も、倒されて復活したばかりなら、ブレイズゲート消滅とほぼ同時に消えてくれる。外へ飛び出す危険性も無くなるのだ。
     実力も経験もある今の灼滅者にとって、ブレイズゲートの探索に命を脅かす危険もない。訓練の一環と考えてもらうと解りやすいだろうか。
    「そこを凌げば、問題は完全に無くなるということか!」
     灼滅者のひとり、丹波・途風(風追い人狼・dn0231)がぐっと拳を握って声を出した。
     途風の話に頷くと、睦はブレイズゲートの一覧表へ視線を落とす。
    「僕からお願いしたい場所は……那須殲術病院、病棟の地下施設」
     かつて、『病院』と呼ばれる灼滅者組織の手がかりを求め、調査に赴いた武蔵坂学園の灼滅者たちが、響き渡る強烈な咆哮を耳にした場所だ。縁が深い灼滅者も少なくないだろう。
     今回は探索期間も長いため、複数のブレイズゲート探索に参加可能だ。仲間と示し合わせるなり、ひとり気ままに行き来するなり、自由に動いて大丈夫だと睦は言葉を付け足す。

    「時間制限つきではしゃぐ分割存在かー。ハロウィンの南瓜行列みたいだな!」
     期間が期間だけに、武蔵坂学園の近所でも有名となった大行列を思い出したのか、文月・直哉(着ぐるみ探偵・d06712)が身も声も弾ませる。
     南瓜行列かあ、と近くで聞いていた神鳳・勇弥(闇夜の熾火・d02311)は、武蔵坂学園でかつて繰り広げられたハロウィンの光景を思い起こし、瞼を伏せて唸った。
    「……休めるところがあれば、久しぶりに顔を合わせた仲間同士、語らう場にもなるかな」
     カフェを経営する彼の性分ゆえか、各地のブレイズゲートに卒業生が集うなら、ひとときでも休める場があればいいと、過ぎった想いを言葉に換える。
     賑わいだす彼らへ耳を傾けた睦は、そんな彼らの言葉に、ああそうだ、と手を叩く。
    「世界でもブレイズゲート消滅は話題になり始めてるからね、観光客もやってくるよ」
     ニュースを聞き、消滅の瞬間をひと目見ようと、ブレイズゲート前に各国から観光客が集まってくる。陽気なムードに包まれた人が多いためか、ハロウィンらしい屋台を並べたり、仮装をして歴史的瞬間に立ち会おうとする人までいる。
     そんな状況だ。探索の合間に、出店や外のお祭り騒ぎを覗くのも楽しいだろう。良い休憩にもなる。
    「灼滅者がいるから、彼らも安心して近くに居られるんだと思う。もちろん、僕も」
     一度ことばを区切った睦が、しずかに瞳を揺らす。
     彼女の眼差しは名残惜しむように、灼滅者ひとりひとりへ向けられた。
    「いってらっしゃい。僕はブレイズゲートの前で、みんなの帰りを待ってるよ」
     地下を駆ける風が迷わないよう、出口に橙色のランタンを灯して。


    ■リプレイ


     嘗て病院に存在した人々の営みも、今や渦巻く思念と陰りが漂うのみだ。
     カツン、とヒールが高揚感に鳴る。凛々しいシルエットのパンツスーツを着こなす朱那は、染みついた動きを今も変えずに戦場に立っていた。敵が地を這えば蹴りを入れ、跳ねるなら豪快に殴打で返す。
     ずれた眼鏡を押し上げ、朱那は息を吐いた。勉学に励み、気象学や天文の知識を得て、空をより身近に感じるようになったというのに、戦いは更なる高みを教えてくれる。消えない情熱が、力が、朱那を朱那たらしめる。
     ――大丈夫。色褪せてない。
     窮屈な地下施設にあっても、力ある限り、彼女は空へと手を伸ばせた。
     同じ頃、別の一室にはヴィントがいた。
     緑の眼で見続けた10年も、あっという間だった。技術者として各地を転々としていたのも、月日の流れが速いと感じた理由のひとつだろうか。
     ありふれたマフラーを靡かせて敵を貫き、踵を返した拍子に、間合いを詰めてきた相手へ、風車の通称を持つ手裏剣を振り回す。忍者の風貌に違わぬ得物だが荒々しい戦い方も挟みつつ、ヴィントは単騎で進む。
     ――この地に囚われ響くあの叫びも、これでお終い。
     齢30を越えても忍者としての矜持は捨てず、淡々と忍務をこなした。
     かぷかぷと音を立て水を飲む加具土の横で、勇弥が包みを開いた。心許ない明るさの下でも南瓜パイの艶やかな照りが判る。
     さくらえはマグを傾け舌に沁みる味わいに、苦い、と破顔した。知っている苦みだ。片隅に置いても、時おり記憶の方からやってくる。何気なく視線をあげた先、勇弥が自分のマグに砂糖を注いでいた。懐かしさに心を委ね、さくらえは昔日の友の調子を真似る。
    「『苦いものをそのまま一気に飲む』必要なんて、ほんとは無いんだ」
     あまり似ていない言い方に、勇弥が一笑する。
    「とりさんはどこまで僕を甘やかせるんだ、って思った」
    「性分だからなぁ、こればっかりは」
     勇弥の根幹を成すものが牢固である事実に、さくらえは頬を緩める。そんな甘さに救われたと彼が告げると、勇弥は彼の手元へ砂糖のスティックを置く。さくらえは自らのカップへ砂糖を流し込んだ。
    「そうやって、さくら自身が救ったんだよ」
     甘さを注いだのは紛れもなく彼自身だと、勇弥がそれとなく告げる。
    「さくらが望まなきゃ、俺は手伝えなかった」
     目を細めた勇弥に、見守ってくれたことへの感謝をさくらえは伝えた。溢れんばかりの笑顔を湛えて。


    「音響チェックOK! 盛り上がっていこう!」
     再会を祝いあった『Fly High』の一員、陽司の音声はポータブル拡声器を通して戦場に広がる。
     ひとりサボっても余裕だろう、と南瓜アイスを咥えた玉は、そう言いながらも脇から飛び出してきた敵を蹴散らす。
    「そーいや玉先輩、ライフワーク見付けたンすか?」
     陽司の質問に、彼女は肩を竦めこう言った。
    「ワークは付かない。Life」
     とってもネイティブな発音で。
     ライフワークという単語を耳にし、国臣はふと考えた。
    「これで、墓参りの度に武装する必要がなくなるわけか」
     長年の習慣に、いよいよ変化が訪れようとしている。
     そして、最前線で盾と化すのは迷彩フルアーマーの和守だ。弾丸を嵐のようにばら撒いて、後ろの仲間たちへ告げる。
    「危ない時は任せてほしい。昔と同様にな」
    「和守兄、頼りにしてる! うりゃーっ!」
     天使の装いをした歌音は、天使のように空飛ぶ箒に跨り、紅蓮の闘気に換えたオーラで、天使とは程遠い勢いで敵に殴りかかっていく。
     アネモネが施された指輪を望が掲げる。放たれた魔弾が敵を射貫く間、望は再会してから気になっていたことを口にした。
    「皆とっても似合ってるのですー。特に耀様の制服は……」
    「これ? 学園祭でコスプレ喫茶やった時に生徒に勧められて、好評だったからつい」
     つい。
     その一言で着こなす耀を前に、聖香も僧服を纏った木乃葉も、形容しがたい眼差しを示す。
    「最近のトレンドは制服女子……? シケンヤも着た方がいい?」
    「綴さんは着なくていいです」
     品の良い雰囲気を纏う七ノ香が放った、強烈な一刀両断。
     装甲服の上から女子制服。一部には需要があるかもしれない。
     そうこうするうち、鋼のごとく強固な拳で殴りかかった綾奈は、道場の床に這いつくばり悔しがるアンブレイカブルに武道を教えたことを想起していた。
     ――こんなにたくさんの仲間と戦うことができるなんて。
     両手から零れる幸福を、綾奈はひっそり胸に仕舞い込む。
     ライドキャリバーで奔走する国臣の傍で、空気を孕んで揺れるロングキャミソール姿のオリヴィアが緩やかに紡ぐ。
    「さあ、サマエル。我が殺意の闘気」
     オリヴィアの呼声に招かれた赤く染まった闘気は、白い両翼の主が願うまま殲滅に勤しむ。
    「マギステックカノンがその行列、即刻解散させてやるぜ!」
     箒に跨ったまま荒ぶる歌音が、大地を這うようにして突撃していく。
    「お菓子落とすとかしないかなー」
     マカロンを重ねたヒールで床を叩き、鼻歌気分で青い影を伸ばすシャオに対し、お菓子を食べすぎる懸念をしながら木乃葉が五芒星型に符を投げる」。
     一方、空気をふわりと閉じ込めたようなブラウスを着た望は、黄金の林檎が輝く王笏で、魔力を敵の体内へ流し込んだ。
    「カタパルトはありませんけど、纏めて吹き飛ばしましょう! どかん!」
     合図に合わせて注がれた魔力が爆ぜる。
     銃剣付き小銃で殺人ドクターを抑え込んだ和守だが、ソロモンの狂信者が死角から飛び出した。
    「すまん、抜かれた!」
     咄嗟に和守は叫ぶ。フルフェイスのシールドが走り抜けた影を映した。
     七ノ香は、縁ある一刀で抜けた狂信者を捌いた。同じ時間を過ごした弟は在らずとも、向き合い続ける覚悟は疾うにできている。
     だが間髪入れずいけないナースが、DJの音に導かれ陽司へ向かってきた。助けてくれー、と地下に木霊するDJの悲鳴に、今度はフハハと朗笑が轟く。
    「助けを呼ぶ声あらば地の果てからでも駆けつける!」
     綴は掛け声とともに湯煙の如くマフラーをはためかせ、走破補助装甲で駆け寄る。
    「今助けるぞDJ! ヌアーッ!」
     相打ちになり、艦船の意匠を持つ装甲服が盛大に被弾した。
     高いヒールで床を踏みしめた望が、敵の体温や熱量を凍らせ奪っていく。そこへ連ねて、木乃葉が指に挟んだ五行符を広げ、心惑わす符でドクターを催眠に陥らせる。
     惑わす符もあれば、シャオのように仲間を支える霧もある。
    「敵も味方もトリック&トリックー」
     宿した魔力の霧を展開し、シャオがもたらすのは癒しと力。
     霧の向こう、広がる景色に心寄せる聖香にとって『病院』は人生の分岐点でもあった。
     ――私と彼ら、何が違ったのかな。
     返らぬ答えに、聖香の睫毛が震える。
     霊魂へ直接手を下そうとしたアトシュだったが、すんでのところで狂信者が防いだため、苦く歯を嚙合わせた。
    「すまん! 切り込みが浅い!」
     瞬時に加減を分析しつつ声を張り上げたアトシュに、歌音が目をぱちくりさせる。
    「アトシュ兄、落ち着いてて執事さんみたいだねー」
     凛としたバトラーの戦いっぷりは絵になるようだ。
     その頃、知力や柔軟さも必要とされる特殊部隊を率いる和守は、仲間の状態を逐一視認していた。陽司の守りは彼女たちに任せれば良いと判断し、盾として立ち続ける。
     回復くれーい、と手を振る陽司に、聖香は迅速に動いた。
     その間に、素早く強烈な蹴りでオリヴィアがドクターを薙ぎ払い、戦いの一幕が下りた。
     そんなオリヴィアの傍に立った国臣は、回復やら支援やらで萎むことのない年下たちを見回す。
    「頑張りたまえ20代。三十路越えてるんだぞ、私は」
     立ったまま両ひざに手をついて、アトシュががくりと項垂れる。
    「はぁ、俺も年とったのかな」
     30代組から切なるため息が零れた。
     不変的な空気に、嬉々として七ノ香が手を叩き、望も首肯する。
     このノリで国連平和維持軍の司令などが多く属しているのも、彼らの素晴らしいところだろう。


     穏やかな平和の底で、彼らを取り巻く風は未だ止まずにいる。
     最短経路を辿ってきた雄哉は、一足先に地下施設の最奥へと到達していた。この10年の間に資料は完全に回収されていたため、回収に時間を割かずに済んだ。近づく仲間たちの足音を耳に入れながら、雄哉は暴れる巨人に語りかける。
    「藤堂さん、主任さんは今も生きている」
     届かなくても雄哉は伝えたかった。
     ブレイズゲートが消滅すれば、伝える機会は二度と来ない。
    「あなたは、確かに主任さんを守ったんだ!」
    『オオオオ……ッ!』
     返る慟哭をしかと受け止め、雄哉は床を蹴る。
     ――もう、いいんです。嘆かなくて。
     初手が巨躯に直撃するのとほぼ同時、後続の仲間たちも最深部へ続々と足を踏み入れる。
     灼滅者たちの想いも過去には届かず、残る面影に馳せるしかなかった。
     皆無が灰色の瞳に宿すのは、長年胸に突き刺さっていた後悔だ。探索の目的のひとつとしていた資料回収は、この10年間で既に完遂されていたため、残るもうひとつが絡みつき、皆無を突き動かす。
     語るべき言葉は無い。ゆえに道中の存在を変じた片腕で屠り、結界で霊的因子を強制停止させながら進んできた。
     そうして早々と到着した地下施設で、ひたすら辺りの物を叩き、咆哮を繰り返す分割存在を捉える。
    『皆、死んでしまったのか!』
     繰り返してきたであろう言で啼く常人ならざる巨体を前に、皆無はゆるりと得物を構える。
     ――貴方を独り残してしまい……申し訳ありません。
     心残りを心残りのままにしないため、皆無は異形と化した巨躯へ仕掛けた。
     粘膜を灼きそうな薬品の匂いが、滞った空気に満ちる。
     興奮冷めやらぬミカエラを明莉が見守る。彼が気づいたときにはもう、彼女はあのバベルブレイカーを振るっていた。
    「……本当、不器用」
     もどかしい独り言が明莉の口から零れる。
     不意に後背から聞こえた高らかな歌声は杏子のものだ。この場で戦う仲間の想いを、病院に囚われた存在に行き届けると決意を抱いたメロディ。
     ――ここが消えても、大丈夫だよ。
     鎮魂の音は、寄り添うやさしさで響き渡った。
     その間に、銀の爪で巨体のほんの一部にミカエラが触れる。
     ――カノンは元気にしてる。あたしたち、護り切ったよ!
     宥めるような穏やかさで、声に出さず伝えた。

     別方向からは『Fly High』も攻めていた。
     巨人がお相手とあれば、と真っ直ぐ向かったのは玉だ。周囲の分割存在をひきつけるべく、綾奈が渦巻く風刃を起こし、その隙に望の弾丸が制約を連れ、ミストレスブラッドを貫く。
     綴は開かずの鋏で取り巻きを強打した。
     広い地下施設で閉塞感を覚えるのは、景色と重々しい空気の所為だろうか。ここで起きた惨劇が理由だろうか。想いに圧し潰されそうなのを堪える『Fly High』の仲間たちを後方からもしかと認識し、陽司が転がっていた医療機器を除けつつ、拡声器を向けた。
    「天井があっても俺たちは飛べるぞ!」
     DJ仕様の抜けない陽司が声を張る。
    「飛びあがろーぜ!」
     空を再び見ることが叶わなかった彼らを、空へ解き放つべく。
     彼らしい説法に国臣は唇を引き結ぶ。解き放てるのならと、キャリバーの状態を確かめ、ハンドルを強く握る。
     アトシュが死角へ回り込んでいるうちに、シャオが霧を展開させた。霧の加護を得たアトシュの斬撃が不気味な色の皮膚を裂き、連なる波は留まるところを知らず、今度はオリヴィアの凄まじい連打が、行く手を阻もうとした狂信者を討ち果たす。
     これならば、と木乃葉の放った五行符が宙を舞い、歌音は箒からの攻撃を休まない。
    『全てを捨てて得たこの力は、一体何の為に!』
     天井に頭を閊えそうな巨人は、ただ力任せに腕を振り回す。
     吐息だけで笑った耀が万が一に備え、バイブス担当DJの守りを七ノ香と聖香に託す。
    「平先輩、援護射撃お願い」
     了解、と返した和守の関節部から零れ落ちる駆動音。熱の上昇に伴い排気音も強まり、装備した火器すべての銃口の角度を調整した。憂いは無い。
    「リロード完了……今だ、行け!」
    「突っ込むわ!」
     信頼篤い重機関銃を抱え、和守が撃つ。鮮烈な音と衝撃の着弾が薬莢の排出音に混じって、耀や周りの仲間たちが畳みかけるべく一斉攻撃に挑む。
     明莉はしぶとく生き残っていた殺人ドクターを叩き伏せ、開いた道に飛び込む向日葵を支える。そこへ杏子の歌が充ちた。機を逃さず、乗り越えてきたバベルブレイカーを渾身の力でミカエラが撃ち込む。
     国臣がくすんだ床をキャリバーで擦る。火花散る勢いで国臣は感嘆やまぬ巨躯へと突撃した。どうか安らかにと、武器の先端にありったけの想いを籠めて、突き刺す。
     ドーピングジャイアントだった肉体が崩壊する。薬品によって形成された腕が、皮膚が、抗う術もなく戦い続けた悲しき思念が、跡形もなく。
     巨影が去ったあとの地下室は、寂しさを覚えるほど、がらんとしていた。
     咆哮が轟かなくなった病院は、感情を揺さぶる者を持たず、ひっそり静まり返った。
     彼らは、そのすべてを見届けた。


     地下とは異なる夜らしい暗さを仰いで、祝はぽつりと翌檜を呼んだ。
     振り向いた翌檜は、雫を湛えた金の瞳を目の当たりにする。
    「……みんな、やっと眠れるのかなあ」
     終えた事実を未だ信じ切れない。翌檜はすかさず、アラサーの泣きべそ晒すなよ、とあやす手つきで祝の頭を撫でた。泣いてませんし若いですし、と膨れた頬に雫を擦った跡が這う。
     祝の思い出も縁も、たしかにここにあった。しかし今ここで朽ちて残るのは残骸で、魂の留まる場所ではない。祝がそう頭で理解しても、覚えた寂しさからは意識が逸らせない。だから空虚を得て佇んだ祝へ、翌檜は言葉で伝える。
    「これが最後の見栄っ張りだ。笑って送り出してやろう」
     伝わりやすい言い方で、優しさをほんのり滲ませた声。人材派遣業を営む職業柄か元々の人柄か、彼の美点とも言える接し方に、祝は湿る目許に笑みを塗り、翌檜の袖を引く。
    「屋台に寄って帰ろ!」
     出口で待って揺れる燈火へと、ふたりで歩き出した。
     彼らが向かった屋台とは別の一角で、席を確保した晶が徐に口を開く。
    「渡里、登山家にはならなかったのね?」
    「エベレストも余裕そうだと思ったら、ちょっとな」
     同じ登山ならエスパーだと難しい土を踏もうと、山岳救助の一員として渡里は既に歩み出している。
    「晶こそ、意外な舞台を選んだと思うぞ」
     返る言葉に、せっかくの力だものね、と晶は喜色を顔へ灯す。彼女の表情は、活動の良好さを何よりも物語った。紛戦地域を回る劇団にとって、護衛も兼ねた団員は有難いはずだ。
     だから渡里は満足げに、通りかかった睦と途風を呼び止める。
    「狩谷、日々充実してるっぽいな」
    「うん、そっちも、ね」
     仕事はどうか晶に尋ねられた途風が、上々だと話す。そちらは、と途風が聞き返せば彼女は肩を竦めて。
    「話すのはESPでどうにかなるけれど、読むのが大変」
     読み書きに苦悩し、知らず知らず疲労が積もる。それを解消できそうな温泉を知りたいと願う晶に、途風が肯う。
    「心得ました、あとでメール送りますっ!」
     途風が自らの胸を叩く。
     そこで突然思い出した渡里が、身を乗り出す。テーブルに広げたのはチョコレートの山。思わず晶も、随分張り切ったのね、と噴き出す。
    「一緒にどうだい?」
     渡里からの甘い誘いを、睦と途風は揃って受け入れた。
     離れた場所では、那須と言えば、と声が燦々と輝く。餃子の伝道師、良信が誇らしげに人々へ弁舌を振るっている。
     那須にある見所は数えきれない。ブレイズゲートは似つかわしくないが、日常を離れ、安らぎを求めるなら間違いなく那須だと、良信の拳にも力が入る。
     彼の巧みな宣伝に、人々も楽しげに耳を傾け、屋台の味を頬張っている。
    「餃子もあるぞ! どうだ!」
     見物人へ差し出した良信の餃子は、食欲をそそる香りで幸せを生む。
     餃子を無我夢中で食べる子どもたちを眺めて、良信は頷く。
     ――俺たちも……この病院の人たちも、最初は仲間がいなかったからな。
     同志たちへ平和に満ちた風景を餞に、餃子の伝道師は次なる空腹の匂いを嗅ぎつけ、動きだした。
     人混みに紛れる者もいれば、喧騒を避ける者もいる。
     皆無は物陰に隠れ、密かに通信機器を作動させていた。
    「終わりました……天野川主任」
     凪いだ波間の静けさで報告し、皆無は夜の闇へ姿を晦ませた。

    「むっちー! ねぇね、送ったフォトブック届いた?」
     行き交う人々から離れていた睦に、朱那が駆け寄る。
    「ありがとう、届いたよ。世界には、知らない空や風景が数えきれないぐらいあるんだね」
     きみがいなかったら、きっと知り得なかった。
     声を弾ませる睦に、朱那も頬を嬉しそうにふくふくとさせた。
    「こないだ行ったトコでもネ、空がビックリする色してて!」
     朱那による土産話と空色の報せを、睦は食い入るように聞く。
     一方、ブレイズゲートの出入口の傍で、実感がミカエラにも遅れてやってきていた。
     言葉が詰まり、出てこない。押し黙っていた明莉はやがて手を伸ばし、彼女の目の縁に溜まった雫を拭う。顔を覗き込む明莉を前に、ミカエラは少し荒々しく目許を擦った。彼らのためにも楽しく過ごそうと決めて、ふたりは一笑する。
     屋台へ向かおうと繋ぎかけたふたつの手は、ハッピーハロウィン、という景気の好い挨拶と一緒に飛び込んできた温もりに攫われる。
    「あまぁい向日葵お菓子、食べちゃうぞーっ!」
     驚くふたりを杏子が交互に見つめる。串団子のようにくっつく3人の周りを、ねこさんが飛び廻ていった。
    「あっちにね、パンプキンパイが売ってたよ!」
     話しながら杏子はミカエラの腕を掴み、パイの香りを辿ろうとした。
     こらキョン、とすかさず明莉が制止すると強かに杏子が微笑む。
    「お供を許してあげるから、明莉部長、奢ってね?」
     あどけなさの残る杏子に、しょうがないなと明莉が頬を掻き、交渉成立した。
     じゃれあう3人を燈火が見送った代わりに、背筋を伸ばして佇む綴の影が、色濃く大地に落ちる。彼を見た親子連れが、地域清掃にいたヒーローだー、などと話すのが耳に入る。前途洋々、未来広がる世界を綴は噛みしめる。
    「……こいつらにも、未来を見せてやりたかったな」
     誰にも覚られぬか細さで、綴はブレイズゲートだったものを見詰めた。
     そうした灼滅者たちを炎に映し、仄暗い道を照らす篝火が、そこかしこで揺れる。
     掃除を済ませて満喫した心地でいる千穂から、秋帆は意識を逸らせずにいた。
     道中、彼女から受け取った一言が幾度となく鼓膜を震わせる。
     ――こうして駆け回れるのは、秋帆くんが傍にいるからね。
     ふたりで歩いてきた長い月日を物ともしない笑顔が、声が、秋帆にはたまらなく愛おしかった。
     彼の裡で巡る思考を知る由もなく、どうしたの、と千穂が屈託なく首を傾いだ。
    「あのな、千穂」
     夜染の深緑盤が時を刻む腕で、千穂を手繰り寄せた。
    「いつのまにか思うようになってた。俺の家族はもう居ないけど……」
     落ち着こうと考えるたび声が震えそうになる。
    「お前が、そうなってくれたらって」
     だから秋帆は心が求めるまま言葉を繋ぐ。
     しかし千穂は、ぽかんとしたままで。
    「っ、つまりだな」
     急に現実めいて頬が熱くなったのを、厭う余裕すら秋帆には無い。
    「お前と、結婚したい」
     音が止んだ。柔らかい風が、互いの髪を撫でていく。
     言葉の意味を理解するよりも先に、彼女は落涙していた。肌が一瞬で熱を帯び、暫し心を思い出たちに揺蕩わせて。そして。
    「ありがとう……秋帆くん、だいすき」
     窄まった喉から言の葉を絞り出す。
    「明日も、その先も、ずっとずっと……宜しくね」
     はらはらと零れ頬を伝う幸せの花雫に、秋帆はそっと唇を寄せた。

    作者:鏑木凛 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年11月8日
    難度:普通
    参加:31人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 0/素敵だった 5/キャラが大事にされていた 1
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