シルヴェスト・ヴァディワール(白銀の月影・d16092)は難しそうな表情で本屋にいた。
本で得た情報も参考にしたいからそこはシルに任せるね~、と朗らかに言ってのけた向日葵人狼の姿が、眼前にありありと浮かぶ。
大きな書店とはいえ、旅行ガイドのコーナーに佇む月明かりを受けたような銀髪のすらりとした見目の青年は目立つらしく、行き交う客の視線がちらちらと向く。
しかしシルヴェストは動じない。彼の頭は箱根でいっぱいだった。
――久しぶりの日本……風情を楽しみたいとも話していたな。
当事者は世界を回っている身だ。日本ならではの風情――四季折々の自然を満喫するのなら、やはり山だろうか。ロープウェイに乗れば、今が見頃の紅葉も見渡せる。
箱根ロープウェイと言えば、ひとつ食べると、寿命が7年延びると言われている大涌谷の黒いたまごだろう。大涌谷駅前で、富士山や、荒々しい山肌から噴出する地球のエネルギーを眺めてたまごを頬張る観光客も多い。
そしてこのロープウェイは、芦ノ湖の畔へと続く。桃源台駅を降りると遊覧船の発着場があり、遊覧船に揺られれば、箱根の関所や駒ヶ岳のロープウェイにも行ける。
この、芦ノ湖畔から駒ケ岳の山頂までを結ぶ駒ヶ岳ロープウェイも、名所のひとつだ。
展望台や箱根元宮が建つ山頂からは、芦ノ湖を眼下に箱根全景を一望でき、雄大な富士山はもちろん、相模湾に小田原、向きを変えれば伊豆や駿河湾まで望める。
観光地を移動していく箱根ロープウェイと、山頂に繋がる駒ヶ岳ロープウェイ。
両方乗るも良し、片方だけ満喫するも良し。
そう考え、シルヴェストは旅行雑誌のページをめくった。
大自然から離れたシルヴェストの視線は、アートのまち箱根という文字に惹かれる。
日本初のヴェネツィアングラス専門の美術館や、季節ごとに顔色を変える野外彫刻が出迎えてくれる美術館、130種類もの苔と200本ものモミジが生きる美しい苔庭のある美術館など、著名な場所を挙げるだけでも片手では足りない。
いくつか美術館の候補を出しておき、興味や好みで選んでもらうのが良いだろうと、シルヴェストは開館時間やアクセスする手段へ目を通していく。
虚中・真名(蒼翠・d08325)もまた、難しそうな表情で同じ本屋の同じコーナーにいた。
箱根の宿となると探すのも一苦労だが、幸い宿泊先は決まっているらしい。
真名が背負う任は宿決めではなく、箱根の温泉街に関する情報収集だ。猫の手も借りたい状況なのだろう。見所が多すぎて、と漏らしていた青年の困ったような照れるような顔が、眼前にありありと浮かぶ。
だから真名は思わず、柔らかい光を纏う瞳を瞼で隠した。
彼に手を差し伸べてみたは良いが、いざ人の新婚旅行の情報を集めるとなると、やはり頭を悩ませてしまう。
駅前に広がるのは、観光客でにぎわうほど様々な店が建ち並び、十数年前には石板の形をした手紙が置かれていて、灼滅者たちの間にざわめきが走った温泉街だ。
それぞれの店の味が出た温泉饅頭や、蒲鉾などの練り物。有名な老舗ホテル直営のベーカリーに並ぶ、名物のカレーパン。店先で焼いてくれるハートの形をした煎餅。刻んだ羊羹を優しく包んだ柔らかい白玉餅。手土産としても喜ばれるラスクに、蜂蜜チーズタルト。江戸時代創業の豆腐屋で売っているさっぱりした甘さの杏仁豆腐も人気だ。
食べ歩きにはもってこいの街だが、もちろんカフェや蕎麦屋といった、ゆっくり腰を落ち着かせて食事ができる店も多い。そのうちの一軒、定評がある湯葉丼を出す店の前には足湯もあり、利用客でなくても休めるという。
――これだけお店が多いと、数を絞るのもたいへんですね。
真名は細く息を吐き、ゆっくり本を読み進めていく。
並んだまま本に集中し、唸るばかりの二人は、互いの存在をいつになったら認識するだろうか。もしかしたら、気付かないまま本屋を後にするのかもしれない。
彼らの心は今、新婚夫婦より一足先に箱根へと飛んでいるのだから。
●
冴える青空と、夕陽を映したような紅葉が、箱根の晩秋を鮮やかに彩っていた。
黄色に橙、朱に染めた木々が風に遊ばれ、絨毯を装ってうねる上を、ロープウェイがゆく。風趣漂う箱根の山を一望できる箇所に差し掛かると、ロープウェイに乗車する人々から歓声があがった。
「タリンもよかったケド、箱根もすっごいね!」
ぺたりと両の掌を窓に張り付けて、ミカエラが眼下を望む。
「紅いし、黄色いし! 空青い~! 富士山も近い~!」
続いて秋晴れの気持ち良さを仰ぐ。絶佳なる眺望は開放感をも覚えさせるのか、ミカエラの喉は休むことを知らない。
夢みたい、と鮮麗な紅葉に感激を綴る彼女の姿を、明莉の眼差しがあたたかく映す。
「紅葉が見頃で良かったなー。……ほい、ミカエラ」
空の旅を済ませたロープウェイが駅に停車するのに合わせて、明莉が手を差し出す。紅葉シーズンの箱根は、観光客で溢れかえっている。明莉ははぐれないように、寒さにか興奮にか震えていた彼女の手を握った。
そんなふたりの後ろから、真名とシルヴェストも降りてくる。
「ロープウェイは、ふたりを押し込めばあとは楽かと思っていましたけど」
観光情報を予め調べてきた彼らなどお構いなしに、新婚夫婦はあっという間に大涌谷で有名な黒いたまごを購入していた。
炭かと見紛うほどの黒い殻を剥き終えたら、荒々しい山肌と噴出する煙を背景に、ふたり並んでたまごをぱくり。
「こういうトコで食べるとまた違うね~!」
はしゃぐミカエラに、頷いた明莉も感慨深そうに卵をじっくり呑み込んでいく。
一方で真名も、自然の驚異を知らしめる山の脈動を踏みしめて、立ち尽くしたままのシルヴェストへ黒いたまごを手渡した。
造形体験あたりが好みだろうと、シルヴェストが提案した行き先は、ヴェネチアングラスの美術館だ。かつて貴族を熱狂させたヴェネチアングラスの優美さを間近で拝めるとあって、紅葉狩りと共に立ち寄る観光客が多い。遅れを取らぬよう、ミカエラと明莉はここでもくっついて歩く。
ゴブレットやデキャンター、花器といった入れ物が、緻密な紋様や柄で興味を惹く。重厚な歴史を想起させる華美な装飾もあれば、作り手の卓越した美的感覚に偏ったものもある。照明の加護を受け煌めく姿を眺めているうちに、明莉は傍らで笑顔を咲かせたミカエラに気付く。
――こういうのを見にくる機会、あんまなかったけど。
身を乗り出して鑑賞するミカエラを、網膜に焼きつけて。
――ああ、でもそっか。今まで無かったからこそ、だよな。
予期せぬタイミングで、これが新婚旅行なのだと明莉は実感し、慶びに震えた。
特別な旅の真っ只中にいる事実を噛みしめつつ、彼らはやがてガラスの体験工房へと足を踏み入れる。
参加可能な数種類のコースから選んだのは、フュージング体験。好きなガラスパーツを組み合わせてガラス板に乗せて熔かし、融合する技法が味わえる。明莉たちも思い思いに製作を始めたのだが。
「んー、コレ、うさぎ……かな?」
灰色と白のまん丸な物体を見て、ミカエラは眉を顰め候補を絞り出した。
首を傾いだ彼女に、作業していた明莉が顎を引く。
「そ」
「こっちの可愛いぐるぐるは?」
別のものを問われ、僅かに明莉が怯む。
「た、太陽……太陽って言ったら、ぐるぐるでしょ」
彼なりの方程式があるらしい。
不器用ながら真剣に作る明莉へ、羊を連想させる雲を並べていたミカエラは、ある申し出を投げた。
「ねえねえ、あたいの青空と交換して?」
真っ先に驚いたのは近くで手を動かしていた真名だ。これと交換するんですか、と戦慄く彼にも、ミカエラは首を縦に振る。躊躇いの無い彼女を見守っていたシルヴェストは、そういえばキラキラした物が好きだったな、と追懐した。
ミカエラはご機嫌で完成を心待ちにする。今はそれだけ、胸に秘めた。
●
賑やかな朗笑に店の呼び込み、行き交う人々のさざめきは心を浮き立たせてくれる。
温泉街の情緒を全身で浴びながらも、真名にはひとつ危惧する事態があった。
「明莉、判ってますか。ちゃんとミカエラさんをエスコートして……」
真名が注意を促す頃には、寄木細工などの工芸品を中心とした土産屋へと、明莉はふらっと惹かれていた。
言った傍から、と真名が慌てて連れ戻そうとする――そこへ駆け寄る靴音。
息を弾ませやってきたミカエラは、丸い物をずいっと明莉の口許へ突きつける。できたての温泉饅頭かという思考が過ぎりながらも、確認するより先に明莉の口が開き、押し込まれたものを咀嚼する。
「むぐ、ん? あれ……饅頭じゃない……?」
想定した餡の甘さの代わりに、青のりと練り製品の仄かな甘みが香り、とろりとした黄身が頬の内側に広がった。
「名物のひとつなんだって~。甘くない名物!」
声につられてよくよく見てみると、ミカエラが持つパックに転がるのは、饅頭張りにふっくらしてはいるが、素揚げされた丸い蒲鉾の半身だ。半熟卵を包んだ蒲鉾で、割られた半分が今し方、口へ放り込まれたのだろう。
それだけではない。ミカエラが抱える紙袋には、様々な種類の饅頭が詰まっていた。食べ比べと称して喜色を露わにし、饅頭を頬張りだしたミカエラの表情が蕩ければ、明莉もつられて相好を崩す。
「お次は羊羹が入った白玉餅、人気だってね、食べにいこ~」
大量の饅頭を運ぶ彼女の足取りは、まだ軽い。
温泉街へ入る前に大盛せいろそば食べたのに、と自分にのみ聞こえる音量でぼやいた明莉は、どこへでも羽ばたいていきそうな彼女の腕を掴まえて。
「とりあえずベンチで休も。次行くのは抱えたご馳走の山を平らげてからでっ」
片づけていかねば両腕が完全に塞がると推測し、明莉が制止する。
「んー、混んでるから先に買いたいなって。あっ! 佃煮のお店発見~!」
「さすが食欲旺盛な奥さま……や、可愛いからいいんだけど、って、ちょっと待っ……」
明莉は半ば引っ張られる形で、鼻歌混じりなミカエラと腕を絡め、お宝尽くしの温泉街を進んでいった。
自由な新婚夫婦の手綱を握るのは、気骨が折れる。そう考えていた真名とシルヴェストが、しかと手を繋いだ後ろ姿を見送り、胸を撫で下ろす。
「あれなら安心ですね」
「……ああ、楽しんでいるようだしな」
苦労した者同士、共通の感懐を溜息に乗せた。
●
「おー、明莉ー! ミカエラー!」
投宿する温泉旅館から届いた、耳に馴染む声を明莉たちは知る。
つられて視線を向けると、旅館の玄関先から大きく手を振る知友――徒と千尋の姿がそこにあった。
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」
旅館の仲居らしい様相の千尋が、淑やかな挨拶を向ける。見慣れない仕事中の姿に目をぱちくりさせたミカエラと明莉に、千尋はすぐさま10年前によく見せた笑みを浮かべて。
「ミカエラあかりん、ようこそ箱根へ!」
当時と変わらぬ調子で出迎えた。期せずして、明莉とミカエラが同時に噴き出す。
「一瞬、わー仲居さんだどうしよ~って思った!」
「友だちの勤め先あるあるだ」
ミカエラの正直な反応に、明莉がカラカラ笑う。
そうして地面に伸びた長い影をふたつ、真名とシルヴェストは後方から見守っていて。
「あとは師走崎夫婦にお任せして、温泉でひと息つけますね」
軽い伸びで緊張をほぐした真名に、漸くな、とシルヴェストもしみじみ呟く。
げっそりしている真名とシルヴェストを見かねた徒が、お疲れ様、と柔らかく労った。
千尋の案内で部屋に通された明莉とミカエラは、荷物を置くと早速、先ほど薦められたロビーの一角へ足を運ぶ。ネイチャーカメラマンとして活躍する徒の作品が展示されたコーナーだ。先客で真名もいた。
他の観覧者と話していた徒も、区切りがついたところで明莉たちへ声をかける。撮影時のエピソードを紡ぐ徒に耳を傾けながら、視覚で写真を味わう。徒の鑑識眼を存分に揮った作品は、いずれも箱根の四時の景観を留めていた。
「写真は心を写すって言うよね」
ぽつりと明莉が零す。
「霧や曇りの日の写真も綺麗で、撮る師走崎の心がそうだからかな、と思ったり」
真面目な口振りに、そう評価してもらえるのは嬉しいよ、と徒は面映ゆく頬を掻く。
「写真は見る人の想像力を掻き立てるものだから……」
流れゆく世界からほんの一瞬を切り抜いた写真は、空想を喚起する。同じ写真を、違う日、違う気分のときに見直すと、受け取り方が変わるのも珍しくない。
だから徒は、こう言の葉を続ける。
「明莉がそう感じるのは、明莉がそれを知ってるからじゃないかな」
綺麗だと感じるものを。暗がりの恐ろしさを。そして闇に差す光明の温かさを。
不思議そうな明莉に、画廊の主は微笑むばかりで。
意識を引き戻し、改めて写真を辿れば、折節の移り変わりが明莉の眼前に広がる。この写真もいいな、あれもいい、と彼が自然に落としていく独り言も、傍でミカエラがにこにこと嬉しそうに掬い取った。
館内散策や温泉を堪能し、部屋でゆっくり過ごせば、いよいよ夕食の時間だ。
今回は新婚旅行のお宿どうも、と話す明莉に、部屋のテーブルに食事を並べながら千尋が破顔した。続けてミカエラも、そうそう、と頷く。
「箱根にしよってなったのも、千尋に結婚式のとき招待してもらったからだから~」
「ふふ、誘って正解だったね」
千尋は答えながら、料理人が吟味して選んだ大小さまざまな器を、てきぱきとテーブルに置いていく。彼女の手腕を目の当たりにして、明莉が身を竦めた。
「働いてるとこを見るのって緊張する……」
「それ見られる側が言う台詞じゃない?」
反射的に突っ込んだ千尋だが特に気負う素振りもなく、和牛の陶板焼きをセットしつつミカエラを一瞥する。用意されていく懐石料理に心奪われ、彼女の瞳はきらきらと輝いていた。意識せず千尋も笑みを溢す。
「そういや咬山が箱根で働こうと思った理由って、聞いたことあったっけ?」
さりげない明莉の質問に、なかったね、と彼女は首を捻って。
「大地と合一したイフリート達がいたでしょ。彼らが眠る場所を守っていこう、って」
「……イフリート、かあ」
喉元に痞えた言葉を明莉が繰り返す。いざ記憶を振り返れば、クラブを不在にしていた期間から先は出逢いまで遡るようで、短くも長い学生時代に、彼は想いを馳せる。
「あ、温泉街は行ったんだよね、クロキバが石板を立てていった場所、見た?」
千尋に問われ、夫婦はきょとんと顔を揃えた。
「食べ歩きに夢中だった~」
「だったー」
唱和に似た物言いに千尋が一笑する。
「明日、時間あるから案内してあげるね」
「あっ、じゃあ地元の人が行くおいしいお店も教えて~!」
店という店を制覇するつもりのミカエラに、任せてよ、と千尋は頼もしく片目を瞑った。
温泉宿に必ずと言って良いほど存在する遊技場。
千尋が働く旅館も例外ではなく、レトロなアーケードや卓球台が置かれている。
食事時を過ぎたゲームコーナーでは、カツン、コツン、と軽快な音が鳴り響いていた。
「体育系カップルの面子にかけて、お惚気夫婦には負けられん!」
張り切ってレシーブする徒に、向かいの明莉は不敵な笑みを浮かべ。
「惚気勝負? なら負けねーなっ」
断言した明莉の返球に、今度は徒の前に立った千尋が食らいつく。
「仲居として腕も鍛えられてるからねっ、ほい!」
業務を終えすっかりオフモードの千尋が痛快に受け返すと、跳ねたミカエラのラケットが玉をも跳ばす。
「いっくよ~灼滅者の本気~!」
弧を描いた球体は、肩を入れるスイングで徒が迎撃する。
凄まじい速さで面を叩いた玉を、狙い違わず明莉も打つ。
しかし直後、あっ、と声を洩らす。勢い余った明莉の一手は、見事にホームランだ。
試合を見守っていた真名が、すかさず片腕を伸ばす。
「勝負ありです! 勝者、師走崎夫妻!」
掛け声に徒と千尋がハイタッチを交わすのを見て、すごかった~、とミカエラも拍手を送った。
「やっぱ温泉で卓球対決するの楽しいね~!」
混ざるように千尋と徒へハイタッチを仕掛けたミカエラは、すぐに踵を返して今度は明莉と手を重ねに行く。そんな彼女の行動が心のツボをくすぐったのか、明莉の頬と目尻が盛大に緩んだ。
一部始終を捉えた千尋と徒は、思わず顔を寄せ合って。
「ねえ徒くん、勝負に勝って試合に負けた気分」
「明莉が、あんなにデレデレになるのを隠さないなんて……」
他愛なく笑いあう彼らは、昔と変わりない雰囲気に包まれていた。
賑やかな一日の反動だろうか。
明莉とミカエラは温泉を満喫した後、星灯りが注ぐ部屋で夜のしじまに身を沈めていた。
窓越しに夜空を仰いでいた明莉はふと、甘やかな心情を吐く。
「幸せ、だな」
至福のときを噛みしめる彼の語調に、早まる鼓動を隠したままミカエラは相槌を打つ。
「あー、うん、そだネ?」
言い終えてから深呼吸をしたミカエラに、すぐ傍で明莉が笑声を弱く押し出す。
そして火を噴きそうな彼女の耳へ、見守る電灯にさえも聞かせないほど微かに、何ごとか囁いた。ぽん、と弾けたかのように一瞬でミカエラが赤面する。
「……なんてね。あ、風呂でのぼせたみたいになってる」
得意げな面構えの明莉を、言葉にならない唸り声をあげてミカエラがはたく。仕草ひとつ取っても愛らしくて、明莉は身を震わさずにいられない。だから温もりで包もうと彼女の頬に手を添え、名前を呼ぶ。
「この先ずっと、俺の隣で咲いていて」
燦々と輝き誇る向日葵へ願いを寄せながら、愛してる、と告げる。
甘美な誘いに、ミカエラも幸せの証となるよう、ゆっくり瞼を閉じた。
●
山の端はまだ濃く、眠りの最中にある。けれど東の空から染み渡る赤が、少しずつ濃紺の時間を溶かしていく。
朝焼けならではのひとときを、ミカエラと明莉は客室に備わる露天風呂で味わっていた。
優しい湯にまどろみ、同じ景色を見る。火照る熱を逃がそうと、同じ場所で秋風に頬を晒す。回想してみれば10年以上前からそうして、ふたり並び立ってきた気がして、明莉は徐に唇を開く。
「幸せだなって、ずっと感じていても」
ふんわりと声音が和らぐ。
「こうしてるとまた、幸せだな、って思っちゃうんだよなあ」
ささやかな刻をいとおしむ明莉の笑顔が、くしゃりと緩んだ。
それがあまりに嬉しそうだったので、ミカエラも陶然と息を吐く。
「そういうこと平気で言う……」
呟きながら、秋風に冷えた肩へ頭を預けた。彼女の心意を察したのか否か、明莉は小さく笑うだけだ。
朝の光を湛えた湯が波打つのを、ミカエラはぼんやり眺める。
――あたしは、空を見上げる向日葵だから。
目覚め切らない朝に、吐息が滲んだ。
――どこにいたって、忘れない……。
世界を照らすあかりにまたひとつ恋をして、向日葵は今日も揺れる。
麗らかな秋空に、想いを紡いで。
作者:鏑木凛 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2018年11月22日
難度:簡単
参加:6人
結果:成功!
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