クラブ同窓会~いつか来た路

    作者:佐伯都

     久方ぶりに戻ってきた日本は、ちょうど自転車で走るには気持ちの良い季節になっていた。今年も都内はめっぽう暑かったと聞いているので、梅雨から紅葉前にかけての時期は夏も過ごしやすい北欧や東欧、もしくは日本とは季節が逆の南米やオーストラリアを輪行しつつ回っていることも多い科戸・日方(暁風・d00353)としては、ご苦労様なことだと思う。
     この10年、世界を見てきた。華やかなきらびやかな大都市も、誰もいない氷河や砂漠の真ん中も。
     権力とか役職とかが似合う柄じゃないのはわかりきっている。世界の要職に灼滅者を望む声が今でも少なくない事だって知っているが、そういう事に向いている者がやればいいのだ。
     未だ見ぬもの、知らぬものを求めてその道すがらに出会った人が困っていたら手を貸す、そのくらいの立ち位置が自分には丁度だと、日方はそう思っている。
    「……久しぶりに声かけてみるか」
     もう10年、いや、まだ10年かもしれない。でも懐かしい面々と一緒に、懐かしい風景を追ってのんびり走るのも悪くないだろう、そんな気がした。

    ●クラブ同窓会~いつか来た路
     数日後、日方が投函したポストカード。そこには久しぶりに武蔵坂学園周辺を走ろう、という誘いの言葉があった。
     流星を眺めた丘。川沿いのグラベルロード。変わったもの変わらないもの、積もる話だってきっとあるに違いない。学園から少し足を伸ばして多摩湖周辺をまわるのも良いだろうか。
     そしてどこか水の音か、あるいは木立のさざめきが聞こえる所で思い出話でもできれば、それだけでもきっと上等だろう。


    ■リプレイ

     その日は秋空へ切れ切れに雲が浮かぶ晴れの日だった。強すぎないちょうどよい風も吹いていて、午後も天候は安定しているとどの天気予報サイトも太鼓判を押している。
    「しかし何と言うか……皆変わらないなあ」
    「10年ひと昔って言葉もあるんだけどな」
     左右への振り分け形式になるパニアバッグ、それを手慣れた様子で装着する兼弘を眺めながら日方が苦笑した。MTBからの改造、かつオフロードタイヤを装着した兼弘のグラベルバイクは相応にごつい。司のシティバイク、広義で言うところのママチャリが何やら可愛らしく見えるくらいだ。
    「ちょっとそこまでの井の頭公園もいいけど、折角兼弘が気合い入れてきてるしもうちょっと足延ばしたいよなあ。紅葉見るなら多摩湖か、それとも輪行いれて高尾山か」
    「司そこまで頑張れるか?」
     地図を広げ行き先選定に入った日方を横目に、何やら兼弘はにやにや笑っている。見るからに初心者サイクリングといった雰囲気の自覚はあるのだろう、司が愛車のサドルを誇らしげに叩いた。
    「ええ、ええ、言いたい事はわかりますとも、田舎は自転車より車のほうが便利ですからね! しかしながらみかん農家は斜面の上り下りなど慣れたものです、運動不足とか言わないで下さいな」
    「多摩湖自転車道路使えば、多摩湖まで10キロちょっとか。街ん中走っていくし、ゆっくり寄り道しながらでも片道2時間みれば十分だろ」
     10キロと言われると一瞬なかなかの距離に思えるが、街乗り仕様と言われるクロスバイクでもおおむね平均時速は18km/h前後、それこそママチャリでさえ13km/h前後は出ると言われている。寄り道や無理のない行程になるよう余裕を見込んでも片道2時間という日方の目算は、十分に現実的な数字と言えた。
     日方や兼弘だけなら軽いヒルクライムに挑むという選択肢もあったが、まだそこまでの実力が備わったか不明な烏芥はもちろん、司や樹まで入れていきなりそのレベルは酷というもの。
    「最後の多摩湖手前がなかなかの上り坂らしいぜ。満を持して兼弘の出番だな」
    「なるほど、兼弘君先導の上り坂とは頼もしい限りです」
     まだ新品同様な烏芥のロードバイクは、その双眸によく似た夕暮れ色をしている。
     雪深い故郷で世間も何も知らず生きてきた烏芥にとって、自転車とはどこか無限の希望を内包した輝かしいものにすら思えていた。
     自分の脚で歩くよりももっともっと遠くの場所まで。それこそ風や雲を追うように疾く、疾く。
     当たり前の事ながらすんなり乗れはしなかった。日方の自転車同好会の戸を叩いたのは、あの二つの車をつなげた乗り物、自転車というものに乗れるようになりたいと思ったのが最初。当然のように転んでばかりだったが、灼滅者の身体は物理ダメージなど物ともしないのがありがたかった。普通の人間なら手脚をすりむき、転びようによっては骨折や捻挫の可能性もあるものを。
    「皆変わらないとは言ったものの、どうなんだろうな、俺は変わっただろうか?」
    「変わっていないと言えば変わらない……ですが、決定的に変わった所がありますよね、色々と」
     んふふ、とやや含み笑った司に兼弘が首をかたむけていると、ああなるほど、と烏芥が手を打つ。傍らのユリがはたはた小さく手を叩いた。
    「そうでした、先日御結婚のご報告があったばかりで。おめでとうございます」
    「ってそこか! 他にないのか他に!」
     自分から藪をつついた形になり兼弘は頭を抱える。最愛のパートナーを妻として迎えるまでに10年もかかったことを誰もツッコまないばかりか、ただひたすら祝福一色なのが逆に照れくさい。いっそイジられるかネタにされたほうがまし、というのに。
    「年食った以外で変わった部分が少ないのはいい事だろ。サイキックハーツが消滅したことでおかしな方向に激変するとか、灼滅者にとっちゃそれは不幸以外のなにもんでもないしなー」
     樹に貸し出すクロスバイクのサドル調整をしながら、日方は笑っている。
     この10年、世界はゆるやかに穏やかに、はじめてダークネスの支配を受けぬ形で安定することになった。大きく変わった部分もあればほとんど変わらず維持された部分も含めて。前者はサイキックハーツ大戦以前の体制を維持するのは困難、ないし重大な問題が生じるため改める必要があったものだ。後者は大戦以前のそれを維持しても社会的に問題がないか、あるいはむしろ維持するのが上策と言えるもの。
     日方はそれらをこの10年、世界各地で見聞してきた。
     灼滅者としての戦闘能力が必要とされたことは皆無と言っていい。逆に身体能力は大いに役立ってくれたが。
    「闇堕ちもなくなって、エスパーと灼滅者なんてサイキックが使えるかどうかって違いしかねえんだ。俺達が戦う必要もなくごく普通の生活ができるってのは、そのまま灼滅者の目指した平和ってやつを人類社会にもたらせたって意味だろ?」
    「……どうしよう日方がすごく頭のいい事言ってる気がする」
    「俺だって多少は考えてることくらいあるんだよ! 頭空っぽのミジンコじゃねー!」
     えっミジンコって頭の中空っぽだったんですか、と烏芥がいまいちズレたことを呟いている。ものの例えですよ動物性のはずですから多少はなんか詰まってると思います烏芥さん、と司がひそひそ耳打ちした。
    「まあとにかくそんな話は置いといてだな、皆タイヤの空気圧いいかー。そろそろ行くぞ」
     待ち合わせの学園校門前には、午前9時の約束。時計の針はそろそろ8時55分を指そうとしていた。一行を先導する兼弘と最後尾につく日方がルートの最終確認をはじめたその背後、誰かが滑り込むようにして急停止する。
     ズサアッ、と盛大にドリフトするマウンテンバイクの後輪。急停止したせいで暴れまわる車体を押さえ込みつつも、間に合ったー! と慧樹が片腕を突き上げる。
    「皆おはよー! まさか俺を置いてくとかないよな!? どうしても皆に会いたかったから、無理矢理都合つけて来ちゃった!」
    「スミケイ遅い、もう少しで置いてく所だったぞ」
    「わりーわりー、ちょっと寝坊した。間に合ったから許して!」
     ぱたりと両手を合わせて笑う慧樹は、出発ぎりぎりの駆け込みだったものの準備は万端なようだ。
    「あれ、もしかして司サン? すっげー久しぶり、マジ今日来てよかった!! 烏芥――、あ、えっと今は彩だっけ? それマイ自転車か!」
    「はい、念願の初ロードです。慧樹君もマウンテンバイク、格好良いですね」
     そーなんだよそーなんだよ俺も初給料出た時にコイツ買ったんだー、いろいろカスタムしたり汚れたら洗ってやったりメンテナンスしたり手かけてやるだけでもホント楽しくてさー、あっ日方サンはポストカードありがとな、懐かしくて、嬉しかった! それに兼弘サンは相変わらずの筋肉、羨ましい!!
    「……スミケイも全然変わんねーなあ……しかも今日は超テンション高え」
    「本当ですね」
     からりと明るい、まっすぐな性格のまま大人になった、そんな印象が司と日方にはある。……ただしこのメンバーの中で一番早くに、しかも在学中の結婚というまぎれもないリア充であることは、つつくべきかそっとしておくべきか。

     武蔵野から多摩湖方面へほぼ直線で延びるサイクリングロードの存在は、自転車好きならば常識、そうでないなら「ああ、よく知らないけどあの細い道」程度かもしれない。
     実は東京都で一番長い直線道路であり、武蔵野市・西東京市・小平市・東村山市・東大和市にまたがっている。多摩湖から境浄水場への水路上に造られているという事もあり、高層ビルもない武蔵野台地の自然をはじめとした、沿線の光景を楽しみつつゆっくり走るにはうってつけだ。
     路上にはある程度の間隔を保って、モニュメントや休憩用のベンチ、トイレも備えられている。近隣住民の生活道路でもあるので歩行者の姿もちらほらあるが、すれ違うには十分の幅もあるので安心だった。
    「あっ日方サン日方サンなんか良さげな銭湯ある! 天然温泉だって! 帰りに寄れない!?」
    「スミケイの気持ちはすげーわかるんだけどなー、着替え持ってくりゃ良かったな」
     サイクリングロードから直接入れる、道沿いのスーパー銭湯の軒先。そこに整備された自転車置き場が妙に広いということは、多分にサイクリング利用者の需要を見込んでいるのだろう。まだ午前中だと言うのにいかにも風呂上がりといった様子の客が、飲み物片手に仲間と談笑していた。
    「夏だったらついでに洗ってそのまま着ても、普通に乾いていそうです」
     秋なのでもう陽射しはさほど強くないはずだが、司は5キロを過ぎたあたりで相当きつくなってきたらしく烏芥が苦笑している。
    「私がそれをしたらユリに怒られますね間違いなく……」
    「むしろ僕は今シャワー浴びたいくらいなんですが、駄目ですかね……」
     会話を聞きつけた兼弘が肩越しに振り返った。
    「おいおい司ー大丈夫か。まだ多摩湖は先だぞー、ほれ走れ、やれ走れ、それ走れー!」
    「あーちょっと兼弘、兼弘、次のベンチで休憩! こりゃだめだ」
     最後尾の日方が司のバテ具合に笑い転げている。
     やはりシティバイクに比べ、ロードバイクやクロスバイクといった「走る」ことに注力しているモデルとは踏むペダルの重さも関係してくるのかもしれない。それこそエスパーですらない樹のほうが先に音を上げてもおかしくないものを、逆に心配されているくらいだった。
    「す……すみません、それなりに鍛えていたつもりではあるんですが……乗る自転車の違いって大きいんでしょうか……」
     ぜえはあ言いながらベンチでへばっている司に、平行して走る西武新宿線の駅前からアイスを買ってきた慧樹がビニール袋を差し出した。
    「司サン、日方サンと自転車替えてもらったら? 日方サン、バリバリの現役なんだしハンデってことで!」
    「サドル上げたらちょっと楽にならねえかな。司もう少し休んだらこっち来て、調整する」
    「……。ちょっと行ってくる」
     笑いながら司を手招いている日方をよそに、暇を持て余したらしい兼弘が送水路の土手の高さを利用して何やらやりはじめた。元々今日はグラベルに挑むつもりでいただけあり、歩きでも一瞬上り下りを躊躇するような土手の斜面をオフロードタイヤで果敢にアタックし始める。
    「あーっ兼弘何か一人で面白い事やってる!! ずれー!!」
    「よそ見すんな日方ーボルト落とすぞー、ってあああああ」
     指摘した当の兼弘のほうがバランスを崩し、がらがっしゃんと盛大に自転車ともども斜面を転げ落ちた。灼滅者なので当然怪我などはなく、兼弘は坂の下で笑っている。
    「日方サンと兼弘サン二人で、そっちの水路の土手行けばいいよ。グラベルやりたかったんだろうし、速度ちょうどよくなんない? 司サン達は俺が見とくからさ」
    「おっスミケイその案いいねえ、日方こっち来いよ。彩はどうする?」
    「……そうですね、大変魅力的な提案ではありますが私はこちらで。グラベルはもう少し腕を上げてからの楽しみに取っておきましょう」
     ふふ、と目を細めるようにして笑った烏芥は実に楽しげだった。
     談笑しながら司の回復をゆっくり待ち、一行はあらためて多摩湖をめざしペダルを踏みはじめる。平坦な舗装路とその数メートル上を走る獣道な土手の二手に分かれてはいるものの、話の種はいつまでも尽きなかった。

     多摩湖に入る手前、数百メートルにわたる上り坂もなんとか脱落者なしに全員揃って登りきり、再び先導を務めていた兼弘が感嘆の声をあげる。
    「よーし到着。ちょうど紅葉の真っ盛りだな」
     自然湖ではなく水源として整備された人造湖だという部分もあるのか、湖周囲が公園化されている多摩湖は休日ともなれば家族連れで賑わう行楽スポットだ。特に秋ともなれば手近な紅葉見物の場としても知られている。
     まだ正午前の時間帯、家族連れを避けた木立の中を進み、兼弘は比較的斜度のゆるい場所を選んだ。目の前には多摩湖の水面と、対岸の森がよく見える。
    「遠慮するなスミケイ、こっちこっち」
    「わー兼弘サンちょっと待った待った、転ぶ!」
     半ば兼弘に連行される勢いでレジャーシートの真ん中に引かれていく慧樹の背を、司の笑い声が追った。
    「いやあ、想像以上に最後の坂が苦労しましたが、いい所ですね、ここ。久しぶりにお会いしますし、いろんな話を聞けたら嬉しいです」
    「そういや司、みかん農家になったんだったか」
    「はい。案外体力仕事ですが、自然と共に生きるのは楽しいですよ」
     自然相手ゆえに梅雨や台風シーズンには日本各地の土砂崩れのニュースに気を揉む事も多いが、手をかけた木々にずっしりと橙色の実がつき枝をしならせている光景とその達成感は、何ものにも代えがたい。
    「これ、うちのみかんなんです。よければ皆さんどうぞ」
    「わー俺今シーズン初めてのみかん! いっただきまーす」
     日方が広げるコーヒーセットの傍ら、司が持参したみかんの小山や烏芥とユリ手製の紅葉型クッキーが並ぶ。喉が渇いていたらしき慧樹がみかんを手に取っているのを横目に、烏芥があまり焼き色の芳しくないクッキーを選んで口へ運んだ。
    「そういや烏芥、今は彩って名乗ってるんだよな。この十年でどんなカラーになったか聞かせてほしいな」
    「……カラー、ですか」
     一瞬遠い目になり、ほかほかと湯気を上げるコーヒーをどこか思い出を語るような顔で烏芥は見下ろす。
    「そうですね……私のはじまりの色彩とでも申せましょうか。夕穹彩、とも表現できるのかもしれません。このロードバイクの色もそうですが」
     いずれ、心から『相棒』と呼べる日が来るかも知れないロードバイクの車輪を撫でて烏芥は淡く微笑んだ。
    「色と言えば、日方も世界中の色を見ているでしょう。何か興味深い経験はありましたか」
    「えっそこで俺に振るのかよ。なんかあったっけかな……」
     ユリの表情は窺えないが、烏芥の傍らに端座するそのたたずまいから、なにか珍しい話を期待されている気がする。ものすごく。
    「じゃあ、あれかな。ロシアから西に自転車で、こう――」
     10年振りの再会、紅葉の下での話は尽きない。
     パニアバッグに詰め込んできた軽食やコーヒーはきれいに消え失せて軽くなったけれど、帰り道はそこに、重さでは計れないものがふんだんに詰まっている。
     もはや戦いの日々は遠くなったけれど、その日々を共に過ごした仲間との思い出も、これからの絆も。それらが色褪せてしまうことは決してないのだろう。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年11月22日
    難度:簡単
    参加:5人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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