クラブ同窓会~武蔵坂軽音部LIVE2028

    作者:日暮ひかり

    ●あの伝説のけいおんOB達が帰ってきた!
     あれから季節は巡り、今年も武蔵坂学園に熱い夏がやってきた。
     10年前と変わらぬ賑わいを見せる武蔵坂学園の学園祭。この日のために用意された特設ステージでは、今でも音楽を愛する現役生徒達によるライブが開催されていた。ロック、ポップス、メタル、ジャズ、和楽器等々――同好の士が集い結成されたさまざまなジャンルのバンドがタイムテーブル毎に入れ替わり、観客達に向けて自作の曲を披露していく。
     その中に一つ、未だ生徒達は正体を知らされていないバンドの枠があった。
    「この『スペシャルゲスト』って誰だ……?」
     生徒達がステージ上に注目する中、全ての音がフェードアウトしていく。吹き上がったスモークの向こうに、何人かの人影が見えている。

     ――2013年、『バッカルコーンの秘宝』。
     陽気な海賊達の集う入江には、夜になると幽霊船が訪れるとの噂。さざ波のような淡い光が流れ、ステージ上を大海原へと変える。
     ――2014年、『百鬼夜興』。
     突然スピーカーから響いた不気味な笑い声に観客達が慄く。妖怪広場は魑魅魍魎の巣窟、寂しがりやの亡霊たちが手をこまねいている。
     ――2015年、『星降音楽書房』。
     秘密の扉の向こうで司書たちが語るのは、音と星々が紡ぐ物語。スポットライトが星明かりのようにまたたけば、そこは天の川の上。

    「おい、これ……Secret Baseじゃね?」
     音楽に詳しい在校生達がにわかにどよめき立つ。
     武蔵坂軽音部Secret Base――それは10年ほど前に武蔵坂学園で活動していたという、今や伝説と化した軽音部だった。

     ――2016年、『音楽テラリウム』。
     和やかなハーブの香りが風に乗って漂ってくる。緑に包まれた森の中、切り株に腰かけ、咲き誇る花々の声に耳を傾けた。
     ――2017年、『けいおんランド』。
     壁に映し出される影絵は楽しいアトラクションの数々。音楽遊園地を舞台に繰り広げられる、愉快なパレードのはじまりだ。
     ――2018年、『けいおんエアポート』。
     音楽と共に青春を駆け抜けた灼滅者達。その軌跡を辿るスペシャルフライトに、皆様をご案内。
     雲のようなスモークの中から現れたのは、武蔵坂軽音部Secret Base部長、万事・錠(オーディン・d01615)。その傍らにはやはり、当時の部員たちと思わしき者たちの姿が見える。
     彼らの名や顔を知る者達は沸き立ち、知らぬ生徒達も盛り上がりを聞きつけ集まってくる。止まない歓声と熱いライトを浴びながら、錠は懐かしい感覚に震える。
     俺達は帰ってきた。愛してやまなかった、あの舞台の上に。

     10年の時を経て武蔵坂に凱旋したけいおんOB達、その集大成の一日。
     全身全霊のラストライブをどうぞお聞き逃しのないように。


    ■リプレイ

    ●#1『スレイヤー』
     外科医となり、アメリカに留学し、各所で学園祭を経験したが。武蔵坂の夏は独特だと貢(d23454)は思う。今も武蔵坂で研究と人材派遣手伝いを行う祝(d23681)にとっては身近であろう空気を懐かしみ、何だか歳を取ったと感じた。
    「そりゃまあ、こんなとこふたつとないとは思う」
    「鳥辺野は……変わりないが。こう、全体的に」
    「計られるほど小さくはないんですけど!」
     手で身長計を作られた祝はべしっと突っこんだ。確かに顔は変わらないが、むしろ人ごみに埋もれずに済んでいる位だ。
    「凄い盛り上がりね……学園祭ライブはやっぱりこうでありませんと」
     ポップコーンとドリンクを持って帰ってきた雛(d00356)とはぐれないよう、エステル(d00821)はむぎゅっと抱きついて、貰ったオレンジシュースを一口。客席最前列にサイリウムを手にして『彼ら』の登場を待つ奈那(d21889)の姿が見え、舞台裏でスタンバイ中のイチ(d08927)は急に緊張してきた。
    「大丈夫? 衣装着れてる?」
     葉月(d19495)とまり花(d33326)は似合ってると笑い、イチを円陣へ引きこむ。
    「さぁて、凱旋ライブだ。皆、楽しんでこーぜ!」
    「ほな、存分に『けいおん』しまひょか!」
     ――武蔵坂軽音部Secret Base、再始動!

     突然始まった演出に現役生徒らがざわつく中、息子の正希と娘の刹希を連れて客席に紛れ込んでいた律希(d03629)と正流(d02428)夫妻が大声をあげた。
    「この曲……やっぱりSecret Baseですよ!」
    「キャー!!」
     続いて雛とエステルが大歓声を送れば、会場のボルテージはどんどん高まっていく。また、こうしてここに帰ってこれて、しかもステージに立てるなんて――わたし達、相当幸せ者なんじゃない?
     ここにいる『みんな』へ。
     マイクを回された夜奈(d25044)が、スモークの中から笑う。
    「『けいおん』のみんなと、帰ってきたよ。ただいま!」
     ステージ中央に並び立つのは着崩した蓮華の着物から黒サラシを覗かせる時生(d10592)と、紫の着物に菫の髪飾りを合わせた朋恵(d19917)のツインボーカル。藍濃淡の着物に生成の帯を締めたDJ成海(d25970)は、今や3代目となる愛用のヘッドフォンを首から耳へ。
     最前列でにこやかに手を振る奈那に皆が小さく手を振り返した。夢みたいな再演。右手と右足が一緒に出る程緊張しているが、嬉しい。イチが震える指で弾いたキーボードは時生の音に不思議と馴染み、成海の指がレコードの上を泳ぎだす。初めて人前で歌った百鬼夜興の想い出を紡ぎながら、朋恵はMCを。
    「ただいま……って、言いたくなっちゃいますね。最後まで、ついてきて下さいね! 聴いて下さい『スレイヤー』!」

     あぁ、昔と同じだ。胸を焦がすようなこの音。
     美しい花模様の着物に大きな花の髪飾りを添えたまり花の三味線が、観客に問いかけるような朋恵の歌声に新たな彩りを添える。
    「エステル、一緒にあの着物の子を応援するのよ、団扇を振って?」
    「むきゅ、雛ちゃんのお目当てはあの子なのですか」
     客席に『けい』『おん』の文字が踊るデコ団扇を見つければ、長年連れ添った三味線を奏でる手は一層艶やかに咲いた。さぁ、ご覧あれ、これが『けいおん』どすぇ――!

    『♪ I'm a human、but its not a person――』

     追い立てるアルトは渇望を暴き、響かせる打音は優しさを紡ぐ。漆黒の愛機を奏でながら唄う時生を支えるイチの音は、底辺でリズムを彩り、上空から音を降らせて旋律に立体感を与える。白シャツ・ネクタイ・ズボンの『制服モドキ』に袖を通す恥じらいも忘れ、青い着物をたなびかせるイチの表情に確かに滲む喜びを感じ取り、奈那も嬉しくて微笑んだ。
     時々曲を口遊んだり、軽く弾いてくれたことはあったけれど。やっぱり、メンバーと一緒のイチくんが一番輝いてる。

    『♪ 何が正しい選択か誰にもわからない 頭の中は答えにならないifばかり 足掻きながら 藻掻きながら 血と泥の中に 答え探している』

     初めて聞く曲。けれど、まさにあの頃の僕達を歌った曲だ――わくわくし過ぎて寝不足だった真火(d19915)も、朋恵が唄いあげる想いに目が覚める気分だった。正流も感慨深く手拍子を送る。
     夏の日差しの下、栗色に染めた成海の緩く纏めた髪から透明な雫が滴る。何時だってステージの上は眩しかった。けれど、十年越しの今日は何故だろう、ひときわ鮮やかに輝いている。

    『♪ My name is ―― Slayer』

     ――不思議ね。
     盤上を滑る指が加速する。まり花の撥が激しい奔流を奏で、音の粒が空気を揺らす。其々の魂がぶつかり合い、丸くなり、調和して――満ちる歓びのまま盤を回す成海の美しさに烏芥(d01148)は息を呑む。偶々来ていたらしい彼女の教え子が、客席の隅で茫然と立っていた。
     奏でるのは一人で充分だと思ってた。
     でもきっと、一人じゃ分からなかった。

    『♪ 大丈夫、一人じゃない』

     本当にこの歌詞の通りになった。皆と一緒だから、壊れそうな魂を抱きしめて走れた。
     灼滅者として此処にいられた喜びと誇りを胸に、朋恵は唄う。優しい歌声に秘めた情熱と、精一杯の感謝を込め、片手を空へ。
     天へ向けた一指に乗せるは希望。見知った貴方から、名も知らぬ貴方へ。客席に旦那と子供の姿を見た時生は、若干の気恥ずかしさも気合いに変え息を吸う。母と仲間の雄姿、その目に焼き付けろ――!

     衣装に添えた校章とけいおんエンブレムが煌いた。
     次世代よ。
     ――聴け! 観ろ! これがけいおんだ!

    『世界だって変えられるッ!!!』

     不可能なんて無い。灼滅者と任侠の誇りを籠めて叫んだ時生の熱い眼に射止められ、烏芥の胸は急加速する。学生時代初めて経験したライブ、音楽を肌で感じる楽しさ。忘れえぬあのステージより大人びた姿に最初は戸惑ったが、南守(d02146)は思い出した。あの強い意志が宿る凛とした瞳、確かに東郷時生だ。
     巻き戻るように記憶と今が重なる。聴いているよ、届いているよ、此処に君の声――。
     微かな余韻を残し、音が消えてゆく。まり花の双眸は遥か虚空を仰ぐ。されど確かにそこにある、熱い『何か』を見た。

    ●#2『You Can Lead it Song』
     数秒の静寂。メンバーと入れ替わるように前へ出た錠(d01615)と葉(d02409)が、ステージ上で指を鳴らす。

    『♪ You Can Lead it Song 独唱はおしまいさ 人魚姫』

     朋恵、時生、成海、まり花が手拍子と共にステージを降り、くろ丸もイチと一緒にリズムに乗って。サイドモニターにリリックが映り、客席の律希が応える形でワンフレーズを唄う。

    『♪ You Can Lead it Song 喧騒のプールサイド あいつらと待ってる』

    「お母さんステキー!」
     歩いていく律希の背に正流と子供達がエールを送る。屋台の影から現れた千波耶(d07563)と夜奈が更にワンフレーズを唄い、葉月が客席へ叫んだ。
    「さぁ、皆一つになって盛り上がろうぜ! 今この時だけは、ステージと客席の垣根はないんだから!」

    『♪ You Can Lead it Song 真夏にサンタを 寄越すような』

     彼らの最後のライブ。最後の曲。鼻の奥がツンとして涙ぐみそうな真火の肩を抱き、葉月も唄う。意気揚々とハンドクラップを牽引する錠に釣られ、手拍子をはじめる客席の様子に、これが人生初ライブの香乃果(d03135)と音楽に疎い峻(d08229)は少し慌てた。
    「あ、あの、峻さん……観客さん達の反応がすごく統率取れてるというか……応援マニュアルとかあるのかな?」
    「こういう時は周りの人に合わせて動けば良い。俺はそうしてる」
     けれど、会場の盛り上がりに引き込まれ、不安はすぐに消し飛んでいく。二人の隣でライブを見ていたイヴ(dn0012)は、この曲は一緒に歌っていいんですよと歌詞を口ずさんだ。

    『♪ You Can Lead it Song 君の旅路に敷くパレード』

     素敵な魔法にかけられて、烏芥も囁くように歌う。雛とエステルも一緒になって歌いだす。楽しそうに真似る香乃果の姿に安心して、峻も少し歌う。客席に広がり始める歌声を聴いたイチとまり花は、小さく笑んで頷きあった。細い声だって、音楽9点だって、一緒に歌えばいいのだ。
    「さぁさ皆はんよってらっしゃい、声をひとつに合わせんしゃい! ここが、今この場にいる皆が『けいおん』なんや!」

    『♪ 靴底は穴だらけ 裸足でも歩けるって気付いたよ』

     嗚呼、懐かしい――あの頃観客席の隅にいた時と変わらない感情が込み上げる。毎日学園祭みたいな学校だけど、この日の熱量は特別だ。
    「しかし鳥辺野、このサイリウムとかいうもの未だに使い方がよく解らないんだが」
    「えっ、まず点けて…………魂の赴くままにこう、な! 振ろう!!」
     手拍子に合わせサイリウムを振る貢と祝を見て、朋恵は仲間と、観客と共に歌える喜びをかみしめた。会場に響く色とりどりのハーモニー。少しでも楽しんでもらえるようにと心をこめ、歌う。
    「みんなァ! 空を見てみな!!」
     錠が示した先では懐かしのナノナノ機長たちが沢山のミニブーケを抱え、少し重たそうに飛んでいた。部員たちもいつの間にか花束を手にし、客席へ向けて投げ始める。

    『♪ 火車を払って 護り抜いた花束 五線譜のリボン結えて贈るよ』

     白い花弁が舞う。客席に降る七色の花束は、軽音部から皆へのサプライズプレゼント。巻き起こる喝采、輝く音と景色に包まれた南守は、花弁まみれになった変わらぬハンチング帽に触れて笑う。
     歌おう。楽しもう、今日だけは、十年前の学生に戻って。
     いつかの夜の出航を。いつかのちょっぴりの怖さを。星廻る夜を、遊園地を、フライトを――いつも、遠くから見上げていた。
     その泣きたくなるほどの輝きと、特別な胸の高鳴りをくれた音と、焦がれるだけだったフレーズと、今共鳴し、ひとつになる。花束をキャッチした彰(d00361)は、万感の思いで最後の一小節を口ずさんだ。

    『♪ You Can Lead it Song サウザン・クロスを なぞるように――』
     ――これが、僕等の旅路に敷くパレード。

    ●#3『マイヒーロー』
     鳴り止まぬ拍手と歓声を受けた錠は、了承を得るようにステージ上のダチ全員に視線を送った。皆はその目線に小さく頷いて返す。続いて客席。前列から後方まで見渡せば、客席のイヴと目があった。
     ――見ててくれよ、俺等なりの魔法。
     最後に傍らの葉と拳を合わせようとするも、柄にもなく感慨に耽っているのか反応が鈍い。葉がやっとぼんやり錠の方を向く。
     千波耶が愛用するレスポールの鮮やかな青が目に入った。長く伸びた髪をフィッシュボーンに結い、Tシャツに泳ぐ金魚の刺繍入りデニムを合わせた嫁の姿は、あの頃とは少しイメージが違う。
     ちーたんとこのクラブで知り合って、このクソとは事あるごとにぶつかってて……ああ、何もかも懐かしく、想い出だらけだ。自分は白シャツに武蔵坂のループタイとデニム、コイツはタンクトップに高校時代の学ランを肩がけしているから尚更郷愁を誘う。
     だが、沸き上がるこの感情はやはり――葉は不穏な笑みを抑えつつ、こつんと拳を合わせた。

    「……帰ってきたぜ武蔵坂ァ!」
     ――オオオオオオオ!!!
     錠のMCで会場が沸く中、古馴染みのガイコツマイクに手を伸ばした葉は怠そうに挨拶をする。
    「どーもSecret Baseです。久々に殺る気スイッチ入ったんで……」
     何も知らない子供達が見ている。透明なレンズを投げ捨てて、殺意を込めてにたりと嗤う。
    「殺す気でやっから、みんなも死ぬ気で楽しんでってねー」
     千波耶の前を飛んでいった銀縁眼鏡がセットに当たって大破し、会場から悲鳴めいた声援が飛ぶ。やりすぎ、と思いつつ、レスポールはヒーローショーの開幕を告げた。
    「ラストは俺等の代表曲だ。泣きたい夜に笑いたきゃ飛んでいくぜ! ――『マイヒーロー』!!」
    「ヒーローは、まだ健在だぜ!」
     錠のMCに笑顔で親指を立て、葉月も赤のピックで弦を弾きだした。細身のストライプスーツの上に輝くのは、校章とけいおんエンブレムのピンバッジ。白Yシャツにネクタイを締め、ベージュのカーディガンを羽織った夜奈も強く頷く。

    『♪ 炎天下の最前列 ビニールのおもちゃを握り締めて 誰よりあなたへ届くように――』

     チェックのショートパンツから伸びる細い両脚。長い髪をポニーテールに結った夜奈の、儚さと芯の強さを併せ持つ表情に南守はまた魅せられる。
    「いいぞ白……夜奈ー!」
     懐かしい苗字。あの日、緊張で震える指で握った桜のピック。初めてベースでステージに立った想い出の曲を、今は楽しみながら笑顔で弾けている。跳ねてアピールする祝とその横で静かにサイリウムを振る貢を見つけ、夜奈は最高の笑顔で返した。
    「ところで夜奈の結婚祝いがまだでな」
    「ああーわたしもまだです! ちょっと後で事情聴取が必要ですよこれは」
     ……何か妙な会話をしている気もするが。とりあえず、真顔でサイリウムを振る貢の動画は後で見せてもらおう、と思う。

    『♪ 俺の代わりなんていない そう想いたくてもできやしないよ』

    「キター!!」
     大好きな楽曲に思わず叫んだ雛は、一層テンションを上げて手拍子を打ちながら身体を揺らす。そんな雛を嬉しそうに眺め、エステルも一緒に手拍子を。
     切なげなギターとベースに錠の乱れ打つグルービーなアップストロークが絡み、葉が真っ直ぐに唄い上げるヒーローの哀愁が聴衆の胸に響く。ぽかんとステージ上の葉を見上げる息子達に『パパ恰好良いでしょ』とウインクを送り、千波耶は場に渦巻く熱気を煽るようにギターを弾いた。

    『♪ いつまでも帰らないチビスケに 親の居場所を問えば 素っ頓狂な答が返る』

    「……錠君、凄い」
     繰り返す日々のようにリフレインするメロディ。歌も、MCも、如何して何時もこんなに素敵なのだろう。葉の声と錠のドラムが絡み合い、刻むビートに惹きこまれ、胸がふるえる。
    「……わ、」
     おふたりとも、とってもカッコイイです。素直に溢れた烏芥の言葉に応えるように、葉は唄う。

    『♪ 「ぼくのヒーローを知りませんか」』

     ――ここにいるよ。
     千波耶は言葉なき答えを籠め、コーラスを添える。
     音楽は、そういう行為だ。
     助けを求める為、助けたいと伝える為、会いたいから、知りたいからここに立つ。
     汗と、血と、泥にまみれた青春だった。がむしゃらに駆けていたあの日々へ還ったような気持ちで、葉月は強く速くギターの弦を弾く。曲が盛り上がるにつれ、ステージを見上げる現役生徒らの瞳が輝きを増していく。
     泥臭くたって青臭くたっていいじゃないか、こうして次の世代へと繋ぐことができたんだから。

    『♪ 俺の代わりなんていない そう想いたくてもなれやしないよ』

     ――この仲間達が、変えてくれたんだよ。
     千波耶もギターを弾く。観客席にきっといる、武蔵坂に来た頃の『わたし』へ、届け。
     伝われ、と思う。伝えて、と願う。それできっと、貴方の世界が変わるから。
    「錠君達の歌は凄いだろ? なにせ感情を棄てた人間の心を震わせ、再び感情を取り戻させたぐらいだからな!」
     それは嘗ての自分の話だ、と正流は言わない。一番好きな曲に大はしゃぎする正希と、一緒になって声援を送るだけだ。十年前のあの感動を、刹希も感じてくれているだろうか。お母さんの歌も最高なんだぞ、と零れた惚気に律希も満更ではなく。
    「もう二人とも、『マイヒーロー』が好きだからって騒がないの」

    『♪ 未だこの舞台を 処刑台にしたくないから 新たなマスクに 怯えたりしない』

     かっこいい。
     かっこいいけれど、この年になって聴くと、マイヒーローは何だか少し切ない曲だ。真火は目を閉じ、そっと聴き入る。
     どうか、みんなも笑って。素敵な笑顔で、今を生きて。夜奈のベースが音の波を奏で、葉は何度となく仰いだ夏空に声を響かせた。
     ――なあ、届いてるか? 俺らの歌。
     賑やかな学園祭の記憶を辿りながら、峻と香乃果は錠が誘うまま手拍子を送る。
     学園祭の最中にふと心惹かれ、『けいおん』と出逢わなければきっと知らなかった。
     音楽にこんなにも心が動かされ、日々が音に彩られることなんて――嬉しそうな彰やイヴの姿も見つけ、葉はまた声に力を籠めた。
     裡から溢れ出す熱量をフレーズに乗せ――誰より『あなた』へ届くように。

    『――♪ 俺の代わりなんていない ヒーローを待ってる 君の声が聞こえる』

     ただただ、この音に魅せられてたなぁ――客席から見上げるステージはひどく眩しくて、イチは隣に座る奈那と共に、ひとりの観客へ戻っていた。初めてライブを目にしたときの夢を魅るような気持ちは、年月を重ねても色褪せることなく輝いている。
     音楽の楽しさを教えてくれた皆に今、ここから届ける声で恩返しを。
    「最高だよ、今日のヒーロー達!」
     南守の大きな声援が飛ぶ。舞台袖の成海もまた、生まれる音に聴き入っていた。
     そう、世界だって変えられる。私だって変えてくれた。
     ここに居る彼等が私の、“マイヒーロー”。

    『♪ 炎天下の最前列 来年度の主人公が笑う あの日の人形を抱いて――』

     気紛れで入ったクラブ、成り行きではじめた音楽が、今はこんなにも――髪を黒く染めた今も身体の奥で燻る熱を唄いきった葉がマイクを手放し、応援歌のような後奏が奏でられる。最後の一音が夏空に溶けきった時、この日一番の万雷の拍手がステージを包んだ。
     有休を取って来た甲斐があった。貢と祝はそう頷きあい、力一杯楽しんで満足そうな雛をエステルはもふもふと抱きしめた。

    「アンコール!! アンコール!!」
    「すみません、アンコールの代わりに、けいおんメンバー選出楽曲の2028年再録verCDを配布します!」
    「マジ!?」
    「下さい!」
    「おい押すなって!!」
     CDを配布する律希と正流の元に人の波が押し寄せる。皆にサインを貰いに行く所ではなくなってしまった正流に、後でもらいましょうと律希は微笑みかけた。
     律希が唯一ボーカルを務めた思い出の曲、2014年の『ハンディ』も収録されている。皆さんの、そして愛しい子供たちの心に、私のささやかな愛の歌が響きますように――そう願いながら律希は一人一人に礼を言い、CDを配る。
     十年経ってもあの日々のまま、この場所で再び出会えた仲間と共に奏でた、懐かしくて新しい大切な歌。それがこんなにも今の生徒達へ響いた事へ、心から感謝を。
     皆の歌、保育園の子供達にも聴かせたい。南守はCDを手に微笑む。なんとかCDを確保した真火と烏芥は、差し入れを渡しにステージの上へと急いだ。
    「僕らの……武蔵坂軽音部の『今』が、目一杯詰まってます。乞う、ご期待……」
     ステージ上に集まったメンバーの中には、最後の挨拶をしたイチのように感極まって涙ぐんでいる者もいる。誘いをくれた時生の前に立った烏芥の雪膚には、仄かに蒸気の彩が宿っていた。
     未ださめやまぬ感動に揺れる眸が彼女の眼と交われば、声がふるえる。けれど伝えたい言葉は、花束と共に手渡した。
    「……最高の舞台でした」
    「ありがとう!」
     その真っ直ぐな言葉に少し、涙腺が緩んだのは内緒だ。花束を受け取った時生へ、香乃果と峻は手が痛くなるほどの拍手を贈った。ライブは、皆の心をひとつにしてくれる。
     この言葉をもう一度皆へ贈れることが、彰はとても嬉しかった。
     沢山の『大好きです』と『ありがとう』を今、拍手に変えて――届け。

     ありがとう。
     あなたたちの『けいおん』が、大好きでした。

    作者:日暮ひかり 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年11月22日
    難度:簡単
    参加:23人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 5/素敵だった 8/キャラが大事にされていた 0
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ