クラブ同窓会~小春に微笑う聲

    作者:四季乃


     密やかに笑いあう、少女たちの声がする。
     背の高い書架の隙間でひとり静かに配架をしていた莫原・想々(幽遠おにごっこ・d23600)は、沈黙する本の海を彷徨うように頸を巡らせると、そろりと耳を澄ましてみた。
     静かに頁を捲る音、ほんの幽かに漏れる吐息、厚い絨毯を抜き足で往来する足音、必死にノートにペンを走らせる音。おのれという存在をなるべく主張せず、文字に没頭するひとりきりの世界が、そこには在った。
     最後の一冊を書架に戻した想々は、唇にほんのりとした柔らかな微笑を浮かべると、邪魔をせぬよう静かな足取りで書架の奥へと消えていく。

     宿敵が滅び、滅多に戦う機会も減った今、良くも悪くも殺気や刹那的な毒気が抜けた想々は、穏やかな日々を過ごしていた。
     穏やかに降り注ぐ陽光を眺めながら、ポケットから一枚のハガキを取り出した想々は、「同窓会のお知らせ」と書いた文字を眩しく思いながら双眸を緩めている。
     なんとなく、武蔵坂時代に出会った人達と、また直接話をしたくなったのだ。司書になった自分を見てもらいたい、今も元気で過ごしているよと、話したい。だから今回、自分が勤めている市立図書館のカフェスペースを、思い切って貸し切ってみた。
    「……来てくれるかな」
     胸にじんわりと広がるどきどきの痛みが、なんだか今の想々にとってはくすぐったい気がした。


    ■リプレイ


     あまい花の香りがする。
     やわらかな陽射しが硝子から降り注ぐと、それは星屑のような煌めきとなってひなたに落ちる。莫原・想々(幽遠おにごっこ・d23600)が勤める市立図書館のカフェは、四季の花が飾られた華やかさと特有の静謐さに満ちていた。
     瞼を閉じて耳を澄ますと、遠くの室内で密やかにページを捲る音が聞こえてきそうだ。
     なるたけ足音を立てぬように、けれどどこか弾んだ足取りでカフェまでやってきたアリス・ドール(絶刀・d32721)は、扉をちいさく開くと中を覗き込むようにして頸を伸ばす。
    「いらっしゃい」
     ひだまりの中で振り返った想々は、あの頃よりずっと穏やかな表情で微笑っていた。アリスはちいさな蕾が花開くような微かさで笑みを浮かべると、彼女のもとへと駆け寄って行く。
    「……そそ、久しぶり。元気だった?」
    「この通り。アリスも元気そう」
     どちらからともなく取り合った指先は、戦いばかりであったあの頃と違ってずっとやわらかくて、やさしいものだった。
    「……司書になったんだね。……そそにぴったりなの」
    「ありがとう。今日は楽しんでいってね」
    「……うん」
     十年前ならアリスの表情にこの微笑みは見られなかっただろう。
     聞けば小学校の教師という仕事の傍らで、年に数回ほど、授業を受けられない子供たちに勉強を教えるという、海外チームに参加しているらしい。たどたどしい口調は、少しばかりあの頃の名残を思わせるが、その声音と言葉はずっとやさしいものになっていた。
     司書になった想々を知って喜ぶアリスがいるように、想々もまたアリスの歩んできた十年を垣間見て嬉しそうに顔を綻ばせている。
     そんな風に束の間の二人きりの時間を過ごしていると、廊下から賑やかな声が聞こえてきた。どうやら皆、来てくれたみたいだ。


    「給仕係は今や立派なヒーロー主婦の榛名にお任せ!」
     そう言って、持参した生成りのテーブルクロスを机上に広げた蓬野・榛名(陽映り小町・d33560)は、お菓子はもちろん軽食や飲み物まで何でもござれと云った風に、慣れた手つきでてきぱき盛り付けていく。一切の無駄のない、それこそ主婦の名に相応しい、かゆいところに手が届く気遣いには思わず手を打ちたくなるほどだ。
    「ソッチも相変わらずなぁ」
     給仕に勤しむ榛名の姿に、からりと笑ったのは堀瀬・朱那(空色の欠片・d03561)だった。想々とは日ごろ連絡を取り合ってはいたけれど、直に元気な様子を見ることが出来るのはやっぱり嬉しいものだ。
     カフェの窓から覗ける図書館を見渡しては、あの中で司書として働いているんだなぁと感慨深いものが込み上げてくる。そんなことを思いながら朱那は窓辺から離れて、あちらこちらをふらりと歩く。丁度差し掛かった隣のテーブルに、分厚い本が置かれていたので手に取ってみたのだが――。
    「アカン、やっぱ仕事以外で大量の文字は無理」
     一瞬でそれを閉じた。
     小さな文字がぎちぎちと満員電車のように並んでいるのを見ると、なんだか眩暈がしてくる。一文が長かったり、テンポやリズムが合ってないと脳が理解するのにも時間がかかりそうで、すぐリタイアしてしまう。
    「癒し系ったらどんな本になるんだろ?」
     この世には数えきれないほどの本で溢れているのだ。
     一冊二冊くらい朱那が読める本があったっていいのでは? そんな事を思いながら想々に問おうと振り返ったとき、それまで無音だった店内に厳粛かつ穏やかなパヴァーヌが流れ始めたことに気が付いた。
     お? と思って音の出所を探ると、シルキー・ゲーンズボロ(白銀のエトワール・d09804)が「お気に入りなのよ」と言ってレコードの表紙を持ち上げてにっこりしている。
     手土産は特にないのだとシルキーは言うが、お気に入りのレコードはそのひとつひとつがまるで彼女を形成する欠片のように思えてくるので不思議だった。馴染みがなくとも耳に心地良い。
     うっとりするように、彼女たちは暫く音楽に耳を傾けていた。
     そんな時だ。
    「あっ! こちら地元の奥様達と共同開発した蓬ムースなのです」
     思い出したようにズイッ、とテーブルの中央に置かれたのは、鮮やかな緑色をしたスイーツだった。蓬餅が大好きな榛名のことだから、何か持参するだろうとは思ったのだけれど。
     変わらないわね、と笑う想々に榛名がえへへと頬を掻く。
    「さぁ猫ちゃん、お席へどうぞ」
     榛名が椅子を引くと、ウイングキャットの猫がひょいと飛び上がって着席した。どこから持ってきたのか、子ども用のブースターシートを乗せて高くしてやると、猫はふんすとお澄まし顔でテーブルに前足を乗せている。
     目の前に広げられた菓子は遠慮なくぱくりと頬張り、皿に淹れてもらった飲み物もぺろりと飲み干す。おかわりまで催促する、実に堂々とした様子に夜鷹・治胡(カオティックフレア・d02486)が笑っている。
    「これはこれで可愛いと思えるようになったんだ。憎たらしいがな」
     ティーカップを持ち上げて一口含んだ治胡が肩を竦めてみせると、猫の燃えるような赤い尻尾が左右に揺れる。鋭い目付きの猫に怖じ気づかず、その額をやさしく指先で撫ぜてやる想々は「イイ所で仕事してるな」という治胡の言葉に照れ笑いした。
    「家も近くて静かやから、心と体が楽なの」
     それはいい。
     治胡と朱那はうんうんと深く頷いた。
    (「莫原や学園面子の元気な顔が見られればイイと思ったが、饗しは受けなきゃ失礼か」)
     さぁどうぞ、と器に盛られた蓬ムースを受け取った治胡が「ありがとな、頂くよ」とスプーンを持ち上げると想々を見やりながら問うた。「最近調子はどうだい」
    「俺や猫は見た目そう変わってねーかもな」
    「ふふ、そうかも? 綺麗な赤い色。あの頃と変わらない眩しさやね」
    「……どんなお仕事、しているの?」
     レモンタルトを一口掬っていたアリスが問うと、治胡は相棒の手伝いをしているのだと言った。
    「翻訳や通訳で、移動することが多いヤツでさ。要人に関わることもあるが、早々物騒なコトは起こらねーから、活躍できねーのはちっと残念かな」
     ちょいと肩を竦めてみせた治胡は、ちょうどひだまりが落ちている猫に視線を落とす。ぽかぽかあたたかいひなたぼっこに興じる猫の背を掻いてやりながら、
    「や、平和ってのは有難い」
     独語のように、呟いた。
     こんなに穏やかな気持ちでお茶を嗜む日が来るとは思わなかった。
     十年、十年だ。それは決して短い年月ではない。
    「アリス、旦那様とは熱愛中かな」
     それは先ほどぽろりと零れた想々の台詞だった。高校一年生だったアリスが今は教鞭をとっていて、大学生だった榛名は主婦である。それを思うと、こうして笑いあえる時間というのは何と僥倖なのだろう。じんわりとした温かさが爪先からせり上がって隅々まで染み渡るようだった。
     そんな風に噛み締めている向かいの席で、なにやら朱那がゴソゴソと鞄をほじくっていることに気が付いた。頸を傾げると、視線のみを持ち上げた朱那がにかりと笑う。
    「差し入れるのは、どちらもあたし特製!」
     そう前置きして引っ張り出したのは、仕事で回った国々の穴場お菓子店ガイドと、色んな国のいろんな色をした空の写真をまとめたフォトブックだった。
     わぁ、と喜色を浮かべた想々が、まるで宝物を見つけたみたいにやさしい手つきでそれを受け取ると、机上に広げて一ページ一ページゆっくりと捲っていく。まるで世界を巡る朱那の軌跡を辿ってゆくようで、そして朱那と一緒に旅立ったかのような気持ちになれて胸がきゅうっと締め付けられる。
    「話綴る文字はそこに無いけれど、沢山の物語で溢れてるんよ」
     一瞬、一瞬。彼女が何を思い、何を見て、何を感じていたのかが伝わってくるようだ。
     夜明けから深更まで、ひとつとして同じ表情を見せてくれない空の七変化。
    「いつか自分の目で確かめに行ってみてな」
     テーブルに頬杖を突いて、あの頃と変わらぬいつもの笑みを浮かべる朱那に、双眸がやわく緩む。久々の帰国である朱那の思い出話は、何だか寝物語を聞いているように感じられた。気取ったり、飾られていないストレートな表現がすんなり耳に入って想像しやすい。明るい空色の瞳がわくわくした面持ちで語るのを、榛名が嬉しそうに聞いている。
    「様々な場で活躍する皆さんのお話は、平凡なわたしにはとっても刺激的です」
     ぽつりと零れた榛名の言葉に目を瞬かせた彼女らの視線が集まる。その視線に照れたように「わたしへのお薦め本はなんでしょう?」と榛名が身を乗り出した。
    「普段は料理本や児童書、冒険物ばかりで……違うジャンルにも手を出してみたく!」
     すると想々は人差し指を頤に添え、彼女の好みや性格に合わせたものをいくつかピックアップしていく。普段手に取らない、それでいて読みやすさを意識したもの。頭の中にある書架から本を探していると「ハッ!」と榛名が息を呑んだ。
    「あの、想々ちゃんが時々読んでるキケンな恋愛物とかは、榛名人妻なので、こう……躊躇しますね!?」
     両手を突き出してブンブン頸を振る榛名の焦った様子に、目を丸くした想々たちは、
    「榛名さんてば、えっち」
     顔を見合わせるとくすりと笑う。
     ひえー、と真っ赤になった火照る顔をパタパタ仰ぐ榛名を見て、たおやかな笑みを浮かべているシルキーが便乗したように小首を傾げてみせた。
    「貴女も知っての通り、私普段は小説の類を余り読まないの。だから、そうね。面白い話を見繕ってくださる?」
     パッと顔を輝かせた想々は「もちろん!」と胸を張った。
     二人は毎日といっていいほど顔を合わせていた。だって想々にとってシルキーは大好きなおねえさま。彼女が往くならば想々は何処へだってお供する。
    「改まった席で見えるとまた違う趣がありますね。緊張してしまうわ」なんて笑う彼女の仕草すら大好きだ。想々は再び頭の中の書架を駆け巡って一冊、二冊と本を選んでいく。
    「教えてくれた本は演奏旅行の合間に読もうかしら。嗚呼でも、それだと着いてきてくれる貴女が手持ち無沙汰になるかしら」
     ほとりと頸を傾げたシルキーが長い睫毛を伏せて思案すると、想々が思いついたように両の指先を重ね合わせた。真似するみたいに小さく頸を傾げ、
    「世界のおいしいもの、もっと食べたいなぁ」
     とおねだりする。
     旅に連れて行ってくれるシルキーへの、それは可愛い甘えであった。
    「シルキーさんはどのようなお仕事を?」
    「私はこの10年の間、演技も歌も出来るアーティストとして活動していたの。あとはファッションブランドの経営に手を出したりもして、目まぐるしかったのだけれど」
    「おぉー、っぽい」
     感嘆の声を上げる榛名と朱那に、シルキーはふんわり笑ってみせた。決して嫌味ではない、彼女だからこそ窺える挙措に感服しきりであった。


    「……依頼でカラクリ屋敷に行ったの覚えてる?」
    「もちろん!」
    「……修学旅行でイルカとキスしたら、そそ、驚いてたよね」
    「ふふ、そうだった。懐かしい……あのイルカ、元気にしてるかな」
     カフェオレの入ったティーカップで掌を温めるように両手で持っていたアリスは、みながおかわりするのをなんとはなしに眺めている。そうしてふと、想々の方を見上げると、
    「……最近、2年生の生徒に読み聞かせをしてるの。……ワクワクドキドキするようなお話の本はないかな?」
     そわそわした面持ちでそう、訊ねた。
     小学二年生と言ったらまだ幼さの残る頃合いで、夢と希望に満ち溢れている。
    「あるわよ。とっておきの本が。ああでも、たくさんあってどれからオススメしたらいいのか、迷っちゃう」
     何だか想々の方が楽しそう。きっと司書として役に立てる自分が嬉しいのだろう。クリスマスと誕生日とお正月が一度に来たみたいな胸の高鳴りに、気持ちが追い付かない。
     そうしてふと、思うのだ。
    (「あの頃の私が死んだようで、それがよかったのかわからない」)
     十年前の自分が、今の自分を見たらどう思うだろうか。
     人の想いが詰まった聲の地層、美しい言葉の海。揺蕩いながらもゆるやかに、懸命に、漂うでいて確かな目的をもって進む”今”の自分。
    「私、此処で、なんとか生きてます」
     知らず口から漏れた言葉に、みなが笑む。
    「貴女との穏やかな日々は変わらぬ侭。これからも共に生きていきましょうね」
     そっと肩に触れたぬくもりに睫毛を伏せる。そうして振り返った視線の先。日陰の青い廊下に、同じように刹那に生きた彼女が、この場に居た気がした。ふと何かの気配感じて振り返ったのは治胡も同じだった。
    (「気の所為、か……」)
     眇めた赤い瞳には無人の廊下が続くだけ。
     まるで掻き消えるような霞のそれに気付かない。ハレルヤ・シオン(ハルジオン・d23517)が、気付かせようとはしなかったから。

     殺(コワ)そう、と思った。
     居場所なんて初めから無い。両親が目前で死んでから、世界がはじめて色付いたのだ。
     快感。
     幸福。
     求めるモノが何かを知った。世界から外れたピース。ヒトの世界でイケナイと理屈で知っても、我慢はとてもむつかしい。
     きっと敵を用意してくれる学園は居心地が良かった。自分を正当化出来て都合が良かったし、生きている実感を覚えられた。それは常に、日頃から、飢えることを知らずに生きていた。
     ソレが無くなってしまった。生き場所が失くなった。
    (「詰らない」)
    (「苦しい」)
     だから――逃げた。昔の誰かの声を振り切って、逃げて逃げて逃げて――。
     そうして一番強いのは、灼滅者達になった。頭の隅で、ぼんやり考える。
     今回の依頼は反灼滅者組織からで、口実で殺合えると心が躍った。折角だからと知り合いをと同窓会場に忍びこむのは実に容易くて。その機会を今か今かと待っていたのだ。
     けれど再会の抱擁から始まって楽しいお茶会、本のプレゼンに近況報告。そのどこにも血沸き肉躍る戦いの欠片もない。様子を伺ううちに段々とハレルヤの心は白けてきた。
     詰らない毎日に慣らされた嘗ての同胞たち。
    (「ボクをその儘受入れてた×××が、被った」)
     ああ、なんてここは眩しいのだろう。
    「飽きちゃった」
     詰めていた息を吐き出すように呻いた。
     立ち去るしか、なかった。それしかなかった。
    「ねぇね、ミンナの写真、撮らせてもらってもイイ?」
     沢山の本と甘味と笑顔。朱那が立ち上がる気配を感じ、ハレルヤはそっと影の暗がりに身を翻す。あの空気を壊せない、壊してはいけないのだと、心のどこかで分かっていた。多分、そんな気がするのだ。

     十年という年月は平等に流れていった。
     それが良い結果だけを生んだのかは分からない。けれど生きていくのだ、これからも。あの頃の戦いを決して忘れはしないだろう。咽びたくなるような日々を刻んだまま、彼女たちはそれぞれの未来を歩んでいく。

    作者:四季乃 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年11月22日
    難度:簡単
    参加:7人
    結果:成功!
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