クラブ同窓会~桜花想送

    作者:牧瀬花奈女

     桜の季節が、また巡って来た。
     京都へ、夜桜を見に行こう。
     先に言い出したのがどちらだったのか、薙乃も蒼刃もよく覚えていない。ただ、灯火に美しく照らし出される花々を、二人で共に見たいという想いは同じだった。
     霜月家で暮らす二人は、以前も京都の夜桜を見に行った事がある。
     それは、彼がまだ、兄だった頃。彼女がまだ、妹だった頃。兄の言えぬ想いはすれ違いを生み、妹の素直になれない気持ちは小さな溝を生んだ。
     けれどそれから長い時間をかけて、二人の関係は少しずつ変化して行った。
     二人にとって、桜は思い出の花だ。
     まだ記憶もおぼろな、初めて出会った頃、二人で見上げた花。
     兄が、彼女をずっと守ると決めた誓いの花。
     今、新たな関係で、もう一度思い出の花を二人で見たい。まだ名前の付かない関係を見詰め直し、未来について話すために。
     今宵、満開の花を咲かせ、明日には儚く散って行く桜は、二人の想いを優しく見送ってくれる事だろう。
     ――柔らかな光を浴びた桜が、二人を待っている。


    ■リプレイ


     桜を夜に浮かび上がらせる照明の光は思いの外柔らかく、通路や周囲の下草をふわりと照らしている。幻想の世界に生きているかのようなソメイヨシノ達は、満開の花を咲かせて薙乃と蒼刃を迎え入れてくれた。
     騒がしさを感じるほどではないけれど、時折誰かのはしゃぐ声が耳を打つ。皆が思い思いに過ごしている様を見て、薙乃は昔を思い出した。蒼刃と一緒に夜の桜を見た、幼い頃の事はよく覚えていない。だが、十代の時の事はくっきりと脳裏に描ける。
     ねえ、蒼刃。薙乃は隣を歩く人へ、静かに呼び掛けた。数年前に変わった呼び名は、まだ少し慣れない気がする。
    「学生の頃、色んなところに行ったよね」
    「ああ……そうだな」
     ふっと、蒼刃の表情が和らぐ。
     武蔵坂学園に通っていた当時は、二人で色々な場所へ行った。二日に渡る学園祭。その締めくくりの後夜祭。ソメイヨシノの下で写真を撮る二人連れの姿が、当時の武蔵坂の生徒と重なって見える。
     蒼刃の視界に、片手で狐を作って、傍らの相手に話し掛けている少女の姿が映る。吐息が白く煙った日の事を、蒼刃は思い出した。
     薙乃と二人、小人の人形を手にした姿が、桜の木の下にひっそりと見える気がする。
    「クリスマスに、小人たちを通じて内緒話をしたこともあったな」
    「あの時は……いずれ兄さんとは離れ離れになるのかなって、思ってた」
     久方ぶりに出た『兄さん』という呼び方に、懐かしい思いがこみ上げる。妹を頼ってもいいのだと話す薙乃の小人に、返って来たのは戸惑いだった。そして、蒼刃の小人は、薙乃が高校を卒業した時には話さなければいけない事があると告げた。それが、二人の別離に繋がる気がして、薙乃は薄闇の中に不安を隠したのを覚えている。
     兄として、妹として過ごすクリスマスの数が重なる度に、目に見えない残り時間が減って行くように思えた。
     今となっては、当時の胸の痛みも、懐かしさで包まれているのだけれど。
     風が吹く。花冷えと言うのだろうか。もう寒さの季節は過ぎ、花が咲いているというのに、時折思い出したように吹き付ける風は冷たい。
     冷えた指先は、冬の記憶を呼び起こす。ざあと鳴った枝を見上げれば、舞い散る花びらの中に、薄紅をまとったかつての自分が映る。
    「屋上でバレンタインのチョコレートを渡した時の事、覚えてる?」
    「ああ。忘れる訳がないだろう?」
     蒼刃はまるで気付いていなかったけれど、あの時の薙乃は素直に自分の気持ちを伝える事が出来なかった。まだ兄と妹であった当時。感謝のチョコなのだから普通に渡せばいいだけなのに、薙乃はタイミングを掴めず、夕方に屋上へ蒼刃を呼び出したのだった。
     自分の気持ちを偽らずに伝えたい。ただそれだけの事が、薙乃には強敵と戦うよりも難しかった。
     友達のために作ったものが余ってしまったから。兄がバレンタインに一つもチョコレートを貰えないなんて、妹として恥ずかしいから。果ては、蒼刃はいい男と呼ばれるにはまだまだ、等と憎まれ口と取られても仕方のない事ばかりが声になり、一人になってから落ち込んだ。そんな薙乃にも、蒼刃は優しい笑顔を見せてくれ、夕飯の買い物にも付き合ってくれた。
    「あの時のわたし、色々と酷い事を言っちゃったよね」
    「それでも、俺は薙と過ごせて嬉しかったよ」
     口元を綻ばせる蒼刃の表情はあの時の笑みに似ていて、薙乃は胸の奥がじんわりと熱を帯びるのを感じた。
     風が軽く吹いて、花びらがひとひら薙乃の肩をかすめる。見上げた夜空の色は、いつか訪れた夜の水族館に似ていた。桜を照らすライトの隙間。ほんの僅かな暗がりに、尾びれをひらめかせる小さな魚が見えた気がした。けれど、二、三歩進んだだけで、その幻想はふつりと夜に溶けてしまう。
     あの時は、蒼刃の言葉にむくれて、それでも手が触れ合ったのがくすぐったくて。急いで見に行ったペンギンのあどけなさは、今でも鮮明に思い出せる。
     小さな子供特有の甲高い声が、桜の間に響き渡った。その声は何かをねだっているようで、何処かに土産物を売っている場所があるのかと蒼刃は思う。
     かさり。かさり。足元から響く硬い音に、蒼刃は目線を下げた。舗装された通路に伸びる桜の影の中に、ふと橙色の実が転がり出る。
     瞬きする間に消え去った橙は、ある夏の記憶を呼び覚ます。
    「ほおずき市にも行ったよな」
     全額自分で払うと言い張る薙乃を、二人で育てるのだからとなだめて半分ずつ出し合ったのが懐かしい。薙乃も同じ場面を思い出したのか、頷きながら小さく声を立てて笑った。
     はらと落ちる花に頬を撫でられ、薙乃は丸い光を受けて輝く桜を見上げる。そっと隣へ目をやれば、蒼刃も足を止めて同じ樹を見ていた。
    「夜桜も、見に行ったな」
     微かな風に乗せるような声で、蒼刃が囁く。耳の奥に蘇るのは、ぎっと動く櫂の音と、静けさに混ざり込む水の音。ぞっとするほど綺麗なのだと言われた、薄紅の夜桜が眼前の桜に重なって見える。
    「あの時だっけ。わたしを優先しなくていいって言ったの」
     夜の花見に誘ったのは、薙乃の方だった。日常という境を越えた場所でなら、素直になれる。そう思って誘った場で、薙乃は自分の思いを告げた。もう、わたしを優先しなくていいと。大切な誰かが出来たら、応援したいとも。
     薙乃の事にばかりかまけて、自分の人生をないがしろにしているように見える蒼刃が心配だった。薙乃を一番に据えるあまり、自らの幸せを手放してしまう気がして。
    「あの時の俺は、情けなかったな」
     言えない想いをぎゅっと内に押し隠していた蒼刃は、もう薙乃に自分は必要無いのかと思ってしまった。守りたい気持ちは、自分の我が儘なのかと。兄としての自分がいなくとも、薙乃は一人で立って行けるのかと。
    「わたしは、兄さんに自分の人生をまっとうして欲しかったの。わたしのことばかり考えてないで、ちゃんと自分の道を見て欲しかった」
    「分かっているよ。でも、あの時の俺にとっては……俺を独り立ちさせるためだとしても、薙は俺がいなくても大丈夫なんだなって、思ってしまったんだ」
     真正面から吹き付けた風が、あの時感じた冷や水めいた冷たさを蒼刃に思い起こさせる。
    「そういうとこ、微妙にすれ違うよね、わたしたち」
    「本当に、きちんと話し合っていれば、もっと簡単に解決していただろうに……」
     薙乃は蒼刃の重荷になりたくなかった。蒼刃は自分の想いで薙乃を縛りたくなかった。
     大切だから。愛おしいから。だから、離れなくてはいけないと、互いに信じ込んでいた。相手を思い遣るが故のすれ違いは、随分と長く続いていた気がする。
    「わたしたち、同じようなことを思い悩んでいたんだね、『兄さん』」
     ふっと微笑んで、薙乃は視線を桜から蒼刃へと移した。
     ずっと素直になれずに過ごした沢山のイベント。うまく言葉に出来なかった事。それはいくつも薙乃の胸を去来する。過去の自分を思い出せば、赤面したくなってしまう事だってある。
    「でも『兄さん』を、蒼刃を、とても大切に想ってはいたんだよ」
    「俺も、薙を大切に想っていた事だけは、ずっと変わらない」
     互いに笑みを交わし合い、蒼刃はまた、はらと降って来た花びらの来し方に目を向けた。少しだけ長く閉じた瞼の裏に、湾曲した刃の周囲を舞う、血の色をした花びらが浮かぶ。
    「……だから、薙が闇堕ちした時は心が潰れるかと思った」
     それは、密室に捕われた人々を、共に戦った仲間を、温かい場所へ帰すために薙乃がした決断。優しさ故の選択だと分かっていても、蒼刃は自分が暗闇に捕われたような感覚から逃れられなかった。
    「あの時は、蒼刃だけじゃなくて、たくさんの人に心配かけちゃって……反省したな」
    「今はもう、そんな心配もいらないんだと思うと、安心するよ」
     薙乃を闇から救い出せた時、二度とこんな思いはしたくないと思った。しかし、薙乃の優しさは、また闇を呼び込むかもしれない。そんな心配がもう杞憂なのだと思うだけで、蒼刃は今の世界に感謝したくなる。
     激変したとも言える世界とは違い、ずっと霜月家で共に暮らして来た二人には、いわゆる劇的な変化は無かった。けれど緩やかに、静かに時を重ねて、二人の関係は少しずつ変わって行った。『兄』は『蒼刃』に、『妹』は『薙乃』に。二人の間にあった想いは、今宵の桜のように暖かく花開いた。兄と妹とは違う、新しい家族になるために。
     はらはら。少しずつ落ちる花びらを見ながら、ぼうっと柔らかな光の灯った桜の道を進んで行く。
     年配の夫婦と思しき二人連れに道を譲ってから、蒼刃はふと人影の少ない通路を見付けた。案内板によると、この先にはシダレザクラがあるらしい。
    「薙、こっちにはシダレザクラがあるみたいなんだ。行ってみないか?」
    「そうだね。あんまり人もいないみたいだから、ゆっくり話せそうだし」
     頷いた薙乃を連れて、蒼刃は小道へと足を踏み入れた。


     シダレザクラを取り囲む小道は、少しばかり入り組んでいた。天上から降り注ぐような、小花に染まった枝を、ふわりと柔らかい光が下から照らしている。
     他にもこの小道へ誘い込まれた人々はいるらしく、微かな人声が遠く聞こえた。しかし話の内容までは聞き取れず、耳に意識を集中させていないとすぐに風や枝の触れ合う音に掻き消されてしまう。まるで、大切な人と特別な話をするためにあるような空間だ。
     静かに小道を歩く度、ソメイヨシノの側と同じように、かつての自分達の影がシダレザクラの合間に見え隠れする。しかし奥へと進むに従って、その影は少なくなり、やがて夜に溶けるように消えて行った。
     小さな歓声を上げ、薙乃は一際見事なシダレザクラの前で足を止めた。薙乃の髪の色に似た、薄紅の花をまとった枝が、幾筋も降り注いでいる。蒼刃を振り向く様が華奢な花の中へ溶け込んでしまいそうに思えるのは、愛しさ故の錯覚だろうか。
     薙、と呼び掛け、蒼刃は薙乃の手を取った。壊してしまわないように、優しく。
    「これからも、二人で幸せを積み重ねていこう」
     まっすぐな漆黒の視線に少し頬を染め、薙乃はふわりと笑んだ。
    「えっと、二人じゃなくて三人ね」
    「……って、え? 三人……!?」
     目を瞠る蒼刃に少しの照れを感じつつも、こくりと頷く。
    「……赤ちゃんが、生まれるから」
     蒼刃の瞳が瞬きを繰り返すごとに、最初の驚きが消えて、笑みを形作る。薙乃の手を取ったまま、蒼刃は二人並んでシダレザクラを見上げた。かつて薙乃を守ると誓った花を、新たな気持ちで見詰める。
    「今度はもう一人、小さな命を加えて、俺たち家族の幸せを全力で守って行く事を……俺は、ここに、この花に改めて誓うよ」
    「三人で幸せになろうね」
     風を受けた桜の枝が、三人の家族を祝福するように優しい音を奏でた。

    作者:牧瀬花奈女 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年11月22日
    難度:簡単
    参加:2人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 0/素敵だった 3/キャラが大事にされていた 0
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ