クラブ同窓会~空の燈

    作者:中川沙智

    ●陰と灯りの狭間で
     燈屋。
     それは地方のとある温泉宿。小さ過ぎず大き過ぎず、程良い規模の佇まいが昨今話題になっている宿だ。
     歴史ある風情が美しい建物で、日中は勿論だが、特に日が傾きかけた頃に玄妙な陰日向を形作る。趣深い光がその手摺ひとつとっても柔らかく包み込む。日本建築の伝統を色濃く映し出すのだ。
     そのため宿では、訪れる客には夕方のチェックインを勧めている。
     日が沈む頃には、建物の随所に備え付けられている蝋燭に灯火を齎す蝋燭番が働き出すのだとか。元々蝋燭番と言えば中世の屋敷に尽力したという職業だが、その技が発揮されるのに東洋も西洋も関係ないのだろう。
     そうして蝋燭が尽きるまで、夜半まではずっと宿の情景を楽しむ事が出来る。
     夕方は陽光の、夜は蝋燭の光に晒されながら、障子が、畳が、襖が、屏風が。季節の葉をあしらった坪庭が、しっとりとした佇まいの客室が、静謐な空気こそを味わう喫茶室が。 深遠たる奥行きを映し出す。まるで異世界を訪れるような、神隠しに合うような感覚を全身で楽しむ事が出来るだろう。
     食事も秋の味覚を中心にきめ細やかな仕事を施したもので、きっと何を食べても美味しいと感じられるに違いない。
     光と陰のあわいに浸って、こころ溺れるほどに迷い込んだならば。
     炎の揺らめきひとつ掬って、肺腑に落とす事だって許される。
     ――焔に透ける硝子の耀きがあるのなら、尚更。

     天に翼を広げるのは、白い烏であった。導かれるように歩を進めれば、白い青年との邂逅が叶うだろう。
    「……催し、と言っていいのでしょうか」
     奇白・烏芥(ガラクタ・d01148)が控えめに案内を手向けたのは、燈屋という宿でのひとときについてだ。
     昔、彼が武蔵坂学園の学園祭でも手掛けていた硝子細工。個展を開くなど卒業後も携わっていたのだが、学生時代に縁があった燈屋にて、いわゆるコラボ企画が行われることになったのだという。
     曰く、宿の随処に硝子細工の蝋燭を展示する事になったのだとか。
    「……主に広めの客室で行われます。蝋燭を囲い乍ら食事や歓談を行い、ゆったりとした時間を味わって頂ければ、と」
     灯りに浸りながら、茶を嗜むのもいい。庭で紅葉の盛りを見るのもいい。
     当然硝子細工の蝋燭を注視するのも楽しい。心に触れた燈りを見出したなら、ひとつ持ち帰る事も出来るらしい。
     嘗てを懐かしんだり、近況を話したり、未来の約束をするのもいい。
     白い青年は君の訪問を知っていたかの様に微笑みを深め、歓迎する事だろう。
     「……何彩の空が好きですか」
     きっと感慨がこころに打ち寄せるだろうから。
     硝子に燈りに想い出を映して、共に語ろう。


    ■リプレイ

    ●天
     平穏に馴染んだ世界も、何時かのように飴色に浸っていく。
     燈屋。
     白い烏に導かれるままその宿に訪れた客が、ひとりふたりと増えていく。まるで夕宵に星がひとつふたつと瞬くように。
     受付ロビーにも既に硝子の燈火は据えられていて、夕暮に融け込む様は既にそれ自体が芸術品だ。
     チェックインカウンターが混み始める頃、白儚む容貌の青年が出迎える。
    「……いらっしゃい、翔」
    「お招きありがとう。ああ、やっぱり思った通り、燈屋と彩の硝子細工は相性がいいな」
     鴻崎・翔(殺人鬼・dn0006)が視線を巡らせる。先日のブレイズゲート振りだから、さして久し振りという感じもしない。タイムカプセル開けるのも楽しみだなと、当時の顔ぶれに開封日を連絡したのもついこの間だ。
     雑談に興じるうち、精悍な面持ちの彼が姿を見せる。
    「お、ちょういいタイミング。お疲れっ」
    「……日方も。姿を見られて嬉しいよ。ほうじ茶を用意しているから、良ければ是非」
     女中姿の仲居に交じって揺籃が差し出すのは香ばしい湯気漂う一杯。
     ちょうど紅葉の盛りだ。繁忙期ど真ん中にあたるこの時期にコラボを催すのは、即ち烏芥の作品が認められている証左なのだが、果たして本人は自覚しているのかどうか。
     日方を皮切りに次々と客が訪れる。烏芥の視界に入ったのは一組の夫婦だ。
     ふと見かけた個展の知らせに載る名は、十年前に時を戻すようだった。銀の双眸が細められる。
    「……明莉君、ミカエラ君。御無沙汰しておりました」
    「いつかまた話をしたいと思っていたから、実現出来て嬉しいよ」
    「烏芥とは、武蔵坂に来てすぐのころ、よく顔合わせてたよね! まぁ、すっかり大きくなって~♪」
     近所のおばさんのように賑やかすミカエラの傍らで、明莉が差し出したのは白桔梗を主に据えた和の花束だ。受け取り喜ぶ烏芥を見て、明莉は彼と話した時の事を思い出す。
     個人的な付き合いがあったわけではない。しかし何時かの日に、教室の片隅で戦法や戦略について意見を交わし合った事を鮮明に覚えている。
     静かに真摯に意見を述べるその姿勢に、肩を並べる仲間として、確かな安堵と信頼を抱いた。その縁が今日に続いている奇跡は実に喜ばしい。揺蕩う空気は只管にあたたかかった。
     そして明莉と同様の心持でいた人間が、もう一人。
    「白烏さんと素敵な催しに惹かれて来たわ」
     眼鏡越しに常盤の瞳を緩め、そう一礼した彼女に面と向かって相対した事はない。
     しかし、知っている。互いの芯根から芽吹いた縁の色を知っている。
    「……いらっしゃいませ」
     烏芥が居住まいを正せば、時生は口許を綻ばせた。
    「思い出話をする程の縁は有る、と言えるのかしら。でも」
     向き直れば学生時代の記憶が鮮やかに蘇る。だから、知己の如くに言葉が紡がれるのは当然だ。微笑みは深い。
    「私のクラブ『花筏』の学園祭出張店舗に、毎年訪れてくれてありがとう」
    「……いいえ、此方こそ。Secret Baseの皆様の演奏もまた素敵でしたね。そういえば凱旋ライブの御招待も嬉しく、大変満喫させて頂きましたと、心から」
     繋がる縁からは芽が出て、瑞々しい双葉が覗いている。それは夕暮れに満たされはしても、決して枯れる事のないものだ。時生は噛みしめるように思い出を辿る。
     灯りが燈ったのは重ねた日々に。
    「かつて私が貴方のクラブで得たランプ、ずっと大切に、今も使っているのよ」
    「……それは、……本当に嬉しくなると、何と言葉を形にすれば良いか分からなくなりますね。有難う御座います」
     少しでも楽しい時間を。そう手向けたならば首肯が返る。
     茜色がゆっくりと融けていく、秋。

    ●霄
    「初めて来たけれど、この宿の風情はすごいね」
     視線をぐるり巡らせて、勇弥は感嘆の息を零した。カフェ店主としての経歴は長いが、いつだって他所の美点を自分の店に活かせないかという観点で眺めてしまう。だからつい瞳を輝かせてしまうのだが、隣で幼馴染が喉を鳴らす。
    「とりさん、そんなに口を開いたまま上を向いていたら埃を食べるよ」
     苦笑飛ばしつつ、さくらえは嘗ての訪問を思い返し、懐かしさで胸を満たす。
    「燈屋さんには、以前、妻と来たことがあるんだ」
     この場所も烏芥の作品も、どちらも趣深く興味は尽きなかったから。
    「今、こうして時を経てまたご縁がつながったのはすごく嬉しい」
    「……痛み入ります。お茶、如何ですか」
    「ああ、ありがとう。……お、ユリさん、見事なお点前で」
     喉を潤す茶に勇弥は破顔する。揺籃が嬉しそうにはにかんだ。ロビー、もとい受付所の休憩処で寛いでいたが、灼滅者は勿論エスパーも多く滞在しているようで、割合賑やかだ。懐かしさを反芻する。
    「昔は俺がカフェでもてなす側だったけど、いつも心から楽しんでくれているのが伝わってきて嬉しかった」
    「……そんな、滅相もない。皆様は御元気ですか」
    「カフェも俺もあの頃から変わってないかな。時々オープンテラスを開いたり、あの頃からの仲間も遊びに来てくれるのは有難いよ」
     確かな日々を重ねた勇弥の面差しには年齢相応の落ち着きが宿っている。しかし芯にある熱意は今も変わらない。
     そんなぬくもり漂う蝋燭と硝子が揺らめく世界に、新たに青髪の男性が訪れた。学園祭企画の不思議な彩を思い出しながら歩めば、幻想的なあわいに今でさえ浸る心地。
     共に肩を並べて共闘した烏芥が立派な個展を開いている。その事実に感慨はあれど、違和は決して覚えない。勇弥やさくらえと談笑する様を眺め、優しく睫毛を伏せる。
    「……あの頃と同じ笑顔」
     誰かの心を感動させるものづくりの想いはずっと変わらないことに、感心する。
     サズヤのぼんやりとした顔貌にも穏やかな喜色が滲む。後で、挨拶に赴こう。それまではゆっくり燈屋の灯りを辿ってみようか。
     昭子と純也も燈屋の回廊をそぞろ歩き。昭子の手首の細組紐に結われた鈴が、凛と鳴る。
     かたや所在不明になりがちな作家、時々灼滅者。かたや一般高校の現文教師。ふたりの間に漂う空気は変わらない。不変というより悠久。とわにめぐるもの。
     あたたかなもの。
     視線を合わせて、どちらともなく微笑んだ。
     どこか懐かしさ感じるささめく灯りに包まれて、硝子と燈火の饗宴をのんびりと見て回ろう。

    ●宙
     穏やかな時間が流れる。
     宿自体が持つ空気もそうだろうし、烏芥本人の気質も影響しているのだろう。皆一様に静かに慎ましやかに、灯りと煌きの揺らめきを楽しんでいる。ソープフラワーや桔梗を始めとした白の花束は部屋の片隅に飾られている。
     烏芥は暮空の眼を和らげる。日方が茶を嗜みながらその様子を見て、古時計に視線を向けた。もうすぐ夜だ。彩は夜が怖かったんだよなと確認するように日方が呟けば、烏芥もゆっくり睫毛を伏せる。
    「……俺が初めて見た空なんだ」
     眠るのが、夢に堕ちるのが恐ろしかった。それは影狩人の宿命故かもしれぬ。
    「……けれど、昏空の向こうにユリが居るのだと思うと」
     其方に惹かれる気持ちも、存在した。伸ばしかけた手を胸元へ戻す。かんばせを覗くように窺う日方に、烏芥は笑みを返した。その隣で翔も様子を見ている。
    「……ふふ。今は大丈夫だよ」
     名を呼び、留めてくれる君達が居るから。
     硝子越しに見透かすは、人のあたたかい心なのかもしれない。
     特に多くの硝子細工が並べられた客室は、優しい耀きに満ちていた。漏れる感嘆は柔らかく、どの子を引き取ろうか悩ましい声もちらほら聞こえる。
    「さっきとりさんは『変わってない』って言ってたけど」
     思い描くは夜空の静けさ。さくらえが夕闇色の泡硝子に注いでいた視線を、勇弥に向けた。幼馴染だから当然付き合いは長い。だからこそ、伝えられる事がある。
    「『変わってない』というのは……実はその内に沢山の変化を伴ってるんだよ。変化し続ける中で『変わらない』状態を保つためには、変わる以上にエネルギーがいるからねぇ」
     さくらえが零した言葉の意図を掬い、勇弥は困ったように照れ笑いを零す。
    「そんな大層に言われると」
     頬を掻き、でも、と言葉を紡いだ。ずっと側で見ていたからわかっている。だから、声には自然と実感が籠められた。
    「怖がらずに変わり続けたから、さくらはその手に沢山の幸せを招き寄せることができたんだよ」
     泡硝子を満たすチップキャンドルが、あたたかい光を燈す。それに照らされたのは瞳の赤か、将又。
     さくらえの微笑みは緩やかで、和やかだ。
    「だから、有り難いなって」
     手を灯りに晒す。指の隙間から光の欠片が零れた。
    「この燈屋さんが、奇白さんの作品が、とりさんが作る場所があるからこそ。変化する事を怖がらずにいられるから」
     ひとたび瞬いて、勇弥ははにかむように唇を結んだ。視線を向けるのは夕闇の隣に佇むランプ。隣に在りながら闇を拓き、しかし確かに共存しているひかり。
    「俺はこの灯りが一番、惹かれる」
     今の心に浮かぶ朝空のようなそれに指先を寄せた。
     ――これからも変わり続ける世界やさくらのようで。
     そう告げれば、お互い頬を綻ばせた。
     燈が影をも玄妙に浮かび上がらせる頃合い、昭子のまなうらに巡るのは嘗て在籍していた学園の、特に賑やかな祭りのひととき。
    「あそこで静かに拾い上げる彩が、烏芥くんのせかいが、好きだったのです」
     例えばあなたと硝子時計を見出した事もあった。思い出の共有は言わずとも。敢えて口にするような無粋は不要だ。
     それでも噛みしめるのは、今を紡ぐ光の行方。
    「純也くんは、いかがでしたか。いま拾う空の彩は、十年前とは違うでしょうか」
     同感を戴いていた最中に向けられた問いに、純也は暫しの間を置いた後告げる。
    「違う」
     思い描くは硝子細工が宿すきらめき。繊細な意匠のそれを、壊しそうだと思った事もある。
     もし仮に。
     空海を同じ色変え深いものとすれば、既に青は手元にあると続ける。異国の塗料。
     穏やかな芸術と憩う場で、硝子の中で挙げた夜朝と異なる色を言う。筆と時計。
     黒犬周りを賑やかす事も考えたと苦笑を交える。羊毛フェルトの黒犬マスコットが添う小物入れ。
    「其方はかつての品をどうしている?」
     簡潔な問い。昭子はそこに柔さを見出して、ころり笑んだ。鈴は鳴ったか、それとも喩えか。傍らの硝子をそうっと掬う。
     燈る彩は【夜空】の『かえりみち』。青空とは異なる、されど美しい色。
     あの日に見たこれからに逢った。
     きっと、いつかと籠めるこころはおなじ。
    「ずっと共にあります、よ」
    「そうか、ではこれからも宜しくといったところだな」
     脈打つように、懐に潜ませた廻中時計が針を巡らせる。伝わる、鼓動。
     もうすぐ夜が更ける。昭子は烏芥くんを探しにゆきましょうか、と提案する。俺も提案しようと思っていた、そう純也は頷いた。
    「はい、それでは、――お手をどうぞ」
     伸べられた手を取り、引いて。鳥探しといこう。

    ●昊
     時生があの日邂逅を果たしたのは、流星のレリーフ雕まれた、道往きを護る炎の番人。
     視覚のみならず聴覚にも訴えかける思い出は、共に在る自鳴琴の音が優しかったからだ。
     未来を照らして導いてくれるような、あたたかな光。添い、時に心寛がせ、不安を溶かして。過ごしてきた十年だった。
     嘗ての出逢いを反芻した故か、あの日の思い出が縁になったか。
     巡り会うそれに、足を止めた。
     記憶を封じた琥珀の如く。裡に眠る思いの欠片は流星のかたち。それらをすべて受け止めるようなまあるいらんたんは、優しく労わるように燈を包む。
    「……綺麗ね」
     これから更に十年、共に過ごせる燈火なのかもしれない。
    「また、お一つ頂いても良いかしら?」
     時生の問いかけに、否が返ることは決してなかっただろう。
     明莉とミカエラのふたりも、硝子蝋燭を見て回る。
     どれも素敵で捨てがたい。そんな時に敢えて選ぶとするのなら――。昔、学園祭で灯りを見繕う時の作法に基づくと、まずは空模様を思い浮かべよう。
    「空の彩かー。春のふわり霞んだ空もなよやかでいいケド」
     うむむ、と悩んだ末にミカエラが紡いだ言葉は真直ぐに。
    「あたしは、凛と澄んだ秋の青空が好き」
     だから、と手を伸ばした鏡硝子のカンテラだ。決して消えぬ焔が闇を祓い帰路を照らす。大切な君を明日へと護り導く光となる。
     それを見守っていた明莉は柔く笑み、ミカエラに向き直って告げる。
    「俺は、蒼と橙彩の空か」
     白夜の沈まぬ太陽を抱く色だ。
     この蒼の硝子が蝋燭の光を包むように、柔く、靭く。その末に出逢った透硝子の天象儀ランプに、ミカエラも何か覚えのある感覚を抱えて、彼を見た。
    「涼やかなのに優しくて、近寄りがたいけどどこか懐かしい」
     明莉がふと微笑みを刷いた。彼女に手を伸ばし、指先を捕まえて、繋ぐ。
     そうしてふたりが見つけた燈火を隣り合わせてみたりして、ゆっくりと灯りのあたたかさに浸ってみる。
    「蝋燭の灯りは、心に染み込むね。……夜はね、本当は少しだけ苦手」
     ミカエラが軋む思いを口にする。胸の奥ぎゅっと掴まれて、押し潰されそうだって。
    「夜、苦手?」
    「だからこそ、心の中のあかりは、あたしの宿りで、支え」
     胸に手を当て、存在を噛みしめる。いつもより少しだけ柔らかい、笑顔を燈す。
    「目を閉じればいつもそこにあって、行く先を照らしてくれるの」
     あたたかさを大事そうに抱え、目を細めるミカエラが、あかりんは? と尋ねるのも自然な流れだろう。
     明莉はふと考えに沈み、浮き上がり、素直なこころを差し出した。
    「俺は……昔は平気だったけど、向日葵に惹かれてから怖くなった」
     このまま太陽に知られずもがき消えていくのかと。大切な特別を得たからこその、脆さもある。
     ふたり揃って直截的な物言いはしない。しないけれど、相手に伝わっているからそれでいい。繋いだ手に力と想いを籠めた。
    「そう、ミカエラが居れば夜は闇でなくなる」
     だから、灯り差す先へ歩いて行ける。
     琥珀色の籐椅子に腰かけて、膝の上に芋羊羹を載せた皿を置く。漆塗りの和菓子切で一口分を刺し食んだなら、控えめな甘さがサズヤの口中に広がる。
     優しい燈火、静かな宵。大人になったなと、感慨が胸に満ちていく。
    「あの頃よりも、幸福な世界だろうか」
     独白。
     運命を勝ち取って築いた日々から連綿と続く今日。自分達が守った世界は、誰かの幸せに、繋がっていると思いたい。
     手許に置いたのは、先程気になっていた虹空思わす露硝子のランタン。星が煌めく、示す、希望という名の奇跡。これをもらいたいと告げれば、烏芥は嬉しそうに頷いた。
    「……御気に召しましたか。とても馴染んでいらっしゃいますね」
    「うん。俺の心の、空の彩」
     星を抱く少女と一緒になり、宝物を二人授かった今。
     止まぬ雨はないと知った。虹の麓に埋まる宝を探しに行こう。きっとそれはすぐ傍にある、青い鳥にも似た当たり前の幸福だ。
    「娘達がもう少し大きくなったら、奇白の個展に連れて行きたいのだが……構わない?」
     今はまだ育ち盛りだ、繊細な硝子を壊さないか心配で。そう言い添えたなら、烏芥は直接お目にかかるのが楽しみです、と口許綻ばせた。
     喫茶室、庭を見渡す事が出来る特等席のテーブル。
     今宵硝子細工の燈火が揺れるなら、更に夢の世界との境界線が朧にになる心地。
     翔と鞠花、アンリエット。日方と烏芥。あたたかい飲み物を手に、他愛のない会話を寛がせるひととき。
     逡巡の後、烏芥は意を決して口を開いた。
    「……日方と翔は、今も……その。胸の衝動、辛い……のだろうか」
     唇を噛む。ずっと二人を救いたかった。けれど結局、十年の月日を唯流しただけで何かを成せはしなかった。
    「……俺は昔から、心のやみが見えるだけで。結局何も護れなくて……」
    「そんな事は、ないよ」
     翔の誠実な言葉に続き、日方が言葉を手繰り寄せ、ぽつぽつと語り始める。
    「上手く言えないけど。多分皆、同じだったんじゃねーかな。彩が夜が怖かった心とか俺らが抑えてた衝動とか」
     葛藤の追憶。而してそれでこそ己でもある。胸を張ろう。
    「だって今、俺も暖かい絆とか思いとかがあるから、だから、もう大丈夫って思うんだ」
     烏芥が視線を上げる。
     日方は発破をかけるように言い切った。
    「自分じゃ自信がない何もできてないって思ってても、周囲は色んなものを貰ってるよ」
    「そうだな。少なくとも俺は、彩にいつも優しい光を燈してもらっている」
     翔も追従すれば、日暮れの眸を見開いて。漸く烏芥の面にも安堵が滲む。
    「……は、参ったな。君の言葉は何時も、何でもとかしてしまうのだから……」
     翔は眼鏡紐に添う狼の意匠に指先添え、睫毛を伏せる。
     日方も思い出したように声を上げる。
    「少し前に俺の名について聞いてたよな。この名は夏風の呼び名から、陽の心のまま進めと」
     日のある方から吹く風。夏の季節風。
     太陽が輝くから、上を向いて進もう。
    「名前も心も大切な宝物、気付かせてくれてありがとな」
     君に籠められた言霊を大切に口に。
     感謝を互いに編み上げて、灯りを燈す。
    「……――有難う、日方」

     思い思いの灯りの時間を過ごした後、烏芥が告げた。
    「もしも此の先に、道を見失う様な事がありました時は。燈す光が、明日の空へと導く標となりますように」
     白い烏が鳴声を響かせ、帰路の背を見送るだろう。

    「今宵は本当に有難う御座いました」
     またひとつ、揺るがぬ灯りが胸裏に宿った。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年11月22日
    難度:簡単
    参加:10人
    結果:成功!
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