「――やあ、久しぶり」
ひらひらと軽く手を振ってテーブルに着く櫻杜・伊月(エクスブレイン・dn0050)を、刃鋼・カズマ(デモノイドヒューマン・dn0124)は呆れたような目で見て軽く溜息をつく。ぬるくなったアイスコーヒーのグラスに雫が浮いていた。
「相変わらずだ」
「約束の時間の30分も前に来ている、君も相変わらずだね。余程、今日を楽しみにしていたと見える。違うかい?」
ぐ、と息を詰まらせるカズマ。
「お前が30分も前に着くなんて珍しい」
「私だって、たまには休日に早起きをすることもあるさ」
それに――と、伊月は続ける。
「今日は特別な日になるだろうと、私の勘が告げている」
エクスブレインと呼ばれていた頃、手元から離さなかった手帳は今も鞄の中にある。今日の日付に花丸が書かれていたのは内緒にしておく。
時代は緩やかに着実に変わりつつある。そんな中でも変わらないものも、確かに存在する。十年という月日は学生から社会人へと彼らの立場を変えはしたが、顔を合わせたならきっと、月日など無かったかのように話せるだろう。
「ああ、来たようだ」
「あの……わたし」
こつ、と鳴るのは細いパンプスの踵。ゆるやかな波をうつ黒髪に、柔らかな色をしたとっておきの装いで、漣・静佳(黒水晶・d10904)が驚いたような表情で立っていた。
「時間……」
「ほら、言っただろう。早めに着いて正解だ。待たせてしまうには時間が勿体ない」
静佳が約束の時間よりだいぶ早く到着することを見越して、それよりも先回りをした伊月と、生真面目は変わらず『約束』ともあれば時間に大幅に余裕をみるカズマだった。
「こんな風にお話しするの、とても、久しぶりね」
あの頃に戻ったみたい、と。静佳は頬を染める。
「予約の時間が来たら店に移ろう。今日の店はね」
名のある高層ホテルの、ランチブッフェだった。四季折々の素材を活かした軽食に加え、専任のパティシエが世界から選りすぐりの果物を集めたデザートのジェラートは、なんと20種類もあるという。
「白桃と黄桃のパフェがとても美味だと評判だ」
心を甘味に持って行かれたらしいカズマが、スマートフォンの画面に見入っているのが微笑ましい。
時間には勿論限りがあるが、今日は始まったばかりだ。
話をしよう、あの頃のように。
●3億と1536万秒先の邂逅
まだ夏の盛りを色濃く残したこの季節。
強い日射しに額に汗のにじむ屋外から一足その建物に入ったなら、品良く華やいだ調度と程よい賑やかさに息をつける。
十年という月日は、彼らを学生であった時間から大人へと変えた。
世界は連綿と繋がり廻ってきた形から、少しずつ姿を整えながら変容しようとしていたけれど。定まるまでにはまだ時間が掛かるゆるやかな流れで――もっと先の未来で語られるべき物語となるのだろう。
手を伸ばせば届くほど近くもなく、見通せぬほど果てしなく遠くもない。
流れてしまえば『こんなに早かったのか』と思い起こせるような、そんな十年だった。
「先に、来ているのですもの。時間を間違えたのかと、思ったのよ」
「たまには先回りの先回りも悪くはないと思ったんだよ。いつも待たせてしまっているだろう?」
細いヒールの靴は普段は選ばないけれど、今日は特別。この日のために選んだ小花の咲くワンピースは、普段の木綿のブラウスと違って身体のラインに沿ってしまうのが面はゆい心地がする。でも、特別な一日になりそうな予感がしたから、普段とは違う装いにしたかった。
漣・静佳(黒水晶・d10904)は、眩しげに目を細めた相手、櫻杜・伊月(エクスブレイン・dn0050)に微笑みかける。
武蔵坂学園大学部の図書館学を修めた静佳と伊月は、卒業してからずっと学園の図書館に勤めている。小学部図書室の司書と、大学図書館の司書という場所の違いはあれど、互いに業務や本を介して顔を合わせることもあった。
だが、互いに休日を作ってまで業務の外で会うのは十年ぶりだ。それも、久しぶりに合う顔も含めてならば。
「カズマさんには、お久しぶり」
「……ああ」
「『ああ』じゃないだろう。すまないね、こう見えて割と緊張しているようだ」
「勝手に代弁するな」
改めて。ラフなジャケットを着た刃鋼・カズマ(大学生デモノイドヒューマン・dn0124)も、掛けていたソファから立ち上がる。静佳と伊月が見上げるほどの長身は、名の如くしなやかな刃のように鍛えられていた。
昼は看護師として大学病院で勤務し、時間の取れるときは武蔵坂の灼滅者として、今も残る様々な問題に関わっているらしい。問題と言っても、彼が学生であった頃に比べたならほんのささやかな物だったけれど。人類が様々な能力に覚醒した時代を灼滅者として生き、熱心に看護と医療を学んだ青年は、両方の側面から物事を見られる立場として重宝されている。
「なんだか昔に戻ったみたいね」
そうしてもう1人が輪に加わる。
黒を纏ってもなお艶やかに、鴇色の瞳にゆるりとした笑みを乗せて。
エナメルのピンヒールは踵に真紅の薔薇を咲かせている。漆黒の髪を揺らした桜之・京(花雅・d02355)が、紅を引いた唇で言葉を紡ぐ。
「お久しぶりね、カズマさんに伊月さん。そしてこの間ぶり、静佳さんも」
長身にシンプルな黒のパンツスーツは人目を引く。耳朶の小さなピジョンブラッドが彩りを添える、彼女らしい装いだった。
「桜之君は十年ぶりだね。元気そうで何より」
「貴方の噂は、彼女からよく聞いているのよ? 伊月さん」
「京さん! 私、そんな」
京は鮮やかに微笑み、会いたかったわと唇だけで囁いて、カズマが向こう側に視線を移すのを見上げる。
視線の先では、柔らかな金髪の青年が軽く手を振っていた。まだ幼さを残した紫色の瞳を持つ少年と共に――こういった空間に慣れていない様子は、光あふれる広い世界を知り始めたばかりの少年のようだった。
「皆、久しぶり……」
共に武蔵坂学園で学んだ月原・煌介(白砂月炎・d07908)が、変わらぬ光を銀の瞳にたたえた。上質な勿忘草色のシャツに鳥の羽のペンダントが揺れている。
伊月が驚いたように少年を見た。カズマもまた目を丸くしている。
「君は……」
「こんにちは。ご無沙汰してます」
十年という月日は全員の上に等しく流れている。誰もが時間と共に成長してゆく。なかでも幼少期に世界の変革に関わっていた年代にとっては、心身の半分ずつが激動と変革に揺れ、成長にも大きく影響を与えていた。
「紘都、か」
「はい」
小学生だった一宮・紘都(罪を漱ぐは蒼の奔流・d34270)は二十歳となって間もない。煌介たちと肩を並べるほどまでに身長が伸びた。はにかんだ微笑みは幼い頃の印象と変わらない。
「これは……驚いたな、私より背が高い。ああ失礼、驚いてしまって」
「月原から話は聞いていたが……見違えた、本当に」
男性陣が久々の再会に盛り上がる傍らで。
「親戚の子に会った叔父様たちみたい」
「京さん、もう」
「十年も経っているのに、まるで昨日の続きのようね。好きよ、こんな関係」
静佳は京の言葉に微笑んで頷いた。
かつて孤独であった己もまた、学園で過ごした日々と学園で育み紡いだ絆があったからこそ、このときを自然に微笑むことができるようになったと思う。
約束の時間の随分前にすっかり顔を揃えてしまったけれど、この調子では店の予約に遅れてしまいそうだ。店を手配した幹事役の伊月が我に返るまで、しばらく掛かりそうだった。
●あふれる言葉はつきることなく
食事よりも会話を楽しみたい。全員が心から思っていた。
学園を卒業して、進む道は様々で。この顔ぶれで揃って会うことがなかったのだ。こうして時を経て出会えたなら、十年の月日を埋める言葉を交わしたくなるのは必然だった。
ローストビーフのサンドウィッチにコーヒーで食事を済ませ、目当てのデザート選びと歓談に大いに花が咲く。
「近況て、言っても。カズマとは……同じ病院勤務でも、広いし」
武蔵坂学園にほど近い大学病院に薬剤師として勤務する煌介と、小児科病棟の看護師として勤めるカズマ。行ったことのない棟もある、迷路のような構造の歴史ある病院だ。いくら勤務先が同じと言っても、偶然の出会いを待っていたら年に一度も顔を見ない時もある。煌介が同意を求めるため隣席のカズマを見遣る、が。
『甘く香る黄金の如き黄桃と白金にも似た白桃の奇跡のコラボレーション! 雲を含むふわりとろけるホイップクリーム、爽やかなレアチーズジェラートが更に桃を引き立てる!!』等と口コミで謳われるパフェを前に、
「桃とクリーム混ぜたら、ずっと食べれる……!」
「これは……美味いな。甘さと酸味のバランスがいい」
紘都とカズマが一口めで陥落していた。これには瞳で苦笑するしかない。促されて一匙すくったパフェスプーンに、この季節最高の美味が乗る。心揺さぶられずにはいられない。
「ほんとうだ……ただ美味くて、声出したいのに語彙がない」
視線を交わし称え合う。季節の美味ほど心を一つにするものはない。
「伊月さんの誕生日はこの頃よね、おめでとう」
何気ない会話から、思い出したように。京が紡ぐ。
「ありがとう。そういえば聞いていなかった。桜之君は、今、何を?」
「ふふ、秘密」
隣の静佳とちらり視線を交わし、赤い唇がくすりと悪戯に微笑んだ。
「変わらないわ。少しだけ内緒のお仕事よ。貴方にはお見通しではないのかしら」
「『学園のエクスブレイン』とは、だいぶ在り方は変わったからね。それに、今はそう『観える』時代ではないさ」
伊月は窓の外、眼下に東京の街が広がる遙か先に目を細めた。静佳もまた、その視線を追う。
自分たちが世界を変えただなんて、大仰なことは思っていない。護りたいものを護り、失いたくないものに手を伸ばし続けた結果が今の世界だ。灼滅者とエクスブレインという立場の違いこそあれど、生命を削って伝え応え続けた日々がもはや過去となっている者が多い。
だけど京は灼滅者で在り続けることを望んだ。望めば何にでもなれる選択肢を与えられても、変わらず灼滅者であることを望んだ。
「……だって、惜しいじゃない」
世界が変わり、灼滅者たちの多くが光の中に旅立つ背を眩しいように見送って、光と闇の境界に立ち続けている。闇が光に手を伸ばさぬよう、光が闇に傾かぬよう。それは表向きの理由だ。
忘れられない紅の色、未だ瞼の裏に残る鮮烈な生き様をした紅がある。手を伸ばしてももう、届かない。けれど焦がれる気持ちを抑えきれない。十年の時が過ぎても、あの紅に心が絡め取られたまま。
「置いてきぼりなの。迎えに来てもらえないなら、私が行くしかないでしょう?」
「京、さん……」
「なんて、冗談よ。これでも今の生活、気に入っているのよ。忙しくて目が回りそう」
「危険な事件、数は減ったけれど……無くならないのは、どうして、かしら」
「仕事が無くなってしまっては困るわ。大丈夫、私は続けたくて続けているの」
学園を卒業してからも、京と静佳は連絡を取り合っていた。それは手紙であったり、メールであったり、休日が合った日にはあの頃のように食事にショッピング、あの頃にできなかった数々のことを、ひとつずつしていった。
「ねえ。静佳さんから聞いていたけれど、本当に『仕事でのお付き合い』なのね」
「?」
「あ、の……なんでも、ないの……だから」
静佳が何故か耳まで真っ赤になって、京の袖を引っ張っている。
伊月はぱちりと瞬きし、なにごとか思い当たる節があったのか、眼鏡をずらし視線を横に向けた。
「今日会えたら、言おうと思っていた」
カズマが桃のパフェから視線を外さず、呟くように言う。
「なに。仕事の話……?」
「ああ。折を見て話しに行くつもりだった」
生真面目で律儀で真っ直ぐな、確かな仕事ぶりを噂に聞く。体力を使う看護の仕事に頼りにされているという。人類が力に目覚めたことにより、医療の在り方はこの数年で大きく変革している。
灼滅者として生きてきた者が医療に携わることは歓迎されていた。体力的には勿論のこと、一般人が与り知らぬ所で起き続けていた数々の事案を目の当たりにしている胆力、そして一般人が新たに身につけた力の知識を必要とした医学の進歩には、全てが貴重な資料となったのだ。要請されたなら二人して協力を惜しむことなく、この十年を過ごしてきた。
「転属することにした」
「……どこに」
「救急に行く」
行くというなら、確定事項なのだろう。未確定の未来をカズマは口にしない。
「いっそう、忙しくなるね。病棟の子どもたち、寂しがりそうだ」
「法が整えられても病は尽きない。命に関わらずとも痛みは心に残る」
灼滅者として目覚める前は身体が弱く、病気がちで入退院を繰り返してきた。灼滅者となってからは、目の前で失われる命を多く見てきた。戦いが終わってからは、怪我や病で苦しむ患者を看てきた。
「俺の夢は充分に叶った。次は恩を返す」
「カズマさんの夢、聞きたいです。聞かせてくれますか」
煌介の隣で静かに話を聞いていた紘都が顔を上げた。身を乗り出して、目を輝かせ頬を染めて。
「……『病気で苦しむ人を救いたい』」
「すごい……夢、叶えたんですね」
「俺も、頑張らないと」
「『薬局の魔法使い』の噂は、子どもたちから聞いている。絵本に出てくるような、本物の魔法使いだと」
「えっ……俺、それは本物の魔法使いっすけど、その……照れる」
きらきらと二人を見上げる紘都の眼差しは、夢を叶えた二人の大切な人に向けられている。幼い頃は世界は怖い物で一杯だったけれど、煌介とカズマとに出会い少しずつ時間を掛けて変わることができた。
「見てほしいもの、あるんです。これ」
鞄の中から出したのは、一冊の絵本だった。モノクロの町に生まれた寂しい一人の少年が、旅をして美しい物と出会いながら色を作ってゆき、ついに世界が幸福の色で充たされるという細やかな物語。
色鉛筆と水彩で描いた優しい作風が評価され、翻訳されて世界で親しまれているという。作者の姿は表に出ていなかったけれど、それは世界が落ち着いた頃からずっと紘都が描いていた物語だった。
「カズマさん、煌介さん。サインを下さい」
臆病だった小さな子どもが、誇りと自信を持って顔を上げられるようになったのは二人のお陰だと。
「お守りにします」
求められ顔を見合わせる二人。伸びやかな煌介の名と几帳面なカズマの名が記された本を抱き、紘都は満面に笑みをたたえた。
●またいつか、きっと永遠に
カズマの肩にもたれ、煌介がとろりと微睡んでいる。
「好きな娘の靴音も、敵かと飛び起きたって」
煌介から聞いた話だと紘都は言う。
「病室で眠るとき、二度と目が覚めないことを、何度も考えた」
「不安、今はありますか」
カズマは黙って首を横に振る。灼滅者として生きたからこそ、今の自分があるのだという。紘都もそれは同じで、煌介もきっとそうなのだ。
煌介は夢を見ていた。小さな孤児院の焼け跡、芽吹く優しい色の若芽。いつか永遠の森となる風景。雨が降り夜が明けたなら、一面の緑の地。小鳥が歌い日射しがあふれる、生命の廻る場所。
「みんな……ずっと、だいすきだ」
紘都とカズマは煌介の寝言に声潜め、穏やかに視線を交わし合う。
「次に会うのは、また十年後かしらね」
煌介たちに『またね』と手を振り、京と静佳、伊月は席を立った。
「それよりも」
ヒールの爪先で器用に身を返し、伊月の瞳を覗き込む京。
「その前に、なにかおめでたくて良い話が聞けると、素直に嬉しいのだけど、ね?」
じゃあね、と言葉を掛ける間もなく、京はひらりと雑踏に紛れてしまう。連絡します、と静佳が声を上げたのが、届いたのかどうか。
夏の夕日はまだ落ちきるには早い時間。たっぷり話したはずなのに、まだ話していないことがある。
「……遅くなったけれど、誕生日おめでとう、伊月さん」
伊月の足元に影が伸びる。美しい夕焼けだった。
「……うん」
「だいすき、よ」
まるで高校生の時、初めて出会った時に戻ってしまったような伊月の返事と、続く声音。長い優しい沈黙。
「……私は、自分のことにはとても鈍い」
「知って、いるわ」
「君を、随分と待たせてしまったね」
「ずっと、たいせつなひと、だから。平気なの」
嘆息の息をつき、伊月は真っ直ぐに見つめてくる静佳に視線を合わせた。
「もっと早く――私から、言うべきだったのに」
「伊月、さん」
「桜之君には、来週にでも連絡してくれるかい。その……おめでたい、良い話のことで」
「……はい」
重なる手は互いに少し震えていたけれど。
永遠の始まりはきっと、こんなきっかけなのだろう。
『そしてみんなみんな、しあわせになりました』
作者:高遠しゅん |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2018年11月27日
難度:簡単
参加:4人
結果:成功!
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得票:格好よかった 0/感動した 1/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 4
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