クラブ同窓会~石楠花の記憶

    作者:笠原獏

     あの湖にもう一度赴きたいと思ったのは、偶然なのだろうか。
     鹿野・小太郎(雪冤・d00795)と旧姓、篠村・希沙(暁降・d03465)が小太郎の養父母から夫婦水入らずの外出を提案されたのは、結婚五周年を機に——という気遣いからだった。子供達は預かるから遠慮せずと促され、二人は顔を見合わせる。
    「どうしよ?」
     小首を傾げる妻の問い、小太郎は考えるよりも先にぽつりと零す。
    「……新潟、行きたいな」
     すると、途端に希沙の顔が輝いた。その単語だけで、小太郎が新潟のどこへ行きたいと思ったのかがすぐに分かったからだった。
    「きさも同じこと思ってた! しゃくなげ湖、やんね」
     二人は笑顔を見合わせる。小太郎と希沙が初めて出逢った依頼の舞台へと、これまでの想い出を辿る旅を。

     新潟県南魚沼市、広大な自然に囲まれたロックフィルダム、しゃくなげ湖。
    「あの時は初夏だったけど、今はどんな感じなんやろね」
    「今だと……紅葉かな? あ、少し寒いかも」
     調べる為に開いたひとつの画面を二人で覗き、懐かしい土地へと思いを馳せる。楽しそうな両親の様子に三人の子供達が集まって、見たい見たいと声を弾ませた。
     依頼で訪れた当時は湖の外周道路も散策出来なかった——けれど妙に充実していた記憶しか残っていない。おやつもお弁当もお土産も抜かりなく、そして初対面とは思えぬ連携やビームを決めたものだった。
     今でも色鮮やかに覚えているそれに、思わずくすりと笑う。
    「……楽しみ、やね」
    「うん、とても」
     今度は時間をかけてゆっくりと。
     ただただ平和になった、あの場所へ。


    ■リプレイ

    ●きっかけの場所へ
     初めて出会った時の事を思い出す。
     石楠花の名を持つご当地怪人を倒す為の依頼だった。山間の雄大な景色に溶け込む、地元住人からも愛されているダムへ行ってもらうと聞かされて、名物のお弁当の話を聞かされて、景色が良いからと二階建て新幹線のグリーン車の切符を手渡された。
     新幹線で窓際争奪戦とお弁当とおやつを楽しんで、お土産談義を楽しんで、優雅なランチを楽しむべく怪人と対峙して、怪人の国籍を勝手に変えて、ビームを放って、怪人を燃やして、お弁当を満喫してソフトクリームを堪能してたくさんのお土産を買った。
    「……おかしいな、楽しかったという記憶しかない」
    「依頼、やったのにね」
     どちらともなくくすくすと笑い、手を繋ぐ。
     車窓から眺める景色は長い年月を経てもあの時の面影を残していて、おぼろげだった部分の記憶までも鮮やかに蘇った。
     ——初めて出会った時の事を、思い出す。
     面白い先輩さん。
     優しそうな後輩くん。
     それが、鹿野・小太郎(雪冤・d00795)と篠村・希沙(暁降・d03465)の始まり。今を築いた、奇跡のような一瞬だった。

     あの時と同じように新幹線から在来線に乗り換えて、駅でタクシーを拾って、あの時と同じ所で降ろしてもらった。見上げた景色が当時の記憶と重なって、けれど目に飛び込む色の違いに思わず感嘆の声が漏れる。
     壮大なロックフィルはそのままに。深い緑色に満ちていた山々は、今は紅色に染まっていた。背の高い山は淡く雪化粧が施されていて、そのコントラストに見入っていると頬を冷たい風が撫でる。事前調査に抜かりはない鹿野夫婦、当然天候も調べていたけれど、実際に感じる澄んだ感触は検索画面からでは分からない新鮮なもので。
    「もう冬になるんやもんね」
     恐らく、もう少し経てばこの辺りの景色は今の鮮やかさから一転モノトーンへと変化する。山から徐々に白が広がって、辺り一面をあっという間に雪景色へと変えてしまうから。そうなると一般向けの道路は封鎖されてしまうし、これから行こうとしている所もお休みしてしまう。
    「ほんま、このタイミングで思い付いて良かった」
    「……後は、春に来たら全制覇だ」
     希沙の言葉に小太郎は無意識でそう零していた。再び希沙の手を取った小太郎を見遣った希沙はくすぐったそうに笑んで、頷いた。
    「せやね、石楠花の咲く時期」
     最初に目指す場所は決まっていた。ぐねぐねと歪曲した坂道を登ると見えてくる円錐型の屋根、観光客の多くが立ち寄る湖畔沿いの観光センターだ。駐車場には車が沢山停まっていて、楽しく過ごす人々の声が聞こえてきた。
    「着いた!」
     変わらない姿が懐かしくて嬉しい。変わらないのにあの時には見られなかった光景が広がっている事が嬉しい。
    「小太郎、お腹は空いてる?」
    「もちろん、準備万端」
     はやる気持ちを抑えきれず、希沙が小太郎の手を引いたまま歩調を早めた。その後ろ姿が不意に当時と重なって小太郎は目を細める。
     想い出を巡るなら想い出の味を。目的はもちろん——懐石料理にも惹かれたけれど——しゃくなげ弁当だ。
     建物に足を踏み入れて、ぐるりと見回す。雰囲気は変わらず、けれど働く人は変わっていて、仕方がないとはいえほんの少し寂しく思う。
    「この辺りはずっと平和ですか」
     小太郎が自分達が観光客である事を告げ、お弁当を受け取りながらさりげなく尋ねると、若い女性店員がそうですねぇと笑った。けれどすぐに「あ、でも」と零す。
    「私がまだ子供の頃に一度、変なのに占拠された事があるんですって。ここが」
    「へんなの」
     二人揃って反射的に吹き出しそうになったのを堪え、続きを待つ。声を上げて笑いたくなる気持ちと、話を聞きたいわくわくとした気持ちと、明らかに『アイツ』だという確信と。二人の内心を知らぬ店員は自分の中の記憶を辿り、続けた。
    「変なのは……変なのとしか言えないんですけど、変だけどやっぱり最初は怖かったらしくて。でも、ばか元気な……あ、ばかって方言で『とても』って意味です。その、とても元気でお腹をすかせた子供達が助けてくれたって」
    「……それは、ご家族が?」
    「あ、そうです。おばあちゃんが『めごかった』って色んな人に話してて。何故か何年も経ってからだったんですけど」
     また食べて欲しいって言ってました、とお弁当を示して笑う。顔を見合わせる小太郎と希沙に、店員はどことなく懐かしい声色で「うんめぇですよ」と付け足した。

    「おばあさん、ご健在で何より……」
    「のんびり隠居中で何より……」
     何だか、ふわふわとした感覚だった。山々と湖をいっぺんに臨めるベンチに座り、お弁当を膝に乗せたままで二人はぼんやりと空を見上げている。
    「会えたらいいなとは思っていたけど、ね」
    「感慨深い……」
    「そういえば、この空はロンドンにも繋がって」
    「心なしか空にうっすら浮かんで見えるような……よし、食べよ!」
     この気持ちを受け止めてくれるのは膝上のお弁当しかない、今すぐ食べずにいつ食べるのか。ぱん、と両手を合わせる希沙に、小太郎もすぐさま姿勢を正す。そっと蓋を開ければ豊かな彩りが目に飛び込んだ。
    「戦った後じゃなくてもすごく美味しい……」
     念願のお弁当は彩りだけじゃなく味も最高で、そして懐かしい。小太郎が無心で食べているといつしか希沙がこちらを見つめ始めた。それに遅れて気付いた小太郎が箸を止めて視線を返せば、希沙が小太郎の頬を示す。
    「小太郎、頬袋できてる」
    「ん、食べ方まで戻ってた」
     すっかり大人になったのに、そう言って口を動かす小太郎はまるで少年のようで。不意に沸き上がったむずむずとした感覚に、希沙は小太郎の頬袋へと手を伸ばして触れた。
    「——小太郎、くん」
     ごほ、と小太郎が大きくむせた。まだ友達だった頃の響きは不意打ちとして十分な威力を持っていたから。
    「それ、は、心の準備が必要なやつです」
    「きさもちょっと、照れてしもた」
     始めの頃は、並んで座ると視線の高さがほとんど同じだったのに、今はすっかり希沙が小太郎を見上げる形になっていた。
     その成長を一番身近で感じていたのは、他でもない希沙だろう。

     お腹を満たした二人は湖の周りに整備された遊歩道を散策する。今日は時間も沢山あるから歩調はゆるやかに、景色を脳裏に焼き付けるように。
     ロックフィルを離れれば観光客の姿もまばらになった。端の見えない大きな湖面には秋の空と山々が鏡のように映り込んでいる。
     山というものは季節を映すものだ。秋から冬、紅葉と雪を同時に見るのは初めてで、その美しさに溜息が漏れた。
    (「希沙との初めてが、また増えた」)
     希沙の横顔を見れば小太郎の口元が僅かに緩む。これまでひとつひとつ増やしてきた初めては宝物のようで、まだまだ増やせるという事がとても嬉しかったから。すると。
    「子供達に見せたい……パパ、そこに立って! はいポーズ!」
    「えっ? ま、待って格好良く撮って」
     突然の妻からの指定と向けられたカメラに焦る夫。子供達に格好良い自分を見せたいのに、顔は緩んで直らない。
    「大丈夫、これはきさ用にする」
    「!?」
     有無を言わさず響くシャッター音。カメラから顔を離した希沙は、まるで少女のように小太郎へと笑みを咲かせた。
     歩きながら、想い出を辿りながら、会話を弾ませる。
     パラリーガルとして勤める小太郎と、幼稚園教諭として頑張る希沙の最近の話。子供達とこんな事があったという報告会、出発前に調べて見つけた風景写真との答え合わせ。
     封じられていた貯金箱を開けた今の二人に怖いものはない。お土産に買いたい限定のお菓子の事、義両親からの目的地ガイド付きリクエストの事、旅館で楽しみたい料理とお酒の事。二人ならどんなお喋りでも楽しくて、尽きる事がない。
     笑い合う時も、想いに耽る時もずっとずっと傍に。そう強く願うようになったのはいつからだっただろうか。絡めた指から伝わる温度、秋風の匂い、草の匂い、胸に満ちる郷愁と愛おしさ。全てが胸を締め付けて、思わず泣き出してしまいそうで。
    「……小太郎」
    「うん?」
    「きさね、凄く幸せ」
     きさ、という響きは小太郎にとって特別な響きだ。二人でいる時だけの特別な響き、小太郎だけが独占できる希沙の姿。
     足を止めた小太郎は、片手を繋いだまま、もう片方の手で妻のまなじりに触れた。自分だけが知っている表情が嬉しくて、分かつ幸福に笑みが零れて、愛しい人に感謝が溢れる。それをここで告げる事がとても幸運な事に思えたから、彼女だけが独占できる表情で、告げた。
    「オレもだよ。希沙……出逢ってくれて、ありがとう」

    ●繋がった先へ
     散策を終えた二人が観光センターの近くまで戻って来た時の事だった。『じぃじ』からのテレビ電話の着信に、二人で画面を覗き込む。途端に画面いっぱい映り込んだのは、三人の愛しい子供達だった。
    「わ。三人とも、いい子にしてる?」
     聞けば画面の向こうで声が入り乱れた。妹思いの長男、暁は祖父母のお手伝いを頑張ったらしい。元気いっぱい賑やかな双子の姉妹、祥と幸はごはんが美味しかったとはしゃいでいる。大好きな両親に褒めて欲しいという期待がきらきらの目に宿っている。
    「お手伝い偉いね、暁」
    「祥と幸も、完食して偉い」
     ご褒美にお土産たくさん買って行くね、と告げれば画面向こうで歓声が上がった。子供達の太陽のような笑顔が可愛くて愛しくて、子煩悩な小太郎と希沙は顔を見合わせて笑い合った。
     後ろが見たいとせがまれて、カメラを持ち上げ景色を映す。鮮やかな風景と広大な湖にすごいすごいと興奮する子供達。長男の「どこ?」という質問に、二人は声を揃えて答えていた。

    「想い出の場所!」

     その場所は懐かしくて楽しくて、けれどそう思えるのは手を繋いで帰るべき家があるからだ。
    「今度は子供達も連れて来てキャンプかな、キャンプ場で」
    「きさ、バーベキューしたい!」
     だからあと少し。記憶を辿り恋人気分を味わったら我が家へと帰ろう。
     15年という時間をかけて築いた花咲く家へ、二人で、一緒に。

    作者:笠原獏 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年11月22日
    難度:簡単
    参加:2人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 2/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 1
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