雪と光の夜

    作者:佐伯都

     サイキックハーツ大戦から、すでに半年が過ぎていた。
     もう半年と思う者もいれば、まだ半年と考える者もいるだろう。
     ダークネスの存在が人類史上初めて社会へ広く知らされ、かつそのおおかたが滅んだ2018年が終わろうとしていた。

    ●雪と光の夜
     クリスマス前の11月末からおよそ1ヶ月にわたり、北海道札幌市の中心街ではクリスマス市が開かれている。松浦・イリス(ヴァンピーアイェーガー・dn0184)はタブレットPCへ、ちらちらと雪が降っている公式ページを表示させた。
    「クリスマスマーケットの本場と言えばドイツですよね! 姉妹都市提携しているミュンヘンのクリスマスマーケットを札幌で――という所から始まったんだそうで。行ってみませんか?」
     さっぽろテレビ塔からすぐの大通公園二丁目。そこにはログハウス風の出店や大型テントがならび、グリューヴァイン(ホットワイン)や焼き栗、シナモンやココアなどで味付けされた焼きアーモンドの香りが漂っている。
     毎年絵柄が変わる公式マグカップや、ミュンヘンからやってきた本場のクリスマスオーナメントやクリスマスカード、ガラス製品やキャンドルホルダー等々、クリスマス雑貨も数多い。毎年同時期に大通公園五丁目までで開催されているホワイトイルミネーションと共に楽しむこともできる、12月の札幌の風物詩だ。
    「……と言うかこれ、札幌なんですから成宮さんが説明すべきだと思うんですけど」
    「逆に地元の名所に行ったことがない地元民、ってパターンで」
     まさしく元札幌市民な成宮・樹(大学生エクスブレイン・dn0159)が、詳しいことは何一つ知りません、とばかりに断言する。
     暖かいクリスマスメニューを楽しむもよし、異国情緒あふれるオーナメントを物色するもよし、日本3大イルミネーションにも選ばれたホワイトイルミネーションをゆっくり見物するもよし。
     雪降る真冬の札幌だけに寒さは厳しいはずだが、むしろその寒さがクリスマス気分を盛り上げてくれるはずだ。


    ■リプレイ

     さっぽろテレビ塔が間近くそびえる大通公園では、本場ミュンヘンのクリスマスマーケットを模したクリスマス市が開かれている。
     そこかしこから漂ってくる甘い焼き菓子の香りや、ミュンヘンのクラフトビールを持参で参加しているブリュワリーの声、湯気の上がるソーセージの皿を片手に乾杯の音頭を取るグループの歓声と、会場となっている大通公園2丁目は大変な賑わいだった。
    「クリスマスだけあって凄い人波……。はぐれてしまいそう、想々さん大丈夫?」
    「え? ええと。その」
     雪と光の海に視線を奪われ、あやうくシルキーとはぐれそうになった想々がやや躊躇いがちに手を差し出す。
    「これなら迷子になりませんね」
     存外しっかりと結ばれた手と手。指を絡めるような仕草に想々は一瞬戸惑ったが、強張った頬が溶けるように笑顔へ変わる。
    「ほっかいどー! なのですよ!! 北海道の地に立つのは初めてなのです!」
     きゃっきゃと歓声を上げるチセはもとよりそれを眺める通行人も、皆ここでは多少の事では眉をひそめない。出店やテントの下で広げられているクリスマスグッズや菓子、八角や丁子を飾った香り高いスパイスデコレーションに目移りしながら、チセは悩みに悩みぬいてシュトーレンとホットココアを手に、ベンチで一休みする。
     ちらちらと一日中雪が降っているが、それがクリスマスならいっとう気の利いた演出だ。ココアの温かさと甘さを噛みしめる幸せに、チセの頬が緩む。
    「本当に、かわいい雑貨がたくさん……オルゴールも可愛いし、どうしよ、キャンドルホルダーもいいな」
    「さっきの店先にあった、クリスタルツリーのオルゴールとかも素敵でした。ネジを巻けばクリスマスソングが流れるの」
    「全部素敵で迷っちゃう……でも、あれもこれも買えないし」
     そんなことを呟きつつ、天使が踊るスノードームへ向かってふらふらよろよろ吸い寄せられていってしまう想々にシルキーが忍び笑いを漏らす。
    「ねえ、お揃いのマグカップも買いません? どちらかの家に置いておいても良いし、2人で過ごすお家で使うのも良いし」
     もちろんあなたが嫌じゃなければだけど、と続けてシルキーはにこりと笑った。
     想々は思考が止まったように数瞬目を瞠り、やっとその意味に気付いたらしい。小食ゆえに、白すぎる、とも表現できる頬へ血色がのぼる。
    「え、えへへ……うん、そうしたい。お揃い、ほしいです。トナカイとか雪の結晶とか」
    「良かった。……ふふ、イルミネーションも見にいきましょうね。あれもこれもきらびやかで迷ってしまうけれど――って、想々さん熊はやめましょう熊は」
    「えっだめですか。ザ・北海道のお土産なんに」
     これまたふらふらよろよろ、木彫りの熊サンタというあまりにもあまりに女子力に欠ける土産物へ吸い寄せられてしまった想々をたしなめつつ、シルキーは苦笑した。
    「クリスマスと言えばやっぱりターキーだよね! 南守さん、シュトーレン食べたことある? 粉砂糖いっぱいみたいだけど外側だけ甘いのかな、中も甘いのかな」
    「……これ美味いよ。そっちはどうだ?」
     何か、今日の南守は随分静かだと茉莉は思う。テーブルの上には南守のコーヒーのカップとソーセージの皿。
    「萩原」
     突如おそろしく真剣な声がして、茉莉は飛び上がるほどに驚いた。向き直ると、寒さのせいではないだろう赤い頬が見える。
    「俺は、荻原が好きなんだ」
     以前聞いたのと同じ言葉だ。好きな子、と言われたことがある。
     好意を向けられれば当然嬉しい。でも、その好意の種類は。
    「……あの」
     バレンタインには毎年クッキーを届けていた、南守ひとりきりに。だって喜んでくれたから。でも多数に渡していると思われ否定できなかったのは、何故だろう。
    「あの、……その、私ね、よくわからなくて。……そういう、恋愛とか。『好き』に種類があるのって難しいや、って思ってて」
    「……そっか。……それは」
     明らかに何かに対し安堵した様子の南守に、今度は茉莉の顔が熱を持つ。『好き』に種類があることくらい知っていけど、その種類を自分で判別できないのは。
    「すごく荻原らしい。それに、ちゃんと聞いてくれてさんきゅ」
     大人になりたくないと思い続けてきたことの弊害が、これなのだろうか。
     同じ『好き』のはずなのに、『好き』に種類があるなんて。そんなの難しすぎる。
    「でも一つだけ、我が儘いい?」
     でも南守は困った顔もせず煮え切らない返事に愛想を尽かすこともなく、いつも通り優しく柔らかく笑ってくれる。その優しさにいつも甘えてしまっている。
    「もし荻原が『好き』の違いを理解できたら、その時は――もう一度だけでいい、俺にチャンスをくれないか」
     頭の中がふわふわとして、茉莉は考えがまとまらない。何度も頷くだけで精一杯だった。
    「よーしティン、次は焼き栗に挑戦しよっか! 目移りしちゃうけど、ここは全メニュー制覇したいよねー」
     先ほど相棒の霊犬と一緒にホットドッグと焼きリンゴを平らげたばかりだが、夕月の食欲は留まる所を知らない。ほくほくの焼き栗のお供にぬかりなくホットチョコを抱え、食べ歩きついでにあれやこれやとクリスマスプレゼントを探すことに忙しい。
    「あ、ほんと美味しいわこれ……お土産にも買っていこ」
     少し冷めているかもしれないが、そこはそれ、ご愛敬としておく。お祭りの屋台の焼きそばやたこ焼きが、冷めていても気持ちが嬉しいのと一緒だ。
     きらびやかなデコレーションもいいが、素朴な民芸調の木彫り人形も可愛らしい。浮き立つクリスマスの空気に、夕月の足取りは軽い。
    「旦那には何がいいかなぁ、ティン」
     わふん、と相槌を返してくれる足元の相棒もご機嫌だ。
    「何か、欲しいのある? スパイスデコレーションとか、さっき見てたマトリョーシカでも何でも。サンキャッチャーとか綺麗だったけど」
     グリューヴァインの器の影で、ミカエラは喉の奥で笑う笑い方をした。
    「あかりん、今日は随分にこにこだね。あたし専用サンタさんのつもり?」
    「そうそう、今日の俺はサンタとお呼び♪」
     いつもの糸括も居心地よいが、今はこの空気を楽しみたい。そんな気分のミカエラ自身もだが妙に明莉は機嫌がいいし、お互いグリューヴァインの飲み過ぎだろうか。そういう事にしたい。
     そぞろ歩くうち、クリスマスピラミッドと呼ばれる、本場ドイツでは欠かせないクリスマスマーケットのシンボルの前に来た。ミカエラ、と呼びかけられ我に返る。
    「俺はさ、我ながら未熟で、自分の夢すら手探りで。それでも叶えたい事が一つだけあって」
     未熟だなんて言うけれど、どんなに傷ついても前を向いて歩いてきた人だということは知っている。
     その背を守れたらと思っていた。後ろを振り向かなくてもいいように。あたしが見ているから大丈夫と言えるように。
    「俺はミカエラの帰る場所になりたい。ミカエラの家族に」
     でも、こんな時どんな顔をするべきかミカエラの引き出しにはなかった。他なら多少、うまい返しを思いつくのに。
    「時間かかるけど、待っててくれる?」
     くそうカッコ良いじゃないか、いつもうさみみとかメイドとか言ってるくせに。ここで泣かせにくるなんて卑怯だ。あかりんのくせに。こんなのずるい。
    「……なぁに今更なコト言ってんの~?」
     迷いは一瞬で、視界が急に歪んだことは知られたくなくて、ミカエラは笑いながら明莉の腕を軽く小突く。ぷは、と明莉が気が抜けた笑い方をした。
    「返事がそれか! でも俺、今の頑張ったと思わない?」
    「そこで自分で頑張ったとか言わなければ……うん。待ってる。待ってるから――」
     こんなの反則だ。
     ごまかせなかった涙を拭ってこんな事言われたら、もう全降伏するしかない。
    「さって、いいもん見れたしそろそろ本腰いれてプレゼント探すか……大和にはさっきの、雪の結晶のペンダントな」
     未知は赤と緑のデコレーションがされたテーブルの傍ら、相棒の大和へ笑いかけた。
    「昔っからシルバーアクセ好きだもんなー大和?」
     ビハインドゆえ返る声はないが、そわそわと嬉しそうに落ち着かない。同じ会場では恋人が無二の親友と一緒だ。お互い家族のような相棒と水入らず、そんな時間も時にはいい。
     めぼしいメニューは一通り制覇したので胃は大満足。ふうふうとココアのカップを吹いて未知は買い物の戦略を練る。恋人はあの性格に似合わずペンギン好きなので、ペンギンの何か……そう、ペンギンが入ったスノードームがあればそれにしよう。自分には毎年限定というイヤーマグにしようか。
     思案をめぐらすうち、未知の視界に楽しげな渚緒と杏子の姿が目に入る。それから脇差と輝乃の姿も。
    「……雪でクリスマスで、邪魔する野暮なダークネスもナシ。きっと幸福ってこういうこと言うんだよ大和」
     ……できるなら、この一瞬を切り取って持ち帰れたらいいのに。
    「なぎお先輩、こっちだよっ!」
    「キョンちゃん、何かあった? ――わぁ、ガラスのサンタさんか。綺麗だね」
    「カルラ見て、ガラス細工のサンタさんだよ!」
    「あ、ねこさんも靴下履いてみる? トナカイ柄の靴下。暖かそうだよ」
     渚緒はカルラ、杏子はねこさんというそれぞれの相棒を連れてのクリスマス市めぐり。
     トナカイ柄が織り込まれた靴下をてしてし叩くカルラとねこさんに、渚緒と杏子は顔を見合わせ笑いあう。白いボアをあしらった赤いポンチョコートで、杏子もクリスマス気分いっぱいだ。
     ふと間近くそびえるテレビ塔を見上げ、杏子が立ち止まる。懐かしいとなかば無自覚な囁きに気付いたのか、色々な事があったと渚緒が淡く笑った。
    「この街でも色んなことがあったね」
    「うん。……なぎお先輩は、楽しかった? あたしは楽しかったよ」
    「僕も楽しかったよ、心の底からそう思う――」
     その時の渚緒の逡巡に、杏子が気付いていたかどうかは定かではない。しかし長いこと大切に温めてきた想いがあったとして、もしそれを相手に告げぬままでいるならば。
    「泣きたい事もあったけど、みんなと、なぎお先輩にも出逢えたから」
    「――ねえ」
     それは大事にしすぎるあまり、芽吹きの時を待っている花を腐らせる、そんな行為なのではないか。
    「君に伝えたいことがあるんだ」
     そして渚緒が杏子に一体何を伝えたかは、二人だけの秘密。
    「よーし、さあまずはお買い物楽しもう! はいこれ焼きアーモンドと交換のココア!」
    「うわ、すげーいい匂い……これシナモン? なんか甘い香りする」
    「そ、シナモン。毎年これが一番人気って言ってた」
     シュガーコーティングされた焼きアーモンドを赤い紙包みからつまみ上げ、才葉は目の高さへかざす。供助チョイスのシナモンに、赤い飴状のコーティングが目に美しいチェリー、そしてパウダーたっぷりのココアと、焼きアーモンドひとつとっても何もかも美味だった。
     ココアのカップを配り終えた朱那は、いつもの顔ぶれにご満悦らしい。んふふー、とねこ口で含み笑いを漏らす。
    「ホント、久しぶりに三人揃ってのおでかけだもんネー」
     さくさくと薄く積もった雪を踏み、才葉達はきらきらとオレンジ色の照明を照り返すオーナメントの店先を覗いてみた。
    「それに年明けの成人式、あたしの着物、くーさんが選んでくれるんでしょ?」
    「えっシューナの着物、供助が選ぶんだ? そりゃ楽しみだー!」
    「おう、選ぶとも! 2人の写真も撮ってやる」
     いくつになっても雪を喜び庭を駆け回る、そんな2人。そんな友人達がもう成人なのだと思うと供助はひどく感慨深い。成人を機に、このクリスマス市で何か揃いのものを探してやるのも良いだろう、という思いもあった。
    「そうそう、成人式ってみんなでお祝いするんだよな? 大人の仲間入りーって。シューナの着物姿、どんなんだろ」
    「ふふん、刮目して待て! ってカンジ」
    「今しれっとハードル上げてきたな朱那……ともかく二人とも、オーナメントとかどうだ? 新成人の記念に、揃いのやつ」
     朱那は一瞬目を丸くしたが、すぐに賛成と諸手を上げる。
    「うん、オーナメントいいねえ。どれも凝ってて綺麗だし可愛い!」
    「わあ、どれがいいかな……ベルとか気になるなぁ。星もキラキラでいいかも」
     途端に目を輝かせてディスプレイにかじりついた才葉が次々候補を挙げてくる。あれこれ手に取っては大騒ぎな朱那と才葉のやりとりに、本当にこのメンバーは変わらないなと供助は苦笑するしかなかった。
    「ね、あたしこの星のがイイな!」
     朱那が指差したのは、虹色に輝くホログラムの星。まさしく互いが互いの北極星であるような、そんな信頼を形にしたようなオーナメントに、否やを唱える声はなかった。
     いよいよ陽が傾いてきて、雪道を踏む人々の影が濃さを増す。降り積もる雪を避け、アルトはリーズディットを伴い大型テントの下にいた。
    「……ここは、賑やか、だな。色も形も匂いも、様々なものが沢山だ」
    「君がそうやって、何かに感じ入る日が来るなんてね」
     あまり表情筋が仕事をしないアルトの表情をつぶさに読み取れるのは、恐らくリーズディットだけの特殊能力だろう。
     飲み物をふうふう吹きながら、行き交う人波の向こうに揺れるオーナメントを眺めていた。灰色の目が暗いオレンジ色を混ぜたような赤のオーナメントボールを捉えている。
     アレが気になっているな、とリーズディットは吐息で温めるふりをして、口元にかざした手の下で忍び笑った。赤、という色の意味に気付かないはずがない。しかしこちらからその話を振るのは、野暮というもの。
    「……リズ。あれ」
     そのまま待っていたリーズディットへ、やや遠慮がちにアルトが店先を指差してくる。
     自分の色と自負する色を指差すアルトは、何を思っているだろうか。なにか暖かな感情と結びついているだろうか。そうであったら嬉しい。
    「ああ、あれ、俺も気になっていたんだ。……折角だし色違いでお揃いにしようか?」
     一人で寂しくないように、とリーズディットが続けると、アルトにも異存はないようだった。
     赤と白のオーナメントボールを買い求め、どちらからともなく手を繋いで歩く。
     これできっと、もう寂しくない。『彼ら』も、自分達も。
    「札幌に来るのは初めてだが、これは寒い……!」
    「覚悟はしていたけど本当に寒いね……色々ちゃんと用意してきたつもりだけど、もう寒いって言うより顔が、顔が痛い!」
     半ば泣きが入ってきた美雪と朱里の主張に、顔が痛い? と元道民の樹とイリスが首をかたむける。
    「ああーなるほど、確かにそんな感じはしてきたかもです。川から湯気があがるくらいだとうわあ痛いなあってなりますよね」
    「電線凍って電車のパンタグラフから火花飛ぶとか」
     川から湯気が上がる気温……と美雪と朱里の目が遠くなった。そもそも電線が凍って火花飛ぶとか何だそれ怖い。次元が違いすぎて理解不能だ。
    「なるほどさっぱりわからん。とりあえず寒すぎるから何か暖かいものでも食べよう! 可及的速やかに!」
    「そうこなくっちゃ! ソーセージにシュトーレンにジャーマンポテトグラタン、目移りするね!」
     美雪はドイツ風おでん、朱里はノンアル版グリューヴァインなホットグレープとソーセージの盛り合わせを手に、暖房完備の大型テントの中へ逃げ込む。風よけがあるだけでも相当な気温の違いに、ほっと美雪と朱里は肩を下ろした。
    「それにしても、去年までダークネスすら知らなかったのに今年は灼滅者になって、すごく慌ただしく過ぎた気分」
     でもみんなに会えてよかった、と朱里は掛け値なしの笑顔を見せる。
    「……そうだな。私も武蔵坂に来なければ、このような機会には恵まれなかった」
     互いにメニューをシェアしあいながら、出会いの日に思いを馳せては話に花が咲く。
     まだ残照が消えきらぬうち、クリスマス市に隣接したイルミネーション会場が一斉に明るくなった。そろそろか、と待ち受けていた黒曜と藍晶はさっそく色鮮やかに輝く光の庭へ足を踏み入れる。
     綺麗ね、と呟く黒曜に藍晶は暖かな気持ちで首肯を返した。
    「ええ、とても綺麗ね。こういうことができるようになるなんて、思ってもいなかったから。本当に夢みたい」
     降り積もる雪から隠れるように指を絡め、暖めあうように手を繋ぐ。
     寒さは厳しいけれど、今だけはそれが苦にならない。そんな気がした。
    「さっきのラクレット、本当に美味しかったねー……って、ひよりちゃん寒いよー!」
    「んんん、なぁに? さなちゃんは甘えんぼさんね」
    「もー、目ぇ離すとこうやってすーぐいちゃいちゃするんだよなぁ、この仲良しめ!」
     数歩後ろを歩いていたひよりに突然突進していった紗奈に、しょうがないなといった風情で春が笑う。とは言えひより自身、紗奈にくっつかれる事はまんざらでもないらしい。機嫌を害した様子もなく笑顔で応じて、互いに腕を絡めあうようにイルミネーションの横をこちらへ向かって歩いてくる。
    「そこに二人とも並んで、写真撮るから。こっち見て笑って」
     カメラを構えたひよりに甘え、札幌市の花であるライラックを模したイルミネーションの前で紗奈と春は笑顔を浮かべる。
     ひよりが紗奈と春に出会ったのは、もう6年も前。その頃の面影はもちろん今でも残ってけれど、二人とも随分大きくなった。
     自分は春になれば学園を離れる。
     卒業したとしてもいつでも会うことはできる。それこそダークネスの脅威は除かれ、何かの不幸で永遠の別れに、なんて事も寿命以外の原因では起こりえなくなった。だから何の心配も不安もないのに、卒業という別れにひよりは寂しさを拭えない。
    「そうだ、いつも二人が写真撮ってくれるから、わたしは今日こんなものを用意してまいりましたー!」
     紗奈の華やいだ声に、ひよりは我に返る。
     じゃじゃーん、とセルフ効果音つきで紗奈が自慢気に取り出したのはいわゆる自撮り棒で、やるじゃん、と春が大喜びで手を叩いた。
    「自撮り棒かなるほどなー。で、ところでコレどうやって使うの」
    「えーと、ここに取り付けてこのくらいの高さで……ひよりちゃんもっとこっち! 寄って寄って、もっとくっつく! え、何、くっつきすぎ!?」
    「うわ馬鹿揺れてる! ちゃんと棒持って! カメラおーちーるー!」
     紗奈と春のふたりに豪快にサンドされる形になり、ひよりは目を白黒させる。何やら三人で押しくら饅頭のようだ。ぎゅうぎゅう両側から押されて、外れてるもっとこっちと修正され、ああでもないこうでもないと大騒ぎ。
     ……そうだ、今は寂しさは忘れて目一杯の笑顔を残そう。今日という日をいろどる喜びと、二人へのかわらぬ友情と、感謝をこめて。
    「目に入る限りの食べ物や、いい匂いとかでかなりお腹空いちゃうのです……! ほら、あの焼きアーモンドとかすごく、すごく美味しそう! あとあと、ホットドッグに焼きリンゴも捨てがたいのです♪ イリスさん、どこから攻めたいですか!?」
     そこまで前のめりにまくし立ててしまってから、でもあたし、イリスさんと食べ歩きばかりしてる気がします……ね? と急激に現実へ引き戻された陽桜に、イリスが笑った。
    「でもでも北海道、やっぱり食べ物がおいしいのですものー! 不可抗力! これは不可抗力なのです!!」
    「あはは、そう言ってもらえるとすごく嬉しい。美味しいものはやっぱり幸せだものねえ」
     二人でホットグレープのカップ片手に、全メニュー制覇の野望をもくろむ陽桜は品定めに忙しい。
     あ、と探し人がようやく見つかったという顔で昭子が駆け寄ってきた。
    「メリークリスマスです、イリスちゃん。今年もたいへんお世話になりましたので、是非これをどうぞ」
     星型のオーナメントを差し出され、イリスが歓声をあげる。
    「わあ、ありがとう! とっても綺麗」
    「どうぞ、お邪魔でなければ飾ってやってください」
     二つ買い求めたそれは、一方をこれから樹に渡すつもりだ。
     いつも先に進んでいくイリス、いつも灼滅者の帰還を待っている樹、昭子にとってはどちらもが見失わない星のように思える。
     これから先、それぞれに道は分かれるもの。でも見上げる空はどこからだって繋がっているはずだ。
    「どうぞ今日もあしたも、よい日々を」
     それを忘れずに歩めたら、きっと何があっても迷わずにいられるだろう。
    「わぁ、なんだかとてもおいしそうな香り! サズさんは何が良いと思う? どれもとてもおいしそうで迷っちゃうのね」
    「ん、全部、俺のおごり」
     迷う事はないさあ何でも、と言わんばかりにサズヤはきりりと財布を取り出した。
     逆にみかんは胃の最大容量に対し、選択肢が全メニューと提示されたことで候補を絞らざるを得ない現実に直面することになる。
    「ううん、クリスマスなら定番のターキー、かしら? 焼きアーモンドとシュトーレンも、普段あんまり見ないからトライしたいし……」
    「みかん、ホットドッグやソーセージもある」
    「これは……そうだサズさん、あたし素敵なこと思いついたの!」
     ぱたりと両手を打ち合わせ、みかんが提案したのはひとり分を数種類買い求めてのシェアだった。これなら沢山いろんなものを食べられると思うの、とやや得意気なみかんに、おおお、とサズヤは何やら素直に感動している。
    「流石みかん、頭がいい。分け合って食べれば、お腹いっぱい」
    「これならだいだいちゃんにも手伝ってもらって、もっと沢山食べられると思うの! どう?」
    「そうしよう。だいだい、焼き林檎、食べる? きっと、甘くておいしい」
     ナノ! と絶妙な合いの手が入り、みかんは声を上げて笑った。
    「サズさんも以前言っていたけれど、誰かと一緒のクリスマスって良いものね。こんなクリスマスが来年もその先も、ずっと続きますように」
     どこか祈るように呟かれたみかんの言葉は、サズヤの願いとも一致している。ただひとつ、なんだか子供を持つ夫婦のようで嬉しかったという事だけは、今はまだ秘密だけれど。
     真夏の空を映したような青のガラスペンを選んだ日方は、カウンターから脇に退いてラッピングが仕上がるのを待っている。烏芥のほうも何かプレゼントしてくれるという事なので、あとで落ち合うことになっていた。
     品物を受け取り、かなり混雑してきた会場内の通路を身軽に通り抜けながら先ほど別れた場所まで戻る。ついでによい香りを漂わせている焼きアーモンドの店に立ち寄った。
    「お待たせしてしまいましたか」
    「いーや、今戻ってきたとこ。ほい、プレゼント」
     烏芥の奢りのシュトーレンをつまみながらプレゼントを交換すると、烏芥が選んだのは太陽の光を凝らせたようなコンパスだった。本物のアンティークかと一瞬考えるが、本場のクリスマスマーケットならまだしも、ここに骨董屋は来ていないはず。よくできたアンティーク風の実用品、というやつだろう。針はしっかりと北を指している。
    「なるほど、これと地図さえありゃどこへでも走っていけるな。ありがとう、彩」
    「日方も、大変によい物をありがとう。……これはあたたかな文が綴れそうだ、日方の言葉のように」
    「買いかぶりすぎだって」
     それは烏芥の正直な感想だったのだが、日方はやや照れたように受け流すことにしたらしい。
     約一年前、『次は奢る』と今年の正月に交わした約束は、その時点では叶うかどうかも不明なものだった。でも今は、来年どころかその先も、揺るぎなく来ることが確約されている。
     ちょうど昭子から何か小さな包みを受けとっていた樹を見つけ、三人でぷらぷらとクリスマス市を散策することにした。
    「……俺はずっと本や夢の中でしか、外の世界を見た事がなかったから」
     現実の外の世界への扉を開いてくれたのは日方であると、烏芥は思っている。
    「色々な楽しさ、色々な初めてのものを教えてくれて、本当にありがとう。日方」
    「よせって。……俺だって彩や樹に会えて知った事がたくさんあるんだぜ」
     日方は卒業後、自分の目で世界を見てまわり、知らないことを伝えていく、そんな事をしたいようだ。
    「そうか……俺も卒業したら、日方の旅のお供をさせてもらっても良いだろうか。俺も世界を、この目で見てみたい」
    「もちろん。四年後が楽しみだな」
     ずっと聞き手に回っていた樹に、何か食べたいものはないかと烏芥が尋ねると、なんでも、という答えが返ってきた。
    「あまり好き嫌いとかないし、出された物はだいたい何でも。強いて言うならあのホットアップルワインって何だろ、くらい」
    「そうなんですか……ふふ、今夜はぜひ奢らせて下さい。長い間お疲れ様、そして本当にありがとう」
     こんな奢りでは足りない、とは烏芥は言わずにおく。
     これが最後ではない。こうして友人達と会う機会はきっとまた近い将来に望めるのだから、今は。
    「……」
     脇差は今大変な難題に直面している。
     ……まあとりあえず、だ。お互い灼滅者であるし色々お目こぼししてもらえるはずなので後顧の憂いは恐らくない。第一ESPが違法だなんだ言ったらこれまでの灼滅者の歩みは違法という単語が裸足で逃げ出す。要は使い方だ、使い方。やましい所さえなければ胸を張ればいい、そもそもダークネスだって見た目でしかわからなかったなんて話もあるんだから万が一見破られたらとかそんな、――。
    「脇差、今日はクリスマスデート、うんと楽しもう?」
    「ああ、そうだな」
     まさか想いを通わせて初めてのクリスマス。なんとか脇差は声が裏返る醜態を回避する。
    「やっぱりクリスマスだけあって、人がいっぱいだね。イルミネーションも綺麗」
     輝乃がエイティーンで一足早く未来の姿を見せてくれるだけでも僥倖なのに、ブーツはもちろん無敵装備のダッフルコート、落ち着きすぎないトンボ玉の髪飾りで結った黒髪の艶やかさの破壊力ときたら。
     この破壊力に最後まで耐えられたらもう2・3回くらい余裕で精神防衛戦戦い抜けるかもしれない、と割と脇差は本気でそう思う。がんばれ俺の自制心。耐えろ俺のサイキックハーツ(?)……自分でも途中からよくわからなくなってきた。
    「ええと屋台はあっちかな?」
    「そうみたい。美味しいもの、いっぱいあるといいよね」
     頼むから輝乃から腕を絡めにくるとか御勘弁願いたいが、年長者として情けない姿を晒すわけにはいかない。うすうす輝乃が確信犯で仕掛けてきていることに気付いていないわけではないが、それを差し引いても、自分から手を差し伸べてくれることが嬉しくてたまらない。
     いつもなら後ろから、裾を引いて、脇差が振り返るのを待っていたあの輝乃が。
     同じ歩幅で、同じ目線で歩く確かな未来を示してくれているようで。
    「でもグリューヴァインはお預けだね。脇差は来年かあ、いいな」
    「ホットグレープで我慢だな。それに多分、きっと……すぐだろ」
     なぜ『すぐ』なのかはさすがに言えず曖昧に濁したが、輝乃がぎゅうっと腕に力をこめたので色々どうでもよくなってしまった。
     ――Frohe Weihnachten(メリークリスマス)!
     ホットココアとホットフルーツビールの器を合わせて、合言葉のように。
    「クリスマスかあ」
     ふと外をみたポンパドールの目に、雪の幕が見えた。懐かしく思い出されるドイツでのクリスマス。
    「おれとニコさんと言えばクリスマスマーケットだったねえ。ドイツにいた頃も日本に来てからも、なんだかんだで毎年連れていってくれてサ」
    「……まあ、お前に多少なりとも楽しんでもらいたいと思っていたのでな。できる限り毎年連れて行くようにはしていたが、もし効果があったとしたならば幸いだ」
     とある不幸で心を鎧ってしまったポンパドールと、ニコは共に暮らした事がある。今ではそんな昔の姿など想像もできない。
    「でもさ、ニコさんいっつも『自分たちはいつ死んでもおかしくない』とか、『いつか生きて一緒にお酒が飲みたい』とか年寄りみたいなコト言ってたよネー」
    「仕方ないだろう……灼滅者が明日をも知れぬ身なのは事実だった」
     もちろん、過去形だ。語るニコ自身、やや懐かしむようにうすく笑っている。
    「今年は間にあわなかったケド、来年はいっしょに飲もうネ! ……ま、まあその、ちょっと、これからはりねと二人きりでーとか、そういうのも増えちゃうかも知んないケド、なんとかすっから!」
    「そうだな、楽しみにしている。それに伴侶を大切するのは当然だ」
     ソッチもあるでしょそういうの、いやあおたがいビックリだよねえ、と言葉を濁したポンパドールに、ニコはいつも通りすぱんと音がしそうな物言いを返した。
    「真咲のことはもちろん自分自身も、くれぐれも大切にするのだぞ。そして必ず幸せになりなさい――それが俺の願いだ」
     心からの、そしていつも変わらぬ真摯な物言いに、ポンパドールの頬が緩む。
    「……今まで見守ってくれてホントにありがとう、ニコさん。おたがい、幸せになろうネ」
     親友からの感謝の言葉に、ニコは満足したようだった。
    「はは、俺も勿論幸せになるとも。お前に心配されるほど落ちぶれてなぞいないと知れ!」
     快活に笑いあい、もう一度飲み物の器を打ちつけあう。
     雪はまだ止む様子はない。けれど、その雪が嵐を連れてくることはないと皆が知っている。理不尽に脅かされることもないと知っている。
     灼滅者が繋いだ幸福の形、それはきっとここにある。

    作者:佐伯都 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2018年12月24日
    難度:簡単
    参加:33人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 7/キャラが大事にされていた 1
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