闇の世界で誇る華

    作者:零夢

     十五も年の離れたあの人のもとへ嫁いできたのは、愛しさゆえだった。
     あの人の持っていた裏の顔は真っ当とは言いがたかった。
     怖くはないかと、あの人は訊いた。
     なんて答えたかはよく覚えていない。
     どきどきする――そんなことを言ったような記憶はある。
    『怖いのか、恋煩いか?』
     あの人は訊くだけ訊いて、私の答えも待たずに楽しそうに笑っていた。
     恋と名付けてしまうには勿体無くて、愛と呼ぶには幼かった。
     そんな想いがいとおしくて、零れそうになる笑みを抑えては、何度も何度もはにかんだ。
     たとえ世間様に向けられない顔があろうとも、あの人の隣にあるという特別が私の全てだった。
     それが私の世界だった。
     けれど、あの人はもういない。
     殺しても死なない人だと思っていたのに、あっさりと病に蝕まれてしまった。
     あっさりと、あっさりと。
     私の世界は崩れてしまった。
     もう、ここには何もない。
     どこであろうと何もない。
     そんな世界は、もういらない。
     いらない世界は、壊してしまえ――。
     そっと願った彼女の頭には、小さな黒曜石の角が生えていた。

    「世界を壊すためには、何が必要なのでしょうか」
     それは莫大なエネルギーだったり。
     予想も出来ないほどの天災だったり。
     あるいは、愛しい人の死だったり。
    「……もっとも、肝心なのは壊れたものを直すことなのかもしれませんね」
     大切で、けれど難しいこと。
     直すことも新しく創ることも、壊す以上に大変なことだ。
     五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)は、教室に集まった灼滅者たちに小さな笑みを向ける。
     どことなく哀しそうに。
     なんとなく切なそうに。
     そして言う。
    「けれど、世界には直せないものも存在してしまうのです」
     そう、これは闇から戻ってこられない彼女の灼滅譚。

    「今回の依頼の中心にいるのは久坂・蓮華さん――彼女は、旦那様の一周忌を終えたところで糸が切れたように闇に堕ちてしまいました」
     そして、もう帰ってこれません。
     姫子は穏やかな声色で言い切る。
     揺るがぬ事実を事実として、変えるべき未来へ繋げるために。
    「久坂さんの旦那さまというのは、表向きは企業の代表として多くの人々の上に立つ方でした。ただ、裏ではそれなりの手段に訴えることも少なからぬ方だったようです」
     よく言えば侠客、ざっくり言えばヤのつくお家の方というわけだ。
     だが、彼女と添い遂げてからの数年は裏に関わる不祥事がめっきり減り、正しい意味で侠客と呼べる存在だったらしい。
     その理由を明らかに知る者はいない。
     誰もが察した答えで間違ってはいないのだろう――それが暗黙の了解になっていた。
     そして彼が病に伏せてからは、久坂蓮華が組を取り仕切り、その地位を引き継いだ。
     彼女の手腕により、頭亡き後の烏合の衆も、組織としてのまとまりを見せていた。
     しかしそれは同時に、裏を返せば彼女の意志次第で組織の方向性はどちらへも向くということに他ならない。
     羅刹となった彼女は、思うままに生き、破壊衝動の導くままに行動する。
     壊して壊して、壊し尽くすまで。
     彼女の持つ組織力がそれに拍車をかけていた。
     もとより成立させる気のない取引を持ちかけては、応じないことを理由に次々と相手を潰していった――部下と、己の闇の力を使って。
    「バベルの鎖の存在により、事件が世間に流布することはありません。ですが、人の意識に留まらぬ部分で既に多くの方が傷ついてしまったことは事実です」
     一般人に彼女を止める術はない。
     だから、灼滅者が立ち上がらなくてはならない。
    「皆さんには、彼女の次の取引場所である倉庫群へ向かっていただきたいと思います。現れるのは久坂さんとその配下、そして取引相手です」
     ただし、取引相手はごく普通の一般人である。
     何らかの対策を立て、彼らを戦場へ立ち入らせない方がスムーズに事は進むだろう。
     先に倉庫群へ着いているのは蓮華たちであるので、その辺も考慮して欲しい。
    「配下は全部で三人。久坂さんほどの強さはありませんが、決して油断しないで下さい。彼らは三人とも、最早戻れないほどにまで強化されています」
     だから灼滅すべきは全部で四人。
     そして四人が四人とも、神薙使いの力に由来するサイキックを使用してくる。
     加えて、蓮華は日本刀も装備しており、それに準じた攻撃も可能である。
    「……それと、言葉を投げかけるのは全くの無意味ではありませんが、それにより戦闘能力が劇的に変化することはないでしょう」
     なにしろ、闇に堕ちてから時が経ち過ぎている。
     人の言葉で踏みとどまれる領域には、もういないのだ。
    「それでも、皆さんならばきっと彼女の闇を終らせてくれると信じています」
     結婚した事がなくとも、夫を失った事がなくとも。
     大切な者を手放してしまった事があるのなら。
     誰かを深く愛しんだ事があるのなら。
     闇を抱え、光の世界で立つ灼滅者であるならば。
    「届けられる限りの想いで、彼女を終焉へと導いてあげてください」
     それがきっと、残された中の最善だから。
     姫子は、そう話を締めくくった。


    参加者
    佐々・名草(無個性派男子(希望)・d01385)
    留守・正嗣(四穂の呑底・d01992)
    王子・三ヅ星(星の王子サマ・d02644)
    聖・ヤマメ(とおせんぼ・d02936)
    姫条・セカイ(黎明の響き・d03014)
    東条・橘花(想影草・d03303)
    神代・煉(紅と黒の境界を揺蕩うモノ・d04756)

    ■リプレイ

    ●蓮の咲く場所
     深い闇が辺りを包む。
     皮肉なほど見事な星空の下には、二人の灼滅者が立っていた。
     王子・三ヅ星(星の王子サマ・d02644)とメイローズ・ハルメリア(宵星・d07835)。
     その周りでは幾人もの一般人が眠っている。
    「説得できればよかったのですが……」
     溜息混じりに呟いたのはメイローズ。
     理想としては、蓮華の関係者を装うことで取引中止を告げ、取引相手の一般人にはこの場を去って欲しかった。
     だがいくら『プラチナ』チケットといえど、望むものになれるわけではない。
     流石に小学生が蓮華の使いという肩書きは無理があったようで、まるっきり無視はされなかったものの胡散臭げな目を向けられてしまった。
     そして最終手段の魂鎮めの風を使い、今に至る。
    「……まあね。でも、とりあえず眠ってくれたことだしボクらも急ごう」
     三ヅ星の言葉にメイローズは頷くと携帯を取り出す。
     一般人の保護が完了した今、早急に先行班との合流を果たさねばならない。

     ほぼ同時刻、倉庫群の一角にて。
     先行班は息を潜め、ある倉庫を見つめていた。
     その中では久坂蓮華と三人の部下が来るはずのない取引相手を待っている。
     と、僅かに開いた隙間から中の声が漏れてきた。
    「ちょっと、あちらさんいやに遅いじゃないか。何やってんだい」
    「はっ。ですが姐さん、まだ約束の時間を回ったばかりで」
    「バカ、何言ってんだ。一秒でも姐さんを待たせる奴ァ許されねぇんだよ」
    「おうよ。俺なら姐さんのために前日からでも――」
    「お馬鹿! 下らないこと言ってないでとっとと様子でも見ておいで!」
     ――マズい。このまま動きだされると見つかってしまう。
     と、灼滅者たちが視線を交わしたその時、神代・煉(紅と黒の境界を揺蕩うモノ・d04756)の携帯が光った。
     着信相手はメイローズ、用件は保護の成功と合流場所の確認のはずだ。
    「……行きましょう」
     それを認めた東条・橘花(想影草・d03303)は静かに言う。
     こうしている間にも足音は近づき、倉庫内から人の出てくる気配がする。
     三ヅ星とメイローズは役目を果たした。
     今度はこちらが動く番だ。
     煉は小さく頷くと通話終了ボタンを押し、手早く作成済みのメールを呼び出し送信する。
     倉庫から出てくる男は一人。
     まだこちらには気づいていない。
     今不意をつけば、楽に倒せるだろう。
     佐々・名草(無個性派男子(希望)・d01385)はキャリバーのアクセルを踏み込み、突撃を掛ける。
    「――ッ!」
     虚を衝かれた男は叩きつけられるように地に倒れ、しかしそこからの反応は早かった。
     さすが日頃からその道を歩んでいる人間と言うべきか。
     素早く体制を整えると渦巻く風刃が空を裂く。
     刃は真っ直ぐに聖・ヤマメ(とおせんぼ・d02936)を襲い、しかし姫条・セカイ(黎明の響き・d03014)も劣らぬ速さで護符を飛ばし傷を癒した。
     そして、そのまま突っ込んだヤマメの拳が男の腹を抉る。
    「――っ、……チッ」
     分が悪いと踏んだのか、男は小さく舌打ちすると大きく息を吸った。
     仲間を呼ぶつもりだ。
     そうはさせるかと、喉元めがけて走る黒い影――留守・正嗣(四穂の呑底・d01992)から伸びたそれは、獲物を喰らう狼。
     どさりと倒れる男。
     今度はもう起き上がらない。
     そして。
    「待たせたねっ!」
     見事なタイミングで、一同の背後から三ヅ星とメイローズが駆けつけたのだった。

    ●一蓮托生
     ギィ、と重たい扉をくぐれば、ガランとした倉庫にいた三人と視線が合う。
     和服に日本刀、これぞ姐御といった風格の女性をスーツ姿の男達が囲んでいた。
     立ち位置から察するに、二人ともディフェンダーだろうか。
    「なんだい、あんた達」
     訝しげに眉をひそめた女性――蓮華の問いに、名草が進み出る。
    「やあお姉さん、月が綺麗だね。月に惑わされた人は獣となると言うけれど……成る程。まったくもってそう思わないかい?」
     ねぇ、お姉さん。
     口元に小さな笑みを灯して彼は問う。
    「貴女はまだ、人なのかい?」
     怯むことなく向けられた瞳。
     それを真っ直ぐに見返すと、蓮華はフ、と笑みを浮かべた。
    「そう見えるかい?」
     それは人を捨てたように。
     まるで人でなくて構わないというように。
     額から突き出た漆黒の角を隠そうともしないで。
    「……まぁ、何でもいいさ。私が獣であっても、あんた達が何であっても」
     蓮華は刀を抜き、灼滅者たちを顎でしゃくる。
    「消しちまいな」
     言葉と同時に飛び出す二人の男――うちの一方を狙い、橘花は弓を引く。
     橘花にとってはこれが初陣。
     争い事が好めず、誰かに対して力を振るうことすら初めてだ。
     それでもきっと成し遂げよう。
     もう戻れなくても、せめて思い出してもらえるように。
     愛した人の、志を。
    「東条橘花、参ります」
     決意の言葉とともに放たれた矢は男を撃ち抜き、なのに彼は止まらない。
     ダメージに立ち止まるどころか、傷は次第に癒えていく。
     なぜ――見れば、蓮華が背後から清めの風を送っているではないか。
    「姐さんは傷つけさせねぇぞ」
     男が大きく膨れ上がった腕を正嗣へと振り下ろし、けれど何とか彼は踏みとどまる。
    「――、それは……すまない」
     無理なのだと、正嗣は静かに告げる。
     このまま続けていても何も救われない。
     ただ悲しみが増えるだけだから。
     槍の妖気から生み出した氷柱を撃ち込めば、癒す暇も与えぬよう橘花の霊犬・桜も刃をつき立てた。
    「ガキがッ!」
     苛立ちを隠しきれず怒鳴った男に、三ヅ星は鋭い光を解き放つ。
    「子供だと思って、甘く見ないで欲しいな」
     年齢差はどうにも出来ない。
     だが、闇に向かう者としては紛うことなく一人前だ。
     男が呻くように倒れると、蓮華を守る者はあと一人。
     その事実に、残った男は彼女を庇うように動きを止めた。
    「姐さん、ここは一旦――」
    「退かないよ」
     躊躇う男に蓮華は言葉を被せる。
    「……今更失うものなんて、ありやしないんだから」
     蓮華は僅かに目を伏せ、男はしっかと頷いた。
    「お供します、姐さん」
    「ほら、とっととやっちまうよ!」
     その言葉で、男は応えるようにカミの刃を放つ。
     斬りつけられたメイローズは、それでも指輪を構えた。
     指に対してかなり大きめの精巧な指輪。
     そこから放たれた弾丸は、蓮華の前に立つ男の身に埋まる。
    「チッ」
     蓮華は眉間を寄せると刀を一閃、衝撃波を放つ。
    「随分余裕が無いんだな」
     受け止めながらそう言ったのは煉。
    「……オレには死にたがってる様に見えるぞ、アンタ」
     伸びた影が男を喰らい、
    「黙れ!」
     それでも男は、蓮華に口を開かせまいと叫ぶ。
     蓮華は冷めた瞳のまま何も言わない。
    「……お強い方なのに、わたくしには暗闇の中で光を求め、ただ泣きじゃくっている幼子の様に見えてなりません」
     セカイは誰にとも無く零し、柔らかな風で味方を包む。
     傷を癒し、再び立ち向かうために。
    「黙れって――ッ!」
     男は飛び出し、けれど言い終えぬうちにその身が殴り飛ばされ、息絶える。
     殴り飛ばしたヤマメ――彼女は巨大な腕を携えたまま、凛として蓮華に微笑んだ。

    ●散蓮華
    「大切な方が、おりました」
     記憶を辿り、ヤマメはそっと語りだす。
    「追っても無駄だと、共に暮らせるあの世などないからと言われてしまったわたくしは、ここにいるしかございませんの」
     失ってしまった大切な人。
     その喪失の痛みは同じかもしれない。
     けれど、唯一無二の人を想う気持ちはそれぞれだから。
    「貴女様の想いはわかって差し上げられないでしょう……それでも、話したくなりました」
     誰かを失い、遺された者として。
     抱きしめて差し上げたいと思うのは傲慢でしょうか。
     共に泣きたいだけなのでしょうか?
    「はっ、話したところで変わりゃしないさ。ねぇ?」
     乾いたように笑い、蓮華は地を蹴る。
     傷つきながら。
     見ている方が泣きたくなるような笑みを浮かべながら。
    (「頑張りすぎてしまったんだな――」)
     正嗣の胸の内に穏やかな悲しみが広がる。
     ならばもう、気張らずともいいように。
     大切な人の元へいけるように。
     祈りにも似た、灼滅を。
     正嗣の影が蓮華を喰らう。
     彼女は痛みに小さく目を見開き、勢い任せに刀を振るう。
     そして響く、金属音。
    「何でアンタ……いや、蓮華はこんな事をしてるんだ?」
     振り下ろされた蓮華の刃を受け止めた煉が問う。
     蓮華の行為は亡き連添いの想いを無にしているのだと、それがわからない彼女ではないはずだ。
    「さぁ? 理由が必要かい?」
     それがあれば世界を壊せるのかと。
     あったとしても、もう今更だと。
     その瞳の中に諦めにも似た色を見つけ、煉は刀を持つ手に力を込める。
    「……止まれないなら、いいよ、オレ達が此処で止める。蓮華の悲しみ諸共、滅してやるさ!」
     大きく斬り払えば蓮華の身体が軽く飛ぶ。
     地に倒れ、素早く立ち上がりかける彼女にはメイローズが弾丸を。
     闇に堕ちようとも凛して咲く彼女へ。
     誰にも頼らず己を律し、皆を支えてきた彼女へ。
    「蓮華様、最期にもう一度だけ取り戻してくださいませ」
     崩れてしまった、本来の強さを。
     きっとそれは、今の彼女を赦さないはずだから。
    「……そんなもの、もういらないさ」
     メイローズの願いに、蓮華は口だけで笑う。
    「もう、何も――」
    「いらないなんて、言うな!」
     叫ぶように言葉を重ねたのは三ヅ星。
     ここに来るまでずっと考えていた。
     大切な人を失ったことのない自分も、時が来ればそう思ってしまうのだろうか。
     もういらないと、壊したいのだと。
     大切な人とともに過ごしたこの世界を。
     彼女を理解できない自分が悔しい、悲しい、もどかしい。
    「悲しくても、『それ』も大事なものじゃないのか……!?」
     何もわからない自分の言葉は届かないかもしれない。
     それでも彼は、悲しみに歪んだ顔で異形の腕を振り下ろす。
    「……ッ、お黙りよ、坊や!」
     迫り来る重圧に堪えて蓮華は抜刀、三ヅ星を斬伏せる。
     ぐらりと彼が倒れかかれば、セカイの歌がその身を支えた。
     ただ一途に謳う彼女の頬を温かな雫が伝い落ちる。
     同情なのかもしれない。
     でも、当たり前のように泣けない貴女の為に。
     愛しさ故に堕ちた女性の為に涙する人間が一人くらいいたって、赦されるはずだ。
     でなければ、それはあまりに哀しすぎる。
    「――……」
     冷めた目をした鬼は無言で刀を構え直すと、名草がそれに向き直る。
    「貴女の気持ちはわからないよ」
     淡々と、語るともなく呟くともなく。
     怖かったんだ、異能に目覚めて。
     世界に満ちる、悪意を知って。
     僕の世界の脆さに気づき、その崩壊が何より怖くて。
     貴女の気持ちをわかりたくない。だって世界を壊したくないから。
     だからヒーローになりきって戦おう。たとえそれが、恐怖からの逃走を意味しても。
     何かになりきらなければ戦場にも立てない臆病者――ならばせめて、最後まで。
     それが臆病者の小さな矜持。
    「いぃいいいいやっはぁ!」
     アクセル全開、特撮よろしく名草はキャリバーで突っ込む。
     吹き飛ぶ蓮華。
     そして彼女はゆらりと立ち上がり、虚ろな瞳で睨めつけた。
    「……っ」
     その姿に、思わず橘花が息を呑む。
     力を振るえば何かが傷つく。
     傷つけば痛いのに。
     当たり前のように苦しいのに。
     なのに、彼女は立ち上がる。
     これが戦うという意味なのだろうか。
     灼滅者が負うべき覚悟なのだろうか。
    (「やるしか、ないんだ……っ」)
     戸惑いながら、橘花は震える指で弓を取り、矢を番える。
     突きつけられた現実と向き合うために。
    「――……ごめんなさい」
     真っ直ぐに放たれた矢は蓮華を射抜き。
     橘花の頬を、一筋の涙が零れ落ちた。

    ●睡蓮
    「……は」
     音も無く崩れた蓮華は短く笑う。
     もう力が残っていないのだろう、身じろきもしない彼女をセカイがそっと抱きしめた。
     柔らかな笑みを向け、撫でるように髪を梳くと着物の乱れを整える。
    「……これから旦那様に逢いに行かれるのでしょう? ならば綺麗にしておきませんと」
     ボロボロと崩れ落ちる闇色の角。
     さらさらと砂のように薄れゆく指先。
     もう、長くは無いだろう。
    「向こうでいっぱい叱っていただいて……そしていっぱい甘えてきてくださいね」
     セカイの瞳から零れた雫が、蓮華の頬を濡らす。
    「……馬鹿だね」
     ぽつりと、掠れた声で蓮華が紡いだ。
     その瞳に温もりに似た何かを見た気がするのは、やはり気のせいなのだろうか。
    「あぁ、……まったくもう」
     蓮華は視線だけで灼滅者を見回し、呆れたように呟く。
     そんな辛気臭い顔してんじゃないよ。
     本当。
     馬鹿だね。
     声なき声――口の動きだけで彼女は語る。
     橘花は指が白くなるほどぎゅっと弓を握り締め、正嗣は黙したままに瞼を下ろす。
     そしてヤマメが精一杯の笑顔を浮かべ、蓮華を見つめた。
    「どうか、とびきりの笑顔でおいきなさいませ」
     滅する我らが覚えておきますから――と。
    「…………」
     蓮華は最期に、小さく笑う。
     す、と僅かに口の端を上げ。
    「――、さん」
     すうっと息を呑むと、眠るように力が抜ける。
     愛しい人の名を呼んだその顔は、今までの何より人間らしかった。
     ついに蓮華の身体が形を失えば、セカイの腕は空を抱く。
     これで彼女を――そして彼女を想い続けた彼の人の心を守ることが出来たのだろうか。
     煉は己に問いかける。
     たとえ灼滅しか出来ずとも、彼女が破壊を望もうとも。
     壊れずにすんだものの存在を信じたいというのは綺麗事だろうか。 
     最期の微笑が彼女本来の強さだったと、そう思うのは都合が良すぎるだろうか。
     メイローズは切なげな表情を浮かべ、なんとも言えぬ想いを胸に抱く。
     きっとどちらでもいいことだ。
     彼女はゆくべき場所へ旅立てたのだから。
     余韻のような沈黙を噛み締め、やがて三ヅ星は皆に背を向け静かに呟く。
    「皆、帰ろう。ボク……少し、疲れちゃった」
     たくさん悩んで、いろんな想いが交差して。
     残された想いは、どうにも形容しがたくて。
    「…………うん」
     名草が短く答えると、ひとりふたりと動き出す。
     帰るべき場所へ戻るために――優しさによく似た、痛みを抱えて。

    作者:零夢 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年11月19日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 8/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 2
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