ラプンツェルの嘆き

    作者:

    ●恐怖の呼び声
    「ラプンツェル、俺は来たよ。さぁ……こっちへおいで」
    「いや……来ないで……!」
     追い詰められた壁際、足がすくんで動かない。恐怖から来る震えで、言葉が声になっているか解らない。
     猛勉強の末無事入学を果たした大学。お洒落なアパートの3階で、夢の一人暮らし。バイトにサークル、そして憧れの先輩。
     春から今日までは、平和で楽しいキャンパスライフを送っていたのに。
     ――どうして、こんなことに。
    「俺のラプンツェル……誰にもあげない。短い髪も、似合うね?」
     足元の白い絨毯の上には、春から苦労して伸ばした長い黒髪が、無残に散っていた。

    ●短髪のラプンツェル
    「今日も、サイキックアブソーバーが俺を呼ぶ……時が来たようだ。お前達に、一つの運命を託したい」
     晩秋と初冬の境、澄み渡る空が闇に落ちるのも早い。武蔵野学園の或る教室で、神崎・ヤマト(中学生エクスブレイン・dn0002)は灼滅者へと語りかける。
    「救出対象は小藤・彩音(こふじ・あやね)。相手はシャドウ。大学生の彩音は、見目さっぱりとした美人なんだが……ベランダで洗濯物を取り込む姿に、一目惚れした男が居たんだ」
     男は、毎日毎日ベランダに現れる彩音を見つめていた。嫌がらせや付け回す等の実被害こそなかったため、彩音はその視線に全く気付かず、奇妙な関係は半年以上もの間続けられた。
     ……ある日、男が壁をよじ登り、彩音の部屋のベランダへと至るまでは。
    「幸運にも宅配員の訪問で、彩音は何とか事なきを得た。その場ですぐに警察を呼び、男は逮捕されている。だが、男に知らず見られていたこと、ある日突然自分の部屋に現れたこと……一連の事実を把握し、彩音の心には恐怖が生まれた」
     以来、日々心の中で繰り返される『見られているかも』『帰ったら今度は部屋の中に誰かいるんじゃないか』という緊張と恐怖。疑心から来る心の疲労は体の不調までをも呼び、彩音は家に引き籠りがちになった。
     そして、2日前から眠り落ちたまま目を覚まさない。
    「原因は勿論シャドウだ。彩音の恐怖に付け入り、彼女の中であの悪夢を延々と繰り返し再生している。このままだと、衰弱が進んで彼女は死ぬ」
     彼女のソウルボードへとアクセスすれば、彼女のアパートの扉の前へと降り立つことができる。すぐに突入すれば、男がベランダから部屋へ侵入し彼女と対面した所に鉢合わせるタイミングだ。彼女を守り悪夢の完成を妨害すれば、男は消え、シャドウが悪夢の破壊者を打ち崩さんと2体の配下を伴い姿を現す。
     ビッ、とV字に右手の指を突き出して、ヤマトは言い放った。
    「すべきことは2つ。夢へと入り込み彼女を守ること。そして、シャドウ並びに配下の撃破だ」
     撃破と言ってもシャドウは強力で、現段階の灼滅者達に灼滅出来る様な生易しい存在では無い。精神世界内ですらそうなのだから、度を超えた挑発によって怒りを買い、現実世界まで灼滅者達を追ってくる様な事態になれば、その強さは戦って怪我、どころの話には留まらない。
    「配下は雑魚だが、シャドウはまず倒せない。それを大前提として動いて欲しい。彩音の精神世界からシャドウを撤退させること、それが今回のお前達の役目だ」
     シャドウ、配下共にシャドウハンターのサイキックを使用する。加えてシャドウは手に持つ大きなハサミで『咎人の大鎌』のサイキックであるデスサイズを繰り出すという。
     ――ハサミ?そう問うた灼滅者へと、ヤマトは溜息混じりにこう零した。
    「彩音を襲った男だが、名も解らない彩音のことを『ラプンツェル』と呼んでいた様だ。童話中、塔の上へその長い髪で愛しい男を招いた女。彩音の髪の長さはせいぜい腰までくらいのものだったんだが、他の男を部屋へ招くことがない様にという意味だろう、襲撃の際に短く切っちまった」
     夢の中の彩音は、髪を切られたことを一度現実として受け止めた為か、既に短髪。だが、大切に手入れし伸ばし続けた髪を突如として切られたショックは、受け入れた今でも相当のものだろう。
    「現実の彩音は、ラプンツェルでも何でもない。憧れの先輩の好みを知って髪を伸ばし続けてた様な、控え目な女の子なんだ。襲われてからは、一人一人違う時間割をわざわざ友人づてに確認して講堂に会いに来るほど彩音を心配してる先輩に、顔見せできなくなっちまったくらいに、な。」
     含みのあるヤマトの表情と言葉は、遠まわしに先輩と彩音の通い合う心を灼滅者たちに告げていた。
     現実に起こってしまった悪夢の様な出来事と、シャドウが見せる悪夢。でも、それを乗り越えられたならば、彼女には最上級の幸せが待っている筈なのだ。
     辛い記憶を、過去のこととして終わらせる為にも。
    「頼んだぜ、灼滅者達」
     目指すは、彩音のアパート――シャドウの待つソウルボードへと。


    参加者
    板尾・宗汰(ナーガ幼体・d00195)
    風嶺・龍夜(闇守の影・d00517)
    華宮・紅緋(クリムゾンハートビート・d01389)
    高坂・由良(プティムーランルージュ・d01969)
    前田・光明(中学生神薙使い・d03420)
    髪切・みさわ(独り星・d06920)
    エリザベス・バーロウ(ラヴクラフティアン・d07944)
    葛城・遥(闇を知る花冠・d09964)

    ■リプレイ

    ●救出
    「……こ、来ないで……!」
     ベランダから突如現れたその男は、だらりとしまりのない笑顔で、一歩、また一歩と彩音に歩み寄る。じり、と壁際に追い詰められ、彩音は恐怖に顔を歪ませた。自分へと迫る見知らぬ男。その顔が、より一層笑みに歪んで――逃げられない、そう、思った。
     直後。
    「はいはい、ストーカーさんの紛い物はとっとと退場してください」
     ガツン! 頬への鋭い衝撃に、男はベランダへと吹き飛んだ。女性とは思えぬ巨大な膂力宿す腕の一撃に、外界と室内隔てる硝子が大きな音を立て飛び散る。
    「もうあなたの出番は終わってます」
     突撃の勢い乗せた異形の巨腕をしゅるりと元へと戻し軽やかに着地すると、華宮・紅緋(クリムゾンハートビート・d01389)は、にっこりと微笑んだ。その衝撃的な登場に、絶望へと傾きかけた彩音の心は一瞬、恐怖から僅かに解放される。
    「え……?」
     何が起こったか解らず呆然とする彼女の前へ、男から守る様に立ったのは、前田・光明(中学生神薙使い・d03420)とエリザベス・バーロウ(ラヴクラフティアン・d07944)、そして一体の霊犬。更に後方には、武器を手に立つ複数の人影。
     5人ものシャドウハンターのソウルアクセスを駆使して、8人の灼滅者が訪れたはソウルボード――悪夢の元凶、シャドウの撃退。真っ先に彩音へと駆け寄った薄紅の髪の少女を除いて、全員が吹き飛んだ男を真っ直ぐに見据えていた。
     何とか屋外への飛翔を免れた男は、そのままこと切れたのか動かない。しかし、吹き飛んだ男は、シャドウではない――。
     アレクシオ、と、彩音の前へと立つ自らの霊犬へ柔らかく声をかけたのち、薄紅の髪の――高坂・由良(プティムーランルージュ・d01969)は彩音の手を取った。血の気を感じない程冷たく小刻みに震えるそれに彼女の内心の恐怖を見て、温かな両手で覆うように包み込む。
    (「……シャドウも勿論ですが、彼女をこんな風に傷付けたストーカー男も成敗して差し上げたいくらいですわ……!」)
     宿した強い怒り。しかし今は、先ず彩音の安全を急ぎ確保しなければならない。腰が抜け、自力で移動できそうに無い彩音を見て、由良は葛城・遥(闇を知る花冠・d09964)へと目配せすると、二人で彩音を肩へ担ぎ、急ぎ後方へと下がった。
     その背が玄関の先へ消えていくのを見送ると、光明はもう一度前へと向き直る。強く見据えた先に伸びる男が、ぐにゃりと空間ごと歪んだ。
    「……ストーカー野郎。あの人は死なせないし闇堕ちもさせない。引いてくれ」
     挑発的に発する言葉は、男に対してではない。そこに現れた、人の心の闇を喰らうもの――身にスペードを宿したシャドウへと、送られた。

    ●囚われ人の抵抗
     クケケケケ、と響く笑い声は、耳障りな不協和音。
     悪夢に戯れる巨影は、その不可思議な形状の体を器用に捌き、灼滅者を襲う。
     繰り出すは、断罪の刃。この精神世界の主の、恐怖と絶望の象徴の様なその鋏の鋭い切っ先が、エリザベスの纏う黒衣へと伸びた。思う外俊敏なその動きの更に一歩先、しなやかにかわす、エリザベスはまるで黒猫。
    「あなたのお相手はこちらよ、Mr.Scissors Man」
     挑発的に笑んで、軽やかに後方へと跳躍する。空いたその隙間へと飛び込んできたのは、風嶺・龍夜(闇守の影・d00517)の鋼糸だ。
    「……捕縛業の弐、搦糸」
     静かな声音で告げ、繰り出す闇色の糸は一斉に広がる。ひゅん、と音聞こえるが早いか、糸はシャドウの闇の体の上をどこまでも駆け巡り、その動きを掴まえた。実体ある影は、己が色と同化する糸の結界の生み出す圧に、窮屈そうに身を小さくする。
     ふー、と小さく息を吐き、呼吸合わせて龍夜へと続いた板尾・宗汰(ナーガ幼体・d00195)の標的は、此方も闇色の人型、2体のシャドウ配下。
     影業を装備はしたものの、サイキックの用意の無かった宗汰は、小さく舌打ちをした。持ち替えその手に収めたのは、無造作に主の名が刻み込まれた銃。
     放つは、敵の不意突き勢い削ぐ、援護の銃撃。
    「他人の精神、食い物にしやがって!」
     正確に照準を定めるその位置から狙い済まし放たれた銃撃は、最前列に並ぶ3つの影を的確に捉える。相変わらずクケケケ、と不快な笑い声が聞こえるが、急所を貫かれた1体の配下が、ぐらりと体制を崩した。
    「『轢き裂け、グリムリッパー』」
     配下への有利を見て、髪切・みさわ(独り星・d06920)が心置くサーヴァント『グリムリッパー』の封印を紐解く。
     スレイヤーカードが発した光の中に現れた輝く碧のボディが、その声に応えて配下へ猛然と突撃した。強烈な一撃に宙を舞う配下へと、みさわもそのまま続く。
    (「たとえ他人の世界であっても……ソウルボードはオレの故郷、守りたい」)
     かつては現実と思い過ごした精神世界。此処は、ソウルアクセスする直前の現実の景色と何ら違いは無いけれど――それでも、肌に触れる空気が、或いは感覚が、現実では無い懐かしいものとしてみさわの心を奮い立たせる。
     繰り出した捕縛の糸が、1体の配下を絡め取ると――その闇は、音も無く刈り取られた後、塵となって消えた。

     始まった戦いの気配に、遥は暖かな琥珀色の瞳を揺らした。
     玄関の外は、下階へと向かう階段。そこへ由良と共にそっと彩音を腰掛けさせる。小刻みだった体の震えは恐怖を反芻してかより強く彩音を苛み、涙は次々と頬を伝った。
    「……怯えてらっしゃいますよね、でも、もう大丈夫ですわ」
     ふわりと、品のある柔らかな声で微笑みかける遥は、彩音の痛みをその身に、過去に知っている。だからこそ、悪夢を終わらせる為、再び戦場へ戻らなくてはならない。
     彩音が、救われることを望むから。
    (「かつて、私が救われたように」)
     心に決意秘め、ふわりと短い彩音の髪を撫でると、彩音は顔を伏せ、嗚咽混じりに泣きじゃくった。自分よりも大人の女性の見せる弱さに、由良の胸が痛む。
    「……すぐに忘れたりできないのはわかります。でも」
     それでも、立ち止まって欲しくなかった。
    「嫌なことに引き摺られて、自分の大切にしていた想いや、大好きな人を失うなんて勿体無いですわ!」
     悪夢に囚われて見逃すには、あまりに惜しい幸福が彩音の目の前には広がっている。そして、ぎゅっともう一度手を握ると――彩音も、それに応えた。
    「……わたし……ラプンツェルなんかじゃ、ない……」
     震えながら、確かに握り返された手。由良と遥の励ましが、彩音の中の悪夢を、揺るがす。

    ●闇は嗤う
     早々に2体目の配下を倒し、灼滅者達の戦いはシャドウとの消耗戦へと突入していた。
     最前線で、破壊力を上乗せした風の刃を見舞った紅緋のスカートが、流れを変えた空気に揺れる。シャドウの不快な笑い声は、灼滅者を嘲る様な響きをもって戦場となったアパートの一室に轟いた。
     やはり、強い。ほんの数撃の受傷で、前列の紅緋、光明、エリザベスの3人は既にぎりぎりまで追い込まれていた。その力は倒した配下の比では無く、灼滅者の攻撃を難なくいなして戦うシャドウの余裕は明確なものだ。
     龍夜が細く奔る斬撃の糸を繰り出しているその間に、光明は展開したエネルギー障壁でその傷を癒した。治癒の光と共に齎された障壁強化の力は、振り被り繰り出されたシャドウの一撃からその身を守る盾となる。
    (「俺は今回立ってるのが一番の仕事だからな」)
     敵の強さは想定されたもの。防御の要として布陣した自分にできることは、攻めることではなく、仲間を庇い、守り、戦線を維持することだ。
     倒すのではない、守りきれば、勝利。
    「人間様の力、舐めるなよ」
     眼鏡の奥の赤茶の瞳が、不適な色を帯びて、笑んだ。
     そこへ届いたのは、光。盾をもってしても防ぎきれず傷負った光明へと、眩い祝福の光が降り注いだ。振り返れば後方には、祈りを終えた由良と、天星弓を構える遥の姿。
    「彩音さんは大丈夫ですわ。悪夢、終わらせましょう……!」
     齎された彩音の無事の報。たちまちに灼滅者達の心に火が点った。悪夢砕く戦いを維持する為に遥の放った癒しの矢は、エリザベスの目に見える傷をみるみる癒していく。
     軽くなったそのしなやかな肢体に黒を纏うエリザベスは、圧縮したサイキックエナジーによって実体化させた己が影を手に、地を蹴った。金に輝く瞳が、猫の様に妖しく煌く。
    「Ia! Ia!」
     放たれる漆黒は、深淵たる闇の触手と化して、どこまでも重く、暗く、深くシャドウを襲った。直後、それまで切れ間なく響いていたシャドウの笑声が途切れる。
    「!」
     その変化に、灼滅者達が一斉に顔を上げた。表情は読めないが、追い込むには、あとわずかか。
     攻撃をより加速すべく、宗汰の援護の連射が再びシャドウを捉えた。それを合図代わりに灼滅者達は攻勢を加速させ、一斉にシャドウへと畳み掛ける。
    「いい加減目障りです」
     シャドウ本体を灼滅できないもどかしさを胸に、吐き捨てる様な呟きと共に紅緋が繰り出した鬼神変が、先に重ねた破壊力の恩恵と共、強く深くシャドウへと刻まれると――。
     その一撃を最後に、もう一度クケケ、と甲高い声の余韻を耳に残して、シャドウは霧散する様に消えていった。

    ●明日へ咲く花
     ソウルボードを故郷とするみさわには、戦いの終焉がはっきりと理解できた。どこか張り詰めていた空気が、穏やかなものへと変わっている。
     一つ安堵の溜息をつくと、グリムリッパーをその手で労いながらみさわはシャドウ去った空間を見つめた。
    (「今回は倒せなかった。でも、次に会う時は必ず仕留めてやる」)
     初戦を終え、決意巡らすみさわ。その後ろ、彩音の無事を確かめるべく、由良はまっすぐに玄関へ向かった。扉開けた先に、変わらず階段へ腰掛ける彩音を見付けて、由良の双眸が優しく緩む。気配に振り向いた彩音は、慌てて立ち上がると、灼滅者達の元へと階段を駆け上がった。
     傷が癒えたわけでは無いだろうが、その表情には穏やかな微笑みが浮かんでいる。もう大丈夫、と口々に告げる灼滅者達の中、遥は改めて彩音に向き合った。
     短い髪は、彼女の整った輪郭線をすっきりと際立たせている。髪を切ることは本意では無かっただろうが、それでも、告げずにはいられなかった。
    「人は内側の魅力が伝わると申します。髪の長さなど気にせず、貴女の恋がうまくいくことを応援しておりますわ……そのショートカットも魅力的ですわよ」
     きょとん、と目を丸くした後、彩音は頬をほんのりと赤らめた。ありがとう、と告げる傍ら『何故自分が恋していると知れたのだろう?』その表情には、照れの感情が滲んでいた。
     光明も、言葉を繋ぐ。
    「俺基準で申し訳ないが、男は女の髪に惚れるわけじゃないし……ショート、似合ってる。自信持て」
     年下とはいえ男性から受けたその言葉に、彩音がますます頬を染めると、灼滅者達に朗らかな笑い声が上がった。現実と同じく青く瞳に映る空は、悪夢の終わりに上がったその声を歓迎する様に、どこまでも澄み渡って輝いていた。

     彼女の疲弊し切った精神世界を気遣い、宗汰は足早に現実へと向かう。全部悪い夢だった、目覚めた彼女はそう思えるだろうか。
     去り際、薄れ行く精神世界の気配に、龍夜はもう一度だけ彩音を振り返った。シャドウの齎す悪夢に一人で立ち向かうのは難しいから――その表情に、陰りは無いだろうか。現実で彼女は、乗り越えることができるだろうか。
     覚醒へ向かうソウルボードの中、視界に捉えた少女には、これから迎える日々の輝きを予感させる、幸せな笑顔が咲き誇っていた。

    作者: 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年11月28日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 11/感動した 2/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 4
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