恋情~ただ、手を触れて~

    作者:篁みゆ

    ●お嬢様の熱い想い
     お父様がわたくしの結婚相手にと考えている部下の方を連れていらっしゃるとおっしゃったから、最初はどうやってお断りしようか悩んだほどだったのに。
    「はじめまして、遠山・英基です」
     わたくしはひと目で恋に落ちたというのに。なのに何故、何故、何故。
     恋する人には手を触れたいと思うものだとわたくしは聞きました。けれども英基さんはエスコートはしてくださるものの、わたくしの手を握ってはくださいません……。
     どうすれば、どうすれば……あの方にとってわたくしは、ただの子供でしかないのでしょうか。出世のためのただの道具でしかないのでしょうか。
     微笑んでくださるその笑顔は仮面なのですか?
    「問題ないよ。昼間はお嬢様の相手をしなくちゃならないけれど、夜は君の為に開けておくから」
     ちょっと失礼、と席を外して随分時間が立つから、お手洗いに立つふりをして廊下に出たら……聞こえてきたのはそんな彼の声。
     立ち聞きなんてはしたないって止めるわたくしの心と気になるというわたくしの心。気になる方が勝って、そっと廊下の曲がり角に近づく。
    「……ああ、愛してるよ」
    「!?」
     あんなとろけたような甘いささやき、聞いたことがない。わたくしとは手も繋いでくださらないというのに、その電話の相手にはそんな囁きをするのね。
    「わたくしだって……!」
     どくん、心が跳ねるような衝動。曲がり角から反対に駆け去りながら呟く。
     わたくしだって、やればできるのですから……!
    ●お嬢様の計画
    「皆さん、お集まりいただき、ありがとうございます。淫魔への闇堕ちを感知いたしました」
     灼滅者達が集ったのを確認すると、五十嵐・姫子(高校生エクスブレイン・dn0001)はペンギン型のメモ帳を開いた。そしてそこへと視線を落とす。
    「今回の相手は、いわゆるお嬢様です。箱入り娘とでもいいましょうか。大切に育てられたいいところのお嬢様で、私立の学校に幼稚舎から通っている高校1年生です」
     通常ならば闇堕ちしたダークネスからはすぐさま人間の意識は掻き消える。しかし彼女は元の人間としての意識を残したままで、ダークネスの力を持ちながらダークネスには成りきっていないのだ。
    「彼女が灼滅者の素質を持つのならば、闇落ちから救い出してください。けれども完全なダークネスになってしまうようであれば……その前に灼滅をお願いします」
     名前は黎明寺・空凛(れいみょうじ・ありん)、16歳。スカート丈は膝下10cmを基準とするような、厳しい校則の学校に通っているお嬢様。
    「空凛さんには親御さんのお決めになった婚約者さんがいらっしゃるのですが……その婚約者さんが本当に自分を好いてくれているのか、気にしています」
     ただの出世のコマでしかない場合もあることを頭では理解しているが、恋に憧れている彼女は感情が付いて行かないようだ。
    「ただ手をつないでもらえるだけで安心できたはずなんです。けれども彼女は、その婚約者……遠山・英基(とうやま・えいき)さんが別の女性らしき人に電話をして、愛をささやいているのを耳にしてしまったのです」
     ショックを受けた彼女は、実力行使に出ることにした。翌日のデートで神社へ赴いた時、口実を付けて社の裏に彼を連れていき、彼に迫ってみせる。これは彼女の中の淫魔が強く働いているからであり、本来の彼女はこんなことを出来る性格ではない。
    「空凛さんは闇堕ちしかけていることで身体能力が上がっていて、その上迫り方なんてよく知らないものですから……迫ろうとして首に手を回した結果、どこを間違ったのか、誤って英基さんの首の骨を折ってしまうのです」
     そうなってしまっては色々な意味で手遅れだ。灼滅者としての素質があるならば、空凛が彼の首の骨を折ってしまう前に何とかしなければならない。
    「二人が赴く神社は、その土地ではそこそこお参りする人がいますが、観光名所というほどではありません。お年寄りや子供などの憩いの場となっています」
     当日はよく晴れた昼間で、そこそこ境内に人はいるが、社の裏は日陰となっていることからそちらに回る人はいない。
     接触タイミングとしては、二人が社の裏へと回ったあとが良いだろうと姫子は言う。ただし社の裏に回ってから時間が経ってしまったら、悲劇は免れないだろうからタイミングが肝心だ。
     社の裏手もそこそこ広いため、戦闘に関しての心配はいらない。ただ前日の雨のせいか少しぬかるんでいる場所があるから注意が必要だ。
     また、さすがにただ空凛を攻撃しようとしたら英基は止めに入るだろう。大切なお嬢様をエスコートして家まで連れて帰るのが、彼の仕事なのだから。
    「ただ、安心したかった。そして自分の気持の行き場を見つけたかっただけなのかもしれませんけれど」
    「……どう転んでも、切ない話ですね」
     姫子の言葉に答えるようにして、向坂・ユリア(中学生サウンドソルジャー・dn0041)がぽつり、呟いた。
    「けれども、できることならば救って差し上げたいです」
     彼女の言葉に、姫子も頷く。
     このままでは不幸すぎるから。救えるものなら救って欲しい。どんな形であっても――姫子は言った。
    「皮肉にも、この神社では恋愛のお守りが有名なんですよ。可愛い鈴のついた……」
     遠くを見て、そして灼滅者達を見て、姫子はゆっくりと頭を下げた。


    参加者
    クラリーベル・ローゼン(青き血と薔薇・d02377)
    呉羽・律希(凱歌継承者・d03629)
    成瀬・圭(影空ハウリング・d04536)
    笙野・響(青闇薄刃・d05985)
    神凪・燐(伊邪那美・d06868)
    広瀬・芙蓉(神韻・d07679)
    祁答院・在処(放蕩にして報答の・d09913)
    己斐之原・百舌鳥(空鳴き・d10148)

    ■リプレイ

    ●恋愛の神社にて
     チリン……成瀬・圭(影空ハウリング・d04536)が手にした、買ったばかりのお守りの鈴が玲瓏なる音を立てた。チラッと社の方を見れば、スーツにコートを羽織った長身の男性と、一見しただけで上質とわかるふわふわの可愛らしいコートを纏った少女が並んでお参りをしていた。
     何を祈り、願ったのだろうか。二人の願いは重なり合わないはずである。それを知っている灼滅者達はなんとも言えぬ表情で、それとなく二人を観察していた。
    (「難しい話だ」)
     クラリーベル・ローゼン(青き血と薔薇・d02377)は社を見るふりをして二人を視界の端に収め、心の中でため息をつく。
    (「これは政略結婚であるとするなら、隙を見せた遠山にその非があるだろう。確かに、遠山自身に愛はないのかもしれない。とはいえ、黎明寺にとっては今回こそが初めての恋なのだ。そしてともすると最後の恋かも知れんのだ」)
     最初で最後の恋がこんな形だなんて。政略結婚と割りきってやるなら相手に夢を見せるくらい徹底的にやれ、そう英基に言ってやりたい気分になる。
     そっと、旅人の外套を使用した己斐之原・百舌鳥(空鳴き・d10148)が二人の近くを通過した。その時にこっそりテレパスで英基の表層思考を探ってみる。
    (「……退屈そうだな。けれども地位と金を手に入れるためには上手くやらなくてはとは考えているようだが」)
     それならもう少し上手くやれと思わなくもないが、まだ彼にも少しばかり空凛を騙す抵抗があるような印象を受けたので、躊躇いがゆえかと百舌鳥は思った。
     と、空凛が英基に先立つようにして動き始めた。数歩離れては彼を手招きする。英基は顔には優しげな笑顔を貼り付けてはいるものの、気が進まないのか重い足取りだった。だがそれでも空凛を追うのは、自分が目を離した隙に行方不明になられたり怪我をされたりしては困るから。
     タタタッと小走りの足音が聞こえては止まる。
    「遠山様、お早くお早く」
     少し緊張したような招き声とともに、足音が立ち止まる。そしてまた、足音と招き声。社の裏で猫変身して待機していた広瀬・芙蓉(神韻・d07679)はぴくりと耳を動かしてそっと顔を上げる。遠山の動きを振り返って見ながら、少しずつ裏手へと入ってくる空凛の姿が見えた。
    「こちらですわ。誰にも内緒のお話がございのすのよ。こちらに座ってくださいな」
    「空凛お嬢様……ここは日陰ですからお寒くはありませんか?」
    「大丈夫です。ほら、座ってくださいな?」
     幼子のようにせがむ空凛を見て苦笑する英基が芙蓉の瞳に映る。仕方がないなと心中でため息を付いたような表情で、彼は段差へと腰を掛けた。すると若干空凛を見上げる形になる。チラ、と英基の前に立つ空凛に芙蓉が視線を向けると、彼女はふふっと今までになく妖艶に笑んでいた。これも彼女の中に眠る淫魔の力だということか。
    (「触れる事も、触れられる事も……怖いから。それを求める程に強く想える事が、少し羨ましい。何時か、私にもそんな時が訪れるのかしら……」)
     ふと、芙蓉はそんな事を思ってしまう。
    「遠山様……わたくしはこんなにも……」
     と、空凛の手が、ゆっくりと英基へと伸びた。甘い声で彼へと身体を傾け……。
    「あなた様をお慕い……」
    「こんにちは。おふたりの所失礼致します……ここは恋愛の事を取り扱うところ……何かお悩みですか?」
     ビクッ! 空凛の手が英基の首に触れるか触れないかのところで止まる。声の主は巫女風に髪を整えて巫女服を着た、神凪・燐(伊邪那美・d06868)だ。隣に立つ呉羽・律希(凱歌継承者・d03629)も巫女を装っている。
    「……悩み?」
     前屈みになりかけていた体勢を戻して二人の方を振り向いた空凛の瞳は冷たくて、邪魔されたことを不快に思っているようでもあった。だが。
    「私達はあなたを助けに来たのよ」
     律希が告げれば助けに来た、縋れる相手だという印象が強く働いたのか、二人に身体を向けた空凛の瞳が揺らいだ。
     英基は空凛の大胆な行動に驚いたようだったが大人としての矜持がそうさせるのか、何事もなかったかのように立ち上がって何かを言いかける。その瞬間、反対側から回り込んだ圭が英基の手を引っ張ってその場から脱出を図る。
    「なっ……!」
     突然のことに上がりそうになった声を制すべく、圭はパニックテレパスを使用して小声で話しかけた。
    「今抱きつかれそうだったの、彼女に見えてたぜ! 泣きながら行っちまったから追いかけねえと!」
     あっちに行ったぜ、と圭は社と反対の方向を指す。勿論嘘ではあるが、パニックになった英基は右往左往しながらも圭の示した方向へ向かおうとしている。よく見れば助力を申し出たいろはと志輝が英基を促してくれ、ユニスと杏が社からそれとなく人を遠ざけてくれていた。悠が殺界形成で更に人払いを試み、蓮璽は掃き掃除をするふりをしながら戦闘が始まったらサウンドシャッターを使用する構えだ。
    「みなさん、ありがとうございます」
     向坂・ユリア(中学生サウンドソルジャー・dn0041)は皆の助力にぺこりと頭を下げ、待機班だった祁答院・在処(放蕩にして報答の・d09913)や笙野・響(青闇薄刃・d05985)らと共に、社裏へと向かうタイミングをはかることにした。

    ●恋の悩み
    「あっ……遠山様!」
     英基を連れ去る圭の姿が見えなかったのか、空凛は背後にいた英基が動いた気配を感じて振り返った。そして追いかけようとするものの、ぬかるみに足を取られてしまい、身体が傾ぐ――グイッ! 素早く駆けつけた律希が彼女のウエストに手を回し、身体が傾ぐのを抑えた。ほっと、空凛が息をつくのが分る。
    「ありがとうございます」
    「何か事情がおありの様子ね。良ければ私達に話してみない?」
     律希の言葉に、燐の英基を追うような視線。自分を置いていってしまった英基。普通に考えれば置いていかれたという醜態を見られて逃げ出したいところだろう。だが、相手は恋愛にご利益のある神社の巫女さん二人。しかも訳ありだと悟ってくれている。ならば、誰にも話すことのできなかった胸の内をさらけ出すのに躊躇いは少なくなるわけで。
     律希と燐が名乗れば空凛も名を告げて、そしてゆっくりと涙を零した。
     とつとつと事情と自身の思いを語る彼女に感情移入をするようにして、否定はせず言い分を聞くように心がける二人。
    「自分の気持は、はっきりと声に出して伝えねば伝わりませんよ。怖いかもしれませんけれど」
     燐は優しく続けて。
    「私も名家に育ちました。あなたと同じ境遇なので、他人ごととは思えません」
     それは本当のことだった。名家のお嬢様で箱入り娘な所、恋愛に不慣れな所、共通していてとても他人事とは思えない。
    「貴女が自分の道をしっかりと歩けるように手助けをしたいのです」
    「さっきあなたを苛んだ衝動、それは闇と戦う力がある証。けれども使い方を間違えると人を殺してしまうのよ」
    「え……」
     律希の衝撃的な言葉に、改めて自分の掌を見つめる空凛。律希が話して聴かせるのは灼滅者という存在。抱えた闇を放置することへの危険性。そして、自分達も同じ力を持っていると。
    「わたくしが、その灼滅者とやらの素質を……?」
     不思議そうに首を傾げた空凛が目を丸くしたのは次の瞬間。ずっと視界の端でうたた寝していた猫が、急に美しい少女へと姿を変えたのだ。それは猫変身して様子を窺っていた芙蓉である。
    「例えばこういう事が、できるのよ」
     それは信じがたい光景だが実際に目の前で起ったこと。実例を目にして空凛は目を白黒させている。
    「苦しい想い、答えの出る事なんて、ないのかもしれない……それでも、心は止まらないのでしょう。けれど、言葉にするだけでも、重荷を軽くできるなら、気の済むまで、最後まで聴いているから」
     芙蓉は柔らかく甘やかな声で言葉を紡いで。
    「そして、教えて。貴方が望むのは、心の籠らない冷たい手と、心の温もりの宿る手、そのどちらに触れて欲しいのかを。私たちは、貴方に温もりの手を、選んで欲しいの」
    「けれども、どうす、れ、ば……」
    「!?」
     芙蓉の言葉で揺れる空凛の心を表すかのように、ビクンと彼女の身体が跳ねた。苦しそうに抑えるのは胸。呻き声が閉じたはずの唇から漏れいでて。
    「そろそろ始まりそうだぜ。行くぞ!」
     社の横手まで来て様子を伺っていた在処達が裏手へと進み出る。明らかにおかしい空凛の様子は、彼女の中のダークネスが抵抗して暴れようとしている証だった。
    「まずは力加減を覚えないと、その恋を握りつぶしてしまうぜ」
     在処の声に対して、苦しみを抜けて上げた瞳は今までの彼女のものとは違っていて、冷たくも妖艶な光を帯びたものだった。

    ●誰がために
    「わたくしは……」
     空凛の叫びに似た歌声が燐を襲った。燐はそれを受け止めて。
    「無理やりで彼は手に入らないこと、あなたも解っているのでしょう?」
     高速で死角に回りこんだ響の重い一撃が空凛を切り裂く。その感触は響にとって気持ちのよいもので。
    「ん……この感触……やっぱり素敵、ね」
     思わず薄い笑みが零れる。燐は『常夜』を展開させ、味方を守る。
    (「悪いが、俺には関係のない話だ。人を殺す淫魔になったら容赦なく始末するが、なりかけだしな」)
     説得には加わらず、成り行きを見守ろうとする在処は炎を宿した武器で空凛を斬りつけた後、仲間たちへ素早く視線を走らせる。先輩風を吹かすつもりはないが、少しばかりの先達として後進の育成の助けるのも悪くはないと思う。走らせた視線はいつでもフォローに入れるようにと。
    「まずは言葉に出してみるというのもまた大事だと思うぞ?」
     クラリーベルは『青薔薇』に炎を宿し、それを空凛へと振るう。炎が彼女を焼き付けた。
     芙蓉が歌い上げる。その強く、朗々とした歌声は神秘的で。不思議と圭の奏でる旋律と相反しない。
    「どうやったって巧くいかない、一方通行のラブソングなんて、世界中どこにだって溢れてる。それでも曲を編んで、想いという名の歌が届くまで、歌い続けるんだ。届くまで歌おうぜ。いつか誰かが見つけてくれる」
     歌うように告げる圭と、クリーントーンがギターのネックにつけたお守りの鈴の音とともに空凛へと伝う。
    「怖がることはない、僕達は君の味方なんだから」
     百舌鳥が放つのは赤きオーラの逆十字。引き裂かれた空凛が悲鳴を上げるのに、言葉を投げかけ続けて。
    「その感情はなによりも大切で儚いものだから、ちゃんと声に出さないと、伝える前に壊れてしまう」
     百舌鳥には影の目的がある。けれども恋に恋する彼女を救いたい、その気持も強くて。
    「君に必要なのは、踏み出す勇気と言葉だ。怖いなら手を貸してあげる、勇気を分けてあげる」
     だから、ダークネスになんか負けないで。
    「さぁ、戦劇を始めようか!」
     剣を構成する光を爆発させる律希。その間も言葉を抑えることはしない。話し辛いであろう事情を話してくれた事に感謝、自分を見失わないで欲しいという思い、好きな人を守るために闇に抗うならば力を貸す、と思いを込めて。人を心から好きになるって本当に素敵なことだから、悲惨な結末だけはどうしても避けたいという律希の願い。
     ユリアが歌いあげるのに合わせて司と莉子、鵺白が攻撃を放つ。空凛が放った鞭のような影は、黒虎がユリアを庇うようにして受け止めた。
     顔に攻撃しないようにと注意しながら、響が再び『煤竹の小刀』を振るう。
    「空凛さん!」
     燐が呼びかける。在処は防護符で仲間の傷を癒し、クラリーベルは炎の刃をもってして芙蓉の歌声に乗るようにして空凛に迫る。百舌鳥は、皆の言葉が届いていると信じて刃を振り下ろした。

    ●思いすれ違う覚悟
     意識を失った空凛を凛と芙蓉がそっと支える。
    「戻ってきたようだぜ」
     在処が社の表を顎で示す。首を傾げながら社の横を進み来る英基に向かい、クラリーベルと響はさっと歩み寄った。空凛が目覚める前にどうしても言っておきたいことがあったのだ。
    「……お嬢様は!?」
    「遠山に置いていかれたショックで倒れたが無事だ」
     クラリーベルの答えに慌てて二人を押しのけようとする英基を、二人は通さない。
    「あなたの事情はしらないけれど、あなたの彼女への態度も、原因のひとつだってことは心に刻んでおきなさい?」
    「っ……」
    「隙を見せるな。政略結婚の相手で有ればこそ、せめて相手に夢を見せる位の努力はするのだ」
     有無を言わせぬその言葉に、英基は唇を噛んだが反論してくることはなかった。混乱したとはいえ自分が空凛を置いて走り去ったのは事実なのだから。
    「目覚めたか」
     英基と話している二人の状況を確認しつつ、在処は空凛に目を向けて。こちらの話が終わる前に英基が来ては厄介だと、言外に告げる。
    「おはようございます」
    「頑張ったわね」
     燐と芙蓉に告げられ、目を開けた空凛は目を瞬いて自分の置かれた様子を確認しているようだった。そこにさっと差し出されたのは百舌鳥の手。
    「ひとりで立ち上がれないなら手を貸すよ」
    「……ありがとうございます」
     そっと白い手を重ね、引いてもらって空凛は立ち上がる。
    「本音を伝えてみるのが吉よ」
     そっと空凛の肩に手を置いた律希は、彼女の耳元で小さく囁く。私にも好きな人がいるの、本人にまだ伝えられないけど、と。
     チリン……空凛の目の前で鈴がなった。圭がギターのネックから取り外した鈴だ。差し出された鈴は揺れて、玲瓏な音を奏でている。
    「次はいい恋になるさ。……おまえ、可愛いンだから」
     応援してる、そんな意味を込めて紡いだ言葉に、両手で鈴を受け取った空凛は泣き笑いを浮かべて頷いた。
    「お嬢様! 大丈夫ですか!」
     と、ぬかるみをにせずに駆け寄ってくる足音が聞こえた。振り返れば話を終えた英基が空凛に近寄ろうとしていた。誰もそれを止めはしないけど、表情だけは厳しい。
    「……大丈夫ですわ。この方達が助けて下さいましたの」
     彼女の浮かべる笑顔は儚い。英基が自分を心配してくれるのは、預かったお嬢様だからなのだろう、その思いは消えることはないだろう。それを見かねたのか、響は彼女に走り寄り、そしてまっすぐにその瞳を見つめた。
    「新しい自分になりたいときは、環境を変えるのも一つの手よ。武蔵坂に……わたしたちのいる学園にきてみない?」
    「……そうですわね、色々と学ばなければならないことが多いようですし。お父様を説得してみますわ」
     その言葉と微笑みに、事情を知らない英基以外の者は、歓迎の意を示して頷き、または微笑み返した。
     覚悟を決めたお嬢様は、一歩ずつ進みはじめる。

    作者:篁みゆ 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年12月11日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 1/素敵だった 16/キャラが大事にされていた 1
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