とこしえの愛を

    作者:宮橋輝


     ひたすらに想って、想って、想い続けて。
     それでも、愛に応えてもらえないのなら――。

     床に置かれたランプが、血だまりの赤を鮮やかに照らした。
     心臓を一突きにされて事切れた男を前に、女は泣き笑いのような表情を浮かべる。
    「ねえ、『先生』。――これで、彼は私のものになるのよね?」
     女の問いに、黒フードを纏った人々を従えたスーツ姿の男が答えた。
    「勿論ですよ。この儀式が終われば、あなたは彼と永遠に一つとなり――我々『とこしえの愛の会』の正式な一員となるのです」
     さあ、仕上げに入りましょうと、男は女を促す。
     血塗れたナイフを握った女は、言われるがまま、刃を遺体の首筋に当てた。

     想って、想い続けて。
     それでも、愛に応えてもらえないのなら。

     ――あなたを食べて、私はあなたと一つになる。あなたの全てを、手に入れる。
     

    「ソロモンの悪魔に力を与えられた強化一般人が、仲間を増やそうとしてるんだ」
     教室に集まった灼滅者たちを前に、伊縫・功紀(小学生エクスブレイン・dn0051)はそう言って話を切り出した。

     灼滅者の宿敵たるダークネスの一種族――ソロモンの悪魔。
     この狡猾なる旧き悪魔たちは、人間を闇の道に誘い、彼らに悪行を働かせることを得意とする。そうやって、自ら姿を現すことなくサイキックエナジーを増やしていくのだ。
    「強化一般人は六人いて、『とこしえの愛の会』を名乗ってる。リーダーは、『先生』って呼ばれてる男の人だよ」
     彼ら『とこしえの愛の会』のターゲットは、叶わぬ恋に身を焦がしてしまった人たち。
     想い人を振り向かせられずに悩んでいるのなら良い方法がある、と声をかけるのである。
    「……その方法っていうのは、好きな人を殺して食べちゃうことなんだ」
     自らの手で想い人の命を絶ち、その血肉を体内に取り込むことで永遠に自分のものにする。
     正気の沙汰ではないが、『先生』は巧みな悪魔の囁きをもって『とこしえの愛の会』のメンバーを増やしてきた。
    「今回のターゲットは、三十歳くらいの女の人。ずっと好きだった男の人がいて、でも相手にしてもらえなくて。……『先生』に言われるまま、この人を刺し殺しちゃった」
     残念ながら、彼を助けるのは不可能だと功紀は言う。
    「バベルの鎖の予知を無効化するには、男の人が刺された後に突入しないといけないんだ。それ以外の経路は、見つけられなかった……」
     男は心臓を刺されて即死。どうあっても、救うことはできない。
     ごめんなさいと詫びる声が、俯く功紀の喉から漏れた。
    「……六人のうち、『先生』は皆よりも強いから気をつけて。もちろんダークネスほどじゃないけど、一対一で勝てる相手じゃないから」
     他の五人も、灼滅者とほぼ同等の力を持っている。一般人とはいえ、魔法使いと解体ナイフのサイキックを操る彼らは油断できない敵だろう。 
    「『とこしえの愛の会』のメンバーは、もう元には戻れない。男の人を刺しちゃった女の人は、今はまだ普通の一般人だし、戦いに巻き込まれる心配もないけど……」
     悪魔の誘惑に屈し、人を殺めてしまった彼女が今度どうなるかは、また別の話。
    「――放っといたら、もっとたくさんの人たちが不幸になる。皆の手で、この事件を終わらせて」
     押し殺した表情と口調で、功紀が説明を終える。飴色の瞳が、微かに揺らいだ。


    参加者
    クラリーベル・ローゼン(青き血と薔薇・d02377)
    夜鷹・治胡(カオティックフレア・d02486)
    刀鳴・りりん(透徹ナル誅殺人形・d05507)
    鎮杜・玖耀(黄昏の神魔・d06759)
    月原・煌介(月暈の焔・d07908)
    明日・八雲(十六番茶・d08290)
    エデ・ルキエ(樹氷の魔女・d08814)
    浜地・明日翔(物理狂騒曲・d10058)

    ■リプレイ


     一様に押し黙り、灼滅者たちは現場の廃ビルに向かう。
     重い沈黙を破ったのは、クラリーベル・ローゼン(青き血と薔薇・d02377)の呟きだった。
    「――フム。愛に狂う、か」
     それは、今回の事件の被害者であり、また加害者でもある一般人のこと。
     悪魔の使いの甘言にのせられるまま想い人を手にかけ、彼の血肉を食らおうとしている女。叶わなかった想い、愛する人と一つになりたいという欲望が、彼女を凶行に駆り立てた。
    「そんな穢れた愛は、愛じゃありません!」
     いつになく強い口調で、エデ・ルキエ(樹氷の魔女・d08814)が言い切る。
     好きな人を殺して食べる、そんな愛など認めない。人を食べるなら、『それ』はもう人間ではなく、ただの化物だ。
    「まぁ、ハッピーエンドだけで世界は回っちゃいねぇもんだよなぁ」 
     どこか屈折した印象の笑みを浮かべて、浜地・明日翔(物理狂騒曲・d10058)が声を重ねる。
     エクスブレインが告げた突入タイミングは、女の想い人たる男が殺害された後。
     バベルの鎖による予知を無効化するためとはいえ、新たな犠牲者が確定している事実は、灼滅者たちの胸に重く圧し掛かる。仕方がないよね、と返す明日・八雲(十六番茶・d08290)も、全てを割り切っているわけではない。
     固く口を噤んだまま、夜鷹・治胡(カオティックフレア・d02486)は表情を翳らせる。
     人殺しとは、決して消えない罪だ。それ自体は、許されるべきものではない。
     だが――今回のケースは自ら手を下したとはいえ、悪魔の使いに唆された結果だ。女の心を救ってやりたいと願うのは、果たして間違っているだろうか。
    (「俺は甘いのかね……」)
     苦悩する治胡の傍らで、刀鳴・りりん(透徹ナル誅殺人形・d05507)が決然と口を開く。
    「悪は倒す、正義は守る。これがわっしの信念じゃ」
     仮に、罪を犯した者の魂が悪に染まりかけていたとして。まだ助かる余地が残されているなら、見捨てることはできない――。
     その言葉を聞き、治胡は無言で頷いた。
     揺らめく炎の如き刀身に、月の輝きを帯びた解体ナイフ『Lune Flamme』を手にした月原・煌介(月暈の焔・d07908)が、自らと同じ力、同じ得物を操る敵に思いを馳せる。いかなる時も表情を浮かべることのない彼の面で、銀色の双眸だけが主の内なる意思を宿していた。

     指定通りの時刻に、灼滅者は廃ビルの地下に突入する。
     扉を開け放つと、部屋の中央に立っていた女が弾かれたようにこちらを見た。血濡れのナイフを握る彼女の前には、左胸と首筋に傷を負った男の亡骸。致命傷と思われる前者は一目でその深さが窺えるが、死後につけられたと見られる後者はかなり浅く、加害者の躊躇いが感じられる。
    「おやおや、大切な儀式に邪魔が入るとは」
     黒フードの配下を従えたスーツの男が、前に進み出ると同時に女を壁際に下がらせた。おそらく、彼が『とこしえの愛の会』のリーダー、『先生』だろう。
     解体ナイフを手に、『先生』を始めとする六人の強化一般人が身構える。それと同時に、灼滅者たちも隊列を整えた。
    「貴様の相手は、この私だ」
     着流し姿の鎮杜・玖耀(黄昏の神魔・d06759)が、武器を向けて『先生』を挑発する。
    「闇の者は闇の者同士、食い合いしようか。――普通のひとを、巻き込むなよ」
     凶器を握り締めたまま目を白黒させる女を一瞥した後、八雲が言った。


     戦いの機先を制したのは、『先生』だった。
     玖耀を目掛けて放たれた魔法の矢を、治胡が己の身で受け止める。傷口から溢れる血に構わず、彼女は反撃に転じた。灼熱の炎を纏った拳が、配下の一人に叩き込まれる。すかさずWOKシールドを展開した煌介が、エネルギー障壁で味方前衛の守りを固めた。
     蒼き槍『炉火純青』を構え、りりんが敵陣に切り込む。
    「究極の蒼。身をもって味わうが良い」
     螺旋の力を宿した一撃が、傷ついた配下を鋭く穿った。
    「テンション上げてくぜぇ!? キヒヒ」
     不気味な笑声を漏らし、明日翔がギターの弦をかき鳴らす。激しい音波が配下を揺さぶると同時に、クラリーベルが一気に距離を詰めた。
    「――フム。これ以上愛を歪めて被害を出されても困るのでな」
     青き薔薇の名を冠した美しき刃に炎を宿し、真っ直ぐ突きを繰り出す。まずは、配下から一人ずつ集中攻撃を行い、数を減らすのが灼滅者の作戦だった。
     一方、スナイパーの玖耀はバスターライフルの魔法光線で『先生』を牽制する。一対一で渡り合える相手でないことは承知しているが、最も強力な敵を終盤まで野放しにするのもリスクが高いからだ。
     五人の配下が、黒フードの裾を揺らして灼滅者に襲いかかる。ジグザグに変形した解体ナイフの刃が、エデの肩に歪な傷を穿った。
    「もう……食べるなら血だけにしておきなさいよね!」
     肉を抉られた箇所から鮮血が噴き出すのを見て、エデが叫ぶ。残りの四人が、後衛を狙って魔法の矢を次々に射た。煌介が咄嗟に割って入り、うちの一本を引き受ける。
     その頼もしい背中を見て、八雲は煌介と同行した先日の依頼を思い出した。あの時も、彼は前衛に立ち、自分は後衛でメディックを担当していた筈。
    「守ってもらってばかりだ、ね。ありがとう」
     礼を言う八雲に、煌介は肩越しに振り向いて頷きを返す。相変わらずの無表情だが、仲間を思う気持ちは銀の瞳から伝わってきた。
     しなやかに床を蹴った煌介が、炎の斬撃で敵を屠る。その眼前で黒フードの男が崩れ落ちた時、一房伸びた金の三つ編みがふわりと舞った。
    「絶対に誰も、倒れさせない。俺もみんなを守るよ」
     八雲が、束ねた護符から一枚を抜き出して投じる。護符の癒しと守りを受け、エデは妖の槍を素早く構え直した。配下の一人に肉迫し、黒フードの内側から覗く瞳と視線を合わせる。
    「貴方も食べられたいの? 自分を好きな人に殺されて、食べられるのは幸せ?」
     返ってきたのは、狂気を孕んだ沈黙。彼らが『まとも』でないことは、最初から分かりきっていたけれど。
     血の如き緋色に輝く槍の穂先が、敵の脇腹に喰らいついて生命力を啜る。黒き咎の波動を『先生』に叩き付ける玖耀が、壁際の女に聞かせるように声を張り上げた。
    「人の想いに付け入り、闇に染める外道め」
     自分が縋ったものの正体を、彼女は知らなくてはならない。甘い言葉に耳を傾けてしまった末に犯した、罪の重さも。
     たとえそれが、女の心を苛む新たな呪縛になったとしても――目を逸らさず、向き合って欲しい。
    「外道とは心外な。私は切なる願いを叶えて差し上げようというのに」
     嫌らしい笑みを浮かべる『先生』の背後で、女は血の滴るナイフを握り締めて立ち尽くしていた。目の前で繰り広げられる戦いを見ているのかいないのか、虚ろな双眸はただ、部屋の中央に残された男の亡骸へと向けられている。
     血だまりに沈んでいる犠牲者を視界の隅に映したクラリーベルの胸に、忸怩たる思いが湧き上がる。弱気を助け強気をくじくローゼン家の当主である自分が、みすみす一人の死を見逃さねばならなかったとは。
    「一人救えなかった。なら二人救おう」
     凛とした声が紡ぐのは、決意であり誓い。貴族の誇りを秘めた炎が『青薔薇』の刀身を伝い、敵の心臓を貫いた。

    「困りますね、せっかく集めた会員を」
     配下を倒されても眉一つ動かさず、『先生』がナイフの呪いを解き放つ。巻き起こった毒の風が前衛たちを蝕んでいくのを認めて、明日翔がギターを奏でた。澄んだ音色が仲間に浄化をもたらし、活力を取り戻す。
     壁際に立つ女の姿を見ても、明日翔は口元を笑みの形に歪めたままだ。実際、仲間に対しても『女はどうでもいい』という態度を貫いていたが、彼の本質はそこまで単純ではない。
     思い出すのは、過去に灼滅した『同類』の姿。闇堕ちから救える筈だったのに救えなかったという自責の念から、明日翔はその時に持ち帰ったギターを手放せずにいる。
     決して、何も思わぬわけではない。ただ、彼はそれを悟らせないだけ。
     明日翔と連携する八雲が、守りの符で仲間の背を支える。万が一にも女に危害が及ばないよう気を配りつつ、彼はふと思いを馳せた。
    (「愛って、与えるものだろう?」)
     恋愛は、時として人の目を曇らせる。
     自分しか見ようとせず、与えてもらうばかりを願うのは、恋であっても愛ではない。
    「……相手の幸せが、一番なはずなのにね」
     どうして、大切なことを見落としてしまうのか――。


     灼滅者は、順当に敵の数を減らしていく。
     四人目の配下を投げ飛ばして息の根を止めた治胡が、倒した敵を見下ろした。
     黒フードがめくれ、白目を剥いた死に顔が露になっている。こんな惨いもの、一般人に過ぎない女に見せたくはなかった。できるものなら、戦いが終わるまで目を伏せていて欲しいのに。
    「それにしても気味の悪い連中じゃの」
     仲間が殺されようとまったく意に介さない敵を見て、りりんが眉を顰める。残る配下に紅蓮の一撃を叩き込む彼女に続いて、他のメンバーも次々に攻撃を集中させた。
    「ねえ、見えてるの走馬灯――どんなのが見えるか教えて?」
     瞬く間に追い詰められた配下を前に、エデが問いかける。
     人を殺め、人を食らう一団。その狂気に触れるうち、心がやけにざわつくのを自覚する。
     藍色の瞳で覗き込んだ配下の目は、何も映していなかった。
    「なあんだ、もう見終わってるのね。それじゃあ、おやすみなさいッ!」
     妖の槍から生み出された氷柱が、配下の全身を串刺しにする。断末魔の絶叫を聞きながら、エデは口元にうっすらと笑みを湛えていた。

     配下の全滅を見届け、玖耀が攻撃を切り替える。ここまで来たら、状態異常で動きを縛るよりも命中率を重視する方が効率が良い。高純度に詠唱圧縮された魔法の矢が、『先生』を貫いた。
     禍々しい形状のナイフを巧みに操り、『先生』が煌介を切り刻む。
    「……っ」
     傷を癒す光の輪を盾にして煌介の守りを固めつつ、明日翔が八雲に声をかけた。
    「キヒヒ、こっちは任せて札でも貼って来いよぉ!!」
     頷きを返した八雲が、『先生』を狙って惑わしの符を飛ばす。回復で体勢を立て直した煌介が、短く礼を述べた。
    「感謝、明日翔」
     象牙色の柄を握り締め、真珠の光沢を帯びたナイフの切先を『先生』に向ける。
     敵と同じ得物、同じ技――だが、これは護るために必要な力。
     優美に波打つ刀身が閃き、『先生』に傷を穿っていく。クラリーベルの居合いが、鋭い追撃を加えた。人を殺める覚悟など、とうの昔に済ませている。堕ちた父母を討った、その時に。
     死を孕む断罪の大鎌が振り下ろされ、『先生』の肩口から鮮血が飛沫を上げる。
    「これが闇に染まった者の末路だ」
     玖耀の声を聞き、女は大きく目を見開いた。ナイフを握る手が、全身が、かたかたと震え出す。バベルの鎖を瞳に集中して傷を塞ぐ『先生』の顎に、治胡が雷の拳を見舞った。
     バベルの鎖で、この戦いの記憶が曖昧になったとしても。女は、想い人を殺したことを決して忘れないだろう。
     何を隠し、何を伝えるべきか。正解など、誰にもわかりはしない。
     ただ、治胡は女を救ってやりたかった。それだけ。
     大きくよろめいた『先生』を見据え、りりんが緋色の鞘に納められた愛刀の柄に手を添える。
    「わっしがこれを抜いたら、終いじゃ」
     正義を貫き、道理を正す『絶・理非曲直ノ刀』が抜き放たれた時――『先生』の命運は尽きた。


     物言わぬ亡骸と化した『悪魔の使い』たちを、エデは黙って見下ろす。
     どうして、何の抵抗もなく殺すことができたのだろう? それに、何故か気分が良い。
    (「……大丈夫だよね、ママ。あれは化物だもの」)
     心のどこかに殺しを楽しむ思いがあったのも、彼らが『化物』だったから。エデは、自分にそう言い聞かせる。
     殺害された男を除く全員の遺体を一箇所に集めた治胡が、呆然と立ち尽くしたままの女を見た。
     先に、彼女に声をかけてやるべきなのだろうが――何と言えば良いのか。 
     その時、ようやく我に返った女が甲高い悲鳴を上げた。
     パニックを起こし、意味をなさない言葉を喚きたてる彼女を横目に睨んだ明日翔が、壁をギターで殴りつける。瞬間、女の叫びが止まった。
    「手かけておいてヒステリックとぁ、いい度胸してんな」
     険しい表情で吐き捨て、彼は足早に地下室を出る。直接手を上げなかったのが、せめてもの思いやりだろう。

    「如何なる理由有れど、罪も無き男性を殺した報いは受けるべきだろう」
     クラリーベルが、厳粛な口調で語りかける。瞳は真っ直ぐ女を見詰めていたが、注意は彼女が手にしたナイフに向けていた。もし自刃しようとするなら、その時は止めねばなるまい。
     押し殺した口調で、りりんが言葉を重ねた。
    「罪は悔いよ。失った命は還らぬが、あなたはそれを抱いて生きる義務があるじゃろう」
     愛刀の柄にかけたままの右手は、僅かに震えている。
     もし反省の色なく、完全に『悪』と成り果てたのなら、ここで斬らねばならない。
     見捨てたくないから。『正義』がまだ僅かに残っていると信じるから。想いが届くことを、りりんは切に願う。
     女がふと、手に握り締めたナイフを見た。想い人の血で赤く染まった、その刃を。
    「ここで逃げ出せば、貴方が救われるには彼の事を忘れるしかない」
     先の戦いとは打って変わって穏やかな口調で、玖耀が女を諭す。
    「貴方が本当に彼の事を想っているなら、自らの過ちを認めて自首して、その想いを忘れる事無く罪を償ってください」
     そう言って、彼は携帯電話を差し出した。女の視線が、ナイフと携帯電話の間を彷徨う。
    「逃げんな。もし死んで詫びようなんて気を起こしたら、それは一番狡いことだぜ」
     とうとう耐えられなくなったように、治胡が声を絞り出した。
    「頼む、生きてくれ……」
     我ながら、身勝手な話だと思う。ふざけるなと怒鳴られても、文句は言えまい。
     でも、でも。ここで女に死なれてしまったら、自分は誰のために戦ったのか――。
     なおも黙ったままの女を見て、八雲が口を開く。
    「償いきれないだろうけど……貴女が生きうる限り、償っていけばいいよ」
     銀の瞳に真摯な想いを湛えて、煌介が言った。
    「苦しみ抜いて……何時か、自分で自分を赦す、すよ」
     諦めない。見捨てない。死なせはしない、決して。
    「俺も、その途中だから。……罪有る身で、人を想うから」
     祈りを込めて、煌介はナイフを握った女の手を取る。赤い血に汚れた、白く華奢な手を。
     女の瞳から大粒の涙が溢れ、嗚咽が漏れる。しゃくり上げる声は、やがて慟哭に変わった。
    「あ……あああああああああああああああっ!!」
     それは、恋に破れ、想い人を手にかけた女の叫び。
     決して消えない罪を魂に刻む――愚かしくも哀しい『ひと』の姿が、そこにあった。

    作者:宮橋輝 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2012年12月13日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 0/感動した 8/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 6
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