武蔵坂学園旅情~別府温泉にイフリートの影を見た~

    作者:飛翔優

     放課後の教室に集まった灼滅者たちを見回して、倉科・葉月(高校生エクスブレイン・bn0020)は静かな笑顔を浮かべていく。
    「皆さん、集まってくださりありがとうございます。それでは、説明を始めさせてもらいますね」
     別府温泉の辺りでイフリートの目撃情報が多発している。どうも、鶴見岳のマグマエネルギーを吸収して、強大な力を持つイフリートが復活しようとしているらしい。
    「復活した際の被害は考えるまでもないでしょう。なので、すぐにでも叩きに行きたいのですが……」
     サイキックアブソーバーによって、イフリートの出現は予測可能。しかし、強大なイフリートの影響なのか、直前になるまで予知が行えない様子。
    「普段のダークネス事件のように、予知があってから移動を開始しては間に合いません。なので、皆さんには別府温泉周辺で待機してもらう必要があります」
     周辺で待機しておけば、出現を確認後すぐに迎撃することができる。故に……。
    「というわけで、まずは別府温泉に向かって下さい。イフリートの出現位置などが判明次第、すぐに携帯電話で連絡を入れますから」
     今回戦うことになるイフリートは眷属などは連れておらず、強力な個体というわけではないと思われる。だが、迎撃に失敗すれば間に合わなかった時同様、平和に暮らす温泉街の人々が被害にあってしまう事は想像に難くない。
    「なのでそうならないように、温泉街にイフリートが到着する前に迎撃し、撃破してきて下さいね」
     といっても……と、葉月は温泉街のパンフレットを広げていく。
    「イフリートの出現がいつになるかは予測できません。到着後すぐに連絡を入れることになるかもしれませんし、数日後になるかもしれません。その間ずっと気を張っているのも疲れるだけ。ですので……」
     示したのは、此度灼滅者たちが泊まる予定の温泉宿。効能は美容や腰痛、疲労回復など。
    「このお店の天丼なんかもオススメですよ。サクッとした衣と、甘辛いタレ、ホカホカご飯。そして何より、別皿に乗せられている温泉卵を入れた時のコントラストが素晴らしく……あ」
     語るのに夢中になっていたことに気付いたらしい。葉月は取り繕うように微笑みつつ、説明を再会する。
    「ええと……そんな感じで、連絡がはいるまで、温泉で鋭気を養っちゃって下さい。もちろん、出動の準備も忘れずに整えておく必要はありますが……」
     また、先にも伝えたが、連絡は携帯電話によって行われる。よって、圏外に出たり電源を切ったり、長電話をして連絡に気づかないといったことがないよう注意を払う必要がある。
    「それでは皆さん、温泉街の平和のため、よろしくお願いしますね。何よりも無事に帰ってきて下さいね、約束ですよ?」


    参加者
    村上・光琉(白金の光・d01678)
    浅葱・カイ(高校生ダンピール・d01956)
    埜々下・千結(八杯抱えし空見人・d02251)
    祀火・大輔(迦具土神・d02337)
    火野一・竜馬(高校生ファイアブラッド・d03727)
    黒木・摩那(昏黒の悪夢・d04566)
    八神・浅緋(伊達ダンピール・d10487)
    メランジェス・ローレライ(うきわをつけた人魚・d11503)

    ■リプレイ

     波の音が聞こえた。
     電車を降り、街を歩き、雑踏を抜けたなら。
     潮と硫黄の匂いがした。
     海が近いことを教えてくれているかのように、温泉もあるのだと知らせてくれているかのように……。
     ……大分県別府市。そこは、日本一を誇る温泉地。
     熱と暖と幸に満ちる場所に、八人の灼滅者たちはやって来た。各々のびのびとした表情で、ひとまず予約した宿へと向かっていく。
     弾んだ足取りで歩く彼らに急がなければならない任務はない。少なくとも、今はまだ……。

    ●別府温泉堪能中
     陽を映し、艶やかな波を刻んでいく大海原。風が運んでくる静かな音色に耳を傾けながら、八神・浅緋(伊達ダンピール・d10487) は一人部屋で休んでいた。
     柔らかなソファーに身を沈め、テーブルには温泉で蒸して作ったというプリンを乗せて。大窓の外に広がる景色を眺めながら、些事で救い一口パクリ。
     舌に、ほろ苦い甘味が溶けていく。
     口の中に広がって、心が甘く安らいだ。
     瞳を瞑り、堪能し、小さく頷き顔を上げていく。
    「……」
     言葉はない、必要ない。
     優しい静寂に身を委ね。浅緋はゆったりとした時を刻んでいく……。

     満席もかくやと賑わう別府温泉地の料亭に咲き誇る、ふぐ刺しの華。常人ならば滅多に食す機会のないであろう一品を前にして、祀火・大輔(迦具土神・d02337) は頬を緩めた。
    「頂きます」
     きっちり手をあわせてお辞儀して、大輔は箸を手に取っていく。二枚、三枚と纏めて救い上げ、ポン酢につけて一口でぺろり。
     瞳を閉じ、咀嚼して、滅多にない旨みを堪能する。
     飲み下したならば小さな息を吐き出した。
    「……うん、上手い」
     瞳を開くとともに新たな刺身へと箸を伸ばし、先程と同様に摘んでいく。
     ふぐ刺しに舌鼓を打ちながら、大輔もまた静かな時間を過ごしていた。

     湯気とともに香ってくる、海鮮天丼の甘辛いタレの匂い。顔をのぞかせるはふっくらとした衣に包まれているエビにイカと言った海産物。最初に乗せるも良し、途中で味を切り替えるために使うも良し、箸休めとして食すのも良し……と別の皿に乗せられた温泉卵。
     お勧めと教えられた店の中、メランジェス・ローレライ(うきわをつけた人魚・d11503)は海鮮天丼を前にして幼い瞳を輝かせた。
    「さて、それじゃあ食うか!」
     同道していた火野一・竜馬(高校生ファイアブラッド・d03727)も生唾を飲み込んで、箸を手に取り頂きます。イカの天ぷらを摘み上げた。
     サクッとした歯ごたえが脳に快感を与えると共に、舌に広がるタレの味。隠れぬよう、けれど消さぬよう自己を主張するイカの旨味は咀嚼するする毎に強くなり、やがて口の中を暴力的なほどに支配する。
     けれど、新たな天ぷらを食べる頃には、或いは下に眠るご飯を口へと運ぶ頃にはもう、旨みもさざなみのように引いていた。
     だからこそ、再びその味を楽しみたいと思うのだ。
     ならば温泉卵はどうだろう?
     単体でも十二分に卵の旨味を楽しめる一品だが、天丼と絡めたのならばまた別の形を作り出す。
     サクッとした衣となめらかな黄身のハーモニーが、歯ごたえを舌触りを何よりも味を優しく丁寧に整えるのだ。
    「……ん、美味いな。うん」
    「気に入った、また来よう、そうしよう」
     二人共、満足気に食を進めていく。言葉少なくとも楽しく美味しい時を過ごしていく。
     全てを平らげた時、紡がれるべき言葉はただひとつ。
     ――ごちそうさまでした!

    「えっと、あそこは……」
     予習してきたガイドブックの記述を思い出しながら、村上・光琉(白金の光・d01678)は温泉街を練り歩く。
     雑踏をかき分けて、時に店へと突入し、お土産買ったり買食いしたり。新たな味を覚える度、ぱっと顔を輝かせて。
    「あ、あっちには……」
     同道する浅葱・カイ(高校生ダンピール・d01956)には語りかけ、グルメ及びお土産屋さん巡りのガイドを務めていく。
     件のカイも彼のガイドを聞きながら、時折携帯電話を覗き込んでいた。
     視線の先にはアンテナ三本。通話可能を示す記号。
     問題ない、と頷いて、場所を逐一メモしていく。電波の届かない場所や電源を切らなければならない場所に足を踏み入れないよう、後で情報を共有するつもりなのだ。
     もっとも……。
    「そういえば、プリンとか美味しいとは聞いたけど、あんまり此処の名産とか知らないんだよね」
    「だったらこれとかどうかな? あ、あの店で売ってるみたいだよ!」
     楽しもうと思う気持ちに偽りはない。カイは光琉の導きに従って、新たな店へと向かっていく。
     舌鼓を打ったなら、店員さんにもオススメの名産とかを聞いてみようか。

     黒木・摩那(昏黒の悪夢・d04566)の目的は、温泉プリンの制覇。
     美味しい物を追い求める埜々下・千結(八杯抱えし空見人・d02251)と共に、観光地図片手に街を歩く。
     頬を緩め、歩調を弾ませ、新たな味を見つける度に店の中へと突撃した。座って休める場所を見つければ隣合う形で腰を下ろし、戦利品を広げていく。
     カスタードにマンゴーに、コーヒー風味にプレーン……各種温泉プリンを前にして、摩耶は悩ましげに目を細めた。
    「うーん、どれから味合いましょうか」
    「頂きます!」
     一方千結は早速温泉卵の殻を割り、備えられていた器に落とす。スプーンで軽く掬い上げ、勢いのまま口へと運ぶ。
     滑らかな舌触り、濃い目の黄身。味付けなど何もないはずなのに、なぜだか頬が緩んでしまう仄かな旨味。
    「うーんおいしーっす幸せっす!」
     頬に手を当て歓喜して、再び実食へと取り掛かる。
     彼女が半分ほど平らげた頃、摩耶もまたやっと一つ目の温泉プリンを決定した。
    「やっぱり、まずはオーソドックスなものから、ですよね」
     プレーンの蓋を開け、スプーンを握っていく。頂きますの言葉の後、高鳴る鼓動を抑えて口元へと運んでいく。
     仄かな苦味が優しい甘みを運んで来た。かと思えば溶けるように舌の上へと広がって、目元が思わず緩んでいく。
     夢中で平らげた後、隣を見れば同じ顔。
     幸せそうな笑顔で見つめ合い、二人小さく頷き合う。
     まだまだ買い込んだ食べ物は沢山ある。後で食べることもできるけど……今は、この心赴くまま、無理のない範囲で食べつくそう。

     波と飛沫の音が心地よく、湯気が安らぎを与えてくれる場所。岩を背に、暖かな湯に抱かれて、浅緋は静かな息を吐き出した。
     空を仰げば星々が、一糸纏わず安らぐ彼を見守ってくれている。
     外界へと目を向ければ街の灯の残滓を浴びた海原が夜波を輝かせていた。
     街の雑踏が徐々に収まっていくように、今、この露天風呂には彼ただ一人。
     優しい静寂に身を委ね、ゆったりとした時を過ごしていく。
     いつまでも、いつまでも……のぼせてしまわない限りは、ずっと。心ゆくまで、この温泉を堪能しよう。

     混浴露天風呂へとやって来たメランジェス。調度良い温度の場所を発見し、その暖かさに身を委ねた。
    「ほぁー……」
     ボーっと肩まで浸かっている様は、さながら安らぐカピバラが如く。されど男性側の扉が開く音がしたならば、即座に反応してほくそ笑む。
    「ふふん、うれうれのぴちぴちぼでーにみんな夢中なのさ」
     水着姿で、自信ありげに胸を張る十二歳。
     未だ幼き十二歳。
     されど、その願いは叶えられた。
     入って来たのはおじいさん。
     少し後からおばあさん。
     夫婦でやって来た二人から、孫を可愛がるような扱いを受ける……と言った形でだけれども……。

     一日目の観光が終わり、クールダウン。
     情報整理のためと、カイの部屋に皆集まっていた。
     内容は、主に電波の届かない場所や電源を切らなければならない場所への注意。後、観光関連の情報共有。
     なにせ、いつ倉科葉月から連絡が来るかは分からない。
     明日もここで過ごさなければならない可能性がある。
     ならば楽しまなければ損! なのだ。
    「それにしても……」
    「ん?」
     カイが教えられた観光名所に丸をつけていた時、摩耶がふとした調子で呟いた。
    「例のイフリート、叩いたも叩いても湧いて出てくるわね。これは、巣を叩かないといつまでも出てくるんじゃないかしら?」
     彼女たちの他にも、別府温泉でイフリートを撃破した灼滅者は多い。
     ならばその原因は何なのか、気にならないといえば嘘になる。
     もっとも、現段階ではわからないのもまた事実。とにかく、平和を守るために撃破していくしかない。
     肩を軽く落とした摩耶の言葉に、皆一様に頷いた。
     今は考えても仕方ないから、とりあえず目の前のことに着手する。
     警戒だけは怠らず、けれど今はお休みなさい。しっかりと睡眠をとった後、明日も連絡が来るまでは楽しもう!

    ●サイキックアブソーバーは突然に
     ――それから二日ほどの時間が過ぎた後。朝日が登りはじめた頃に、光琉、大輔、龍馬の三人が大浴場で身を清めていた。
     曰く、寝ている間にも汗をかく。
     曰く、せっかくの温泉精一杯堪能しなければ勿体無い!
     勿論、湯船に髪をいれないなどといったマナーを守り、光琉は檜の囲いに背を預ける。静かな眼差しを、窓の外へと向けていく。
     オレンジ色の残光が、海を彼方まで染めていた。波打つ度に白がまじり仄かな彩りが広がっていく。
    「……ほんと、いい湯っすねぇ」
    「たまにはこんな風にノンビリするのもいいかもな」
     肩まで浸かり、盛大な息を吐き出して、大輔は静かに目をつむった。
     竜馬も頬杖をつきながら、窓の外へと視線を移し……。
    「っ!」
     携帯が鳴った。
     大輔のものだ。
     竜馬たちが身構える中、大輔が一目散に飛び出していく。
     電話の主を確認し、真剣な眼差しを彼らに送った。
    「来たか」
     電話の向こう側と会話を始めていく大輔から視線を外し、竜馬は風呂から上がっていく。
     光琉らと共に脱衣所へと向かっていく。
     観光の時間は、もう終り。これからは、仕事の時間――。

    ●明朝の海岸に立つ焔
     ――午前八時。別府温泉の海岸線にイフリートが出現します。能力は……。
     葉月からの連絡を受けた彼らは一旦旅館のロビーに集合し、示された海岸線へと出動した。
     到着時刻は午前八時。ちょうどイフリートが波打ち際を走りださんとする刹那だった。
    「まずは一撃……!」
     養ったありったけの鋭気を巨大な刀に乗せ、浅緋はイフリートに斬りかかる。
     額を割り、その双眼に己等の存在を刻み付けた。
    「俺達がいる限りこの地をお前の隙にはさせん!」
     恨みがましい唸り声から己等が負けない限り街へ被害が及ぶこともないだろうと確信し、竜馬はイフリートの眼前にて立ち止まる。睨まれながらも、構わず斧に宿る力を開放した。
     刹那、イフリートの纏う焔が吹き上がる。奔流となって前衛を担う者たちへと襲いかかる。
     竜馬はすり抜けるように潜り抜け、懐へと入り込んだ。
     数多の力が叩きこまれた後、小さな悲鳴を上げた口元めがけて雷纏わせた拳を叩きこむ。
    「気持よくて、美味しい場所。絶対に守るのさ!」
     揺らいだ隙を見逃さず、メランジェスは放つ石化の呪詛を。少しでも動きを阻害せんと、強い決意と力を込めて。
    「正面ばかりに構っている暇はないよ」
     痛みか、二重三重の拘束による煩わしさか暴れ始めたイフリートの背中を、カイが思いっきり斬り上げた。
     返す刀で毛皮を抉り、弱点ともなりうる深い傷跡を刻み付ける。
     すかさず千結は思考を働かせ、心の闇よりいでし弾丸を傷跡へと撃ちこむのに最適なタイミングを弾きだした。
     その間一秒弱。
     狙いすました凶弾が傷口へとめり込んで、肉体を蝕む毒で侵していく。
     時が進むにつれて、それらの力は威力を増す。イフリートが動きを鈍らせる。
     されどぎりぎりの所で振り切ったか、再び炎を吹き上がらせ前衛陣をなぎ払った。
    「僕が浅緋先輩を癒すから、ナノナノくんたちは他の人をお願い!」
     ダメージなど残さぬと、光琉が浅緋に暖かな光を与えていく。
     メランジェスのナノナノは竜馬へ、千結のなっちゃんは摩耶へ癒しの力を送り届け、万全な状態へと持ち込んだ。
    「それじゃ……行くっすよ!」
     故に憂いなく、迷いなく、大輔は前へと飛び出した。
     イフリートの体中から吹き上がる焔にも怯まずに、腰の入った拳を連打する。
     衝撃を逃がしきれなかったのか、イフリートが膝をつく。呪詛に侵されたか再び炎を吹き上がらせる事もなく、苦しげな声だけを漏らしていく。
    「これで、終わりよ!」
     見逃す理由など欠片もない。
     摩耶は研ぎ澄まされた刃で頭を断ち切って、イフリートに背を向け鞘へと収める。
     瞳を閉ざす彼女の背中、イフリートは己の炎に抱かれて灰も残さず消滅した。
     後に残されたのは……。

    「……ぶ、無事終わり、ましたかね? お疲れ様っす」
     さざなみだけが聞こえるようになった砂浜の風が戦いの終わりを教えてくれた時、千結が盛大なのため息を吐き出した。
     皆も一様に安堵の表情を浮かべ、得物を仕舞いこんでいく。
     ひとまず、当座の危機は回避された。これで終わりなのかはわからないけれど、暫く平和であることに違いはない。
     だから……と、千結は笑顔で提案する。帰る前に、温泉に入って疲れを癒そうと。
     否を唱える者はいない。頬を緩ませ、歩調を弾ませ、彼らは温泉宿へと帰還した。
     これより先、何が起きてもいいように。
     真の平和が戻るまで戦い続けることができるよう。
     さあ、温泉が待っている。温もりに満ち満ちているこの場所で、今一度安らぐ時を堪能しようか。

    作者:飛翔優 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年1月1日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 1/感動した 0/素敵だった 4/キャラが大事にされていた 4
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