楔を喰らう炎獣～猛き牙は渇望す

■リプレイ

●肆
　夜の山下公園に炎の塊が降臨する。
　否、それは塊ではなく一頭の煉獄の獅子、イフリート。焔は鬣となり海風に煽られ、燃え上がる勢いは増すばかり。
　鋭い眼光が捉えたのはひとりの人間だ。正確に言えば人から堕ち、闇に手を染めた者。淫魔の力に魅了されたその男は、端正な横顔を震わせることしかできない。
　火種が燻る音を立てた、刹那。
　炎の獅子は猛然と駆ける。巨体に似合わぬ敏捷さで男の喉元に喰らいつく。そのまま力任せに噛み千切り、牙で粉砕する。男はもがくことすら許されない。炎の奔流が迸り、男の傷口へと延焼し燃え盛る。
　緋色が夜に映える様は地獄の門にも、原始の雄叫びにも似る。
　男は断末魔ごと灰となって霧散した。
　ダークネスに強化された一般人といえば、ダークネスにこそ及ばないものの灼滅者ひとりに比べると格段に能力が上だ。それを一撃で屠ったイフリートの圧倒的な力に、息を呑んだのは誰だったか。
「……行くぜ！！」
　機を逃すわけにはいかない。大松・歩夏（影使い・d01405）が一足飛びで飛び出せば、他の仲間も陣を整えイフリートを包囲する。
　既に準備は完了していた。淫魔配下の一般人が襲われている隙を縫い、灼滅者たちは挟み撃ち出来るよう物陰に潜んでいたのだ。
　すべては敵の逃走防止を図るため。誰もがイフリートをこの場で灼滅するという決意を固めている。
　歩夏の影がスイッチを入れた明かりに照らされ、色濃く刃の形を模る。その切先の鋭さは意志の強さ。影の斬撃が炎の毛皮を幾重にも刻む。
　続いた風音・瑠璃羽（散華・d01204）の刀が夜を斬る。刀身に描かれた黒龍は弧を描き、イフリートの背に網状の霊力を放射した。
　だがイフリートは束縛の網を炎で焼き尽くす。瑠璃羽は唾を呑み込みながらも凛と前を見据え、柄を握り直した。
（「今回は大仕事だけど……負けるわけにはいかない！」）
　その願いに応えるように、長姫・麗羽（高校生シャドウハンター・d02536）が炎獣の懐に滑り込む。エネルギーシールドを凝縮させ力の限り、殴る。即座にイフリートが跳躍し攻撃を躱すと、手に取るように力量差が伝わってきた。
「さて、強力な相手だけど、何処まで耐えれるかな」
　不謹慎とわかっていながらも血が騒ぐ。それは紗守・殊亜（幻影の真紅・d01358）も同じだった。鶴見岳に封じられた存在に思いを馳せてしまうのは、自らがファイアブラッドであるが故だろうか。
「でも俺は灼滅者。絶対に阻止する」
　相棒のライドキャリバー・ディープファイアに騎乗すると、殊亜は小光輪を目の前に分裂させる。味方を守るための盾となるために。その思いは置始・瑞樹（殞籠・d00403）にも通じていた。いや、仲間を守るという気概でいえば彼が一番熱いものを抱えているかもしれない。設置型ランタンを邪魔にならない場所に置くと、倒すべき敵も護るべき味方もよく見渡すことが出来た。
　不穏な動きを見過ごすことなど出来ない。
「未熟な身なれど、出来る限りの事を――共に尽力致しましょう、若」
　日向・信乃（藤霞・d02858）は己が半身ともいえる霊犬・藤若の頭をそっと撫でる。顔を上げると、確りと前線を支えると志した気丈さがあらわになる。
　信乃の反対側、イフリートと正面から対峙することになった回復手はセシリア・スペンサー（ブレイクスルー・d10807）だ。先日別府にてイフリート退治を共に担った仲間たちへの信頼は厚い。さしずめ第２ラウンドといったところか。
「今回もボコボコにしてあげるわ！」
　不敵に宣言し、小さな光輪を重ねる。前に立つ歩夏に防御の力を齎せば、セシリアちゃんありがと！　という声と一緒に笑みが返る。
「さぁて、今まで纏まって居なかったキミたちが、一体何の用向き？」
　炎の獅子の背に氷のような切先を向け、秋桜・木鳥（銀梟・d03834）が問う。まあどう考えても良いコトでは無いだろうからと青い刀身を回転させれば、鍔に施された梟の装飾が、夜を狩る獣を見張る。見逃さぬ。
「ごめんね、阻止させてもらうよ」
　地を踏みしめる。一歩も退かないという決意の証のように。
　灼滅者たちの初撃も兼ねた陣の形成はうまくいった。しかしイフリートへの手応えは恐ろしいほど感じられない。
　個体としての能力は普通のイフリートとは比べ物にならない、そう告げたエクスブレインの声が浮かんでは消える。
　灼滅者たちが武器を構え直すと同時、イフリートの咆哮が夜天に高く響く。

●参
　淫魔配下が撃破されたのち、即座に攻撃を試みようとした者、一呼吸置いた者とで僅かに意識の齟齬が生じたが、敵が一体だったことが幸運した。一拍の隙であっても陣が瓦解する切欠になりかねない。
　今や完全に包囲は整った。
　だが。
「くっ！」
「堅いね、……厄介なものだよ」
　炎獣の牙は予想以上に鋭く深く抉ってくる。護りに専念するべくこまめな回復を図る瑞樹ですら、焔が徐々に延焼し身を焦がす。裂帛の気合いで火元から根絶するものの、傷は否応なく蓄積されていく。
　退路を塞ぎながら前衛を庇った瑞樹。彼が作った隙を衝き、木鳥が刀に鮮血を彷彿とさせる霊光を宿した一閃を与える。が、木鳥の刀が肉を断っても、しなやかな焔の獅子は悠然と佇むばかり。
　瑠璃羽はバベルの鎖を瞳に集中させ、自らの傷を癒すと同時に短期行動予測力を底上げする。
　その際揺らいでいた視界が明確になり、ふと理解が思考の底に降ってきた。同時に、歯痒さに眉根を寄せる。
　自分だけではない。攻撃を担う仲間のほとんどが敵の得意とする属性を纏った攻撃手段を選んでいたことに気づいたのだ。歴然としている能力の差があるのならば尚更、真っ向勝負では分が悪い。
　出来る限り攻撃を回避出来るよう、防具には気を配っていた。それでも尚避けきれずに傷を負う仲間が多いのだ。ならばサイキックの選択にも、格上相手でも確実にダメージを与えられるよう、命中率を考慮すべきではなかったのか。
「――こうなったら粘るしかない！　退くわけにはいかないんだから！！」
　立ち込める不安を払拭するように、歩夏は上段の構えから一筋の斬撃を振り下ろす。イフリートの顔面、牙を折るために全体重をかける。
　微かに罅が入る音がしたのは気のせいか。彼女の意気込みを支えるよう、麗羽は護りの盾を生じさせる。目立つ動きこそないが、彼自身が仲間の盾となるべく常に動向に注視を怠らない。
　忌まわしき炎を必ずや鎮めるために。白雪の髪を夜風に流し、信乃は木鳥へ守護の祈りを籠めた符を飛ばす。木鳥の呼吸が整っていくのを確認し、殊亜はディープファイアを疾駆させる。
　キャリバー突撃が回避されるまでは想定内。殊亜は波状攻撃とばかりに光剣で横薙ぎにした。敵の強化すら砕く確かな手応えに口の端を上げる。
「油断しないで、敵は強力よ！」
　セシリアは夜霧を前衛陣に広げる。防護の力をより強く織り成す最中、静かで昏い気配に背筋に冷たい何かが走る。
　イフリートだ。
　セシリアはその獰猛たる獣の牙が、自分に――否、回復手としての自分と信乃に向かおうとしていることを悟る。
　注意を促そうとした声は声にならない。炎の弾丸が嵐のように撃ち出される。視界を埋め尽くし躍る赤、紅、朱。全身を穿たれたことに気づいたのは、セシリア自らが膝をついた音が耳に届いたからだ。
「若っ……！！」
　信乃の悲痛な声が愛しき半身を呼ぶ。焔の嵐から主を守った藤若は、まさに息も絶え絶え。まだ立っていることが奇跡のようですらあった。
　回復の符を、と信乃が構えた瞬間身を強張らせた。炎は留まる様子を見せない。まさか。
（「ダブル！？」）
　空から見下ろす存在が居れば、その一種異様な光景を目の当たりにすることが出来ただろう。
　後衛陣を狙い撃つ、焔の輪が煌々と燃え盛る様を。
　夜に咲く大輪の緋の花を。

●弐
　再び猛然と襲い掛かる炎の嵐。瑞樹がセシリアの前に出て弾丸を引き受ける。信乃があわや、という場面になって立ちはだかったのはやはり藤若だった。
　力の限り主を守り抜いた藤若が朧となり消滅する。反射的に信乃の白銀の瞳が潤みかけるが、あくまで毅然とあれと敵を睨む。
（「まずいな」）
　霊光を癒しの力に転換し、瑞樹を蝕む重圧と傷を治す麗羽は唇の端を噛む。
　回復役から落とすのは戦術の常套手段。理解はしていても、敵がそうしてくると想定していたかは話が別だ。同じ支援役ではあるものの、防護を固めるディフェンダー陣より体力に劣るメディック陣を狙うのは、当然の帰結といえる。
　回復も防御支援も前線に立つクラッシャーたちを中心に施されていた。そのこと自体は決して無駄ではない。包囲陣は未だに破られてはいないのだ。
　しかし、もし回復に専念する後方支援を欠くことになれば。
「戦いは嫌いじゃないよ、でも決して遊びで戦うわけじゃない」
　木鳥は臆することなく刀を振るう。攻撃で気を惹くことも、護るための術のひとつだ。決して誰も倒れさせない。その心意気を胸中に秘め中段の構えから一撃を放つ。
　先の攻撃で罅が入っていた炎獣の牙の一本を、根元から折る。
「続いていくよ！」
　此処まで来たら攻勢に出なければ勝ち目がない。長期戦にしないのが最善と歩夏は夜を駆ける。どうか無事にみんなで帰ってこれますように、願いを籠めてイフリートを全力で殴打した。流れ込む魔力は増幅し、炎の芯を体内から揺らがせる。
　負けじと瑠璃羽も攻撃を重ねる。無茶はしない、けれど多少の傷は気にしない。肉を切らせて骨を断つ心意気で緋色の霊光を纏う刀を振り翳し、焔の力を奪い自らの血肉と成す。
　瑞樹が霊力を指先に集めセシリアに撃ち出す。彼女の痛みが徐々に和らぐものの、焼け石に水であることは瑞樹自身が理解していた。奥歯を噛む。
　せめて身を挺してでも仲間を守らなければ。戦況を見定めるべくイフリートに向き直る瑞樹の耳に瑠璃羽の叫びが届いた。
「――危ない！」
　確かに傷は重ねているはず、それなのに猛き炎獣は攻勢を緩めない。
　イフリートが齎した激しい炎の奔流が荒れ狂う。まさにすべてを焼き尽くす業炎、火の旋風がメディックのふたりを襲う。
　僅かに、届かない。
　灼滅者たちの目の前で仲間が炎に包まれる。セシリアは気力だけで立ち上がるも、もはや猶予はない。信乃も体力を根こそぎ奪われ、立つことがやっとという状態だ。
　なのにセシリアは光の輪を麗羽の盾とし、信乃は殊亜に守護の符を飛ばした。確かに重ねられる守りの力に殊亜が顔色を変える。
「何やって……！　自分たちの回復してくれよ！」
　少女ふたりは肩で息をしながらも、僅かに笑んで見せる。
「ここまで来たら、皆に立っててもらわなきゃ困るのよ」
「若は自らの責務を充分果たしてくれました……私もそれに、報いたいのです」
　あくまで強気にセシリアが言い放つと、信乃も芯の強さを滲ませる。
　確かに自分たちの回復量を考えると、イフリートの火力には到底及ばない。ならば少しでも勝利に繋げるために――決意を固めた彼女たちはそれでも尚、諦めてはいないのだ。
　殊亜は頷く。折れない意志の強さが、剣の輝きを増す。
「……なら、俺も俺に出来ることをするよ」
　確実に宿敵を葬るために。
　冬風を追い風に、光の刃が炎獣を切り刻んだ。

●壱
　戦いは長期化していた。
　これは双方が決め手に欠けていたからではない。灼滅者たちがイフリートに負けじと武器を振るい続けたからであり、勝利の天秤が薄氷の上にあったために他ならない。
　実力だけならば敵うはずもない焔の神獣。牙を折るという目的を、誰一人として揺るがしはしない。その目的を託しセシリアが、信乃が次々と倒れたけれど、仲間を信じる気持ちは確かに受け継がれた。
　怒り付与が功を奏し極限まで攻撃を引き受けていた瑞樹が膝をつく。が、気力を軸に只管に立ち上がる。己の身を顧みしはしないが、くれてやるほど安くもない。
「せめて、勝利を」
　傷口に滲む血を手の甲で拭う。庇いきれなかった仲間の分まで、瑞樹は幾度目かわからないシールドを展開し護りを施した。
　同じく怒りを付与した麗羽が、白い装束を所々赤く染めながらも霊光を集める。その力は歩夏を蝕んでいた火の粉を霧散させると、その信頼が彼女の背を押した。
　影として戦線を維持することに全力を注いだ。そんな麗羽の意気込みは、確かに攻撃手へと連なり、炎獣へ刃を向ける力となる。
「諦め悪いほうなんだ。生憎だけど！」
　足は止めない。何度でも食らいつく。
　歩夏は身を反転し炎獅子の一撃をやり過ごすと、顎下へ思い切り殴りかかった。途端に魔力がイフリートの体内で爆発する。口から漏れたのは猛き咆哮ではない、牙を破壊されたが故の絶叫だと理解する。
　その姿を確認し、瑠璃羽は再度斬り込むべく愛刀を構えた。先程強かに打った右腕が痛んだけれど、視線は外さない。斬るべき標的は見過ごさない。
「傷のひとつやふたつ、平気！　あなたが倒せるなら！」
　ファイアブラッドと違い、血は炎にならない。少し残念に思ったが、瑠璃羽が抱く想いは炎に負けないほど熱いもの。火よりも赤き力を宿した切先をイフリートに突きつけ、叩き斬る。炎獣の肩口に真新しい傷を生み出す。
　戦況を見据え、殊亜は立ち位置を変更した。ディープファイアを操り、一手を費やして後衛に下がる。それは信乃と同列だが役目は違う。スナイパーだ。
　だが炎獣の攻勢が終わるわけではない。唸り声を高く、高く上げる。鬣の炎が一層燃え上がった。大量の眷属の如く現れたのは焔の弾丸、勢いは止まらない。
　標的となったのは、木鳥だ。
「――……！！」
　実弾なら蜂の巣となるところ、それが炎となり襲ってくるのだ。木鳥は数多の傷を穿たれ、それでも地に足をつける。奥歯を強く噛む。運の廻りもあるが、倒れるものかという気概あってのこと。
　イフリートは姉の闇堕ちの末の姿。だからこそ、倒さなければならない。
　と、炎獣の様子が妙なことに気がついた。重ねられた攻撃の末牙は数本折れてはいたものの、畏怖すら覚える威圧感は決して消えていなかった。それが、薄らいでいる。
「今だ」
　木鳥が声を張る。
「今だ！」
　応えたのは殊亜だった。傷だらけのディープファイアにもう少し頼むと声をかけ、炎獣の元へと向かう。身体から噴出させた炎を光剣に宿す。それは意志の力、そのものだ。
「お前の炎ごと燃やし尽くしてやる！！」
　加速の勢いをつけ高く跳び、袈裟斬りを叩きつける。
　傷痕の火が踊るのは怒りのためか、それとも――。

　イフリートは地に伏した。徐々にその身を炎が焼いていく。最期の焔が躍る、潰える。
　命の燈火が残ったのは、勝利を渇望した灼滅者たちだ。

作者：中川沙智	重傷：日向・信乃（藤霞・d02858） セシリア・スペンサー（ブレイクスルー・d10807）  死亡：なし 闇堕ち：なし
種類： 公開：2013年1月16日 難度：やや難 参加：8人 結果：成功！
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