●温泉への誘い
あまり知られていない事だが――。
東京の地下は天然温泉の宝庫である。都内一円にはその深度にもよるが、『何処を掘っても温泉が出る』と言っても過言ではないほど、潤沢な天然資源が地の底に眠っているのだ。
事実、東京都内では温泉施設が豊富に存在している。固有名こそ語る事はしないが、都内在住の人間ならば想像するに難くない事だろう。
大浴場、露天風呂、足湯、岩盤浴、ジャグジー、サウナ――様々な『暖』の数々は、都会人から冬の酷寒を忘れさせてくれる事だろう。
湯気のくゆる温泉は、人々の憩いの場となっている。
●
「やーやーみんな! あけましておめでとう!」
新年の挨拶を行う汀・葉子(中学生エクスブレイン・dn0042)は、何故かプラスチックの風呂桶を傍らに抱いて、手ぬぐいを気風良く肩に掛けている。風呂桶からはピンク色のへちまたわしがひょっこりと顔を出している。
一体彼女は何をしたいのだろう。いや、見るからに何をしたいのかは明確ではあったが、集められた灼滅者達は、皆一様に首を捻っている。
「新年早々なんだけど、たまの休日、時には都内の温泉でまったりのんびり……っていうのも、良いと思ったわけなのだよ。やー、実を言うと葉子の誕生日近いからっていうんで、お店の常連さんからとある浴場の、お得団体割引券を貰っちゃってさ。と、いうわけで暇な人、葉子と一緒に温泉へ日帰りでのんびりしにいかないかい?」
頭上にクエスチョンマークを浮かばせる一行に対し、葉子はマシンガントークを炸裂させる。良く回る口である。
「一人で入るのも楽しいかも知れないけど――みんなで温まってくるのも、格別だと思うの。簡単な食事とかも出来るしね。どうだい。どうかな。どうだろう? 最近寒いから、温かくてひろーいお風呂はほーんとに気持ちいいと思うのよ!」
厳しい寒さを感じながらも、ゆったりとお湯に身体を預ける――なるほど、想像してみればそれも悪く無さそうだ。
しかし集まった灼滅者の中には、恥ずかしがる者も少なからず存在していた。いきなり裸の付き合いというのは、中々に勇気がいるものである。
「そこは安心して。水着で入浴する事も出来るみたいだし、なんて言ったって混浴とかじゃないもの。――だから、健全な男子生徒諸君は覗きとかしても絶対に楽しくないはずよ。だからしちゃ駄目だからね! 覗きは犯罪ですよ! いい、絶対だからね! 酷い目にあうんだから!」
幾つかの咳払いが聞こえたという。
果たして、どうなります事やら。
●温泉でまったり
温泉の魅力と言うものは果たして何処にあるのだろう。広い湯船のゆったりまったりと出来る憩いの空間? あるいは都会の喧騒から離れ、現実を忘れられるオアシスの風情? それとも単純に、湯治を成す湯の効能?
いやいや。それらは確かに温泉の織り成す魅力の一つには違いないだろう。しかし大勢の者達との触れ合い。それこそが――。
「っ……ぅにょあああー!?」
と、言ったそばから黄色い悲鳴とは程遠い葉子の叫び声が、女湯に響き渡った。その原因は彼女のバスタオルを引っ張る舞夢の行動にある。
「ノンノン、温泉にバスタオルは野暮ってものだよー! お湯の肌触りとかあるじゃない!」
「ちょ、ちょちょちょ、舞夢ちゃんっ! そうは言うものの乙女の絶対守護領域が危険でデンジャラスなのだわよ!?」
恥じらいだか危機感だかを見せ、必死に死守する葉子に酷く楽しげな舞夢。その様子を眺めている者達は、一種の生贄を前にほっこりとしている。
「葉子さんも水着にすれば良かったんじゃないでしょうか?」
可愛らしいワンピース水着にて入浴を行う紅緋が呟く。
「水着はいいの!?」
「水着を取っちゃうと後がなくなっちゃうじゃないの。はー、それにしても本当に幸せ」
近くで固まっていた女子力向上委員会の面々、その中でも一際スタイルの良い杏は一時の幸せに酔う。
「幸せ云々よりも、何を食べたらこんなナイスバディに……」
「…やっぱり大きい…これが格差社会……」
杏以外の委員会の呟きに、スクール水着姿の梓馬がそれに同意したように頷く。表情は何処か儚げだ。
「自分の方が年上なのに、何だか不公平です……」
そんな呟きと共に、舞夢主催のバスタオル強奪パーリィに梓馬も参戦する。
「新手のバスタオルシーフッ!?」
最早葉子は風前の灯である。
炎獣との闘いで疲労した身体を湯治で癒す奏と晶は、その様子を笑い飛ばす。晶は舞夢と同じ、ノーガード主義のようである。
「ま、やっぱり温泉はゆったり楽しんでこそだよ。汀君も観念してゆっくりしよう。あー……それにしても火傷に効きそうだ」
「本当っすね。……でも次は、そんな傷を負わないよう気合をいれるっす」
奏はお湯を救っては、自らの顔に浴びせ気合を入れた。
「それはいいけど、零れちゃうから助けてえー!?」
――その後葉子がどうなったかは、ご想像にお任せ致します。
●温泉カルチャー
葉子が脱皮の如く、面白い格好で空中一回転を行っている頃、純粋に温泉を楽しむ女湯の面々がまったりとした一団となって湯を満喫していた。
「E You Da Now~♪」
独特のイントネーションで鼻歌を嗜むカルリ。その様子を同クラブの縁が首を傾げてみている。
「あの、ハーティポットさん……その歌は?」
「ニッポンブンカの作法であると聞いていマス。気持ちよく歌うことの出来るお風呂。とっても素敵デスネ」
疑う事を信じない異国の少女は、曇りなき瞳で言ってのけた。あまりに澄んだ瞳に、織姫と真琴が顔を見合わせてしまった。
「あの、ハーティポットさん……騙されてるかも……」
「エッ、マジデスカ!?」
「そうそう。正しいマナーはね~。拳を利かせて……こう、ハァ~ッ、ビバノ――」
「お、織姫様。それも正しいマナーとは違いますっ……あと、あまり騒いでは駄目ですよ……皆様、こちらを見ますから、は、恥ずかしいです。うう……」
やんわりと話を纏めた水菜だったが、周りの人数の多さに顔を紅くして隅に隠れだす。女性同士とは言え、やはり少々の抵抗はあるようだ。
「……温泉のルール、奥が深いです」
一連の話を聞いていたドナは興味深そうに頷く。
「ニッポンブンカ……極めるにはマダマダ奥が深そうですネ」
カルリも続いて頷いた。しかしどうやら間違った知識が流布されつつあるようだ。
そこに両手に大量の白卵を持った唯がお湯の中から現れた。
「もぐもぐ……温泉の真髄はそれだけじゃないよ……ちゅるっ、んみゅ……もぎゅ」
これでもかという程の温泉卵を頬袋に詰め込む唯。希紗が飛沫を上げて立ち上がる。
「そう! 欠かせないのはお土産とグルメ! 温泉卵に温泉饅頭! ラムネに牛乳各種! 火照った身体に冷たいものだよ!」
「ほぁ~……寒暖の妙……今でも充分堪能しとるんに、幸せが蕩けてしまいそうっちゃ」
「温泉饅頭もいいね! 早くあがって食べたいよね」
希紗の言葉にリコと湯都。そして話を聞いていた者達の表情が輝く。
「じゃあ、それを楽しむためにも沢山温まらないとだね? もいっかい肩まで! 10数えよ!」
天花の鶴の一声に、ホコホコと女史達の体温が上昇していく。――これは冷たい物との出会いは、より劇的なものになる。誰もがそう思ったという。
●温泉レジャー
温泉『施設』と冠するこの場所には、大浴場や露天風呂といった入浴施設以外にも、レジャー要素が充実していた。
「おや?」
マッサージチェアで程よく身体を解していた安黒は、何かが弾けるような軽やかな音に誘われ視線を向ける。
其処にはスポーツによる清廉なる汗を流す集団が見えた。卓球をしているようだ。
「……温泉卓球でしょうか。面白そうでございますね」
「こっちのツレが一勝負始めたみたいだな。……おっと、球が」
松庵は飛んできた流れ弾を手早く返すと、マッサージ機能の心地よさの堪能する同士にそう告げる。
なんとも生活感というか、まったりとしと老輩感を醸し出す二人に、色っぽく浴衣を着こなすキティが一言呟く。
「……一瞬、凄く納得したんだけど……あんた達同年代なのよね……」
「ほっとけ」
さて。卓球台では珠緒と藤恵による、泥仕合とも熱闘とも言える一戦が繰り広げられていた。珠緒が多少手加減しているのもあるが、藤恵の頑張りも熱い勝負に拍車を掛けていた。
ギャラリー達が一種の不安にもにた感情で固唾を見守っていると、珠緒があえて放ったミスショットがふわりと藤恵の目の前に舞い上がった。
「ここですっ……!」
藤恵の放つ渾身のスマッシュが――あらぬ軌道を描き――逆上せ気味だった観客の茉莉の花頭に炸裂した。してしまった。
ふにゃっ……と呻き声をあげて、茉莉は尻餅をつく。
「うわっいい音……って、古樽先輩大丈夫ですか?」
慌てて智恵美が駆け寄り、茉莉を介抱する。卓球に勤しんでいた二人も同様だ。
「うっ、ぅ……タマちゃん、浅見さん、がんばってー……」
逆上せも相俟って、目を回しているようだった。これはまずい。何か冷たい物でも――と誰かが辺りを見回した時。
「カミラのアイス分けてあげるー」
「サシャは温泉牛乳あげるよー♪」
戦いをうずうずしながら見守っていたカミラとサシャの兄弟が、脇から冷たい物を差し出してきた。
「冷たいものも、おみやも、あっちに一杯あるからつれていってみるみるー?」
冷えたヨーグルトを幸せそうに頬張りながら、かれんも一種の誘惑を行う。
「モナカアイスもコーヒー牛乳も……逆上せた身体には良い涼みになりますよぉ」
兄弟に囲まれていた円蔵が茉莉達に告げ、目をくるくると回している茉莉の両脇を浴衣姿の法子とリタが支えた。
「大丈夫? ……運ばれている間に、野みたい牛乳を考えているといいわ。イチゴ、コーヒー、バナナ……色々あるみたいだから」
「いっそ私はフルーツミックスかな!」
それは想像するに容易い、甘さと冷たさ。この場の皆を魅了するには充分足るものだった。
●温泉グルメ
「皆ー。持ったかー! 持ったなら一列に並びなー! 別府の事件、それにご当地怪人、鶴見岳――ともかく、今までの戦いに乾杯するぞ!」
突然そんな号令を出したのは、ご当地ヒーロー三珠。熱気を涼しげへとかえる浴衣を纏いながら、誇らしげに掲げるのはフルーツ牛乳だ。
「はーい! 私はコーヒー牛乳!」
「僕はご当地ヒーローらしく、カボスジュースで乾杯すっけん」
緒々子と神楽も誇らしげに、或いは何かの祝賀のように。風呂上りの一杯を掲げる。祭囃子にも似たその掛け声に、何だ何だと人が集い――。
「面白そうじゃんっ!」
「あ、オレも! やっぱり風呂上りはこうじゃないとな!」
アッシュと登の小学生コンビも、それに乗っ取った。5人の風呂上り戦隊が一斉に涼を流し込む。
――冷たい物を一気に流し込む時の、あの度し難い頭痛すらも、何だか幸福の一色に塗り潰されて行くようだ。これこそ至福の時である。
「んまいッ! これがこの世のものであっていいのかッ!?」
その至福感は絵莉羽の顔を、古代ローマ人かくあらん、個性派俳優かくあらん如くに変貌させる。何処からかオペラの旋律が聞こえてきそうだ。
その傍らでは、他の軽食、葉子――本人は何故か項垂れている。その様子を気遣う流人が差し出した苺大福を、虚ろにはむはむと食している――の用意したちょっとしたお弁当。そして誰かがもちよった特産品などが置いてあった。これは持ち込みに当る行為だが、団体客という事もあり施設側で大目に見てくれたらしい。
「良いお湯に美味しいもの……いう事無しだね」
お風呂上りに弁当を味わう緋月は、幸せそうに笑いかける。
「すっかり身体の疲れが取れました……佐藤さんはどうでした?」
同じく弁当箱を抱えて菫が問いかける。
「温かい湯、美味いメシ……それに風呂上りの――いや、とにかく男湯も最高だったぜ。ちょっとばかしきな臭い事になってたけどなァ」
「きな臭いこと?」
良輔の言葉に、二人は顔を見合わせた。
●楽園目指して
当然の話だが、女湯もあれば男湯も存在する。男と女を区別する染色体が分け隔てられているように、浴場にも見上げるほどの高き隔たりが存在する。
しかし露天風呂のそれは薄っぺらいトタンを竹で補強された、脆くはないが強固でもない、少々頼りないものだ。
だが――心せよ。
男達よ心せよ。その壁の向こうにあるものは確かに楽園には違いない。だが男達よ一切の望みを 棄てよ。楽園に至るには、まずは地獄を超えなくてはならぬ――。
「じゅんすいにおんせんをたのしもう!」
ややもすればむさ苦しさすら漂う、男湯の中心で浪漫に震える拳を高らかに突き上げる、漢達がいた。
震える魂。それに呼応した恭太朗を初めとした男達は代わる代わるに渾身のアジテーションを行った。
「そこに壁があれば登る――踏破するのは男なら当然の事だ」
「異議なし!」「異議なし!」
「女性達のはしゃぐ声が聞こえる――理由はそれだけで充分だ。時は来た! 裸の付き合い! それは男の友情を深める(中略)秘密の花園に少しでも興味を示した野郎共!(中略)肉眼に焼き付けろ! 行くぞ野郎共!」
「ガンホー!」「ガンホー!」
「あの壁を打ち破る――俺たちが、俺たちが、クラッシャーだッ!」
たっぷり五分ほどの演説を行った、長すぎるそれを要約すれば今から女湯に踏み込む算段らしい。
じゅんすいクラッシャーズ(仮)に名乗りを上げたのは、数々のロマンサー達。そして『純潔のフィラルジア』の面々だった。誰も彼もが瞳に炎を宿し、夢追人の表情をしている。
「……ふぁいとですー」
その面子の中には、静かに見送る十七夜奏や、勿論そんな行いに難色を示す者達も多数居た。常識人の方々である。
だがそのような制止も聞かず、十数名の男達は意志と信念を一つとし、一つの生命体となって絶壁へと挑みだす。
「しかし男として恥ずべき行為だと思うのですが……良いのでしょうか?」
流希がぼやくと、久遠の霊犬『風雪』と時仁がふやーっと気持よさげに湯面を流れてくる。鬼気迫るクラッシャーズとは対照的である。
「素直に温泉を楽しめんとは、無粋な輩だな」
久遠の言葉に同意するように、とっくりを浮かべて気分を出していた政義が御猪口(冷水)を煽る。
「……まあ、でも一応止めておこうか覗きは。無駄かも知れないけど」
「……ですかね。手伝いましょう」
有斗の意見に頷く某は風呂桶を壁に群がる彼らに投げつける。「何をするッ! 同じ男なら解ってくれよ!」……といった叫び声が聞こえてきた。
「解るもなにも……露天風呂の塀の向こうには、何があるんですか?」
「ていうか覗きって何だろう?」
アリと哮は、良く解っていない様子だった。
「まあ、綺麗処や可愛い子を見たい気持は解るけどなぁ」
「悪かったな……だが男湯で綺麗処を探しても仕方ないと思うが……?」
優志の言葉に、暁仁が辺りを見渡しある一点に視線を止める。
「……いや、いたわ。綺麗処」
視線の先には、シェアハウス仲間のラシェリールとノウェがまったりとしていた。視線が向けられている事に気付き、ノウェは微笑みながら小首を傾げる。
「どうしたの?」
「いや……ここ、男……いや何でもない」
暁仁はそのまま無言で、優志にお湯をかけた。
世の中には知らなくても良い事もあるのかも知れない。
さて。
その一方で、妨害にめげる事無く楽園攻略の面々に不穏な情報が齎されていた。
主に辺りの情報、計画を担当していた黒武の報告によれば、恐るべき事実が浮上してきたのだという。
「そんな馬鹿な……!?」
誰もが信じたくはなかった。
その情報を真とするならば、この先に待っているのは楽園ではなく虚無そのものであるのだから。
●男たちの挽歌
――。
――――……。
壁を超えた先に、女湯は確かに存在していた。いや、違う。これは女湯などではない。ほんのりと白い湯気を立ち上げて、静かな湯面がただただ其処にあった。
脱衣所の向こうからは、女性達の明るい笑い声――。
――何もかもを悟った彼らの顔は無垢そのものだった。全ては遅すぎたのだ。蛮族のように世界の隔たりを超えてきた彼ら、十数名の踏破者達。その佇まいは、紛う事なき紳士のそれであり、賢者のそれであった。
何故なら、その時、誰もがこう思ったからだ。
「(良かった――覗きの被害にあった女子なんて居なかったんだ――)」
――と。
カラララ。
何かが開く音がした。
「――あの、このまま終われるなんて思っていないですよね……?」
楽園の扉は開かれた。ただし現れた天の御使い達は完全武装状態であり、仁王立ちをしている。
現れたのは、ビアンカ、蘭世、昴、ディアナ、樹咲楽。5名の戦乙女達。
男湯の不穏な気配を感じ取り、既に対策が講じられていたという事になる。
「既に侵入ルートはチェック済みです」
「ビアンカそこに居るわ、やっちゃって!」
「この……ふとどきものーっ!!」
この状況。言い逃れも対話も必要ない。ただ粛清の嵐が吹き荒れるのだ、と。男達は心で理解した。
「ぶっとんじまいなっ!!」
地獄を超え、煉獄でその身を浄化された漢達は何処か満足気に、湯園の藻屑と化す事になったのである。
男達の夢の終わりと共に、温泉での一幕は終わりを迎えた。
その後、露天風呂の仕切りを破損した事によって、主催者の女子に請求が届いたらしいが――。
それはまた、別のお話。
作者:遊悠 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2013年2月19日
難度:簡単
参加:76人
結果:成功!
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得票:格好よかった 1/感動した 1/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 22
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