楔を喰らう炎獣～日光杉線香怪人ｖｓ燃えるモグラ

■リプレイ

●序
　ぽかぽかと晴れた、のどかな昼下がり。
　大きな川が、浅く、ゆったりと流れていた。川辺には大小様々な石が敷き詰められている。夏になって水かさが増せば川底に沈んでしまう場所だが、今は真冬だ。水際から土手まで三〇メートルほどある。
　土手のすぐ下には細い木が茂っていた。隠れて土手の上を窺うにならここがいい、というヴァーリ・シトゥルス（バケツの底は宇宙の真理・d04731）の意見が採用され、四人の灼滅者がそこで息を潜めていた。
　輝鳳院・焔竜胆（死哭・d11271）は、黒い外套で身を包んでいた。目深に被ったフードの隙間から、真っ赤な前髪と青い瞳が覗いている。いかにも身を隠しています、というオーラを醸し出していて凄く怪しい。
　それよりもさらに怪しいのが、焔竜胆の隣でニコニコしているヴァーリである。どういうわけか、頭からすっぽりとバケツを被っている。そのバケツから覗く口元やウェーブがかかった長い金髪から、バケツの中身はなかなかの美少女だろうと想像できるのだが。
　そしてついに、この日光市内で最も怪しい奴が、土手の上を歩いてやってきた。
　巨大な線香の束である。そこから生えた、女性を思わせるナマ腕とナマ脚を優雅に動かしながら、モデル歩きでやってくる。
　雁音・夕眞（冷徹の犬・d10362）は怪人を興味津々に見上げていた。が、その姿はすぐに消えてしまった。水車小屋の方へ向かったのだろう。
　夕眞のそでを、小さな手がつかんだ。小学六年生の少女、巽・空（白き龍・d00219）が、不安そうに眉をひそめている。これから起る戦いに付いていけるのか、自信が無いのだ。じきに、囮班がこの川辺にイフリートを連れてくる。空は、川辺の砂利を眺めながら、そこで起きるであろう死闘を想像して身震いした。
　その様子を見た夕眞が、空の頭に手をポンと置いて笑って見せた。空の表情が和らいだ。少しは緊張が解けたようだ。
　夕眞の手に握られていた携帯が震えた。耳に当てると、陽気な男の声がした。この携帯の持ち主、夏炉崎・六玖（夜通し常識外れのシミュレータ・d05666）だ。
「怪人が来たよ。未来予知通り、水車小屋に向かってる。もうすぐ戦いだから、準備しておいてね」
　六玖は、水車小屋の三〇メートルほど北側にある深い田んぼの中に身を潜めていた。あぜ道から顔を出して、全体を眺めている。緑色の髪が迷彩色の働きをしているせいか、あまり目立たない。
　六玖は夕眞の返事を待たずに、開いていた左手を一旦閉じ、また開いて左耳にあてた。一回の呼び出し音でつながった。
「怪人が来たよ。囮の準備、よろしくね」
　六玖は水車小屋を見ながら言った。その物陰で、着物姿の高原・まや（まいぺーすでまいりましょう・d11298）と、布を身に纏った彼女のビハインド、武が身を隠していた。
「あら、可愛いわね」
　小川の脇のあぜ道を歩いていた怪人が、上流マダムのような声を出して立ち止まった。小川の向こう岸で、キジ虎の猫と茶色の猫が団子になって戯れている。キジ虎は茶色が可愛くて仕方がないらしく、夢中になって茶色に抱きついたり甘噛みしたりしていた。
　しばらく猫たちを眺めていた怪人が再び水車小屋に向かおうとしたとき、地面が揺れ、田んぼの黒い土が爆発的に四散した。
　青空を背に、ダンプカーを思わせる巨大な炎獣が舞いあがっていた。まるでイルカが海面からジャンプするかのように、放物線を描きながら、線香怪人めがけて降りてくる。
「あ……っ」
　という間に、怪人は燃え上がり、炎獣が怪人の目の前に降り立った時には、石膏彫刻のように固まっていた。怪人は灰になっていた。
　炎獣はその灰に長い鼻を突っ込むと、怪人の体を余すことなく吸い込んだ。杉の香りがプンと匂った。
　炎獣の体を覆う黒く固い体毛が、溶けた鉄のような色に変わって逆立った。
「キィィィイッ」
　天高く直立し、炎獣は喜びの声を上げた。それは巨大な、燃えるモグラだった。
　その脇を、布の塊がすり抜けた。
　炎獣はそれに気付くと、手足を付いて追い始めた。布の塊はすでに火だるまになっている。そこに鼻先を伸ばしたとき、炎獣が絶叫と共に背中を反らした。
　長い鼻先が、上向きに、直角に折れている。
　炎獣の前に立って拳を突き上げているのは、茶色のキャットスーツに身を包んだ高倉・奏（見習いエクソシスト・d10164）だ。突き上げた手の甲には円光が展開されていた。
　その隣で、キジ虎のキャットスーツを着た柳谷・凪（お気楽極楽アーパー娘・d00857）が袋を投げつけた。
「こっちに来るんだよ、イフリート！」
　炎獣の体に当たった袋は、その炎で燃え上がったかと思うと、色とりどりの火花と爆音をあげた。
　炎獣は折れた鼻を寄り目で見つめると、その目を真っ赤に燃やして奏を睨んだ。
　完全に怒っている。戦闘開始だ。
　奏と凪は川辺に向かって全力で走った。
　炎獣はぷるぷると震えながらその背中を見つめていたが、バッと土に潜ると、ものすごい速さでモグラ塚を築きながら二人に迫った。
　足元の土が急に盛り上がり、二人はバランスを崩した。盛り上がった土は、今度は急激に下がっていき、二人は落とし穴に落ちたかのように土中にめり込んだ。
　二人の目の前で、黒い土が爆散した。両腕を広げて錐もみしながら、炎獣が立ち現れた。
「ブブブブフフフゥゥゥー」
　炎獣は空に向けて黒い粉塵を大量に吐いた。
　辺りがさっと暗くなった。焼け焦げた土埃が、黒い煙を上げながら青空を覆い尽くしていく。
　土煙のなかで、炎獣の邪気が増した。二人は立ちすくんだ。
「まずいよ……まずいよ！」
　六玖は二人の元へ走りながら、左手に口をつけて叫んだ。
「すぐに来て！　誘導は失敗だよ！」

●破
「我らに神のご加護あれ！　ってね！」
　炎獣の殺気をひしひしと浴びながら、奏は円光を盾に身構えた。次の瞬間、奏は弾けたように吹っ飛び、地面に突っ伏した。
　土の感触を頬に感じつつ、奏は何が起きたのかを思い返した。確か、炎獣に泥のつぶてを投げられたような気がする。手をついて顔を上げると、視界が炎で歪んでいた。全身が熱い。
「かなちゃん！」
　着物の裾を乱しながら、まやが水車小屋から飛び出してきた。奏が火だるまと化していた。
　空に、炎獣が舞った。鋭い爪を奏に向けている。そこへ真っ直ぐにぶつかるキジ虎のキャットスーツ。
「まずはその力を削がせてもらうんだよ」
　凪の声と共に、バキィン！　と鉄を斬るような音がした。炎獣は身を翻して着地した。少し離れて、炎獣の爪が一本、田んぼに突き刺さった。
　炎獣の背後から、黒い影が飛びこんできた。
「――斬ッ」
　その影は炎獣の肩を越えながら、首元を長い刀で斬り付け、炎獣の前に着地した。くるりと回転して、黒い外套を脱ぎ捨てる。膝まで伸びた真っ赤な髪が、遠心力で扇のように広がった。
「炎獣よ、焼かれる気分はどうだ」
　戦の神に取り憑かれたような笑みを浮かべ、焔竜胆は長い刀を構えた。炎獣の首筋から炎が吹き出す。
　炎獣が両の手の平を掲げた。
「みんな！　来るよ！」
　駆けつけた六玖が滑り込みながら、手の甲の円光を最大限に広げて皆を包んだ。
　炎獣の手から発せられた炎の奔流が、大渦となって皆を飲み込む。
　紅蓮地獄だ。
　息を吸えば肺まで焼かれる。
　まやのビハインド、武が、奏に覆い被さって炎を受け止めた。
　凪の霊犬、マトラも、主人の盾になった。
　圧倒的な炎に身を焼かれ、焔竜胆から戦神の陶酔は抜け去った。今あるのは、桁違いの力を誇る宿敵への、奇妙な感謝の念である。戦闘狂として、強い宿敵の存在ほど嬉しいものはない。陶酔からではなく、己の信条から、焔竜胆は笑った。
　炎獣が悲鳴を上げて振り返った。
　バケツを被ったヴァーリが左手を突き出している。左手の指輪から放たれた光が、炎獣の邪気をかき消した。と同時に、炎獣の顔面に小さなものがバシバシとめり込んだ。ヴァーリの霊犬、ポリの六文銭射撃だ。
　顔を振って六文銭をふるい落とそうとする炎獣。そのアゴが、思いっきり跳ね上がった。帯電した小さな拳を突き上げ、青いポニーテールをなびかせながら、少女が空に舞いあがっていた。川辺では自信なさげに震えていた空だが、今は毅然とした表情をしている。
　のけぞる炎獣めがけて、振り子鎌のような影が這うように襲いかかった。炎獣の腹から喉にかけて、針金のような体毛がぞりぞりと刈り落とされていく。影のある笑みを浮かべる夕眞の足元に、振り子鎌の影が吸い込まれて消えた。胸元にはトランプのマークが浮かび上がっている。
　炎獣は自分の足元めがけて爪を突き立てたてると、あっという間に地面に潜り込んだ。夕眞と空の足元が盛り上がり、また落ちる。
　そして、黒い土を爆散させながら、夕眞達の背後に飛び出した。再び邪気を纏った炎獣の口から、土煙が大量に吐き出される。
「悪いんだけど、じっとしててくんない？」
　出現地点を先読みしていた夕眞の影が、炎獣の両腕にまとわりついた。
　さらに、奏の足から伸びた影が、炎獣の首を締め付ける。
　炎獣は奏を睨みながら両手の爪を揃えると、灼滅者達の前に突っ込み、駒のように一回転した。その爪の先から生み出されるカミソリめいた竜巻が、前衛をことごとく切り裂いた。
　武とマトラが消滅し、凪、奏、六玖、焔竜胆が吐き気と共に膝を付く。竜巻に切られた傷跡から、緑色の血が流れている。猛毒だ。
　パン、とまやが手を叩いた。その両手を広げると、長い黒髪と着物の袖がふわりと舞いあがった。清らかな風が、前衛の四人を包み込む。
　その風に背中を押されたかのように、奏が炎獣の脇をすり抜けて走り出した。
　奏を追って走る炎獣。ジグザグに変形した爪が、奏の背中を切り裂いた。
　放物線を描きながら、奏は川に落ちた。
　炎獣が土手を駆け下りる。奏への怒りは未だ衰えていない。
　奏は、吐き気を堪えながら立ち上がった。
「悪いっすが友人にこの地を任されたんっす！　そう簡単に負けるわけには行かないんすよ！」
　だが、そこまでだった。奏の膝から力が抜け、水しぶきを上げながら真後ろに倒れた。
　空が青かった。
　川辺は土煙がなく、視界はクリアだ。
「さあ来い宿敵。ここが我等の戦場だ」
　奏の姿を見届けた炎獣に、焔竜胆が飛びかかった。
　炎獣が勢いよく振り返る。
　ドン、という衝撃と共に、焔竜胆の顔から笑みが消えた。口の端からひと筋の血が流れる。
　その背から、炎獣の長い爪が突き出していた。
　息をのむ灼滅者達。
　炎獣が爪を引き抜くと、焔竜胆は糸の切れた人形のように落ちていった。

●急
　ぽかぽかと晴れた、のどかな昼下がり。
　焔竜胆が、まるでスローモーションのように、ゆっくりと倒れていく。
　逆さまになびく赤い髪を見つめる夕眞の脳裏に『撤退』の二文字が浮かび上がった。
　撤退の指揮は夕眞に任されている。
　中州に奏が倒れている。焔竜胆も戦闘不能だ。まやと凪のサーヴァントは消滅した。
　だが、と夕眞は思う。
　炎獣の両腕と首には黒い影がまとわりついたままになっている。それだけではない。固い体毛をなくした胸元、折れた鼻。石化の兆候が見られる膝や腕。爪を欠いた左手。体中に炎を纏っているが、その一部は焔竜胆が与えたものだ。この炎獣は、それらを癒やす術を持っていないらしい。
　奏が攻撃を引きつけてくれたおかげで、前衛以外は無傷だ。
　夕眞の殺人鬼としての本能が、炎獣の殺戮経路をありありと導き出した。
　まだやれる。
　炎獣が毒竜巻の構えをとろうとした、その時、炎獣の足元で炎が立ち昇った。
「――ア゛ア゛アアアァァァッ！」
　壮絶な叫び声と共に、焔竜胆の長い刀が炎獣の胸に深々と突き刺さった。
　宿敵への執念が、肉体を凌駕した瞬間だった。
　炎獣は悲鳴を上げて、焔竜胆を手の甲ではじき飛ばした。岩に打ち付けられ、焔竜胆は炎獣の炎に焼かれながら倒れた。
　カチカチカチカチ、という乾いた木の音と共に、六玖の縛霊手から展開された結界が炎獣を取り囲む。
「これで少しは動きが鈍るといいんだけど……ね！」
　結界の輪から生じる電撃めいた磁場が、炎獣の体に幾重にもまとわりついた。
　ヴァーリの指輪が激しく光り、炎獣にさらなる石化の兆候が刻まれた。
　突撃の構えを見せた炎獣が唐突によろけ、不自然な格好で右肩をついた。石化の兆候がさらに広がる。
「この一撃で断ち切るんだよ！」
　その隙を逃さず、凪の無敵斬艦刀が下から上へと一閃した。
　胸元から喉にかけて、炎が吹き上がる。炎獣はのけぞって絶叫した。
「鬼儺（おにやらい）」
　夕眞が呟くと、その手に槍が具現化した。
「行くぞ、空」
「はいっ」
　夕眞と空がそろって駆けだした。
　その動きを追う炎獣の両目に、札が張り付いた。まやの手から放たれる、まるで己の意思を持つかのように空を飛ぶ札が、次々と炎獣の顔を覆っていく。
　夕眞の槍から、冷気がほどばしった。焔竜胆が刺した刀の両脇に、巨大なツララが二本突き刺さる。炎獣の胸が、凍った。
　空が炎獣の懐に飛び込む。
「皆さんと力を合わせれば必ず！」
　青く光る無数の拳が、炎獣の胸に突き刺さった。
「ギィィッ！」
　炎獣は口から大量の血を吐き、次いで炎が吹き出した。
　これは炎獣の炎ではない。
　灼滅の炎が、炎獣を焦がしていた。

「かなちゃん、かなちゃん」
　まやの胸に抱かれながら、奏は意識を取り戻した。どうしてまやが泣きそうな顔をしているのか、不思議に思った。キジ虎の猫が、奏に頬ずりしてくる。凪だな、と気付いて笑みがこぼれた。マトラに頬をなめられて、ふと、マトラが消滅したときの記憶が蘇った。
「モグラは？」
「やっつけましたよ」
　まやがパッと笑った。奏は胸をなで下ろした。これで友人に申し訳が立つ。奏はキジ虎の背を撫でながら、また目を閉じて、茶色の猫に変身した。自分では歩けそうにない。
　まやは茶色の猫を胸に抱えて、立ち上がった。
　焔竜胆は、夢を見ていた。炎の刀を片手に、あの炎獣と戦っている夢だ。
　ふわっと体が浮いた気がして、焔竜胆が目を覚ました。
「お疲れさん」
　夕眞が微笑んだ。焔竜胆は夕眞に抱き上げられていた。焔竜胆は全身を走る痛みに顔をしかめたが、すぐに笑みを取り戻した。消えた炎獣の気配から、勝利を確信したからだ。酷い傷を負った、と思った。夕眞の腕に抱かれながら、もう一眠りすることにした。
　毒気が抜けきらない六玖の背を、ヴァーリがニコニコしながら撫でていた。
「一時はどうなるかと思ったよね……」
　六玖の呟きに、ヴァーリは即座に首を振った。おそらく、今日は勝てる、という神（バケツ）様からのお告げを賜っていたのだろう。
　空は己の拳を見つめていた。炎獣にトドメを刺した感触が今も残っている。
「皆さんと力を合わせれば必ず……」
　小さくそう呟くと、笑顔で皆の元へ駆け寄った。　

作者：本山創助	重傷：高倉・奏（二律背反・d10164） 輝鳳院・焔竜胆（獅哭・d11271）  死亡：なし 闇堕ち：なし
種類： 公開：2013年1月16日 難度：やや難 参加：8人 結果：成功！
得票：格好よかった 12／感動した 1／素敵だった 0／キャラが大事にされていた 1
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