楔を喰らう炎獣~フレイムインパクト

    作者:笠原獏

    ●大分県別府市・鶴見岳
     何体ものイフリート達が、続々と鶴見岳に集結している。
     イフリート達の体毛によって、燃えるように煌々と輝く鶴見岳。

     頂上には、一体のイフリートが存在した。
     他のイフリートを圧するほどに大きく、威厳に溢れたその姿。
     イフリートの首魁は、配下の前でゆっくりと力を練り、人間の姿へと変貌する……。

     ……人の形へと転じたイフリートの首魁。
     少女のようなその姿は、居並ぶ配下の幻獣達に向かい、唸り声の如き少女の声で命じる。

    「ガイオウガノメザメハチカイ。ケダカキゲンジュウシュヨ、コノクニノクサビヲクライクダキチカラタクワエタノチ、ソノチトニクヲ、ガイオウガニササゲヨ! サスレバ、ガイオウガハゼンナルイチノゲンジュウトナリテ、ナンジラトトモニクンリンスルデアロウ !」
     
    ●炎獣の話
    「小鳥遊・優雨(優しい雨・d05156)嬢から話を聞いてるかもしれないけれど、別府温泉のイフリート事件で新しい動きがあったみたいなんだよねぇ」
     手にしたペンを弄びながら、教卓の正面に背を預けたエクスブレインは集まった灼滅者達へとまずそう告げた。
    「灼滅者のみんなが別府温泉でイフリートを灼滅してくれたでしょ? そのお陰で強力な敵の復活は防げたみたいなんだけれど、あちらさんは新たな一手を打ってきた──とか、そんな感じかな」
     別府温泉の鶴見岳に出現した多数のイフリート。それが日本全国に散り、各地の眷属や都市伝説、少し可哀想なご当地怪人などをその牙にかけようとしているみたいだと。
    「目的としては、多分鶴見岳に封じられたなんか凄い存在を起こす事、っぽいね。全国に散ったイフリート達はこれまでのイフリートに比べるとずっと強くて厄介な存在だよ」
     とはいえ、このまま放置をしてしまえば更に危険な状況を招いてしまう事はほぼ確実だ。
    「という訳で、このイフリートの灼滅をキミ達にお願いしたいという訳さ」
     口元にへらりとした笑みを浮かべ、エクスブレインは緩いままの口調で告げる。
     
    「キミ達にお願いするイフリートは、深夜の海岸をうろうろしていた鎌鼬を四体ほど倒そうとしているよ」
     夏でもあまり人の訪れないような寂れた海岸で、冬の深夜に何が起きようが気付く者はいないだろう。例え翌朝誰かが訪れたとしても、砂浜に刻まれた戦いの痕跡は波に浚われた後だ。
    「イフリートの数は一体、使うサイキックはファイアブラッドと同じもの。ただ、純粋にとても強い。キミ達はそんなイフリートを更に叩き潰してやればいい。分かりやすくていいでしょ」
     有り余る体力、有り余る力、根こそぎ奪おうと振るわれる爪。鎌鼬達はイフリートのその強さをもってあっさりと蹂躙されてしまう筈さ、と。
    「鎌鼬達がまさかの感動的勝利、とかも残念ながらって言っていいのかな、無いよ。キミ達も戦う時には重々気を付ける事だね」
     油断禁物さ、と言い含めたエクスブレインはそこで人差し指を真っ直ぐ立てる。
    「で、ここで注意なんだけれど、キミ達が仕掛けるのはイフリートが鎌鼬を全滅させた後にする事ね。それよりも前に攻撃しようとするとバベルの鎖によって察知されちゃうから、岩陰から様子見でもしていておくれ」
     そうしないとイフリートの襲撃自体発生しなくなる可能性もある。重ねて注意しておくれ、と告げたエクスブレインはそこでようやくペンを弄る手を止めた。
    「新年早々に、なおかつ深夜の海岸とか寒そうで申し訳ないけれど宜しく頼んだよ。イフリートは寒くないのかなー、どう思う?」
     問うてからほんの数秒。どうでもいっかとすぐに自己完結し、エクスブレインは灼滅者達へひらりと手を振った。
    「全員で協力して、頑張ってきてくださいな」


    参加者
    江良手・八重華(コープスラダーメイカー・d00337)
    白瀬・修(白き祈り・d01157)
    エルヴィラ・フィス(くろがねの火・d01533)
    織部・京(紡ぐ者・d02233)
    椎名・茜(明日はきっと向こう側・d03875)
    関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)
    盾神・織緒(悪鬼と獅子とダークヒーロー・d09222)
    フェリス・ソムニアリス(夢に棲む旅猫・d09828)

    ■リプレイ

    ●1
     宵闇の中、四体の鎌鼬が深夜の海岸をうろついていた。砂浜に刻まれた足跡を波がさらう様が、岩陰に潜む灼滅者の暗視スコープ越しに薄らと見える。
     異変が起きたのは程無く。一体の鎌鼬がぴくりと顔を上げ、忌々しいものへと向ける不穏な鳴き声を上げた。灼滅者達のいる岩陰とは逆方向にぽつりと焔色が点る。揺らぐそれが徐々に大きさを増し──近付いて来た。
     連鎖反応のように鎌鼬達が続く鳴き声を上げる。そこに在るのが敵であるという事が分かっているのか、焔の方へ向けて砂浜をタタ、と駆け出した。

     ──それは、一方的な蹂躙と呼ぶに相応しい光景だった。

     まず一体が、無骨な爪で斬り裂かれた。ぽんと弾かれたそれが落ちた所の砂が跳ね、そこを突き抜けるように次の鎌鼬が跳ぶ。刹那、灼滅者達の目にもハッキリと分かる程に鮮やかな炎が吹き出してその一体へと叩き付けられた。鎌鼬の身体を炎が舐める。苦痛と憎しみに歪んだ鳴き声が響き渡る。ごろごろとその場を転がった鎌鼬はやがて、さほど時間を置かずに動かなくなり消滅した。
     残された二体が駆ける。けれど乱暴に振るった鎌は立て続けに易々と弾かれ、ただ炎を映して煌めいた。
     その頃にはスコープを用いていない灼滅者達もそれを完全に視認する事が出来ていた。巨体、威厳、力。それらを持ち合わせる炎獣、イフリート。それが空気を震わせる低く鋭い咆哮を上げた直後、炎の奔流が二体の鎌鼬を一気に飲み込んだ。
     刹那の蹂躙の、終わりだった。

    「……いやァ、今回はなかなか手強そうな相手だねェ」
     一時、静まり返った海岸。岩陰から顔を覗かせていたフェリス・ソムニアリス(夢に棲む旅猫・d09828)が口元に苦笑を浮かべながら呟いた。
    「温泉の次は競合相手の排除……とも、ちと違う感じかな?」
     ライトはいらなそうだと足下に置きながら、椎名・茜(明日はきっと向こう側・d03875)が零す。相手の狙いはよく分からない。けれど、放っておくときっと悪い事になるだろうというのは明らかで。
    「……僕もそう思う」
     一度暗視スコープを外した白瀬・修(白き祈り・d01157)が茜の言葉に頷いた。それでも、そんな事は絶対にさせる訳にはいかない。その為に、自分達はここにいる。
     そこへ歌うような声が響いた。鬼さんこちら、我が身の方へ。灼滅道具を纏い、鬼の面をはめ、盾神・織緒(悪鬼と獅子とダークヒーロー・d09222)が岩陰の外側へと歩み出た。
    「一度、獣相手に本気で戦ってみたいと思ってたんだ──戦狂童子『シュテン』、今宵は獣狩りに興じようか……!」
     織緒の表情は、もう伺えない。
    「死へ向かってアクセルを踏み込め」
     織緒に続き起動の言葉を唱えた江良手・八重華(コープスラダーメイカー・d00337)がそのまま駆け出せば、彷徨っていた炎獣が灼滅者の存在に気付いて足を止めた。一瞬にして臨戦態勢となった獣が再度吼え、びりびりと空気を震わせる。肌を刺すそれに一瞬だけ躊躇した織部・京(紡ぐ者・d02233)がそれでも二人の背中を追いかけた。
    「災いをもたらそうとしているのなら……止めるよ。行こう、けいちゃん!」
     首元のチョーカーに触れながらその名を呼んだ直後、京の目に宿ったのは凶暴性のかけら。
     ──今日の月は、紅くない。
     先に飛び出した三人のいない方向へと地面を蹴った関島・峻(ヴリヒスモス・d08229)は一瞬だけ月を見遣ってすぐに炎獣へ向き直した。逃がす訳にはいかない、だから炎獣の四方を囲む。肉薄した身体の大きさと油断すれば燃え移ってしまいそうな炎を目の当たりにした峻は、それでもからかうような口調で炎獣へと声を掛けた。
    「おい、イフリート。この季節にそんな格好で出歩くと風邪引くぞ」
     尤もその前に今、此処で灼滅して貰うけどな──峻の言葉を理解したかはさておき、炎獣は鋭い眼光を峻へと向けた。その背面では穏やかな波がさらさらと漂っている。
     忌々しい、と少女は脳裏で呟いた。
     宿敵である事以上に、思いの儘に破壊を振りまく事そのものが。自分がそれだった時の残り火のような瞳で炎獣をねめつけたエルヴィラ・フィス(くろがねの火・d01533)はけれど理性的に、手にした解体ナイフを握り締める。今宵の夜気を受けたそれは、いつもよりも更に冷たさを宿していた。
    「キミを鶴見岳に帰す訳には行かない!」
    「お仕事ご苦労様♪ でも、そこまでだよ!」
     遅れてはいられない。岩影から飛び出した修と茜が声を上げ、フェリスが後方からターゲットを見定める。
    (「手強そうだけど、それでも、いつも通り行こう」)
     状況はこれ以上ない程に分かりやすいのだから。
     あとは、気持ち次第だ。

    ●2
     咆哮が響く。
     先刻も見せつけられた炎の奔流が、至近距離で放たれた。自身を囲んでいた四人を焼き払おうと爆ぜ、踊り、呑み込めばその炎は四人を易々と傷付けた。
    「狙い撃つ」
     けれどモノトーンの少年はただ冷静に、身の丈程もある長大なライフルを構えた。ともすれば暗闇に溶けていたであろう黒の銃口に赤い逆十字が浮かぶ。一瞬の躊躇も無い所作で八重華がそれを放てば炎獣は大きく向きを変えて避け、けれど続けざまに織緒がマテリアルロッドをくるりと回した。
    「──遠慮なく行かせてもらう!」
     チェスのナイトを模したそれが炎纏う横腹を殴り付け、そこから流し込まれた魔力が連続で爆ぜる。
    「……」
     眼前の攻防に、一撃を通すだけでも苦労しそうだと考えてしまった修は思わず眉根を寄せた。現にイフリート側から前衛達への攻撃はするりと通ってしまっている。
    (「──僕が攻撃出来る余裕は、あまり無さそうだ」)
     だからバイオレンスギターの弦に指を添え、奏でた。
    「あたしの影はおまえなんかに燃やされたりしない!」
     立ち上がり、立ち続ける力をもたらす響き。それを受け京が荒く叫んだ。ざん、と砂を踏めばその足元から伸びていた影──寄り添うよう佇んでいたそれ──が途端に鋭く動いた。ひゅんと伸びた影色の触手が炎獣を絡め取ろうと動く。
     喰らった炎の感触がまだ身体に残っている。それが峻にもたらしたのは畏怖ではなく奇妙な胸の高鳴り。
     強い奴との戦いは燃える。目前で爆ぜる炎の鮮やかさも気分を高揚させる。今は、この衝動を抑える必要も無い。
    (「必ず叩き伏せてやる」)
     あの夜見た月の色を握り締め、競り合いの爪を弾きながら振り上げた。手に走った痺れ、けれどそんな事はお構い無しに、全身に纏った静かなる闘志を右拳へ集束させる。
     次の瞬間繰り出された激しい連打が、幾度眼前の獣を傷付けたかは分からない。ただ、その手強さに嬉々としている自分がいた事だけは、確かだった。
     相手が自分達より数段上である事は、この短時間で嫌という程に実感出来ていた。火力も、続けざまの攻撃を重厚な身体でかわしてしまう身のこなしも。だからこそ、と茜は影を従え好機を待つ。
    「その力、縛らせてもらう!」
     声に、炎獣がぎろりと茜を睨んだ。
     ──これは、見ず知らずの人の為となるだろうか。明日を笑って生きる為の礎となるだろうか。
     大きく横へ動いた茜は砂を蹴り駆けた。仲間の少ない位置を素早く探し、わざと大振りに回り込み、そして拳を掲げる。
    「押し付けてあげるよ!!」
     だから、わたしに意識を向けたらいい。放たれた影がぐにゃりと動き形を変え、炎獣の身体を確実に絡め取った。
    「いやァほんと、手強いねェ」
     でも、とフェリスは目を細める。彼女の足元には誰かの狂気が描かれたそれが影として寄り添っていた。蛇か猫か──判断するより先にそれもまた獣を縛る触手へと形を変える。
     唯一のスナイパーたる自分がこれを外していたら決まらない──気紛れな猫は僅かに笑むと、それを放った。
    「……」
     目の前の獣は自身が闇に堕ちた時の事を嫌が応にも思い出させる。忌々しげに口元を引き結ぶエルヴィラからは教室で対峙した時に見た優雅さが幾分か消えていた。儚さを抱くナイフから展開された夜霧が前衛の仲間達を包み込み、癒しきれていなかった傷を更に癒すと同時、その姿を朧にさせる。

     いまだ十分すぎる余力を残した獣は再度炎の奔流を放った。衝撃をもって自身を囲む壁を纏めて焼き払うかのように。けれど、その炎の中に落ちる声。
    「お前の逃亡は認めない」
     八重華は知っている。的確な経路、最適化された殺し方。言い終わるより速くなかば本能的に炎獣の死角へ回り込み、黒い殺気をもって鋭い斬撃を放った。それを避けようとした獣の足が一瞬だけ鈍ったのは巨体を縛っていた影のお陰か。
     朱色が翻る。鬼の面の奥に浮かぶ表情は人知れず。新たに出来た死角を一瞬で見出した織緒が、続けて獣の身体を纏う炎ごと斬り裂いた。
     修の奏でる旋律が、エルヴィラのもたらす夜霧が無ければ戦線は程なく瓦解していただろう。幾度でも立ち上がらせてくれるような心強さと安心感を胸に仲間を見遣った京と、再度炎獣に向き合った京、たった一瞬の間に彼女の目に宿る色が変化する。
    「逃がさねぇ……暗闇で炎は濃い影を作り出すだけだっつーの!」
     口の端を高く上げ、まるで別人のように言い放った京は影と共に砂を蹴り、躊躇い無く炎獣へ肉薄。そして、荒くぶん殴った。
     囲み、四方から攻撃を続ける事で多少は相手の気を散らす事が出来ているだろうか。自身の傷はディフェンダーである事と、仲間からの回復でまだ浅い。まだやれる。
     攻撃を続ける事を選んだ峻は京が攻撃を喰らわせた反対側へと素早く回り込んだ。繰り出すのは同じ拳、茜が更にその隙を縫って日本刀をスラリと抜いた。茜の性格のように真っ直ぐな斬撃は早く、そしてまるごと敵を断ち切る程に重い。今は避けられてしまったけれどいずれ叩き込んでやる、と。茜は口元に勝ち気な笑みを浮かべた。
     フェリスは指にはめられた黒曜石を無意識で撫ぜ、そして正面に伸ばす。笑みを作る口元で夜風に乗る呟きを紡ぐ。
    「さぁ」
     おいでよ、と。
     弾丸が、放たれた。それは炎獣に対し制約を加える弾丸だ。
    「誰も倒させない」
     エルヴィラは確固たる意思を込め告げる。再度夜霧が展開されて、仲間の姿をより深く炎獣から隠し、そして癒す。それでも炎獣は闘争心と殺意を剥き出しにしたままで獰猛に、そして貪欲に楔を求め、吼えた。
     切り裂かれた己の背から炎の翼が顕現し、周囲の明るさが夜とは思えぬ程に増す。重ねた傷が癒されて、けれどそれを真正面から目の当たりにした茜は笑みを崩さなかった。
    「それなら……こっちは攻撃を当て続けさせてもらうのみ!!」

    ●3
     しぶとく噛みつき続けるような、血が滲むような強さで炎を掴み続けるような、そんな戦いだった。波間に荒い息遣いが混ざり始め、癒しきれない傷が増え、波の届かない砂上に点々と朱が落ちる。それを踏みつけまた迫る。そんな戦いだった。
     京の眼前で噴出した炎が真正面から叩きつけられる。一瞬にして全身を舐めた炎と共に後方へ軽々跳ねた京が背中から砂上に落ちた。
    「京さん!」
    「回復、お願い!」
     修の声に声を張り上げた京が跳ね起きる。鉄の味がする口元を拭おうとして、右腕で燃え続ける炎を見た。短い舌打ち、京はそのまま口元を拭い、拳を握った。
    「回復するよ、そのまま反撃お願い!」
     弓を構えた修から放たれる、癒しと、そして攻撃を当てる為の感覚を呼び起こす力が込められた一本の矢。矢を受けた京は頷き『あの子』の名を呼んだ。寄り添う影が動いた。
     自分がまだまだ弱い事など、知っている。だから皆の力を借りている。けいちゃんの力を借りている。
     それを認める事は、怖くない。
    「わたしは貴方より弱いでしょうが──」
     補える方法を知っているから、怖くない。
    「わたし達は貴方より強い! 絶対に!!」
     仲間の目の前で、京の影が確実に、炎獣の巨体を縛った。
     重ねられた妨害に動きが鈍る。静かな闘志たるオーラを一時的に癒しの力へ転換した峻は一歩だけ退いてそれを、そして反対側にいる仲間を見た。
     しなやかに動いたフェリスは手の中にあったナイフを繰る。大振りのガットフックスキナーがジグザグに変形するとほぼ同時、短く見定めておいた位置から炎獣の肉を斬り刻んだ。的確に刺し込まれたそれが筋を斬り、皮を削ぎ、積み重ねられた妨害を──更に増やす。
    「お前の放縦を許す気は無い!」
     叫んだエルヴィラの背からは次の瞬間炎が盛大に爆ぜて翼の形を成した。己の炎がもたらすのは破壊より再生であれ。鮮やかに燃えるそれは不死鳥の癒し、破魔の力を与える炎。
     獣もまた、体内から炎を噴出させる。小競り合いのさなか間近に接近していた八重華を認め、その炎を叩き付けるべく爪を振り上げた。
     自身の消耗は浅くない。次に喰らったら恐らく危ない。
     黒いハットの下で目を細め、あくまでも冷静なまま。そう考えた八重華の前に影がひとつ、滑り込んだ。炎に照らされた焦げ茶色の短髪、受け止めるような体勢を取った事で広がったコート──八重華を庇った峻の姿。
     それはただ、盾としての矜持を貫いただけの事。八重華は礼を言うより先に身を翻す。死角、そして急所。それを目掛けて斬撃を繰り出した。
    「逃亡は認めない、つまり、ここで灼滅するという意味だ」
     そのまま、即座にもう一度。更に見出した急所を断つ。八重華の声は届いているのだろうか。
     獣狩りの夜はそろそろ終わらせなければならない。鉄塊のごとき朱を軽々と振り上げた織緒が、両断ではなく粉砕すべく無敵斬艦刀を叩き付ける。悲鳴に近い咆哮が響いた瞬間に修がもう何度目か分からない旋律を奏でた。後少しでいい、眼前の獣を倒す為の癒しと浄化を仲間の為に。
     紅に染まった無骨な刃が鮮血と同じ色を宿した。それを握る手に再度力を込めて、峻は炎獣の横腹にそれを勢い良く突き立てた。
     そして、奪う。
     残されていた僅かな生命力を、奪う。
    「さよなら」
     峻は静かに告げた。獣の身体がぐらりと大きく揺れて、次の瞬間、世界が夜を取り戻した。

    ●Last
     砂浜に刻まれた痕跡を、波が優しく洗い流している。大きく息を吐いた京が皆を見遣った。
    「一応、無事……ですかね」
     皆が、揃って。帰る事が出来るのだと確かめたかった。
    「さすがに一段と疲れたヨ……」
    「だね、つっかれた!」
     溜息混じりのフェリスと、どさりとその場に座った茜が言えばその場の空気がようやく緩む。身体中が痛くとも消耗が酷くとも、目的を果たした事実は確かに此処に。
     ふらりと散歩を始めたフェリスとは別に、少し離れた位置で空を仰いでいた八重華が視線を落とす。手にした武器に刻まれた椿の彫刻を見遣り、零した。
    「……何れは、其方へ」
     そして、帽子を少しだけ目深く被る。
     炎が消え、代わりに灯されたライトがぽつりぽつり、世界を照らしていた。それはあの炎よりもずっと優しい光。
     灼滅者達の休息を、ただただ見守る光だった。

    作者:笠原獏 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年1月16日
    難度:やや難
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 13/感動した 0/素敵だった 0/キャラが大事にされていた 0
     あなたが購入した「複数ピンナップ(複数バトルピンナップ)」を、このシナリオの挿絵にして貰うよう、担当マスターに申請できます。
     シナリオの通常参加者は、掲載されている「自分の顔アイコン」を変更できます。
    ページトップへ