買えないもの

    作者:邦見健吾

     青年は上機嫌だった。宝石が散りばめられた腕時計を太陽にかざして鼻を鳴らしている。
    「さすがは世界限定百台のモデル。大枚はたいて買った甲斐があったよ」
     よくよく見れば青年はブランド物のスーツを着込んで、見せびらかすように貴金属のアクセリーを身につけている。いかにも放蕩息子というような趣味の悪さだ。
    「あの……」
     青年が自分を呼び止める声に気付いた。振り返ると、そこに立っていたのは地味な紺のセーラー服に身を包んだ、黒髪の少女。普段の自分なら取るに足らないはずの存在。しかし、今は違った。
    「……どうしたんだい?」
     青年は一目で心を奪われたのだ。彼女のためなら全てを投げうってもいいと思えるほどに。
    「付いてきてください」
     少女はそう言って、狭い路地へと歩き出す。青年は何も言わず少女の背中を追った。少女に導かれ、やがて青年がたどり着いたのはテナントがなくなった廃ビル。
     黒髪の少女は青年に向き直り、右手を差し出した。
    「お金、全部ください」
    「いいよ」
     青年は少女の虜になっていた。虚ろな目をして、躊躇することなく財布ごと少女の手の平に乗せる。
    「それも」
     少女は腕時計を指差した。青年は渋るそぶりもせず時計を外して渡す。しかし少女は時計を受け取ると、ごみのように床に捨てた。
    「え?」
    「こうするの」
     青年の戸惑いごと潰すように、少女は時計を踏み砕いた。
     口に笑みを、目に涙を浮かべながら。

     園川・槙奈(高校生エクスブレイン・dn0053)は教室に集まった灼滅者たちに一枚の写真を示した。
    「彼女の名前は日比野・蕾花(ひびの・らいか)、中学三年生の一般人です。とあるきっかけから闇堕ちしかけています」
     槙奈は資料を広げて説明を始める。
    「彼女は歌が好きで……高校でクラブに入って、歌を歌う、そんなささやかな青春を夢見ていました。しかし、経済的な理由から進学を断念し、職を探そうとしていました」
     自分の境遇への憤りにより蕾花は闇堕ちし、金への恨みから裕福そうな男をたぶらかしては金品を奪うようになった。
    「まだ彼女は日比野・蕾花としての意識を残していますが、いずれ人の心をもてあそぶ快楽に溺れて、その人格も手放すでしょう。その前に倒してください」
     もし彼女に灼滅者の素質があれば救出することができるだろう。もちろん完全にダークネスに堕ちることになれば、灼滅しなければいけない。
    「蕾花さんはお金を持っていそうな男の人を見つけると、決まってこのビルに連れ込みます。誰か一名が彼女のテリトリーに入って囮になり、他の方はビルで待ち構えるといいでしょう」
     蕾花自身はあまり金目の物の見分けがつかない。貴金属っぽいアクセサリーを目立つようにぶら下げていれば、蕾花のほうから声をかけてくるだろう。女性でもばれないように男装すれば話しかけてくるので、あとは誘惑されたふりをして付いていけばいい。
    「戦闘になると、蕾花さんはサウンドソルジャーのサイキックを使って戦います。説得によっては彼女の戦闘力を減少させることができるでしょう。彼女は歌が好きなので、説得の役に立つかもしれません」
     蕾花はお金が憎いし、お金のせいで歌を歌えなくなると思っているのが悔しい。説得したければ、何を言えば彼女が自身の闇と戦えるようになるか考える必要があるだろう。
    「……彼女のこと、難しいかもしれませんが、どうかお願いします」
     おずおずと、槙奈は赤い印のついた地図を灼滅者に差し出した。


    参加者
    柳生・朱羽(閻魔の使徒・d01370)
    織凪・柚姫(甘やかな声色を紡ぎ微笑む織姫・d01913)
    椎那・紗里亜(中学生魔法使い・d02051)
    鏡・瑠璃(桜花巫覡・d02951)
    夜空・大破(持たざるもの・d03552)
    成瀬・圭(影空ハウリング・d04536)
    崎守・紫臣(激甘党・d09334)
    倉澤・紫苑(奇想天外ベーシスト・d10392)

    ■リプレイ

     成瀬・圭(影空ハウリング・d04536)は貴金属っぽいアクセサリーを見せびらかすようにジャラジャラと身に付けて、エクスブレインに指定された通りを歩いていた。道を通る人からはけしからんという顔で見られるが、これも作戦のため、ひいては蕾花を救うためだ。
    「あの、少しいいですか?」
     圭の耳に、控え目だが、鈴のように涼やかな声が届いた。立ち止まって声の聞こえた方を見ると、路地の間から黒髪の少女がこちらを見ていた。少女は一見地味な外見ながら、理性を奪うような人らしからぬ妖艶さを醸し出していた。
    「何だい、嬢ちゃん?」
    「……それ、銀ですか?」
     圭が笑顔で応えると、蕾花が圭の付けているアクセサリーを指差した。蕾花は誘惑に成功した気でいるのか、不躾な質問をしてきた。
    「ああ、モチロン本物の銀だぜ。それがどうした?」
    「いえ、何でもありません」
     誘惑した気でいる蕾花の様子に、圭は手応えを感じて蕾花が食いつきそうな答えを返した。作戦とはいえ、彼女をだますのは心がチクリと痛む。
    「……付いてきてください」
    「おう」
     蕾花が背中を向けて路地を奥へ奥へと進んでいく。その背中を、圭は言葉少なに追った。

     一方、蕾花と圭が向かう先のビルでは、七名の灼滅者が蕾花の歌う場所を用意しようと準備していた。テナントがなくなって長く経つビル内はほこりやクモの巣だらけで、まずは掃除が必要だった。
    (夢を追う若者が金銭ごときで志を見失ってしまうのは悲しいな……)
     柳生・朱羽(閻魔の使徒・d01370)はほこりを払いながら、蕾花が歌を捨てようとしていることが悲しいと、はっきり感じていた。金銭など関係ないはずだと、心の中で呟く。
    「大切なものは一度失くしてしまったらもう二度と直せないの。そんな辛い思いを日比野ちゃんにはさせたくありません」
     ステージに飾るための花を運んできた織凪・柚姫(甘やかな声色を紡ぎ微笑む織姫・d01913)の口から、思わず言葉がこぼれる。ガラスもない窓から通り抜ける風が冷たく肌をなでた。
    (私の家も決して裕福ではないから、彼女の身に起きたことは他人事とは思えません。私にとっては……本を取り上げられること)
     椎那・紗里亜(中学生魔法使い・d02051)は自らの過去を顧みながら、蕾花に自分の想いを重ねる。そして蕾花に歌を好きでいてほしいと強く願った。
     廃ビルでは電気が通じているはずがなく、照明は電池式のもので賄うことにした。崎守・紫臣(激甘党・d09334)は設置したライトを点灯させ、ちゃんと使えるか確かめる。蕾花を助けようと思っているのはもちろんだが、実はセッションが楽しみでもあった。誰の目にもわかるほどウズウズしていたのに本人は気付いていただろうか。
     一通り準備が終わり、仕上げにと灼滅者たちは花を飾っていく。
    (機会は減るかもしれないが、決して歌えないわけではないだろうに。今まで甘えていただけじゃないかと。あるいは、本当は歌を聴いてもらうのが好きなだけなのか……)
     その中で、夜空・大破(持たざるもの・d03552)は内心不機嫌だったが、顔には出さず黙々と準備をする。
     花を飾り終わってしばらくすると、誰かが階段を上ってくる音が聞こえてきた。灼滅者たちはカードを取り出してそれぞれ決めた言葉を口にする。
    「天に導け、星の弓」
     紗里亜たちは各々の殲術道具を携えると気配を悟られぬよう息をひそめ、ステージの主役を待った。

    ●声
    (お金とか境遇とか、そんなことで歌を捨てるなんて悲しすぎるじゃない。ちゃんと自分の歌を歌えることを思い出させてあげないと)
     倉澤・紫苑(奇想天外ベーシスト・d10392)は愛機のベースの弦に触れながら、自身の想いを確かめる。
     カツ、カツ――。
    「……!」
     目的の場所に到着して、蕾花は息を呑んだ。誰もいないはずのビルには見知らぬ人間がたくさんいて、色とりどりの花が飾るステージの中央をライトが照らしている。
     そこにギター型ガトリングガンを携えた鏡・瑠璃(桜花巫覡・d02951)が穏やかに声をかけた。音楽を嗜む彼も、蕾花を救おうという思いは強い。
    「はじめまして、ですね」
     蕾花は咄嗟に圭を振り返る。
    「だまして悪かったな。でも」
     圭は小さく言葉を吐き出してカードの封印を解き、ギターを構えると。
    「歌、好きなんだろ? 始めようぜ。ここがお前のステージだ」
     蕾花の目を真っ直ぐに見て、言った。
     何を言われたのか判らないというように、圭の顔に焦点を合わせたまま蕾花は一瞬だけ停止した。そして、電気が走ったように突然口を開く。
    「アアアアッ!」
     それは歌とは呼べるはずのない、ただの叫びだった。蕾花は喚きながら圭の胸ぐらを掴み、床に叩きつける。巻き込まれてライトが転倒し、音を立てて割れ散った。
    「アハハハッ! 私はもう、歌えない……!」
     蕾花は笑い声を上げながら華麗にステップを踏み、灼滅者たちを襲う。攻撃は灼滅者だけにとどまらず、辺りの壁や床もまとめて傷つけていく。その衝撃で、飾った花が散っていく。
    「お金を持ってる奴をズタズタにできれば……それでいいの」
    「すまないが、俺たちの話を聞いてもらうぞ」
     朱羽が素早く日本刀で切り込んだ。しかし蕾花は傷を負っても、口元は歪んだままだ。
    「たとえ耳が聞こえなくても音楽を続けている人がいる。戦場でだって歌い続ける人がいる。だから……」
    「それは私じゃない!」
     懸命に説得しようとする瑠璃の言葉を遮って、蕾花は拳を振るう。黒髪の下からのぞく顔は笑っているのに、その瞳だけは泣いていた。
    「紡ぐは白、舞い踊れ蝶」
     色鮮やかなお菓子や蝶を象ったアクセサリーで装飾された斧で、柚姫が一撃見舞う。刃は白い円を描いて蕾花を切りつけた。続けてビハインドの翡晃が追撃する。
    「歌なんて!」
    「何故歌えないというのでしょうか。声さえ出せるのであれば歌は歌えるでしょう?」
     叫びながら繰り出した蕾花の蹴りを、大破が受け止めた。大破は真っ直ぐに視線をぶつけ、闇に沈みゆく蕾花の意思に問いかける。
    「~~♪」
     その時、歌が聞こえた。懸命に声を張り上げ、必死に想いを届けようとする歌が。
    「~~♪」
     曲は数年ほど前に流行った、夢を歌ったヒットソング。歌っているのは紗里亜だ。歌は得意ではないものの、歌を好きな気持ちを思い出してほしい一心で歌っていた。
    「歌いたけりゃ、歌はどこでも歌えるぜ?」
    「聴かせて、あなたの歌を」
     歌声に合わせて紫臣たちが楽器を鳴らす。小気味良いギターサウンドを、紫苑のベースが力強く支える。
    「……そんなに聞きたいなら聞かせてあげる」
     蕾花は息をすっと吸うと、初めて歌らしい音を響かせた。その音は圭の精神を揺さぶる。しかし圭は苦痛に歪む顔を笑みに変え、指板に指を滑らせる。
    「こっからはワンマンライブだ。何だって演奏してやる。オレに出来る最高の音で!」
     ダウンストローク、切り裂くようにタイトなカッティング。圭は持てるテクニックの全てを駆使し、高らかに宣言した。

    ●歌
     蕾花は歌詞を紡ぐことなく、発声だけで旋律を生み出し灼滅者たちを襲う。
    「ほら、たとえ嘆きだとしても歌っているのではないですか?」
     大破は蕾花の攻撃を受けつつも、冷静に呼びかける。夢があるなら戦えるだろうと、その眼差しが再び問う。
    「うるさいうるさいうるさいっ!」
     蕾花はステップで灼滅者たちの間をかいくぐって手当たり次第に打撃を見舞うが、その踏み込みは先ほどよりいくらか浅かった。蕾花の中で起きている変化を、灼滅者たちは確かに感じた。
    「耳を澄ませて。あなたの歌に、あなたの心に」
    「夢があるなら、どんな理由があるにせよ諦めたらダメだ」
     紗里亜と紫臣は仲間を回復させつつ、それぞれの言葉で蕾花の心に訴える。
    「そんなのどうでもいい……。私は、バカな男を騙す方が楽しい……」
    「それは違うよ。さっきは言えなかったけど――諦めないで。あなたも歌えるはずだから」
     瑠璃は傷を負いながらも、諭すように言った。
    「あなたの歌は、他の誰にも脅かされるものではないわ。あなたの思い、全て歌に込めてみなさい」
     紫苑のベースラインに導かれ、ボーカルの歌声を待ちわびるようにギターたちが音を奏でる。
    「歌なんて、いらない……いらないのに……」
     蕾花は自らを腕で抱き、体を震わせる。その声には嗚咽が混じっていた。
    「まだ戻れる。そのまま行っちまったら、お前はもう歌えなくなっちまう!」
     圭はギターをかき鳴らしながら、蕾花目掛け叫んだ。蕾花は首を振る。
    「……もう遅いよ。私、悪いことしたし」
    「どうか闇に負けないで、あなたの心が悲しくて辛いと叫んでいるの。歌をもっと歌いたいって」
     心を惑わす蕾花の声を、柚姫は微笑みながら受け止める。蕾花の悔しさ、悲しみごと。
     圭は大きく息を吸うと。
    「あーーーっ! とにかく好きなだけ歌え!! それ以外考えんなっ! 声を出せ、ライカ! お前を助けるために――お前の歌を聞くために、オレたち八人はここに来たンだ!!」
     思いを爆発させた。頭をからっぽにして心の奥底から出た言葉を、本気の言葉を真っ向からぶつけた。
    「……!」
     蕾花は目を見開いて、足元に雫が落ちる。拭いきれない大粒の涙が彼女の頬を濡らす。
    「~~♪」
     弦楽器たちの語るブルースに乗せて、蕾花は初めて詞を口にした。それは蕾花が考えたのであろう、日の光を求める種の歌。
     しかし、蕾花は歌い始めることができたが彼女の精神は憔悴しきっており、いつ闇の人格が現れるか分からない。
    「そろそろオレの出番だな」
     蕾花の中の闇を払うべく、朱羽は日本刀を抜いた。自身が従える霊犬の影丸の援護を受けて、会心の一太刀を浴びせる。
    「さあ、絶望の鐘が聞こえる前に、潰えろ!!」
     続けて瑠璃が舞うような足取りで近づき、巨大な拳の一撃を繰り出す。
    「刈り取ってしまいましょう。くだらない嘆きごとね」
     大破が大鎌を振るい、蕾花の闇を切り裂いた。
    「あ……りが……」
     意識を失って倒れる蕾花を、紫臣が抱き留めた。

    ●アンコール
     蕾花がゆっくりと目を覚まし、上体を起こした。
    「……ようこそ、こちら側へ」
    「嘘じゃないのね、何もかも。……こちら側?」
     瑠璃が優しく微笑むと、蕾花は喜びでも悲しみでもない、複雑な表情を浮かべる。それに瑠璃の言葉に引っ掛かるものがあったよう。それから、瑠璃はダークネスのこと、灼滅者のこと、学園のことなどを簡単に説明した。
    「……とりあえずお礼を言うべきなんでしょうね」
     しかし蕾花の表情は晴れない。蕾花にとっての問題はまだ全て解決していない。
    「私たちと一緒に来ませんか? あそこであれば歌えると思うので。それに、別の歌も聞いてみたいですしね」
     そこに大破が声をかけた。もちろん最後の一言は世辞などではない。
    「そうそう、俺たちの学園に来いよ。金なら奨学金って手もあるぜ? 歌をもっともっと歌いたいなら……頑張れるよな?」
     豪快に笑いながら、紫臣もまた問いかける。
    「あなたが望むなら、まだ歌えるわ。一人が無理なら、私たちがちゃんと歌わせてあげるから」
     紫苑が手を差し伸べると、紗里亜も同時に手を差し出した。蕾花は少し逡巡してから、二人の手を両手で握った。紫苑と紗里亜がせーのの掛け声で引っ張り起こす。
    「それじゃ、歌えなくなったらまた闇堕ちしようかな」
    「お前、実はまだ淫魔なんじゃないよな?」
     蕾花の発言に、思わず圭が半目でツッコむと。
    「ふふっ、冗談よ」
     少女は涙の跡が残る顔で、いたずらっぽく笑った。

    作者:邦見健吾 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年1月19日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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