遠くで放課後の鐘が鳴った。ああ、またあいつがやってくる。
志倉・恭子(しくら・きょうこ)はいつも通りベッドの中で玄関のチャイムの音を聴き、硬く目を閉じた。
今日はしつこい。舌打ちをする。両親は共働きだから、誰も対応してくれない。
ポストに突っ込めば終わりじゃないか。なんでそう何度も何度も鳴らさなきゃならないんだ。あたしの名前を呼ぶな。どうせもう死んでるのと変わらない。
――恐る恐る開けたドアの前で、そいつは安堵したようにほっと息をついた。背景は目のくらむ夕焼け。
「はい、これ今日の分」
受け取り、ぼそぼそと感謝の言葉を呟く。毎日毎日ご苦労様ね。
「あのさそろそろ、どう……かな」
首を横に振る。
「……出来る限り助ける、から」
ためらいがちに、振り絞るように誓うように告げられたその瞬間。
恭子は凄絶な笑みを浮かべ、鋭い速さで左手だけを彼女の首に伸ばした。 だらりと身体の横に垂れ下がったままの右手には薄汚れた包帯。唇が動く。
――あんたの助けがあったところで、この右腕は戻らない。
●
「身体の傷は癒えても、心の傷は簡単に癒えるものじゃありませんよね……」
園川・槙奈(高校生エクスブレイン・dn0053)はぽつりと呟いたあと、灼滅者達が揃っていたことに気付いてこう切り出した。
「一般人がダークネスに落ちそうな事件の気配を察知しました。名前は志倉・恭子さん。隣の県の学校に在籍する高校一年生です」
兆候としてはノーライフキング。普通なら即座に闇の心に支配されてしまうはずだが、彼女にはまだ人間としての意識が残されており、完全な闇落ちを果たすまでに猶予があるのだと言う。
けれど、一刻を争う。
「彼女が灼滅者の素質を持つのなら、闇落ちから救い出して差し上げて欲しいのです。……そうすればきっと、彼女の心も救われると思います」
でも、と槙奈は淋しげに続けた。
恭子の心は絶望に満たされていて、闇から這い上がれるような意思と気力を自力で見出すことは出来ないかもしれない。救えないと感じた時は灼滅もやむないと。
恭子は県大会で個人戦の選手に選ばれるほどの、卓越したアーチェリーの腕と情熱を持っていた。しかし推薦で高校に上がった数カ月後、骨折ごと右腕の腱を切る事故に遭ってしまう。
完治しても、力量は目に見えて落ちてしまった。
不運に向けられる同情や憐憫に耐えかねた彼女が引きこもると、学校が終わり次第いつも家を訪ねてくるクラスメイトの姿があった。名は唯(ゆい)。普段はプリントを郵便受けに入れていくだけだが、エクスブレインの未来予知では唯と恭子が玄関口で顔を合わせる光景が見えたのだという。
唯が誤って体育祭の騎馬から落下しなければ、下にいた恭子が腕を折ることはなかった。
恭子はそれをずっと覚えている。
故意に起きた事故ではないというのが明らかでも。
明後日の放課後。チャイムに呼び出されて二階の自室から出てきた恭子は、玄関先で唯を最初の眷属にする。阻止しなければならない。
能力としてはエクソシストと同等の能力を持っている。ただ訪問者に対して基本的に居留守を使うため呼び出すのは難しいだろう。上手い方法を見つけるか、窓から侵入するか、或いは唯が呼び出したのを見計らって割り込むか。
一般人である唯の安全を最優先に、可能ならば恭子を説得する。
殻に閉じこもった彼女へ、この世界には戻ってくるほどの価値があるのだと伝えることが出来るのなら――両者は成立するだろう。
「自分を変えるのは自分次第。でも……」
槙奈は眩しいものへそうするように目を細め、灼滅者たちを見た。
「ひとを変えてしまうきっかけがひとなら、ひとが変わるきっかけを作るのもひとです、よね」
参加者 | |
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若宮・想希(希望を想う・d01722) |
エミーリア・ソイニンヴァーラ(おひさま笑顔・d02818) |
海老塚・藍(エターナルエイティーン・d02826) |
釣鐘・まり(春暁のキャロル・d06161) |
静永・エイジ(影戯のデスペラティオ・d06387) |
浅儀・射緒(射貫く双星・d06839) |
葛葉・ゆう(碧色・d07079) |
ゼノビア・ハーストレイリア(ピースメイカー・d08218) |
●閉じた扉を開くもの
――恐る恐る開けられたドアの向こうで、すり減ったような眼は夕日を映して昏く燃えていた。
それでも、出てくれた。少女はその時確かに安堵して、手にしていたプリントを渡そうと手を伸ばす。まさにその瞬間。
「……っあ……?」
後ろへたたらを踏む。押しのけられたのか、腕を引かれたのか。少女――唯には判断がつかなかった。眼前、背中を向ける青年はあまりにも自然に自分と彼女の間に入ってきて、元から彼のために用意された間隔だったようにすら思う。更にはやはり見知らぬ眼鏡の青年が自分の隣にいつの間にか立っていて、戸惑う唯の視線を受けるなりにっこりと微笑み返してくれさえした。
「……誰。この人達」
恭子の冷えた声が聴こえる。蒼髪の青年越しにこちらに射掛けられた視線、その鋭さ。
半端に持ち上がっている恭子の手は受け取るためのそれではなく、何かを掴むような形をしているような気がする。腕より太い何か。
唯に代わり口を開いたのは、若宮・想希(希望を想う・d01722)だった。外した眼鏡を胸ポケットに収め、涼しげに問いかける。
「志倉恭子さん。ですね」
「貴様は今自分が何をしようとしているのか、分かっているのか」
割り込んだ青年、静永・エイジ(影戯のデスペラティオ・d06387)の泰然とした問いかけに、しかし恭子の声はより底深く闇へ沈んでいく。
「あんた、何なの。そうまでして引っ張り出したいの。こんな知らない人なんか呼んで」
「違っ」
「あたしを引きずり出しに、無様なあたしを!」
その瞬間。
声へと共鳴するように、瘴気に似た不穏な気配が爆発的に吐き出された。突風が如き奔流。ダークネスが持ちうる暴力的な力。
最前に立つエイジが間合いを計って半歩退くと共、手中から鋼糸を躍らせる。ほぼ同時、後方で想希が唯の腕を引いた。
「行け!」
「唯さん、こっちへ」
導かれるまま玄関先から道へとまろび出る。走り、振り返ったその先、蒼髪の青年に阻まれた恭子の顔を見た。憎悪と悲しみに蝕まれたその顔を。
――わけが分からぬまま、けれど、これだけは伝えようと、唯は口を開く。
「し、志倉さん! 私、私――あなたを助けに!」
前触れなく、鼓膜の奥で聞こえない音が響いて弾けた。未知の精神波に身動きすら忘れて硬直する。眼前に網膜を灼く光の一条が迫っても、尚。
咄嗟に想希が唯の前に躍り出る。
苛烈な光がその身を神経を、服ごと灼き焦がしていく。しかし一瞬のことに過ぎなかった。貫かれる感覚に及ぶまでもなく、狙いすましたように異なる方向から照射された光が光を射殺す。傷が拭い去られていく。
振り返ると、適切な距離を保っていた葛葉・ゆう(碧色・d07079)がライドキャリバーに乗ったまま、想希へ向けて強気な笑みを浮かべてみせていた。
「任せてよ。絶対に、怪我なんてさせないから」
遮るものなく鮮明に輝く金色の瞳は、謝辞を込めて笑い返したあとでちらりと後方に流れる。
浅儀・射緒(射貫く双星・d06839)のパニックテレパスは確かに、守るべき彼女を手招きする海老塚・藍(エターナルエイティーン・d02826)の元へ導いたようだ、と。射緒の横を通り過ぎ曲がり角へ無心に駆けていく彼女の背を認めた。
●闇の底を照らすもの
確かに追いかけようとした。けれど後方から操り人形のように引っ張られてしまえば、がくんとバランスを崩す他にない。
鋼糸は恭子の左腕と右脚に絡みついている。先ほどは捉えきれず撃たせてしまったが、次なる一条をこそ阻止したエイジは、掌に食い込む線の感触を確かめていた。
抗しているのは人の力ではない。冷静にそう思う。ダークネスに蝕まれ、闇堕ちへ歩みを止めないモノの力。
「お願い、話を聴いて欲しいの。恭子さん、あなたを助けたい。あなたの中に、唯さんを大切に想う気持ちが見えたから」
唯を逃した方向とは反対側の道からやってきた釣鐘・まり(春暁のキャロル・d06161)の静かな声を、背で聴いた。
「な、んで、あいつを、あいつなんか」
「あの女を手に掛けることは、貴様の希望を摘むと同義だろう」
「た、いせつ? 希望、だって? ありえない、見当違いなことを!」
糸を引く力が弛んだ。否、恭子が抵抗の力をあえて緩めたせいだ。鋼糸が外れる。
恭子が這いつくばりながらも頭上に十字架を浮かび上がらせた。ぎらり、と夕焼けを吸い込んだような不吉な色を反射する、異質のオブジェ。
「まり、下がれ!」
「だめっ、させない!」
鈴のように鳴り響くエミーリア・ソイニンヴァーラ(おひさま笑顔・d02818)の声が、暗く虚ろな霧を辺りに引き込んだ。時刻を奪い去り、光すら同様で、忌むべき十字架から放たれる光線の何割かを曖昧にしていく。
しかし展開された夜霧すらをも透った鋭い光は、前衛を中心として照射され続ける。ふらりと立ち上がった恭子はただその光景を見るでもなく、緩々と頭を振っている。
「いけしゃあしゃあとあたしの前に、前に!」
「違うの! あなたは、唯さんの気持ちも、自分の中の大切なことにも気付いてない……!」
「危ないよまりちゃん、聞く耳持ってくれてないよ!」
悲痛な声を上げながらも等しく降り注ぐ光線によるリカバリーに専念するゆうへ、角から出てきた藍がシールドリングで加勢を果たす。
「聴いて、恭子ちゃん、皆の声を!」
「許さない! あたしは、あいつを、あたしと同じ死んだイキモノにしてやるんだ!」
掻き消すように抗うは、死者の声。
――否。
「死んでなんかいません……、恭子お姉さんは、まだ!」
そう叫んだエミーリアにも等しく注いだ光線を、庇った射緒が受け止めて、しのぐ。
「ん、……続けて」
誰にともなく掛けた短い台詞を受け止め、引き継いだのは、
「恭子くんは……聴いてくれてる」
霧の中、影のように佇むゼノビア・ハーストレイリア(ピースメイカー・d08218)だった。清冽な風が血の臭いを吹き散らし、傷ごと洗い流す。
「本当に絶望したなら……そんな顔しない」
深い闇を抱いた瞳が揺れる。
「そんな顔って、なに」
「裏切られたような顔してます。恭子お姉さんの中にまだ希望はあるって、きっとご自身で分かってるのじゃないのですか」
エミーリアの言葉のあと、光線を途切れさせた十字架が溶けるように空で崩れた。夜霧もまた晴れ、茜色の光が路地に蘇る。
――低く。喉奥で引き攣ったような笑い声が鳴った。
「ねえ、あんたたち、どこの何だか知らないけど。どこまで、何を知ってるって言うの。何をどう間違って、希望だなんて?」
ざわり。
空気が更に変容したのを誰もが肌に感じ取った。
それでも沈黙を拒むように、ゆうが果敢に口を開く。
「唯ちゃんが騎馬戦で落ちたって聞いてるよ。その下敷きになったのが恭子ちゃんだって」
「そうよ。だから」
「ね、騎手の落下で骨折なんて――恭子さん、あなたは」
まりが唇から零したのは、ずっと胸にわだかまっていた想い。
恭子が目をわずかに見開く。ぎこちなく小さく振られた首が、その先に綴られる言葉を予期し、拒絶していた。
「きっと無意識にでも、あなたは唯さんに手を伸ばしたんじゃない? ……本当は唯さんを、助けようとした、の……?」
――ぱん。ぱりん、ぱん、ぱん。
硝子の弾けるような音がして、恭子の頭上に十字架が浮かぶ。いくつも。いくつも。灼滅者達の声を拒んで。
狂おしいほどに認めたくない言葉を、事実を、壊そうとして。
「……行くよ」
静かにライフルを構えた射緒の隣で、刀を携えた想希が、脚を踏み出した。
●この声が君に届くまで
十字架から降り注ぐ光線の雨を縫い、想希が駆ける。懐に入り込み繰り出した黒死斬は敵の後退によって腹を掠めるだけに終えたが、射緒の放ったバスタービームをまともに食らわせるには足りた。
「っぐ……!」
大きくよろめいたその隙、後方からゼノビアが躍り掛かる。
右側から打ち込んだ追撃の鬼神変は――回避された。
アスファルトの上にクレーターを生んだ主の表情は、しかし薙いだまま。目標が跳躍し回避した反対方向へ、銀色の瞳が刹那、動く。
「こっちだ」
ひゅ、と空気を切断するエイジの斬弦糸の音。
絡め捉えた右腕は、しかし、切断されることなくきりきりと音を立てるだけ。服の端から覗く、白骨。ノーライフキングの証。
「……堕ちる前に、今一度考えろ。貴様を照らす一条の光華を」
もう一方の左手が無造作に振られる。エイジへと襲いかかるジャッジメントレイを、藍のリングスラッシャーが的確に散らす。
――心の闇を照らす光をここに♪
――限りないそらへ愛よ羽ばたけ。
その唇から奏でられるのは確かに歌声。言葉すら拒絶し心を閉ざした彼女への、慰めと祈り、強い想い。
エミーリアが死角から飛び出した。
闇を祓う一撃を、打ち込む。
――先程まで超人的な動きを果たしていた娘の身体が、ふ、とまとっていた瘴気を失う。
鋼糸が解かれた。
それとほぼ同時、ゆうがライドキャリバーから飛び降りるようにして駆け寄り、恭子を受け止める。共に崩れ落ちた。
「恭子ちゃんっ」
「……、……助けなきゃ、良かった」
振り絞るような声が、ぽつり、と呟いた。
「あんなの、助けなかったら、あたしは……あたしは、こんなみじめじゃなかった」
包帯の巻かれた右腕の拳が力なく握りしめられた。
その傍にまりが膝をつく。壊れ物に触れるようにして指先で辿り、ゆっくりと開いた。
「みじめなんかじゃない。あなたのこの手は、友達を護ろうとした想いの証。時が巻き戻っても、きっとあなたは見捨てられない」
ゆっくりと、恭子の顔が持ち上がる。
目元に浮かんだのは透明な雫。
眼鏡を掛け直した想希が、刀を収めた。ぱちん、と静かな音。
「想いの証。ひとつは守るために伸ばした、あなたの右手。それと」
射緒の視線が逸れ、眩しげに細められた。その先には、落ちていく赤い赤い夕陽を背にした二つの長い影。小柄な藍に支えられて歩いてくる少女の姿。
「……ん。もうひとつ。あの子が、……証明」
「証明……?」
「恭子嬢、夕焼けは綺麗かな♪」
降ってきた聞き覚えのない声に、恭子は視線を持ち上げる。その先、ゼノビア――の片手に嵌っているぬいぐるみに気が付いた。持ち主と含め都合四つの瞳に見つめ返される。
「どんな色がするのかな? それはいつもと同じかな」
「え――ええ、ちが、うと思」
「そうかい、なら! 君はまだ心を残してる。微妙な色の違いにだって気がつく君なら、きっと分かるはずだよ☆」
「ん、だから……話してみると、いい。……色の違い、知るために……」
影が落ちる。唯が目の前で立ち止まり、何かを耐えるように黙り込んでいた。
伝えたかった言葉を伝えるために、けれど、口火を切るための言葉にすら困っているように見えた。
話したいことなんて思い付かない。証明。何の? 微妙な色の違い。どんな?
半信半疑で見上げた顔を眺めて、恭子は――不覚にも笑ってしまった。
「なんて情けない顔してるの。あんた」
「だって」
言う間に、ぼろ、と唯の目から涙が零れる。
――この子は、何を思ってきたんだろうか。
そんなことをふと思った瞬間、恭子は言葉を忘れた。
「謝って、済むものだと思わない。でも、私ね、……私」
尚も言いよどむ二人に、恭子を支えたままのゆうがからっと明るい声で言った。
「唯ちゃんは恭子ちゃんの力になりたいって思ってるんだよね」
唇を噛んだ唯は、静かに強く、うつむくようにして頷いた。
「うん。私でいいのか、分からなかった。奪ったのに。でも、私じゃなきゃ駄目だとかも、ずっと思って、た」
「ね! 足りないんだったらボクも背負うよ! 力になる。それでもし、ボクでも駄目でも。背負ってくれる仲間をボクは知ってる」
でしょ、とゆうが見た先、素直に頷き返した藍が花のように微笑んだ。
「それが、まりちゃんの言う想いの証だよ。恭子ちゃんの優しさの証明」
「ゼノビアも……そう。恭子くんの仲間。……恨み続けるのは辛い」
恭子はうつむく。
笑った拍子に涙が零れ、もう少しも痛くなんかない右腕を持ち上げてぐいと拭い。
その手を、唯へと差し伸べた。
作者:蔦草正果 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2013年1月24日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 2/感動した 10/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 2
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