名残の雪

    作者:

    ●絶望の今日
    「はぁ、はぁ……っく、………」
     自分の体から吹き出す闇を、目の前に立つ少女は満足気に笑んで見つめている。
     その手には赤に染まったナイフを持ち、口の端から零れ落ちるのは、目の前に冷たく倒れる、愛する両親の身に流れていた血潮。
    「……真衣ちゃ………なんで………」
    「もー、芽衣も早く堕ちちゃえばいいんだよ。あたしたち、選ばれたんだよ? 身を任せちゃえば、楽になれるのにー」
     熱いのか寒いのか解らない。ただ、自分の中を巡る大きな力に体がきしみ、悲鳴をあげていることだけは解った。
     このまま、この闇に身を任せてはいけない。流されてしまえば―――戻ってこられなくなる。
     それが解るから、芽衣は走り出した。
    「ちょっ……芽衣、どこ行くの!? ……仕方無いなぁ、どうせ時間の問題なんだから、早く来なさいよー?」
     同じ顔の大好きな姉の声には、もう振り返らない。 
     先ずは此処を逃れて、そして―――どうしたら良いのだろう。いつも一緒だった姉と離れて、私は何処へ行けばいいのだろう。
     はらりと視界に舞う雪に、一年前の春が過った。入学式の日、真新しい中学の制服を着て桜の道を手を繋いで歩いたこと。
    「……真衣ちゃん……!」
     期待と同時に不安渦巻いていた自分の手を引いてくれた姉・真衣は、何故かは知れないけれど、もう戻れない遠くへ行ってしまった。そして、このままでは自分も同じ道を辿るのだろう。
     くしゃりと顔を歪ませて。瞳から零れ落ちる感情は、喪失の悲哀と葛藤、疑問、そして痛み。
    「……だれか、たすけて……っ!」
     粉雪の道を、ひたすら走る。
     その間も体と心を蝕む衝動に、必死の抵抗を試みながら。
     
    ●希望の明日
     かたり。
     教室の扉から姿を現したのは、見慣れない女子生徒。
    「あなたたち、灼滅者よね」
     武蔵坂学園の中等部制服に袖を通しているからには、学生に間違いはなさそうだが―――誰? 言いたげな灼滅者達の視線にああ、と小さく応じて、少女は実に簡潔に自分を語る。
    「きりんよ」
     ―――は? 耳にその声を受けた彼らが真っ先に首長の獣を頭に描いたのを理解してか、少女はもどかしそうに言葉を続けた。
    「唯月・姫凜(中学生エクスブレイン・dn0070)よ。きちんと自己紹介できなくて申し訳ないけど、ゆっくり話してる時間がないの。……闇堕ちしかけてる子を、救出して欲しいのよ」
     闇堕ち。その一言に耳傾ける彼らの瞳の色が変わるのを感じ取って、姫凜は小さく微笑んだ。
     是と返事はなくとも、聞いてくれるのだと理解して。
    「標的は今夜、ある公園に現れるわ。ヴァンパイアに闇堕ちしかかってる中学一年生の女の子。名前を塚原・芽衣(つかはら・めい)さん」
     彼女には双子の姉が居た。一卵性で親も見紛う同じ顔に同じ声。
     色違いの服を着たり、髪型を左右対称でお揃いにしたり。二人はどこへ行くにも一緒で、近所でも評判の仲良し姉妹だった。
    「お姉さんがヴァンパイアに闇堕ちして、彼女も同時に闇堕ちしようとしているの。でも、彼女はまだ人間としての自分を手放してはいないわ。もし彼女が灼滅者の素質を持つとすれば、救い出せるかもしれない」
     切り揃えた髪をさらりと耳にかけ、姫凜は机上に広げたノートに概要を綴った。
     夜の丁度12時きっかりだ。遊具の無い広いその公園を訪れると、粉雪降る中ベンチに腰掛けている芽衣が居るという。
     既に意識を失っている芽衣は、此方に気付けば問答無用で戦いを仕掛けてくる。戦闘するには充分な広さだが、視界遮るものも無いひらけた公園では奇襲をかけるのも難しい。
     そして、ヴァンパイアとして戦う彼女の強さは決して侮れるものでは無い。
    「でも、言葉は届くわ。芽衣さんの感情を引き出すことができれば、彼女とダークネスの間に抵抗が生まれる。力を削ぐこともできる筈よ」
     予知を告げノートを閉じた姫凜は、一度その睫毛を落とし、すっと息を吸った。
    「彼女の、今までの日常を取り戻すことはできない。……でも、できることはあるの。貴方達にそれを託したい」
     戦いを負うことはできないが、正確な予知を伝え、灼滅者を導くことこそ自分の役目。背筋伸ばし見開かれた紅の瞳は、どこか寂しげな色を秘め、射抜くように灼滅者達を見据えていた。
    「……芽衣さんを、助けてあげて」
     それは、ダークネスの支配からか。それとも、絶望と孤独の淵からか。
     差し出す手と成り得るか―――結末は、灼滅者達に委ねられた。


    参加者
    芳賀・傑人(明けない夜の夢・d01130)
    フィドルフ・ムート(静寂の狼・d01703)
    九十九院・鶍(仮想領域の孤独な軍勢・d01801)
    神山・楼炎(蒼き銀の堕人・d03456)
    御代・信蔵(焦がれる忍者・d07956)
    鉄輪・湯都(郷土の伝導士・d12096)
    原坂・将平(中学生ストリートファイター・d12232)
    レオニード・ヒュペリオン(時計仕掛之小獅子・d12243)

    ■リプレイ

    ●白の静寂
     静かな夜だ。
     漂う冷気は肌を刺すように冷たく、息吐く傍から大気にその熱を奪われる。さくり、と踏み出す足音すら、降る雪に囚われ静寂。
     念には念をと闇纏った九十九院・鶍(仮想領域の孤独な軍勢・d01801)は、そっと顔を覆うガスマスクを外した。
     肌に、張り付く寒さが沁みる。耐え切れずマフラーに顔を埋めて、隙間から覗く鶍の黒い瞳がきょろ、と辺りを見回した。
     探すは、真白に染まる公園内にただ1つの人影だ。やがて街灯に照らされた一角に見つけた少女は、ぼんやりと虚空を見つめ座っていた。
    「……こんばんは、芽衣さん」
     レオニード・ヒュペリオン(時計仕掛之小獅子・d12243)は静けさを割って声をかけた。生じた違和感にふと芽衣の足元を見る。
     どのくらいベンチに座っていたのだろう、周囲には足跡1つ残っていない。
     降る雪が覆ったにしても、たった1人でいつからそうしていたのか。赤み差さない頬は恐らく、外気に冷え切っているだろう。
     その様子から傷の深さが窺えて、神山・楼炎(蒼き銀の堕人・d03456)の紅い瞳が銀の睫毛の奥に潜んだ。
    「風邪を引いてしまうでござるよ」
     無表情で立ち上がる芽衣の瞳に光は無い。しかし、それでも御代・信蔵(焦がれる忍者・d07956)は芽衣を気遣う思いを声に乗せた。
     近付く足音が徐々に早くなっても動じず、視線は決して逸らさない。
     芽衣がその小さな手に赤きオーラを纏い、跳躍。振り被った刹那。
    「今夜は冷える……意識が醒める、良い夜だ」
     がきん!と大きな音が響く。信蔵の前へと飛び出し、芳賀・傑人(明けない夜の夢・d01130)はチェーンソー剣でその一撃を受けた。
     ぎり、と拮抗する力。軽く払って飛び退いた芽衣を金の瞳で見つめ、傑人は少女に向き合った。
    (「このような夜に、寝顔を晒す。きっと君はそんな少女だったのだろう」)
     傑人の表情は静かで、強い感情の動きは見られない。それでも、眼鏡の奥の瞳に、芽衣へと抱く穏やかな心の火が灯っている。
    「寒いだろ、こんなとこ居たら」
     戦いの気配に差していた傘を閉じ、原坂・将平(中学生ストリートファイター・d12232)はスレイヤーカードを取り出した。
     突然、理不尽に奪われる喪失感。心に刻んだ記憶と痛みは、自分にも残っている。
     体だけでは無い、心まで凍て付きそうな芽衣を救いたい。
    「……『Der Vorhang geht auf』」
     フィドルフ・ムート(静寂の狼・d01703)の声が、静寂の雪空に静かに舞い上がった時――駆ける芽衣の瞳を真っ直ぐに受け、灼滅者達も戦う力を紐解いた。

    ●君待つ戦場
     音を遮断する幕が、公園全体を覆っている。
    「一気に仕留めるっちゃ。しらしんけん行くけんなぁ!」
     ふわりと金の髪を揺らし、鉄輪・湯都(郷土の伝導士・d12096)は解体ナイフを水平に構えた。
     瞳閉じ、静かなる詠唱が齎すは冷気の集束。漂うは、錯視促す夜の霧。
     直後見開く視線は、合間を縫って飛び出す炎を目で追った――レオニードのレーヴァテインだ。
     芽衣へ到達、弾けた炎を紫の瞳に映して、湯都は言葉を続けた。
    「芽衣ちゃん、大丈夫やけん。誰も巻き込みたくねぇけん辛いの耐えて一人でおったんやろ?」
     虚ろな瞳の中に残る光を引き出す為――掛ける言葉は祈りにも似て、湯都の心から放たれる。
    「じゃけん助けに来た。伸ばされた手、絶対に離さんけん!」
     だからどうか、声を――強く願って見つめる芽衣は、傑人との打ち合いを逃れ再び信蔵の間近へと迫った。
     生命力奪う紅き魔の腕が信蔵を襲う。敢えて正面で受け止めた信蔵は、痛みに顔を歪めてのち、ぐっと芽衣の腕を掴んだ。
    「……悔しくはござらんか、大切な人を助けたくはござらんか」
     訴えかけるは、心の熱。バチリ、と腕に雷の閃光を纏い、繰り出す拳と言葉に全ての思いを乗せるのだ。
     闇に埋もれる彼女の火を、再び点す為に。
    「心はなんと申しているのでござるか。まだ熱があるのなら、戦う意志があるのなら……胸に熱き火を抱け!」
     逃すまいと掴んだ腕。芽衣へと真正面から、熱宿す橙の瞳が閃いた。併せて背面からは、同じ雷を宿す将平の拳が芽衣を打つ。
     前後同時にその身貫いた衝撃。息詰まる芽衣に生じた隙を逃さず、間合い詰め影を伸ばしたのは、楼炎だ。
    「影に食われてみるか?」
     その一瞬に、芽衣を漆黒の影が捕らえる。
     瞳に、何を映したのか。トラウマに囚われ一瞬脅えた表情になった芽衣へと、フィドルフの影もまた伸びた。恐怖に身を竦めた芽衣へ、楼炎の思いが強く放たれる。
    「芽衣、負けるな……お前はまだ生きているんだ!」
     彼女の姉・真衣の心の何が闇に囚われたのかは解らない。家族はその真衣の闇の手にかかり、悲劇は起きてしまった。
     しかし、それでも芽衣は生きている。心の闇から、救う手立てが灼滅者にはある。
    「大切な人達の分まで幸せになって生き抜くんだ……!」
     戦場掛ける楼炎の繊細な銀の髪に、ふわりと雪が落ちる。剣戟閃く戦場にふと、耳に届いた微かな声を将平は聞き逃さなかった。
    「……けて……」
    「………!」
     ぐっと拳に力が籠る。
     『助けて』―――芽衣は確かに、自身の闇と戦っているのだ。確かな手応えこそ未だ無いが、思いは伝わっていると知る。
     必ず助け出す―――灼滅者達の攻防は、加速していく。

    ●冬に舞う花
    「助けます。……ヴァンパイアの犠牲者は、もうたくさんです」
     ダークネスへの怒りを吐き捨てる様に、フィドルフが呟いた。
     主の言葉と同時に飛び出したのは霊犬・グリッフォ。口に納めた退魔神器で、芽衣に瞬時に斬りかかる。
     軌道を見つめるフィドルフの心は一瞬、過去へ飛んだ。
     自分も過去に、闇堕ちしかけたことがある――全てを奪われた日を、忘れることは決して無い。
     奪い尽くされ、それでも生きているのは、……弱い心に負けなかったからこそ。
    「あなたなら打ち勝てると信じています。……どうか、その手で未来を築いて下さい」
     絡め取る漆黒の触手が、芽衣の体を縛った。ぎり、と強く鋭く体を押さえつける影に、体をばたつかせ必死の抵抗を見せる芽衣。
     ぎゅっとその瞳を閉じて―――。
     ふと、鶍はその表情の変化に気付いた。痛み以外に対して動かなかった表情に、確かに今一瞬、感情の色が見えたのだ。
    「声、聞いて。自分、見失っちゃ駄目だよ……」
     呟いて、鶍が仲間癒す浄化の風を公園へ注いだ。戦況を見守り、仲間を癒し続ける鶍のマフラーを揺らし、ふわりと柔らかに吹き抜けた風。
     舞う雪も風に踊り、揺れた。芽衣の虚ろな視線にも、雪が映る。
     落下の軌道から、吹き上げた風に舞い上がった雪。見つめる少女の瞳が、大きく見開かれた。奥に、小さな光が宿る。
     ―――あの日舞っていた、桜。
    「……真衣、ちゃん………」
     灼滅者達がはっと顔を上げる。はっきりと耳に届いた声は、間違い無く芽衣のものだ。
     あと少し――心揺らぐ今ならと、傑人が静かに言葉をかける。
    「……きみの思い、きみの願いを、僕らに教えてくれないか」
     かくんと膝から崩れた芽衣へ、言葉は滞り無く届いている。動揺に揺らぐ視線が、灼滅者達へと向けられた。
    「きみの悔しさと怒りは、僕らが受け止める。そして、きみがそれを望むなら、僕らがそれを手助けしよう」
     淡々と、感情の籠らない声音だが、彼女を救いたい――傑人の思いは静かに、雪の様に芽衣の心へと降り注ぎ落ちていく。
    「……真衣さんを、救いたくはないか」
     真衣の名に、くしゃりと芽衣の顔が歪んだ。声にならない思いを伝えようと、芽衣の唇が、何か言葉を形作る。

     ――――  た  す  け  て

     それをはっきりと理解して、レオニードは芽衣へ向き合った。雪が視線の間に割って入るけれど、冷気は心を落ち着かせるに丁度良い。
    「……芽衣さん、今、すごく辛くて悲しくて酷いことが、貴女の身に起こってる」
     その身に心の炎を纏わせ、しかし紫紺の瞳の奥に灯るのは、優しい優しい灯火。
    「それでもどうか、怖がらないで。……貴女を支えてくれて、元気付けて一緒に泣いて笑ってくれる仲間がいる」
     静かに、心に染む様にと、レオニードは語る。芽衣はまだ全てを失ってはいない――闇に負けず、戻ってきた芽衣。
     立ち上がることができたなら、その先には彼女を笑顔に導く未来がある。
    「だから、堕ちては駄目だ!」
     炎が一際大きく舞い上がった。しかし、紅蓮に包み込む芽衣の瞳は、未だ僅かに虚ろな色を宿す。
     あと少し、手助けが必要なのだ。彼女を引き戻す、あと一手。
     静かに仲間と芽衣の声を聞いていた将平が、臆せず芽衣へと近付いた。
     正面から射抜く強い瞳。怯む芽衣の中の闇が再び腕へと赤きオーラを集束させた。
     自身の暴挙に動揺する様に、芽衣は苦しげに叫ぶ。
    「……やめて! 私は……傷つけたくない!!」
     その腕に宿った力へ抗う声を上げたのは芽衣だった。芽衣の声が初めて、静寂を切り裂きはっきりと闇への反意を告げたのだ。
     ぎり、と奥歯を噛み締め、将平は芽衣の肩を掴んだ。
    「……お前の声、聞こえたんだ。『助けてくれ』って」
     不安定な芽衣の顔が、怒りに歪む。しかし、将平は怯まず続けた。
    「お前の本心聞けたんだ……なんだってやれる。俺の拳は、芽衣と一緒に闘う」
     直後、腹部に、改心の一撃。まともに受けた紅の一撃に吐き出した鮮血、鉄の匂い。芽衣の肩を掴んだまま、折れそうになる体。
     それでも、この言葉も戦いだから、将平は決して退かない。
    「ぶつけて来い! いくらでも受けてやるから……芽衣、闘え!!」
     鶍の癒しの風が吹く中、至近距離からの眩きオーラの連打が芽衣を打った。湯都が更に、傷深い将平へと夜霧の癒しを送る。
    「芽衣殿は、真衣殿をどうしたいでござるか! 闘う意志があるのなら……闇に屈するな!」
     将平から離れた芽衣へもう一度、信蔵は問うた。死角からの殺人技巧が芽衣の足を捉え、追い討ちをかける様に楼炎の影――蒼銀狼‐フェンリル‐がその身を覆う。漆黒の中にぐらりとその体が傾いだ。
     最後に芽衣の体を打ったのは、レオニードだ。
    「……この力は、誰かを傷付けるだけじゃない、助けることも出来るんだよ」
     救う為に使い続けた力。最後の一撃は、それを証明する様に放った、加減の技。
     ずる、と芽衣の体が、レオニードの腕の中へと倒れる。
     冷たい雪の中に抱く温もりに安堵する。生きている。救えた。
     レオニードはその体を支えるように包み込んだ。
    「……僕達と、一緒においで」
     微笑んだ表情は少し幼く、安堵の笑顔は瞬く間に灼滅者達に広がった。

    ●名残の雪
    「……灼滅者……」
     雪降る公園で、暫く。目を覚ました芽衣へと、灼滅者達は一連の出来事を説明した。
     ダークネスに囚われた真衣と、道連れに堕ちようとしていた芽衣。起こった悲劇。
     自分達がどういう存在であり、芽衣もまた、どういう存在なのか。
    「芽衣ちゃん。手荒い事してごめんなぁ。おじかったやろ? あんなぁ、ウチの学園芽衣ちゃんと似た様な境遇な人が一杯居るし、来てみんかえ?」
     行き場の無い芽衣へ、湯都は武蔵坂学園へ来ることを提案した。鶍も、寒いからと用意したタオルをそっと差し出しながら、こくりと頷く。
     ふわりと頭上から髪を包んだ温もりと、天真爛漫な明るい笑顔に、少しだけ芽衣の表情が綻ぶのが解った。
    「……さっきも聞いたけれど」
     先に差し出した紅茶が、芽衣の体を温め、手の中で冷えた頃。ベンチに座る芽衣と目線の高さを揃えて、傑人は淡々と、芽衣へ問う。
    「きみの願いを、僕らに教えてくれないか」
    「芽衣殿。真衣殿……姉上のことは、闇に堕ちた以上は、灼滅する他無い。それを知った上で……どうしたいでござるか?」
     傑人へ連なった信蔵の言葉に、芽衣の視線が足元へと落ちた。今日、自分の身に起こったこと。あまりに突然のことに、混乱は否めないけれど……灼滅者に救われて、自分にもその力があると知った。
    「私は、助けたい、です……灼滅、するしか手段が無いとしても、それでも……本当の真衣ちゃんは、人を殺めたり、そんなこと、望まない筈だから……」
     悲しく、眉根を寄せて。膝の上でぎゅっと手を握り締めた芽衣の頭に、ぽん、と温かい手が乗せられた。
    「……強いでござるな、芽衣殿、歓迎するでござる。……辛いことの後に、すまなかったでござるな」
     穏やかな笑顔に、気遣いの色を滲ませて。信蔵の隣には、眼鏡の奥の金の瞳をゆるりと細めた傑人。解りにくいけれど、彼を包む空気も穏やかだ。
     信蔵の優しい謝辞に、芽衣も柔らかく微笑んだ。

    「帰りましょう。風邪をひいては大変ですから……」
     傑人と被ってしまったが、と楼炎が差し出した飲み物で全員が体を温め終えた頃。フィドルフの言葉で、9人に増えた灼滅者達は、武蔵坂学園へ帰る道を行く。
     雪は、一向に降り止む気配は無い。歩きながら厚い雲に覆われた夜空を見上げる芽衣に、レオニードの傘がさしかけられた。
    「転んじゃうよ? 足元に気を付けて帰ろう」
     ありがとう、と。微笑みで応える傍ら、それでもやはりもう一度、芽衣は今度は立ち止まって夜空を仰いだ。
     柔らかく優しく降り注ぐ雪が、昼空の、淡い桜色へと変わる。
     始まることにわくわくした。一緒に過ごす新生活に心躍った入学式のあの日。
     かつて姉と繋がれていた手の上へと、花弁が静かに舞い落ちた。しっとりとその花が手の熱に融けた時、視界はモノクロームの世界へと戻る。
     鮮やかだった日常は、もう還らないと知る。
    「……、……真衣ちゃん……っ!」
     堪えていた涙が、堰をきって溢れた。葛藤が解るから、見つめる灼滅者達は何も言わない。
     ただ手を握り締め、悲劇に悲しみと怒りを募らせる。
    「……姉貴のこと、好きか?」
     ひとしきり泣いた芽衣へと、沈黙を破った将平の言葉。その場に蹲り顔を覆う芽衣は、鶍のタオルに包まれながら、ただ静かに頷いた。
     隣に屈む楼炎は、芽衣の震える肩をそっと抱く。湯都もまた傘を外し、芽衣に倣って空を見上げた。
     降る雪を見上げていると、まるで自分が空に昇る様な錯覚に陥る。目の前で震える少女は、この雪に何を見たのだろう。
     日常の何もかもが愛しい思い出に繋がる。過去語りこそしないが、フィドルフにもその感覚は憶えがあった。
     きっとこれは、芽衣の中の、真衣の名残の雪なのだ。
    「……忘れてやるなよ」
     泣いてもいいから―――友として告げた将平の言葉に、芽衣はもう一度頷いた。
     涙を呑んで歩く道は、歪んでいたけれど優しかった。

     新たな日常へと少女が踏み出したこの夜、雪はただ静かに、空が白んでも降り続けた。
     戦いの痕跡すら消し去って――雪の静寂に隠れた少女の嗚咽は、やがて融ける雪が秘めたまま気化し空へと送るのだろう。
     名残の雪は世界を覆う。
     桜の季節まで。まるで『忘れるな』とでも言う様に、今日の記憶を呼び覚ます。

    作者: 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年1月22日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 2/感動した 19/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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