氷の刃

    作者:

    ●同調
    「……わかるわ。私達、とてもよく似ているのね」
     静かな室内で、女は目前で泣き崩れる男の背にそっとその手を寄せた。
     恋人の裏切りと、突然の別れの告知。傷心の男にふわり、と柔らかく触れた布越しの手はとても優しく……
     涙を浮かべて顔を上げた男は、ぼんやりと女を見つめた。
     まるで聖女か女神の様だ。美女というわけではなくとも……。
     穏やかな声音。
     清楚で優美な佇まい。
     波打つ美しい髪はその包容力を顕す様であり、触れる手と微笑みはどこまでも優しい。
    「ねぇ、私、そんな裏切り許せないわ……私が、貴方を苦しめるその女を殺してあげる。……だから」
     背から降りた右手が、そっと男の手を取った。導かれた先で手に触れたのは、硬質で冷たい銀色のナイフ。
    「貴方は、私を苦しめる者を、殺してくれるかしら?」
     鈍く光る刃を虚ろに眺める男の瞳の光が、薄れ遠のいて行く。
     見つめる女の口が、聖女とは程遠い歪な笑みを浮かべたことに、男は気付く由もなかった。
     
    ●偽りの優しさ
    「……気に入らないわ」
     教室に現れるなり、唯月・姫凜(中学生エクスブレイン・dn0070)は不機嫌に眉根を寄せた。
     その呟きと少し近寄りがたい雰囲気に、灼滅者達はやや遠巻きに彼女の様子を覗う。
     遠慮がちに注がれた視線にあら、と我に返ると、姫凜は慌てて笑顔で取り繕った。
    「ごめんなさい! ちょっとね、アウトプットした敵の情報が不愉快だったから……」
     情報を伝えるのが自分の役目。駄目ね、なんて小さく笑って見せると、姫凜は一度紅の眼差しを伏せ、1つ息を吐く。
     再び瞳見開かれた時、その顔から笑みは消えていた。
    「ソロモンの悪魔の暗躍を察知したわ。とはいっても、相手は配下だけど……女。名前を氷崎・紅子(ひょうざき・こうこ)。対人トラブルで悩む人に同調する形で付け入って、交換殺人を扇動してるの」
     交換殺人―――それは、2人以上の人間が、殺意持つ対象を交換し殺人を行うというもの。
    「今でこそごく弱小勢力でしかないけど、放置して良い理由にはならないわ。サイキックアブソーバーが示した予知、聞いてくれる?」
     強気に笑んで、姫凜はノートを机上に開いた。概要を書き込みながら告げたのは、アウトプットした情報の全てだ。 
    「氷崎はあるビルを住まいにしているわ。そこに悩み相談と称して上手く一般人を誘い込んで自分の配下にしているみたいね」
     ビルが在るのは人の出入りのあまり無い閑散とした地域。そして、ビルには現在氷崎達を除いて住人はいない。
     戦い仕掛ける夜にも、標的たる配下達を除いて周辺に人の気配は無いという。
    「ソロモンの悪魔そのものは現れない。だから、一番の強敵は氷崎ね。ダークネスには及ばないにしても、個体能力ならあなた達灼滅者よりは強い。油断できない相手よ」
     狙うのは、氷崎達が最上階・15階にある部屋を出て、エレベーターホールに出た時だ。
     指定の時間までにエレベーターの正面にある階段入り口に潜み、氷崎達がエレベーターに体を向けたと同時仕掛ければ、背面から奇襲を仕掛けることができる。
    「気をつけて欲しいことがあるわ。氷崎はエレベーターが来れば、乗り込んで逃げようとするの。配下一般人も氷崎を逃そうと庇いながら動くから、それだけが厄介ね。それから、潜伏以外の行動を起こすタイミングはあくまでホールに氷崎達が現れて以降よ。事前にエレベーターを操作したり、戦いを有利に運ぶ工夫を加えれば……バベルの鎖で氷崎側に動きを察知されてしまうわ」
     あくまで、自分の予測が全てだと、姫凜は付け加えた。ぱたん、とノートを閉じると、視線をまっすぐと灼滅者達へ向ける。
     話し始めは不快そうだった表情が嘘の様に。姫凜は紅の瞳をほんの少し緩め、微笑んだ。
    「弱気は誰もが持ちうるものだけど、善人ぶってそれに付け込むなんて性質が悪いわ。でも、あなた達に託したからには大丈夫。……お願いね」


    参加者
    エリス・ダイン(絶望を摘む者・d00032)
    中島九十三式・銀都(シーヴァナタラージャ・d03248)
    天堂・鋼(シュガーナイトメア・d03424)
    皇樹・桜(家族を守る剣・d06215)
    上倉・隼人(伝説のパティシエ・d09281)
    神林・美咲(黒の魔剣士・d10771)
    原坂・将平(中学生ストリートファイター・d12232)
    アンジェリカ・バスカヴィル(ワンダーランドの赤頭巾・d12386)

    ■リプレイ

    ●潜む者達
     ビルの最上階。押し殺す息は冷え切った古ビルに微かな熱を齎し、繊細な銀糸の髪がその圧にふわりと揺れている。
     階段口に潜むエリス・ダイン(絶望を摘む者・d00032)の鮮やかな真紅の瞳は今、射抜く様に強くエレベーターホールを見つめていた。
    「交換殺人なんて物騒だな。交換なら交換日記で留めておけばいいものを」
     静けさに潜めた声は、中島九十三式・銀都(シーヴァナタラージャ・d03248)だ。どこか生来の明るい響きを宿して。しかし、正義を貫く熱い思いが、銀都を包む空気に真剣な色を齎している。
     集まった8人の灼滅者の手は、既に馴染んだ武器を携えている。力を存分に解放する、その時を今か今かと待つばかり。
     その時――標的である氷崎・紅子が、その背を無防備に晒す時を。
    (「間違ってる……殺したい程憎んでも、何も変わらないのに」)
     皇樹・桜(家族を守る剣・d06215)は悪魔の配下へと堕ちた人々を思い、大きな銀色の瞳を瞬かせた。左手を添える愛刀『黄昏』は、戦いを前に桜の戦いの本能と共に未だ鞘に収まり、静かに佇んでいる。
     さらり、と音立て肩を滑り落ちる桜の髪を目で追っていた天堂・鋼(シュガーナイトメア・d03424)は、心巡る思いにふと、視線を足元へと落とした。
    (「自分勝手な人達……人に傷付いたのだとしても、そこに至るまでのいい思い出まで壊すことないよ。まして……」)
     やがて見上げた黄金の瞳は、人として決して見逃せない凶事へ抗う、強い決意を秘めている。ぎゅっと握り締めた手が、その力強さにふるりと震えた。
    (「人を殺す理由になんてならないんだから」)
     ソロモンの悪魔が手招くは闇の道。思想的に人の心を掴み、闇へ誘うその手口は今回、交換殺人という形で灼滅者の前に現れた。
     遠くから近付く人の声に気付いたアンジェリカ・バスカヴィル(ワンダーランドの赤頭巾・d12386)は、口元に人差し指を立てると、壁際にぐっと体を寄せる。
     エクスブレインは、ビルには標的以外に人は居ないと言っていた。だとすれば、間違いなくこの声こそ、氷崎ら、ソロモンの悪魔の配下である。
     闘いを前に、原坂・将平(中学生ストリートファイター・d12232)は一度静かに目を伏せた。
     今日対するのは一般人。灼滅しか手立ての無いことがもどかしい、鍛えた拳の行き場が苦しい――……のしかかるは、人の命の重さ。
     事前情報として『救えない』という断言がなければ、きっと将平は葛藤など持たずに戦えた。苦しいのは、その拳が人守るため鍛えられたものだから。
     そして、葛藤にもがく少年がもう一人。
    (「愛憎か……人間ってそんなに綺麗な生き物じゃねーよな……」)
     上倉・隼人(伝説のパティシエ・d09281)。彼には、心奥底に燻る黒い靄めいた迷いがある。だからこそ、ソロモンの悪魔に心奪われた人々をどこか他人事では無く感じていた。
     己が心に問い続ける答えは、今日ここで見出せるのか。……大切な人たちを、守れるのかと。
     思惑様々。やがてその時は訪れる。
    「――終わらせてあげる。……楽しませてね……」
     桜が無垢な表情から一転、瞳に好戦的な光を点し笑んだ時。視線の先……エレベーターホールへと、3人の人影が現れた。

    ●襲撃
     くすくす、と笑う女は確かに清楚で、どこか静粛優雅な雰囲気に満ちていた。
    「頑張りましょう……お互いの、幸せの為に」
     男2人、女は1人。エレベーターへと向かう氷崎の緩く背に落ちる薄茶の髪が、穏やかに談笑する仮面の微笑みを隠した。
     ―――刹那。
    「……悩む人々の弱みにつけ込み罪を犯させるとは許せません、この場で灼滅させていただきます」
     静かに。突如至近真後ろから囁く様に届いた声に、氷崎は勢いよく振り返った。
     その瞳に映った光景は――声の主、神林・美咲(黒の魔剣士・d10771)の無敵の名を冠した巨大なる刀と、黄雷宿した将平の拳とが、配下の2人を捉えた瞬間。
    「―――なっ……」
     狙い済ました奇襲。振り向き様に両側の男達から噴き出した鮮血の飛沫を浴び、氷崎の表情が引きつる。
    「人の心の弱みに付け込む……報いの時よ」
     温度を感じない、エリスの冷淡な声が響いた。詠唱する声に紛れ、同時に打ち込まれた鋼の魔法光線と桜の赤黒い禍々しい殺気に、ち、と氷崎は舌打ちすると、バン! と勢い良くエレベーターのスイッチを押し、怒声を上げる。
    「何のつもり?! 私達の幸せを、邪魔しないで!!」
     エリスの魔力によって奪われた体熱を取り戻す様に、熱の籠った強い口調。配下の男達が、呼応する様に氷崎の前に立った。
    「幸せ、ですかぁ? 悪いことをするのに、自分が『悪い子』であることを隠す子達が……」
     アンジェリカが、その愛らしい容姿で手にする斧をひゅるりと廻し、ぱしっと掴んだ。浮かべる表情は、無邪気なまでに愛らしい笑み。
    「アンは、いちばん嫌いですよぅ!」
     叫ぶと同時、斧から放たれた魔力の因子。宝珠から引き出された龍の力が、守りの盾となってアンジェリカを包み込む。
     瞬く間に戦闘の空気へと変わったエレベーターホールに、氷崎がぎり、と歯を食いしばった。
    「たかが6人でっ……私に勝てると思うの!?」
     氷崎の瞳が、一層強く鋭いものへと変わる。
     奇襲への焦りか冷静さを欠くその姿。地を蹴り次手へと間合いを詰めた桜を高純度の魔力の矢で撃ち払い、怒りに歪む表情はまるで、粗暴なる獣だ。
     ふさりと2つに結った黒髪を揺らして、鋼はただ1人後方からバスターライフルを構えた。
    (「悪人を断罪する爽快感なんていうのも無いけど……」)
     灼滅者であること以外はごくごく普通の少女である鋼。ダークネスを倒すことは使命なのだとしても、一般人を倒さなければならないのは決して気分の良い話では無い。
     それでも、鋼が黒鉄の長銃を構えるのは。
    「……誰かが止めなきゃ、でしょ?」
     バスターライフルから放つ、二度目の魔法光線。急所を突いた一撃に、受けた男の体がぐらりと揺らぎ、瞳がぎらりと光った。
     しかしその強い視線のままに、傷庇う様にぎこちなく動き取った構えは、氷崎を守るための。
    「愛憎劇に踊らされて……こんなん守ってんのかよ、馬鹿野郎!」
     将平は男のその姿に顔を歪めた。痛い。それは傷ではなくて――ダークネス・ソロモンの悪魔の思惑通りに闇に堕ち、討ち取らなければならない命を思う心の痛み。
     苦しい、悲しい、悔しい。けれどでも――瞑目して浮かぶのは、先日出逢った少女。
     大切な存在を自ら灼滅してでも救済の覚悟を持った少女に、己を重ねて。自分も救うのだ。ダークネスの闇に囚われた心を、この手で、この一撃で闇から解放するのだ。
     ひゅん! と将平が手にした槍が空を切り、男を穿った。思い乗せた一撃に、男はさらさらと穿孔部から風化する様に消えていく。
     見送りに抱く切なさは押し殺す。未だ、戦いは終わっていないのだから。
     不意に、エレベーターの到着を告げるポーン、と軽く場違いな音が響いた。劣勢を悟り、氷崎が逃げ込もうと駆け寄った一方、6人の灼滅者達は誰もこの動きに反応しない――。
    「へっ、おまえらの野望は全てお見通しだぜ」
     思いがけない声は、開きかけのエレベーターの中から放たれた。氷崎の瞳に浮かぶ、困惑と焦りの色。
     それはやがて、絶望へと変わる――開いた扉の先から、紅蓮と檜皮、4つの瞳が氷崎を捉えたから。
    「逃がすと思いましたかぁ?」
     くすくす、アンジェリカが愉しそうに笑う。エレベーターの中から閃いた風の刃と咎の刃。予想せず受けた2つの斬撃に、氷崎の顔からは全ての余裕が消え失せた。
     奇襲策の成功に笑みを浮かべたのは、ホールで戦っていた6人、そして――初手の奇襲と同時に14階へと下り、エレベーターへ乗り込み奇襲した、隼人と銀都だ。
    「待たせた! 行くぜ!」
     合流に勢いを増す灼滅者達を鼓舞するように、隼人に続いた名乗りの声が、頼もしく響き渡る。
    「平和は乱すが正義は守るものっ、中島九十三式・銀都、参上! 悪行三昧の日々に終止符を打ちに来たぜ!」

    ●聖女の末路
    「悪い子には、お仕置きしなくちゃいけませんねぇ?」
     アンジェリカの、骨をも砕く強烈な一撃が男を襲う。
     腕を落とす程の豪快な斬撃が、華奢で無邪気な少女から繰り出される。それは、一見するととても不思議な光景だ。
     しかし、相手もやられっ放しでは無い。
    「きゃう!」
     直後、思いがけず受けた男からの圧縮魔力の反撃。思わず倒れこんだアンジェリカの、悲鳴すら愛らしく戦場に響く。
     男は、確実に弱っている。再三氷崎を庇い、先程からふらりふらりとよろめく様は酷く頼りない。
     その様子を見て取って、冷静に戦況を観察し戦っていた美咲が、動いた。
     ふわりと。華奢な身に重量感ある巨大なる刃を振り被り、目にも留まらぬ速さで配下の眼前へ迫る美咲が放つは、斬るというより叩き付ける、といった印象の、超弩級の一撃。
    「……もう人に戻せない以上手心は加えません。往生なさってください」
     薙ぐように上から振り切った一撃に、遂に男は地に伏せる。かしゃん。美咲が足元に鳴った硬質な音に視線を落とすと、男の懐から落ちた冷たいナイフが床に佇んでいた。
     ソロモンの悪魔の野望。打ち砕く瞬間は、もうそう遠くない。
    「見せてやるよ! 俺の本気全開ってやつを!!」
     氷崎へと相対する銀都。遅れて戦列へ入った為か持ち前の熱い気質からか、その勢いは凄まじく、先程から氷崎を圧倒していた。
     心を表すかの様に赤々と燃え盛るレーヴァテインが、氷崎の身を包み、じりじりと焼いて行く。
     本来風など吹かぬホール内に、熱が生み出す気流。揺れる長く美しい銀髪を時折払いながら、静かに心に怒りを抱くエリスがそこに立っていた。
     冷静な表情はそのままに。氷崎を斬りつけ後退する桜をちらりと見遣ると、直後氷崎へと一瞬で間合いを詰めた。
     一見無表情とも思える美しい少女は、弱者を虐げる者を許さない。触れそうな程近くまで寄って、氷崎の腹部へマテリアルロッドを翳す。
    「……地獄へ、堕ちるといいわ。ソロモンの悪魔も、貴女も」
     直後、無風のホールに放つ竜巻。腹部至近で放たれた爆発的な一撃。続け様に同じ箇所へと打ち込まれた将平の打撃に、氷崎が悲鳴を上げた。
    「あぁあああああああっ!!!」
     追い詰められた聖女の叫びがこだまする。
     鋼のライフルによって破壊されただの鉄の箱と化したエレベーターへ、もう氷崎は縋ろうとはしない。余裕などとうに失った氷崎は、唯一の脱出路である階段を目指していた。
    「邪魔! 邪魔……!!」
     しかし、圧倒的に消耗した体で8人の灼滅者から逃れることは至難の業だ。そして、向かう先が解っている氷崎を、灼滅者達が見逃す筈も無い。
     道拓くべく、立ち塞がる灼滅者へと必死の形相でマジックミサイルを撃ち続ける目前の女。そこには、聖女然としていた戦闘前の面影など影も形も無かった。
     そんな氷崎の姿に人の心奥底の暗い感情を見て、見つめる隼人は瞳を曇らせる。
     自信の無さ。友を守ろうと願って守れなかった不甲斐無さ。弱さを自覚する度に折れそうになる心。その度過る、黒い感情。
     きっと、今回ダークネスの配下と化した男達も、折れかけた心に拠り所を求めたのだろう。そして、自分で立ち向かう強さを見出す前に、本性を笑顔に隠した黒き手に、その心を委ねてしまった。
    「……愛憎なんざ、人殺していい理由にゃならんだろうがよ聖女様よ!」
     薙ぐような一閃が、これ以上は進ませまいと氷崎の足を捉えた。手に良く馴染む大鎌は、死を呼ぶ断罪と呪いの刃だ。黒き呪いはやはり自身の心のようだけれど……それでも隼人は振り抜く。
     いつか必ず、自信を。闇などに拠らず、自分自身で掴み取るために。
    「いやだ!いやだ、いやだ……!」
     足を失い、鮮血を引きずりながら地べたを這いなおも進もうとする氷崎の前に、すっと1人の人影。
     壁を蹴り地を蹴り、戦場を縦横無尽に駆け回っていた桜。
     息1つ乱さず冷たい瞳で氷崎を見下ろす少女からは、戦闘前の純真無垢な色は感じられない。氷崎に齎されたものが絶望なら、今の桜を占めるのは、戦いを好む獰猛な意思。
     左手の『黄昏』をゆっくりと鞘に収めて。しかし、桜の戦意が消えていないことは、その視線と張り詰める空気が物語る。
    「―――おやすみなさい、永遠に」
     静かな呟きと共に、抜き打った居合いの閃き。ぎらりと、迫る冷たき刃の輝きが、氷崎が瞳に映した最後の光だった。
     ホールに響く断末魔が消えた時、血に濡れた偽りの聖女もまた――その生涯を閉じ空へと消えた。

    ●氷の刃
    「……壊したエレベーター、まさか、爆発したりしないよな?」
     戦い終えた静寂のホールに、恐る恐るエレベーターを覗き込む銀都の声が響く。
     後味悪く耳に残る断末魔の余韻に曇っていた幾人かの灼滅者の表情も、その声に終わりを自覚してか、ほっと安堵し綻んだ。
     古いビルには暖房すら入っていなかったからだろうか、冬の冷気に空気は張り詰め、戦闘の後だというのに体は強張ってさえ感じられる。
     早く帰って、甘いココアでも飲んで温まろう―――帰ろう、と、戦闘中よりどこか柔らかいエリスの声に導かれて、仲間に連なり帰りかけた鋼はふと、ホール中央に佇む美咲に気付き、歩み寄った。
     視線を追えば、美咲の足元に散らばるのは金属片。
     戦闘に巻き込まれたか今は砕け散っているけれど――それは、配下の男の腰から落ちたナイフだった。
     その欠片1つを手に取る。
     人差し指で輪郭をなぞりながらじっと見つめるそれは、どこにでもある、何の変哲もない普通のナイフだ。しかし、欠片と化してなお美しく光る銀色を冷たく感じるのは、恐らく冷気のせいだけではないだろう。
     殺人にと用意された刃は、氷の様に冷たく触れた箇所の熱を容赦なく奪っていく。
     救いは無いと、そう思った。しかし、この氷の刃が罪無き人へ振るわれるのを防ぐことができただけでも、きっと意味は在った筈。
     ――ことり、とフロアに金属片を戻した時、階段口からひょこりとアンジェリカが顔を覗かせた。
     階下からは、仲間の呼ぶ声も聞こえる。声で応えて鋼と美咲が階段を降りていくと、2人を先に送り、最後にアンジェリカだけが15階に残された。
     くるりと向き直って、階段口からもう一度エレベーターホールを見渡す。
     ……そこには、壊れたエレベーターと中央の金属片しか残されてはいないけれど。
    「悪い子相手に十字は切ってあげません。……でも、アンと遊んでくれたお礼」
     スカートを広げ、しゃなりと。消えていった命へと、上品な淑女のお辞儀で締めて、アンジェリカもホールを後にする。
     階下から呼ぶ声に、今行きますよぅ、と愛らしく応えながら。静かなホールに最後に響いた少女の声は、冷気の中にまるで救いの様に消えていった。

    作者: 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年1月29日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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