年の離れた兄妹がいた。
高校生の兄と、小学校低学年の妹。
兄は妹を可愛がり、妹は兄を慕っていた。
頼もしい父と優しい母、ごく普通の幸せな家庭だった――その朝までは。
「……ねえ兄様、兄様は私が好きよね?」
妹が兄に語りかける。
「兄様は、私の言うことを聞いてくれるわよね?」
両親は妹の足元で紅い血を流し、ピクリとも動かない。
「ねえ兄様。私、喉が渇いてるの」
無邪気な声で話しかける妹。
『お兄ちゃん』ではなく『兄様』と呼ぶ妹。
「兄様も……欲しいでしょう?」
紅く濡れた手をこれ見よがしに見せ付けて、妹が笑う。
「だから――連れてきて?」
妹の紅い目が、兄のそれを見上げる。
――何が起きた?
――どうしてこうなった?
兄の胸のうちに浮かんだ疑問は、紅い血の匂いにかき消される。
「……ああ、わかった……」
連れてくるしかない。
妹が、望むのならば――。
「仲のいい兄妹が闇堕ちした」
集まった灼滅者たちを前に、一之瀬・巽(中学生エクスブレイン・dn0038)はそう切り出した。
「先に、というと語弊があるか……」
少しだけ考えて、巽は簡潔にこう言った。
「妹がヴァンパイアになった。結果、妹が慕っていた兄がその巻き添えになった」
ヴァンパイアは闇堕ちする際、元人格の血族や愛した者を同時に闇堕ちさせるという性質を持つ。
「兄の名前は小瀬・雅史。妹に言われるままに人を狩ろうとしている」
彼にはまだ人としての意識がまだ僅かながらも残っているのだ、と巽は告げた。
「妹はともかく、彼はまだ救えるかもしれない。灼滅されることになったとしても……誰かをその手にかけるよりはマシだろう」
軽く頭を振って、巽は詳しい説明を始めた。
「彼は自宅から出て近場の繁華街を目指している。ちょうど自宅と繁華街の中間点あたりに大きな公園があって彼はそこを通り抜けようとするから、その公園で待っているといい」
閉じた扇子で地図をなぞりながら続ける。公園は住宅街の中にあった。
「彼が公園にやってくるのは、完全に日が落ちてからだ」
住宅街の中という場所柄か、あるいは寒さ故なのか、日が落ちた公園を訪れる人は彼以外いないようだ。
「救うにせよ、灼滅するにせよ、戦ってもらわなければならないんだが……彼はダンピールと同じような能力を持っている。半端にとはいえ闇堕ちしてしているから威力は段違いだ」
ヴァンパイアは数あるダークネスの中でも強力な部類の種族である。
「……彼の人としての心を揺さぶることができれば、彼の力を弱めることができるかもしれない」
戦闘が不可避でも、説得が無意味というわけではない。説得の糸口となるのはやはり妹のことではないか、と巽が付け加えた。
「彼の妹は明るく素直な性格だったらしい。彼自身も、妹の変わりようや彼自身がやろうとしていることに微かながら違和感を感じているようだ」
残念ながら、彼が自分でその違和感に気付くことはない。
仮に気づいても、それについて深く考えることなどしないだろう――誰かが切欠を作り彼に気付かせてやらない限り。
「こう言ってはなんだが、妹が一緒でないのは幸いだ……ヴァンパイア2人を相手にするのははっきり言って難しい」
小さく息を吐き、巽は灼滅者を見回した。
「彼を救ってやってくれ」
そう言うと、巽は淡く笑ってみせた。
「灼滅者として目覚めるにせよダークネスとして灼滅されるにせよ、彼にとってそれは間違いなく救いなのだから……」
参加者 | |
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置始・瑞樹(殞籠・d00403) |
因幡・亜理栖(おぼろげな御伽噺・d00497) |
蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965) |
天宮・黒斗(黒の残滓・d10986) |
飛砂・蓮月(幽玄の籠鳥・d12842) |
獺津・樒深(燁風・d13154) |
蛇原・銀嶺(ブロークンエコー・d14175) |
伊織・順花(追憶の吸血姫・d14310) |
●
夜の住宅街。薄暗い中を少年が足早に歩いてくる――早く、早く、と何かに急かされているかのように。
繁華街へ出る近道でもあるこの公園に足を踏み入れた少年は、公園の中央付近まで来てふと足を止めた。
どうやらようやく、園内に人影があることに気付いたらしい。
「ごきげんよう」
立ち止まった少年――小瀬・雅史に蜂・敬厳(エンジェルフレア・d03965)が声をかけた。
礼儀正しくすっと頭を下げる年下の少年に、雅史が怪訝そうに顔を歪める。
「あんたたち……」
何者だ、と誰何したかったのだろうか。あるいは、何故ここにいるのかと問いたかったのだろうか。
「妹のことで話しがある」
単刀直入な蛇原・銀嶺(ブロークンエコー・d14175)の言葉に、雅史が一瞬息を飲んだ。
「最近、妹に何か変化はなかった?」
敢えて気付かぬふりをして、飛砂・蓮月(幽玄の籠鳥・d12842)が素っ気ない口調で問いかける。
「…………」
雅史は無言のまま答えない。きつく握りしめられた拳は果たして何を意味しているのか。
何気ない素振りをして雅史を包囲していく灼滅者たち。伊織・順花(追憶の吸血姫・d14310)もさり気なく雅史の側面に回った。
「血が欲しい……それって、普通の人間が言う事じゃないよな」
「?!」
突然投げかけられた天宮・黒斗(黒の残滓・d10986)の言葉に、雅史がビクリと肩を震わせた。
「変だと思わないのか? 家族を殺して、血を求める妹のこと、その非常識なお願いに従っている自分のことをさ」
「少し前までは普通に暮らしていたんだろう。突然人を連れて生き血を啜ろうだなんて、変だと思わないか」
置始・瑞樹(殞籠・d00403)のまた同じように問いかける。
「わかったような口を……!」
反論しかけた雅史だったが、それ以上の言葉が出てこない。その姿に一瞬だけ目を伏せ、敬厳が口を開いた。
「妹さんが小瀬さんを『兄様』と呼ぶのを、おかしいとは思われませんでしたか?」
「お前の可愛がっていた妹はもうどこにもいない。お前も薄々気がついているのだろう?」
呼び方が変わったのは、彼の妹が妹でなくなってしまったから。
「大切な奴の願いを聞いてやりたいって思う。その気持ちは、分かる」
雅史の心に理解を示しつつも、獺津・樒深(燁風・d13154)は続ける。
「けどな。甘えさせるのと優しさは違うんだよ。相手の意を全て鵜呑みにするのはアンタ自身と、考慮への冒涜だ」
「妹さんはもう今までの彼女でない誰かになってしまったし、人としてやってはいけないことをしてしまった」
因幡・亜理栖(おぼろげな御伽噺・d00497)には妹はいない。けれど、もしいたらそれこそ目に入れても痛くないくらい可愛がるだろうし大切にするだろうと思う。
「今までの妹さんは両親を殺すわけないはずだよ」
雅史の握りしめられた拳から、ぽたぽたと赤いものが流れ落ちる。
「ねぇ、アンタのやろうとしてる事はホントにアンタがしたい事?」
淡々とした蓮月の問いかけ。
その直後、それまでほとんど動こうとしなかった雅史が苛立ったように頭を掻き毟り始めた。
「うるさい、うるさい、うるさい、うるさい……!」
呟く雅史の瞳が赤く輝く。豹変した雅史の様子に、灼滅者たちが身構える。
「うるさい!」
雅史が叫ぶ声と同時、その周囲に魔力を宿した霧が噴きだした。
●
「お前の妹は明るく素直な性格だったんだろう」
臨戦態勢に入った雅史に接敵し、瑞樹が怒鳴る。彼の手の甲に装着されたWOKシールドが、雅史の体を強かに打つ。
「なら、お前は知っている筈だ!」
自らの妹が、闇に蝕まれてしまったことを。そして、自身もまた闇に蝕まれかけていることを。
「もう妹さんは、今までの妹さんじゃないんだよ」
雅史に駆け寄る亜理栖の背から炎の翼が現れ、前衛を務める灼滅者たちに力を与える。
雅史の意識が瑞樹に向いたその隙をついて、手にしたサイキックソードを構えた黒斗が彼の死角へと回り込む。
(「助けられるなら助けてやらないとな」)
薙ぎ払うように振るわれたサイキックソードが、雅史の纏った洋服諸共彼の皮膚を切り裂く。
続いてヒスイ色のリングスラッシャーを侍らせた敬厳が、前衛の後ろから飛び出した。薔薇色のボディと漆黒のチェーンを持つチェーンソー剣に緋色のオーラを宿らせ、雅史の生命力を奪わんとそれを振るう。
「妹御を闇から救えるのはそなただけぞ! 気を強う持つんじゃ!」
「アンタはきっと今やるべき事を見誤ってる……見失ってるだけだ」
告げる樒深の手には巨大な鉄塊の如き刀がある。
「一暴れしてスッキリすんだったら相手してやる」
樒深は咄嗟に身構える雅史の動きなど構うことなく上段から思い切り無敵斬艦刀を振り下ろす。受け止めた雅史の腕から、ミシリと嫌な音がした。
(「救いであれ、終わりであれ、見届けてあげるよ」)
眼鏡の奥、その眼を僅かに細めながら蓮月は無造作にガトリングガンの引き金を引いた。撃ち出される弾が雅史の体を撃ちつける。
「このままだとお前自身も消えてしまう」
契約の指輪から行動を制約する魔法の弾を撃ち出しながら、銀嶺が訴える。
「お前の妹はそんな事は望まないはずだ」
残っている筈の雅史の意識に、訴え続ける。かつて、似たような経験をしたから。銀嶺を巻き込んだのは、家族ではなくかけがえのない親友だったけれど……。
戦いながらも、灼滅者たちの必死の説得は続く。
●
ある時は雅史の構えた手刀が赤く輝き灼滅者を襲う。またある時は、彼の生み出した逆十字が灼滅者を引き裂く。
闇堕ちしかけた雅史の攻撃は確かに強力だったが、幸いなことに攻撃対象は常に1人。さらに言えば、事前の説得も功を奏してか雅史の攻撃はどこか精彩を欠いている。
傷を負いながらも説得を続ける仲間の傷を、敬厳のジャッジメントレイが癒す。それでも足りなければ黒斗や蓮月、銀嶺がタイミングを見てフォローに回る。
「君の知ってる妹は、誰かを傷つけるような子だったのか? 違うだろ!?」
順花が必死で訴える。
「なのに、妹のために誰かを傷つけるのか?」
彼女の脳裏に、かつて自分が闇堕ちしかけた時の光景が甦る。あんな思いは、してほしくない。
(「たとえこの身が傷つこうとも――」)
救いたい。
その瞳に涙すら浮かべ、順花は雅史に向けて手を伸ばす……と、その直後。
「伊織!」
名前を呼ばれたと思った瞬間、順花の体が誰かに押された。半ばよろけるようにして、数歩後ずさる。
何事かと顔を上げた順花の目の前に、瑞樹の姿があった。その体を、緋色のオーラを纏った雅史の腕が貫いている。
順花が大きく目を見張る。思わず声を上げかけた彼女の耳に、瑞樹の声が響く。
「大丈夫、だ」
僅かに顔を顰めながらもそう告げて、瑞樹は雅史を見据える。
「気持ちは、わかる」
瑞樹にも年の離れた妹が妹がいる。
「兄はまだ弱い妹を守らなければってな」
雅史の腕が引き抜かれると同時、瑞樹はその大きな体を沈み込ませた。
「だからこそ、尚更、お前が妹を救ってやらなければ」
その拳に闘気の雷を宿し、雅史の顎目掛けて思い切りアッパーカットを放つ。
「怪我の心配はするでない、わしがおる!」
敬厳が瑞樹に向けて裁きの光条を放つ。
「妹さんは大事だけど、だからといって道を踏み外した行為に加担するのは間違ってるよ」
自らの得物に炎を纏わせ、亜理栖が雅史に切りかかる。
「だから、小瀬さんしっかりして。お兄さんなんでしょ?」
訴える声がより必死なものになるのは、自身の中のダークネスを否定しているから。人が、闇堕ちしダークネスになる姿など、見たくない――。
「自分の意思をしっかり持て、闇に飲まれるな!」
黒斗が死角へと回り込み、雅史の腱を絶つ。学園から「8人」でやってきた。だから「9人」で学園に帰る。
可能なはずだ――声は確かに、届いている。
「闇に負けないでくれ。お前自身の為にも、お前の可愛がっていた妹の為にも」
銀嶺の両手にオーラが集中する。そこから一気に放出したオーラが雅史を襲う。
「……アンタの妹は最初からそんなだった? 違ったんじゃない? オレは識らないけどね」
出現させた赤い逆十字を雅史目掛けて放ちながら、蓮月が淡々と問いかける。
「――自分迄、紅に沈めたら駄目。アンタにそんな檻は要らない筈、違う?」
雅史の服ごとその体を斬り裂いて、樒深はぽつりと呟いた。
「アンタ、狡いよ」
折角「考える」事が出来る今の状況を、「戸惑い」で態々動かなくしている。
「お前に頼って来てる妹に対して、兄として本当にやらなきゃいけない事を今やれてると思ってんの」
その言葉が終わった直後、彼の体を赤い逆十字が引き裂いた。衝撃に片膝をつきながら、それでも続ける。
「何も考えずに動くのは楽だろ? 逃げてんだぜ、それって」
「逃げ……」
小さな声で、雅史が呟いた。
「妹を大切にする気持ちがあんなら、逃げんな。アンタなら、その先に行ける筈だ」
動きの止まった雅史に、灼滅者たちが最後の攻撃を仕掛ける。
雅史の体が地面に崩れ落ちたのは、その数十秒あとのこと――。
●
「俺の妹は、いなくなっちまったのか……」
目を覚ました雅史が漏らした初めての言葉が、それだった。
意識を取り戻した雅史に、灼滅者たちは自分たち灼滅者、ダークネスについての簡単な説明をした。
彼の妹が闇堕ちし、ダークネスと呼ばれる存在になったこと。
ダークネスとは妹とはまったくの別人格であること。
彼自身もまた妹の闇堕ちに巻き込まれ、ダークネスになりかかっていたこと。
彼がダークネスに打ち勝ち、灼滅者として覚醒したこと。
灼滅者たちが説明を終えるまで黙っていた雅史がようやく口にしたのが、その言葉だったのだ。
「もう……戻らないんだな」
俯く雅史に痛々しいものを感じて、瑞樹は僅かに顔を歪める。妹はダークネスとなり、両親は殺された。彼はもう、元の生活には戻れない。
「自分たちと一緒に来ないか?」
銀嶺の言葉に、雅史がノロノロと顔を上げる。
「同じような経験をした者もいるし、お前の助けとなるだろう」
学園には似たような経緯で入学や転学してきた生徒がいる。似たような経緯で灼滅者として目覚めた者もいる――銀嶺や順花もその1人だ。
「毎日飽きなくて、楽しいぞ」
ふ、と小さく笑って樒深が続ける。
「もう妹さんは戻ってこない。だけど、もう1人の妹さんを叱ってあげることはできるはずだよ」
雅史の顔を覗き込み、亜理栖が再び問いかける。
「いつか妹さんを叱るために、一緒にどうかな?」
「大丈夫。俺等も手伝う」
「妹さんを止められるのはきっと小瀬さんだけです」
樒深の言葉に亜理栖も頷く。敬厳もまたそう言って同意する。
「そうそう、俺の両親ももう、居ないんだ。似たもの同士、仲良くやっていけそうじゃないか?」
だから一緒に行こう――瑞樹が手を差し伸べる。数秒の逡巡の後、雅史はその手を取ることを選んだ。
「よし、帰るか!」
気を取り直すかのように大きく伸びをして、黒斗が常と変わらぬ明るい声で仲間に声をかける。
その声にそれぞれに頷いて、灼滅者たちは9人で帰途につく。
(「帰ろう、赫齎す狗のところに」)
空を見上げた蓮月の脳裏に自らの救い主の姿が浮かぶ。
帰ろう……仲間の待つ学園へ。新しい仲間と共に――。
作者:草薙戒音 |
重傷:なし 死亡:なし 闇堕ち:なし |
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種類:
公開:2013年2月27日
難度:普通
参加:8人
結果:成功!
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得票:格好よかった 8/感動した 1/素敵だった 2/キャラが大事にされていた 0
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