衝突! 滋賀鮒寿司怪人!

    作者:君島世界

    「フ~ナフナフナフナフナ! さあ子供たちよ、この滋賀県名物鮒寿司を食べて健やかに育つズシ! そして最終的に世界征服ズシ! フナフナフナ」
    「やめろバカ! こっちくんな! オメエくっせーんだよ!」
    「何を言うズシ! 鮒寿司こそ滋賀県は琵琶湖周辺に住む者たちのソウルフード! のはず! それを否定するなんて、もしや子供たちは悪い子ズシな?」
    「あたし知ってるもん! 鮒寿司って納豆より臭いんでしょ! サイテー!」
    「ぬぬぬ、滋賀の子なのにそこまで鮒寿司をディスるとは、しかもよりにもよって納豆と比べるとは! も~許さんズシ! かくなる上は滋賀に伝わる伝説の秘伝、子供たちを縄で縛って上を向かせて口をパクパクさせる『滋賀の鮒飼い』でキョーセーテキに食わせてやるズシ!」
    「「「そんな技知らねーよ!」」」
    「フナフナフナフナ、遠慮することはないズシ! お前にも鮒寿司を詰め込むように食わせてやるズシ! ――お前にも!」
     
    「というわけで、滋賀鮒寿司怪人の行動が察知されたよ。
     フナフナ笑いながら嫌がる子供達に鮒寿司を無理矢理食べさせて、最終的に世界征服を狙うっていう、いつものパターンズシ……っいつものパターンだね! ね!?」
     必死に言い直す須藤・まりん(中学生エクスブレイン・dn0003)に、空気を呼んで愛想よく微笑み返す灼滅者たち。彼女から提示されたのは、滋賀鮒寿司怪人を名乗るご当地怪人の行動予測だ。
    「……えっと、場所は滋賀県の南、京都府に近い辺りだね。琵琶湖の湖畔に現れて、さっき言ったとおりの行動で子供たちに襲い掛かるよ。それがどうして世界征服に繋がるのは全然わからないけど、鮒寿司がトラウマになっちゃうのも気の毒だし、子供達の安全のためにもこいつと戦って、倒しちゃってね」
     滋賀鮒寿司怪人が使うサイキックは、『鮒寿司キック』『鮒寿司ビーム』『鮒寿司ダイナミック』といったご当地ヒーローのサイキックに相当するもので、それに『シャウト』『手加減攻撃』が加わっている。威力は武蔵坂学園の一般的な灼滅者よりも若干ながら上である程度であり、察するに実はそれほど強力なダークネスでもないらしい。
    「ただ、鮒寿司の方だけど……あ、馴染みでない人も結構いるだろうから、一応説明しておくよ。
     鮒寿司は、塩漬けにしたフナにご飯を詰めて、桶の中で発酵させて作る滋賀の郷土料理だね。美味しいんだけど、外見はどう見ても腐った魚だし、それに臭いが強烈でねー。地元の人でも苦手に思ってる人は結構多いみたい。
     その結果というかなんというか、滋賀鮒寿司怪人も……うん、『相当臭う』の。何かニオイ対策をしておかないと、戦いと関係ない所でひどい目に遭うかもしれないから、注意してね」
     もちろん、高度な身体能力を持つ灼滅者たちが、臭い程度の影響で満足に戦えなくなるわけではない。が、その代わりに何か大切なものを失わないよう、注意すべきなのだ――。
     
    「――ところで、詳しくはわからないんだけど……。どうやらこの事件には、他にもこのご当地怪人を『狙っている』者がいるみたいなんだよ」
     ところで、と前置きをしてまりんが話し始める。
    「『偶然出くわす』でも『前から一緒にいる』でもなく、『狙っている』の。知ってると思うけど、ダークネスを始めとしたバベルの鎖に守られている者は、その情報が過剰に広がることはないから、普通はどこにいるかなんてわからないよね?
     なのに、『狙っている』……。ね、どういうことだと思う?」
     問われ、顔を見合わせる灼滅者たち。
    「以前、日本全国にイフリートが散らばった事件のとき、一件だけ、別種のダークネスが私たちと違う方法でイフリートを見つけ出して、接触してきたケースがあったよね。あの時も、そいつらはイフリートを『狙っていた』……。
     この符合、きっと偶然ってことは無いと思うんだ」
     思い出す。こちらの作戦に闖入してきたあの男は、『我らのテリトリーの一つ』とそう言っていたはずだ。今回も、そういうことなのか……?
    「怪人退治で何かと大変かもしれないけど、できることなら、そっちの方も調査をお願いするよ。その『何者か』とのコミュニケーションは、武蔵坂学園にとっても貴重な情報になるかもしれないから、ね」


    参加者
    風花・クラレット(葡萄シューター・d01548)
    藤谷・徹也(高校生殺人機械・d01892)
    貳鬼・宿儺(双貌乃斬鬼・d02246)
    有栖川・へる(歪みの国のアリス・d02923)
    アレクサンダー・ガーシュウィン(ヒーローだった何か・d07392)
    ルリ・リュミエール(バースデイ・d08863)
    漣・静佳(黒水晶・d10904)

    ■リプレイ

    ●さらば滋賀鮒寿司怪人! 琵琶湖の底に眠れ!
    「そこまでだ、滋賀鮒寿司怪人!」
    「フナッ、何奴ズシ!」
     ついに、灼滅者と滋賀鮒寿司怪人との対決が始まった。身構える怪人へ、リンデンバウム・ツィトイェーガー(飛ぶ星・d01602)が声をかける。
    「うふふ、私たちは――あ、ちょっと待ってくださいね? 準備がありますので」
     臭い対策の為、古ぼけた衣装に身を包んだリンデンバウムは、予備の青い箒を物陰にしまってふうと一息をついた。ここまでの徒歩移動で疲れを感じたのか、彼女は人差し指を頬に当て、
    「……私、もしかして運動不足?」
    「何しに来たズシお前」
     ジト目の怪人に、次は有栖川・へる(歪みの国のアリス・d02923)がポーズを決めて名乗りを上げる。
    「はっはっは、ボクは有栖川・へる! 水戸のご当地ヒーローに代わってお仕置きだよ!」
     その片手に掲げられた容器を眺めて、怪人は驚愕の声を上げた。
    「……それはまさか、水戸の納豆!? 近畿に納豆持ち込むなんて命が惜しくないズシか?」
    「やかましいぞ怪人。言っておくが、お前の最大の武器である『臭い』に対して、俺たちに一切の隙は無い」
     指差し言うのは、『スウェーデンのニシン漬け缶詰』形のキャニスターがついたガスマスクを被っているアレクサンダー・ガーシュウィン(ヒーローだった何か・d07392)だ。その隣では、臭い対策マスクをつけた藤谷・徹也(高校生殺人機械・d01892)が、真面目な顔で消臭スプレーを弓手に構えていた。
    「昨今、無臭ニンニク等臭い対策をする食品も多いと聞く。お前の鯖寿司も、食べ易くする為の工夫も必要ではないのか」
    「うわっ、ちょ、やめろって……やめえええぇ、臭い消さないでええ!」
     スプレーを吹きかけられ、たじろぐ怪人。……利くんだ、それ。
    「みんな、子供たちの誘導終わったよ! 近くの学校に避難させといたから!」
     と、手に何故か木の実を持っているルリ・リュミエール(バースデイ・d08863)が、腕を振って伝える。ESP『ラブフェロモン』を使った誘導だったので、もしかしたらその影響かもしれない。
    「……閉――我の『殺界形成』にて、以後は此方に参る者無し。各々、然し油断無く」
     殺気を振りまく貳鬼・宿儺(双貌乃斬鬼・d02246)が日本刀『鐡焔』を抜くと、合わせて全員が手に殲術道具を握りなおした。怪人は周囲を見回して、その人気の無さに今気づいたという表情をする。
    「あ、あれ? いつの間に未来の希望たちがいなくなったズシ? お前らの仕業ズシな!? 許さん!」
     怪人は激昂し、手近な距離にいた漣・静佳(黒水晶・d10904)に襲い掛かった。その表情豊かな怪人に、静佳は落ち着いて一言。
    「怪人さん、……あちらの彼女、鮒寿司知らないそうよ」
    「ほいきたズシ!」
     そんな口車に乗せられて向かう先には、マスクとゴーグルとの完全装備に身を包み、『クラレットロッド』を振り抜かんとする風花・クラレット(葡萄シューター・d01548)の姿があった。
    「あなたの弱点を教えてあげるわ! 決定的なのをね!」
     極上の発砲ワインを思わせる葡萄色のスパークの中、風花は打撃点にかつてない程の手ごたえを感じた。――多分、会心の一発ってやつだろう。
    「――ここのフナの数じゃ世界征服は無理よ! 琵琶湖に執着するなら、その位のことには気づきなさい!」
    「そうだったズシーッ! 鮒寿司の材料であるニゴロブナは絶滅危惧種でフナアアガボブ」
     ぶっ飛ばされた滋賀鮒寿司怪人は、そして琵琶湖へと沈んでいく。そのまま浮かんでこない所を見ると、怪人は湖底で静かに灼滅の時を迎えたのだろう。
     かくして、琵琶湖のほとりにひと時の平和が取り戻されたのであった! ――しかし、居並ぶ灼滅者たちの誰もが、その警戒を解いていない。

    ●『主従』
     それは、唐突の声だった。気づき振り向けば、そこに銀色の詰襟を着込んだ二人の学生がいる。
    「おい、ボクの経験値はどこへ行った? まさか今沈んでいったのがソレとは言わせないぞ、クロ」
    「いーや、沈んだだけじゃねエ――魚の餌だな、ありゃ。一足遅かったようだぜヤズト」
    「一足遅かったようだぜじゃないだろクロ! お前のせいだ、お前が責任もって僕の前に獲物連れて来いよ!」
    「……っせえな。適当なイケニエ連れて来りゃいいんだろ? だったらよォ――」
     背丈は低く、しかし偉そうな態度をとる『ヤズト』に、背の高い『クロ』が嫌々従っている、といったように見える。ヤズトの視線を顎でしゃくって、クロはこちらに向いた。
    「――居ンじゃねえか、そこに」
     にやりと笑うその口元には牙が見え隠れしている。事前の情報と、何より直接に対峙した経験から、それがヴァンパイアの特徴であることに静佳は気づいた。
    「……残念、イフリートの時の方とは別人みたいね。今日は来ていないのかしら?」
    「あ、なんの話だテメエ」
     静佳の独り言に近い言葉に、剣呑な反応を見せるクロ。どう見ても友好的な雰囲気には思えない。
    「あっれえ? ナニ? ナニ落ち着いちゃってんのテメエ? 立場理解してマスかー?」
    「立場、ね。あなたたちの立場なら、こっちにもわかるわ……おそらく全国にテリトリーを持っている、とか」
    「それだったら多分、『学園』を隠れ蓑にしてるのね。他のダークネス組織に気づかれないよう、世間から隔離されたコミューンとしても学園は最適だもの。それに――」
    「――うゥるっせえなあ! なーにをサッキっからペラペラと喋ってやがる、人間がァ!」
     いらついた様子を隠さないクロは、ドン、と足踏みの音を立てて、風花とルリの推理に割り込んだ。
    「ちったあビビれよ……。目の前にいるのはナニサマだよ? エ? テメエらなんざ本気を出せばヒトヒネリでなァ!?」
    「あら怖い、『経験値』とやらにされてしまいますわね? ……イフリートの時は、まあ残念でしたけども♪」
    「――――ア?」
     挑発するようなリンデンバウムの言葉に、クロのこめかみの血管がはち切れそうなほどに緊張を見せた。その即発状態を抑えつけるものは、基本的に何も無い。
     それでも、クロは半ば義務的にヤズトへ伺いを立てた。
    「ナンだ……何だコレ。おいヤズトォ! 予定変更だ、コイツ等は俺が全殺し――」
    「まあまあ、落ち着いて。ところで――クロ君に、ヤズト君? さっきの鯖寿司怪人の臭いがまだ残ってるよね。キミたちもこれ、使っておくかい?」
     と、へるが後ろで仁王立ちしているヤズトに消臭スプレー缶を放り渡そうとした。しかしその缶はクロが空中で殴りつけ、あえなく地面に転がる。
    「……ハハハ、クロが爆発寸前だ! いいのかい、このまま名無しさんで惨殺されても? 名乗るチャンスをあげようか?」
    「いやいや、不要だよ。それに、答えは想像がついているんじゃないかな? これまでのボクたちの言葉に、ヒントはいくつもあったはずだから」
     人事のように笑うヤズトに、へるはブラフで返す。彼らのような闖入者に対し、灼滅者たちはこちらの情報を何も与えないと決めていた。
     ――エクスブレイン、サイキックアブソーバー、武蔵坂学園。そして、それらが全て組み合わさった時にしか発生しない、未来予測。これまでの会話に、秘匿すべき項目を匂わせる単語は一つも出てきていなかったはずだ。
    「――ナメ腐りやがって、どいつもこいつも!」
     そうクロが叫んだ瞬間に、地面に転がっていた消臭スプレーの缶が外部の衝撃によって爆発した。金属の固形物を一瞬で砕き尽くしたのは、同じ錆色をした鉄の杭――いや、異形化したクロの両腕だ。

    ●『異形』
    「どいっつもこいっつも! 生意気なんだよォ! スリ潰してブチ殺してやるァアアア!」
     クロは絶叫し、その両腕を八の字に広げた。その怪しく光る目は、見る物全てを射殺さんとせわしなく動かされる。
    「本性を現したか、ヴァンパイアめ。――有栖川も、お前らも配置につきな。陣を敷くぜ」
     ずっと様子を眺めていたアレクサンダーが、敵の変容に間髪入れず促しを送る。頷き、前へと一歩を踏んだ徹也は、猛禽を刻印されたコインを手の甲に貼り付けつつ問うた。
    「言葉の通じる内に答え、訊いておこう。俺の名は藤谷・徹也。俺たちと相対するお前たちは、俺たちの味方か、否か」
    「……是――返答如何にて、我等は貴公らの敵と成るやもしれぬ。此の先、考えて行動為されよ――」
     徹也に並び、ずっと抜き身のままだった刀を突きつける宿儺の警告を、しかしヴァンパイアの二人は『完全に無視』する。
    「ヤズトォ! 手出し不要、前に立ったらお前でも殺すぜ? 大喜びでな!」
    「ハハハハハ! いい! いい殺気だよクロ! それでこそボクの自慢の人斬り包丁だ、優秀な暴れ駒だ! さあ、特等席のこのボクに見せてくれよ! 予定の8倍の虐殺をさあ!」
    「……許さねえ。この俺をコケにした全員、許さねえぜ――!」
     直後、徹也は両の拳を後頭部で交差した。その肩には重さを感じさせないほどに軽く、クロの足裏が乗せられている。
    「ア? いい反応見せるじゃねえか、人間」
    「何のことは無い。どんな攻撃も初動を見切ればガードはたやすい」
    「偉ッそうに講釈垂れてンじゃねえよ!」
     ガードの上からの力任せの殴打を、徹也は歯を食いしばって堪えた。反動でとんぼを切り、灼滅者たちのど真ん中に着地するクロに、風花の影縛りが伸びる。
    「連絡手段があるならいただくよ!」
     敵の足を絡めつつも、狙いの本命は上着のどこかにあるだろう携帯電話だ。まず両側のポケットを探ろうとする風花の影業は、しかしクロの杭で強引に剥がされた。
    「ウザってえな、この薄っぺらはァ!」
     空いた両杭を、クロは十字を切るように交差させる。掻き毟られた虚空が紅の裂け目を生み出すと、それは身構える静佳へと一直線に飛んでいった。
    「食らって折れ曲がれや、人間!」
     閃光のような赤の一撃が静佳の身を穿つかと思われた直前、パリンと、薄氷が割れるような音がした。余韻の風の向こうに立つ静佳は、柔らかな指先に契約の指輪を煌かせ、なおも無事だ。
    「……だから、貴方の思い通りにはなれないわね、私」
    「な……?」
     自信と渾身を込めた一撃が、いともたやすく眼前の人間に打ち破られる。クロをして初めての経験に、戦いの場は震える隙を与えなかった。
    「甘い! 血が昇った頭では正常な判断もできんか!」
     敵対モードに切り替わったルリが、不意をついてクロの襟を妖の槍『ギガドリルランス』で刺し抜いたのだ。ルリが柄を捻れば、制服の生地はクロの首を締め付ける。
    「汝、我を前にして呆けるとは何様のつもりだ? その罰、問答無用でくれてやろう!」
    「――え。あ」
     背丈にして1.5倍はあろうかというクロを、ルリは槍の先に絡め取ったままで振り回し、コンクリートの地面に叩きつけた。

    ●『激怒』
     クロは屈辱で伸びるタイプだと、ヤズトと呼ばれる少年は本能的に悟っている。他者を省みることのないヤズトは、それ故に暴れることしか能の無いクロと組み、悪い意味でのベストパートナーとして、お互いに暴力の面だけを引き出しあうような仲であった。
     眼前、激昂したクロが灼滅者に翻弄されている光景は、その関係のデメリットそのものである。しかし、今更――今更だ。今更自分が出て行って場を均すのも、任せた主として沽券に関わる。
     頭の中の冷静な部分は、二人掛りなら互角以上で蹴散らせると理解はしていた。だが彼の感情は、その無様な介入をおいそれと許しはしない。
    「――チッ!」
     何度目かの舌打ち。その僅かな身じろぎにさえ耳ざとく反応する灼滅者へ、ヤズトは殺すような目つきを差し込むのみであった。
    「……憤怒――貴公の主か、あれは。何故に助力を求めず、また授けもせぬか」
     切り結び、鍔迫りからクロを圧し返す宿儺。たまらずバックステップで距離をとるクロに、宿儺は上体を泳がせないよう足元を確かにして、仕切りなおした。
    「……膠着――この刹那、形而上に、幾度我は彼の者に断たれていたやら」
    「人間風情が、余所見してるんじゃ、ねェ……ッ!」
    「しかしわからねえな。俺たちと敵対して、衝突と火種以上に何の得がお前らにある?」
     すっかり息の上がったクロに、落ち着いた声で語るのはアレクサンダーだ。龍砕斧を片手に担いだままに、跨っているライドキャリバー『スキップジャック』を全速力で走らせた。
    「ま、仕事はするがな。……撃ち抜くぜスキップジャック」
    「――――ア、グァッ!」
     狙い澄まされた重の突撃が、難なくクロを弾き飛ばす。勢いを殺せず地を転がるクロの体を、リンデンバウムの霊犬『りゅーじんまる』が前足で止めた。
    「りゅーじんまる、お止め。――さて、虫の息ね、ダークネス」
    「………………ハァ、ッ」
     閉じかけたクロの瞳を、リンデンバウムの視線がこじ開ける。微笑みのままに、魔女は力を掌に収束し始めた。
    「この魔法で、私たちとあなたの戦いを終わりにしましょう。苦しくはないわ、きっとね」
     そして振り下ろされるリンデンバウムのサイキックは――アスファルトを優しく撫でる。
     風は遅れて吹き流された。膨大な水量をたたえる琵琶湖を背に、ぐったりとしたクロの頭を鷲掴みにして、ヤズトは超然と其処に立っている。
    「ああ、結局は助けに入ったんだね、ヤズト君。そのまま倒されるのを傍観してるだけなのかなって、ボクは正直言ってヒヤヒヤしてたよ?」
     万一に備えてブラックフォームを纏い、なおも殲術道具を構えたままのへるの言葉に、ヤズトは何も反応しない。
    「闇堕ちというジョーカーは、ボクの手に握られている。引くか退くかはキミ次第――」
     ――鮮血が返答した。噛み破られたヴァンパイアの犬歯が、カタリと地に落ちた。
     己を損なうほどの激怒が、ヤズトを突き動かし、自傷させたのだ。
    「よくも。
     よくも手駒を倒してくれたな! よくもこのボクに恥をかかせてくれたな、灼滅者風情が!」
     ヤズトの顔面が、深く引き裂かれている。怒号が世界を揺らし、ヤズトは血の涙を流す。
    「このままで済むと思うな……全員だ! お前ら全員に、同じ傷の復讐をボクは誓う!
     ボクに逃亡を選ばせたこと、未来永劫に後悔させてやる……ッ!」
     言い残したヤズトは、クロを抱えたままで明後日の方向に駆け出した。
    「まずい、逃げるよ!」
     反射的に追走を開始する灼滅者たち。気配を辿り、湖に向かう袋小路に追い詰めたと思った途端、ふと異質な音が彼らの耳に入った。
    「エンジン音――まさか、モーターボート!?」
     言われた通りの乗り物が、ヤズトとクロを乗せ琵琶湖の中へと高速で消えていくのが見えた。咄嗟に周囲を探るが、付近に水上を追跡でき、なおかつ追いつける手段は無い。
     ――陸地に残された灼滅者たちは、ボートが水平線の向こうに去る最後の瞬間まで、ざらつくようなヤズトの視線を肌で感じ続けていた。

    作者:君島世界 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年2月9日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
    得票:格好よかった 70/感動した 0/素敵だった 1/キャラが大事にされていた 0
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