カメリア・モンタージュ

    作者:中川沙智

    ●咲き綻び
     全身を音楽に委ねる。指の先まで神経を尖らせる。但し、そうとは観客に思わせない。
     あくまで優美に、しなやかに。大きく開脚し宙でポーズを決め、着地するところまで気を抜かない。緩急のある動きは、瑞々しくも華やかさに溢れている。
     広い舞台のすべてが庭。今はあるはずがない照明を受け、陰影で浮き彫りにされるのは透明な殻から覗く剥き出しの感情。典雅な香りがたなびき、魅せられるのは幻想だろうか。
     浮かび上がる輪郭はもはや人間ではない。
     一輪の、美しき花。

     とあるダンススタジオにて。
     彼女は心地良い汗をタオルで拭いながら、顔面蒼白になっている相手に柔らかく声を掛ける。
    「どうしたの? 随分顔色が悪いみたいだけど」
    「雨宮……あんた、いつの間に」
     声が震えている。取り巻きの少女達も一様に動揺を隠せない様子で、ひそひそと囁きが交わされる。
     それを一瞥もせず、整い鍛えられた素足が前へ進む。唇に浮かぶのは年齢にそぐわぬほどの妖艶な笑み。
    「コレオグラファーの先生に色目を使ったなんて……ありもしない噂をでっち上げてくれてありがとう」
     台詞が届いた瞬間、相手の表情が固まったことを見逃しはしない。
     侮蔑の色を瞳に浮かべ、彼女はドアを開ける寸前に呟いた。
    「だけど忘れないで。私が勝ったからには、次のダンスフェスティバルのメインは私よ」
     
    ●咲く頃に
    「モダンダンスって知ってるかしら?」
     小鳥居・鞠花(中学生エクスブレイン・dn0083)が、待ってたわよと笑顔を掲げる。
    「名前としてはあまり聞いたことないと思うんだけど……現代舞踊におけるひとつのカテゴリね。ああほら、学校の授業で創作ダンスってやるでしょ? あれもモダンダンスの一種なんですって」
     静と動、光と影。メリハリをつけたダイナミックで力強い表現、そして美しい繊細な動き。バレエと異なり、トゥシューズを履かず裸足で踊ることも特徴と言える。
    「ここまで言ったら想像つくかもしれないわね。……モダンダンスを得手とする子が淫魔へと闇堕ちしたわ。けれど魂の根底で抵抗を続けている。もしかしたら彼女は皆と同じ、灼滅者の素質があるのかもしれない」
     もしそうであれば救ってほしい。手遅れならば――灼滅を。
     鞠花は静かに、だが確かな声音で告げた。
    「彼女の名前は雨宮・椿(あまみや・つばき)さん。高校一年生よ。幼い頃からバレエにも親しみ、高い技術と志を持っている人。ゆくゆくはダンサーとして身を立てたいと思うほど向上心があるみたいなの。ただ、そうね。その誇り高さが周りからの反感を買ったのかしら」
     怪訝な表情を浮かべる灼滅者達に、鞠花はファイルを爪弾いて苦笑した。
    「『出る杭は打たれる』ってよく言ったものね。真摯に打ち込み目標に向かって邁進する……例えば時間外まで練習に打ち込んだり、先生に個別に質問したり。めきめきと実力をつけていく椿さんに難癖つけた子達がいたみたい」
     皆が限られた時間の中で頑張っているのにずるいとか、先生は皆のものなのにとか。
     あたしはそんなのナンセンスだと思うわ、と鞠花は肩を竦める。
    「椿さんはコレオグラファー……ああえっと、振付師の先生に色仕掛けをして主役を勝ち取ったと噂を立てられた。そのために年に一度、大きな学生向けダンスフェスがあるんだけれど、そのメインから外されたのよ。突き落とされた屈辱と絶望が彼女を闇へ導いたのね」
     淫魔の力を得て彼女は更にその魅力を増している。
     強敵と言わざるを得ないが、ここで止めなくては後がない。
     彼女はダンススタジオを出たのちに、途中で河川敷に立ち寄る。誰にも邪魔されない場所で簡単なストレッチや筋トレ、ステップの確認を行っているようだ。
     接触できるならここ。そう鞠花は断言する。
    「今回は段取りが通常と異なるわ。彼女を闇から救うために、まず皆には彼女にダンス勝負を申し込んでもらうことになるの。そして彼女に勝って頂戴」
     一瞬教室の空気が凍った。
     先程から散々高い技術があるだの強敵だの聞かされてきたのに、今、目の前のエクスブレインはダンスで勝てと言ったような気がする。
     頬を掻いて、鞠花は補足した。
    「正確に言えば『ダンス勝負で彼女に敗北を認めさせなければ』助け出すことができないの。プライドを傷つけたり動揺させたりすればこっちのものよ」
     フォローになってないという弱気な声が上がった。大丈夫よとにっこり微笑んだ鞠花の声のトーンがちょっと低い。ちょっと怖い。
    「心配いらないわよ。創作ダンスだと思えばいいの。技術があるに越したことはないけれど、テーマを決めてそれに沿ったダンスをすればOK。音源を持ち込めばベターね。河川敷だから別に靴を履いたまま踊って問題ないし」
     ダンス勝負の勝敗は『椿の気持ち次第』。はったりや蘊蓄で圧倒して、負けを認めさせれば勝ちは勝ち。ただ今回は椿の性格を考えると、それはあまりお勧めできないと鞠花は指摘する。
     あくまで正々堂々と、真っ直ぐに競い合うことこそを彼女は望んでいるのだから。
     高みを目指す真摯な志を持っているかを彼女は最も重視する。それさえ心がければ、元々運動能力に長ける灼滅者達のこと、勝ち目は必ず見えてくる。
     鞠花の燈火のような瞳に、剣呑な光が揺らぐ。
    「あたしが想像する限り、そうね……彼女は高みを求めるあまり、周りとの協調を重んじない節があるわ。ダンスフェスだって一人で出場出来るものじゃないのよ、皆が付け入る隙があるならそこじゃないかしら」
     ダンス勝負を行い灼滅者側が勝利した場合は、彼女は『お前達を殺せば敗北は無かったことになる』と思い襲いかかってくるだろう。その上で戦い倒すことが出来れば、救う活路は見えてくる。
     ダンス勝負の結果敗北した場合は――灼滅するより他に道はない。
     椿はサウンドソルジャーとバトルオーラのサイキックを使用する。だが本気で戦えば皆の敵にはならないと、鞠花は唇の端を上げた。
     花が朽ちるか、手折られるか、咲き誇るか。
     すべての鍵は灼滅者達の手中にある。
    「行ってらっしゃい、頼んだわよ!」


    参加者
    白咲・朝乃(キャストリンカー・d01839)
    佐伯・真一(若者のすべて・d02068)
    クロエ・マトーショリカ(夜と朝の境界・d02168)
    逢瀬・奏夢(番狗の檻・d05485)
    繊月・緋桐(フラクタルシンフォニー・d07596)
    ンーバルバパヤ・モチモチムール(ニョホホランド固有種・d09511)
    雨松・娘子(逢魔が時の詩・d13768)
    藤堂・黄萓(待ちわびる半夏生・d14222)

    ■リプレイ

    ●天を向き
     緩やかに傾く太陽は春の兆しを滲ませる。だが風は未だ冴えた鋭さを秘めている。
     灼滅者達が河川敷に到着した時、既に椿はその場にいた。怪我に備え丹念に筋肉をほぐしていく姿は、彼女のダンスへの情熱と真摯な姿勢を如実に表していると言えた。
     基礎的なステップを確認するため足を動かしていた、その時。
    「貴方もダンスをやるの?」
     伸びやかな椿の背に声をかけたのはクロエ・マトーショリカ(夜と朝の境界・d02168)だ。彼が羽織るショールは玄妙な青。繊細な模様の裾が広がり、青薔薇の花弁を思わせる。
     振り返った椿は、クロエと、彼と共に佇む仲間達を見渡した。
    「ええ。……『も』ってことは、貴方達もダンスをするのかしら」
    「そうよ、アタシ達もダンス得意なの。競い合う事で一層高みを目指せると思うし、良かったら勝負しない?」
     思索に耽る椿の眼差しに慢心の色はない。競争が成長への糧になることを知っているためだろう。白咲・朝乃(キャストリンカー・d01839)は彼女が強敵であるという認識を新たにする。
     勿論灼滅者として助けたい、けれどその前に。
    「ダンスと聞いたら負けられない。こう見えても負けず嫌いなの」
     朝乃の台詞に、椿のカメリアピンクの唇が笑みを描く。
    「いいわ。正々堂々、踊ってみせましょう。そっちも下手な小細工はしないで頂戴ね」
     事前に説明を受けた通りの実直さだ。だからこそ窮地へ落とされた時の絶望が深く、闇の淵に魅せられたのかもしれない。
     灼滅者達は頷く。彼らは彼らなりの方法で、椿に正面から向き合おうと決めていた。大人びた素っ気ない姿勢を崩さぬまま、逢瀬・奏夢(番狗の檻・d05485)は一歩引いた立ち位置で状況を眺める。
    (「正々堂々等と、柄でもない」)
     繊月・緋桐(フラクタルシンフォニー・d07596)は自分の心の動きに違和感を感じていた。戦いに身を置く普段の彼のスタンスとはやや立ち位置が異なるからだろうか。
    (「まあ……そのような場に憧れる事も無きにしも非ず?」)
     微かに目を細め、緋桐は花の行方を静かに見据える。
     話し合いの結果椿と灼滅者達それぞれがダンスを披露することになった。もっとも審査員がいるわけではないから、互いの気持ちの持ちようや感想こそが勝敗を決することになるだろう。
     テーマは『花』。
     クロエの勧めもあり、先に踊るのは椿ということになった。柔軟体操を済ませ身体を軽くあたためたのち、呼吸を整える。
    「――……ご覧あれ」
     音もなく跳躍する。
     大地にしっかりと根を張る。しなやかな肢体は枝、ひらり舞う掌は葉。風にそよぎながらも芯の強さを感じさせる。それは椿の持つ柔軟性と筋力、強靭な意志があってこそ表現できる美しさだ。
    「椿さんちょー綺麗。女でも惚れる」
     ひたむきさって素敵だよねと藤堂・黄萓(待ちわびる半夏生・d14222)は感嘆のため息を零す。ンーバルバパヤ・モチモチムール(ニョホホランド固有種・d09511)も故郷では見たことのないダンスをじっと見つめていた。
     椿のダンスは佳境を迎える。音楽もないのに靴音が刻むリズムだけで気高い情景が浮かび上がる。表現しているのは彼女の名前そのもの、椿。
     幾年もの時を越え慈しみ愛され続けてきた、麗しき花が咲く。
    「成程、見事なものだ」
     雨松・娘子(逢魔が時の詩・d13768)が頷く。プロになりたい、高みを目指したいという気持ちは伝わってきた。
     しかし。佐伯・真一(若者のすべて・d02068)は言葉を継ぐ。
    「今のキミには調和、ハーモニーが足りないな」
     礼を終えた椿が眉を顰める。ある意味上からの目線が入り混じる真一の台詞に気分を害したのかもしれない。一瞬張り詰めた空気を宥めるように、クロエはやんわりと声をかける。
    「ふふ、素敵なダンスだったわ。でも……貴方には足りない物がある」
     今から私達がそれを見せるわ。そう告げて、仲間達を促しダンスの準備を整えていく。

    ●彩に焦がれ
    「グループで踊るの?」
     灼滅者達が集まり立ち位置を確認する姿に、てっきり一人一人が個別に踊るのだと思い込んでいた椿は首を傾げる。灼滅者達がテーマとして選定したのは椿と同じ『花』でも『鮮やかな花束』だ。
    「貴方は確かに一輪の美しい花です」
     両手に桜色の舞扇を備えた朝乃は凛とした佇まいで囁いた。
    「でも、一輪で花束を表現できますか?」
    「椿は美しいだろう。だがしかし、俺達の花には勝てるだろうか」
     奏夢の淡々とした声音の裏に潜む力強さ。二人の自信に満ちた言い方に、椿は知らず唾を飲み込む。
     黄萓が事前に花をイメージしたワルツの音源とスピーカー、音楽プレイヤーを用意していた。逸る呼吸を整えて、それでも笑顔は忘れない。
    「次はあたしたちの番だね」
     メンバーの中で唯一演じる花を決めていなかった真一が音響担当となり、音楽プレイヤーのスイッチを入れる。
     三拍子のリズムに乗り、黄萓は彼女の名前通りの黄萓――ユリ科の眩い花を意識する。夏の山岳に強く明るく咲く。武蔵野のキスゲは『今を生きる』が花言葉。だからその気持ちが、届けばいい。
     姿勢は正しく。花の如く首だけ下げて幕開けだ。曲調が速く切り替わるのに合わせて動き出す。高原の風にそよぎ、駆けるようにステップを踏む。
     黄萓がターンして呼び込んだのは朝乃だ。親しみの桜が早咲きの春を連れてくる。軸足を基点に回転して高く跳躍する。爪先から指の先までを丁寧に翻せば、春風に舞う桜の花弁のよう。
     風に揺られるかのように全身を使うのに芯がぶれないのは、朝乃が日舞で培った繊細さとしなやかさによるものだろう。
     花束を彩る花は次々と加わっていく。ンーバルバパヤが元気に表現するのはコーヒーの花。純白の五弁が小さいながらも連なり開花する様子をイメージして、指先を大きく広げくるりと手首を回す。
     緋桐は自らと同じ名を持つ真っ赤な花を踊る。どことなく南国を思わせる花を情熱的に、力強く。大きな葉に抱かれ鮮やかに咲く様を、彼は大きな身振りを交えることで表現した。
     やるからにはきっちり正々堂々とこなしてみせよう。そのために密かに緋桐が事前練習を重ねたことを、幾人かの仲間と椿はしっかりと見抜いている。
     男子制服を着込んだ姿は男性にしか見えないが、それ故か娘子の振る舞いは凛々しい。彼女が彩る花は、椿。先にモチーフになった際とは別の捉え方で挑んでいる。すなわち、潔さに焦点を当てたダンスだ。
     落首に似た散り方が故に侍とも連想される椿の花。扇を用いて刀とみなし、殺陣にも似た武道の演舞のように舞う。素早く扇を閃かせたと思えば寸でのところで止める、静と動を生かした動きは清々しい。
     娘子の静の最中に一輪の影を落としたのは青いカーネーション、ムーンダスト。奏夢はジャズダンスのアレンジを加え、儚げに月の下に光る花のステップを踏む。
     一輪で咲くことの嘆きに浸る彼は、華やかに咲き誇る花々である仲間達に添い、最後は花束の一部となるように決める。メインではなく隅で。それがきっとムーンダスト――自分らしいと、思ったから。
     椿の花言葉は『完璧な魅力』、ムーンダストの花言葉は『絆』。
    (「椿の輝きには到底劣るだろうが、この仲間の絆には勝てるだろうか?」)
     奏夢が指先を向けた先には椿の姿。真一は椿の視線が灼滅者達に揺るぎなく注がれていることに気づいていた。
     そして青い色彩を持つ薔薇が奇跡を呼び寄せる。
     過去に椿と同じ様な経験を持つクロエは、彼女の心情を理解し救いたいと願っていた。そして同じく高みを目指す者として彼女の本気に真剣に応えよう、とも。
     出せる全てを出し切るよう、優雅に美しく。手の先でショールが自在に操られ、花弁が日差しに透ける。
     ワルツのテンポが徐々に上がる。花が纏まり花束となる。
     朝乃が仲間の周囲を激しく回れば桜吹雪が眼前に広がる。扇の開閉や身体を大きく使うことで力強さに欠ける部分を補う。輪からはぐれかけたンーバルバパヤを、クロエがそっと内側へ入るよう背を押す。
     段々上を向いていた黄萓は嬉しそうに皆の輪の中へ向かう。
    (「朝乃先輩やクロエ先輩、皆と一緒に生きる今が幸せで大切」)
     届いて。
     それは祈りにも似た切なる願いだ。
     技術は決して椿には及ばないかもしれない。
     だが互いにフォローし笑顔を咲かせるダンスを、椿は無言で見据えていた。否、見入っていたというのが正しいかもしれない。
     協調する楽しさを全身で表し、ダンスを皆で作り上げる歓びに満ちた、絢爛の花束を。

    ●地に堕ちし
    「真のプロというのは独走するものじゃない。師匠や先輩やチームメイト、そして何よりファンに支えられて生きるものさ」
     真一の独白めいた呟きに椿が目を眇める。
     灼滅者達が披露したのは協調を重視したダンスだ。そしてそのことを楽しんでいる。一挙一動も見逃さぬよう注視していた椿は誰よりも実感していた。
     椿がメインを勝ち取ろうとしているダンスフェスティバルもクラブや部活単位で参加するもの。自然と思い至り、胸の奥に罅が入る音がする。
    「一人では寂しい花しか表現出来ないけど、皆で踊ればこんなに華やか。貴方の花に足りない物じゃない?」
     クロエは椿を責めるでもなく追い詰めるでもなく、悠然と笑みを浮かべて問いかける。だから尚更、椿は言葉を返すことが出来なかった。
    「練習を頑張るのは、素敵なダンスを見せたいからだよね」
     私もそうです。そう告げた朝乃の声に、椿は弾けるように顔を上げる。
    「でもダンスフェスは複数人で見せるもの……それなら、私は。見てくれる人に、一輪じゃなくていっぱいの花束を届けたい」
     各々で咲くだけでは伸び放題の野花と同じ。個性を纏めまごころを籠めて、大切な相手が喜んでくれる花束にしたい。朝乃がそう語りかけているようで、椿は忘れていた心の底にある何かを思い出す。
     表情が強張る。
     それは椿自らが、敗北を認識したことになるからだ。
     椿に明らかな動揺が走る。もうひと押しだと真一は言葉を重ねる。
    「今のキミは一人で踊っているわけじゃない。淫魔に踊らされているだけだ」
    「違う、私は私の意思で踊っているのよ!! だから負けるわけにはいかない……そうね、」
     貴方達を倒せば私は勝者のままだわ。
     醸し出される妖艶さはまさに淫魔のもの。愉楽の為には手段を選ばない魅惑の花を前に、灼滅者達は臨戦態勢に入る。ダンス勝負で勝利出来た今、椿を倒せば救う道が見えてくる。
     椿を救い出して無事に連れて帰りたいと願うから。
    「その為にもアタシの本気な所……全部見せなくちゃ」
     ダンスだけではなく戦いにおいても。槍を手にクロエは赤い眸を細める。
     自らが担う殺しは決して手放しで評価されることではない。暴力で高みを目指す自分とはひどく対照的に感じると、緋桐は思う。
     だからこそ評価されるべき人間が評価されて欲しいと、暗い影の畔から願う。
     スレイヤーカードを翳し、低く呟く。
    「Keep your dignity.」
    「逢魔が時、此方は魔が唄う刻、さあ演舞の幕開けに!」
     同時にスレイヤーカードを展開し、変身するかの如く高らかに声を上げたのは娘子だ。明るく楽しげな面持ちで、常とは雰囲気が完全に変わっている。
    「不肖このにゃんこ、皆様へ一生懸命唄いますれば、どうぞどうぞ御用無き方聞いていって下さいませ!」
     さながらダンスバトルの延長戦だ。娘子は激しくギターをかき鳴らす。戦いの序幕は鮮烈に響く音波、椿の鼓膜の奥まで轟き揺らす。
    「戦いも、優雅に美しく……さあ、一緒に踊りましょ?」
     螺旋の如き捻りを加えた槍を、身を反転させ突き出す姿はダンスで手を差し伸べる様に似ている。穿つは椿の身体だ。
     クロエの言葉に反応したのか否か。椿とて黙ってはいない。情熱の籠った振り付けのダンスは焔のリズム。大振りな旋回を伴う蹴りで前衛陣を薙ぎ払う。
    「お、一緒に踊る気になってくれました?」
     黄萓は己に絶対不敗の暗示をかける。魂を燃え上がらせ肉体を活性化させ、椿に真正面からぶつかれるように。
    「キスゲの花は怒ってますよ。ツバキがフェアじゃないってね!」
     切欠がどうであれ淫魔の力に頼って欲しくない。そんなのちっとも綺麗じゃない。
     煌々と燃え盛る黄色の炎、熱く纏わせた鋼の斬艦刀を振り翳し、黄萓は黒き残像と共に椿を撃つ。広がる炎に焦がされ、腕を掴み顔を歪めた。
     先の勝負と説得が功を奏しているのだろう。椿の能力は予想以上に弱まっている。もう一息だと誰もが感じ、視線を交わし頷き合う。
     朝乃はクロエに癒しの力を籠めた矢を放ち、ナノナノのぷいぷいはふわふわハートを奏夢に飛ばす。的確な役割分担も、きっとダンスに通じるものだ。
     ぷいぷいに目礼した奏夢が超弩級の一撃を繰り出すと共に、霊犬のキノは魔を斬る刀を大きく揮う。椿の身体が大きく揺らぐ。
    「コレ、神様に喜び捧げる歌ヨ」
     ンーバルバパヤが紡ぐ神秘的な歌声が椿の瞼を落としかける。緋桐は彼女の影から狙撃砲を構え、真直ぐに魔法光線を発射する。
     それが決定打となった。椿が膝をつく。意識が霞む。
    「此れでオシマイ、貴方の闇を、受け止めてあげるわ」
     クロエがそっと倒れゆく椿を支えたことを、彼女は気づいただろうか。

    ●その花の名は
     頬に冷たい感触を感じ、椿は瞼を開ける。差し出されていたのは緋桐が用意したミネラルウォーターだ。
    「奢りだ。貧困な発想ではあるが。花には水をやらなきゃな……」
     彼の気遣いに、椿は感謝を述べて受け取る。既に淫魔の気配はない。残るのは、彼女が皆と同じ灼滅者であるという事実。
    「……アタシは、貴方と一緒に花を表現したいの。だから……目を覚ましてくれて良かったわ」
     クロエの真摯な声が響く。手を握られていることに椿は驚きながらも目を細めた。ぬくもりが、嬉しかったから。
    「ダンスに対して真っ直ぐな椿さんが、あたしは好き。だからあたしも真っ直ぐにぶつかりました」
     心からの気持ちを直球で伝えてくれる黄萓の輝きが眩しい。
     娘子は椿を武蔵坂学園へ誘う。其の力を存分に引き出して舞う事の出来るフィールドがあるから、と。朝乃も大賛成で椿の顔を覗きこんだ。
    「明日の私はもっと上手だから。いい練習相手になれると思うよ?」
     ぷいぷいが応援とばかりに、朝乃の頭の上でくるくる回る。ダンスのつもりらしい。
    「そもそもお前は一人じゃないはずだ。ここまで来たのも、これから歩むのも」
     奏夢はキノへ労るように礼を告げながら、その毛を撫でてやっている。彼の言葉は波紋が広がるかのようで、椿の頬を一筋の涙が伝った。
     椿の花に宿る朝露の如く光る。
     視点の異なる様々な表情、それもすべて椿そのものなのだろう。
    「……一緒に踊っても、いい?」
     花束の中の花になれるのなら。
     闇が剥がれ落ちた椿は地に落ちることはなく、美しく笑顔を咲かせた。

    作者:中川沙智 重傷:なし
    死亡:なし
    闇堕ち:なし
    種類:
    公開:2013年2月27日
    難度:普通
    参加:8人
    結果:成功!
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